第8話 役に立たない悪魔
「……はぁ」
ケイはベッドに仰向けになり、大きく息を吐いた。
疲れた。
本当に、疲れた。
いつもの一日なら、この程度の時間に眠くなることはあっても、ここまで身体が重くなることはない。
ケイは毎日のように走り込みをして、木剣を振り、勇者になるための訓練を続けている。
体力には、それなりに自信があった。
なのに今は、指一本動かすのすら面倒に感じる。
「……なんでこんな疲れてんだ、俺」
『当然かと存じます』
「当然?」
ケイは反射的に聞き返してから、すぐに声を落とした。
ついさっき父親から「夜は静かにしろ」と言われ、三発も拳骨を食らったばかりだ。
さすがに四発目は御免だった。
「……なんでだよ」
『今夜、魔王様は二度も《夢想因果》の発動条件を成立させてはりますから』
「二回?」
『お父上への《事象因果》。それから、先ほどのパンに対する《物質因果》です』
「ああ……」
『《夢想因果》は極めて強力な固有暗黒術です。当然ながら、使用する魔王様にも相応の負担がかかります』
「負担って?」
『主に体力と精神力ですな』
「……先に言えよ」
『申し訳ございません』
「俺、さっきからそればっかり聞いてる気がするんだけど」
『そうでっしゃろか』
「その返しも聞き飽きた」
ケイは寝返りを打った。
「でも、パン一個だろ?」
『はい』
「それでも疲れるの?」
『小さいとはいえ、《物質因果》で物品を出現させるにも負担はかかります』
「パン一個なのに?」
『パン一個でも、因果へ干渉して結果を成立させることに変わりはありませんので』
「…………」
ケイは黙った。
「じゃあ俺」
『はい』
「腹減ったからパン出せって言ったのに」
『はい』
「パン出すために、さらに腹減ってるってこと?」
『概ね、その認識で問題ございません』
「意味ねえじゃん!」
思わず声が大きくなり、ケイは慌てて口元を押さえた。
しばらく扉を見る。
父親が来る気配はない。
「……意味ねえじゃん」
今度は小声で繰り返した。
『食料を得るためだけに《物質因果》を何度も使うんは、あまりおすすめできませんな』
「だったら先に言えよ!」
『失念しておりました』
「忘れてたの!?」
『うちと一体化してくださる方が現れるんも、相当に久方ぶりでしたので』
「お前、本当に何なんだよ……」
『悪魔《黒天冠》でございます』
「それは知ってるよ!」
ケイは枕に顔を押しつけた。
「お前らが来てから、本当にろくなことないんだけど」
『お前ら、とは?』
「お前とグレモアだよ! いきなり部屋に来るし、魔王だとか言われるし、お前と一体化するし、親父には三発も殴られるし……」
『最後の件につきましては、うちらに直接の責任はないかと』
「お前と喋ってたから怒られたんだろ!」
『なるほど』
「納得すんな!」
また声が出そうになり、ケイは歯を食いしばる。
小声で話し続けるのも面倒だった。
「……とにかく、今のところ俺、お前がついて得したこと一個もないからな」
『そのようなことはございません』
「あるなら言ってみろよ」
『今後、魔王様には様々な恩恵がございます』
「……マジで?」
少しだけ期待した。
『まず、容姿に補正がかかります』
「容姿?」
『はい。うちと融合したことにより、魔族から見た魔王様の容姿は、以前より好ましく認識されるようになります』
「…………」
ケイはゆっくり身体を起こした。
「それって」
『はい』
「女の子にモテる?」
『可能性は大幅に上昇します』
「マジで!?」
思わず顔が明るくなる。
そして頭に、一人の少女が浮かんだ。
「じゃあ、もしかしてマリアンヌにも――」
『それはございません』
「なんでだよ!」
『先ほど申し上げました通り、効果の対象は主として魔族です』
「…………」
『人間の女性から見た容姿に、大きな変化はございません』
「じゃあ意味ねえじゃん!」
『魔族の女性には有効です』
「この村に魔族の女の子なんかいねえよ!」
『将来的には出会われる可能性もございます』
「今はいらねえ!」
期待した分だけ腹が立った。
「他は?」
『ございます』
「今度こそまともなの言えよ」
『うちと融合したことにより、魔王様が受けた身体的損傷の一部を、うちが肩代わりいたします』
「おっ」
今度こそ使えそうだ。
「どれくらい?」
『およそ二パーセントです』
「…………」
『状況により多少前後します』
