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マイ・プレイス  作者: 国木田エイジロウ
夏の大会編3 You can (not) climb to the top.
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第55話 悔いのない決着

 もう、限界だった。

 空っぽになった体に湧き上がるものなんてない。

「最悪だ……」

 無死満塁。

 龍山学院にとって最高のチャンスを潰され、代わりに与えられたのは最大のピンチであった。



 少し前に遡る。

 九回裏、青木のライト方向へのフライで三塁走者の倉田が本塁へ突入。

 距離的には少し逸れただけで一点というような状況で新谷は好返球を魅せた。

 問題はここからだ。

 そのファインプレーを期に、観客の注目は完全に明王第一になってしまった。

 十回表、明王第一の応援に合わせて手拍子が入る。応援席からではない。観に来ている観客からであった。


「これじゃ、まるでーー」

 球場全体が敵に回ったみたいだ。


 明王第一の八番打者、井口が打席に入る。

 航大にとっては代々木以上の警戒が不要な相手である。だが、この回の航大はーー。

「ボール!」

 ストライクが入らない。中村が構えたところからだいぶ逸れてしまっている。これではストライクなど到底取ってもらえない。

(もう……力が。三振じゃなくていい。打ち取りさえ、すればいい)

 そう心は思っていても体がついていかない。

 ストライクが入る気配のないまま、球審から案の定といったコールが耳に届く。

「ボール、フォアボール」


 九番打者の宇津野に対しても航大は、ストライクが入らない。

「……今ので何球投げてるんだっけ」

 ベンチの水原監督が京子に声をかける。

「一三〇球です」

「この回を無得点で切り抜けたとしても一四〇球になるのは必然か……」

 そう、投げすぎによる疲労を監督は懸念していた。明日にはすぐ決勝がある。無論、監督にとっては投げてもらわないと困るし、航大以外の投手では決勝の計算は立たない。

 

 だが、そもそも目の前の問題を度外視してはいけない。この試合に勝たねば明日はないのだから。

 しかしその確率は航大が投げ続ける度にどんどん低くなっている。

 徐々に塁が埋まり、マウンド上で苦しむ姿を見せられても水原監督には何もできない。航大以外の投手では明王第一に対抗できない。ゆえに彼を信じるしかない。

 水原監督は拳をぎゅっと握りしめ、この展開の結末を見届ける。

(お願い……! 無理を承知なのはわかってる。何とか、踏ん張って!)

 彼女は航大をチームを信じることに懸けた。


 一番の新谷が打席に入ると、九回裏の好返球もあってか、球場内の観客から彼に向けた声援が飛ぶ。

(おうおう……。俺にしちゃ、練習の範囲内での当たり前の返球だったんだが。まさかここまで味方についてくれるとはね)

 新谷には願ってもない展開。だがマウンドの彼を見ると、自分ではこの試合を決めることができないと直感する。

(そうか、もう限界か。ここまで一人でよう頑張ったわ、お前。大村よ、あんたが龍山じゃなく大阪桐将の選手だったなら、もっと全力勝負ができたんかもな)

「ボール」


 ストライクが入らない。力は前の回で出し切ってしまった。踏み出す足は力なく、下半身が浮き上がり、投じる球は高くなる。

「ボール」


 入れ。頼むからストライクゾーンに。そう航大は願うが、どうにもならない。

 もうすぐ球数は一四〇球。まだアウトを一つも取れていない。まずい状況なのは判っている。

「ボール」

 もうストライクが入らない。何をしても、どんな策を講じても。

「ボール、フォアボール」

 新谷は四球を選び、全ての塁が埋まる。

 一塁に到達した新谷は苦しい表情の航大を見て思う。

(まあ、俺が決めんでも、この試合は終わりや)

 この試合最大のピンチ、無死満塁である。

 そして、時間は現在へーー。



 マウンドへ駆け寄る内野陣。中村が声をかける。

「航大……」

 皆、名前を呼ぶだけで精一杯で、本当はしなければならないはずのーー励ましの声を掛けることすらできない。全員が強敵との戦いで精神をすり減らし、とうに限界を越えていた。

