第20話 「分かたれし双子月」
王都エルディアの朝は、いつも通り賑やかだった。
市場では商人たちが声を張り上げ、人々が行き交い、活気に満ちている。
しかし、王城の客室では――
「ふああああ……」
悠斗は大きなあくびをしながら、ベッドから起き上がった。
「おはよう、悠斗」
ルーナはすでに起きており、窓際で髪を梳かしていた。朝日を受けて、銀色の髪が美しく輝いている。
「おはよう……よく眠れたか?」
「ええ。久しぶりに、ちゃんとしたベッドで寝られたから」
ルーナは微笑んだ。
「あなたは?」
「俺も……でも、まだ眠い」
悠斗は頭を掻いた。
実際には、昨夜よく眠れなかった。リリアとの遭遇、暗殺者たちのこと、そして裏社会の男と黒月教の残党のことが頭から離れなかったのだ。
「悠斗様」
隣の部屋から、セレスティアが顔を出した。
「おはようございます」
「おはよう、セレスティア」
「朝食の準備ができたそうです。食堂に行きましょうか」
「ああ、行こう」
三人は身支度を整え、食堂へと向かった。
王城の食堂には、すでに豪華な朝食が用意されていた。
パン、チーズ、ハム、卵料理、野菜のサラダ、フルーツ、スープ。
テーブルいっぱいに並んだ料理を見て、悠斗の目が輝いた。
「うわあ……すごい……」
「さすが王城ですね」
セレスティアも感心した。
「では、いただきましょう」
ルーナが言った。
「いただきます!」
悠斗は、まず卵料理から食べ始めた。
一口食べて――
「うまい!」
ふわふわの卵、バターの香り、塩加減も完璧。
「これ、本当に美味い!」
悠斗は次々と料理を口に運んだ。
パン、チーズ、ハム、サラダ、スープ。
どれも美味しかった。
「悠斗、落ち着いて食べなさい」
ルーナが苦笑した。
「だって美味いんだもん」
悠斗は口に食べ物を詰め込みながら答えた。
「おかわり!」
「はい!」
メイドが慌てて料理を運んでくる。
悠斗は二回、三回とおかわりを重ねた。
食事を終えた後、レイナルド宰相が食堂を訪れた。
「おはようございます、皆様」
宰相は丁寧に頭を下げた。
「おはようございます」
悠斗たちも挨拶を返した。
「今日は、北へ出発されるのですね」
「はい。できるだけ早く行きたいと思っています」
「わかりました。こちらでも、準備を整えておきました」
宰相は、テーブルの上に地図を広げた。
「これが、王都から北の極寒の地への地図です」
悠斗たちは地図を見た。
王都エルディアから北へ。
草原を抜け、森を越え、山を登り、さらに北へ。
ノルディア帝国を経由し、そのさらに北。
そこに、極寒の地がある。
「遠いな……」
悠斗は呟いた。
「ええ。徒歩で行けば、おそらく二週間はかかるでしょう」
「二週間……」
「しかし、馬車を用意しました。これを使えば、一週間ほどで到着できるはずです」
「ありがとうございます」
悠斗は深々と頭を下げた。
「それと……」
宰相は、小さな袋を取り出した。
「これは、旅の資金です。どうぞお使いください」
「こんなに……いいんですか?」
「ええ。あなた方は、この世界を救おうとしている。これくらいは当然です」
「ありがとうございます」
悠斗は袋を受け取った。
中には、金貨が詰まっている。
「それと、防寒具も用意しました。北は非常に寒いですから」
「助かります」
「では、準備ができ次第、出発してください」
「はい」
悠斗たちは、部屋に戻って荷物をまとめた。
衣類、食料、水、地図、そして防寒具。
すべてを荷物に詰め込んだ。
「よし、準備完了だ」
悠斗は荷物を背負った。
「じゃあ、行こう」
三人は、王城を後にした。
王城の前には、立派な馬車が用意されていた。
二頭の馬が引く、大きな馬車。
「これが……」
「はい。どうぞお使いください」
御者が丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
悠斗たちは、馬車に乗り込んだ。
馬車の中は広く、快適だった。
柔らかい座席、窓からは外の景色が見える。
「いい馬車ね」
ルーナが窓の外を見ながら言った。
「ああ。レイナルド宰相に感謝しないとな」
「ええ」
御者が馬を走らせ、馬車が動き出した。
王都の門をくぐり、北への道を進んでいく。
「さあ、新しい冒険の始まりだ」
悠斗は拳を握りしめた。
「頑張りましょう」
ルーナとセレスティアも頷いた。
馬車は、ゆっくりと北へと向かっていった。
馬車が王都を出て、数時間が経った。
周囲の景色は、草原から徐々に森へと変わっていく。
木々が増え、道も少しずつ険しくなってきた。
「ねえ、悠斗」
ルーナが声をかけてきた。
「ん?」
「北の極寒の地って、どんなところなんだろう」
「さあな……名前の通り、すごく寒いんだろうな」
悠斗は窓の外を見た。
今はまだ暖かい。しかし、北に行けば行くほど、気温は下がっていくはずだ。
「防寒具、ちゃんと持ってきたよな?」
「ええ。レイナルド宰相が用意してくれたわ」
ルーナは荷物を確認した。
厚手のコート、手袋、帽子、マフラー。
すべて揃っている。
「よかった」
「でも……」
ルーナは少し不安そうな表情をした。
「私たち、寒さに耐えられるかしら」
「大丈夫だ」
悠斗は力強く言った。
「俺たちなら、何とかなる」
「ええ……」
ルーナは微笑んだ。
「あなたがいれば、大丈夫ね」
二人は見つめ合った。
その時――
ガタン!
