第19話 壁の中の罠
リズムが均一すぎる。三秒周期だ。
足を止める。耳を澄ます。
チク、タク、チク。
歯車の音ではない。電子音の模倣だ。
胃の裏が冷える。あの信号を知っている。
「監視班の位置確認合図」
ショーウィンドウの影が動く。もう一つ後ろから近づく。
私はため息をつく。時計店のドアを押す。
ベルが鳴らない。中は無人だ。
カウンターの裏に仕掛け時計が置いてある。針は動いていない。
音はその奥からだ。壁の裏だ。
壁紙に手を当てる。冷たい。一部だけ湿り気がある。
押す。壁板が滑り、隙間が開く。
中は通信機材だ。ランプが規則的に点滅している。
三秒周期。点、点、点。
「こいつか」
小型カメラで撮影する。接続ケーブルの配置、電源の取り方。
記録が完了する音。ランプの点滅が一瞬乱れる。
私は壁板を閉める。湿り気が指に残る。
店を出る。影が二つ、距離を詰めてくる。
歩き出す。速度を上げる。
次の角で携帯を取り出す。新しい端末だ。
佐藤への暗号化チャットを開く。撮影ファイルを送信。
「隠し通路の証拠を確保。待ち合わせ地点は変更不可」
既読がすぐにつく。返信が届く。
「了解。新作戦を立案。汚染経路を全て放棄する」
「船舶の手配は?」
「香港資本が承諾。基隆港ではなく淡水港からだ」
背筋が凍る。全てが林の監視網の外だ。
「了解。明朝五時、淡水の第三埠頭で」
端末の電源を切る。ポケットに戻す。
振り返る。影が二つ、角で立ち止まっている。
私は路地裏に飛び込む。足音を複数に分裂させる。 時計の音が頭蓋骨を貫く。三秒ごとに濁る。
林の目が時計から私へ流れる。目尻が微かに痺れる。
「気になる音だな」
私はカウンターに手を置く。木肌の汗が冷たい。
「故障か?」
「いや。仕様だ」
彼の指が湯呑みの縁をなぞる。三周目で止まる。
脳裏に陳の尋問室がよみがえる。壁時計の同じリズム。
あの時、彼は三秒ごとに吐息を漏らしていた。
「時計はどこから?」
「友人の形見だ。十年以上前からある」
十年。陳が台湾に潜入した時期と重なる。
胃が硬直する。血の気が引いていく。
「そろそろ失礼する」
「ああ。またな」
私はドアへ向かう。背中に彼の視線を感じる。
ベルが鳴る。夜気が皮膚に張り付く。
路地の角で新しい端末を取り出す。指紋認証が一発で通る。
暗号化チャットを開く。佐藤のアイコンが点滅している。
「三秒周期を確認。林経由の全情報を破棄せよ」
送信する。指先が震える。
「了解。新ルート構築完了。淡水港、明朝五時」
既読表示。三秒後に続く文面。
「監視班が動いた。直ちに離脱を」
息を詰める。路地の奥からエンジン音がしない車が現れる。
端末の電源を切る。コンクリートに叩きつけ、踏み潰す。
部品を排水口に蹴り込む。痕跡を消す。
歩き出す。背中の視線が熱を帯びる。
港の灯りがまだ遠い。この距離が全てを分ける。 壁のひび割れが一直線に走っている。七つ目の割れ目だけ角度が違う。
指で押し込む。漆喰の下に金属の感触。
微かに軋む。壁板が内側へ滑り込む。
隙間から冷気が漏れる。湿った空気だ。
懐中電灯を点ける。光束が埃を舞い上げる。
奥にダクトの口が見える。縁に手垢の跡。
近づく。留め具に新しい引っかき傷。
「使用済みか」
ダクトの格子を外す。音を立てずに手元に収まる。
中を覗く。奥に箱のような影。
手を伸ばす。指先が防水ケースに触れる。
引きずり出す。重い。
蓋を開ける。中は書類の束。
一番上をめくる。白紙だ。
次をめくる。これも白紙。
三枚目で手が止まる。紙の端が僅かに捲れている。
爪を立てる。二層に剥がれる。
下からメモ書きが出てくる。インクが滲んでいる。
「避難計画Aは放棄。B経路を時間以内に実行せよ」
血の気が引く。この文章は私の原案だ。
さらにめくる。次は地図の断片。
赤い印が基隆港の倉庫街を囲む。全ての監視ポイントが記されている。
背筋が凍る。これらは林にしか渡していない。
最後の紙。小さな文字で三行。
「供給者:林。最終確認:3/15 04:30。連絡先:樵夫」
今日の日付だ。今この時刻だ。
心臓が肋骨を打ち抜く。鼓動が耳を塞ぐ。
ケースを元に戻す。ダクトに押し込む。
格子をはめる。手の震えが留め具を滑らせる。
壁板を閉じる。ひび割れの位置が微妙にずれる。
指で修正する。冷たい漆喰が爪の間に詰まる。
深呼吸する。肺が冷気で焼ける。
「全てが罠だった」
足を動かす。階段を上がる。
カウンターに戻る。林が湯呑みを磨いている。
「ずいぶん長かったな」
「ああ。少し迷ってな」
彼の目が私の手元を一瞥する。布巾の動きが止まった。
「それで?」
「何がだ?」
「探し物は見つかったか」
時計の音が三秒ごとに響く。濁る音が頭蓋骨に刺さる。
「ああ。必要ないものばかりだった」
「そうか」
林が湯呑みを置く。音が硬すぎる。
「では、そろそろ」
「気をつけてくれ」
ドアへ向かう。背中に視線の塊を感じる。
ベルが鳴る。夜の闇が全てを飲み込む。 壁の漆喰に僅かな凹凸がある。七つ目のひび割れだけが深い。
指先を押し当てる。冷たい感触の奥に鈍い抵抗。
押し込む。内側で何かが滑る音がする。
壁板が沈む。隙間から湿った空気が流れ出す。
懐中電灯の光束がダクトの口を照らす。縁に脂の跡。
近づく。留め具のネジに新しい擦り傷。
「最近、使われたな」
格子を外す。手に重みを感じる。
ダクトの中を覗く。奥にケースの角が見える。
手を伸ばす。指が防水ケースに触れる。
引きずり出す。埃が舞う。
蓋を開ける。中は書類の束だ。
めくる。白紙が何枚も続く。
三枚目で紙の端が捲れる。二層に剥がす。
下からメモが出てくる。インクが滲んでいる。
「計画A放棄。Bを72時間以内に」
血の気が引く。私の原案だ。
さらにめくる。地図の断片。赤い印が倉庫街を囲む。
背筋が凍る。この情報は林だけが知っている。
最後の紙。小さな文字が三行。
「供給者:林。確認:3/04:30。連絡先:樵夫」
今この時刻だ。心臓が肋骨を打つ。
ケースを戻す。ダクトに押し込む。
格子をはめる。手が震える。
壁板を閉じる。ひび割れの位置がずれている。
指で修正する。漆喰が爪に詰まる。
「全てが罠だった」壁のひび割れに沿って指を滑らせる。七つ目の割れ目で感触が変わる。




