第7話 金貨百枚とパン一個
本当に父親が死ぬというのなら、助けなければならない。
けれど、そんな馬鹿げた話が本当に起こるのかも分からない。
そのうえ、さっき三発も殴ってきた父親に、さらにもう一発殴られてまで、今すぐ家を飛び出そうという気には――まだ、なれなかった。
何より。
そもそも《夢想因果》なんてもの自体、ケイはまだ信じていない。
「……いや、その前に」
『はい?』
「これ、本当かどうか分かんないだろ」
『本当ですよ』
「お前が言ってるだけじゃん」
『命令達成予測――100%です』
「それが信用できないんだよ!」
自分が一言口にしただけで、本当に父親が死ぬ。
いくら《黒天冠》がそう言ったところで、そんなことを簡単に信じられるはずがない。
「先に、本当に《夢想因果》が使えるのか確かめる」
『なるほど』
「確認してからだ」
『承知しました』
「何か試せないの?」
『できますよ』
「例えばさ、父さんを明日の朝、玄関で転ばせるとか」
『それですと《事象因果》になりますな』
「それが?」
『現在、《事象因果》はお父上の死亡命令を受理して、発動準備中です』
「発動準備?」
『はい。十二時間後の結果実現へ向けて、現在進行中ということです』
「じゃあ、今もう一個《事象因果》を使ったら?」
『命令自体は受理できますが、待機状態になります』
「待機?」
『同じ因果系統は、一度に一件しか発動準備へ入れませんので』
「じゃあ父さんのやつが終わったあと?」
『はい。先の《事象因果》が終了した時点で、次の命令が発動準備へ移ります』
「それじゃ確認するの遅すぎるだろ!」
『そうですな』
「他にないの?」
『ありますよ』
「あるのかよ!」
『《夢想因果》には、いくつか違う因果系統があります』
「先に言えよ!」
『必要ありませんでしたので』
「今必要になっただろ!」
『ほな、今必要な分だけ説明します』
《黒天冠》の声は相変わらず落ち着いている。
『出来事そのものへ干渉する《事象因果》とは別に、物へ直接作用する《物質因果》があります』
「物質?」
『物を動かしたり、変化させたり、物品を出現させたり。その辺りですな』
「それなら父さんのやつと同時に使える?」
『別系統ですさかい、可能です』
「同じ系統じゃなければいいの?」
『はい。それぞれ別に発動準備へ入れます』
「じゃあ《事象因果》と《物質因果》は同時に動く?」
『動きますよ』
「なるほど……」
少しだけ仕組みが分かってきた。
「それで、《物質因果》はどれくらいで結果が出る?」
『時刻をご指定されなかった場合、受理されて発動準備に入ってから六時間後に結果が実現します』
「こっちもきっちり?」
『きっちりです』
「六時間……」
父親への命令が実現するのは十二時間後。
今から《物質因果》を試せば、六時間後には《夢想因果》が本物なのかどうか分かる。
「それなら確かめられるな」
『はい』
「他にも種類あるの?」
『ありますよ』
「じゃあ全部教えて」
『それはあきません』
「なんでだよ」
『悪用されたら困りますので』
「お前、悪魔だろ!?」
『はい』
「悪魔が悪用を心配すんなよ!」
『悪魔にも規律は必要です』
「どんな規律だよ、それ……」
『必要になった時に、必要な分だけ教えます』
「俺の力なのに……」
納得はいかない。
だが今は、《夢想因果》とやらが本物なのか確かめる方が先だった。
「物質なら……何でも出せるんだよな?」
『力の及ぶ範囲でしたら』
「じゃあ――」
ケイは少し考えた。
せっかく試すのだ。
どうせなら、欲しいものを出してみればいい。
そして十三歳の少年が、突然何でも出せると言われて思いつくものなど単純だった。
「金貨百枚、出てこい!」
「…………」
『…………』
「…………」
何も起きなかった。
先ほど身体の奥まで響いた、あの鐘のような音もない。
頭の中へ無機質な言葉が流れ込んでくることもない。
「……あれ?」
『発動してませんな』
「なんでだよ!」
『条件を満たしてませんので』
「条件?」
『言葉にしただけでは、《夢想因果》は発動せんのです』
「は?」
ケイは眉をひそめた。
「でも俺、ちゃんと金貨百枚出てこいって言ったぞ?」
『言いましたな』
「だったら何で?」
『魔王様のお言葉と、お心が一致しておりません』
「心?」
『はい』
「俺、金貨百枚欲しいぞ?」
『ほんまに?』
「欲しいよ!」
『では、心の底から「今ここに金貨百枚が現れる」と思ってはりますか?』
「…………」
ケイは黙った。
『「そんな都合よく金貨百枚なんか出てくるわけない」と、心のどこかで疑ってませんか?』
「…………」
図星だった。
金貨百枚が欲しいかと聞かれれば、もちろん欲しい。
そんな大金が手に入るなら大歓迎だ。
けれど。
何もないところから突然金貨百枚が現れる。
そんなことが、本当に起こるとは思っていなかった。
