第2話 魔王の証
「魔王ケイラス様」
「…………」
ケイは黙った。
目の前の老人も、穏やかな表情のままこちらを見ている。
数秒ほど見つめ合ったあと、ケイは自分を指さした。
「……誰が?」
「あなた様が」
「俺?」
「はい」
「魔王?」
「はい」
「…………」
ケイは少し考えた。
そして、すぐに結論を出した。
「人違いだな」
「いいえ」
「絶対、人違いだ」
「いいえ」
「俺、勇者になるんだけど」
「存じ上げません」
「いや、そこ大事だろ!」
最初こそ怖かったものの、話しているうちにだんだん腹が立ってきた。
「俺は小さい頃から勇者になるって決めてんの! 魔王を倒す側! 分かる? 逆なんだよ!」
「ですが、魔王様でございます」
「だから違うって!」
「間違いございません」
老人はそこで、改めてケイの顔を眺めた。
「それにしても――ケイラスとは」
「何?」
「実に素晴らしいお名前でございます」
「……何が?」
「いえ。お気になさらず」
「いや、気になるだろ」
しかし老人は、それ以上説明するつもりはないらしい。
代わりに今度は、ケイを上から下までじっくりと眺めた。
「加えて、そのご気性も実に素晴らしい」
「性格?」
「はい。軽挙妄動、浅慮軽挙、短慮浅才。考えるより先に行動し、思ったことをすぐ口になさる」
「…………」
「やはり悪魔たるもの、そうでなくては」
「待て」
「はい」
「俺、全然褒められてない気がするんだけど」
「気のせいでございます」
「絶対気のせいじゃないだろ!」
老人は穏やかに微笑むだけだった。
ケイは納得できない顔をしたものの、そこで別の疑問が浮かぶ。
「……っていうかさ」
「はい」
「そもそも、なんで俺が魔王だって分かったんだよ?」
「《黒天冠》が反応したためでございます」
「こくてんかん?」
「はい」
「何それ」
「正統なる魔王の証でございます」
「…………?」
ますます分からない。
「それが俺に反応したの?」
「左様でございます。《黒天冠》は長い間、眠りについておりました。しかし先日、突如として目覚め、この方角へ強い反応を示したのでございます」
「それで来たの?」
「はい。その反応を辿り、この村へ。そして最終的に、この家へ辿り着きました」
「…………」
「そこで、しばらく様子を拝見しておりました」
「ちょっと待て」
ケイの眉が寄った。
「しばらく?」
「はい」
「いつから?」
「本日の夕刻頃からでしょうか」
「夕方からずっと見てたの!?」
「はい」
「怖いよ!」
「魔王様である可能性の高い方へ、いきなり声をお掛けするのも失礼かと思いまして」
「今、夜中に俺の部屋にいる方がよっぽど失礼だろ!」
「ごもっともでございます」
「認めるんだ……」
老人は何事もなかったように続ける。
「その後、ご家族があなた様を『ケイラス』とお呼びになるのを耳にいたしまして」
「それが何だよ」
「なるほど。このお方に違いない、と」
「名前だけで!?」
「もちろん、それだけではございません。しばらく観察させていただいた結果――」
老人は満足そうに頷いた。
「実に悪魔らしいお方であると確信いたしました」
「どこ見てそう思ったんだよ!」
「先ほど申し上げました通り、軽挙妄動、浅慮軽挙、短慮浅才――」
「もういい!」
ケイは慌てて遮った。
「じゃあ、俺が一人になるまで待ってたの?」
「左様でございます」
「なんで?」
「ご両親がおられる前で突然『魔王様』とお呼びしては、少々騒ぎになるかと」
「そこだけ妙に常識あるな!」
「悪魔にも礼節は必要でございますので」
「夜中に勝手に子供の部屋へ入ってくる奴が言うなよ……」
ケイは深くため息をついた。
どうにもこの老人と話していると、調子が狂う。
「……まあいい。それで証拠は?」
「はい?」
「俺が魔王だっていう証拠。そこまで言い切るなら、何かあるんだろ?」
「もちろんでございます」
「……あるの?」
「はい」
老人が右手を軽く上げた。
すると、何もなかった空間がゆっくりと黒く歪み始める。
「うおっ!?」
ケイは反射的に木剣を構えた。
歪んだ闇の中から浮かび上がってきたのは、王冠だった。
ただし、普通の王冠とはまるで違う。
