第6話 断ってくれ!
走った。
とにかく走った。
「はぁ……はぁ……!」
ケイは街道を必死に駆けていた。
片手には、アズラに教わりながら作った花束。
花が崩れないように気をつけながら、ひたすら足を動かした。
『……アズラ!』
『はい、ケイ様』
『残り時間は!?』
『マリアンヌ様への魔王命令が実行されるまで、残り約四時間四十分でございます』
『……分かってる!』
ケイは息を切らしながら答えた。
普通に歩けば、カンヌ村まで約五時間。
メイの父親はそう言っていた。
だが、五時間もかけてはいられない。
カンヌ村に着いたあと、メイが訪ねている親戚の家まで行かなければならない。
そこでメイが見つからなければ、さらに探す必要がある。
そして、花束を渡して、あの恥ずかしい言葉を最後まで伝えなければならないのだ。
「くそ……!」
ケイは走り続けた。疲れたら早歩き。少し息が戻ったら、また走る。
勇者になるために毎日身体を鍛えていたことが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
もっとも、今の自分は勇者らしい格好などしていない。
持っているのは剣でも盾でもなく、女の子に渡すための花束だった。
『……何でこんなことになってるんだよ』
『ケイ様が魔王命令を発動されたからでございましょうな』
『分かってるよ!』
ケイは再び足を速めた。
◇ ◇ ◇
「はぁ……っ!」
何度目かの坂を越えた時だった。
遠くに、家々が見えた。
「……あれか?」
道端に立てられた木の看板。
そこには、
《カンヌ村》
と書かれていた。
「着いた……!」
ケイは膝に手をついた。
息が苦しい。
足も重い。
それでも、ようやく隣の村へたどり着いたのだ。
『……アズラ』
『はい、ケイ様』
『ここまで、どのくらいかかった?』
『出発から三時間三十二分でございます』
「三時間半……」
ケイは少しだけ笑った。
「やればできるじゃん、俺」
普通なら五時間。
それを、三時間半ほどで来た。
普段から鍛えていたおかげだろう。
しかし、まだ終わりではない。
むしろ、ここからが本番だった。
『それで、残り時間は?』
『一時間半ほどでございますな』
『……一時間半』
あと少ししかない。
ここまで必死に走ってきたのに、まだメイに会えてすらいないのだ。
『急がないと……!』
『左様でございますな』
ケイは息を整えると、再び歩き始めた。
カンヌ村は、ケイの住むタルサ村とそれほど大きさは変わらなかった。
農家が並び、小さな商店や宿屋もある。
村の中央には広場があった。
以前にも来たことはあるが、村の様子はあまり覚えていない。
それでも、村そのものの作りはなんとなく似ていた。
「親戚の家は……」
メイの父親から聞いた話では、広場を越えた先にあるらしい。
家の場所も教えてもらっている。
「とりあえず、広場だな」
ケイは花束を持ち直した。
長い道のりを走ってきたせいで、花は少し乱れていた。
それでも、何とか花束の形は保っている。
「……大丈夫だよな?」
『少々乱れておりますが、問題はございまへんやろ』
『本当に?』
『大切なのは、花束を直接お渡しになることでございますさかい』
『……そうだよな』
ケイは少しだけ安心した。
もう一度作り直している時間などない。
花束を持ったまま、広場へ入った。
「…………」
人はそこそこいた。
買い物をする人。
話をしている大人。
遊んでいる子供。
広場の端には井戸があった。
「……水、飲みたい」
ここまで走り続けてきたせいで、喉がからからだった。
ケイは井戸へ向かうと、水を汲んで飲んだ。
「……っ、はぁ!」
冷たい水が喉を通る。
生き返るようだった。
もう一度水を飲み、口元を拭う。
「……ふぅ」
少しだけ呼吸が落ち着いた。
だが、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
ケイは花束を持ち直し、広場を見回した。
「また広場かよ……」
嫌な思い出しかない。
