第13話 脱出不能
走る。
とにかく走った。
目指すのは村の中央広場。
今まで何度も通ったことのある場所なのに、今日はやけに遠く感じる。
『残り時間は?』
『現在、四十三分ほどです』
『もう四分減ってる!』
『時間は経過しておりますさかい』
『分かってるよ!』
走りながら、ケイは悪態をつく。
すると。
『ところで、ケイ様』
『何だよ、今忙しいんだけど!』
『先ほどから気になっとったことがございまして』
『あとにして!』
『お名前についてです』
『名前?』
『ケイ様の正式なお名前は、ケイラス様でございましたな』
『そうだけど?』
『偶然とは興味深いもんですなあ』
『何が?』
『「ケイラス」という音は、古い魔族語において――』
アズラが少し誇らしげに告げた。
『「破滅をもたらす悪魔」といった意味を持ちます』
『…………』
走っていたケイの顔が引きつった。
『何その嫌な意味』
『実にケイ様らしいお名前かと』
『どこがだよ!』
『昨夜はお父上の死亡を御命令され、本日はそのお父上を屋内へ閉じ込めることで、結果としてお母上まで巻き込まれる可能性を生み出されました』
『俺がやろうとしたみたいに言うな!』
『ご両親お二人を同時に破滅へ導く発想。まさしく真の悪魔――』
『褒めるな!』
『さすがでございます、ケイラス様』
『やめろ!』
『まるで、ご両親がケイ様の将来を予見したうえで名付けられたかのような――』
『もういいって!』
『しかし実に見事な――』
『もう褒めなくていい!!』
『承知しました』
『…………待てよ』
『はい?』
『そういえば、グレモアも俺の名前褒めてなかった?』
『グレモア卿が?』
『最初に来た時だよ。「ケイラスとは、実に素晴らしい名前だ」とか言ってた』
あの時は、何がそんなに素晴らしいのか聞いても、グレモアは答えなかった。
『もしかして、あれもこの意味知ってたから?』
『おそらく、そうでっしゃろなあ』
『…………』
『魔族からすれば、「破滅をもたらす悪魔」に近い意味のお名前でございますから。そら、実に素晴らしいお名前に聞こえたことでっしゃろ』
『全然嬉しくない!』
『グレモア卿は、さぞ感銘を受けられたんやと思いますで』
『だからあいつ、あんな嬉しそうだったのかよ……』
今さらになって、あの時のグレモアの妙に満足そうな顔の意味が分かった。
『…………最悪』
『ありがとうございます』
『褒めてない!』
ケイはそれ以上何も言えなかった。
勇者になりたい。ずっとそう思って生きてきた。
なのに魔族の言葉では、自分の名前まで悪魔じみた意味らしい。
『…………最悪』
『ありがとうございます』
『褒めてない!』
ケイは走りながら、もう一つだけ願った。
せめて、マリアンヌだけはいませんように。
もし今から自分がやろうとしていることを見られたら、間違いなく嫌われる。
マリアンヌは、ケイが同年代の中では村で一番可愛いと思っている女の子だった。
一見すると大人しそうなのに、言いたいことはかなりはっきり言う。時々ちょっときついくらいだ。
でも、ケイはそういうところも好きだった。
『……頼むから、いないでくれよ』
そんなことを願いながら走っているうちに、中央広場が見えてきた。
「……着いた!」
そして、ケイは足を止めた。
「…………嘘だろ」
人。
人。
人。
広場には大勢の村人がいた。
露店には野菜や果物、肉、パンが並び、行商人まで来ている。
子供もいる。
大人もいる。
老人もいる。
「なんで今日に限ってこんなにいるんだよ……」
普段の昼だって人はいる。だが今日は、それより明らかに多かった。
『解除条件を実施するには十分な環境かと』
『十分すぎるよ!』
昨日の夜なら、誰もいないうちにやれた。
あの時は信じなかった。本当に父親が死ぬなんて思っていなかった。
その結果がこれだ。
「……帰りてえ」
『解除条件未達成の場合、魔王命令は予定通り遂行されますで』
『分かってるよ……』
ケイは広場を見回した。
どこでやる。
どうやってやる。
誰にも見られない場所なんて――。
「ケイ?」
「…………!」
聞き覚えのある声に、心臓が跳ねた。
その声だけは、今、この場所で一番聞きたくなかった。
恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、見慣れた同年代の少女だった。
白い肌に、青いワンピースがよく似合っている。
普段なら、その姿を見かけただけでも少し嬉しくなる。
だが今、その少女は真正面からこちらを見ていた。
マリアンヌ。
さっき、どうかいませんようにと願ったばかりの女の子。
「やっぱりケイだ」
マリアンヌが笑った。
「何してるの?」
「…………」
ケイは答えられなかった。
「ケイ?」
「……なんで」
「え?」
「なんでいるんだよ……」
マリアンヌが怪訝そうに眉を寄せる。
「なんでって、お母さんのお使いだけど」
「今日じゃなくてもいいだろ……」
「何言ってるの?」
「いや……なんでもない」
最悪だ。
本当に最悪だった。
よりによって、なんでマリアンヌがいる。
『アズラ』
『はい、ケイ様』
『あと何分?』
『確認いたします』
一瞬の間。
『結果実現まで――残り三十二分』
「…………」
三十二分。
ケイは広場を見た。
大勢の村人。その中にマリアンヌ。そして今頃、何も知らずに家にいる父親。
『三十一分五十七秒』
『三十一分五十六秒』
『三十一分五十五秒』
『細かく数えなくていい!』
『失礼いたしました』
「ケイ?」
マリアンヌが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「本当に大丈夫? 顔色悪いよ?」
「…………」
やりたくない。
絶対にやりたくない。
こんな人数の前で。しかも、好きな女の子の前で。
十三歳のケイにとっては、逃げ出したくなるほど嫌だった。
だが。
「…………親父」
今朝の父親を思い出す。
朝飯を食べながら文句を言っていた。畑で何度も口うるさく指図してきた。
腹は立つ。何度も殴られる。勇者になるという夢だって馬鹿にされる。
それでも、死んでほしくなんかない。
まして、自分の言葉で殺したくなんかない。
「…………っ」
ケイは目を閉じた。
そして、覚悟を決める。
「ケイ、本当にどうしたの?」
マリアンヌの声が聞こえる。
ケイは聞こえないふりをした。
震える手を、ゆっくりと腰元へ伸ばす。
『解除条件の実行を確認します』
『……うるさい』
『失礼いたしました』
顔はもう真っ赤だった。
逃げ道を探した。別の方法も考えた。
だが結局、ここへ戻ってきてしまった。
もう、やるしかない。




