第14話 最悪の一周
『解除条件の実行を確認します、ケイ様』
アズラの声が頭の中へ流れ込んできた。
ケイは村の中央広場で立ち尽くしていた。
周囲には大勢の村人がいる。
露店の商人。買い物中の主婦。走り回っている子供たち。暇そうに立ち話をしている老人たち。
昼前の中央広場は、いつも通り賑わっていた。
「…………」
ケイはその光景を前にして、今さらながら猛烈に後悔した。
――夜のうちにやっておけばよかった。
昨夜、アズラから解除条件を聞いた時に、そのままここまで来ていればよかったのだ。
夜中なら、人なんてほとんどいなかったはずだ。
それなのに、あんな馬鹿げた話が本当だなんて信じきれず、そのまま眠ってしまった。
そして寝過ごした。
《夢想因果》が本物だと分かった頃には、もうこんな時間になっていた。
『お父上への魔王命令、結果実現まで――残り二十八分です』
『……分かってる』
もう後悔している暇すらない。
しかも、よりによって。
「ケイ?」
「…………」
目の前にはマリアンヌがいた。
長い栗色の髪を揺らし、淡い色のワンピースを着ている。買い物の途中なのか、小さな籠を腕に提げていた。
明るい色の瞳が、不思議そうにケイを見つめている。
ケイが以前から少し気になっている少女だった。
「何してるの? こんなところで」
「いや……その……」
最悪だ。
どうして今日に限っているんだ。
いや、マリアンヌだってこの村に住んでいるのだから、中央広場にいたって何もおかしくはない。
おかしいのは、これから自分がやろうとしていることの方だ。
ケイは歯を食いしばった。
父親の顔を思い出す。
昨日は三発も殴られた。
今朝だって口うるさかった。
畑仕事でも、もっと深く掘れだの、そこに根が残っているだの、散々文句を言われた。
腹の立つ父親だ。
それでも、死んでほしいわけじゃない。
まして、自分の一言で死なせるなんて絶対に嫌だった。
「……親父のためだ」
「え?」
マリアンヌが聞き返す。
「なんでもない!」
「?」
不思議そうに首を傾げるマリアンヌから目を逸らし、ケイは覚悟を決めた。
震える手を腰元へやる。
そして――解除条件の一つ目を実行した。
「…………」
マリアンヌの表情が固まる。
一秒。
二秒。
目の前で何が起きているのか理解した瞬間。
「きゃあああああああっ!!」
広場中に悲鳴が響いた。
「ケイ!? な、何やってるの!?」
「ご、ごめん!!」
「なんで謝りながら続けてるの!?」
「俺だってやりたくてやってるんじゃないんだよ!!」
「だったらやめなさいよ!!」
「やめたら駄目なんだよ!!」
「何それ!?」
当然、周囲の村人たちも次々と異変に気づいていく。
「おい、何やってんだあの子!」
「ちょっと! ここ中央広場よ!」
「あれ、ケイじゃないか?」
「ほら、あそこの畑やってる家の息子だろ」
「ケイラス!?」
「何考えてんだ、あいつ!」
あっという間に視線が集まってきた。
ケイの顔は耳まで真っ赤になる。
「見るなぁぁぁぁ!!」
「広場の真ん中でやってたら見るだろ!」
どこかから男の声が飛んできた。
その言葉をきっかけに、笑い声まで聞こえ始める。
「勇者になるって言ってる奴だろ?」
「何の修行だよ!」
「これのどこが勇者なんだ!」
「いや……でも、ある意味勇者だろ、あれ」
「どこがだよ!」
「俺なら絶対できねえ」
「そういう勇気じゃねえよ!!」
「うるさい!!」
ケイは顔を真っ赤にして怒鳴った。
笑い声がさらに大きくなる。
消えてしまいたかった。
穴があったら入りたいどころではない。
今すぐ穴を掘って、そのまま埋めてもらいたかった。
昨夜の自分を殴りに行きたい。
どうして寝た。
どうして夜のうちにやらなかった。
だが、いくら後悔しても時間は戻らない。
そして――まだ終わっていなかった。
『第一解除条件――達成を確認しました』
『続いて第二解除条件へ移行してください』
『中央広場を一周』
『…………分かってる』
むしろ、ここからが本番だった。
「ケイ……?」
マリアンヌが、完全に信じられないものを見るような顔でこちらを見ている。
ケイはもう彼女の顔をまともに見られなかった。
「……ごめん!」
「何が!?」
