第5話 夢想因果
「誰に言ってんだ、お前は!!」
「…………」
最悪だった。
父親には《黒天冠》の声が聞こえていない。
もちろん、見た目を消している《黒天冠》そのものも見えていない。
つまり父親からすれば、夜中に息子が一人きりの部屋で、誰もいないところへ向かって大声で喋っていたことになる。
「ケイ、お前さっきから何やってんだ!」
「いや、それは……」
ケイは言葉に詰まった。
悪魔が突然部屋に現れて、自分を魔王だと言い出した。
魔王の証だという《黒天冠》が勝手に頭へはまり、そいつが頭の中で話しかけてきている。
そんなことを説明したところで、信じてもらえるとは思えない。
「……独り言」
「あ?」
「独り言だよ」
「お前、夜中にあんな大声で独り言言ってたのか?」
「そうだよ」
「それを騒いでるって言うんだよ! 母さんだって寝てるんだぞ!」
「分かってるって!」
「分かってる奴は騒がねえ!」
「父さんだって今めちゃくちゃうるさいじゃん!」
「俺はお前がうるせえから来たんだ!」
「ほら、すぐ怒る!」
ごつん!
「痛っ!?」
いきなり拳骨が頭へ落ちた。
「何すんだよ!」
「夜中に騒いで人を起こした分だ!」
「だからって、いきなり殴ることないだろ!」
「だったら騒ぐな!」
「いつも俺には、すぐ頭に血を上らせるなとか、何かする前に頭を使えとか言ってるくせに、父さんだって全然できてないじゃん!」
父親の眉がぴくりと動いた。
「……お前な」
「何だよ」
「口答えするな」
「だって本当だろ! 俺が短気なのだって、絶対父さんに似たん――」
ごつん!
「痛ってえ!」
二発目だった。
「また殴った!」
「口答えばっかりするからだ!」
「ほら! やっぱりすぐ殴るじゃん!」
「まだ言うか!」
「…………」
三発目は嫌だったので、ケイは口を閉じた。
父親は大きく息を吐く。
「ったく……もう寝ろ」
「分かったよ」
「夜中だぞ。母さんも寝てるんだから、今度こそ静かにしろ」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
ようやく終わった。
そう思ったのだが、扉へ向かった父親が途中で足を止めた。
「……おい」
「今度は何だよ」
「何か忘れてねえか?」
「何が?」
「人を起こしただろ」
「…………」
「謝れ」
ケイは露骨に嫌そうな顔をした。
「別に、そこまで――」
「ケイ」
「父さんだって殴ったじゃん」
「それとこれは別だ」
「別じゃないだろ」
「お前が騒がなきゃ俺は起きてねえんだよ。悪いことしたなら謝れ」
「…………」
「謝れ」
父親も引く気はないらしい。
「……分かってるよ」
「なら?」
「…………あとで」
ごつん!!
「痛ってえええ!」
三発目が落ちた。
「なんでまた殴るんだよ!」
「悪いことしたら、すぐ謝れ!」
「だからって殴るなよ!」
「夜中に騒いで、人が寝てるところを起こしたんだぞ! 悪かったなら言い訳する前に謝る! 分かったか!」
「……分かったよ」
「なら?」
「……ごめん」
「聞こえねえ」
「ごめん!」
「よし」
「何なんだよ……」
三度も殴られた頭を押さえながら、ケイは父親を睨む。
父親はようやく満足したらしい。
「夜は静かにするもんだ。覚えとけ」
「分かったって」
「本当にな」
「はい」
「よし。寝ろ」
今度こそ父親は部屋を出ていった。
バタン、と扉が閉まる。
「…………っ!」
ケイは閉ざされた扉を睨みつけた。
頭がじんじんする。
三発。
三発も殴られた。
こっちは突然悪魔が現れて、魔王だと言われて、変な王冠まで頭にくっついたばかりだというのに。
もちろん父親はそんな事情を知らない。
だが、今のケイにはそこまで冷静に考える余裕などなかった。
「なんなんだよ、あのクソ親父……!」
『えらい怒ってはりますなあ』
「今は黙ってろ!」
『はい』
「くそっ……!」
自分には、すぐ怒るな、頭を使えと言うくせに。
父親だってすぐ怒鳴るし、すぐ拳骨を落とす。
殴られた頭を押さえながら、ケイは感情のまま吐き捨てた。
「あんな親父……もう死んじまえばいい!」
――ゴォォン……。
「っ!?」
その瞬間だった。
巨大な鐘を身体の内側で打ち鳴らされたような衝撃が、胸の奥から頭の先まで一気に駆け抜けた。
「な、なんだ今の!?」
思わず声を上げ、ケイは慌てて口を押さえる。
父親が戻ってきたら、今度こそ四発目を食らう。
その直後。
いつもの《黒天冠》の声とは明らかに違う、無機質な言葉が頭の中へ流れ込んできた。
『強い意思を確認しました』
「……何?」
『発言内容との完全一致を確認』
「何の話だよ……」
『固有暗黒術《夢想因果》――発動条件成立』
「暗黒術?」
『偉大なる夢想の魔王様による御命令として、悪魔《黒天冠》が謹んで受理いたします』
「待て」
ケイは声を落とした。
「何を受理したんだよ」
『因果系統――事象因果』
「事象……?」
『対象――父親』
「……え?」
『御命令――死亡』
「…………は?」
さっきまでの怒りが、一瞬で吹き飛んだ。
『確定予定結果――対象の死亡』
『現時点における主要因果予測――事故』
『結果実現まで――十二時間』
『命令達成予測――100%』
「…………」
『これより因果改変を開始いたします』
「ちょ、ちょっと待て!」
ケイの顔から、完全に血の気が引いた。
「待てって! どういうことだよ! 父さんが死ぬって何だよ!」
『――因果改変を開始しました』
「だから待てって言ってるだろ!!」
静まり返っていた夜の家に、ケイの叫び声が響いた。
その声は、廊下の向こうまで届いていた。




