第3話 喋る王冠
「俺はまだ認めてないからな!」
「承知しております」
「じゃあ外してくれ!」
「それはできかねます」
「全然承知してないじゃん!」
ケイは頭にしっかりとはまった《黒天冠》を両手で掴み、もう一度思い切り引っ張った。
やはり動かない。
「なんなんだよ、これ……!」
勇者になるつもりで十三年間生きてきた。
それなのに、夜中に突然現れた悪魔から魔王呼ばわりされ、挙げ句の果てには魔王の証だという王冠が勝手に頭にはまった。
意味が分からない。
納得できるはずもない。
そんなケイを前に、老人は何事もなかったように姿勢を正した。
「それでは」
「……それでは?」
「私の役目は、これにて終了でございます」
「は?」
ケイは《黒天冠》を掴んだまま老人を見る。
「終わり?」
「はい」
「何が?」
「私の役目が、でございます」
「いや、それは聞いたけど!」
ケイは自分の頭を指さした。
「こんなもん勝手に頭にはめといて終わりって何だよ!」
「今回、私に与えられた役目は、《黒天冠》を正統なる魔王様へお届けすること。それのみでございます」
「それのみって……」
「無事にお届けできましたので」
「無事なのこれ!?」
ケイは頭の王冠を指さす。
「俺、全然無事な気分じゃないんだけど!」
「頭部も吹き飛んでおりませんので、極めて良好かと」
「基準がおかしいだろ!」
老人は相変わらず穏やかな顔をしている。
「では、私はこれにて失礼いたします」
「ちょっと待て!」
ケイは慌てて一歩近づいた。
「説明は!?」
「《黒天冠》が行います」
「これが?」
「はい」
「これ、喋るの?」
「はい」
「だったら先に言えよ!」
「ご質問がございませんでしたので」
「聞くわけないだろ! 王冠が喋るなんて思わないんだから!」
老人はわずかに首を傾げた。
「左様でございますか」
「そうだよ!」
ケイはそこで、ベッドの上に置かれている剣へ目を向けた。
「あ。そうだ」
「はい」
「この剣、本当に俺が貰っていいんだよな?」
「もちろんでございます」
「もう俺の?」
「すでにケイラス様の所有物でございます」
「後から返せとか言わない?」
「お約束いたしましたので」
「……よし」
そこだけは素直に嬉しい。
ずっと欲しかった、本物の剣だ。
頭に変な王冠がくっついたことを考えれば、とても得をしたとは思えないが。
「では、今度こそ失礼いたします」
「待てって!」
「まだ何か?」
「このまま帰るのかよ!」
「はい。今はまだ、その時ではございませんので」
「……その時?」
老人は少しだけ目を細めた。
「いずれ時が参りましたら、改めてお迎えに参ります」
「迎え?」
「左様でございます」
「どこに?」
「それは、その時に」
「また説明しないのかよ!」
「必要な時が参りましたら、必要なことをご説明いたします」
「今も必要だろ!」
老人は答えず、足元から黒い靄が立ち上り始めた。
「おい、待て!」
「はい」
「せめて名前くらい教えろよ! ずっと老人とか悪魔とか呼ぶことになるだろ!」
老人はそこで動きを止めた。
「……これは失礼いたしました」
白手袋をはめた右手を胸元へ添え、静かに頭を下げる。
「私の名はグレモア」
「グレモア?」
「魔界にて長く魔王家に仕えております――魔界侯爵グレモアでございます」
「魔界侯爵……」
ケイには、それがどれほど偉いのかさっぱり分からない。
だが、少なくとも普通の悪魔ではなさそうだった。
「じゃあグレモア。次に会った時はちゃんと説明しろよ」
「機会がございましたら」
「迎えに来るって自分で言っただろ!」
「左様でございました」
「忘れるの早すぎだろ!」
「では、その際に」
「絶対だからな!」
「善処いたします」
「それ絶対やらない奴の言い方だろ!」
グレモアは答えず、最後に深々と頭を下げた。
「それでは、魔王様。またいずれ」
「だから俺は勇者だって!」
ケイが叫んだ時には、グレモアの身体は黒い靄に完全に包まれていた。
そして次の瞬間。
跡形もなく消えた。
「…………」
部屋に静けさが戻った。
「……帰った」
本当にいなくなった。