手のひらに乗るほどの小さな王冠。その全体は夜を固めたような漆黒で、輪の表面には細かな紋様が刻み込まれている。上へ伸びるいくつもの装飾も、悪魔の角を思わせる複雑な形をしていた。
正面中央には、大きな菱形の青い宝石が一つ。
真っ黒な王冠の中で、そこだけが淡い光を宿している。
豪華ではある。
だが、綺麗というより不気味だった。
老人はそれを両手で受け取る。
「こちらが《黒天冠》でございます」
「これが?」
「正統なる魔王の証。そして、魔王を補佐するための存在でございます」
「……王冠が補佐するの?」
「左様でございます」
「意味分かんないんだけど」
「いずれお分かりになるかと」
「またそれかよ」
ケイは顔をしかめながら、《黒天冠》を眺める。
そして、すぐに別のことが気になった。
「……ちっさくない?」
「…………」
老人がほんの少し黙った。
どう見ても小さい。
ケイの頭どころか、もっと幼い子供の頭にも入るか怪しいほどだ。
「俺の頭、見えてる?」
「もちろんでございます」
「これ、どう頑張っても被れないだろ」
「問題ございません」
「いや、あるって。サイズ合ってないじゃん」
「装着していただく必要はございません」
「……え?」
「まずは触れていただくだけで結構です」
老人は《黒天冠》を静かに差し出した。
「触るだけ?」
「はい。それだけで、《黒天冠》がケイラス様に反応するか否か分かります」
「それで俺が魔王かどうか分かるの?」
「左様でございます」
「…………」
ケイは差し出された《黒天冠》をじっと見た。
怪しい。
ものすごく怪しい。
夜中に突然現れた悪魔から、自分は魔王だと言われ、その証拠として差し出された真っ黒な王冠である。
普通なら触らない。
ただ、触るだけだというなら――。
「変な呪いとかないだろうな」
「ございません」
「触ったら死ぬとか」
「ございません」
「魂取られるとか」
「ございません」
「本当だな?」
「はい」
「絶対?」
「はい」
「…………」
ケイは恐る恐る手を伸ばした。
指先が《黒天冠》へ近づいていく。
あと少し。
ほんの少しで触れるというところで――。
「…………やっぱやめた」
ぴたりと手を止め、そのまま引っ込めた。
「おや」
「いや、怪しすぎるだろ!」
ケイは《黒天冠》を指さした。
「夜中に知らない悪魔が出てきて、『あなたは魔王です』『この真っ黒な王冠に触ってください』って言われて、普通触ると思うか!?」
「ごもっともでございます」
「そこは否定しろよ!」
老人は少し考えるように目を伏せた。
やがて何かを思いついたのか、静かに片手を上げる。
「では――こちらではいかがでしょう」
「何が?」
再び、空間が黒く歪んだ。
「また何か出す気かよ……」
ケイは警戒して木剣を構え直した。
しかし。
闇の中から現れたものを見た瞬間、その木剣がゆっくりと下がった。
「…………」
剣だった。
黒い革が巻かれた柄。
銀色の鍔。
鞘には細かな装飾が施され、柄頭には青い石がはめ込まれている。
見るからに上等な品だった。
「……それ」
「はい」
「剣?」
「左様でございます」
「本物?」
「もちろんでございます」
ケイの目が一気に輝いた。
老人が差し出すと、ケイはほとんど反射的に木剣をベッドへ置き、本物の剣を受け取った。
「おお……」
ずしりとした重みが手に伝わる。
いつも振っている木剣とはまるで違う。
恐る恐る鞘から少しだけ抜くと、磨き上げられた銀色の刃がランタンの光を反射した。
「すげえ……」
ずっと欲しかった。
本物の剣。
父親に何度頼んでも、
「十三のガキに真剣なんか持たせられるか」
と断られてきたものだ。
「こちらは、魔王様のためにご用意した品でございます」
ケイが顔を上げる。
「俺に?」
「はい」
「これ、俺にくれるの?」
「もちろんでございます」
「本当に?」
「はい」
「タダで?」
「はい」
「後から返せとか言わない?」
「申しません」
「…………」
ケイは剣を見る。
それから老人を見る。
次に《黒天冠》。
そして、また剣。
「……条件ある?」
「ございます」
「やっぱり!」
「《黒天冠》へ触れていただければ、こちらの剣はケイラス様へ差し上げます」
「触るだけ?」
「はい」
「被らなくていい?」
「触れていただくだけで結構です」
「…………」