馬車が大きく揺れた。
「うわっ!」
悠斗はバランスを崩した。
「大丈夫!?」
ルーナが悠斗を支えた。
「ああ……何があった?」
悠斗は御者に尋ねた。
「すみません! 道が少し荒れていまして……」
御者が謝った。
「気をつけます」
「わかった」
悠斗は席に座り直した。
「道が荒れてるのか……」
「北に行けば行くほど、道は険しくなるでしょうね」
セレスティアが言った。
「覚悟しておいた方がいいですね」
「そうだな」
馬車は、揺れながらも進み続けた。
昼過ぎ。
馬車は森の中を走っていた。
木々が生い茂り、日光が遮られている。
「なんか……暗いわね」
ルーナが呟いた。
「ああ。でも、まだ昼間だから大丈夫だろ」
悠斗は窓の外を見た。
森の中は静かで、鳥のさえずりが聞こえる。
「お腹空いたな……」
悠斗は腹を押さえた。
「朝、あんなに食べたのに……」
ルーナが苦笑した。
「だって、もう昼過ぎだぞ」
「そうね。じゃあ、休憩しましょうか」
「御者さん、ちょっと止めてもらえますか?」
悠斗が尋ねた。
「はい、かしこまりました」
御者は馬車を止めた。
三人は馬車から降りた。
森の中の小さな空き地。
「ここで、昼食を取りましょう」
ルーナが荷物から食料を取り出した。
パン、チーズ、干し肉、リンゴ。
「いただきます」
悠斗はパンを食べ始めた。
しかし――
「……足りない」
悠斗は数分で食料を食べ尽くしてしまった。
「え……もう食べちゃったの?」
ルーナが驚いた。
「ああ……でも、まだ腹減ってる」
「困ったわね……」
ルーナは考え込んだ。
「森の中だから、何か食べられるものがあるかもしれないわ」
「森で?」
「ええ。木の実とか、キノコとか」
「でも、毒があったら危ないんじゃ……」
「大丈夫。私、少しは森の植物について知識があるから」
ルーナは立ち上がった。
「一緒に探しましょう」
「わかった」
悠斗とルーナは、森の中を探索し始めた。
セレスティアは、馬車の番をしている。
「ねえ、悠斗」
ルーナが木の根元を指差した。
「あれ、食べられるキノコよ」
「本当か?」
悠斗は近づいた。
茶色いキノコが、数本生えている。
「これ、大丈夫なのか?」
「ええ。私、昔これを食べたことがあるわ」
ルーナはキノコを摘んだ。
「匂いを嗅いでみて。変な匂いがしなければ、大丈夫」
悠斗はキノコの匂いを嗅いだ。
土の香り。少し湿った感じ。
「変な匂いはしないな」
「じゃあ、大丈夫ね」
ルーナは数本のキノコを摘んだ。
「それと……」
ルーナは別の木を指差した。
「あの木、実がなってるわ」
「本当だ」
木の枝に、赤い実が生っている。
「あれも食べられるの?」
「ええ。甘酸っぱくて、美味しいわよ」
ルーナは木に近づいた。
しかし、実は高い場所にある。
「届かないわね……」
「俺に任せろ」
悠斗は地面を蹴った。
空中で実を掴み、着地した。
「すごい……」
ルーナは感心した。
「あなたの跳躍力、本当に便利ね」
「まあな」
悠斗は照れくさそうに笑った。
「これで、少しは食料が増えたな」
二人は空き地に戻った。
「おかえりなさい」
セレスティアが迎えた。
「キノコと実を見つけたぞ」
「まあ、すごい」
セレスティアは感心した。
「では、調理しましょうか」
「調理?」
「ええ。キノコは生で食べるより、火を通した方が美味しいですから」
セレスティアは、小さな鍋を取り出した。
「水を沸かして、キノコを茹でましょう」
「すごいな、セレスティア。料理できるのか」
「ええ。巫女として、様々なことを学びましたから」
セレスティアは手際よく火を起こした。
小枝を集め、火打石で火をつける。
「おお……」
悠斗は感心した。
「俺、火起こしとかできないんだよな」
「悠斗様は、戦闘が得意ですから」
セレスティアは微笑んだ。
「それぞれ、得意なことがあるんです」
水が沸騰し、セレスティアはキノコを入れた。
数分後、キノコが柔らかくなった。
「はい、できましたよ」
セレスティアはキノコを皿に盛った。
「いただきます」
悠斗はキノコを食べた。
一口食べて――
「うまい!」
悠斗は驚いた。
「キノコって、こんなに美味いのか!」
ほのかな甘み、柔らかい食感。
「本当に美味しいわね」
ルーナも頷いた。
「セレスティア、ありがとう」
「どういたしまして」
三人は、キノコと実を食べた。
「ふう……」
悠斗は満足そうに息をついた。
「お腹いっぱいになった」
「よかったわね」
ルーナは微笑んだ。
「じゃあ、出発しましょう」
三人は馬車に乗り込み、再び北へと向かった。
夕方近く。
馬車は森を抜け、再び草原に出た。
遠くには、山々が見える。
「あれが……次に越える山か」
悠斗は山を見つめた。
高い。
おそらく、標高は元のサイズだと数千メートルはあるだろう。
「大変そうね……」
ルーナも不安そうな表情をした。
「でも、行くしかないな」
馬車は、山へと向かって進んでいく。
しばらくして、道が徐々に上り坂になってきた。
馬車の速度が落ちる。
「馬も大変だな……」