「二パーセント?」
『はい』
「さっき親父に三発殴られたけど?」
『その際も、損傷のおよそ二パーセントをうちが負担しております』
「全然分かんなかったんだけど」
『本来より、わずかに痛みが軽減されております』
「誤差じゃん!」
『ゼロではございません』
「ほぼゼロだよ!」
『二パーセントです』
「数字を言い直すな!」
ケイは頭を抱えた。
「本当に使えねえ……」
『その評価には異議がございます』
「じゃあ次」
『うちと一体化されたことにより、魔王様は固有暗黒術《夢想因果》を正常に行使できます』
「それだって、まだ本物か分かんないじゃん」
『正常に因果改変を開始しております』
「パンが出るまで確認できないだろ」
『六時間後にはご納得いただけるかと』
「それに、使うたびにこんな疲れるんだろ?」
『程度は命令内容によって異なります』
「だったら、あんまり使いたくない」
『賢明かと存じます』
「お前がそれ言うの?」
『無用な暗黒術の乱用は推奨いたしません』
「悪魔なのに?」
『悪魔にも規律は必要です』
「便利だな、その言葉」
何でもそれで済ませる気ではないだろうか。
「他には?」
『言語補助がございます』
「言語?」
『うちと融合している間、通常であれば意思疎通が困難な種族とも会話が可能になります』
「えっ」
これはかなりすごいのではないか。
「もしかしてお前、万能翻訳みたいなことできるの?」
『魔族に限ります』
「魔族だけ!?」
『はい。主要な魔族言語であれば、問題なく意思疎通が可能です』
「だからこの辺に魔族いないって!」
『将来的に役立つ可能性はございます』
「将来ばっかりじゃん!」
ケイは再びベッドへ倒れ込んだ。
「もっと今すぐ役に立つものないの?」
『うち自身がございます』
「お前?」
『はい。助言、情報提供、状況判断。魔王様が人生をより豊かに過ごせるよう、様々な面から補佐いたします』
「……本当に?」
『はい』
「例えば?」
『まず交友関係の改善が必要かと』
「…………」
嫌な予感がした。
『確認した限り、魔王様には親しい御友人があまり多くないようです』
「余計なお世話だ」
『恋人もいらっしゃいません』
「十三だぞ俺!」
『そして先ほどの様子から判断するに、御両親からも多少虐げられて――』
「虐げられてない!」
『三度殴打されておりましたが』
「親父が短気なだけだ!」
『なるほど』
「勝手に俺を不幸な子供にするな!」
『うちがお力になれるかと』
「まずお前が余計なこと言わないのが一番俺のためだよ!」
『ご意見として記録いたします』
「記録しなくていい!」
ケイは枕を抱え込み、そのまま顔を埋めた。
本当に疲れた。
体力も。
頭も。
精神も。
何もかも。
「……もう寝る」
『休息を推奨いたします』
「明日になったら全部夢だったりしないかな……」
『その可能性はございません』
「そこは嘘でもあるって言えよ……」
目を閉じる。
頭には悪魔がくっついている。
十二時間後には、父親が死ぬらしい。
六時間後には、パンが一個出てくるらしい。
しかもこれから先、この《黒天冠》とずっと一緒に生活しなければならないらしい。
「…………」
考えれば考えるほど、気が重くなってきた。
こんな状態で眠れるのだろうか。
父親のこともある。
パンのこともある。
頭には喋る悪魔までいる。
目を閉じたところで、色々考えて眠れなくなるような気がした。
「なあ」
『はい』
「お前、寝てる間くらい静かにしてろよ」
『承知しました』
「絶対だからな」
『はい』
「……おやすみ」
『おやすみなさいませ、魔王様』
「…………」
やっぱり。
こいつとこれからずっと一緒だと思うと。
少しだけ、憂鬱だった。
こんな状態では、しばらく眠れそうにない。
そう思っていた。
けれど。
「…………」
文句を言う気力すら、もう残っていなかった。
《夢想因果》を二度も動かした疲労は、ケイが思っていた以上に大きかったらしい。
まぶたが重くなる。
考えていたことが、少しずつまとまらなくなっていく。
父親。
パン。
魔王。
勇者。
《黒天冠》。
それらが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い――。
やがて、何も考えられなくなった。
眠れないと思っていたのが嘘のように。
ケイはそのまま、深い眠りへ落ちていった。




