〜誰が為に愛を叫ぶ〜
▮
カツーン カツーン カツーン
大理石の通路にヒールの足音が響く。
ここは魔王城アーカムの回廊。
女は大きくスリットの入ったロングスカートに、背中が露わになった大胆なドレスに身を包み、装飾と宝石で美しくその身を飾っていた。
女は薄明るい光に照らされる回廊を悠然と歩き、その先に控えていた厳めしい装飾の門の前に立った。
貴族服に袖を通した二人の魔族が仰々しく一礼する。彼らは女に一瞥すると、門を開き始めた。
重い音を立て、女が見つめる先は王の間…いや、魔王の間であった。
黒き大理石で作られた漆黒の間に、赤い絨毯が引かれている。それを境目にし、両脇を数多の魔族と亜人が列をなし、女に敬愛と羨望、果ては奇異といった入り乱れた視線を注いでいた。
女は絨毯の上を真っすぐ進み、階段上の玉座に座する王に向け、跪き、深く頭を下げた。
それを見て、座したる王…魔王が口を開いた。
「よくぞ戻った。面を上げよ。」
「はっ!」
女は顔を上げた。紫紺の髪を靡かせ、妖艶な笑みを浮かべながらゆっくりと口を開く。
「グラミア=ユーフラシュネ=アエーシェマ。御前に。魔王シェブニグラス=インフェルド陛下。」
「うむ。この度の貴公の働きは既に報告を受けている。実に見事であった。これで我が【ユートピア作戦】はまた一つ大きな前進を迎えることが出来たことであろう。」
「勿体なきお言葉…。主様のお役に立つことこそ我が悦び。これからも主様の御期待に沿えるように精進していく所存でございます。」
美しい所作と見事な口上…。
その洗練された佇まいに、幹部席にいた紅麗尉は違和感を覚えた。
普段の傲慢さはおろか、魔王に対していつも使ってくる色目がなくなっているのである。
その変化には、同じくベルフェルトも違和感を感じ、眉を顰めていた。
しかしながら、魔王は二人の反応を無視して話を進める。
「今回の作戦は貴公にとっては罰として与えらえたものだが、無事に成果を上げた以上、褒美を取らせる必要があろう。何を欲する?」
紅麗尉とベルフェルトは喉を鳴らした。
果たしてグラミアが何を欲すると口にするのか…。二人は気が気でなかったのだ。
グラミアは柔らかな笑みを浮かべる。
「然らばこのアーカムハメルに、私の住居を頂ければ幸いでございます。」
その願いに、紅麗尉とベルフェルトだけではなく、皆が驚愕した。
魔王のみ、感嘆の息をつく。
「ほお…。貴公の城はあのアルカトラズだと思っていたが…。」
それを受け、グラミアは薄く笑みを浮かべた。
「今回の作戦でジェネレーターを封鎖することに相成りました。最早あの城に拘る必要はどこにもございません。むしろ、魔王領を居住とすることによって、異世界の先進的な生活を堪能したく存じます。」
魔王は深く頷いた。
「良かろう。嶽閻、確か建設したばかりの別棟があったな。」
名指しされ、幹部席にいた嶽閻は魔王へ向き直り跪礼する。
「はっ。…しかしながら、そちらは迎賓館として使用される予定でしたが…。」
「構わぬ。早々に必要になることもあるまい。折角だ。内装はそのままにしてグラミアに明け渡してやれ。」
「御意に。しかと承りました。」
グラミアは今一度仰々しく頭を下げた。
「主様の格別なるご配慮を賜り、恐悦至極にございます。」
魔王は深く頷いた。
「うむ。この後、そなたを主役として晩餐会を開く予定だ。それまで、ゆっくりと寛ぐがよい。」