悠斗は窓から馬を見た。
二頭の馬は、必死に坂を登っている。
「無理させないようにしないとな」
「ええ」
やがて、日が暮れ始めた。
「今日は、ここで野営しましょう」
御者が言った。
「わかりました」
馬車は、道端の平らな場所に止まった。
三人は馬車から降りた。
「さて……」
悠斗は周囲を見回した。
草原。木はほとんどない。
「テント、張らないとな」
「ええ」
ルーナは荷物からテントを取り出した。
「これ、どうやって張るの?」
「えっと……」
悠斗はテントの説明書を読んだ。
しかし、よくわからない。
「うーん……」
「悠斗様、私がやりましょうか」
セレスティアが言った。
「お願いできるか?」
「はい」
セレスティアは、テントを手際よく張り始めた。
杭を地面に打ち込み、布を広げ、ポールを立てる。
十分ほどで、テントが完成した。
「すごい……」
悠斗は感心した。
「セレスティア、何でもできるんだな」
「いえいえ」
セレスティアは謙遜した。
「これくらいは、誰でもできますよ」
「俺、できないけど……」
悠斗は苦笑した。
「今度、教えてくれ」
「はい」
テントができた後、セレスティアは焚き火を起こした。
「夜は冷えますから、火があった方がいいですね」
「ありがとう」
三人は焚き火の周りに座った。
火の温かさが、心地よい。
「そういえば……」
悠斗はルーナを見た。
「お前、今日キノコや実を見つけたけど、どこでそんな知識を身につけたんだ?」
「ええと……」
ルーナは少し考えた。
「記憶を取り戻した時に、思い出したの」
「記憶に?」
「ええ。昔、姉さんと一緒に森を歩いた時、姉さんが教えてくれたの」
ルーナは遠い目をした。
「『ルーナ、この植物は食べられるのよ』『このキノコは毒があるから、触っちゃダメ』って」
「そうか……」
悠斗は頷いた。
「お前の姉さん、優しい人だったんだな」
「ええ……」
ルーナは微笑んだ。
「姉さんは、いつも私に色々なことを教えてくれた」
「そうか……」
悠斗は焚き火を見つめた。
「お前の姉さん、会ってみたいな」
「悠斗……」
ルーナは驚いた表情をした。
「本当に?」
「ああ。お前の大切な人なんだろ? だったら、俺も会いたい」
「でも……姉さんは……」
ルーナは言葉を濁した。
エクリシアは、力が暴走して封印された。今、どこにいるのかもわからない。
「大丈夫」
悠斗はルーナの手を握った。
「きっと、会えるさ。お前が記憶を全部取り戻せば、姉さんを救う方法もわかるかもしれない」
「悠斗……」
ルーナの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
悠斗は微笑んだ。
二人は、しばらく手を握り合っていた。
セレスティアは、そんな二人を温かく見守っていた。
夜が更けていく。
三人は、テントの中で眠りについた。
明日も、また長い一日が始まる。
翌朝。
悠斗たちは早朝に出発した。
昨日よりも道は険しく、馬車は徐々に速度を落としていった。
「この道……本当に大丈夫なのか?」
悠斗は窓から外を見た。
道は細く、片側は崖になっている。
「御者さん、気をつけてくださいね」
ルーナが心配そうに言った。
「はい、もちろんです」
御者は慎重に馬を進めた。
しかし――
「あれ……?」
悠斗は前方を見た。
道の先に、何か大きなものがある。
「止まってください!」
悠斗が叫んだ。
御者は急いで馬車を止めた。
「どうしたんですか?」
「前を見てください」
悠斗は指差した。
前方の道に、巨大な岩が転がっている。
いや、岩だけではない。
複数の岩が、道を完全に塞いでいた。
「落石……」
御者が呟いた。
「おそらく、昨夜の雨で崩れたんでしょう」
「これじゃあ、通れないな……」
悠斗は馬車から降りた。
ルーナとセレスティアも続いた。
三人は、落石の場所まで歩いていった。
道には、大小様々な岩が散乱している。
一番大きな岩は、高さ約2メートル、幅約3メートルもある。
「これは……」
悠斗は岩を見上げた。
「どうしましょう……」
セレスティアが不安そうに言った。
「迂回するしかないんでしょうか」
「いや……」
悠斗は岩に近づいた。
「俺が、どかす」
「え……?」
ルーナが驚いた。
「でも、この岩……すごく大きいわよ」
「大丈夫」
悠斗は拳を握りしめた。
「俺には、この力がある」
悠斗は、一番大きな岩の前に立った。
そして、深呼吸した。
「よし……」
悠斗は岩に手をかけた。
冷たい。そして、重い。
しかし――
「うおおおお!」
悠斗は全力で岩を押した。
この世界では、悠斗の体は18センチだが、筋力の相対比は元の世界の10倍以上。
つまり、この岩は悠斗にとって、元の世界の数十キロの物体と同じようなものだ。
ギギギギギ……
岩が、ゆっくりと動き始めた。
「すごい……」
ルーナとセレスティアが感嘆の声を上げた。
悠斗は歯を食いしばり、さらに力を込めた。
「もっと……!」
岩は、徐々に道の端へと押されていく。
そして――
ドサッ!
