第5話 諦めるわけがない
メイの家の前で、ケイは途方に暮れていた。
何度呼んでも返事がない。
せっかく花束を作り、ようやく告白する覚悟を決めたというのに。
『……どうすんだよ、これ』
『困りましたなあ』
『困りましたなあ、じゃないよ!』
『しかし、お留守ではどうしようもございまへん』
『分かってるよ!』
ケイは頭を抱えた。
もしかしたら、少し出かけているだけかもしれない。
買い物か、友達の家か。
そうであってほしかった。
このまま待っていれば、すぐに帰ってくるかもしれない。
そんなことを考えていた、その時だった。
「おい、そこで何してる?」
「え?」
振り返ると、家の裏手から男が歩いてきた。
メイの父親だった。
「あれ、ケイじゃないか」
「……こんにちは」
「どうしたんだ、こんなところで」
「あ、いや……メイにちょっと用事があって」
「メイに?」
「うん」
ケイは慌てて花束を背中に隠した。
こんなものを持ってメイを訪ねてきたと知られたら、何を聞かれるか分からない。
「メイならいないぞ」
「……え?」
「今朝から隣の村の親戚のところへ出かけてるんだ」
「隣の村!?」
思わず大きな声が出た。
メイの父親が驚いたように目を丸くする。
「なんだ、そんなに急ぎの用なのか?」
「う、うん! ちょっと!」
「そうか……」
「それで、親戚って誰の家ですか?」
メイの父親は、親戚の名前と家の場所を教えてくれた。
ケイは忘れないように、何度も頭の中で繰り返した。
「あの……隣の村までって、歩くとどのくらいかかるんでしたっけ?」
「ん? 五時間くらいじゃないか?」
「…………」
ケイの顔から血の気が引いた。
「……ご、五時間?」
「ああ。ここからだと、そのくらいはかかるぞ」
「そんなに……」
ケイは言葉を失った。
隣の村へ行ったことはある。
けれど、そんなに時間がかかっただろうか。
遠かったことは覚えているが、どのくらい歩いたのかまでは、はっきり覚えていなかった。
五時間。
今から歩いて向かっていたら、何時になるのだろう。
『アズラ!』
『はい、ケイ様』
『残り時間! あと何時間!?』
『少々お待ちくださいませ』
ほんの一瞬の沈黙。
『マリアンヌ様への魔王命令が実行されるまで、残り約五時間半でございます』
『…………』
五時間半。
隣の村まで、歩いて五時間。
間に合ったとしても、残り三十分しかない。
しかも、親戚の家まで行ったところで、メイがまだそこにいるとは限らない。
『……嘘だろ』
『残念ながら、事実でございます』
『もっと早く行けばよかった……!』
花束を作るのに時間をかけた。
告白するのが嫌で、何度もアズラに確認した。
畑仕事だって、まだ時間があると思って先に済ませた。
もっと早く動いていれば。
せめて、メイの居場所だけでも先に確かめていれば。
『……くそっ!』
「おい、ケイ?」
「……何?」
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「だ、大丈夫!」
「そうか? メイに用なら、帰ってくるまで待ってたらどうだ?」
「待てない!」
「……は?」
「俺、行かなきゃ!」
「おいおい。今から行くのか?」
「うん!」
「五時間もかかるんだぞ?」
「分かってる!」
ケイは花束を握り直した。
メイの父親は、困惑した顔でケイを見つめていた。
「……いったい何の用なんだ?」
「ごめんなさい! 今は言えない!」
「お、おい!」
「教えてくれてありがとう!」
ケイは頭を下げると、その場から駆け出した。
「おい、ケイ! ちょっと待て!」
背中から声が聞こえた。
けれど、足を止めるわけにはいかなかった。
まずは家に戻らなければならない。
◇ ◇ ◇
ケイは息を切らしながら家へ戻った。
「母さん!」
「あら、ケイ。どうしたの?」
「俺、ちょっと隣の村まで行ってくる!」
「えっ? 隣の村?」
「うん!」
「こんな時間から? どうして急に?」
「どうしても行かなきゃいけない用事があるんだ!」
「用事って、何の用事?」
「ごめん! 帰ってから話す!」
「ちょっと、ケイ! 待ちなさい!」
「行ってきます!」
母親の返事を待たずに、ケイは再び家を飛び出した。
今は説明している時間すら惜しかった。
目指すのは、隣の村。
歩いて五時間もかかる場所だ。