「重ね重ね、主様のお心遣いに感銘深刻の極みにございます。それでは、お言葉に甘えまして、この場は失礼させていただきます。」
グラミアは立ち上がると、魔王に対して一礼し、両脇を固める幹部達にも左右に一回ずつカテーシーを行うと、一般の亜人や魔族たちに向けてもカテーシーを行った。
その姿に、皆が騒然とする。
その騒めきの中、グラミアは微笑みを浮かべながらゆっくりと退席していった。
重たい門が閉じる音が響く。
グラミアが去った、騒めきは輪郭を帯び、言葉としてそれぞれに届いた。
「グラミア ナンカ 変ワッタ」
ゾゾの言葉に、フェルも冷や汗を浮かべながら頷く。
「あ、ああ…。さすがに亜人達にまで礼を尽くしたのはたまげたのぅ…。」
「以前ハ 明ラカニ 見下シテタ ナンカ 拍子抜ケ」
そんなゾゾとフェルのやり取りに促されるように、紅麗尉は思わず口を開いた。
「あ、あの…陛下…。」
パンパンっと手を鳴らし、ベルフェルトが紅麗尉の言葉を遮った。
「さあ、それではみなさん。晩餐会の準備を始めましょう。魔王陛下、準備が整いましたらご連絡いたします。それまでどうぞ、ごゆるりとお待ちくださいませ。」
ベルフェルトの言葉と眼差しから、魔王は意図を汲み取った上で、言われるがままに頷いた。
「うむ。それでは頼むぞ。…ルーネ。」
「はい。」
黒いロングドレスに身を包んだルーネが魔王の側で跪礼する。
「話がある。」
魔王はぶっきらぼうにそう言うと、ルーネは顔色一つ変えず、頷いた。
「承知いたしました。それでは、失礼いたします。」
そう言うと、ルーネは魔王と共に転移門の中へ姿を消していった。
それを見送った後、もやもやの晴れない紅麗尉はベルフェルトに詰め寄った。
「ベルフェルト様!なぜ…?!」
言葉少ない非難だったが、ベルフェルトは言いたいことを全てわかった上で首を横に振った。
そして、何も答えることなくその場を後にする。
皆が魔王の間から去っていく中、紅麗尉だけはその場に残り続け、膝をついた。
「グラミアさん…どうして…。」
紅麗尉の目から涙が溢れ出し、そのまま紅麗尉は泣き崩れた。
▮グラミア
魔王の間を出て間もなく、リーヴァは口元を大きく吊り上げた。
アッといけない…今はグラミアだったわね…。ふふふ…。これからは【ミーア】と呼ぼうかしら。
そんなことを考えながら、歩く足取りは軽い。スキップして踊り出したいぐらいだ。
ようやく…ようやく積年の願いを成就させることに至ったのだから。今思い出しても、鳥肌と共に心の底から打ち震える。
もう、あの声は聞こえない。
呪いのように頭の中で繰り返されるあの言葉は全く聞こえなくなった。
「アハハハ…アッハハハハハハ!!!」
バルコニーホールに辿り着くと、耐え切れず体が躍り出した。
煌びやかなシャンデリアの輝きが瞳の中に飛び込むたびに、あの夜の興奮が鮮やかに蘇った。
---
「何をとち狂った真似してんの…?薄気味悪いんだよ…。阿婆擦れ!」
「えっ…?」
呆けたような声を上げた後、大量の魔素が視界を紅く染めた。
「あがっ…!があああ…ああああああ!!」
赤く煙る魔素の蒸気が上がる中、リーヴァの右手は生々しい感覚に打ち震えながら、今もなお赤く濡れる指に舌を這わせた。
「あ…ああ…!リーヴァ…!リーヴァ!!どうして!!あなたなら私のことを愛してくれているって…!!そうなんでしょ?!ねぇ?!」
何を言っているんだ?こいつは?
