第36話 勇者になるための勉強
ある日の昼下がり。
ケイは家の裏で薪を割っていた。斧を振り下ろすと、乾いた音とともに丸太が二つに割れる。
「よし」
割れた薪を横へ置き、次の一本を台の上へ乗せる。
そんな作業を繰り返していると、アズラが唐突に声をかけてきた。
『そういえば、ケイ様』
『何?』
『最近、学校へ行かれておりまへんな』
「…………」
ケイの手が止まった。
『最近っていうか、もう行ってないよ』
『…………え?』
『何?』
『学校へ……行っておられない?』
『うん』
『十三歳で?』
『そうだけど』
アズラが黙った。
『……アズラ?』
『おいたわしや……』
『は?』
『まだ十三歳という若さで、学ぶ機会を奪われ、毎日家のために働かされるとは……』
『ちょっと待て!』
『薪を割り、畑を耕し、幼くして労働の日々――』
『勝手に可哀想な話にするなよ!』
『ですが実際、学校へも行かず働いておられるのでしょう?』
『そうだけど、普通だから!』
ケイは斧を地面へ置いた。
『この村じゃ、みんなそうなんだよ』
『左様なんでっか?』
『うん。俺だって去年までは勉強してたし』
『去年まで?』
『十二歳くらいまでは、村の子供がみんな村長さんのところに集まって勉強するんだよ』
『村長殿が教えてくださるので?』
『村長さんとか、手の空いてる大人とか』
小さい頃から、村の子供たちは決まった日に村長の家へ集められていた。そこで文字の読み書きや計算を習う。
ほかにも、この辺りの土地のことや、昔の出来事について簡単に教わっていた。
『で、十三歳くらいになったら、みんな家の仕事を手伝うようになるんだ』
『なるほど』
『農家なら畑を手伝うし、店の家なら店を手伝う。職人の家なら仕事を覚え始めるし』
『ケイ様は?』
『畑とか薪割りとか、家の手伝い』
『そして剣の修行』
『それも』
『それは家業ではございまへんな』
『勇者になるために必要なんだよ』
『左様でございますか』
ケイは再び斧を持ち上げた。
『だから、別に学校へ行けなくて困ってるわけじゃないよ』
『ふむ』
『文字だって読めるし、書けるし。計算だって一通り習った』
『最低限の教育は受けておられる、と』
『最初からそう言ってるだろ』
『てっきり、十三歳にして教育の機会を奪われた哀れな少年なのかと』
『違うよ!』
『それは安心いたしました』
『本気で心配してたのかよ……』
ケイは呆れながら次の薪を台へ置き、斧を振り下ろした。また一つ、薪が割れる。
『でもさ』
『はい』
『俺には、そんなに勉強いらないと思うけど』
『何故でございます?』
『だって、俺は勇者になるんだぞ』
『存じております』
『だったら勉強するより、剣の練習した方がいいだろ』
『…………』
『何だよ』
『ケイ様』
『何?』
『剣だけ強うなっても、それだけでは勇者にはなれまへんで』
「…………」
ケイの手が止まった。
『……え?』
『剣だけでは足りん、と申し上げたんです』
「…………」
ケイは斧を持ったまま、しばらく動かなかった。そんなことを言われたのは初めてだった。
『どういうこと?』
『そのままの意味でございます』
『でも、勇者って強いんだろ?』
『強いですな』
『剣も強いんだろ?』
『もちろん』
『じゃあ、剣が強ければ――』
『剣が強いことは大切でございます』
アズラはそこで言葉を切った。
『ですが、それだけでは勇者として足りまへん』
「…………」
『昔の勇者たちは、剣だけ振って生きておったわけではございまへんで』
『……そうなの?』
『もちろんでございます』
ケイにとって勇者といえば、強くて、格好よくて、人を助け、悪い魔物や魔王を倒す存在だった。
だから剣の練習をしてきた。走り込みもしてきた。強くなれば、それだけ勇者に近づけると思っていた。
『じゃあ……他に何がいるんだよ』
『知識でございます』
『知識?』
『はい』
『勉強ってこと?』
『そういうことでございます』
ケイはあまり納得していない顔で薪を見る。
『勉強したって、敵は倒せないだろ』
『知識そのもので殴るわけやございまへん』
『それくらい分かってるよ』
『たとえば、どこに何がおるか知らん者は、危険な場所へ平気で入ります』
「…………」
『相手がどんな魔物か知らん者は、戦い方を間違えます』
『……うん』
『土地を知らん者は、目的地へ辿り着くことすらできまへん』
『それは、まあ……』
『その土地の決まりや人々の習慣を知らなければ、人を助けるつもりで余計な騒ぎを起こすこともございます』
ケイは黙った。
『知識いうんも、一つの武器でございます』
『武器……』
『剣とは違いますがな』
アズラは続ける。
『勇者になりたいのでしたら、強うなるだけではなく、いろんなことを知っておかんといけまへん』