それでも、行かなければならない。
◇ ◇ ◇
『アズラ!』
『はい、ケイ様』
『走れば五時間より早く着くよな!?』
『それはケイ様の走る速さ次第でございましょうな』
『そんなこと分かってるよ!』
『では、何をお尋ねになられたので?』
『うるさい!』
ケイは必死に走っていた。
村の家々が後ろへ流れていく。
畑を抜け、細い道を駆けていく。
片手には花束。
崩さないように気をつけながら、ひたすら足を動かした。
五時間。
歩いたら五時間もかかる距離だ。
走ったところで、どのくらい短縮できるのか分からない。
それでも、歩いている余裕なんてなかった。
『……なあ、アズラ』
『はい』
『絶対に間に合わせるからな』
『それは結構なことでございますが……』
『何だよ』
『少々、難しいかもしれまへんな』
『……は?』
『向こうの村まで五時間。残り時間は五時間半ほどしかございまへん』
『だから走ってるんだろ!』
『ですが、親戚のお宅に到着したところで、メイ様がそこにおられる保証はございまへん』
『…………』
『花束をお渡しして、指定された言葉を最後までお伝えする必要もございます』
『……分かってるよ』
『それに、ケイ様がこの距離を走り続けられるかどうかも分かりまへん』
『…………』
ケイは歯を食いしばった。
確かに、アズラの言う通りだった。
隣の村に着けば終わりではない。
親戚の家まで行かなければならない。
そこにメイがいなければ、さらに探す必要がある。
そして、その前に自分の体力が尽きてしまうかもしれない。
『……だから何だよ』
『ここは、諦めることもお考えになられては?』
『……え?』
『マリアンヌ様のことでございます』
ケイの足が一瞬もつれそうになった。
『……何言ってんだよ』
『時間が足りなくなる可能性が高うございます。無理をなさっても、解除できるとは限りまへん』
『だから!?』
『マリアンヌ様のことは、諦めるという選択もございます』
『…………』
ケイは黙った。
マリアンヌを諦める。
それはつまり、彼女の顔に重大な火傷痕が残るのを、そのまま見過ごすということだ。
自分が引き起こした因果なのに。
まだ、助けられる可能性があるのに。
『……嫌だ』
『ケイ様?』
『絶対に嫌だ!』
『しかし、残り時間が――』
『そんなの分かってるよ!』
ケイは走りながら叫んだ。
『でも、まだ時間は残ってるんだろ!?』
『左様でございますが』
『だったら、まだ諦める理由なんてないだろ!』
『…………』
『俺は助ける! 絶対にマリアンヌを助ける!』
アズラはしばらく黙っていた。
『……随分と無茶を仰いますなあ』
『無茶でも何でもいいよ!』
ケイは花束を握る手に力を込めた。
『もう、あの四人みたいなことにはしたくないんだ……!』
『…………』
頭に浮かんだのは、あの森だった。
倒れていたトーマたち三人。
大怪我を負ったニコ。
四人とも、自分のせいで熊に襲われた。
助ける方法はあった。
それなのに、自分は選ばなかった。
嫌だったから。
恥ずかしかったから。
そんな理由で、解除することをためらってしまった。
そして、三人は死んだ。
ニコも大怪我を負った。
もう、取り返しがつかない。
『……あの時も』
『はい』
『俺、まだ何とかなるって思ってた』
ケイは走り続けた。
『そのうち助けられるんじゃないかって。もっと別の方法があるんじゃないかって』
『…………』
『でも、結局……』
言葉が詰まった。
何もできなかった。
本当は、できることがあったのに。
『……もう嫌なんだよ』
『…………』
『誰かが傷つくのを、何もしないで見てるなんて』
ケイは前を向いた。
『それが俺のせいなら、なおさらだろ!』
『……左様でございますな』
『だから、絶対に助ける!』
『承知いたしました』
『お前も諦めろなんて言うなよ!』
『……かしこまりました』
ケイは大きく息を吸った。
『それと、時間! ちゃんと教えてくれよ!』
『承知いたしました』
『今度は聞かれなかったからとか言うなよ!』
『努力いたします』
『努力じゃなくて、絶対だよ!』
『かしこまりました』
ケイはさらに足を速めた。
◇ ◇ ◇
村の家々が遠ざかり、道の両側に畑が広がっていた。
ケイは走り続けた。
息が上がってくる。
それでも足は止めなかった。