気持ち悪い…。
「リーヴァがアンタを愛しているですって?バカも休み休み言って欲しいわ。そのお花畑な頭にちゃんと分かるように言ってあげる。」
額が触れ合うほどの距離で詰るように吐き捨てた。
「リーヴァは生まれてこの方、アンタを母親だと思ったことなんて一度もない。愛された覚えもなければ、アンタを愛していたなんて…悪い冗談ね?虫唾が走るわ!!」
グラミアは目を戦慄かせながら、貫かれた胸を押さえる。
そして、肩を震わせると目に怒りの炎が宿った。
「…そう。そうなのね…。本当に悪い子だわ…。あなたは私を愛するために生まれてきたのに!慈母の愛を受けて生まれてきたというのに!!躾のなっていない悪い子にはお仕置きが必要だわ!もう一度、私の恐ろしさをその身に刻み込んであげる!!」
グラミアは体の修復を進めるために、魔素の流出を抑え込もうとする。
だが、それは叶わず、夥しい量の魔素を垂れ流し続けていた。
「な、なんで…?なんで魔力が思い通りにならないの?!リーヴァ!アンタ!一体何を!!」
ついに足に力が入らなくなったのか、グラミアはそのまま膝をつき、苦々しい顔をリーヴァに向ける。
その時、グラミアの表情が一変した。
目を戦慄かせ、声を振るわせる。
その視線はリーヴァではなく、リーヴァの隣に突如として現れた男に注がれていた。
「何故…アンタがここにいるの?それに…その手に持っている物は…もしかして?!」
黒いフードに身を包んだ男の手には、脈打つような赤い宝石が握られていた。
「いやぁああああああ!!まさか?!それは私の…私のぉおおおおおお!!!か、返して!!返してぇええええええええ!!!」
それを見た途端、グラミアは半狂乱となった。
だが、魔力は全く練れず、脚にも全く力が入らない。
憤怒と狂気が織り交ぜられた感情とは打って変わり、思い通りにならない自分の体を見て、目の前にあるそれが自身の魔核であることを認めざるを得なかった。
そんな中、怒りの感情から焦燥へ、そして恐怖へと移っていく中で徐々に頭は冷え、冷静さを取り戻してきたようだ。
「まさか…把握を…?そんなわけない!ベルフェルトならいざ知らず!こんな高等スキルをアンタみたいなモブが使えるわけが…!」
リーヴァはグラミアの前にしゃがみ込み、グラミアの顔を両手で撫でまわした。
「ひ、ひぃいい!!」
グラミアの顔をこねくり回しながら、リーヴァは恍惚とした笑みを浮かべた。
「さっき…愛しているだの何だのっていう問答があったけれども…。アンタのこの顔はいつも美しいと思っていたし、羨ましかったわ…。」
顔から首へ、胸へ、腰へ、尻へ、脚…。
体の隅々に手を這わせ、揉みしだいた。
「ひぃいい!や、やめ…!!」
「貧相なリーヴァと違って、魅惑的なこの体…。ずっと羨ましかった…。この体がリーヴァのものになる日を何度夢見てきたことか…。」
グラミアの耳の後ろに爪を立てる。
次の瞬間、グラミアの絶叫がこだました。
「いやぁあああああああああ!!!」
耳から髪、顔の皮が剥ぎ取られていく。
噴き上げる魔素の中、リーヴァはその声を聞いて絶頂を迎えて果てた。
リーヴァは呼吸を荒げながら、舌なめずりをして行為を続ける。
耳を劈くような悲鳴を上げながらも、力なく悶えるグラミアの皮膚を剥ぎ取っていく。
それを見ながら、リーヴァは喘ぎ声を激しくして、再び絶頂を迎えた。
ふふふ…。仮にも男の前で…。なんてはしたないのかしら…。
でも、もう止められなかった。
狂おしい美酒に酔いしれた至福の時間は終わりを迎え、醜い肉塊と成り果てて、痙攣するばかりとなったグラミアを見下ろしながら、リーヴァは剥ぎ取った皮を身に纏う。
それらは次々とリーヴァの体に馴染み、肉体を変化させていく。
体の変化が終わった頃には、きつくなった胸元を解き放つように二つほどボタンを引き千切った。
「ああ~…まさに生まれ変わった気分だわ…。リーヴァは…リーヴァはようやく…悪夢から解き放たれたのね…。」
その様子を一部始終見ていた男から喝采を贈られる。
「おめでとう。その美貌…その力…まさしく次世代の美悪魔を名乗るに相応しい…。傾城傾国の美女とはよく言ったものだねぇ。」
社交辞令か、彼は美辞麗句の口上を並べ立てた。
不機嫌な時ならば邪険にするそんな態度も、今の高揚感と彼への感謝から素直に謝辞が漏れた。
「ありがとう。うれしいわ。ところでそれ…。頂いてもよろしいかしら?」
「勿論だよ。僕が持っていても不要だもの。君が【食して】こそ価値がある。」