岩が、崖の下へと転がり落ちた。
「やった……!」
悠斗は荒い息をついた。
「悠斗、すごいわ!」
ルーナが駆け寄ってきた。
「でも、まだ他の岩もあるぞ」
悠斗は周囲を見回した。
まだ、中くらいの岩が五つ、小さな岩が十個以上ある。
「よし、続けるか」
悠斗は次の岩に向かった。
二つ目の岩。高さ約1.5メートル。
「うおおお!」
悠斗は岩を押した。
ギギギ……
岩が動き、崖の下に落ちた。
三つ目、四つ目、五つ目。
悠斗は次々と岩を押し、道から取り除いていった。
「すごい……」
御者も、馬車の上から見守っていた。
「あんな力、初めて見ました……」
小さな岩は、悠斗が片手で持ち上げて投げ飛ばした。
十分後。
すべての岩が取り除かれた。
「ふう……」
悠斗は額の汗を拭いた。
「終わった……」
「お疲れ様、悠斗」
ルーナは水筒を渡した。
「ありがとう」
悠斗は水を飲んだ。
冷たい水が、喉を潤す。
「それと……」
セレスティアは、パンを取り出した。
「これ、食べてください」
「ありがとう」
悠斗はパンを受け取った。
しかし――
グゥゥゥ……
悠斗の腹が、大きな音を立てた。
「あ……」
「また、お腹空いたの?」
ルーナが苦笑した。
「ああ……力使ったから……」
「仕方ないわね」
ルーナは荷物から食料を取り出した。
パン、チーズ、干し肉。
「はい、どうぞ」
「いただきます!」
悠斗は、次々と食料を口に運んだ。
一つ、二つ、三つ。
「おかわり!」
「はいはい」
ルーナは笑いながら、さらに食料を渡した。
悠斗は、十個以上のパンと大量のチーズと干し肉を食べた。
「ふう……」
悠斗は満足そうに息をついた。
「お腹いっぱいになった」
「よかったわね」
ルーナは微笑んだ。
「さあ、出発しましょう」
「ああ」
三人は馬車に乗り込んだ。
御者は、悠斗に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、悠斗様」
「いや、気にしないでくれ」
悠斗は照れくさそうに笑った。
「これくらい、何でもない」
馬車は、再び動き出した。
岩が取り除かれた道を、スムーズに進んでいく。
「それにしても……」
ルーナが呟いた。
「あなたの力、本当にすごいわね」
「まあな」
悠斗は窓の外を見た。
「でも、この力も、この世界だから使えるんだ。元の世界に戻ったら、普通の高校生に戻るだけだよ」
「そうね……」
ルーナは少し寂しそうな表情をした。
「でも、私は……元の世界でも、今の世界でも、あなたのことが好きよ」
「ルーナ……」
悠斗は顔を赤らめた。
「俺も……お前のことが好きだ」
二人は見つめ合った。
セレスティアは、そんな二人を見て微笑んでいた。
馬車は、山道を登り続けた。
数日後。
馬車は、ノルディア帝国の領内に入っていた。
周囲の景色は、徐々に寒々しくなってきた。
草原は減り、代わりに雪が積もった地面が増えてきた。
「寒くなってきたわね……」
ルーナは厚手のコートを羽織った。
「ああ。そろそろ、防寒具を着ないとな」
悠斗もコートを着た。
温かい。
「でも、まだこれからもっと寒くなるんだろうな」
「そうね……」
ルーナは窓の外を見た。
遠くに、白い山々が見える。
あれが、極寒の地。
「もう少しね……」
「ああ」
馬車は、さらに北へと進んでいった。
途中、いくつかの村を通過した。
村人たちは、皆厚い服を着ており、寒さに耐えている。
「この辺りの人たち、大変だろうな……」
悠斗は呟いた。
「ええ。でも、彼らはこの寒さに慣れているのでしょう」
セレスティアが言った。
「強い人たちね」
馬車は、村を後にした。
そして、さらに一日が過ぎた。
ついに――
「見えてきました!」
御者が叫んだ。
「極寒の地です!」
悠斗たちは窓から外を見た。
前方に、白一色の世界が広がっていた。
雪、氷、凍てついた大地。
そして、その先には――
海が見えた。
「海……?」
悠斗は驚いた。
「ええ……」
ルーナも驚いた表情をしていた。
「でも、凍っているわね」
確かに、海は一部凍結していた。
しかし、完全に凍っているわけではなく、波が打ち寄せている部分もある。
「とりあえず、近くまで行こう」
馬車は、海の近くまで進んだ。
そして、道が終わった場所で止まった。
「これ以上は、馬車では進めません」
御者が言った。
「わかりました」
悠斗たちは馬車から降りた。
冷たい風が、顔を撫でる。
「寒い……」
ルーナは体を震わせた。
「大丈夫か?」
「ええ……何とか……」
悠斗はルーナの肩を抱いた。
「俺が温めてやる」
「ありがとう……」
ルーナは悠斗の胸に顔を埋めた。
「温かい……」
「御者さん、ここで待っていてもらえますか?」
「はい。お気をつけて」
悠斗たちは、海の方へと歩き始めた。
雪を踏みしめる音だけが、静かに響く。
「神殿……どこにあるんだろう」
悠斗は周囲を見回した。
しかし、神殿らしきものは見当たらない。
ただ、雪と氷と海だけ。
「ルーナ、何か感じないか?」
「ええと……」
ルーナは目を閉じた。
「何か……引っ張られるような感覚がするわ」
「引っ張られる?」
「ええ。あっちの方……」
ルーナは海の方を指差した。
「海……?」
「ええ。何か……あの辺りに……」
三人は、海岸沿いに歩いていった。
波が打ち寄せ、冷たい海水が足元に触れる。
「冷たい……」
セレスティアが呟いた。
「でも、頑張りましょう」
三人は、海岸を歩き続けた。
しばらくして――
「あれ……」
悠斗は、崖を見つけた。
海に面した、高さ約10メートルの崖。
そして、その崖の表面には――
「文字……?」
悠斗は驚いた。
崖の表面に、何か文字のようなものが刻まれている。
「これは……」
ルーナは崖に近づいた。
「古の文字……」
「古の文字?」
「ええ。神々の時代に使われていた、古代の文字よ」
ルーナは文字を見つめた。
「読めるのか?」
「ええ……私なら……」
ルーナは文字を一つ一つ読み始めた。
「『眠れる神殿……海の底に……目覚めの言葉を……唱えよ……』」
「目覚めの言葉……?」
「ええ。どうやら、神殿は海の底に沈んでいるみたいね」
「海の底……」
悠斗は海を見た。
確かに、海の中に何かあるのかもしれない。
「それで、目覚めの言葉って何だ?」
