第44話 甘いもの
朝。
ケイは目を覚ますと、しばらく布団の中でぼんやりしていた。
「…………」
眠い。
まだ少し寝ていたい。
そう思いながら身体を起こす。
そして、ふと。
以前食べた菓子のことを思い出した。
「…………甘いもの食べたいな」
『おはようございます、ケイ様』
『おはよう』
アズラの声が頭の中へ響く。
ケイは欠伸をしながら立ち上がった。
『何やら朝から食欲旺盛でございますな』
『別に』
『甘いものが食べたいと仰っておられましたが』
『聞いてたのかよ』
『ケイ様が口に出しておられましたさかい』
『…………』
そうだった。
ケイは少し考える。
この村では、甘い菓子なんて滅多に食べられない。
祭りでもあれば別だが。
普段の生活で口にする機会など、ほとんどなかった。
だからこそ。
一度食べると。
また食べたくなる。
「……前よりちょっと多めに、菓子が来ないかな」
『…………』
「…………」
『《夢想因果》――《物質因果》』
『命令の受諾を確認いたしました』
『既存物質を対象として因果を構築』
『完了まで、およそ六時間でございます』
「よし」
『またお使いになるんですな』
『うん。前にうまくいったし』
『以前は、どこぞから勝手に物を持ってくるんは盗みみたいで嫌やと仰っておられましたのに』
「…………」
『覚えておられます?』
『覚えてるよ』
『では?』
「一回食べたら、たまに食べたくなるようになったんだよ」
『なるほど』
「何だよ」
『悪事に慣れてこられましたなあ』
「嬉しそうに言うな!」
『悪事を働くこと自体は、ワテとしては――』
『そこから先は言わなくていい!』
『左様でございますか』
ケイは顔をしかめた。
『別に毎日使うわけじゃないし』
『まあ、この程度でしたら、ワテとしても何の問題もございません』
『じゃあいいだろ』
『ただし』
『まだ何かあるの?』
『食べる分とは別に、因果を維持するための体力と精神力は消耗いたしますで』
「…………」
ケイの表情が少し変わる。
『これくらいでも?』
『もちろんでございます』
『でも前、大したことなかっただろ』
『規模が小さければ、消耗も小さいですさかい』
『じゃあ別にいいじゃん』
『一つなら、でございます』
「…………」
『現在のケイ様では、複数の因果を同時に扱うんはまだ難しい』
『種類が違えば同時に使えるんだろ?』
『使うこと自体は可能でございます』
『じゃあ――』
『可能と、余裕があるとは別の話でございますで』
「…………」
ケイは黙った。
『《物質因果》を維持している最中に、別の因果を使う必要が出た場合』
『うん』
『その規模によっては、ケイ様の体力や精神力が足りなくなる可能性がございます』
『事象因果も?』
『もちろん』
『でも、あれって十二時間くらいだろ』
『時間だけの問題やございまへん』
アズラは淡々と続ける。
『何を起こすのか』
『どれほど大きな結果を求めるのか』
『対象は何か』
『そういったもので、必要な負担は変わります』
『…………』
『物質因果も同じでございます』
『じゃあ、菓子くらいなら?』
『大した負担ではございません』
『ほら』
『ですが、ゼロではございません』
「…………」
『今後、いつ何が起こるか分かりませんさかい』
『別にいいよ』
『左様でございますか』
『今日、他に使うつもりないし』
『そうかもしれまへんが』
「それにさ」
『はい』
「俺、勇者になりたいんだよ」
『存じております』
「だったら、こんな術をそんなに使うつもりないよ」
『…………』
「必要な時は別だけど」
『なるほど』
「だから大丈夫」
『今朝、起きて早々に使われましたけど』
「…………」
『しかも菓子のために』
「ちょっと便利になったからだよ!」
『便利なら使えばよろしいかと』
「止めないの?」
『ワテは悪魔でございますで』
「そうだった!」
『それに』
「何?」
『菓子を食べるために体力を使ういうんも、なかなか面白い話でございます』
「…………」
ケイは少し考えた。
「何か損してる気がしてきた」
『今さらでございますなあ』
◇ ◇ ◇
朝食を食べたあと。
ケイはいつものように家の仕事を手伝った。
畑へ出て。
薪を運び。
頼まれた仕事を一通り終わらせる。
それが済む頃には。
朝に発動した《物質因果》のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
