五十八、それぞれのスタート
時雨さんと東雲さんは受験を終え、無事合格した。
東雲さんは、志望校であるT大医学部、時雨さんは都内国立大学の教育学部に入学した。
翔さんは、カナダの大学へ留学し、日本から離れた。
亮介くんも、レベルはそれほど高くないが、県内の公立高校へ入学した。
東雲さんは、都内にアパートを借り、一人暮らしを始めた。
東雲さんの場合、お爺さんの遺産があるのでバイトする必要もなかったが、アパートの近くのコンビニでバイトすることになった。
そして・・お兄さんは葵さんと結婚し、家には時雨さん一人で住んでいる。
時雨さんも、ほんとなら都内にアパートを借りることもできたが、私がアメリカへ行くまで、私の傍にいてくれることになった。
設楽さんのことだが・・
亮介くんが合格した後、三人で遊園地へ行ったことを最後に、二人は時雨さんちに訪れなくなっていた。
なぜ、亮介くんが三人で遊園地へ行きたかったかというと・・
二年前、お兄さんが通り魔に殺された日、実は、家族で遊園地へ行く途中だったのだ。
そのことが、亮介くんには心残りで・・どうしても三人で行きたかったのだそうだ。
亮介くんは高校に合格したことと、心残りであった遊園地に行けたことで、ある程度、心の整理がついたようだ。
それは設楽さんも同じだった。
今でも時雨さんのお兄さんを好きなのかどうか、私にはわからないが、心の整理をつけるためなのか、コンビニのバイトも辞めた。
やはり・・偶然でも会ってしまうと、辛いのかも知れない。
季節は春を迎え、私は高校三年生になっていた。
来年の今頃は・・私はアメリカにいるんだなぁ・・
赴任期間は三年って言ってたけど・・延びるかも知れないし・・
そうなったら・・二年以上もたけさんに会えないんだなぁ・・
私は、時雨さんのことを「健人」と、一時はそう呼んでいたが、どうも呼び捨てというのに違和感があった。
なので、今では「たけさん」と呼んでいる。
「おーい、小春~」
たけさんが、玄関の外で私を呼んだ。
「はーい」
私は急いでドアを開けに行った。
「たけさん、こんばんは」
「お前、もう風呂入ったのか」
「いえ・・まだですけど」
「んじゃ、たまにはお前も銭湯へ行かねぇか?」
「おお~いいですね。じゃ、すぐに用意します~」
私は袋に入浴グッズと着替えを入れ、それを持って外に出た。
「お待たせしました~」
「おう。んじゃ、行くか」
そして私は、たけさんの横に並んで歩いた。
「たけさん、一人暮らしはどうですか」
「え・・なんだよ、それ」
「お兄さんがや東雲さんが出て行って、淋しくないですか」
「別に、淋しくなんてねぇよ」
「そうですか~、よかったです」
「まあ・・家事を全部自分でやんねぇといけねぇから、めんどくせぇけどな」
「そうですよね」
「でもま、俺、ガキの頃からずっと家事やってきたから、今更って感じだけどよ」
「東雲さんも都内で暮らしてますし、翔さんはカナダで・・。なんか・・淋しいですね・・」
「なに言ってんだよ。いつまでもガキじゃねぇんだし、自分の人生を歩く上で、当然のことだろ」
「そうなんですけど・・」
「お前だって、来年にはアメリカへ行くしな」
「はい・・」
「っんな・・暗い顔すんなって」
「あと一年だけなんですね・・。こうして二人でいられるのって・・」
「あはは。ちげーよ」
「え・・」
「また戻って来るんだから、一年じゃねぇよ」
「たけさん・・」
「戻って来たら、ずっと一緒じゃねぇか」
え・・ずっと・・?
今のは・・どういう意味・・?
「あの・・たけさん・・」
「なんだよ」
「今のって・・」
「は?」
「いえ・・いいです・・」
「んじゃ~後でな」
銭湯に着き、たけさんはそう言って男湯に入って行った。
今のって・・プロボーズ・・的な・・?
まっ・・まさかね・・
だって・・たけさん・・大学入ったばっかりだし・・
わ・・私だって・・まだ高校生だし・・
そっ・・そんな・・何年か先のことなんて・・
わからないわよね・・
でも・・たけさんのお嫁さんかぁ・・きゃ~~~!
