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勇者になりたい俺が、夢想の魔王になった件  作者: 月欠けラムネ
第二章 俺が婚約するわけがない

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第1話 またやってしまった


 翌朝。


 ケイはまだ空が薄暗いうちに目を覚ました。


「…………」


 しばらく天井を見つめる。


 もう一度眠ろうと目を閉じてみたが、眠気は戻ってこなかった。


 頭に浮かぶのは、一昨日見舞いに行ったニコの姿だった。


 いまだに包帯だらけの身体。


 弱々しい笑顔。


 そして、いつもの。


「ありがとな」


 自分には言われる資格なんてない言葉。


「……寝れない」


『おはようございます、ケイ様』


『起きてたの?』


『ワテは眠りまへんので』


『便利だな』


『左様でございますなあ』


 ケイは小さく息を吐くと、ベッドから起き上がった。


 まだ父親も母親も眠っている。


 窓の外を見ると、東の空がようやく白み始めたところだった。


『今、何時くらい?』


『おおよそ朝の六時頃でっしゃろな』


『そっか』


 どうせ眠れない。


 それなら、朝の水汲みでも済ませておこう。


 昨日までなら母親に言われるまでやらなかったかもしれない。だが今日は、何かしていた方が余計なことを考えずに済みそうだった。


 ケイは着替えると桶を持ち、家を出た。


       ◇ ◇ ◇


 朝の村は静かだった。


 昼間なら人の声が絶えない道にも、今はほとんど誰もいない。家々の煙突から少しずつ煙が上がり始め、家畜の鳴き声が遠くから聞こえてくる。


 村の共同井戸までは、家からそう遠くない。


 ケイが歩いていくと、井戸のそばに一人だけ人影が見えた。


「…………」


 足が止まる。


 長い栗色の髪。


 足元には、水を入れるための桶。


 マリアンヌだった。


「…………」


 向こうもケイに気づいた。


 一瞬だけ。


 二人の目が合う。


「……おはよう」


「…………」


 返事はなかった。


 マリアンヌはほんの少しだけ頭を下げると、すぐに視線を井戸へ戻した。


「…………」


 まただ。


 最近はずっとこんな感じだった。


 会えば挨拶をする。


 声をかける。


 それでも、返事はない。


 たまに小さく頷くくらい。


 それすらない時もあった。


 それでもケイは。


 まだ怒っているだけなのだと。


 そう思うことにしていた。


 ケイは少し離れた場所に自分の桶を置いた。


 縄が軋む。


 マリアンヌが井戸から水を引き上げている。


「…………」


 話しかけるべきか。


 やめておくべきか。


 迷う。


『ケイ様』


『何』


『本日も見事に沈黙でございますな』


『分かってるよ』


『ワテでしたら、そろそろ別の御方を――』


『それ前にも聞いた』


『左様でございましたな』


『俺はマリアンヌがいいんだよ』


『まだそう仰いますか』


『悪い?』


『いえ。ワテには、そこまでマリアンヌ様に拘られる理由がよう分かりまへんので』


『もう分からなくていいよ』


 前にも似たようなことを言われた。


 サラの方が話しやすそうではないか。


 マリアンヌのどこに、そこまで惹かれているのか分からない。


 それでもケイは。


 マリアンヌがいい。


 そう言った。


 何度無視されても。


 避けられても。


 まだ怒っているだけだと思っていた。


 そのうち。


 また前みたいに話せるようになる。


 そう思っていた。


「……マリアンヌ」


「…………」


 マリアンヌの手が、少しだけ止まった。


「この前のことなんだけど」


「…………」


「広場の」


 マリアンヌの指が、縄を少し強く握った。


「その……ごめん」


「…………」


「嫌だったよな。あんなところ見せられて」


 返事はない。


「理由は言えないんだけど」


 ケイは続けた。


「好きでやったわけじゃないんだ。本当に事情があって」


「…………」


「……信じられないよな」


 マリアンヌは井戸の中を見たままだった。


「ごめん」


 朝の冷たい空気の中。


 縄の軋む音だけが響く。


「…………」


 これも何度目だろう。


 声をかけて、何も返ってこなくて。


 それでもまた話しかける。


「俺さ」


 ケイは小さく息を吐いた。


「何回か話しかけてるだろ」


「…………」


「迷惑?」


 マリアンヌの手が止まった。


「…………」


「迷惑なら……そう言ってよ」


「…………」


「何も言われない方が分かんないんだよ」


 マリアンヌは俯いた。


 返事はない。


「まだ怒ってるだけなのか」


「…………」


「本当に俺と話したくないのか」


「…………」


「俺、分かんないから」


 マリアンヌの肩が少し動いた。


 だが、それでも声は出なかった。


「……やっぱりいい」


 ケイは自分の桶へ手を伸ばした。


「ごめん」


 その時。


「マリアンヌ?」


 後ろから声がした。


 二人が振り返る。


 眼鏡をかけた少女が、桶を持って立っていた。


 サラだった。


「ケイも」


「……おはよう」


「おはよう」


 サラは二人を見比べた。


「…………」


 マリアンヌは小さく頷く。


「何かあった?」


「別に」