いつもの狭い部屋。
ベッド。
机。
椅子。
本棚。
窓から差し込む月明かり。
さっきまで悪魔が立っていたとは思えないほど、何も変わっていない。
ただし。
ベッドの上には、ついさっき手に入れた本物の剣。
そしてケイの頭には、どうやっても外れない《黒天冠》が乗っている。
「なんだったんだよ……」
夜中に突然現れた悪魔。
魔王ケイラス。
魔王の証。
魔界侯爵グレモア。
それに、いつか迎えに来るという意味の分からない話。
分からないことだらけだった。
ケイはため息をつき、ベッドの上の剣へ目を向ける。
「…………へへ」
少しだけ頬が緩んだ。
黒い革を巻いた柄。
銀色の鍔。
鞘には細かな模様が彫り込まれ、柄頭には青い宝石が嵌め込まれている。
恐る恐る鞘から少しだけ抜くと、鋼の刃がランタンの光を受けてきらりと輝いた。
「やっぱ、すげえ……」
本物だ。
木剣ではない。
ずっと欲しかった本物の剣。
「これだけは……まあ、嬉しいけど」
問題は父親だ。
十三歳には早いと言って、何度頼んでも真剣を買ってくれなかった。
そんな父親にこれを見つけられれば、どこで手に入れたのか聞かれるに決まっている。
「悪魔にもらった」
などと答えられるはずもない。
「……隠しとこ」
ケイは剣を鞘へ戻し、ベッドと壁の隙間へそっと差し込んだ。
「よし」
これなら、すぐには見つからないだろう。
そして。
ケイは再び頭へ手をやった。
「で」
本当の問題はこちらだ。
「お前、どうすんだよ」
《黒天冠》。
グレモアは、こいつが説明すると言っていた。
「…………」
返事はない。
「喋るんじゃなかったのかよ」
ケイは《黒天冠》を指先で軽くつついた。
「おーい」
何も起きない。
「…………」
やっぱりグレモアに騙されたのではないか。
「とりあえず外れろよ」
もう一度《黒天冠》へ手をかける。
力を込めようとした、その時だった。
『魔王様』
「…………」
ケイの手が止まった。
今。
声がした。
だが、耳から聞こえた声ではない。
部屋の中からでもなかった。
意味そのものが、頭の内側へ直接流れ込んできたような奇妙な感覚だった。
「…………誰?」
『初めまして』
「…………」
ケイはゆっくりと周囲を見回す。
誰もいない。
『これより、魔王様にお仕えさせていただきます』
「……まさか」
ケイは恐る恐る、自分の頭へ手をやった。
「お前?」
『はい』
「…………」
『うちが《黒天冠》でございます』
「…………」
ケイはしばらく何も言えなかった。
「本当に喋った……」
『左様でございます』
「…………」
ケイは眉をひそめた。
何か引っかかる。
「ていうか、お前……」
『はい?』
「なんか変な喋り方するな」
『そうでっしゃろか』
「ほら、それ! なんだよ、その喋り方」
『ああ』
頭の中の声が、納得したように答えた。
『昔、お仕えしておりました魔王様が、こういう話し方をされるお方やったんです』
「昔の魔王?」
『はい。長いことお側におりましたさかい、いつの間にやら移ってしもうたようでして』
「王冠にも喋り方って移るの?」
『移ったみたいですなあ』
「そこ自分でも分かってないのかよ!」
『何分、長いこと眠っとりましたので』
「便利だな、その言い訳!」
『便利ですさかい』
「認めるなよ!」
ケイは思わず叫んでから、慌てて口を押さえた。
今は夜中だ。
これ以上大声を出せば、父親が起きてくる。
「……ったく」
声を落とし、もう一度《黒天冠》へ触れる。
「で、お前、本当に俺の頭から外れないの?」
『はい』
「即答すんなよ……」
『事実ですので』
「俺、勇者になりたいんだけど」
『左様でございますか』
「魔王になりたいわけじゃないからな?」
『承知いたしました』
「……本当に分かってる?」
『もちろんでございます』
「なんかグレモアと同じ感じがするんだけど」
『気のせいやと思います』
「絶対気のせいじゃないだろ!」
こうして。
勇者になることを夢見ていた十三歳の少年ケイラスは、その日の夜。
どうやっても外れない魔王の証と。
妙な喋り方をする、喋る王冠を手に入れた。