ケイは手の中の剣を見つめた。
どう見ても安物ではない。
こんな剣を自分で買おうと思えば、いったい何年かかるか分からなかった。
「……ずるくない?」
「何のことでございましょう」
「絶対、俺が剣欲しがってるの見てただろ」
「夕刻より拝見しておりましたので」
「やっぱりじゃねえか!」
老人は穏やかに微笑んだ。
「さて、いかがなさいますか?」
「…………」
ケイはしばらく悩んだ。
剣を見る。
《黒天冠》を見る。
もう一度、剣。
「……触るだけだからな」
「はい」
「約束だからな。この剣、俺のだからな」
「もちろんでございます」
「よし」
ケイは剣をベッドの上へ大事そうに置き、今度こそ《黒天冠》へ手を伸ばした。
「……えい」
指先が漆黒の輪に触れる。
その瞬間だった。
「うわっ!?」
正面中央の青い宝石が強く輝いた。
同時に《黒天冠》が一気に大きさを変える。
「え――」
言い終わるより早く、王冠がケイの手を離れて飛び上がった。
すぽっ。
「…………は?」
頭に乗った。
ほんの一瞬。
手のひらほどしかなかった《黒天冠》は、ケイの頭にぴったり合う大きさへ変わり、そのまま勝手にはまっていた。
「ちょ、待て!」
ケイは慌てて《黒天冠》を掴んだ。
「外れろ!」
力いっぱい引っ張る。
だが、びくともしない。
「なんで外れないんだよ!」
「装着が完了したためでございます」
「勝手に装着すんなよ!」
もう一度、両手に力を込める。
それでも動かない。
頭に乗っているはずなのに、まるで最初から身体の一部だったかのように固定されている。
「外せ! 今すぐ!」
そんなケイを見ながら、老人は満足そうに頷いた。
「これで間違いございません」
「何が?」
「ケイラス様は、正統なる魔王様でございます」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
「《黒天冠》は、正統なる魔王ではない者が装着した場合、その者の頭部を吹き飛ばしますので」
「…………」
ケイの手が止まった。
「今なんて?」
「頭部が吹き飛びます」
「そういうことは先に言えよ!!」
ケイの叫びが部屋に響いた。
だが老人は、不思議そうに首を傾げる。
「ですが、ケイラス様が魔王様であれば、お亡くなりになるはずがございません」
「もし俺が魔王じゃなかったらどうするつもりだったんだよ!」
「その場合は、頭部が吹き飛んでお亡くなりになっていたかと」
「それを聞いてんじゃねえよ! お前はどう思うんだよ!」
「特には」
「特には!?」
「魔王様でないのであれば、我々といたしましても特に問題はございませんので」
「…………」
ケイは言葉を失った。
老人は相変わらず穏やかな顔をしている。
「人が一人死ぬんだぞ!?」
「左様でございますね」
「何とも思わないの!?」
「悪魔でございますので」
「悪魔すぎるだろ!!」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
「褒めてねえよ!」
ケイは頭を抱えようとして、《黒天冠》の尖った部分に指が触れそうになり、慌てて手を引っ込めた。
「……最悪だ」
そんなケイを見ながら、老人は改めて胸へ手を当て、恭しく頭を下げた。
「改めまして。正統なる魔王のご誕生、心よりお慶び申し上げます」
「俺は喜んでない!」
「左様でございますか」
「俺は勇者になるんだよ!」
「はい」
「魔王じゃない!」
「魔王様でございます」
「だから違うって!」
「ですが、《黒天冠》がお選びになりましたので」
「勝手にこいつが被ってきたんだろ!」
「それこそ何よりの証明かと」
「…………」
逃げ道を一つずつ潰されていく。
それでもケイは納得する気などなかった。
「俺はまだ認めてないからな!」
「承知しております」
「じゃあ外してくれ!」
「それはできかねます」
「全然承知してないじゃん!」
老人は何事もなかったかのように、《黒天冠》へ視線を向けた。
「《黒天冠》よ」
「……?」
「これより――魔王様を、お守りせよ」
「勝手に話進めんな!」
夜中の自分の部屋で、十三歳の勇者志望は頭を抱えた。
ただし、その頭には。
どうやっても外れない魔王の証が、しっかりと装着されていた。




