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王女エアリスの目覚めー④


 エアリスの元騎士たちは、吹雪くアングレアを発ちビンセント公国へと向かっていた。

 立派な馬車も暖かい毛布もないが、アングレアは王国で唯一、公国と接する都市であり、首都ニューセントラルまではワイトマリシアの王宮へ向かうよりも近かった。道を誤らず、かつ馬の機嫌がよければ、一日でたどり着ける距離である。


「騎士長」

「もう騎士長じゃない」


 フレイゾンの声掛けに冷たく返すラプトルは、彼の馬が止まったのに気づき自身も手綱を引く。

 目の前には、どす黒く枯れた木立が広がっていた。近づくと、地面がぐにゃりと歪み一匹の魔物が姿を現す。手を掲げたフレイゾンは「ホロウポイントのようです」と一言、雷の矢で魔物を葬り、ため池ほどの広さの黒い地面を見渡した。


「殿下もここをお通りになるかもしれません。少し、片づけておきます」


 フレイゾンは馬を降り、手綱を近くの木に縛り付け、異様な空間へ向かっていった。


 しばしラプトルは、襲い来る魔物に淡々と魔法を打ち込むフレイゾンを眺めていた。病人の自分を寒空の下に放置するなら、炎の魔法でもかけてくれればいいものを、相変わらず気の利かない奴だと苛立ちながら、それが終わるのを待っていた。


 すべてを終えると、二人は再び馬を走らせた。


「それにしても、どうしてこんな場所に」

「……」


 局地的に魔物が大量発生するホロウポイントは、人間の居住区に近い場所ではほぼお目にかかることがないものだ。このように整備された街道で見つかったとあらば、直ちに王国軍に通報が入るだろう。最近できたものなのか。フレイゾンはぶつぶつ呟きながら考えを巡らせ、ラプトルは興味がなさそうに聞き流した。

 二人の間には無言の時間が訪れるが、フレイゾンはさして気にしなかった。もともと会話が多かったわけでもない。自分が一方的に話しかけ、彼の気が向けば会話が進む。実のところラプトルは、高熱にうなされ会話どころではなかっただけだが、フレイゾンはホロウポイントにばかり気を取られ、彼をいたわるところまで頭が回らないでいた。


 ビンセント公国の西の都市、ニューセイブに到着すると、傾く陽を背に商人たちは店を畳み始めていた。今日はここで休むかと馬を降り、二人は少しはマシな宿屋を探してニューセイブの街を練り歩く。

 その宿屋の主人は、二人の身なりと丹念に手入れされた馬を見て、「うちは、一泊200ペクトです。食事はありませんが」とにこやかに応じた。


 安宿だが、これ以上探し回るのも面倒だ。フレイゾンがためらいなく二部屋分の400ペクトを差し出すと、主人は目の色を変え、受付の女に「突っ立ってないでお荷物をお持ちしろ」と叱りつけた。


「風邪を患っている者がいる。小間使いを一人、付けてくれ」

「こ、小間使いですか」

「気の利くやつを頼む」

「もちろんです」


 主人が手を揉みながら、「それで、そうなりますと、もう100ペクト頂戴することになりますが」と、もったいぶって言った。フレイゾンが追加の小銭を投げて渡すと、主人は私室でくつろいでいた妻を叩き起こし、ラプトルの部屋へと向かわせた。


「追加料金でお食事をお持ちしますが」

「追加料金でお召し物の洗濯を」

「追加料金で、街一番の踊り子を部屋にお呼びしましょう」


 フレイゾンはすべての申し出を受け入れる。旅立ち前に持ち出した金は、ニューセントラルに着けばすべて取り上げられるのだから、余らせていても意味はない。

 気前のいい旅人がいるという噂を聞きつけ、派手な身なりの女たちが次々と宿屋に押しかけた。ラプトルは、どんちゃん騒ぎの隣部屋にただ殺意だけを浮かべながら、口に運ばれた麦の粥を飲み込んだ。



 そうして二人は翌日の朝、公爵の城にたどり着いた。

 マフラーを脱いだラプトルの顔に、臣下の一人はぎょっと息を呑む。無数の黒蛇が這ったような模様に、思わず腰の剣に手を添えた。


「魔力を抜かれた痕だ。お気になさらず」

「魔力を……?」

「光の魔導士の件は聞いておられぬか。エアリス王女殿下のこの度の護衛失態、私が責任を負った形だ」

「それは、存じているが……」


 ラプトルはだんまりのフレイゾンを睨みつけた後、「到着早々で恐縮だが、少し休ませていただけるだろうか」と、咳き込みながら微笑んだ。手綱を握るのさえおぼつかなかった中、ひとまず目的地に着いた安心から、どっと疲れが押し寄せた。