え・・私・・時雨小春になるの・・?
「時雨さん~」って呼ばれると「はいっ」って返事するのね・・
ってことは・・葵さんと義理の姉妹になるんだわ。
葵さん・・もう、時雨葵だもんなぁ・・
いいなぁ・・
あっっ!お風呂行かなきゃ・・
私は急いで女湯に入った。
それから数日後、設楽さんから電話がかかってきた。
「お久しぶりですね~設楽さん。お元気でしたか?」
「こちらこそ、久しぶりね。うん。元気よ」
「亮介くん、学校はどうですか?」
「ちゃんと行ってるわよ」
そう言って設楽さんは笑った。
「そうですか~、よかったです」
「あのね、健人くんって、もうバイトしてるの?」
「え・・ああ・・これから探すみたいですけど」
「もう目星はついてるの?」
「さあ~・・どうなんでしょうか・・。えっと、それがなにか?」
「あのね、モデルのバイトがあるんだけど、よかったら健人くん、やってくれないかなと思って」
「えええええ~~~!、もっ・・モデル~~~!」
「私、事務所の人から頼まれちゃっててね」
「そ・・そうなんですかぁ~~!」
「私が直接、話してもいいんだけど、薄柿さんから話してくれた方がいいかな・・って思ってね」
「おおお~~モデルかぁ~~・・」
たけさん・・絶対、様になるよね・・
もう~~バッチリだよね~~
「えっと、それって雑誌ですよね」
「うん、そうよ」
「そうですか~。わかりました、話してみます」
「そう?ありがとう。それでギャラなんだけど、一回の撮影で八千円出すって言ってるわ」
「へぇー八千円」
「健人くんの人気が上がれば、それに伴ってアップされるわよ」
「へぇ~、そうなんですね」
「じゃ、お願いね。連絡待ってるね」
「わかりました~~」
わあ~~モデルやってほしいわ~~
見たい~~見たいぃぃ~~
そしてこの日の夜、私はたけさんちへ行った。
「たけさん、もうバイト決めたんですか?」
「うん、コンビニにしようと思ってんだよ」
「え・・コンビニって、私と同じところですか」
「うん」
「そうですか~」
「俺、以前、あそこでバイトしてたし、ちょうど人も足りねぇしな」
「あのね・・設楽さんから電話があって・・」
「へぇー」
「たけさんにモデルのバイトやってほしいって」
「は・・はああ?モデル?俺がか」
「はい。なんか探してるらしいんですよ。んで、事務所の人に頼まれたって」
「いやいや、俺、無理だから」
「どうしてですか~」
「俺の柄じゃねぇよ」
「なんか、一回の撮影で八千円もらえるらしいですよ」
「いやいや、無理だって」
「で、人気が出ればアップされるらしいですよ」
「だから・・無理だって」
「ええ~~・・やってくださいよ~」
「嫌だ」
「そんなこと言わずに~」
「無理」
「あのね・・たけさんが受けると、設楽さんに紹介料が入るらしいですよ・・」
私は全くの、口から出まかせを言った。
「え・・」
「そしたら、少しでも設楽さんや亮介くんの生活費の足しになるでしょ・・?」
「そっか・・」
「だから、やってくださいよ」
「ったく・・しょうがねぇな・・」
「んじゃ、私、設楽さんに連絡してもいいですね?」
「ああ・・」
きゃ~~!やったわ!