「それも、ここに書いてあるわ」
ルーナは続きを読んだ。
「それが、呪文か」
「ええ」
ルーナは深呼吸した。
「唱えてみるわ」
ルーナは海に向かって、両手を広げた。
そして、古の言葉で唱え始めた。
「ルミナ・セレーネ、デュクトル・ヴィアム。イルミナ・テネブラス・アビッシ、エヴォカ・サンクトゥアリウム・ペルディトゥム 『月の光よ、導き給え。深淵の闇を照らし、失われし聖域を呼び覚ませ』」
ルーナの声が、静かに響いた。
すると――
海が、光り始めた。
「え……?」
悠斗は驚いた。
海面が、淡い銀色の光を放っている。
光はどんどん強くなり、やがて眩しいほどになった。
「何が起きてるんだ……!」
そして――
ゴゴゴゴゴ……
海が、揺れ始めた。
いや、揺れているのではない。
海の中から、何かが上がってきている。
「地面が……隆起してる!」
セレスティアが叫んだ。
海の中央部分が、徐々に盛り上がっていく。
水が滝のように流れ落ち、その下から――
巨大な建造物が現れた。
「神殿……!」
悠斗は息を呑んだ。
海から現れた神殿は、白い大理石でできていた。
柱が何本も立ち並び、屋根には月の紋章が刻まれている。
そして、神殿の表面には――
海藻が絡みついていた。
しかし、その海藻は不思議なことに、淡く光っている。
青、緑、紫。
様々な色の光が、神殿を幻想的に照らしていた。
「綺麗……」
ルーナが呟いた。
「本当に……夢みたい……」
隆起は止まり、神殿は完全に海面上に姿を現した。
神殿へと続く石の道も、海の中から現れた。
「行きましょう」
ルーナが言った。
「ええ」
三人は、石の道を歩き始めた。
道は濡れており、滑りやすい。
「気をつけて」
悠斗はルーナとセレスティアの手を取った。
「ありがとう」
三人は、慎重に神殿へと向かった。
やがて、神殿の入口に到着した。
巨大な扉。
扉には、複雑な紋章が刻まれている。
「開くかな……」
悠斗は扉に手をかけた。
そして、押した。
ギギギ……
扉が、ゆっくりと開いた。
「開いた……」
三人は、神殿の中に入った。
神殿の内部は、想像以上に幻想的だった。
天井は高く、柱が何本も立ち並んでいる。
そして、壁や柱には――
光る海藻が絡みついていた。
青、緑、紫、赤。
様々な色の光が、神殿全体を照らしている。
「すごい……」
悠斗は周囲を見回した。
「まるで、海の中みたいだ」
「ええ……」
ルーナも感嘆の声を上げた。
「こんな美しい場所、初めて見たわ」
セレスティアも、言葉を失っていた。
ただ、静かに神殿の美しさに見入っている。
「さあ、奥へ進みましょう」
ルーナが言った。
三人は、神殿の奥へと歩いていった。
床は大理石でできており、足音が静かに響く。
壁には、何か文字が刻まれていた。
「これも、古の文字ね」
ルーナは壁に近づいた。
「読めるわ……」
ルーナは文字を読み始めた。
「『ここは、創造と破壊の聖域。二柱の女神が生まれし場所』」
「二柱の女神……」
悠斗は呟いた。
「お前と、お前の姉さんのことか」
「ええ……」
ルーナは続きを読んだ。
「『はるか昔、一つの球体があった。それは、世界の源。すべての力の始まり』」
「一つの球体……」
「『しかし、球体は不安定だった。創造の力と破壊の力が、一つの器に収まりきらなかった』」
「それで……?」
「『やがて、球体はひずみにより二つに割れた。一つは創造の力を、もう一つは破壊の力を宿した』」
「それが……」
「『二つの球体は、やがて人の形を取った。創造の女神ルーナと、破壊の女神エクリシア』」
ルーナの声が、震えた。
「これが……私たちの誕生の物語……」
悠斗は、ルーナの肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
「ええ……大丈夫……」
ルーナは深呼吸した。
「続きを読むわ」
「『二柱の女神は、この世界を統べることになった。ルーナは生命を創り、エクリシアは古きものを破壊した。二人の力が調和することで、世界は繁栄した』」
「調和……」
「『しかし、調和は永遠ではなかった。破壊の女神は、ある出来事により心を痛め、力を暴走させた』」
「ある出来事……」
悠斗は、ルーナが以前語った話を思い出した。
アリエルという少女の死。
それが、エクリシアの心を壊した。
「『創造の女神は、姉を救うため、自らの力を使って姉を封印した。そして、自らも封印された』」
「それが……百年前のことか」
「ええ……」
ルーナは壁から離れた。
「さあ、奥に行きましょう」
三人は、さらに奥へと進んだ。
やがて、神殿の中央部分に到着した。
そこには――
巨大な部屋があった。
天井はドーム状になっており、中央には――
神聖な器が置かれていた。
透明な水晶でできた、美しい器。
その中には、淡い光が渦巻いている。
「これは……」
ルーナは器に近づいた。
「私の……力の欠片……」
ルーナは、ゆっくりと器に手を伸ばした。
「待って、ルーナ」
悠斗が言った。
「大丈夫なのか?」
「ええ……大丈夫……」
ルーナは微笑んだ。
「これが、私の記憶……」
ルーナの手が、器に触れた。
その瞬間――
パァァァァ!
強烈な光が、部屋全体を包み込んだ。
「うわっ!」
悠斗とセレスティアは、目を閉じた。
光が、あまりにも眩しい。
そして――ルーナの意識が、遠い過去へと飛んでいった。
――はるか昔。
世界が、まだ形を成していなかった時代。
すべては、混沌だった。
光も闇もなく、ただ無秩序なエネルギーが渦巻いていた。
しかし、その混沌の中に――
一つの球体が浮かんでいた。
直径約1メートルほどの、透明な球体。
その中には、二つの力が渦巻いていた。
一つは、白い光。
もう一つは、黒い闇。
白い光は、創造の力。
何もないところから、何かを生み出す力。
黒い闇は、破壊の力。
存在するものを、無に還す力。
二つの力は、球体の中で激しくぶつかり合っていた。
ゴゴゴゴゴ……
球体が、揺れ始めた。
二つの力は、あまりにも強大すぎた。
一つの器に、収まりきらない。
やがて――
ピシッ。
球体に、亀裂が入った。
小さな亀裂。
しかし、それは徐々に広がっていく。
ピシ、ピシ、ピシ。
亀裂は、球体全体に広がった。
そして――
バリィィン!
