王女エアリスの目覚めー⑤◆
宮殿からほど近いジェリーフィッシュ広場には、大勢の観衆が詰めかけた。
「武器、触媒の携行を禁ず! 呼びかけには速やかに応じよ!」
憲兵は、道行く観衆の身体をくまなく調べた。広場ならびに、広場へ通じる花道へ近づく住民は、老若男女を問わず非武装が義務付けられた。
「これは触媒ではないか?」
「そうですが……こんな小さなネックレスですよ?」
「没収だ!」
「彼氏から貰ったものなのに……」
とある住民の女魔導士は、渋々ネックレスを外した。小指の先ほど小さな魔石の触媒では、つむじ風を起こす程度の魔力しか生まれないだろうが、憲兵は目を光らせる。
「そこの男も! 杖を携行してはならん!」
「いえ、これは王女様を歓迎するための旗でして……」
「没収!」
次々と声をかけ、回収した装備を馬車の荷台に積み上げていった。
「身体検査だってよ、お母さん」
アンプリファイドの騎士イニェンは、母とともに式典を見にやってきた。夜の仕事を終えたばかりの母は、瞼をこすりながら「うーん」と間延びした返事をする。
「おーい、イニェン」
「ロブ!」
「あ、お母さんも。ご無沙汰してます」
「あら、ロブ君にエルバ君。娘がいつもお世話になってます」
母が頭を下げると、イニェンは「私もお世話してるの」と言葉をはさんだ。
「エルバ、アホだから、銃持ってきて没収されたんだぜ」
「何考えてるのよ……」
エルバは「癖でさ」と気まずそうに目をそらす。
「武器を持つなってのも、なんかそわそわするよな。丸腰だぞ」
「まあ、分かるけど」
「あとで返してくれんのかな?」
ロブは、荷台の上でごちゃ混ぜにされた装備に視線を移し、「期待できないな」と苦笑した。
「そういや、エラは一緒じゃないのか?」
「うん。誘ったんだけど、興味ないから行かないって」
「あの子、エーデルニア出身だろ? 王女様の晴れ姿なのにな」
ふとどこかで、笛と管楽器の演奏が始まった。
もうすぐ馬車が来るらしいぞ、と誰かが言えば、群衆はざわめきだし、イニェンたちも背を伸ばして花道を見下ろした。
宮殿では、外出の支度を進めるラプトルに、使用人がおずおずと声をかけた。
「ラプトル様、まだ安静になさっては……」
式典当日となった今日も、体調は相変わらず優れない。
フレイゾンは公国軍とともに、王女の身辺警護にあたっている。魔力を失っているラプトルには、今日も朝から晩まで横になる以外の仕事がなかったが、使用人の制止を振り切って宮殿を後にした。
そのまま、心のおもむくままにニューセントラルの街を練り歩き、沿道の人混みへ身を紛れさせる。一人の観衆として、遠くから王族を眺めるのも悪くない。エアリスにさして思い入れはないといえど、かつての主の晴れ舞台だ。
魔力を抜かれた痕を見られぬようフードを深く被り、押し寄せる人波を右に左にいなしながら、どこがよく見えるだろうかと歩みを進める。
右肩に軽い衝撃を感じ、振り向いた。
ぶつかった少女が足をもつれさせ、地面に尻もちをつく。ラプトルが手を差し伸べると、「すみません」と立ち上がった。顔にまきつけられたストールがずれ、あらわになった少女の顔に、ラプトルは思わず目を見開いた。
蛇が這いまわったような黒い痕。
少女は慌ててストールを持ち上げ痕を隠す。少なくとも、その痕の意味は理解しているような仕草に、ラプトルの全身に鳥肌が立った。
「その肌はどうしたの?」
あくまで穏やかに問いかける。
少女が「……失礼します」と背を向けたので、細い腕を掴んで止めた。振り返った顔には、露骨な不信が浮かんでいる。
叫ばれでもしたら面倒だ。ラプトルは「少し話を聞かせてちょうだい」と、外套の胸をめくった。公国軍の制服と紋章を目にした少女は、かえって緊張したように後ずさる。
「怖がらせたいわけじゃないの。今日は公爵様と王女様の大切な日だから、警備のために、ね?」