「何だ、ただ集まるだけかよ。情けないな……」

 航大以外は黙ってしまう。

「なら、俺から一つだけ。この試合、勝ちたいか。明日がどうなったとしても」

「お前……」

 皆は勝ちたいとすら言わない。この状況でそれを望むことがいかに絶望的か。

 この場面、どうやったって一点入る。裏の攻撃で一点をとることがどれほど難しいか。

「そりゃ、さ。でもな……」

 ここが俺たちの限界だ。とでも言うように中村はつぶやく。

 そんな彼に航大は口を開く。

「……終わるんなら、悔いのない形で終わろうや。たとえこの場面を抑えられなくても、実力不足で済むんだ。俺らはまだ一年じゃねぇか」

 だが、と航大は続ける。

「あの観客らの声援は正直言ってフェアじゃない。というかウザイの一言に尽きる。だからその声をかき消すくらいの声援を俺にくれ。お前らの力を、俺に預けてくれ」

「……そんなんでいいのか?」

「あと一イニングくらいはやれそうだ。この回でサヨナラ勝ち出来なかったら……あとは知らん。恨みっこなしだぜ」

 開き直った航大に苦しそうな言動を見せていた中村は笑った。

「お前は、やっぱりお前だな。俺を一軍まで連れて来た時のことといい、今日の試合に至るまでお前には頭が上がらないな」

「……さ、行こうぜ」

 決意は固まった。



 二番朝倉との対戦時、観客からの歓声が上がる。

 言うまでもない。航大らの敵、明王第一に向けてのエールだ。

 だが、それをかき消すように内外野の選手たちから声援が送られる。

「観客なんかに負けるな!」

「踏ん張れ航大!」

 龍山学院の選手たちの大声が聞こえる。それが、有象無象の声をかき分けて航大の耳に届く。

(よし、まだ戦える。俺はまだーー倒れない!)

 航大は朝倉と目が合う。

(……ふん、観客が味方であろうとなかろうと俺たちの勝ちは決まったも同然なんだよ)

 朝倉はバットを握りしめ、航大からの球を待つ。


 初球。航大は前に足を踏み出す。

 そして、迷いなく直球をキャッチャーミットに目がけてぶち込んだ。

 凄まじい爆音が鳴り響く。

「ストライク!」

「な……?!」

 朝倉は手が出せなかった。その速球は、明王第一を苦しめた航大の全力投球。

(そうだ、もう真っ直ぐしかない。来い!)

 二球目。航大は迷わない。

(くっ……ストレート。ただの真っすぐの癖に……)

 朝倉は明らかに振り遅れる。空振りを奪い、航大は追い込んだ。

(馬鹿な……。奴は限界のはずーー)

 朝倉は航大の目を見る。見てしまう。

 そこには鬼の形相でマウンドに仁王立ちする航大の姿。その体は小さくとも、凄まじい迫力があった。

(だからーーなんだというんだ。勝つのはーー)

 それは放たれた。その球筋は閃光。一瞬。真っすぐに進む速球はバットを振る時間を与えなかった。

『三振! 二番朝倉は三球三振に倒れました!』


 うなだれる朝倉と入れ替わりに、三番伊勢崎が打席に入る。

(まだアウトが一つ増えただけ、犠牲フライでも一点だ。ランナーを返すことなど造作もないことだろう。……他の試合であれば)

 伊勢崎はネクストサークルで航大の球を見ていた。そこで確信した。

(球威が戻っている。すでに球数は一四〇球に達しているはずだ。あの小柄な体格でここまで投げられることだけでも……。いや、同情はよそう)

「あとアウト二つだ! 踏ん張れ!」

「航大! 勝て!!」

 内野陣だけでなく、外野陣からも声援が聞こえる。

 航大はぼんやりとしかかった意識の中、言葉を発する。

「……最高だよ、お前ら」

 

 初球。どっしりと構える伊勢崎に対し、航大はど真ん中に速球をぶち込む。

 伊勢崎は手が出なかったのか、バットを振らず見逃す。

(これが……さっきの速球。重く、思いのこもった真っすぐだ)

 二球目。今度は振ろうと伊勢崎はさっきのタイミングを計る。だが、何も掴めない。

 そう。二度三度見てきた航大の球とは明らかに違っていた。

(一四四キロ。代々木より遅いはずなのに。なんだこの球は)

 航大が絶好調でなければ出ない球速表示。だが、それ以上に球にかけたキレは以前のものとは違っていた。

 追い込んで、三球目。

(来い、航大!)

(全国制覇に一番近いチームの三番が、三球で終われるか!)