マリアンヌを助けたい。
その気持ちだけは、はっきりしていた。
ふと、今日言われたことを思い出した。
十三歳にもなって勇者を目指しているなんて、変だ。
アズラにも、そう言われた。
村の人たちからも、変なやつだと思われている。
マリアンヌにだって、距離を置かれてしまった。
ずっと、自分は勇者になりたかった。
小さい頃から、勇者の物語が大好きだった。
強くて、かっこよくて。
困っている人がいたら助けて、悪いやつがいたら立ち向かう。
そんな勇者に、いつかなりたかった。
でも。
今の自分はどうだ。
勇者になりたいなんて言いながら、人を助けるどころか、自分の力で大切な人たちを傷つけてしまった。
熊の事件だってそうだ。
そして、今度はマリアンヌ。
自分が怒りに任せて、ひどいことを願ってしまったから。
こんなことになっている。
勇者になりたいと言いながら、やっていることはまるで反対だった。
『……なあ、アズラ』
『はい、ケイ様』
『俺って、やっぱり変なのかな』
『何のお話でございます?』
『勇者になりたいってこと』
『……またそのお話でございますか』
『悪いかよ』
『十三歳にもなって本気で勇者を目指しておられるのは、やはり少々変わっておられるかと』
『…………』
ケイは前を向いた。
『……そうかもな』
『おや? 今日はお認めになるので?』
『でもさ』
『はい』
『俺、やっぱり勇者になりたいんだ』
走りながら、ケイは答えた。
『変だって言われても、笑われても』
息を吸う。
『それだけは、諦めたくない』
『…………』
アズラはすぐには答えなかった。
『……左様でございますか』
『うん』
『マリアンヌ様に変わり者だと思われても、でございますか?』
『…………』
ケイは少しだけ顔をしかめた。
それは嫌だった。
本当は、マリアンヌにだって認めてもらいたかった。
勇者になる夢も、受け止めて聞いてほしかった。
いつか、本当に勇者になって。
マリアンヌに、すごいと言ってもらいたかった。
けれど。
『……それでもだよ』
『ほう』
『マリアンヌにどう思われても、俺は勇者になりたい』
『…………』
『好きな子に嫌われたからって、諦められるような夢じゃないんだ』
ケイは前を向いた。
自分が変わり者なのかもしれない。
十三歳にもなって、そんなことを本気で考えているのはおかしいのかもしれない。
それでも。
勇者になりたい。
その気持ちは、今も変わらなかった。
『……ケイ様』
『何?』
『そこまで勇者にこだわられる理由が、ワテにはよう分かりまへんなあ』
『……別にいいよ』
『よろしいので?』
『うん』
ケイは少しだけ笑った。
『俺がなりたいだけだから』
『……なるほど』
『だから、今はマリアンヌを助ける』
『はい』
『勇者になりたいなんて言ってるのに、好きな子一人助けられないなんて嫌だろ』
『……左様でございますな』
『それに、今回は俺が原因なんだ』
ケイは花束を見た。
自分が起こしたことは、自分で何とかしなければならない。
たとえ、どんなに嫌なことをすることになっても。
『……アズラ』
『はい、ケイ様』
『絶対に間に合わせるからな』
『承知いたしました』
『メイを見つけて、花束を渡して、告白する』
『左様でございますな』
『それで、マリアンヌを助ける!』
『はい』
『……その後どうなるかは、もう知らない!』
『ほっほっほっ! それはそれで、なかなか大変なことになりそうでございますなあ』
『笑うなよ!』
『失礼いたしました』
すると、アズラが付け加えた。
『ところでケイ様。先ほど「今回は俺が原因なんだ」と仰いましたが』
『……何だよ』
『正しくは「今回も」でございますな』
『うるさいよ!』
ケイはむっとしながら花束を持ち直した。
まだ、隣の村は見えない。
向こうに着いても、親戚の家まで行かなければならない。
時間の余裕だって、ほとんどない。
それでも。
今度こそ、諦めない。
あの四人の時みたいに、後悔だけを残したくない。
マリアンヌを助ける。
そして、いつか本当に勇者になる。
ケイは歯を食いしばり、さらに足を速めた。
目指すのは、歩いて五時間もかかる村。
残された時間は、五時間半もない。
道の先には、まだ長い景色が続いていた。
それでもケイは走る。
今度こそ、大切な人を助けるために。