球体が、真っ二つに割れた。
強烈な光が、混沌の世界に放たれた。
二つに割れた球体。
一つは、白い光を宿していた。
もう一つは、黒い闇を宿していた。
二つの球体は、しばらく混沌の中を漂っていた。
そして――
白い球体が、変化し始めた。
球体は徐々に形を変え、やがて人の形を取った。
小さな少女。
銀色の髪、銀色の瞳、白いドレス。
少女は、ゆっくりと目を開けた。
「……ここは……?」
少女は、周囲を見回した。
混沌の世界。
何もない。
ただ、無秩序なエネルギーが渦巻いているだけ。
「私は……誰……?」
少女は、自分の手を見た。
小さな手。
透き通るような肌。
「私の名前は……」
少女の心に、名前が浮かんだ。
「ルーナ……」
「そう……私は、ルーナ……」
ルーナは、自分が何者なのか理解した。
自分は、創造の女神。
何もないところから、何かを生み出す力を持つ存在。
「創造の女神……」
ルーナは呟いた。
「私は……何をすればいいの……?」
その時――
黒い球体からも変化していて、一人の少女になった。
ルーナよりも少し背が高い少女。
黒色の髪、深い赤色の瞳、黒いドレス。
少女は、目を開けた。
「……」
少女は、ルーナを見つめた。
ルーナも、少女を見つめた。
二人の視線が、交わった。
「あなたは……?」
ルーナが尋ねた。
「……エクリシア」
少女は答えた。
「私の名前は、エクリシア」
「エクリシア……」
ルーナは、その名前を心に刻んだ。
「あなたは……私と同じ?」
「そう……」
エクリシアは頷いた。
「私は、破壊の女神。存在するものを、無に還す力を持つ」
「破壊の女神……」
ルーナは、エクリシアに近づいた。
「私は、創造の女神。何もないところから、何かを生み出す力を持つ」
「そう……」
エクリシアは微笑んだ。
「私たちは、対の存在ね」
「対の存在……」
「ええ。あなたが創り、私が壊す」
エクリシアは、ルーナの手を取った。
「でも、私たちは敵ではない」
「敵じゃない……?」
「ええ。私たちは、姉妹よ」
「姉妹……」
ルーナの心が、温かくなった。
「あなたが、私の姉……」
「そう。私が姉。あなたが妹」
エクリシアは、ルーナを優しく抱きしめた。
「これから、一緒にいましょう」
「ええ……」
ルーナは、エクリシアの胸に顔を埋めた。
「姉さん……」
二人は、しばらく抱き合っていた。
やがて、エクリシアが言った。
「さあ、ルーナ。私たちの力を使って、世界を創りましょう」
「世界を……?」
「ええ。この混沌を、秩序ある世界に変えるの」
エクリシアは、周囲を見回した。
「あなたが創造し、私が不要なものを破壊する。そうすれば、美しい世界ができるわ」
「わかったわ、姉さん」
ルーナは頷いた。
「一緒に、頑張りましょう」
二人は、手を取り合った。
そして――
力を解放した。
ルーナの白い光と、エクリシアの黒い闇が、混沌の世界に広がった。
ルーナは、光を使って大地を創った。
広大な平原、豊かな森、高い山々、深い海。
エクリシアは、闇を使って不要なものを破壊した。
混沌のエネルギー、不安定な空間、歪んだ時間。
二人の力が調和することで、世界は形を成していった。
やがて――
美しい世界が、完成した。
青い空、白い雲、緑の大地、澄んだ海。
「綺麗……」
ルーナは感嘆の声を上げた。
「私たち、世界を創ったのね」
「ええ」
エクリシアも微笑んだ。
「でも、まだ足りないわ」
「足りない……?」
「ええ。この世界には、まだ生命がない」
エクリシアは、大地を見つめた。
「ルーナ、あなたの力で、生命を創りなさい」
「生命……?」
「ええ。動物、植物、そして――人間」
「人間……」
ルーナは、初めて聞く言葉だった。
「人間って、何?」
「私たちに似た存在よ。でも、私たちのような力は持たない。弱く、儚い存在」
「弱く、儚い……」
「でも、彼らには可能性がある。私たちにはない、成長する力」
エクリシアは、ルーナを見つめた。
「彼らを創りなさい。そして、見守りなさい」
「わかったわ、姉さん」
ルーナは、再び力を使った。
大地に、生命が生まれた。
草、花、木。
鳥、魚、獣。
そして――
人間。
小さな、18センチほどの人間たち。
彼らは、最初は何もできなかった。
ただ、生きるだけで精一杯。
しかし、時間が経つにつれ、彼らは学んだ。
道具を作り、家を建て、農業を始めた。
村ができ、町ができ、やがて国ができた。
ルーナとエクリシアは、空から人間たちを見守っていた。
「すごいわね……」
ルーナは感心した。
「人間たち、どんどん成長していく」
「ええ」
エクリシアも頷いた。
「彼らには、無限の可能性がある」
「でも……」
ルーナは少し不安そうな表情をした。
「彼ら、時々争っているわ」
「そうね」
エクリシアは静かに言った。
「それも、人間の本質よ」
「本質……?」
「ええ。人間は、創造と破壊の両方を持っている」
エクリシアは続けた。
「彼らは、美しいものを創る。しかし、時には破壊もする」
「それは……私たちと同じね」
「そう。私たちの力が、彼らにも宿っているの」
エクリシアは微笑んだ。
「だから、私たちは彼らを見守り続けなければならない」
「わかったわ、姉さん」
ルーナは頷いた。
「一緒に、見守りましょう」
「ええ」
二人は、これからも世界を見守り続けることを誓った。
時が流れた。
数百年。
世界は、繁栄していた。
