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王女エアリスの目覚めー⑥


 婚礼の儀に突如として現れた魔物は、王女エアリスが国から連れ立った魔導士フレイゾンの手で、無事に討伐された。

 式典は中止となり、混乱も収まらない中、公国軍は周辺の鎮圧に乗り出した。今にも恐ろしい魔物の群れが街を襲うかに思われたが、数日もすれば街は平穏を取り戻した。現れたのは、あの謎の魔物だけだったのだ。


「調子はどう?」


 フレイゾンの私室を訪れたラプトルは、彼の魔力を心配する。

 あれほどの威力の魔法を発動すれば、「しばらくは”火の番”だろう」と言われた。暖炉に火を起こす役割の魔導士を指す言葉で、たったそれだけの魔力しか残っていない、という皮肉である。だがフレイゾンは、翌日にはすでに元通りの魔力を取り戻していた。

 式典に居合わせた住民たちは口を揃えて、この国にあのような優秀な魔導兵士がいたのかと感嘆した。エーデルニアの騎士である事実は伏せられ、あくまで「王女の危機を公国軍が救った」とするほうが、余計な不安を招かずに済んだ。


 公国軍の将校たちは、王女から預かった深紅のペンダントを囲んで、一様に首を傾げた。


「殿下は、ペンダント、という声がしたと申されたが……」

「我々には何も聞こえませんでしたな」

「これ自体に魔力はなさそうですが、念のためお預かりしておきましょう」


 魔物の声が聞こえたのは、王女と二人の騎士だけである。エーデルニア王国に関連する魔物だろうかと疑われたが、公国軍には王国出身の兵士も何名かおり、彼らはいずれも一切聞こえなかったと証言したため、事態はいっそう不可解さを増していた。


 そんな中、例の魔物が「嶽の森」と呼ばれる場所から来たことが判明した。

 現場へ向かった公国軍は、森の中にホロウポイントが発生しているのを確認した。闇の魔力によってよどんだ空気が、海霧(うみぎり)のように辺り一帯に立ちこめていた。さらに調査を進めるうち、レッドサイレンスというギルドに魔物の討伐依頼を出していたことが明らかとなり、公国軍は彼らの拠点である、とある果物屋の二階へと乗り込んだ。







 アンプリファイド総務課のマティアスは、数人の公国軍を前に淡々とまくし立てた。


「──という経緯で、我々アンプリファイドも”合同任務”として本件に関与しております。先日の式典に出現した魔物が、嶽の森で発生したホロウポイント由来の個体であるとのことですが……特筆事項にはホロウポイント発生の記載がなく、依頼種別も“討伐”のみとなっております。討伐限定の依頼である以上、”事前調査は完了しているもの”と認識するのが通例ですので、ホロウポイントの存在を事前に把握するすべがありません。従いまして、制圧までの責任を当方が負う義務は生じません」


 先日、レッドサイレンスとエラが共に討伐に向かった、嶽の森でのクエスト。

 契約不履行だと、公国軍に押しかけられたレッドサイレンスは、この場を乗り切るにはどうすべきか数秒考えた結果、アンプリファイドに泣きついた。公国軍の兵士は「しかしホロウポイントは放置されている!」と声を荒げるが、マティアスは即座に依頼書を突き出す。


「こちらが依頼書ですね。本件はすでに完了報告が受理された“終了済みのクエスト”ですので、遡って因果関係を問うことは、ギルド安全規定第二条第一項に基づく不当な遡及的責任追及行為に該当します」


 隣には副長補佐のドラウトと、レッドサイレンスのメンバーも並ぶ。ルースターが「そうだそうだー」と野次を飛ばしたのを、兄のレオンがひっぱたいて黙らせた。

 つまりは、「調査兼討伐」の依頼であれば、魔物の発生源まで特定する義務が生じるが、費用を抑えようと「討伐」のみで発注したのは公国軍側である。マティアスはその主張を貫き通し、兵士たちを無事に引き下がらせた。