ケイは走り出した。
「うわあああああああ!!」
「おい!」
「今度は走り出したぞ!」
「ケイ! 止まりなさい!」
逃げているわけではない。
解除条件を達成するためだ。
この中央広場を一周しなければならない。
「なんでこんなことぉぉぉぉ!!」
泣きそうになりながら走る。
野菜売りの露店を通り過ぎる。
「こら! 危ないだろ!」
「ごめんなさい!」
パン屋の前を駆け抜ける。
「ケイラス! 何やってるの!」
「俺も分かんないよ!」
肉屋の主人まで店から飛び出してきた。
「ケイ! 止まれ!」
「止まったら親父が死ぬんだよぉぉぉ!!」
「何の話だ!」
当然、誰にも意味は通じない。
後ろから何人かの大人まで追いかけてくる。
「待ちなさい!」
「ケイラス!」
「あとちょっとだからぁぁぁ!!」
ケイは必死に走った。
勇者になるために毎日走り込んできた。
まさか、その訓練がこんなところで役に立つとは夢にも思わなかった。
途中では、同年代の少年たちが腹を抱えて笑っていた。
「うわっ! ケイじゃん!」
「何やってんだよ!」
「やべえ、腹痛え!」
「笑うなぁぁぁ!!」
「頑張れ勇者ー!」
「応援すんなぁぁぁ!!」
さらに笑い声が上がる。
「速いぞ、勇者!」
「もうちょっとだ!」
「だから応援するなって言ってんだろぉぉぉ!!」
ケイは涙目になりながら走り続ける。
父親のためだ。
父親の命のためだ。
何度もそう言い聞かせた。
やがて、最初に立っていた場所が見えてきた。
『残り――十五メートル』
『分かってる!』
十歩。
五歩。
三歩。
「これで――!」
最後の一歩を踏み込んだ。
『第二解除条件――達成を確認しました』
「…………!」
『全解除条件の達成を確認』
『対象――ケイ様のお父上』
『御命令――死亡』
『当該魔王命令を撤回いたします』
『事象因果への干渉を停止』
『確定予定結果――解除』
「…………」
終わった。
「助かった……」
ケイはその場にへたり込みそうになった。
父親が助かった。
もう死なない。
その事実だけで、今までの恥ずかしさが一瞬だけどうでもよくなった。
――本当に、一瞬だけだった。
「ケイラス」
「…………はい」
低い声に振り返る。
そこには、村の大人たちが恐ろしい顔で立っていた。
「お前」
「はい」
「何をやってた?」
「…………」
ケイは視線を逸らした。
「ちょっと……我慢できなくて」
「我慢できないからって中央広場でする奴がいるか!」
「すいません!」
「しかもそのあと、なんで広場を一周した!」
「それは……」
言えるわけがない。
父親に「死んじまえばいい」と言ったら暗黒術が発動したので、それを解除していました。
そんな説明をしたところで、別の意味で大騒ぎになるだけだ。
「…………なんとなく」
「なんとなくで走り回るな!!」
「すいません!!」
◇ ◇ ◇
そこから先は、さらに散々だった。
ケイはそのまま広場脇の詰所へ連れていかれ、村の大人たちからこっぴどく叱られた。
なぜ中央広場であんなことをしたのか。
なぜそのあと走って一周したのか。
何度聞かれても、本当の理由なんて言えるはずがない。
「……我慢できなくて」
結局、それで押し通すしかなかった。
当然、誰も納得してくれなかった。
さらに最悪なことに、しばらくして父親と母親まで呼び出された。
「ケイ!!」
「…………」
詰所へ飛び込んできた父親は、顔を真っ赤にしていた。
その隣には、困り果てた顔をした母親もいる。
だが、ケイは父親の姿を見た瞬間だけ、ほんの少し安心した。
生きている。
当たり前のように立っている。
本当に助かった。
もっとも、喜んでいる場合ではなかった。
「申し訳ありません!」
「本当に、うちの子が……!」
事情を聞かされた父親と母親は、村の大人たちへ何度も頭を下げた。
「ケイ、お前もだ!」
「……ごめんなさい」
結局、ケイまで横に並ばされ、三人揃って平謝りすることになった。
ケイにとっては、それが一番きつかった。
自分一人が怒られるならまだいい。
だが、父親と母親まで自分のせいで頭を下げている。
「……ごめん」
今度は誰かに言われたからではなく、本当にそう思った。
◇ ◇ ◇
ようやく家へ帰ったあと。
ごつん!!