人間たちは、文明を築き、芸術を生み、科学を発展させた。
村は町になり、町は都市になった。
人々は、幸せに暮らしていた。
ルーナとエクリシアも、幸せだった。
二人は、天空の神殿で暮らしていた。
白い大理石でできた、美しい神殿。
そこから、世界を一望できる。
「今日も、平和ね」
ルーナは、神殿の窓から外を見た。
「ええ」
エクリシアも隣に立った。
「でも、油断はできないわ」
「どうして?」
「人間たちは、時に過ちを犯す」
エクリシアは真剣な表情をした。
「私たちは、常に見守らなければならない」
「わかったわ」
ルーナは頷いた。
二人は、毎日人間たちを見守り続けた。
そして、時には人間たちを助けた。
災害が起きた時、ルーナは大地を修復した。
疫病が流行った時、エクリシアは病原体を破壊した。
戦争が起きそうになった時、二人は人間たちに夢で語りかけた。
「争ってはいけない」
「平和を大切にしなさい」
人間たちは、二人を「女神」と呼び、崇拝した。
月の女神ルーナ。
そして、その双子の姉、破壊の女神エクリシア。
二人は、世界の守護者だった。
しかし、ある日――
ルーナとエクリシアは、人間の世界に降りることにした。
「姉さん、私、人間たちと触れ合ってみたいわ」
ルーナが言った。
「どうして?」
「だって、ずっと空から見守ってるだけじゃ、彼らのことがよくわからないもの」
ルーナは窓の外を見た。
「彼らがどんな風に暮らして、どんなことを考えているのか、もっと知りたいの」
「そうね……」
エクリシアは少し考えた。
「わかったわ。じゃあ、一緒に行きましょう」
「本当!?」
「ええ。私も、少し興味があるの」
エクリシアは微笑んだ。
「人間たちの暮らし、どんなものなのか」
「やった!」
ルーナは嬉しそうに飛び跳ねた。
「じゃあ、明日出発しましょう!」
「ええ」
次の日、二人は人間の姿になって、ある村を訪れた。
小さな村。
二十軒ほどの家があり、人々は農業をして暮らしていた。
「こんにちは」
ルーナとエクリシアは、村の入口で挨拶した。
村人たちは、最初は警戒していた。
「あなたたちは……?」
「私たちは、旅人です」
エクリシアが答えた。
「少しの間、この村に滞在させていただけませんか?」
村人たちは顔を見合わせた。
そして――
「いいですよ」
村長らしき老人が言った。
「旅人を助けるのは、当然のことです」
「ありがとうございます」
ルーナとエクリシアは、深々と頭を下げた。
こうして、二人の人間世界での生活が始まった。
最初は、何もかもが新鮮だった。
畑仕事。
水汲み。
洗濯。
料理。
すべてが、初めての経験。
「これ、どうやって使うの?」
ルーナは、鍬を手に取った。
「こうやって、土を耕すのよ」
村人が教えてくれた。
「ほら、こうやって……」
「わあ、すごい!」
ルーナは、鍬を振ってみた。
しかし、うまくいかない。
土がほとんど動かない。
「難しいわね……」
「慣れれば大丈夫よ」
村人は優しく微笑んだ。
「頑張って」
エクリシアも、最初は不器用だった。
しかし、彼女は学ぶのが早かった。
すぐに、畑仕事も料理も、上手にできるようになった。
「姉さん、すごい!」
ルーナは感心した。
「どうしてそんなに上手にできるの?」
「よく観察するのよ」
エクリシアは微笑んだ。
「村人たちがどうやっているか、しっかり見る。そして、真似する」
「そうか……」
ルーナも、村人たちを観察し始めた。
そして、徐々に上達していった。
二人は、村での生活を楽しんだ。
朝は早く起きて、畑仕事。
昼は食事を作り、村人たちと一緒に食べる。
午後は、洗濯や掃除。
夜は、焚き火を囲んで村人たちと語り合う。
「楽しいわね、姉さん」
ルーナは微笑んだ。
「人間の暮らしって、こんなに楽しいなんて」
「ええ」
エクリシアも頷いた。
「神殿での生活とは、全然違うわね」
「ええ」
そして――
二人は、ある少女と出会った。
名前は、アリエル。
十歳くらいの、元気な少女。
「あなたたち、旅人なんでしょ?」
アリエルは、最初に声をかけてきた。
「ええ」
「どこから来たの?」
「遠くから」
エクリシアが答えた。
「どれくらい遠いの?」
「とても遠いわ」
「へえ……」
アリエルは目を輝かせた。
「私も、いつか旅に出てみたいな」
「旅……?」
「うん! この村の外、見てみたいんだ」
アリエルは笑った。
「きっと、すごく広い世界が広がってるんだよね」
「ええ」
ルーナは微笑んだ。
「世界は、とても広いわ」
こうして、ルーナとエクリシアは、アリエルと親しくなった。
三人は、毎日のように一緒に遊んだ。
野原で鬼ごっこをしたり。
川で水遊びをしたり。
森で探検ごっこをしたり。
楽しい日々が続いた。
「ねえ、ルーナ、エクリシア」
ある日、アリエルが言った。
「あなたたち、ずっとこの村にいてくれる?」
「ええと……」
ルーナは困った表情をした。
「それは……」
「お願い! ずっと一緒にいてほしいな」
アリエルは、ルーナとエクリシアの手を握った。
「あなたたちと一緒にいると、すごく楽しいんだ」
「アリエル……」
ルーナは、アリエルを見つめた。
純粋な瞳。
曇りのない笑顔。
ルーナの心は、温かくなった。
「わかったわ」
ルーナは微笑んだ。
「できるだけ長く、ここにいるわ」
「本当!?」
「ええ」
「やった!」
アリエルは、嬉しそうに飛び跳ねた。