 ビンセント公国。

 若き統領であるベルドナト・ニューマンスの宮殿は、大陸の海上交易をつかさどる港の国らしく、水平線を望む絶景の岸壁に建っていた。海を見たことのないフレイゾンは、この国に来て初めて目にした壮大な水の地面に、始終目を輝かせた。



 花嫁に先んじて到着した二人の騎士を、ベルドナトは満面の笑みで迎えた。

 初対面ではない。過去に王女エアリスと顔を合わせた時、彼らも傍に控えており、何度か食事も共にした間柄である。


「まさか君たちが来てくれるとは思いもしなかったよ」

「我々も驚いています」

「エアリス殿下も、さぞ心強く思われることだろう」


 騎士長のラプトルは今は魔力がなく、ただ座るだけで食事には手を付けない。到着後も、宮殿の医者が治癒魔法をかけようとしたのをかたくなに拒んだ。フレイゾンは、魚をつつきまわしながら口に運ぶ。不愛想なのも相変わらずだった。


 エーデルニア王国の騎士の実力は、周辺諸国もよく知るところである。土壌も気候も貧しく、作物の自給自足さえままならない王国は、魔法の技術のみで、大陸一の領土を誇る大国へと成り上がった。そんな魔法の国において、魔導士の頂点ともいえる騎士の存在は、時に国家間の駆け引きにも影響を及ぼしてきた。


「式まで好きに過ごしていい。フレイゾン君、夜はどんな女がいい?」

「お構いなく」

「それとも少年がいいか」

「今日は結構です。済ませてきたばかりですので」


 その返答に、ベルドナトは「下町の女とは比べ物にならないぞ」と高らかに笑う。


「まあいい。気が向いたらいつでも呼びつけてくれ」

「宮殿の外に出るのは構いませんか?」

「それは遠慮していただきたい」


 フレイゾンは軽く頷き、ウイスキーはあるかと使用人に尋ねた。


「ところで、エアリス殿下がご記憶を失われたという話は本当なのか?」


 質問にはラプトルが頷く。


「ええ。我々も伝え聞いたに過ぎず、断言はできませんが」

「……? 君たちは殿下の騎士だろう?」

「評会後、我々はローゼス王女殿下に引き取られました。我が国の法により、エアリス殿下は騎士の所有権を失い、我々の所属も別の王族に移されたのです」


 その実、法には”昏睡状態”の明記はなく、厳密には誤った解釈だが、ライブリーが口八丁手八丁で国王を説き伏せた。説明も面倒なので、ラプトルもそういうものだと言い切った。


「そうだったのか。つまり私はローゼス殿下より、君たちを頂いたということか」

「形式上は」

「ローゼス殿下といえば、アングレアの領主であられる方。いつか礼をせねばな」

「紅茶を送るのがいいでしょう」

「そうか、紅茶……私は詳しくなくてね」


 すぐに臣下が「手配いたします」と答えた。


「色々と大変だったようだね。光の魔導士というものが、すべての元凶のようだが」

「それは間違いありません」

「殿下と親しい仲であったとも聞いた。まだ見つかっていないんだろう?」

「ええ。この国に逃げ込んでいるやもしれませんね」


 ベルドナトの表情から笑みが消え、「それは恐ろしいな」とワイングラスに視線を落とす。


「唯一の懸念だ。殿下が再び襲撃に遭いはしないか」

「すぐに手を下すことはないでしょう」

「というと?」

「殿下が記憶を失っているとは、光の魔導士はまだ知らぬはずです。光の魔法の秘密はすでに露見したと思っているでしょう。ならば、今さら殿下を始末しても意味はない。彼女の行動は愚かでしたが、思考はあくまで論理的な人間です」