「怪しい者ではありませんが……」
「ええ、そのようね。お名前は?」
「フラウと申します」
「出身は?」
「公国ですが……」
ラプトルは周囲を警戒する。魔法が使えないのは実に不便だ。耳を澄まし、建物の陰や屋根の上を、自分の目で確かめるしかないのだから。
「知恵の界面」
核心を突く一言に、フラウは肩を小さく跳ねさせた。
「どこで? 誰からそうされたの?」
「いえ……魔物から」
「そんなはずはないわ。正直に言ってちょうだい、あなたを牢屋に連れて行ったりはしないから」
柔らかな口調とは裏腹に、氷の刃のような視線でフラウをとらえる。
それは、大きな過ちを犯した者から魔力を奪う懲罰の魔法。エーデルニアの宮廷魔導士のみが扱えるとされる大魔法で、ラプトルはその威力を痛いほど知っている。何もかもがおかしかった。魔物がその魔法を使えるとも、公国にそれを扱える魔導士がいるとも、長い魔導士人生の中で一度として聞いたことはないのだから。
「私は嘘は申しておりません。これ以上は、弁明のしようもありませんが」
「……そう。お仕事は?」
「アンプリファイドです」
「へえ。それは、何をするものなの?」
フラウは首をかしげる。この街でアンプリファイドの名を知らぬ者がいるとは思えない。公国軍の依頼も数々こなしているのに、なぜ兵士である彼がそんなことを尋ねるのだろうか。よほどの下っ端かもしれない。「それはそちらでご確認ください。では」と、やや砕けた口調で答えて踵を返した。
ラプトルは追いかけようとするも、すぐそばで歓声が沸き、沿道に押し寄せる人波が二人を分断する。
「来たぞ!」
「ニューマンス閣下とエアリス王女よ!」
艶やかに磨き上げられた車体に、真鍮の装飾が施された立派な馬車が現れた。四頭立ての純白の馬は、厚みのある赤い絨毯の上を粛々と進んでゆく。
国の主とその妃は、沿道を埋め尽くす人々の歓声に応えるように、手をひと振り、またひと振りと掲げた。エアリスの金の髪が、晴天のもと風に乗って揺れた。
「お美しい方だ」
「あのペンダント、すごく素敵ね。いくらするんでしょう」
「閣下から王女様への贈り物らしい」
馬車が通り過ぎるのを、ラプトルは静かに見届けた。すると、忘れていた体の火照りや気だるさが思い出したように沸いてくる。やはり使用人の言う通り休んでいればよかったと、重い身体を宮殿の方向に向けた。
「王女様たち、行っちゃったね」
「ずっと立ってて疲れたよ~」
「おい、押すな!」
「次は広場に行きましょう」
大観衆の声が、確かに耳には入ってくるが、それぞれ何を言っているか聞き取れないほどに混ざり合う。
深く咳き込むと、胸の奥にわずかな引っかかりが残る。なんなのだろう、この悪寒は。熱のせいで感覚が鈍っているのか、耳鳴りのようなざわめきが、群衆の喧騒に紛れて微かに聞こえてくる。
《見ツケタ……! 私ノ、モノ……!》
脳内に語り掛けるような声が、確かに響いた。
ラプトルは眉をひそめ、もう一度だけ周囲を見渡す。
魔力は失えど、いくつもの死線をくぐり抜けてきた勘は衰えない。
──何かが来る。
その直感は、これまで一度として外れたことがない。
ただしこれまでと違うのは、それに対処する力が、今の自分には無いということだ。
街を一望する教会の鐘楼に、一人の旅人が佇んでいる。
あの魔物の封印はすでに解いている。
森を抜け、山を越え、もうじきここへ辿り着くだろう。
国を挙げての婚礼の式典に、強力な魔物が迫り来れば。
騎士がいるかはすぐに分かる。
王女を守るため、今度こそは守るために、もしもそこにいるとすれば、必ず姿を見せるだろう。
封印から解放された魔物ワルキューレは、太陽の光を遮り、ジェリーフィッシュ広場に巨大な影を落とした。
「なんだ、あの黒いのは……!?」
観衆は次々と空を指さし叫んだ。