「痛ってえ!!」
父親の拳骨が、容赦なくケイの頭へ落ちた。
「お前は何考えてんだ!!」
「ご、ごめんって!」
「中央広場だぞ!? 村中の人間が使う場所で何やってんだ!」
「だから我慢できなくて――」
「家まで十分もかからねえだろうが!」
「…………」
返す言葉がない。
「それに、なんでそのあと一周した!」
「…………なんとなく」
「なんとなくで走るな!!」
「痛い痛い! もう殴っただろ!」
「まだ足りねえ!」
「足りるよ!」
いつもなら、ここでさらに言い返して喧嘩になっていたかもしれない。
だが今日は、さすがのケイも強く出られなかった。
父親だけではない。
母親も珍しく、本気で怒っていた。
「ケイ。今日のことは本当に駄目よ」
「……はい」
「お父さんたちまで謝ることになったのよ」
「……ごめんなさい」
それを言われると弱かった。
本当の理由を話すことはできない。
父親を助けるためだったとも言えない。
ケイはただ、二人からこっぴどく叱られ続けるしかなかった。
『お父上への御命令は、完全に撤回されております』
『……分かってる』
『しかし、ケイ様が望まれるのでしたら、今度はお二人を――』
『黙ってろ』
『承知しました』
ケイは痛む頭を押さえながら、目の前で怒っている父親を見た。
うるさい。
すぐ殴る。
今だって腹が立つ。
それでも、生きている。
それだけは本当によかった。
「…………」
ただ、もう一つ。
ケイの頭から離れないものがあった。
広場にいたマリアンヌの顔だ。
最初は何が起きているのか分からず、驚いていた。
そのあと、ケイが一周して戻ってきた頃には、どう声をかければいいのか分からないような顔でこちらを見ていた。
けれど今のケイには、それが完全に嫌われた顔にしか思えなかった。
「…………終わった」
思わず呟く。
「何がだ?」
父親が睨む。
「何でもない……」
完全に嫌われた。
あんなところを見られて、まだ普通に思ってもらえるはずがない。
まして、もしかしたらいつかマリアンヌに好かれるかもしれないなんて、そんな希望は今日で全部吹き飛んだ。
父親は助かった。
そのためにやったことだった。
だから、あの解除条件をやったこと自体は後悔したくない。
でも、村中にはとんでもない姿を見られた。
両親には頭を下げさせた。
帰ってきてからは拳骨まで食らった。
そして、好きな女の子には完全に嫌われた――少なくともケイには、そうとしか思えなかった。
「……最悪な一日だ」
「何か言ったか!」
「何も言ってない!」
父親の怒鳴り声が、また家中に響いた。
父親の命は救えた。
その代わり。
ケイラスの十三歳の恋は。
たぶん今日、終わった。