「待て。彼女?」


 光の魔導士は女なのか。

 ベルドナトは、自身の思い違いに思わず苦笑する。


「光の魔導士の名前は?」

「シルーシェ・メイホープ・リントブルム」

「歳は?」

「17です」


 そんな若造に、王国最高峰の魔導士たる面々が出し抜かれたのか。ベルドナトの目に多少の不信感が浮かんだ。察知したラプトルは「事実を述べたまでです」と付け加える。


「我々とて、何十年も魔法を生業にしてきた身でありながら、一介の女学生の計略に嵌められたなど、認めたくもありません」

「……光の魔導士は何が目的だ?」

「はっきりとは分かっていません。本人でさえ分からないのでは? 大金を手に入れた平民が、使い道に悩むのと同じではないでしょうか」


 光の魔導士がエアリスを手にかけたということは、王女が何かを知っているのは事実。しかし迂闊に真実を伝えれば、式にまで影響が及びかねないジレンマに頭を抱えた。

 王国との繋がりは魅力的だと、婚約の申し出を受け入れたまではよかったが。

 面倒な問題がついてきてしまった。ラプトルが「閣下……そろそろよろしいですか」と今にも気を失いそうな声で言ったのが、晩餐の終わりを合図した。







 それから間もない朝、騎兵に守られた王女の馬車が宮殿の門をくぐり抜けた。

 

「フレイゾン! 会いたかったのよ!」

「私もです、殿下」

「ラプトルは風邪を引いたんですって? 珍しいわね」

「ええ、今は休んでいます。殿下にうつしてはなりませんから、式が終わるまでお目通しは叶いません」

「そう……。待ち遠しいわ」


 エアリスは海と宮殿を見渡し、「素敵な場所ね」と微笑んだ。


 体裁上は、ベルドナトとエアリスの婚約はすでに成立している。その日の夜は式典に先立ち、新たな妃を迎えた祝宴が開かれた。


「ニューマンス閣下、お待たせいたしました」

「エアリス殿下、名前で呼んでくれて構いません」


 エアリスは俯きがちに「……ベルドナト様」と小さく口にした。

 彼女は別に、ベルドナトを嫌っていたわけではない。彼の紳士的なふるまいと教養がなければ、エアリスが心を開くことはなかっただろう。フレイゾンはウイスキーを煽りながら、その様子を感慨深げに見守った。

 周囲の者たちは遠巻きに自分を見るだけで、話しかけてこようとはしない。王女の従者として距離を置かれているのか、はたまた。よそ者のように扱われる宴の席は初めてだが悪くない。これはこれで、静かに過ごせていいと思ったりもした。


 晩餐会の後も、王女に休む暇はなかった。翌日の式典に向けた衣装合わせや段取りの確認に追われ、旅の疲れを抱えながらも、彼女は終始ほがらかに応じていた。


 フレイゾンは寝る前も、海の見えるバルコニーで煙草をふかした。

 こうしていると、気を利かせたメイドが酒を持ってくることがある。足音が聞こえたので今日もそうだろうと思い、「そこに置いといてくれ」と海を眺めたまま言う。


「悪いが手ぶらだ」


 返ってきた声に腰を抜かしそうになった。


「閣下……これは、とんだご無礼を」

「ああいや、気にしなくていい」


 ベルドナトはワイングラスを傾けて笑う。気にするなと言いつつも、扉の向こうには屈強そうな魔導兵士が控えている。

 彼は石造りのベンチに腰掛け、靴を履いた足をテーブルに乗せた。


「俺はね、殿下に憎まれていると思ってたんだよ。確かに俺が彼女に惹かれたのは、見た目でも人柄でもなく”立場”だった。でも今は違う」

「はあ……そうですか」

「俺と殿下の時間はまだ短い。これから作り上げていくものだ。でも、君と殿下が共にいた時間を、超えることはできないんだろう」


 だから何だよ。

 と、感情が言葉になることはなかったが、表情には出た。ベルドナトは「そう怖い顔をなさるな」と軽く言う。


「君の秘めた願いが形になることはなかった。そして、これからもない。君が殿下を想う気持ちも嘘じゃあなかっただろうが、人は最終的には、いるべき場所に収まるってことだ」


 いまいち的を射ない語りに、フレイゾンはもしやと思い目を細める。

 自分を恋敵と勘違いしているのか。

 おかしさがこみ上げ、笑いを堪えながらも、確かに自分は魔法の才能もあれば顔も良い、そう思われるのも仕方がないと内心で納得した。

 ベルドナトは、エアリスが婚約を渋ったのはフレイゾンの妨害があったからだと思い込んでいた。王女に想いを寄せる騎士が、あることないことを吹き込み、無垢なエアリスを惑わせていたのだと。


 王女が婚約を渋った理由。

 ただの頑固者だと、言い切るのは簡単だろうが、彼女の心の奥底をフレイゾンは知っている。


「心配には及びません、閣下」


 ふと脳裏に浮かぶのは、学生服を着た聡明な女魔導士の横で、心からの笑顔を見せる王女の姿である。フレイゾンは「じきに分かります」と言い残し、冷たい潮風と視線から逃れるように立ち去った。





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