タルサ村の広場では、父親を救うために、とんでもない恥をさらした。
そして今日は、別の村の広場を通って、好きでもない少女に求婚しに行こうとしている。
『……なあ、アズラ』
『はい』
『俺、広場に呪われてない?』
『ほう?』
『広場に来るたび、ろくなことが起こらないんだけど』
『今回の件も、ケイ様ご自身が招かれたことでございますが』
『……うるさいよ』
ケイは顔をしかめた。
そんなことは分かっている。
分かっているから、余計に腹が立つのだ。
その時だった。
「……ケイ?」
「…………!」
聞き覚えのある声。
ケイはゆっくり振り返った。
いた。
メイだ。
肩まで伸びた明るい茶色の髪に、丸い目。少しふっくらした頬が特徴の、愛嬌のある少女だった。
数人の女の子たちと、広場の端で話をしている。
「ケイじゃない!」
メイが驚いた顔をした。
そして、こちらへ歩いてくる。
「どうしたの?」
「…………」
「なんでカンヌ村にいるの?」
「いや……」
メイは何かに気づいたように、ケイの顔を覗き込んだ。
「……ちょっと、大丈夫?」
「え?」
「すごい汗。それに、息も荒いし……」
「あ、ああ……大丈夫だよ」
「本当に? 顔も赤いわよ?」
メイは心配そうにケイを見つめた。
「……走ってきたから」
「走ってきた?」
「うん」
「……まさか、タルサ村から?」
「……そうだけど」
「えっ!?」
メイが目を丸くした。
「そんな遠くから走ってきたの!?」
「……うん」
「どうして?」
「……君に会いに」
ケイは小さく呟いた。
「……えっ?」
メイが驚いたように目を見開いた。
その反応を見て、ケイは慌てた。
「な、何でもない!」
そう言って、今の言葉を打ち消そうとした。
確かに、メイに会いに来たのは本当だ。
けれど、こんな言い方では、まるでメイに会いたくて仕方がなかったみたいではないか。
メイは頬を赤らめ、片手をそっと頬に当てた。
「……よく分からないけど、もう! 無茶しすぎよ!」
そう言いながらも、メイはどこか嬉しそうだった。
「……でも、本当に大丈夫?」
「大丈夫だって!」
ケイは慌てて答えた。
今は自分の身体より、解除条件の方が大事なのだ。
ケイは周囲を見た。
人が多い。
メイの友達まで、こちらを見ている。
ここで?
ここで言うの?
「…………」
絶対嫌だ。
できれば、誰もいないところでさっさと済ませたい。
「メイ」
「なに?」
「ちょっと……こっち来てくれない?」
「どこ?」
「人がいないところ」
「え?」
メイの顔が、わずかに赤くなった。
その反応を見て、ケイの嫌な予感が強くなる。
「ちょっとだけでいいから」
ケイは軽く頭を下げ、メイの目を見つめた。
「今?」
「今」
メイは後ろにいる女友達を見た。
「でも私、今みんなと来てるから」
「すぐ終わる!」
ケイは真剣な目でメイを見た。
もう時間がない。
できれば誰もいない場所で話したかったが、これ以上待つわけにもいかなかった。
「後じゃ駄目?」
「駄目!」
即答だった。
「…………」
メイの顔が、さらに赤くなった。
友達たちが何やら小声で話している。
「ねえ」
「もしかして……」
「花持ってない?」
「…………」
ケイは聞こえないふりをした。
メイは少し恥ずかしそうに髪を触った。
「だったら、夜でもいいじゃない」
「夜!?」
「私、今日は叔母さんの家に泊まるから」
「…………」
「この広場をもう少し先に行ったところ」
「…………」
「夜、来てくれれば……」
駄目だ。
夜なんて、もっと駄目だ。
そんな時間まで待っていられない。
『……アズラ』
『はい、ケイ様』
『あと、どのくらい?』
『マリアンヌ様への魔王命令が実行されるまで、残り一時間少々でございます』
『…………』
時間がない。
まだ一時間はある。
でも、ここまで来て先延ばしにして、何か失敗したら。
マリアンヌの顔に、取り返しのつかない傷が残る。
そんなことには、絶対にさせたくない。
「……もういい」
ケイは覚悟を決めた。
「ここで言う」