 航大は腕を振り抜く。一筋の閃光がバットの空を切った。

『二者連続三振! 無死満塁から二死まで来ました!』

 

 だが、まだ山場は残っている。代々木隼人。打者として、投手としてこの試合何度も対戦した。

 思えば、ここに至るまで多くの過去と向き合い、今を未来を勝ち取って来た航大。

 さあ、勝ちに行こう。

 航大はそう念じ、代々木と対峙した。

「伊勢崎さんでもダメだとなると、俺が決めるしかなさそうだ」

「それはない。俺が、俺たちが勝つ!」


 腕を振り、航大は投げ込む。すでに限界を迎えているはずの選手の球ではなかった。

 代々木は振り遅れ、空振りする。

(嘘だ。今までとタイミングは同じはず。なのにーー)

 三球目。遊び球も作戦も何もいらない。

 すべてをぶつける。

「っしゃー!!」

 バットが空を切る。航大は代々木を完璧に抑えてみせた。


『なんと三者連続三振!! これが龍山学院エース、大村航大の力!!』

 この試合最大のピンチから圧巻の投球を見せた航大に実況も興奮してその様子を伝える。

 その投球に拍手する観客たち。一方的な応援から、どちらに向けても声援が送られるように。

 航大の底力が観客の心を引き戻したのだ。 


 攻守交代。航大は円陣に加わることなく、ベンチに座る。

 ぜえぜえ、と荒い息を上げ下を向く。

「航大くん、円じーー」

 中村が京子の肩を叩き、首を横に振る。

「もう、航大は限界だ。俺たちがやるべきことはただ一つ。あいつを決勝に連れていくことだけだ」

「……違いねぇわ。そろそろこいつに借りだけじゃなく貸しもつくりたいところだがーー」

 ズバン、とミットを鳴らす音がする。

 音の主は代々木、正確には彼の投げる速球。

「前の回で球威は落ちかけていたが、息を吹き返したって感じだな」

「相手は次の回で勝負をかけてくる。だから、うちが勝つにはーー」

 この回でサヨナラ勝ちを手にする以外で勝ち目はない、ということだ。

 円陣を組み、一度場を締め直す。

「何としても、ホームを踏む。それだけだ。行くぞ!」

「「おおっ!!」」


 四番中村が打席に入る。

(何としても塁に出るんだ!)

 中村の視界に入ったのは、ベンチに座ったまま下を向く航大の姿。ベンチに戻ってから変わらぬその様子を見つめる。

(馬鹿野郎。そんなになるまで……)

 初球、代々木が放った速球にバットを当てる。

(な、俺の全力が……。航大でも当てられなかったというのに……!)

 代々木は衝撃を受けた。タイミングは遅れてはいたが、彼は間違いなく最後まで球を見ていた。

 二球目。外角に外れる球を見送る。明らかなボール球だ。

(抜け球か……。見える。バットを出すのがやっとだが、今のはボール球って理解できる)

 三球目も高めに抜け、二ボールとストライクカウントがひとつ。

(今までの奴らなら振ってくれていたというのに。こいつは……)

 代々木は実感する。航大の次に倒さねばならない相手。中学から彼を理解し、バッテリーを組んできた相手。

 代々木と航大は元を辿れば一匹狼という同族だと思っていた。故に妙な親近感を僅かに感じつつ、それを今日まで否定してきた。

 ライバルだの、敵だの、といった認識タグで誤魔化してきたが、代々木と航大の本質は同じ。

 だが、それを変えてしまったのは彼ーー中村だ。

 航大は仲間と共に戦うことを覚え、代々木は一匹狼であることに固執した。

 代々木に立ちはだかるのは、航大の仲間ーー正確に言えば彼との絆そのもの。

 強固に結ばれたそれは一筋縄どころか、代々木の速球を以てしても完全には打ち砕けない。

 何度、空振りを喫しても戦うことを止めなかった龍山学院。それが、代々木に初めて一人で戦うことの限界を教えた。


(こんなことがあるか……。俺の全力投球がどこぞの馬の骨とも知らない奴に)

 だが、認める以外ないだろう、事実を。代々木は思考を巡らせ、一度心を落ち着かせる。

 四球目。捕手の構えたところに目がけ、一直線に球が走る。

 中村は見送り、判定はストライク。

(ぐっ、手が出なかった。二ストライクで今の球が来ていたら終わってたな)

 中村は一度タイムをかける。そしてバッターボックスを抜けて深呼吸し、間を置く。

(……よし!)

 五球目はわずかに外れ、フルカウント。

 それから五球、代々木の速球に中村は粘る。捕手のサインには首を振り続ける。

 変化球でも来られたら、ほぼついてはいけないだろう。だが、代々木にそんな器用なことができる体力は残っていなかっただろう。

 それ以前に彼は中村と純粋な力の勝負がしたかったのだろう。

(初めてだ。俺とここまで張り合える奴は……!)