「ふ~。助かったぜ」


 嵐の去った応接室で、ルースターはソファに横になって伸びをした。


「相変わらず見事でした、マティアス書記」


 ドラウトはそう言うと、厄介ごとばかり持ち込んでくるレッドサイレンスに冷たい視線を向ける。レオンは「度々すみませんね」と、苦笑いを浮かべた。


「かなり無理を通しましたよ。任務の遂行が難しいと判断される場合──今回は討伐対象の勢力が想定を上回ったわけですから、クエストを中断し依頼主に通達する必要がありました。そもそも“討伐”の依頼でありながら、それを無視して”無力化”のみ行ったわけで……まあ、それでよしとした向こうの担当者にも落ち度はありますが、指摘されたら危なかったです」

(うと)い奴らで助かりましたね」

「それと嶽の森は乙級……他のギルドでいうB級の難易度にあたる地域です。レッドサイレンスさんはその資格をお持ちではないはずですから、まず依頼を受けた時点でアウトですよ!」


 アンプリファイドが関わっていなければ、今ごろ檻の中だっただろう。ルースターは「おっかねぇ街だなぁ」と、テーブルの葡萄を勝手につまんで口に放り込んだ。


「にしても、よくホロウポイントから無事に戻ってこれましたね」

「そんなにマズいのか」

「え……嶽の森に行かれたんでしょう?」

「ほとんどエラに任せてたしな」


 公国軍の話が正しければ、ニューセントラルでホロウポイントが発生したのは数十年ぶりとなる。このような都市部では魔物もほぼ狩り尽くされており、近年は魔法技術の向上もあって、魔物の本拠地とも呼ばれるホロウポイントは、もはや過去の遺物となりつつあった。


「黒っぽくてモヤモヤした、底なし沼のようなものです」

「そんなもんは見なかったぞ。なあ兄貴」

「あの魔物が出た以外は、普通の森だったな」


 ではホロウポイントは、森のさらに奥の方にあったのか。

 マティアスは「ドラウト補佐も、嶽の森に行かれたことがありますよね?」と尋ねた。


「ええ。その時もなかったと思いますが」

「ワルキューレの様子はどうでした?」

「俺は、直接見てはいないんですよ。素材の回収はフラウとオズワートに任せたもので」


 ドラウトは、部屋から街の賑やかな通りを見下ろした。

 寒さは日に日に厳しさを増し、道行く人々は分厚い外套に身を包み、店の軒先で白い息を吐きながら談笑している。式典の騒動があったにもかかわらず、平穏に慣れた都会の住民にとっては恐怖よりも興奮が勝ったらしく、魔物を気丈に見上げる公爵と王女の姿が、この街の英雄譚(えいゆうたん)のように語られ始めた。

 これが、大都市ニューセントラルのあるべき姿。

 魔物に怯えて眠れぬ夜を過ごす時代はとうに去り、この街は常に進化し続ける。ドラウトはぼんやりとそんなことを考えるが、ふとエラの背中が脳裏をよぎる。最近はどんな出来事にも、あの新人が中心にいる気がしてならない。




 *




 宿屋を出たエラは、いつもよりしっかりとフードを被った。

 フレイゾンは確実にこの国にいる。となると、王女エアリスへの接触は一気に難しくなる。騎士は式典にだけ付き添い、いずれ王国へ帰る可能性もあるが、あまり楽観視しすぎるのも危険だ。

 王国が騎士を手放すとすれば、十中八九エアリスの”わがまま”によるものだろう。あるいは、公国に恩を売るという政治的な意図も考えられる。最悪なのは、家族の誰かが王室に捕らえられ、この国に自分がいることがすでに知られている場合だ。


 最善にして最短の解決法は、一刻も早くこの国から離れること。

 ただ、後ろ髪を引かれるものが多すぎる。

 そもそも、王女エアリスは本当にエアリスなのか。王国が用意した替え玉の可能性すらある。いずれにせよ本人と話しさえできれば、大半の疑問は解消するはずだ。そのチャンスを捨ててただ逃げるだけとは、自分の生き方にそぐわない。


