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勇者になりたい俺が、夢想の魔王になった件  作者: 月欠けラムネ
第一章 俺が魔王なわけがない

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第45話 アズラ先生


 それから数日後。


 ケイは家の裏に立っていた。


『右手を胸へ』


『こう?』


『左手は背中へ』


『こう?』


『背筋を伸ばして』


『伸ばしてるよ』


『もう少し』


『これ以上伸びないって!』


『では、そのまま一礼』


 ケイは言われた通り、ゆっくりと頭を下げた。


『はい。結構でございます』


『……これ、何の練習だっけ』


『騎士礼でございます』


『剣の練習じゃなかったの?』


『今日は礼儀作法でございます』


『何で!?』


『騎士に必要ですさかい』


「…………」


 騎士剣話法を教わり始めてから。


 アズラの授業は、少しずつ別の方向へ広がり始めていた。


 剣だけではない。


 立ち方。


 礼の仕方。


 相手との距離。


 身分の違う者への接し方。


 正式な場での振る舞い。


 ケイが今までほとんど気にしたことのないものばかりだった。


『普通に頭下げるだけじゃ駄目なの?』


『正式な場では、そういうわけにもいきまへん』


『面倒くさいなあ』


『相手が上位者であれば、片膝をつく場合もございます』


『まだあるの!?』


『もちろん』


『騎士って剣の練習だけしてるんじゃないんだな……』


『前にも申し上げたでしょう』


『分かってるけどさ』


 ケイはため息をついた。


『女性への御挨拶では、また少々違いましてな』


『女性?』


『相手の身分や場によって、礼の深さや言葉遣いを変える場合がございます』


『覚えること多すぎるよ!』


『そういうものでございます』


「…………」


 ケイは少し考えた。


『……これもさ』


『はい』


『昔の勇者たちは、ちゃんと知ってたんだよな?』


『もちろんでございます』


『やっぱり?』


『前にも申し上げました通り、七大勇者の方々も、その多くは騎士としての教育を受けておられましたさかい』


『そういえば、騎士出身の勇者も多かったんだよな』


『左様でございます。全員が全員、まったく同じ経歴というわけではございませんが、騎士として必要な礼儀や知識を身につけておられた方は多うございました』


「…………」


 ケイは姿勢を正した。


『……もう一回』


『左様でございますか』


『今度はちゃんとやる』


『急にやる気になられましたなあ』


『だって勇者もやってたんだろ?』


『左様でございます』


『だったら覚える』


『実に素直でございますなあ』


『うるさい!』


 そんなことが何度か続いた。


     ◇ ◇ ◇


 それから。


 アズラは何かにつけて、七大勇者の話を出すようになった。


『ケイ様。その礼では少々雑でございます』


『これで十分だろ』


『七大勇者なら、もっと綺麗にできましたで』


「…………」


『もう一回』


 別の日。


『旅先では、その土地の挨拶くらい知っておいた方がよろしいですな』


『そこまで覚える必要ある?』


『七大勇者も――』


『分かった! 覚える!』


『まだ最後まで言っておりまへんが』


『どうせ七大勇者も知ってたって言うんだろ!』


『その通りでございます』


『くそ……』


 さすがにケイにも分かってきた。


 アズラは、七大勇者の名前を出せば自分がやる気になると思っている。


 そして。


 実際、その通りなのが少し悔しい。


 また別の日。


『先生、これでいい?』


『…………』


『何?』


『もう一度』


『こう?』


『違います。もう一度、「先生」と』


「…………」


『そこ!?』


『大切なところでございます』


『何がだよ!』


『師へ敬意を払うんは、騎士として当然の礼儀でございます』


『本当に?』


『もちろん』


『七大勇者も?』


『似たようなものでございます』


『……先生』


『はい』


『絶対楽しんでるだろ』


『何のことでございましょう』


 声が妙に満足そうだった。


 どう考えても、先生と呼ばれるのを気に入っている。


     ◇ ◇ ◇


 また別の日。


 ケイが畑仕事をしていると、アズラが突然言った。


『そういえば、ケイ様』


『何?』


『昔は、《潜律語》いう会話法もございましてな』


『せんりつご?』


『左様でございます』


 ケイは鍬を止めた。


『何それ』


『簡単に申せば、隠語のようなものでございます』


『隠語?』


『普通に話しているように聞こえますが、決められた言葉には別の意味がございます』


『へえ……』


 アズラによれば。


 何も知らない者が聞けば、ただの世間話にしか聞こえない。


 だが。


 潜律語を知っている者同士なら、その中に隠された別の意味を読み取ることができるらしい。


『誰がそんなの使ってたの?』


『昔は、身分の高い者や、商いをする者などでございますな』


『商人も?』


『はい』


『本当に?』


『商人が使っておったんも、ちゃんと覚えておりますで』


『へえ』


『かなり大きな商いをしておる者でしたがな。そういう商人が使っておったんは、確かでございます』


『じゃあ、貴族だけのものじゃないんだ』


『左様でございます』


 ケイは少し考えた。


『で、俺もこれ覚えるの?』


『そのつもりでございます』


『えー……』


『何か御不満でも?』


『だって、使うことある?』


『知っておいて損はございませんで』


『でも、また覚えること増えるじゃん』


『左様でございますな』


『騎士礼とか挨拶とか、ただでさえいっぱいあるのに』


『まだまだございますで』


『増やすなよ!』


 ケイは露骨に嫌そうな顔をした。


『こんなのまで勇者になるのに必要なの?』


『さて、必ず必要かと申されますと――』


『じゃあいいじゃん』