撮影とか・・見学できるのかな~・・
わあ~~・・楽しみだわ~~
それから数日後、私とたけさんは、都内の撮影スタジオの前にいた。
「なんだかねぇ・・」
「たけさん、まだそんなこと言って・・」
「はぁ・・華子や亮介のために受けたものの・・モデルってなぁ・・」
「大丈夫ですよ~」
「お前な・・人のことだと思って・・」
「あはは」
「こんにちは~」
そこに設楽さんと、中年の男性が歩いてきた。
「設楽さん~お久しぶりです~」
「よう~華子」
「どうも、お久しぶり。健人くん、今回は引き受けてくけてありがとう」
「まあ・・お前と亮介のためだ」
「え・・」
うわっ・・しまった・・嘘がばれる・・
「ああ~~・・えっと・・そちらの方は?」
私は設楽さんの横にいる男性のことを訊いた。
「あ、こちらね、事務所の人で石田さん。私のマネージャーもやってくれてるの」
「初めまして、石田です。仕事を引き受けてくれて、ありがとう。時雨くん」
「あ・・いえ」
「それにしても・・設楽が推すはずだね。もう抜群だよ」
「そうでしょ?私が言ったこと、本当だったでしょ」
「うん。時雨くん、今日はよろしくお願いしますね」
「は・・はぁ・・こちらこそ、よろしくお願いします」
たけさんの返事は、まだ消極的だった。
「じゃ、中へ入ろうか」
そう言って石田さんは、私たちを案内した。
中へ入ると、カメラマンと思しき男性と、アシスタントと思しき女性が二人いた。
「桐生くん、今日はよろしく頼みますね」
「あ、どうも、石田さん。ほっほぅ~この子が設楽さん一押しのモデルさんなんですね」
「紹介するよ。時雨くんだよ。えっと・・名前は?」
「あ・・健人です・・」
「健人くんね。えっと、大学生だよね?」
「はぁ・・」
「亜矢ちゃん!」
石田さんがそう言うと、奥から中年の女性が出てきた。
「亜矢ちゃん、この子、頼むね」
「は~い、合点承知の介~~!」
うわあ~~・・この亜矢さんって人・・美琴の関東バージョンって感じ。
たけさんも、すごく引いていた。
「時雨くん、亜矢ちゃんに着せてもらって」
「さぁ~青年、こっちいらっしゃぁ~い」
そう言って亜矢さんは、たけさんを奥へ連れて行った。
「ね、薄柿さん」
設楽さんが私の傍で、小声でそう言った。
「はい?」
「さっきの・・どういうこと?」
「え・・さっきのって?」
「私と亮介のためにって」
「ああ・・あれですか・・」
そして私は、口から出まかせを言ったことを説明した。
「あはは。そうだったのね」
「たけさん、ずっと無理無理って言うんですもん・・」
「薄柿さん、なかなかの策士ね」
「え・・」
「でも、おかげで引き受けてくれて、嬉しいわ」
「はい~。私もたけさんのモデル姿、見たいですし~」
「きっと、見違えるわよ」
「え・・」
ほどなくして、たけさんが奥から出てきた。
げっ・・
誰っっ?
たけさんよね・・
ヤダ・・別人みたい・・
たけさんは、亜矢さんに「変身」されられ、ほんとのモデルみたいだった。
グレーのインナーTシャツ・・黒のスキニー・・黒で軽めのジャケット・・真っ白なスニーカー・・
ダメだ・・失神しそう・・
かっこよすぎる・・
「ね、言った通りでしょ」
「は・・はい・・」
「健人くん、かっこいいもんね」
「は・・はい・・」
「じゃ、時雨くん。カメラの前に立って」
石田さんが、たけさんに促した。
「は・・はぁ・・」
たけさんは、戸惑いながらカメラの前に立った。
「時雨くん、ちょっと斜め向いて」
桐生さんがファインダーを覗きながら、そう言った。
「えっとね・・左手の親指だけズボンのポケットに入れようか。右手はジャケットの襟を掴んで」
たけさんは、戸惑いながらも言う通りにしていた。
「うん、いいね。んじゃ、次は逆を向いて」
こうして撮影は順調に進んでいった。
たけさんは、何度も別の服に着替えされられ、やがて撮影が終わった。
「時雨くん、お疲れさま」
石田さんがそう言った。
「時雨くん、いいですね。これは人気出ますよ~」
桐生さんが石田さんにそう言った。
「えっと、これ、今日の足代ね」
石田さんがたけさんに、封筒を渡した。
「え・・」
「それと少しだけど、顎代も入ってるから」
「足・・顎・・なんすか・・」
「交通費と食事代だよ。それと・・ギャラは振り込みになるから、口座番号教えてね。設楽、訊いといてね」
「はい、わかりました」
「青年~~!きみ、いいモデルになるよ」
亜矢さんが、たけさんの肩を叩いてそう言った。
「は・・はぁ・・」
「きみ、読モのレベル、越えてるよ」
「毒グモ・・?」
「あっはっは!読モだよ。読者モデル」
「へぇー」
「んじゃ、今後も期待してるからね!」
そして亜矢さんは「いやぁ~着せ甲斐があるってのは、こういうことだ~」と言いながら、奥へ行った。
でも、たけさんは、疲れ切っていた。