リーヴァは男から未だ拍動を感じる魔核を受け取ると、美しさの欠片も失われた肉塊に向けて、嘲りと共に邪笑を浮かべた。
「醜くなったものね。グラミア。」
そういうと、リーヴァは手の中の魔核を口に含み、歯で砕いた。
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彼の言う通り、皮だけでなく魔核を体内に取り込むことによって、リーヴァはグラミアと同じLV69にまで引き上げられた。
そしてアルカナスキルをはじめ、持っていたスキルも全て手に入れることが出来、まさしくグラミアの肉体だけでなく全てを奪い取ることが出来た。
「手を貸してくれた彼には感謝しつくしても足りない。リーヴァは絶対的な忠誠をもってあなた様へこのご恩を返して参りますわ。そうよね?シェゾ?」
薄汚れた人形が魔力を取り戻し、姿を現したシェゾはリーヴァの側に跪礼する。
「シェゾはリーヴァのもの。リーヴァの剣。リーヴァの御心のままに。」
それを聞くと、リーヴァは天井絵を仰ぎながら笑いながら踊り狂った。
「我が至高なる主に栄光あれ!!あーはっはっはっはっはっは!!!」
人気のないバルコニーホールで人知れず行われたダンスパーティー。
それはリーヴァの新たな門出を迎える祝福となったのだった。
▮勇者
バーラルの中庭の広場。
あれから二ヶ月後…。
戦争の傷も癒えない中で、大勢の国民達がこの場に集っていた。
おおよそ2万にものぼるだろうと思われる群衆たちは、押し合いへし合いながら、出来るだけ前に出て、近くでそれを見届けようと躍起になっていた。
俺達はその様子を各地の枢機卿や官僚たちと同列の席から眺めていた。旧聖王国のメンバーたちで集められた知った顔ばかりの席だ。
窮屈で着慣れない燕尾服に身を包み、式典の開始を茫然と見守っていた。
そんな浮かない顔の俺を、ドレス姿に身を包んだゴルドラが覗き込んだ。
「マスター…大丈夫ですか?お辛かったら…退席された方が…。」
「あ、いや…。大丈夫だから。心配かけてごめんな。」
初めて着るセレモニードレスにはしゃいでいたゴルドラも、この式典がなんなのかを知った途端に顔を曇らせた。
以来、俺の顔色を何度も窺い続けている。
それを見て、ノアが大きな咳払いしてゴルドラの脇を小突いた。
さすがにこの場にレダはいない。
見なくて済むものなら、退席するのも悪くはなかった。
だが、一応勇者の肩書は広く知れ渡っている中で、筆頭席を用意された立場では欠席するわけにはいかなかった。
そして、ファンファーレが響き渡り、群衆たちは雑然とした雰囲気から一気に緊張感と高揚感が高まっていった。
そんな周知の視線が集まる中で、上階のバルコニーからセレモニーローブに身を包んだアリーが姿を現した。
その瞬間、熱狂的な歓声が辺りを包まれる。
「アリアデル様――――――!!!」
「おお…!!我らが聖女様!…なんと、なんと神々しい…。」
声を張り上げる者。咽び泣くもの。
様々な声が上がる中で、アリーは拡声を発動させた。
『オルフェリアの民よ。粛に願います。』
アリーの声に、民達は一斉に口を閉ざし、静寂がその場を包んだ。
ごくりと言う喉を鳴らす音までも憚られるような沈黙中、アリーは大きく息を吸い込んだ。
『この度の戦いは…国を愛し、尊び、敬虔な信徒達の信頼と信仰を裏切るものでした。その結果、この国はみなさんの心の支柱である聖母と教皇が崩御されることとなりました。その哀しみと不安は耐え難きものであることは、想像に難くありません。」
アリーの言葉に、亡き聖母と教皇を思い、涙するものが続出する。
そんな重い空気の中、アリーは次の言葉を告げた。
「今、この国には拠り所が必要です。しかしながら、私は聖女と呼ばれながらも、この目に映り、手が届くものにしか救いを差し伸べてあげられないのです。皆さんの声を受け止める度量もその器量も持ち合わせておりません。」
鎮痛なアリーの言葉に俺は胸が痛くなった。
それはまるっきり…俺と同じだからだ…。
拳を握る手が赤く染まった。
いや…俺は…たった一人の女も…救えない。
「だからこそ、私はこの国を導くことが出来る方を教皇として任命致します。」
アリーのその言葉に、群衆達は大きく騒めいた。
「教皇を選ぶ…?それってつまり…?!」
「バカ!皆まで言うんじゃないよ!」
「ああ…ワシが生きている間に…このようなめでたき日に巡り会おうとは…。」