 ケイは再び鍬を動かそうとした。


 すると。


『ただ、七大勇者の中にも使っていた御方がおりましたが』


「…………」


 鍬が止まった。


『七大勇者も?』


『はい』


『これ使えたの?』


『使っておられましたで』


『誰?』


『そこまで食いつかれます?』


『いいから!』


『先ほどまで、面倒やと仰っておられたような気がいたしますが』


『それはそれ!』


『左様でございますか』


『で、勇者も知ってたんだよな?』


『はい』


「…………」


 ケイは少し考えた。


『……じゃあ覚える』


『予想通りでございます』


『何?』


『何でもございません』


 それからケイは、アズラに潜律語をいくつか教わった。


 聞いただけなら、どれも普通の言葉にしか思えない。


 それが別の意味になるというのだから、妙な話だった。


『……これ、本当に通じるの?』


『通じますで』


『ほんとかなあ』


『疑っておられます?』


『だって、普通に喋ってるようにしか聞こえないし』


『せやから隠語として使えるのでございます』


『ふーん……』


 ケイは鍬を持ち直した。


 それから、ふと思う。


『……今度、村に商人が来たら使ってみようかな』


『よろしいんやないですか』


『通じるかな』


『大きな商いをしておる者なら、分かると思いますで』


『じゃあ試してみる』


『ぜひ』


 アズラが自信ありげに答えたので。


 ケイも、それ以上疑わなかった。


     ◇ ◇ ◇


 そんな日々が続いた。


 毎日ではない。


 アズラが思い出した時に、一つ。


 何か必要になった時に、また一つ。


 剣を振りながら。


 畑を耕しながら。


 薪を割りながら。


 飯を食べながら。


 夜、寝る前に。


 ケイは少しずつ覚えていった。


 騎士剣話法。


 騎士礼。


 旅先での挨拶。


 潜律語。


 身分の違う者への言葉遣い。


 昔の騎士や勇者たちが知っていた様々なこと。


 最初は意味も分からず真似していただけのものも。


 何度も繰り返しているうちに。


 少しずつ。


 ケイ自身のものになっていった。


 そして。


 ケイの中にも、一つの考えが根付き始めていた。


 勇者になりたい。


 その思いは昔から変わらない。


 でも。


 ただ剣を振っているだけでは足りない。


 自分が憧れてきた七大勇者たちが、剣だけではなく様々な知識や技術を身につけていたのなら。


 自分も。


 少しでもそこへ近づきたい。


 だから。


 面倒だと思っても。


 よく分からないと思っても。


 勇者たちもやっていたと聞けば、やってみようと思えた。


 ただ。


 最近、一つだけ気になることがある。


 アズラが、そのことを完全に理解している。


     ◇ ◇ ◇


『そういえば、ケイ様』


『何?』


『昔の勇者というものは、装備の手入れも欠かしませんでしたなあ』


 その日。


 ケイは自分の部屋で剣の手入れをしていた。


『そうなの?』


『当然でございます。命を預ける道具でございますさかい』


『それは父さんにも言われたことある』


『では、しっかり磨いておきましょう』


『分かってるよ』


 ケイは布で剣身を丁寧に拭いた。


『そこ』


『何?』


『もう少し丁寧に』


『細かいな』


『七大勇者なら――』


『やるよ!』


『何も言っておりまへんが』


『絶対言うつもりだっただろ!』


 しばらくして。


 剣の手入れが終わった。


「よし」


『お見事』


『終わったー』


 ケイは背伸びをした。


 すると。


『では、次はこちらを』


『……何を?』


『《黒天冠》でございます』


「…………」


『何でお前まで!?』


『ワテもケイ様の大切な装備でございますで』


『お前、自分で汚れ落とせないの?』


『腕がございまへん』


『それ言われると何も言えないな……』


『それに』


『何?』


『七大勇者も装備を大切にしておりました』


「…………」


 ケイは黙った。


 そして。


 しばらくして。


『……分かったよ!』


『ありがとうございます』


『絶対これが目的だっただろ!』


『まさか』


 その日。


 ケイは剣を磨いたあと。


 アズラの宿る黒天冠まで、丁寧に磨くことになった。


『もう少し右を』


『細かいな!』


『そこに汚れが残っております』


『見えないよ!』


『ワテには分かります』


『お前、絶対これ楽しんでるだろ!』


『まさか』


『絶対嘘だ!』


『もう少し上もお願いいたします』


『注文多いな!』


 声が、やたらと満足そうだった。


『実に素直な生徒でございますなあ』


『何か言った?』


『何でもございませんで』


『絶対何か言っただろ』


『気のせいでございます』


『先生』


『はい』


『明日は変なこと教えるなよ』


『変なこととは失礼でございますなあ』


『だって最近どんどん増えてるじゃん』


『勇者になるには、学ぶことが多いのでございます』


「…………」


 そう言われると弱い。


『……じゃあ、ちゃんと役に立つことにしてよ』


『もちろんでございます』


『本当に?』


『ワテを信用してくださいませ』


『ちょっと不安なんだよなあ……』


 そう言いながらも。


 ケイは黒天冠の残っていた汚れを、布で丁寧に拭き取った。


 剣の使い方だけではない。


 礼儀も。


 知識も。


 昔の勇者たちが知っていたことを、一つずつ覚えていく。


 それだけで。


 ほんの少しずつでも。


 勇者へ近づいているような気がした。


『そこ、もう少し強く磨いてくださいませ』


『まだ終わってなかったの!?』


『あと少しでございます』


『もう十分綺麗だろ!』


『七大勇者なら――』


『分かったよ! やればいいんだろ!』


『ほっほっほ』


『絶対楽しんでる!!』


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