 そして……粘りは実った。

 球威変わらぬ速球。中村は物怖じせず、バットを振り抜いた。

 やや振り遅れ気味だったが、打球は右中間へと飛ぶ。

「センター、ライト!!」

 捕手、土佐が叫ぶ。だが、打球は落ちる。

 中村は一塁を蹴って、二塁へ。外野から二塁へ転送されるがーー。

「セーフ!」

 足はあまり速くない中村だったが、これは意地だ。その意地が代々木に勝った。全力を越えた走塁に耐えきれず、彼の膝は笑う。

 サヨナラのランナーが出たことに龍山学院のベンチは喜ぶ。

「続け続け!」

「サヨナラ行くぞ!」


 それらの声で航大は我に返る。

 今にも途切れそうな意識を離さず、自らを奮い立たせ、目線だけでもなんとかグラウンドに向ける。

 足は動かない。本当にすべての力を出し切ってしまったのか、立ち上がることすらままならない。

(参ったな。二人が凡退したら、その次は俺だ。打席に立つ可能性があるっていうのに……)


 五番の東が初球でバントを決め、一死三塁。これでヒットを打たなくてもサヨナラーーとは上手くいかないもの。

 水原監督は六番不知火に代えて内山を送り込む。代打の成績はそこまで悪くない彼で勝負に出た。

 普通の相手ならそれでも問題なかったが、限界とはいえ剛速球に変わりはない。

 内山は為す術もなく、三振に終わり策は不発。


(この一度だけでいい。もう一度、俺に立ち上がる力をくれ!)

 航大はそう念じると、今まで重かった体が嘘のように動く。

 軽い。まだ、戦える。

 野球の神様は本当にいるのかもしれない。



「航大くん……」

 京子は声を掛ける。身も心もボロボロの彼に。

「行ってくる」

 航大は振り返らず、ヘルメットを被り、ベンチから出て再び土を踏む。

 何度も打席に向かう度に繰り返し見えたこの光景。 

 だが、航大にとってはこの一回が特別に見えた。

 なぜならーー。

 この最高の場面で代々木という最強の相手と戦えるのだから。


 航大対代々木。この試合の目玉とも言える勝負は攻守を入れ替えつつ凄まじい意地の張り合いを繰り広げた。

 高校球児とは一線を画すぶつかり合いにようやくケリがつく。

 どちらも既に限界を越えている。

 勝負球など分かっている。そう、真っ直ぐを狙いすまし、振り抜くだけだ。航大は代々木を見る。

 限界に見えるが、目にはまだ闘志が宿っていた。

「さ、終わりしよう」

「それはこっちも一緒だ。何回もお前と闘うのは疲れる」

「「行くぞ!!」」

 航大自身も朦朧(もうろう)とする意識の中、最後の勝負が幕を開けた。



 初球、ニ球目ともに剛速球を投げ込まれ、ニストライク。追い込まれた航大。

 代々木はここに来てより一層凄まじい球を投げてきている。

 それに対し、航大は反応するので精一杯。

 最後、決めに来る球は間違いなく最高かつ最強の速球だろう。


(これで.……終わりだ!)

 最後もなんの迷いもなく、真っ直ぐで決めに来た。


 腕が重いーーそれでも前に。

 足が重いーーそれでも踏み出す。

 意識がーー最後の力を振り絞る。


 航大はバットを出した。

 打球の行方など見ない。ひたすら走る。だが打球は一塁に転送されなかった。


 重い足が白いベースを捉える。

「サヨナラだ!!」

 航大が一塁を踏んだ後すぐ声が聞こえ、遅れて観客の歓声が彼の耳に入ってくる。


 ああ、試合は終わったのか。勝ったのか。


 打球は外野へと転がっていたらしい。中村はベースを踏んで、激闘にケリをつけた。

 航大が安心したのもつかの間、彼の体から力が抜けていく。

 土の匂い。

 決着がついたことに安堵した航大は、自分がグラウンドで倒れたことに気がつく。

 ……力が入らないことも。



 叫ぶような声が航大の耳に入る。

「ーーくん! 航大くん!!」

(京子……か。悪いな、少しだけ寝かせてくれや……)

 全てを出し切った満足感の中、航大の意識は闇の中に溶けていった……。

予告

航大は目覚める。

彼を欠いたまま始まる決勝戦。

立ちはだかった相手に、龍山学院ナインは戦慄する。

ただ、航大はその様子を画面の前で見届けるしかなかった……。

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