第16話 今度こそ殺人命令
「はぁ……はぁ……」
水を汲み終えたケイは、できるだけ急いで家へ戻ってきた。
玄関を開けると、持っていた桶をいつもの場所へ置き、そのまま階段を駆け上がる。
「ケイ? そんなに慌ててどうしたの?」
下から母親の声が聞こえた。
「なんでもない!」
そう答えて自分の部屋へ飛び込み、扉を閉める。
「……やっちまった」
ケイはその場に座り込んだ。
父親を助けるために、あれだけ酷い目に遭ったばかりだ。村中の人間に見られ、詰所で怒られ、両親にまで頭を下げさせ、家に帰ってからはまた拳骨まで食らった。
それなのに、自分を馬鹿にした四人に腹を立てて、
「お前らなんか、クマにでも食われちまえ」
と、本気で言ってしまった。
当然のように《夢想因果》は発動した。
『アズラ』
『はい、ケイ様』
『さっきのやつ』
『対象四名への事象因果でんな』
『それ以外あるかよ……』
ケイはベッドへ腰を下ろした。
『解除できるんだよな?』
『可能でっせ』
『……条件は?』
聞きたくない。
ついさっきの経験でもう分かっている。どうせ、ろくでもないものに決まっている。
それでも聞かないわけにはいかなかった。
『教えて』
『承知しました』
ケイは身構える。
『まず、解除対象となる四名――トーマ、ルッツ、ベイル、ニコを同一地点へ集めてください』
『四人を?』
『はい』
ここまでは普通だ。
問題は、この先だった。
『四名全員の前で――』
『…………』
『「俺、ケイラスは十歳まで毎晩おねしょをしていました」と、大声で三度告白してください』
『…………』
長い沈黙が流れた。
『……何?』
『「俺、ケイラスは十歳まで毎晩――』
『聞こえたよ!』
ケイは頭を抱えた。
『なんでそんなことが解除条件になるんだよ!』
『ワテに言われても困りますなあ』
『お前が言ってるじゃん!』
『ワテは提示されている解除条件をお伝えしているだけでございます』
『じゃあ誰がこんなの決めてるんだよ!』
『それはワテにも分かりまへん』
『何で分かんないんだよ!』
『ワテが決めているわけではございまへんので』
『余計怖いよ!』
よりによって、絶対に知られたくない過去だった。しかも、それを話す相手は今日、自分を散々馬鹿にしてきた四人だ。
そんな連中の前で、大声で三回も告白しなければならない。
『……無理』
『まだ続きがございます』
『もういい!』
『四名それぞれへ頭を下げたうえで――』
『聞きたくない』
『「先ほどは酷いことを言ってごめんなさい。誰にも言わないでください」と謝罪してください』
ケイの顔が引きつった。
『絶対言いふらすだろ、あいつら!』
『その可能性は否定できまへんな』
『否定してくれよ!』
想像するだけで最悪だった。
四人の前で、おねしょの秘密を三度叫ぶ。そのうえ一人ずつ頭を下げて謝り、最後には「誰にも言わないでください」と頼まなければならない。
翌日には村中に広まっている未来しか見えなかった。
中央広場での一件だけでも、もう人生が終わったと思ったのだ。これ以上は耐えられない。
『…………やらない』
『承知しました』
『いや、簡単に承知するなよ』
『解除条件を実行されへん場合、御命令は予定通り遂行されます』
『分かってるよ!』
『……いえ』
『何?』
『正確には、ケイ様が考えておられるより少々危険でございます』
「…………」
ケイが眉をひそめる。
『どういう意味?』
『ケイ様がお出しになった御命令は、「熊に襲われろ」ではございまへん』
『…………』
『「クマにでも食われちまえ」でございます』
ケイの表情が固まった。
『せやから現在、《夢想因果》は対象四名が熊に襲われ、そのまま食い殺される方向へ因果を組み上げております』
『……食い殺される?』
『左様でございます』
『でも、絶対死ぬって決まったわけじゃないんだろ?』
『結果そのものが完全に固定されたわけやございまへん。ですが、御命令の内容が内容ですさかい、このまま何もなさらなければ死亡する可能性は極めて高いでっしゃろな』
「…………」
『重傷で済む者が出る可能性もございます。ですが、少なくとも「熊に襲われて驚きました」で終わる因果ではございまへん』
『……そういうの先に言えよ』
『今申し上げております』
『遅いよ!』
ケイは頭を抱えた。
すると。
『それと、ケイ様』
『……何だよ』
『おめでとうございます』
「…………」
『何が?』
『今度こそ、《夢想因果》による初の殺人命令でございます』
「…………」
『それも、初回から四名になりそうとは』
『めでたくないよ!!』
『そうでっか?』
『そうに決まってるだろ! 人が死ぬかもしれないんだぞ!』
『あくまで、ワテは悪魔でございますさかい』
「…………」
『今のダジャレ?』
『悪魔としては、当然の祝辞でございます』
『祝うなよ!』
『なかなか景気がよろしい』
『最悪だよ!』
『魔王様らしくなってまいりましたなあ』
『なってない! 俺は勇者になるんだよ!』
『勇者でっか』
『そうだよ』
『では、勇者大悪魔でございますな』
「…………」
『何だよ、勇者大悪魔って!』
『ケイ様は将来、“勇者ケイラス”を名乗られるのでしょう?』
『そうだけど』
『昨日も申し上げましたやろ。“ケイラス”は魔族語では「破滅の悪魔」、あるいは「大悪魔」といった意味になりますさかい』
『……だから勇者大悪魔?』
『左様でございます』
『嫌すぎるだろ! 俺は普通の勇者になるの!』
『普通のでございますか』
『普通の!』
『なるほど』
『分かった?』
『では、“勇者大悪魔”はそのままとして――』
『そのままにするなよ!』
『ただ、もう一つございます』
『まだあるの?』
『頭にはワテという悪魔がおります』
「…………」
『いるな』
『となれば――悪魔勇者大悪魔でございますな』
『何で増やすんだよ!』
『前後を悪魔で挟んでおります』
『挟むな!』
『なかなか収まりがよろしい』
『全然よくない!』
『でしたら、勇者になるのはやめておかれますか?』
『やめない!』
ケイは即答した。
『何回言われても、俺は勇者になる』
『左様でっか』
『そうだよ』
『では、頑張ってくださいませ。悪魔勇者大悪魔様』
『普通の勇者だって言ってるだろ!!』
思い切り言い返してから、ケイは大きく息を吐いた。
そして、ベッドの上へ座り込む。
「…………」
冗談を言っていても、状況が変わったわけではない。
トーマ、ルッツ、ベイル、ニコ。
このまま何もしなければ、四人は熊に襲われ、食い殺される可能性が高い。
だが、解除条件だけはやりたくない。
「……何かないかな」
ケイは膝を抱えながら考えた。
解除条件を実行せず、それでも四人を助ける方法。
何か、他に方法はないのか。
ケイは一人、ベッドの上で考え始めた。