民のざわめきを一身に背負いながら、アリーは次の言葉を紡ぎ出す。
「皆さん…盛大な拍手でお迎え下さい。」
時が止まったような静寂が辺りを包み込んだ。
アリーと同じバルコニーから豪華な司祭服に身を包んだ赤い髪の男が現れた。
「アストレイ=リューグ=シミュラクラ様!!」
割れんばかりの拍手と歓声がバーラル中に響き渡る。
アストレイは深々と一礼して、得意の演説が始まった。その演説は俺の耳に届かない。
アストレイという人選に異論を出すものなどいるはずもなかった。
戦後、枢機卿を失った三つのエリアを一人で差配し、順調に復興させてきた彼の手腕を、ここに集まる民で知らないものなど一人もいなかった。
絶望から救い出してくれた若き賢人として民に慕われたアストレイが教皇となり、オルフェリア全土を導いてくれることを、国民達が総出で祝福していたのである。
そして、アストレイの口上が終わり、喝采と声援が暫しその場を支配する。
その興奮が一段落した後、再びアリーが口を開いた。それまで、何も耳に入ってこなかったクセに…一番聴きたくない言葉だけがどんなに拒否しても流れ込んで来る。
「聖女アリアデルはアストレイ=リューグ=シミュラクラを夫に迎え、新教皇となることをここに宣言いたします!!」
今日一番の歓声と喝采が飛び交う中、俺はどうしてもその場に居られなくなり、バーラルの宮殿内へと駆け出した。
「マスター!待ってください!マスター!!」
ゴルドラの呼び止める声が歓声に掻き消される。
俺は振り返ることなく無我夢中で走り続けた。
息も絶え絶えになり、足がもつれそうになりながらも、ただひたすらに人気がないところへ……。歓声が聞こえない場所を目指して走り続けた。
「はあ…はあ…はあ…!…くそっ…。ちくしょう!!」
誰も居ない廊下で、俺は溢れ出る涙を堪えることが出来なかった。
そうだ…俺はあの時も…今と同じように、現実を直視することから逃げた…。
ーーー
「結婚って…。誰と…?」
思いがけない結婚宣言に頭が真っ白になった俺は、何を期待しているのかそう尋ねた。
「え…っと…アストレイ…政務官…。」
アリーは言葉を詰まらせながらそう答えた。
ああ…そうか…そうだな…。
近頃はずっと一緒に居たんだ。
俺なんかより…ずっと近くに…。
心にぽっかりと空いた穴に…冷たい風が吹き込んだ。だけど、身体健全は耐え難い胸の痛みを癒してはくれなかった。
「あのね…この国には今、国民を率いる教皇が必要なの…。だから…。」
「…だからアストレイと結婚するんだな…。」
アリーを遮った俺の言葉は、自分でも分かるほど刺々しかった。昏い闇が…俺の心を埋め尽くしていく。
「そうだよな…。アストレイなら…きっと国民を導くいい教皇になるよ。俺なんかと違って…!」
「アレク…。聞いて。」
俺はもう…これ以上アリーの言葉を聞きたくなかった。
「おめでとう…アリー。幸せにな…。」
「アレク!」
薄ら昏い絶望が俺に心にもない皮肉な言葉を吐き出させた。
そんな苦しみから逃げ出したいと願う気持ちは、そのまま俺を走らせた。
「待って!!アレク!!聞いてよ!ねぇってば!!」
振り返ることなく、俺はその場から走り去った。
ーーー
それから今日まで、気持ちの整理をつけてきたつもりだった…。心から、二人を祝福してあげようと務めてきた。
だけど…ダメだった…。
心にいつまでも燻り続けるこの気持ちは何度踏みつけようと消えない。
一時はアリーを嫌いになることも考えた。
他に好きな人が出来て忘れることが出来ないかとも考えた。
だけど…どれもダメだった…。
初めて出会った時から続いているこの胸の高鳴りは、色褪せることなく心を囃し立て、苦しめる。
俺は胸の前で輝くペンダントを握りしめると、チェーンを引きちぎった。
そして、手の中に光る剣のチャームを力一杯いっぱい壁に叩きつけた。
乾いた音を立て、チャームは廊下の上を走る。
「…く…くぅ…!」
その行方を見送ることなく、俺はその場で蹲り、声を殺して咽び泣いた。
◾️ノア
席から飛び出していくパパを見送りながら、ノアは少し罪悪感を覚え、俯いた。
「ゴルドラ!追わなくていいの!」
パパを追って飛び出そうとするゴルドラに対し、ノアは冷たく制した。
そんなノアに厳しい視線を向けてくるゴルドラ…。
気持ちは分かる。
ノアだって、それぐらいの感情は理解出来る。
だからノアは敢えて、パパを苦しめている。
この婚礼は…あの日、ノアがそうすると…ノアの口で決定したことなのだから…!