 そして、解くべき問題はもう一つ。

 とどめを刺したはずのワルキューレが、力を増してよみがえったことだ。


 光の魔法。

 この力には、自分が見落としている重大な事実が潜んでいるのかもしれない。

 光によって、闇の魔物が蘇る。

 まるで叙情詩のような考えだ。

 そんなことを思い浮かべながら、エラは集合場所に到着した。すでに来ていたイニェンが、「おはよー」といつもの調子で手を振る。


 式典の影響で、今週いっぱいはすべてのクエストへの出撃が制限され、ギルドに顔を出しても仕事にならない。イニェンに遊びに誘われ、今日はその約束の日だった。


「観光とかしてないでしょ?」

「毎日歩き回ってるよ」

「それは、宿屋を探すためでしょうが……」


 大通りまで下りた二人は、いつもより人の多い商店街をかき分けながら行く。港から炎笛(えんてき)の重厚な音が鳴り響き、エラは「わぁ、大きな船」と遠くで揺れる白い帆を眺めた。


「今年は寒いから、あれが最後の入港かもね」


 イニェンは、スカートの隙間から忍び込む冷たい風に身震いする。ウールのズボンに革のブーツという出で立ちで完全防備のエラは、「見てるだけで寒そうだよ」とイニェンの生足に目をやった。


「オシャレだからいいの」


 スカーフに顔を埋め、強がるイニェンを連れて服屋に入り、エラは「これなんかどう?」と長いスカートを勧める。


「短いのがいい」

「じゃあこれ」

「む……いいわね」


 派手な柄が好みだろうというエラの予想は当たり、彼女が他の棚を見ている隙に会計を済ませると「ちょっと、買ってなんて頼んでないわよ」と急いで店を出るイニェン。


「ピアスだってそうだった」

「う……」


 言い返せず渋々スカートを受け取るも、ニヤけながら鞄にしまった。二人はその後もあちらこちらと街を散策し、小腹を空かせたエラが「焼き魚のマフィンだって」と指さした店に立ち寄った。


「ハーブが入ってる」

「結構美味しいわね」


 赤身魚の脂がしみたパンを頬張り、二人は昼下がりの港町を海風に乗って歩く。銅像の広場を横切ればさらに増した人影を、イニェンは横目でちらりと伺いながら「そうだ! 今日は『ロメロ伯爵』の公演日よ!」と立ち止まった。


「何それ」

「ニューセントラルに来たなら一回は観た方がいいわ」


 最後の一口を食べ終えたエラは、イニェンに手を引かれるがまま広場の先の古風な建物に辿り着く。


「劇場なんて久しぶり」

「面白いのよ~」


 椅子とも呼べない、ただの木の板に腰を下ろしたエラは、妙な笛の演奏と共に現れた珍奇な衣装の演者を、不思議そうに見下ろす。軍隊のような楽団はおらず、寄り合いの奏者が数人、公国の伝統楽器と思われる筒状の金属を叩くと物語が始まった。


 様々なイカサマで金儲けを企むロメロ伯爵だが、肝心の臣下が、もはや才能と言って差し支えないレベルの“無能”ぞろいである。その計画が次々と裏目に出るたび、観客たちがそろって笑い声を上げるのにエラは驚いた。こういう場所なのかと納得し、イニェンと一緒になって笑った。


 終演後、劇場のレストランで早めの夕飯を済ませた二人は、穏やかな夕暮れの空を見上げる。


「ついこのあいだ魔物が出たなんて、考えられないわ」


 あの日はイニェンも、魔物を目の当たりにした。

 武器は持っていなかった。あったとしても、何もできなかっただろう。「お母さん、もう大丈夫だって……」と言うまで、母親は彼女を赤子のように抱きしめて守っていた。ギルドの誰かに見られていたら少し恥ずかしい、などと思いながらも、あの時は強大な魔物を前に、ただ無力感を噛みしめることしかできなかった。


「てか……レッドサイレンスと一緒に行ったクエストの魔物だったんでしょ? あんたほんと、とことんツイてないわね」

「うん。そろそろクビになるかもね」

「もし何か言われたら、あんたがレッドサイレンスに無理やり連れていかれたって証言するわ!」

「はは。ありがとう」


 なんともなさそうに笑うこの人は、あの日、たった一人で怖くなかったのだろうか。

 じっと横顔を見つめると、エラは「見すぎだよ」と小さく呟いた。イニェンは、土産のポスターが挟まれた鞄を抱え直し、「スカート、今度履いてくる」と返す。今、彼女が言われて困らない言葉は何だろうかと考えたら、自然とそうなった。



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