昼前。
少し自由な時間ができたケイは、村の中を歩くことにした。
途中でニコの家へ顔を出して様子を見てから、そのまま中央広場を通って帰る。
その途中だった。
「あ」
向こうから歩いてきた少女と目が合った。
メイだった。
「あ、ケイ」
「よう」
自然に足が止まる。
そういえば。
メイと二人でこうして話すことは、あまり多くない。
昔から顔は知っている。
何度も会っている。
それでも。
わざわざ二人で立ち止まって話すことは、ほとんどなかった。
「ニコのところ行ってたの?」
「うん」
「どうだった?」
「前より元気そうだったよ」
「そっか」
メイが少し安心したように笑う。
それから。
「そういえば」
「何?」
「この前のお葬式」
「…………」
ケイの表情が少しだけ変わった。
「あのお別れの言葉」
「うん」
「よかったよ」
「…………そう?」
「うん」
メイは素直に頷いた。
「トーマたちのこと、ちゃんと見てたんだなって思った」
「…………」
「ケイがあんなこと言うと思ってなかったから、ちょっとびっくりしたけど」
「何だよそれ」
「だってケイだし」
「どういう意味だよ!」
メイが少し笑う。
「でも、本当によかったよ」
「……ありがと」
ケイは少しだけ照れた。
『…………』
『何』
『別に何も』
『絶対何か言いたいだろ』
『ワテが書いた部分も多かったですなあ、と思いまして』
『今それ言うなよ!』
『口には出しておりまへんで』
『頭の中で言ってるだろ!』
「ケイ?」
「え?」
「どうしたの?」
「何でもない」
「変なの」
「変じゃない!」
そう言った時だった。
『三』
「…………」
ケイの動きが止まる。
「ケイ?」
『二』
「…………え?」
『一』
「ちょっと待て!」
「何?」
メイが驚く。
だが。
ケイはそれどころではなかった。
『まさか――』
『《物質因果》、完了いたします』
『忘れてた!!』
ケイは慌てて辺りを見る。
道の横。
少し離れたところに一本の木がある。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
「え?」
ケイは突然走り出した。
「ケイ!?」
木の陰へ飛び込む。
その直後。
ガサッ。
枝が揺れた。
そして。
ボトッ。
「…………」
何かがケイの目の前へ落ちてきた。
布に包まれた小さな袋だった。
『因果完了でございます』
『今かよ!!』
ケイは慌てて袋を拾い上げた。
開く。
中には。
小さな焼き菓子がいくつも入っていた。
「……多いな」
『多めに、と仰いましたさかい』
『確かに言ったけど……』
前よりも明らかに量が多い。
一人で食べるなら、何度かに分けて食べるくらいはある。
「ケイ?」
「っ!」
メイの声。
ケイが振り向く。
木の向こうから、メイがこちらを覗き込んでいた。
「何してるの?」
「いや!」
「急に走っていったから」
「何でもない!」
「何でもない人は、急に木の陰に隠れないと思うけど」
「…………」
もっともだった。
メイがケイの手元を見る。
「それ何?」
「え?」
「その袋」
「…………」
「何か入ってるの?」
「…………」
ケイは袋を見る。
メイを見る。
もう一度袋を見る。
まずい。
どう説明する。
木の陰に隠れたら突然菓子が落ちてきた。
そんな説明をして。
信じてもらえるとは思えない。
「それ?」
「うん」
「…………」
ケイは少し迷った。
そして。
「……メイが喜ぶかなって思って、持ってきた」
「え?」
「…………」
言ってから。
ケイ自身が固まる。
何でこんな言葉が出たんだ。
本当は自分が食べるために持ってきた菓子なのに。
「私に?」
「……うん」
もう引き返せない。
ケイは袋を差し出した。
「ほら」
「……いいの?」
「いいよ」
メイが袋を受け取る。
中を覗き込んだ瞬間。
「わ」
顔が明るくなる。
「お菓子じゃん!」
「うん」
「ありがとう、ケイ」
メイがにっこり笑った。
「…………」
余計に胸が痛んだ。
本当は違う。
メイのために用意したわけではない。
自分で食べるつもりだった。
だが。
そんなに嬉しそうにされると、今さら言えるわけがなかった。
『どうされました?』
『黙ってろ』
『まだ何も申し上げておりまへん』
すると。
「お姉ちゃん!」
後ろから声がした。
小さな女の子が走ってくる。
リアだった。
メイの妹。
姉によく似た顔立ちをしている。
「リア」
「何してるの?」