ーーー
「私は…アレクが好きです!彼と共に、このオルフェリアを支えていきたい!!」
あの日、会議室でアリーはそう告げた。
そうだろうと思った…。
そう言うんだろうと思った…。
この場に集まる面々にはそれを否定するものはいない。
アストレイがアリーの意思を尊重すると言った時点で、アリーは気持ちを固め、自らの気持ちを言葉にして告白したのだ。
チェレンコフが手を叩いて微笑んだ。
「これは素晴らしいことではないですか。勇者殿はこの国の英雄。聖女様が見初め、教皇に座すことに異論はないかと思いますが?」
カリギュラも頷く。
「まあ、そもそも枢機卿の家系から選ぶのは恒例であって聖典において決められたことではない。武勇ある一般の若者を選んだとて問題はあるまい。」
「拙も、勇者様であれば立派な教皇になり、民を導く英君になられると具申いたします。」
予想通りの空気感にアリーの表情が明るくなった。だけど、ノアは…。
「ノアは…断固として反対するの!」
ノアの言葉に皆が凍りつく。
そして、アリーが困惑した表情でこちらを見つめた。
「ノアさん…。なんで…?」
ノアは奥歯を噛み締めた。両掌に爪が食い込み、血が出てもなお握りしめた。
それでも、ノアの気持ちは変わらない…。
ノアは…意を決して口を開いた。
「ノアは…もう二度と…パパを失いたくないの…!」
悲痛な叫びとなったその言葉は、皆の頭に疑問符を浮かばせたのが分かった。
「おいおい、汝らがどのような関係かはよく知らぬが、父親を取られるなんて言う子供じみた駄々を捏ねるのは…。」
「そういう意味じゃないの!言葉通りの意味なの!!」
さっきよりも強い語気に、カリギュラは言葉を呑んだ。
「どういうことなの…?ノアさん…?」
アリーの問いに、ノアは決心した。
ごめんなさい…パパ。でもノアは…。もう二度と…ロアちゃんに同じ思いをして欲しくないの。
「パパは勇者…。勇者とは、異世界からの転生者なの。」
皆に動揺が走る。
このことはあまり大っぴらにするべきではないかとは百も承知だけど、この場を説得するためには、ノアの口から言う必要があった。
「パパは勇者として、この世界を統べる神からの責務を負ってこの世界に存在しているの。勇者はその責務を果たす為に、これからも冒険を続けていかなければならないの。その責務を放棄して、安住を求めたり、進展のない停滞状態に陥れば…。」
皆の顔色が変わる。
特にアリーは真っ青になり、震える口で必死に言葉紡いでいた。
「一体…どうなるの…?」
その答えを口にする前に、ノアもまた、その時を思い出して肩を震わせた。
「消えてなくなるの…。ノアとロアちゃんの…本当のパパのように…。」
水を打ったような静寂が辺りを包む。
そんな中、カリギュラが眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「消える…とは些か理解に苦しむ表現だな…。どういう状況なのか説明してもらおうか?」
「言葉通りなの。消える…この世から消滅するの。パパはこれを消去と呼んでたの。」
アストレイは俯いてしばし思案した後に、顔を上げた。
「つまり…ノア様の父上もまた勇者だった。しかしながら、家族という安住の中に身を置き続けた結果…目的を見失った先代の勇者は、神の怒りに触れ、存在ごと消し去られてしまった…。そういうことでしょうか?」
ノアは頷いた。
「だからこそ!パパに教皇はやらせられないの!パパには…この国と共に在り続けていく様な生き方は出来ないの!」
目を戦慄かせ、硬直しているアリーと目が合った。
これが最後になる。
アリーの心を刺す、言葉の刃…。
「ノアは絶対に!パパを死なせないの!!それが例え、パパとアリーを不幸にすることになったとしても!!」
…あれ…?なにこれ…?
目からボロボロと水が流れ出てくる…。
…え?…もしかしてこれって…涙…なの?