「……ちょっとは」
『やっぱり疑ってはりますな』
「だって普通、出てくるわけないだろ!」
『心のどこかに疑いが残っとると、《夢想因果》は発動しません』
「面倒くさいな!」
『魔王様ご自身のお心を使う術ですからなあ』
「じゃあ、どうやって確かめるんだよ」
『最初は、できるだけ簡単なものがええでしょう』
「簡単なもの?」
『魔王様ご自身が、「これくらいなら本当に起こるかもしれん」と思える程度のものです』
「それなら発動する?」
『少なくとも、金貨百枚よりは可能性が高いですな』
「…………」
『あまり突拍子もないものにすると、魔王様ご自身が疑ってしまいますさかい』
「自分で自分の邪魔してるみたいじゃん」
『そうとも言えますな』
「嫌な力だな……」
『慣れれば便利ですよ』
「慣れたくないけど」
何か簡単なもの。
自分でも本当に出てきそうだと思えるもの。
ケイが考え始めた、その時だった。
ぐぅぅ。
「…………」
腹が鳴った。
『腹減ってますな』
「分かってるよ」
夕食からかなり時間が経っている。
普通に腹が減っていた。
『ちょうどええものがありますな』
「何?」
『食べ物です』
「食べ物?」
『金貨百枚よりは、ずっと簡単でしょう』
「……まあ、それなら」
今欲しいもの。
何か特別な料理でなくていい。
腹に入れば、それでいい。
「パンとか?」
『よろしいんやないですか』
「パンならいける?」
『魔王様が疑わなければ』
「…………」
ケイは机を見る。
パンくらいなら。
金貨百枚よりは、まだ現実味がある。
何より、今は本当に腹が減っている。
今すぐ何か食べたい。
「……よし」
ケイは机へ向かって言った。
「パン、出てこい」
――ゴォォン……。
「うわっ!?」
再び、身体の内側を巨大な鐘で打ち鳴らされたような衝撃が駆け抜けた。
「今度は鳴った!」
『発動しましたな』
「本当に!?」
直後。
先ほどと同じ無機質な言葉が、頭の中へ流れ込んでくる。
『強い意思を確認しました』
『発言内容との完全一致を確認』
『固有暗黒術《夢想因果》――発動条件成立』
『偉大なる夢想の魔王様による御命令として、悪魔《黒天冠》が謹んで受理いたします』
『因果系統――物質因果』
『対象――ケイラス様の目前』
『御命令――パンの出現』
『警告――数量が指定されていません』
「え?」
『数量指定なし――一個として処理します』
「ちょっと待て」
『確定予定結果――指定地点へのパン一個の出現』
『結果実現まで――六時間』
『命令達成予測――100%』
『これより因果改変を開始いたします』
「いや、待てって!」
ケイは机を見る。
何もない。
「……パンは?」
『六時間後ですな』
「いや」
もう一度、何もない机を見る。
「俺、腹減ってるからパン頼んだんだけど」
『はい』
「今食いたいんだけど」
『そうでしょうな』
「六時間後じゃ意味ねえじゃん!」
『時刻をご指定されませんでしたので』
「それ先に言えよ!」
『聞かれませんでしたので』
「またそれかよ!」
ケイは頭を抱えたが、すぐにもう一つ気づいた。
「っていうか、一個って何だよ! もっと出せたの?」
『数量をご指定されてましたら』
「それも先に言えよ!」
『警告はしましたよ』
「発動したあとにな!」
『はい』
「遅いんだよ!」
また声が大きくなり、ケイは慌てて口を塞いだ。
「…………もういい」
どっと疲れが押し寄せてきた。
夜中に突然悪魔が現れた。
魔王だと言われた。
喋る《黒天冠》が頭にくっついた。
父親には三発殴られた。
腹を立てて「死んじまえばいい」と言ったら、本当に父親を殺すという暗黒術が動き始めた。
しかも《黒天冠》には、記念すべき最初の犠牲者だと祝われた。
解除できると聞いて少し安心したら、条件は中央広場で立ったまま用を足し、そのまま一周することだった。
試しに金貨百枚を出そうとしたら、自分自身が信じていなかったせいで発動すらしなかった。
そして腹が減ったからパンを頼んだら、今度は発動した。
ただし。
出てくるのは六時間後。
しかも個数を言わなかったせいで、一個だけ。
「……今日はもう疲れた」
『休んだ方がええでしょうな』
「お前のせいでもあるからな」
『そうでっしゃろか』
「そうでっしゃろか、じゃねえよ……」
ケイはベッドへ倒れ込んだ。
父親への命令が本物なのか。
パンは本当に出てくるのか。
まだ分からない。
ただ、金貨百枚の時には何も起きなかった。
それなのに、パンを口にした時には、確かにあの鐘が鳴った。
少なくとも、何かが違う。
「……六時間後だからな」
『はい』
「パン出なかったら、絶対文句言うからな」
『命令達成予測――100%です』
「それも聞き飽きた……」
ケイは毛布を引き寄せた。
魔王になった最初の夜は、あまりにも色々ありすぎた。
とりあえず今は。
少しだけ休みたかった。