リアがメイの手元を見る。
「それ何?」
「これ?」
「うん!」
「ケイにもらったの」
「ケイ兄ちゃんに?」
「うん。私が喜ぶかなって思って、持ってきてくれたんだって」
「…………」
ケイの胸に何かが刺さった。
そこまでそのまま言わなくてもいい。
「お菓子?」
「そうみたい」
「見せて!」
「ほら」
メイが袋を開く。
リアの目が輝いた。
「いっぱいある!」
「ね」
「ケイ兄ちゃん、ありがとう!」
「…………うん」
妹にまで感謝されてしまった。
本当は自分で食べるつもりだったなんて、ますます言えない。
「食べていい?」
「ケイにもらったものだから……」
メイがケイを見る。
「リアも食べていい?」
「…………」
ケイはほんの一瞬。
袋の中の菓子を見た。
六時間。
朝から六時間かけて。
自分の体力まで使って。
わざわざ持ってきた菓子。
「…………いいよ」
「やった!」
「ありがとう、ケイ兄ちゃん!」
「うん……」
リアは早速一つ手に取った。
一口。
「おいしい!」
「そんなに?」
「お姉ちゃんも食べて!」
「じゃあ一個だけ」
メイも一つ食べる。
「……ほんとだ」
顔がほころぶ。
「おいしい」
「でしょ!」
「何でリアが自慢するの」
「だっておいしいもん」
二人が楽しそうに菓子を食べている。
「…………」
ケイは黙ってそれを見ていた。
本当は自分が食べたかった。
一つも食べられなくなった。
それでも。
二人が美味しそうに、仲良く食べている。
その姿を見ていると。
『……まあ、いいか』
『何がでございます?』
『二人とも喜んでるし』
『左様でございますな』
『これでよかったんだよ』
『左様でございますか』
『うん』
そういうことにしておこう。
『また自分の分を頼めばいいし』
『次はもう少し多めに盗みますか?』
『盗むって言うな!』
『ですが、ケイ様もすっかり慣れてこられましたなあ』
『嬉しそうに言うなよ!』
その間にも。
リアは二つ目へ手を伸ばしていた。
「あ」
メイが慌てて止める。
「リア、勝手にそんなに食べないの」
「でもいっぱいあるよ?」
「いっぱいあるからって駄目」
「えー」
メイがケイを見る。
「ごめんね」
「何が?」
「リア、すぐ食べちゃうから」
「別にいいよ」
「ほんと?」
「うん」
メイが少し笑った。
「ありがとう」
「……うん」
「ケイって、こういうことするんだね」
「こういうこと?」
「プレゼント」
「…………」
「ちょっと意外」
「何でだよ」
「だってケイだし」
「またそれかよ!」
メイが笑う。
リアもよく分からないまま笑った。
ケイだけ。
何とも言えない顔をしていた。
『大変喜んでいただけたようで、よろしゅうございましたな』
『俺、一個も食べてないけど』
『左様でございますな』
『甘いもの食べたくて使ったのに』
『左様でございますな』
『何で俺だけ何もないんだよ』
『ほっほっほ』
『笑うな!』
◇ ◇ ◇
「じゃあ俺、そろそろ帰るから」
「うん」
「ありがとう、ケイ!」
リアが袋を抱えながら手を振る。
「ありがとうね」
メイも笑った。
「……またね」
「うん」
ケイは二人に背を向けた。
そして。
家へ向かって歩き始める。
「…………」
『どうされました?』
『別に』
『菓子、惜しくなりました?』
『ちょっと』
『正直で結構』
『うるさい』
六時間待った。
体力も使った。
それなのに。
結局、一つも食べられなかった。
「……今度はもっと多めに――」
『ケイ様』
「…………」
『先ほどの話、もうお忘れで?』
「言ってみただけだよ!」
『左様でございますか』
アズラが笑う。
ケイは少し不機嫌そうに歩いていた。
だが。
メイとリアが嬉しそうにしていた顔を思い出すと。
そこまで悪い気分でもなかった。
一方。
ケイの姿が見えなくなったあと。
メイは手の中の袋を見つめていた。
「…………」
「お姉ちゃん?」
「何?」
「食べないの?」
「食べるよ」
「じゃあ早く!」
「分かってるって」
リアが楽しそうに菓子を頬張る。
メイも、もう一つだけ手に取った。
葬儀で聞いた、ケイの言葉。
そして。
今日もらった、思いがけないプレゼント。
「…………」
少し前まで。
ケイはただの、昔から知っている村の男の子だった。
短気で。
すぐ怒って。
変なことばかりする。
そんな相手だった。
けれど。
最近。
少しだけ。
メイの中で。
ケイを見る目が変わり始めていた。