涙を拭って袖を濡らしていると、ノアの頭を優しく撫でる感触があった。
目を開けると、そこにはいつの間にかアリーの姿があった…。
アリーは目を真っ赤にしながらも、ノアに微笑みかけた。
「分かったよ…。ごめんね、ノアさん。私も同じ気持ち。アレクを…失いたくないもの…。だからお願い…泣かないで…。」
その言葉にノアの中で何かが大きく膨れ上がり、弾けた。
そしてノアは…自分でも驚くほどの声を上げて咽び泣いた。ノアに感情は無いはずなのに…。
そんなノアの体を優しい腕が包み込んだ。
アリーの胸の中に抱かれながら、ノアは一頻り泣いた後、恥ずかしくなってアリーの抱擁を解かせた。
そんなノアに優しく微笑みかけた後、アリーはポツリと呟いた。
「ごめん…。ちょっと一人にしてくれるかな?」
その言葉を受け、早々にカリギュラが席を立ち、それに続く様にチェレンコフとアストレイも席を立った。
ノアもまた、会議室の扉に手をかけた後、憂いを帯びた表情で窓の外に目を向けるアリーに対し、深々と頭を下げて、部屋を後にした。
部屋を出て間も無く、チェレンコフが小さなため息と共に虚空を見上げた。
「はてさて…どうしたものですかな…。これは些か難儀な問題ですぞ…。」
カリギュラは舌打ちをすると、背筋を伸ばして関節を鳴らした。
「何が難儀なものか。国の安寧を第一とするのが聖女たる務め。色恋を持ち出すからややこしく見えるのだ。所詮は教皇など象徴。肩書きだけ残してその責務とやらを果たしてくれば良いのでは無いか?」
「あ…いや…さすがに教皇の公務を蔑ろにしては立場が…。」
ずっと黙ったままだったアストレイが、急に足を止めた。ノアは怪訝な顔で同じく足を止め、それにカリギュラとチェレンコフも従った。
「ノア様…。聖女様に進言したき義がございますので、拙はこれにて。」
一方的にそう言うと、アストレイは返事も待たないままにアリーがいる会議室へと踵を返した。
それを茫然と見送るノア達だったが、それから小一時間後、アリーからアストレイとの結婚を告げられたのだった。
ーーー
◾️
廊下を滑り走る剣のチャームが辿り着いた先に立つ人影が、それを拾い上げた。
その人影は蹲る勇者の元にゆっくりと近づき、しゃがみ込んだ。
「はい、落としたよ。」
その声に、勇者はゆっくりと顔を上げた。そこには、さっきまでバルコニーに立っていたはずのアリーの姿があった。
目を白黒させる勇者に対し、アリーは胸の中に手を入れ、白銀に輝く翼のチャームを取り出した。
「お揃いなんだから、無くしちゃダメだよ。」
そして、優しく微笑んだ。
「アリー…なんで…?」
その問いが何を問うているのか、言葉足らずで間の抜けた勇者に対して、アリーは屈託ない返事を返す。
「なんでって…式の途中でアレクがいなくなったから、探しに来たんだよ。」
そんないつもの調子で語り掛けるアリーに対し、勇者は素直に応じることが出来なかった。
そんな勇者に対して、アリーはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ねえ…聞いて…。あの日…塔の上で言いそびれた話の続き…。」
ーーー
会議室の扉をノックする音が響く。
「失礼します。アリアデル様…お話したいことがございます。どうかお目通りを願います。」
「…どうぞ…。」
アリーの無気力な返事を受けて、アストレイは会議室の扉を開いた。
そこには目を真っ赤に腫らしたアリーが窓際に腰掛けて、空虚な瞳で窓の外を見つめていた。
アストレイは一礼するとアリーの側に向かい、意を決したように口を開いた。
「アリアデル様…勇者様を慕うその御心を失わずに、民の為に教皇立てる方法がございます。」
その言葉に、アリーの瞳に光が宿り、ゆっくりと視線がアストレイへと向けられた。
「教皇は聖女の伴侶。しかしながら、民からすれば婚姻という儀礼さえ示せば、その実は決して重要なことではございません。教皇はあくまでも象徴…。民を導く標であれば、人間的な私生活など不要な長物でございます。」
「…何がいいたいんですか?」
訝しむアリーに対し、アストレイはその場で跪礼すると、深々と頭を下げて進言した。
「どうか!拙を伴侶として迎え入れ、教皇に任命なされませ!!」
突然の進言に目を白黒させるアリーに対し、アストレイは続ける。
「拙との婚姻関係の中に、親しみも愛情も不要でございます。拙はアリアデル様に対し、指一本お触れ致しません。拙は民のために教皇となり、この国の礎となることをここに宣言致します。ですから…!」