空に浮かぶ雲の一つのような、はたまた鳥の大群のような、異様な黒い物体に、人々は恐れおののいた。
「魔物だ!!」
「逃げろ、隠れるんだ!」
「うわーん、ママー!」
広場は悲鳴と逃げ惑う群衆で、たちまち阿鼻叫喚と化す。
ちょうど馬車を降りようとしていたエアリスに、フレイゾンは抱え込むように覆いかぶさった。馬車ごと強力な防御魔法で包み、魔物の動きを注視する。
公国軍の魔導兵士が、広場に巨大な防御壁を作り上げた。同時に、杖を構えた攻撃部隊が、宙を漂うワルキューレに炎の矢を撃ち始めた。
「あれは何なんだ!?」
「わ、分かりませんが……!」
「撃て、近づけるな!」
うねる影から生み出される魔物が、エアリスめがけて襲いかかった。
一匹、また一匹と兵士に撃ち落されるが、その数はとどまるところを知らない。フレイゾンは「殿下、ここから動かれませんよう」と短く言い、魔物に向かって駆け出した。
《返セ、返セ……!!》
驚愕に目を見開いたままのエアリスは、「こ、声が」と荒い呼吸を上げる。
「どうされました、殿下」
「ベルドナト様、声が……!」
「声?」
「返せ返せと……!」
「殿下、大丈夫ですよ」
「ペンダントを……ペンダントを返せと聞こえるのです……!」
耳をおさえて震えるエアリスに、ベルドナトは「殿下」と肩を包む。
「我々は無力です。兵たちのように、強力な魔法も強靭な肉体も持ってはいません。では何ができるのか。何も恐れる必要はないと、胸を張りただ立っていることです。民はすべてを見ています」
エアリスは、白い手袋に包まれた手を、そっと胸元に置いて立ち上がる。
何もできない。しかし、泣き叫んで逃げ出すことも許されない。魔物の声はさらに大きく、全身を震わすような絶叫が、凛と空を仰ぐ王女に降りかかった。
《杖、返スカラ、ソレヲ返シテヨ……お願イ……》
「杖……?」
その声はフレイゾンにも届いていた。
ペンダントや杖など、意味の判然としない言葉が絶え間なく流れ込んでくる。はじめは逃げ惑う住民たちの声かとも思われたが、それにしては嫌に鮮明だ。
初めて目にする魔物で、どんな攻撃が有効かも分からない。
体の構造も謎だ。四肢のようなものが地面に触れてはいるが、建物を踏み潰している様子はない。意思を持って動く、黒く濃い霧の生命体、それ以上を把握する余裕が今はない。
フレイゾンは、短剣を構えた手に魔力を溜めた。王国から持ち出した、数少ない私物の一つである。
ワルキューレを眺めていたエラは、一閃の光と、遅れて聞こえた轟音に身を強ばらせた。
「帝国エデルの鎗然……」
使い手は間違いない。
「フレイゾン、そこにいるのか……!」
その声色には、驚きか緊張か、または旧友との予期せぬ再会に胸がわずかに高鳴るような、相反する感情が入り混じる。
王国はエアリスの嫁入りに、騎士を随伴させたというのか。常識的に考えればあり得ない判断だ。
──となると、ラプトルも一緒か?
エラは鐘の横で息を潜め、一部始終を注意深く見守る。
目もくらむような雷撃が、ワルキューレの中心を貫くと、その一筋は空まで届き、雲に円形の裂け目を生んだ。
直後、フレイゾンを中心に凄まじい衝撃波が四方へ広がった。海風に慣れきった港の住民でさえ、これまで感じたことがないほどの爆風が、辺り一帯を駆け抜ける。
ワルキューレは跡形もなく消え去った。風に乗って舞い上がる黒い塵だけが、彼女がほんの今までここに存在していたことを、かろうじて物語っていた。
=魔法解説=
【エデル・レスプランドール】
その意味は『帝国エデルの鎗然』。
王国の騎士たちが習得させられる「帝国エデルの魔導書」に記された、攻撃魔術のひとつ。
極限まで収束させた雷撃は絶大な威力を誇り、魔力が尽きるか、”貫けないもの”に衝突した時点で消失する。
物語序盤で、拘束状態のシルーシェに向かってフレイゾンが発動しかけたのもこの魔法。