 答えたのはケイだった。


「ちょっと話してただけ」


 話していた。


 と言っていいのかは分からない。


 ほとんど自分しか喋っていなかった。


 サラもそれに気づいたのか、少し困ったような顔をした。


「……そっか」


「うん」


 ケイは井戸へ向き直る。


 これ以上はやめよう、そう思った。


「…………」


「…………」


 だが。


 サラがマリアンヌの隣へ行き、小さな声で何かを言った。


「マリアンヌ」


「…………」


「ずっとこのままにするの?」


「…………」


「ケイも分かってないみたいだし」


「…………」


 マリアンヌは唇を噛んだ。


「無理にとは言わないけど」


 サラが続ける。


「何も言わないままだと、ずっと分からないと思うよ」


「…………」


 ケイは聞こえていないふりをした。


 本当は全部聞こえていた。


 長い沈黙が続いた。


 そして。


「……ケイ」


「…………」


 思わず振り返った。


 久しぶりに聞いた。


 マリアンヌが、自分に向かって呼んだ名前だった。


「何?」


 声が少し上ずった。


 マリアンヌは視線を合わせない。


「私……」


「うん」


「…………」


 また黙る。


 サラが何も言わずに見守っている。


「……広場のこと」


「うん」


「あれだけじゃないの」


「え?」


 ケイの胸がざわつく。


「ケイと話してると」


「…………」


「家族や周りの人に、まだ色々言われるから」


「色々?」


「…………」


 マリアンヌは俯いた。


「ケイのこと好きなの、とか」


「…………」


「あんなの見せられたのにまだ仲良くしてるの、とか」


「…………」


「勇者を目指している、変な人が好きなんだね、とか」


 胸に刺さった。


 一つ。


 また一つ。


「それが……嫌なの」


「…………」


「マリアンヌ」


 サラが少し困ったような声を出した。


「でも、それはケイが――」


「分かってる」


 マリアンヌが小さく答えた。


「ケイだけが悪いんじゃないのは分かってる」


「…………」


「この前のお葬式だって」


 サラが言う。


「ケイ、ちゃんとしてたじゃん」


「分かってるって」


 マリアンヌの声が少し強くなる。


「ケイが悪い人じゃないことくらい、分かってる」


「…………」


 ケイは黙って聞いていた。


 悪い人じゃない。


 その言葉なら、喜んでもいいはずだった。


 なのに。


 その後に続く言葉が怖かった。


「でも」


 マリアンヌが言った。


「今までみたいには、もう話せない」


「…………」


「何で?」


「…………」


「俺、謝ったよ」


「分かってる」


「もうあんなことしないようにするし」


「…………」


「俺だって好きであんなことしたわけじゃない」


「それも聞いた」


「じゃあ――」


「でも嫌なの!」


 マリアンヌが初めて声を上げた。


「…………」


 ケイが止まる。


 マリアンヌ自身も。


 少し驚いたような顔をしていた。


「…………」


「……ごめん」


 声が小さくなる。


「でも」


 マリアンヌは両手で桶の取っ手を握った。


「ケイと話してるところを見られるの、嫌なの」


「…………」


「また何か言われるから」


「…………」


「ケイが悪い人じゃないのは分かってる」


「…………」


「でも、もう前みたいにはできない」


「……もう?」


「今までみたいに普通に話したり、一緒にいたりするのは無理」


「…………」


 胸の奥が冷たくなった。


「そんなに……俺と一緒にいるの嫌?」


「…………」


 マリアンヌはすぐには答えなかった。


 けれど。


 しばらくして、小さく頷いた。


「今は、嫌」


「…………」


「だから」


 マリアンヌは一瞬だけケイを見た。


「しばらく、話しかけないで」


「…………」


 朝の村は静かだった。


 静かすぎて。


 その言葉だけが、妙にはっきりと聞こえた。


「……そっか」


 ケイはそれだけ答えた。


 サラが何か言おうとする。


「でも、ケイ」


「いいよ」


「…………」


「分かったから」


 ケイは笑おうとした。


 うまく笑えなかった。


「もう話しかけない」


「…………」


 マリアンヌの顔が少し歪んだ。


 何か言いたそうだった。


 けれど。


 結局、何も言わなかった。


 マリアンヌは水の入った桶を持ち上げる。


「……行こ、サラ」


「え」


「お願い」


「…………」


 サラはケイを見る。


「ケイ」


「いいって」


「でも――」


「いいから」


「…………」


 サラは少し迷ってから。


「……分かった」


 二人が歩き出す。


 マリアンヌは一度も振り返らなかった。


「…………」


 ケイはその背中を見ていた。


 自分は何度も何度も挨拶した。


 返事がなくても。


 まだ怒っているだけだと思った。


 アズラにサラの方がいいんじゃないかと言われても。


 マリアンヌのどこがいいのか分からないと言われても。


 それでも。


 俺はマリアンヌがいい。


 そう言った。


 ずっと。


 また普通に話せるようになると思っていた。


マリアンヌが自分を避けているのは、広場の件が原因なんだと思っていた。


 なのに。


自分が勇者を目指していることまで、馬鹿にされていた。

 