エクリシアは、そんなアリエルとルーナを優しく見守っていた。
記憶の光景は、ここで終わった。
ルーナの意識が、現実に戻ってきた。
「……っ」
ルーナは、膝をついていた。
「ルーナ!」
悠斗が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!」
「ええ……大丈夫……」
ルーナは涙を拭いた。
「思い出したわ……」
「私と姉さんが、どうやって生まれたのか。どうやって世界を創ったのか。そして、アリエルと出会う前のこと……」
ルーナは立ち上がった。
「私たちは、一つの球体から生まれたの」
「一つの球体……」
「ええ。その球体には、創造の力と破壊の力が同居していた。でも、二つの力はあまりにも強大で、一つの器には収まりきらなかった」
「それで、球体が割れた……」
「そう。そして、私と姉さんが生まれた」
ルーナは微笑んだ。
「私たちは、最初から姉妹だったの。対の存在。敵ではなく、協力し合う存在」
「そうか……」
悠斗は頷いた。
「お前と、お前の姉さんは、本来は仲が良かったんだな」
「ええ」
ルーナの目に、涙が浮かんだ。
「姉さんは、優しかった。いつも私を守ってくれた。一緒に世界を創り、一緒に人間たちを見守った」
「でも……」
「でも、アリエルの死が、すべてを変えてしまった」
ルーナは拳を握りしめた。
「姉さんは、アリエルの死にショックを受けて、力が暴走した」
「ルーナ……」
悠斗は、ルーナを抱きしめた。
「お前は、悪くない」
「でも……」
「お前は、世界を守るために、辛い選択をした。それは、間違いじゃない」
悠斗は、ルーナの頭を撫でた。
「お前は、よく頑張ったよ」
「悠斗……」
ルーナは、悠斗の胸で泣いた。
「ありがとう……」
セレスティアも、二人の側に来た。
「ルーナ様……」
セレスティアは、ルーナの背中を優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。私たちがいます」
「セレスティア……」
ルーナは、二人に感謝の気持ちでいっぱいになった。
しばらくして、ルーナは落ち着きを取り戻した。
「ごめんなさい……また、泣いてしまって……」
「気にするな」
悠斗は微笑んだ。
「泣きたい時は、泣けばいい」
「ええ……」
ルーナは涙を拭いた。
「さあ、戻りましょう」
「ああ」
三人は、神殿を後にした。
外に出ると、空はすでに夕暮れに染まっていた。
オレンジ色の空。
海も、オレンジ色に染まっている。
「綺麗ね……」
ルーナは呟いた。
「ええ」
悠斗も頷いた。
「この世界、本当に美しいな」
「ええ……」
ルーナは、世界を見つめた。
「私と姉さんが創った世界……」
「そして、お前が守ってきた世界」
悠斗は、ルーナの肩を抱いた。
「これからも、一緒に守っていこう」
「ええ」
ルーナは微笑んだ。
「一緒に」
三人は、馬車の方へと戻っていった。
御者は、馬車の近くで待っていた。
「お帰りなさい」
御者が言った。
「神殿は、見つかりましたか?」
「ええ」
悠斗は頷いた。
「見つかりました」
「それはよかった」
「今日は、ここで野営しましょう」
「わかりました」
三人は、テントを張り、焚き火を起こした。
夜が更けていく。
焚き火の周りに座り、三人は静かに語り合った。
「ルーナ」
悠斗が言った。
「お前、あと一つ記憶が残ってるんだよな」
「ええ……」
ルーナは頷いた。
「最後の記憶……」
「それは、どこにあるんだ?」
「わからないわ……」
ルーナは首を横に振った。
「でも、きっと……何かが教えてくれるはず」
「そうか……」
悠斗は焚き火を見つめた。
「じゃあ、その時まで、一緒に旅を続けよう」
「ええ」
ルーナは微笑んだ。
「ありがとう、悠斗」
「どういたしまして」
二人は、見つめ合った。
セレスティアは、そんな二人を温かく見守っていた。
夜空には、二つの月が浮かんでいた。
白い月と、黒い月。
二つの月は、静かに輝いている。
「姉さん……」
ルーナは、黒い月を見つめた。
「あなたのことを、必ず助けるから……」
「待っていてね……」
ルーナは、心の中で姉に語りかけた。
そして、悠斗の肩に頭を預けた。
「悠斗……」
「ん?」
「あなたと出会えて、本当によかった」
「俺も」
悠斗は、ルーナの頭を撫でた。
「お前と一緒にいられて、幸せだよ」
「私も……幸せ……」
ルーナは、ゆっくりと目を閉じた。
焚き火の温かさ。
悠斗の温もり。
セレスティアの優しさ。
すべてが、ルーナを包み込んでいた。
こうして、長い一日が終わった。
明日からまた、新しい旅が始まる。
最後の記憶を求めて。
また一つ、記憶を取り戻しました。
私と姉さんが、どうやって生まれたのか。一つの球体から二つに分かれて、それぞれ創造と破壊の力を受け継いだこと。そして二人で協力して、この世界を創ったこと……。
思い出すたびに、姉さんへの想いが強くなります。本当は優しくて、私のことをいつも守ってくれた姉さん。アリエルのことがあるまでは、二人でずっと一緒に笑っていたのに。
悠斗は「必ず姉さんを救える」と言ってくれました。セレスティアも励ましてくれました。二人がいてくれて、本当によかった。
残りの記憶は、あと一つ。最後の記憶を取り戻せば、きっと姉さんを助ける方法もわかるはず。
もう少しだけ、待っていてね、姉さん。
――月の女神ルーナ




