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勇者になりたい俺が、夢想の魔王になった件  作者: 月欠けラムネ
第一章 俺が魔王なわけがない

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第10話 勇者と盗人


『ケイ様がご希望でしたら、出現直前にカウントダウンを行うこともできますで』


『カウントダウン?』


『はい。三秒前ほどからでよろしいでっしゃろか』


『そんなことできるの?』


『出現予定時刻は把握しとりますさかい』


『じゃあ、やって』


『承知しました』


 ケイは机の前で身を乗り出した。


 昨夜、自分が口にした。


「パン、出てこい」


 その言葉が本当に現実になるのか。


 あと少しで分かる。


『……まだ?』


『もう少々です』


『気になるんだけど』


『まあまあ、お待ちくださいな』


 何もない机の上をじっと見つめる。


 そして。


『三秒前です』


『おっ』


 ケイは目を見開いた。


『三』


 何もない。


『二』


 まだ何もない。


『一――』


 ――ぽすっ。


「…………」


 ケイは固まった。


 さっきまで何もなかった机の上に。


 パンが一つ。


 本当に置かれていた。


「…………」


 恐る恐る手を伸ばす。


 指でつつく。


 柔らかい。


 持ち上げる。


 匂いを嗅ぐ。


 間違いなくパンだった。


『物質因果による御命令の完遂を確認しました』


『確定予定結果――達成』


『命令達成予測――100%』


「……本当に出た」


『そら出ますよ』


 ケイはパンを手に持ったまま、しばらく動けなかった。


 昨夜までは、どこかで疑っていた。


 悪魔が現れたのは事実だ。


 アズラと一体化したのも事実だ。


 だが。


 自分が口にしただけで、本当に世界がその通りになる。


 そこまでは、どうしても信じ切れなかった。


 しかし今。


 目の前に答えがある。


『……これ、本当に食える?』


『普通のパンですさかい』


『毒とか入ってないよな?』


『そのような指定はされてまへんな』


『指定しなきゃ毒入りになる可能性あるみたいに言うなよ』


『そないな意味やありません』


 ケイは少し迷った。


 だが。


 昨夜から腹が減っている。


 しかも目の前にあるのは、どう見ても普通のパンだ。


「……いただきます」


 ケイはパンにかぶりついた。


「…………」


 普通だった。


 ごく普通のパン。


 だが、空腹だったこともあって悪くない。


『普通だ』


『パンですさかい』


『でも腹減ってたから、うまい』


『それは何よりでございます』


 ケイはもう一口かじる。


 さらにもう一口。


 昨日からろくに腹が満たされていなかったせいもあり、食べ始めると止まらなかった。


 結局。


 パンはあっという間に全部なくなった。


「……食った」


『綺麗に召し上がられましたなあ』


『腹減ってたからな』


 六時間待たされたのは気に入らないが。


 少なくとも、パンそのものはちゃんと食べられた。


『もうちょっとこう……すごいやつでもよかったけど』


『ケイ様の御命令は「パン、出てこい」でしたやろ』


『そうだけどさ』


 とはいえ。


 本当に出た。


 そして。


 本当に食べた。


 その事実だけは変わらない。


 ケイは満足げに息を吐いた。


 そこで。


 ふと、気になった。


『……なあ、アズラ』


『はい、ケイ様』


『今のパンって、どこで焼いたやつなの?』


『どこで、と申されましても』


『だって、何もないところから作ったんじゃないんだろ?』


『せやね。《物質因果》は基本的に、すでに存在しとる物をこちらへ移動させるもんですさかい』


『じゃあ今のパン、誰かが焼いたパン?』


『おそらくは、そうでっしゃろな』


『パン屋とか?』


『店の商品かもしれまへんし、どこぞのご家庭で焼かれたパンかもしれまへんなあ』


『…………』


 ケイの動きが止まった。


 ついさっき。


 全部食べた。


『それを、俺のところに持ってきた?』


『そういうことになりますな』


『持ち主に断って?』


『いいえ』


『…………』


 嫌な予感がした。


『それってさ』


『はい』


『盗んだだけじゃん』


『まあ、言い方を変えれば、そうなりますな』


『言い方変えなくてもそうだろ!』


『おめでとうございます、ケイ様』


『何が!?』


『《夢想因果》による、記念すべき最初の窃盗でございます』


『記念にすんな!』


『しかも証拠品はすでに胃の中。なかなか見事な手際ですなあ』


『知らなかったんだよ!』


『昨夜は最初の殺人命令。そして今朝は最初の窃盗。いやあ、順調に魔王らしゅうなられてますなあ』


