第14話 稲妻の合言葉
「差出人は? こっちの連中の中にいるのか?」
俺は手帳の暗号ページを指差す。あるパターンに目を留める。
「この記号は会合の署名だ。内部の誰かが使っている」
外から車のエンジン音が近づく。ヘッドライトの光が窓を掠めた。
「時間がない。データを全て吸い出せ。端末は処分する」
林がUSBケーブルを接続する。転送速度が遅すぎる。
「三十分だ。それまでに終わらなければ、ここも危険だ」
俺の耳が外界の音を拾う。階段の軋み。エレベーターの音。
「監視の目はまだ外にいる。今が隙だ」
データ転送が完了する。プログレスバーが百パーセントを表示する。
「次は暗号の完全解読だ。佐藤に全データを送信する」
林が端末のバッテリーを抜く。基板を物理的に破壊する。
「痕跡を残すな。一粒の埃も敵に渡すな」
俺は手帳を鞄にしまう。紙の感触が冷たい。
「解析結果は明日の朝までに。それまでに移動経路を変える」
林がうなずく。彼の目に覚悟の色が宿る。
「分かった。俺は別の隠れ家を準備する」
俺はドアノブに手をかける。金属の冷たさが神経を走る。
「次の接触は『稲妻』経由で。安全が確認されるまで沈黙を守れ」
廊下に出る。足音を殺す。
「計画の見直しは終わった。次は敵の内部を暴く番だ」
階段を下りる。一段ごとに、覚悟が固まっていく。 通信記録の文字列が画面を埋める。一つ一つが毒を含む。
暗号解読ツールが新たなメッセージを吐き出す。「鷹は巣を監視する」
「鷹とはコードネームだ。誰が使っている?」
林の指が別の記録を開く。日付が三日前を示す。
「この日、会合に出席していた者は七名。俺と林、佐藤、伊達、それに三名の協力者」
胸の奥が冷える。七人のうちの誰かが、鷹なのか。
「送信時刻は午後十時三分。会合終了直後だ」
その時刻、俺は林と別れ、路上にいた。佐藤は自宅に戻った報告をしていた。
「伊達は使者との接触中だった。三名の協力者はそれぞれ帰路についた」
では、誰が端末を操作できたのか。記録は室内からの送信を証明する。
「電波の強度から、送信源はこの部屋の中だ」
林の顔が硬直する。彼の目が俺を見つめる。
「俺はお前を疑っていない。お前も俺を疑うな」
頭蓋の内側で血が騒ぐ。七人から二人が消える。
「残る五人の動きを確認しろ。当日のアリバイを」
林が手帳を取り出す。ページをめくる音だけが響く。
「佐藤は帰宅途中でコンビニに寄った。監視カメラの記録がある」
「伊達はホテルのロビーで第三者と会っていた。証言者がいる」
「では、三名の協力者は?」
林の息が止まる。彼の唇が震える。
「一人は消息不明だ。二日前から連絡がつかない」
胃が捻れる。歯を食いしばる。
「その者の名前は?」
「陳 国華だ。『華泰聯通』のセキュリティ顧問」
暗号の署名と、陳の会合時の署名が一致する。文字の癖まで同じだ。
「……敵は、我々の内部にいた」
林が机に肘をつく。頭を抱える。
「全ての計画は筒抜けだった。避難経路も、集結地点も」
俺は解析データをスクロールする。更に古い記録を探る。
「二週間前から通信は続いていた。最初のメッセージは『作戦開始を待て』」
最初の会合が行われたのは、その三日後だ。
「つまり、初めから罠だった。会合そのものが情報収集の場だった」
窓の外を車のヘッドライトが照らす。ゆっくりと通り過ぎる。
「陳の目的は何だ? 単なる情報漏洩では収まらない」
林が持ち上げた拳が、ゆっくりと開く。
「彼は俺たちを生かしておくつもりはない。一網打尽にする気だ」
暗号解読ツールが最終行を表示する。最新のメッセージだ。
「『巣ごと焼け。期限は明暁』」
文字が視界に焼き付く。鼓動が耳を覆う。
「明暁とは明日の夜明けか。それとも、時間単位の暗号か」
林が時計を見る。針は午後十一時を指す。
「時間がない。計画の見直しなどしている場合ではない」
俺は鞄の中から台湾北部地図を広げる。赤い線を引く。
「集結地点を変更する。海上ルートは全て放棄だ」
「では、どうする?」
「陸路で山岳地帯へ向かう。監視の薄い産業道路を使う」
林の目が光る。彼はうなずいた。
「それなら俺に任せろ。地元のネットワークが使える」
「よしい、陳の対応は?」
冷たい覚悟が声を固くする。
「彼の動きを逆手に取る。偽の情報を流し、囮の動きを見せる」
「危険すぎる」
「そうでなければ、全員が死ぬ」
俺は地図を巻き、鞄にしまう。膝が軋む。
「佐藤に連絡しろ。通信網の全周波数を変更させよ。暗号鍵も破棄だ」
「伊達には?」
「使者経由で警告を。接触は一切絶て」
立ち上がる。全身の筋肉が重い。
「お前は隠れ家を移れ。ここはもう安全ではない」
林も立ち上がる。彼は破壊した端末の破片を拾い集める。
「次はどこで会う?」
「『稲妻』で指示する。それまで待機だ」
ドアに向かう。背中に林の視線を感じる。
「重則」
振り返る。林の顔は暗がりに浮かぶ。
「生きて会おうぜ」
「ああ」
廊下へ出る。ドアが閉まる音が、終わりを告げる。 林の隠れ家を出て、三つ目の路地で携帯を握る。指が冷たい。
「お父さん?こんな時間にどうしたの?」
美咲の声に、胸が締めつけられる。
「今、どこにいる?」
「寮の部屋よ。何かあった?」
息を深く吸う。言葉を選ぶ。
「これから言うことを、絶対に忘れるな。内部に敵がいる。証拠を掴んだ」
彼女の息遣いが止まる。
「敵って……誰?」
「陳 国華だ。お前も知っている男だ」
電話の向こうで、何かが落ちる音がした。
「……信じられない。あの人が?」
「俺たちの計画は全て筒抜けだ。集結地点も、海上ルートも危険だ」
「じゃあ、どうすれば?」
「お前の連絡手段を変える。今使っている端末は捨てろ。特定の周波数を監視されている」
「新しい端末は?」
「明日、佐藤が届ける。受け取ったら、暗号化ツールを必ずインストールしろ」
「分かった。でも、お父さんは?」
「お前の安全が最優先だ。避難準備はできているか?」
「バックパックは常備してる。現金とパスポート、水と食料も」
「それでいい。緊急時は、あの場所に集まれ。合言葉は『稲妻』だ」
「……覚えてる。でも、お父さんも逃げてよね」
彼女の声が震える。拳を握る。
「必ず会おう。それまで、誰も信用するな。連絡は新端末だけを使え」




