王女エアリスの目覚めー⑦
イニェンと別れたエラは、今日も行き当たりばったりに見つけた宿で羽を伸ばした。大きな教会の陰にあり、建物内を巡る温水管で暖かいのに変わりはないが、うっそうとした重たい空気が漂っていた。
そんな彼女を、窓の外から見つめるひとつの影があった。彼女が風呂を済ませ、夕飯に果物とパンを口にし、指先に水、氷、雷、炎と魔力の塊を浮かべて遊ぶのを、ただ黙って目で追った。
やがて何かを決めたように、コツコツ、と窓ガラスをつつく。
エラは下着姿のまま飛び起き、離れた場所から魔法でカーテンを開けた。一羽の黒いシギが首をかしげている。しきりにガラスを叩き、まるで「部屋に入れろ」と訴えているようだ。
──なんだ、鳥か。
一安心したエラは、無言でカーテンを閉めた。明日からは仕事も再開するので、今日は早めに休んでおきたい。シギは一晩中そこに居座り、寝入りかけた頃合いを見計らっては再びコツコツと音を立てる。ついに苛立ったエラが「焼いて食べるぞ」と声をかけると、音はぴたりと止んだ。
翌朝、鳥のことなどすっかり忘れた彼女が窓を開けると、「寒い、寒い!」と言いながらそれが飛び込んできた。
「シルーシェ!」
「は?」
シギが言葉を発すると、エラは驚くより先に手をかかげ、氷の魔法で美しい鳥かごを作って閉じ込めた。シギは氷の止まり木に、片足を交互につけながら「冷たい、冷たい!」としきりに喋る。
魔物のように脳に語りかけるのとは違い、くちばしを動かして声を出している。
「俺はクラヴァットだ」
「……誰?」
「誰、だと!?」
シギのクラヴァットは、「まあ、その前に」と黒い羽を広げる。
「俺をチキンソテーにしないと約束してくれ。俺はギルバートの友達だ」
「お父様の友達? 騎士か?」
「違う違う、騎士じゃない。まいったな、声ですぐに気づくと思ったが……」
「私に鳥の知り合いはいないな」
エラは言葉を交わしながらも、魔力の探知を繰り返す。誰かがこの鳥を操っているのではないかと疑った。
あまりにも自然に、鳥そのものが意思を持ち、動き、喋っている。もちろん、この世界で動物が人間の言葉を話すことなどありえない。魔力が働いているのは確かだが。
「お前のパパとママは、まだ王国にいるぞ。コーニーリアの俺の家で匿っている」
エラの肩がびくりと跳ねた。コーニーリアという地名に、記憶が一気に研ぎ澄まされる。
「もしかして、杖のおじさん?」
散らかった脳内で一本の糸を手繰り寄せると、クラヴァットは「正解!」と鳥かごの中で羽ばたいた。
時おり、ワイトマリシアの家に遊びに来ていた男の姿を思い出す。片足が不自由で、いつも杖をついていたので、兄弟姉妹の間では”杖のおじさん”と呼んでいた。名前など知らなかった。
エラは、もう仕事に行かなければならない。
詳しい話は後回しにし、荷物を背負って鳥かごを解く。クラヴァットは「お前、ちゃんと働いてるのか」と感慨深げに呟き、支度を終えたエラの肩に乗った。
「なんで鳥の姿?」
ギルドへと急ぎながら、エラは尋ねる。
「ギルバートの魔法だ。世界三大魔法、《幻影》で変身さ」
「……?」
「おいおい、知らないってこたないだろう。お前のこの髪、理容室で染めてもらったのか? 違うだろ?」
クラヴァットは、エラの灰緑色の髪をくちばしでつまみ上げる。
「……幻影で動物になるなんて、おとぎ話だ」
「お前のパパは、あの大魔導士ギルバートだぞ?」
「それでも、できることとできないことがある。幻影は髪や肌の色を変える魔法。もし動物になれるなら、それは幻影とはまた別の魔法だ」
「まったく、最近の若者は……」
「間違ったことは言っていない」
人通りが増えるにつれ、エラの声は小さくなる。
「私は今、エラと名乗っている。本当の名前で呼ばないでくれ」
「ああ、そのようだな」
エラはその返答に目を細めた。いつからかは分からないが、周囲を探られていたのは間違いない。
「ギルドまでついてくるの?」
「外で待っていてもいいぞ。だが、なるべく早く話をしたい」
「適当にクエストを受けてくる。三十分後には」
「おう」
アンプリファイドに到着すると、クラヴァットはエラの肩から飛び立った。目にとまった苺の茂みに飛び込み、「こりゃちょうどいい」と、美味しそうな朝食にありついた。
ロビーでは今日も保安課のピッチが、冒険者たちに向かって威勢よく声を上げている。エラの姿を見つけるや「待っていたぞ!」とメガホンを向けた。