アストレイは茫然とするアリーを真っ直ぐな瞳で捉えた。
「アリアデル様は…勇者様との真の契りを交わして頂きたい。」
アリーはそれを聞いて肩をワナワナと震わせた。
「それって…つまり…。私に形だけの夫を迎え入れて…アレクと不貞な契りを結べっていうの?」
「言葉を選ばなければ、そういうことになります。」
「そんなの!そんなはしたない真似…!」
「アリアデル様!!」
激情するアリーをアストレイは一喝した。
その視線は今まで見たことないほどに厳しく、鋭いものだったために、アリーは思わず息を呑んだ。
「人は誰しも何かを選び、何かを捨てる…。そんな岐路に立つことがあるのです。アリアデル様にとって、今がまさにその時なのです。」
アストレイの言葉に、アリーは激情は少しずつ温度を下げていった。
「だから、決めて下さい。あなたが何を大事として選び、不要として捨てるのか…。今天秤に掛けられているものは勇者様への愛と民の安寧。そしてアリアデル様の持つ個人的な価値観です。」
そして一呼吸置くと、アストレイは再び問うた。
「この三つの中で、どれか一つ捨てて下さい。全てを守ることは不可能です。」
アリーはふらつきながら、近くにあった椅子に腰を掛ける。
「…あなたは?その選択肢の中に、あなたは選ぶ側にも捨てる側にも入っていない…。あなたは…本当にそれでいいの?」
アリーの問いに、アストレイはふっと表情を和らげる。
「言ったはずです。拙はこの国の礎になる覚悟だと…。」
「で、でも!」
否定しようとするアリーに対し、アストレイは首を振った。
「あなたもまた、国の為にその身を捧げる決意をしている。聖女という立場を捨てるという決断を考えていないことがその証。そんなあなたの我儘なら、一つぐらい叶えてもオルフェリアは寛容な精神でお許しくださるのではないでしょうか?」
そう言ったアストレイの言葉に、アリーは泣き崩れた。啜り泣きながら、アリーは言葉にならない感謝を紡ぎ続けた。
ーーー
事の顛末を聞き、勇者は茫然とする。そんな勇者の頬にアリーはそっと手を添えた。
「私は選んだの。オルフェリアの民と、アレクを守る為に、私は酷い女になるって…。後は…アレクの意思だけ…。」
アリーは立ち上がると、震える声で言葉を紡いだ。
「こんな不貞な身の私だけど…。その…愛してくれますか?」
勇者はゆっくりと立ち上がるとぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭い、アリーと視線を交わした。
「ごめんな…アリー…。辛い決断を全部押し付けて…。俺ばっかり苦しいことから逃げて…。本当にごめん…。」
勇者は深々と頭を下げて、手に握られた剣のチャームを掲げた。
「誓うよ。君を一生かけて守り続けることを…。俺は…アリー…君を…。」
柔らかい…暖かな風が二人を包んだ…。
人気のない回廊で、二つの影が一つに重なる。
そして小さく、だがはっきりとその誓いの言葉は紡がれた。
「愛している。」
その様子を、上階から見下ろす一つの影があった。
それは二人のやり取りに対し、静かにほくそ笑んだ。
「ようやくこれであの女から解放される…。これから訪れる絶望に…苦しみ…足掻き…そして死ぬといい。僕の代わりね…。」
そう吐き捨てると、男はその場を後にしたのだった。
第12章 誰が為の戦い 完
第12章 誰が為の戦い ここに完結致します。
今回は国一つを丸ごと舞台としたため、私の頭の中にある地形が文章で皆様にしっかり伝わっているか、非常に不安ではあります。こういう時に、やはり絵があると便利だと思いますね。
まあ、終盤に出てきた謎の男の正体は聡い読者の方々なら予想はつくかと思いますが、今はしっかりと伏せさせて頂きます。後にしっかりと物語に反映させますので、楽しみにしていただけると思います。
おそらく、今の状態ではリヴァイアについては謎が多く残した形となりましたが、これは次章で明らかにして参ります。正直、リヴァイアとシェゾについては私のお気に入りなのでクランクアウトはまださせる気はありませんので悪しからず。
さて、次回は舞台を移し、魔王編…というよりも、帝国編となります。人間でありながらゴッドレギオンであるというゲシュタルトを中心とした物語になります。
彼を攻略するために魔王シェブニグラスはどう動くのか。どうぞお楽しみくださいませ。
これからもアルカナレイドをどうぞよろしくお願いします。