『全然嬉しくないから!』


『立派な盗人への第一歩でございます』


『勇者になりたい奴に何言ってんだよ!』


 ケイは頭を抱えた。


『俺、全部食っちゃったんだけど!』


『美味しゅうございましたやろ?』


『だからそういう問題じゃない!』


『残念ですなあ』


『何が!?』


『せっかく盗むんでしたら、もうちょっと美味しいパンの方が――』


『盗みたくて盗んだんじゃないから!』


 さっきまで美味しく食べていたパンが。


 今では全部、自分の腹の中に入っている。


『俺、勇者になりたいんだぞ! 盗みなんかしたくないんだよ!』


『ですが、《物質因果》としては正常に機能しとりますで』


『じゃあやっぱり使えないじゃん、この力!』


『使えますやん』


『使いたくないって意味だよ!』


『ああ。そっちでっか』


『勇者が人の物盗んでどうすんだよ……』


 ケイは深くため息をついた。


 そして。


「…………」


 何かが頭に引っかかった。


『……待って』


『はい?』


『俺、昨日さ』


『はい』


『最初に金貨百枚出そうとしたよな』


『されてましたなあ』


『あれ、もし成功してたら……』


『はい』


『どっかにある金貨百枚が、俺のところに来てたってこと?』


『そうなる可能性が高いでっしゃろな』


『…………』


 ケイの顔から、すっと血の気が引いた。


『それ……めちゃくちゃ大変なことになってない?』


『せやねえ』


『せやねえ、じゃないよ!』


『金貨百枚ともなれば、持ち主さんもさぞ驚かれたことでっしゃろなあ』


『驚くで済む!?』


『場合によっては、大事件になっとったかもしれまへんな』


『…………』


『いやあ、残念でしたなあ』


『何が!?』


『成功しとったら、十三歳にして世紀の大怪盗になれたかもしれませんのに』


『なりたくないよ!』


『金貨百枚を一夜にして消し去る謎の怪盗ケイラス』


『格好よく言うな!』


『正体は誰にも知られず、盗品だけが寝室へ――』


『やめろ!』


 ケイは思わず声に出しそうになり、慌てて口を押さえた。


 そして。


『……危なかった』


『何がです?』


『成功しなくてよかった……』


 今度ばかりは。


 本当に。


 心の底からそう思った。


 金貨百枚なんて本当に出てくるわけがない。


 昨日そう疑っていた自分を、全力で褒めてやりたいくらいだった。


『俺が「そんなもん出るわけない」って思ってたから、発動しなかったんだよな?』


『せやで。心のどっかに疑いが残っとりましたさかいな』


『よかった……』


『残念でございました』


『よかったの!』


『そうでっか』


『本当に……よかった……』


 ケイは胸を撫で下ろした。


 もし昨日。


 本気で金貨百枚が手に入ると信じていたら。


 今頃、自分の部屋には大量の盗品が積み上がっていたかもしれない。


 想像するだけで怖い。


 そして。


 数秒後。


『…………なあ、アズラ』


『はい』


『お前さ』


『はい』


『これについても、一言足りなくない?』


『何がでっしゃろ』


『俺、《物質因果》って、お前が魔法か何かでパンを作ってくれるのかと思ってたんだけど』


『そんなわけないでっしゃろ』


『なんでちょっと呆れてんだよ!』


『うち、パン職人やありませんし』


『そういう意味じゃねえよ!』


『そもそも、うちが毎回せっせとパンや金貨を用意しとったら、それはもう《夢想因果》やのうて、うちの買い出しですやん』


『買ってすらないだろ!』


『せやったら、うちの盗みですな』


『どっちにしろ駄目じゃん!』


『ケイ様の御命令を叶えるためですさかい』


『勇者になりたい奴の盗みを手伝うなよ!』


『魔王様でしたら、むしろ大変よろしいかと』


『だから俺は勇者になりたいんだって!』


『存じております』


『絶対分かってないだろ……』


 ケイは自分の腹を見下ろした。


 さっき食べたパンが、急にものすごく重くなった気がした。


 そして、その瞬間。


 昨夜もう一つ発動した《夢想因果》のことが、頭をよぎった。


「…………」


 父親。


 死亡。


 十二時間。


『……アズラ』


『はい、ケイ様』


『父さんのやつも』


『正常に進行しとりますで』


「…………」


 思わず口元が引きつった。


『……そっか』


 パンが出た。


 なら。


 父親への命令だけが嘘だと思う理由は、もうなかった。


 だが、パン一個程度では、昨夜からの空腹は満たされなかった。


 むしろ食べたことで余計に腹が減ってきた気さえする。


「……朝飯食おう」


 ケイは空腹を抱えたまま、急いで部屋を出た。



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