「出勤したらすぐ、ドラウト補佐の執務室に来るよう伝言を預かっている」
「嶽の森の件でしょうか」
「間違いなく。君も災難続きだな!」
時計をちらりと確認し、エラは早足に廊下を進む。
ドラウトの部屋には、すでにもう一人の客がいた。「失礼します」と扉を押したエラは、その人物を見て「フラウ!」と声を上げた。
「やあ、エラ。心配かけたね」
「治りましたか」
「君の言う通り、今日でちょうど一か月。すっかり元通りだ」
フラウは相変わらずにこりともしないが、手のひらに炎を浮かべて見せる様子はどこか嬉しそうだ。
「どのように治りましたか? 徐々にですか」
「いいや、最後の数日で一気に良くなった。それまでは痣も残ったままで、本当に戻るのか気が気じゃなかったよ」
「そうでしたか」
「君の助言がなければ、耐えられなかったかもしれない」
ドラウトの部屋はまるで倉庫のようだった。端的に言えば散らかっているのだが、彼なりにどこに何があるかは分かっているらしく、足元に気を付けながら向かいの椅子に腰を下ろす。
部屋の主が「朝っぱらから悪いな」と口を開いた。
「この前レッドサイレンスの連中が来た。お前、合同任務に行ってたらしいな」
「許可は得ていました」
弁解めいた口調のエラに、ドラウトは「説教じゃねえよ」と小さく笑う。
「式典の魔物は見たか?」
「その日は宿で休んでいました」
「公国軍の魔導士が始末したらしい」
「そのようですね」
「あれは、ワルキューレか?」
魔物は見ていないと答えたが。
レッドサイレンスと何かしら話したなら、あれが嶽の森から来た魔物で、自分が「ワルキューレかもしれない」と発言したことも把握しているんだろう。しらばっくれる必要がないと感じたエラは、「そうかもしれませんね」と返す。
式典の場にいたフラウには、魔物の声が聞こえていた。
やはり一目見ただけではワルキューレと見抜けず、「ペンダント」の声でようやく察した状況だ。
「前に俺たちが受けた嶽の森のクエストは、実は公爵からの依頼だったんだ。ペンダントの贈り先はエアリス王女で、式典の日もそれを身に着けていたらしい」
「……なるほど」
「あの魔物はワルキューレだったと、断定してよさそうだな」
それで、魔物は王女を狙い撃ちしたのか。
てっきり自分を探しに来るものと思っていたエラは、あまりにも都合よく式典の会場を襲ったワルキューレにわずかな違和感を覚えていたが、これで腑に落ちた。
公国軍はまだ、あの魔物がワルキューレだとは気づいていない。アンプリファイドが納品したペンダントと関係があると知られれば、話はややこしくなる。ドラウトは口裏を合わせるため、二人を呼びつけていた。
「もしもペンダントについて何か聞いてきたら、お前たちは知らぬ存ぜぬを貫け。そもそも、こんな事態を予測しろというほうが無茶だ。しつこければ俺の名前を出していい」
フラウとエラは、揃って頷いた。
「では、私はこれで」
立ち上がったフラウは、復帰早々クエストへ出かけるようだ。ドラウトの「無理はするなよ」の一言に片手を上げ、そのまま部屋を去った。
後に続こうとしたエラは、「お前は残れ」と呼び止められ、再び椅子に腰を下ろす。
「どうしてとどめを刺さなかった」
主語も前置きもない、不親切な問いが飛んできた。
「と、いいますと」
「レオンから聞いた。お前は蘇ったワルキューレを手に負えず、無力化で手を打ったが、封じ込めが甘く式典に影響を及ぼした。公国軍はそれを防ぐために依頼してきたんだ。契約違反で罰則食らうところだったぞ」
「……やっぱり説教じゃありませんか」
「ふざけんなよ。経緯がどうであれ、依頼主からクレームが入ったんだ」
書類にペンを走らせながら、あくまで淡々と告げる。
エラは「次からはきちんと報告します」と素直に答えるが、釈然としないドラウトは質問の答えをせかした。
ようやく解放された頃には、時計の長針が一周していた。
学校でも家でも、あれほど詰められたことはない。ドラウトを氷漬けにして逃げようかと一瞬考えたが、もちろん想像にとどめた。エラは胸中で悪態をつきながら、適当なクエストを手に取りロビーを後にする。
「おまたせ」
ため息をつきつつ、花壇の中で爆睡している鳥をつつき起こした。
「おお、シルーシェ……遅いから寝ちまってた」
「エラだって」
「悪い悪い。で?」
「ドルフィン渓谷まで行く。ちょっと遠いから、歩きながら話そう」
クラヴァットは「相変わらず馬には乗れないんだな」と、茶化しながら彼女の肩に乗った。