『昔の勇者も?』
『ええ』
その言葉に、ケイが顔を上げた。
『お前が昔戦った勇者?』
『左様でございます』
『あいつらも勉強してたの?』
『しておりましたで』
『何を?』
『地理、歴史、戦術、礼法、各地の風習。魔物や薬草に詳しい御方もおりました』
『そんなに?』
『中には王子でありながら勇者となった御方もおりましたさかい』
『王子が勇者だったの!?』
『左様でございます』
『王子なのに戦うの?』
『王子やから戦わん、いう決まりもございまへんやろ』
『まあ、そうだけど……』
『そういった御方は、幼い頃から様々な教育を受けておりましたな』
「…………」
『ワテが実際に戦った勇者たちも、身体はよう鍛えられておりました』
『やっぱり強かった?』
『そらもう。剣を振るうだけの腕力も、長時間戦い続ける体力もございました』
「…………」
ケイは何となく自分の身体を見る。
十三歳にしては背も高く、身体つきも同年代と比べればかなり大きい。農作業を手伝い、薪を割り、毎日のように剣を振っているため、腕や肩にもそれなりに筋肉がついていた。
『ちなみに、ケイ様も身体だけでしたら、年齢の割には悪うございまへんで』
『本当?』
『ええ』
ケイの顔が少し明るくなる。
『体格も十三歳にしては大きいですし、日頃から身体を動かしておられる。剣士を目指す十三歳として見れば、現時点では十分合格点を差し上げてもよろしいかと』
『おお!』
『身体だけは』
「…………」
『今、身体だけはって言った?』
『申しました』
『じゃあ何が駄目なんだよ』
『おつむでございますな』
「…………」
『即答!?』
『ケイ様が聞かれましたさかい』
『もうちょっと考えてから言えよ!』
『考えるまでもございませんでした』
『ひどくない!?』
『ですが、これは大切なことでございますで』
アズラの声が少し真面目になる。
『ワテが戦った勇者たちは、ただ身体が強いだけやございませんでした』
『…………』
『戦いの最中でも周囲を見て、こちらの狙いを考え、自分たちの状況を判断する。それに、よう物を知っておりました』
『そんなに?』
『ええ。土地のことも、魔物のことも、人間同士の決まりも。必要になれば自分の知識を使い、その場で考える』
アズラが小さくため息をつくように言った。
『こちらとしては、そういう勇者ほど非常に厄介でございましたなあ』
『敵だったお前が言うと説得力あるな』
『実体験でございますさかい』
『…………』
『力が強いだけの相手なら、まだ対処のしようもございます。ですが、強いうえに頭まで回る相手は、本当に面倒なんです』
『……なるほど』
『まして、周りにも同じような連中がおるんですから』
『嫌そうだな』
『嫌でしたで』
『そんなにはっきり言うんだ』
『敵でございましたからな』
ケイは少しだけ考えた。
自分の身体は今のところ悪くない。剣の修行も無駄ではない。それは素直に嬉しかった。
けれど、それだけでは足りない。自分が憧れている勇者たちは、身体を鍛えるだけでなく、頭を使い、いろんなことを知っていたのだ。
『でもさ』
『はい』
『俺だって、何も知らないわけじゃないぞ』
『ほう』
『去年までちゃんと勉強してたんだから』
『左様でございましたな』
『文字も読めるし、計算もできるし。この辺のことだって多少は知ってる』
『では、少し確認してみましょうか』
『いいよ』
ケイは自信ありげに答えた。
『まず、ケイ様が現在暮らしておられる国の名前は?』
「…………」
『ケイ様?』
『…………あれ?』
『国の名前でございます』
『分かってるよ』
『では、お答えを』
「…………」
ケイは考えた。
聞いた覚えはある。たしか昔、村長が話していたような気がする。
『……何だっけ』
『…………』
『いや、聞いたことはあるんだよ!』
『左様でございますか』
『本当に! 絶対どっかで聞いてる!』
『覚えてはおられない、と』
『……うん』
『では、もう一つだけ』
『まだあるの?』
『現在の国王陛下のお名前は?』
「…………」
『…………』
『ケイ様?』
『…………知らない』
『分かりました』
『何が?』
『もう結構でございます』
『諦めるの早くない!?』
『十分分かりましたさかい』
『何が分かったんだよ!』
『ケイ様が、思っていた以上に世の中のことを御存じないということが』
『言い方!』
ケイはむっとした。
『しょうがないだろ。俺、ほとんど村から出たことないんだから』
『それは確かにそうでございますな』
「…………」
文字も読める。
計算もできる。
だから、自分は必要なことくらい知っていると思っていた。
けれど、国の名前すら出てこない。
どうやら剣だけではなく、覚えなければならないことも思っていた以上に多そうだった。