「え?」
メイが不思議そうに首を傾げた。
ケイは花束を両手で持った。
そして、メイへ向ける。
「…………!」
メイの目が大きくなる。
周囲の女の子たちも、一斉に静かになった。
「これ」
「……私に?」
「うん」
「…………」
メイは花束を見つめた。
それから、ゆっくりと両手を伸ばして受け取った。
「……ありがとう」
「…………」
その瞬間、アズラの声が響いた。
『解除条件第一段階、達成でございます』
『…………』
あと、言うだけ。
言えば終わる。
マリアンヌは助かる。
そして俺は、マリアンヌの嫌いなメイに告白して、マリアンヌにもっと嫌われる。
それだけ。
それだけなんだ。
ケイはメイを見た。
その表情は真剣だった。
だが、それはメイに自分の気持ちを伝えたいからではない。
マリアンヌを絶対に助けたい。
ただ、その一心だった。
「メイ」
メイは花束を抱えたまま、少しうつむいていた。
「……うん」
「俺の目を見てくれないか」
「……え?」
「大事な話があるんだ。ちゃんと聞いてほしい」
メイは頬を赤らめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
その丸い目が、まっすぐケイを見つめる。
ケイはその視線を受け止めた。
今から言う言葉は、メイのためではない。
マリアンヌのためだ。
けれど、そんな事情をメイに説明するわけにはいかなかった。
頼む。
心の中で思った。
断ってくれ。
絶対に、断ってくれ。
俺に恥をかかせてくれ。
これから言うのは、全部解除のためだから。
「俺は……」
口が重い。
広場の人たちまで、何事かとこちらを見始めている。
「…………」
言いたくない。
本当は、こんなこと言いたくない。
でも、ここまで来たのだ。
必死に走って、ようやくメイに会えた。
今さら逃げるわけにはいかない。
あの森でのことを思い出す。
三人が死んだ。
ニコも大怪我を負った。
もう二度と、あんなことは繰り返さない。
ケイは大きく息を吸った。
そして、メイの目をまっすぐ見た。
「俺はずっとお前のことが大好きだった。将来、俺と結婚してほしい」
「…………!」
メイが息を呑んだ。
周囲から、小さなどよめきが起こる。
ケイは泣きそうだった。
言ってしまった。
とうとう、言ってしまった。
恥ずかしさで、顔が熱い。
けれど。
『アズラ!』
『はい、ケイ様』
『どうなんだ!?』
『……指定文言を確認いたしました』
『…………』
『花束の受け渡し、およびメイ様への直接の求婚を確認』
『…………!』
『解除条件の達成を確認いたしました』
『……!』
『対象――マリアンヌ様』
『命令――火傷による容貌の損傷』
『当該魔王命令を撤回いたします』
『《夢想因果》による因果改変を解除いたしました』
「…………」
助かった。
マリアンヌは、これで助かった。
「よかった……」
思わず、小さく呟いた。
これでいい。
これで、ようやく終わったのだ。
あとは、メイに断られて、少し恥をかいて帰ればいい。
頼む。
断ってくれ。
そして俺も助けてくれ。
アズラだって保証していたじゃないか。
断られる確率、百パーセント。
だから、大丈夫なはずだ。
「ケイ」
メイが言った。
「…………」
いつの間にか俯いていたケイは、恐る恐る顔を上げる。
メイは花束を胸元に抱えていた。
顔は真っ赤だった。
「やっぱり……」
「…………?」
「やっぱり私のことが好きだったのね」
「…………」
ケイの頭が止まった。
やっぱり?
「マリアンヌより」
「…………え?」
メイは、どこか勝ち誇ったように、それでも恥ずかしそうに笑った。
「そうじゃないかなって、少し思ってたの」
「…………」
思ってたの?
いつから?
どうして?
ケイの頭には疑問しかなかった。
「分かったわ」
「…………何が?」
メイが花束を抱きしめる。
「私」
そして、にっこり笑った。
「あなたのお嫁さんになってあげる」
「…………」
ケイは固まった。
「…………え?」