しかも、そんなことを言われたからって、マリアンヌまで自分と一緒にいるのを嫌がった。

 

なんでだよ。

 

勇者を目指してることの、何が悪いんだ。


「…………くそ」


 胸の奥で何かが切れた。


 腹が立った自分に。


 村のみんなに。


 《夢想因果》に。


 何も説明できない自分に。


 そしてほんの少し。


 マリアンヌにも。


「なんだよ……」


 声が漏れた。


 二人はもう少し先を歩いている。


「俺だって……」


 ずっと好きだった。


 無視されても。


 避けられても。


 それでも好きだった。


 でも、今は話したくない。


 一緒にいるところを見られたくない。


 そう言われた。


「俺だって、お前の見た目が好きだっただけだし」


 言った瞬間。


 胸が痛んだ。


 本当はそんなことだけじゃない。


 分かっている。


 マリアンヌの笑った顔が好きだった。


 少しきついことをはっきり言うところも。


 自分が勇者になると言った時、馬鹿にしながらも話を聞いてくれたことも。


 全部。


 見た目だけじゃない。


 分かっている。


 だからこそ、余計に腹が立った。


「別に……」


 何度も自分に言い聞かせてきた。


 怒りに任せて、取り返しのつかないことを言うな。


 熊の時みたいなことはしない。


 言葉に気をつける。


 《夢想因果》で、誰かを酷い目に遭わせない。


 頭では分かっていた。


 それなのに。


 ずっと押し込めていた感情が止まらなかった。


「お前なんか……」


『ケイ様』


 アズラの声がした。


「可愛くもなんともない!」


『ケイ様』


 止まれ。


 頭のどこかでは分かっていた。


 でも、もう一つの感情が叫んでいた。


 自分だけ傷つくなんておかしい。


 少しくらい、マリアンヌだって。


 自分をこんな気持ちにしたことを後悔すればいい。


「……火傷でもして」


『ケイ様!』


 遅かった。


「ひどい顔になっちまえ!」


「…………」


 言った。


 そして、ほんの一瞬。


 本当にそうなればいいと思った。


「…………あ」


 ケイの顔から血の気が引いた。


 ――ゴォォン……。


 身体の内側を。


 巨大な鐘で打ち鳴らされたような衝撃が駆け抜ける。


『強い意思を確認しました』


「待って」


『発言内容との完全一致を確認』


「待って待って!」


『固有暗黒術《夢想因果》――発動条件成立』


『アズラ、待て!』


『偉大なる夢想の魔王様による御命令として、悪魔アズラが謹んで受理いたします』


『受理するな!!』


 頭の中へ、情報が流れ込んでくる。


『因果系統――事象因果』


『対象――マリアンヌ』


「やめろ!」


『御命令――火傷による容貌の損傷』


『違う! 今のなし!』


『確定予定結果――対象の容貌に重大な火傷痕を残す』


「やめろって!!」


『結果実現まで――十二時間』


「…………!」


『命令達成予測――100%』


『これより因果改変を開始いたします』


「…………」


 ケイは動けなくなった。


 遠くに。


 マリアンヌとサラの後ろ姿が見える。


 二人は何も知らない。


 そのまま歩いている。


「…………」


 ケイは空を見上げた。


 朝。


 まだ太陽も昇り切っていない。


 今から十二時間。


「……また」


 膝から力が抜けた。


 その場に崩れ落ちる。


「またやった……」


 熊の事件で、あれだけ後悔した。


 トーマ。


 ルッツ。


 ベイル。


 ニコ。


 もう二度と同じことはしないと決めた。


 それなのに今度は。


 ずっと好きだった女の子に。


「……俺、何やってんだよ……」


 両手で頭を抱える。


 怒って傷ついた。


 悔しかった。


 だからほんの一瞬だけ。


 本気で酷い目に遭えばいいと思った。


 そして。


 《夢想因果》は。


 また、その一瞬を見逃さなかった。


「…………」


 ケイは歯を食いしばる。


 でも今度は、迷わなかった。


『アズラ』


『はい、ケイ様』


『解除条件を調べて』


『承知しました』


『どんな条件でもやる』


 声は震えていた。


 それでも言い切った。


『今度は絶対に逃げない』


 熊の事件で失ったものは、もう戻らない。


 だからこそ。


 同じ間違いだけは繰り返せなかった。



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