〜オルフェリアの黄昏〜
◾️勇者
「それでは行ってきます!」
そう言って中庭に向かうゴルドラを見送った後、ふと思い出した。
上着のポケットから銀細工の魔道具を取り出す。パレイドリヤから受け取ったアミュレットだ。
それをアリーが怪訝そうな顔で覗き込む。
「どうしたの?それ?」
「あ、これは…船に乗る前にパレイドリヤさんから貰って…。」
それを聞いてアリーの顔が不機嫌なものに変わる。
「へえー…。そうなんだー…。ふ〜ん…。」
あれ?…やばい!これって…!
「ち、違う違う!俺にじゃなくて!アリーにだよ!代わりに預かったんだ!」
頬を膨らませて猜疑的な目をしていたアリーだったが、俺がすぐにアミュレットを手渡したことで疑惑が晴れたのか、すぐに表情が元に戻り、微笑んだ。
「な~んだ。そうだったんだ。アレクも隅に置けないな~って思ったのに。」
俺は乾いた笑いを浮かべる。
背中が冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
女の嫉妬を経験したことなんて今までなかったけど、その片鱗だけで身が竦む思いだった。
「ったく…。緊張感ねぇな…。」
そんなやり取りを横目で見ながら、レダは呆れたように溜息をついた。
なんだかレダには申し訳ない思いでいっぱいになった。
「このアミュレットって魔道具だよね?どんな効果があるんだろう?」
アリーはアミュレットを眺めながら呟いた。
「あ、いや…。船の出発前に突然渡されたから、特に聞いてなかったな。」
俺はそう言いながら《超鑑定》を行おうとした。
その時、突然アミュレットの赤いオーブが点滅とけたたましい音を発し始めた。
突然のことに驚き、アリーの手からアミュレットが零れ、床に転がった。
「え?!なに?!なんなの?!」
騒然とする中、《超鑑定》の結果が視界の端に映り込む。
それを見て俺は目を見開いた。
「アリー!レダ!逃げろ!!」
俺の声を掻き消すように、視界が真っ白に包まれる。そして、爆音と爆炎が辺りを飲み込んだ。
完全に終わった…。
そう思えたが、目の前に広がる炎や衝撃が届くことはなかった。まるで透明な障壁が爆発を遮っていたのである。
それがアリーのユニークスキル 女神愛盾であることを理解した。
爆炎が静まり返ると、アリーは掲げた両手を下ろし、大きく安堵の息をついてその場にへたり込んだ。
「あ、危なかった…。」
アリーの足元にはあのアミュレットがあり、今は発光も音も鳴りを潜めている。
「無事だったのはいいけど…。くっそ…耳が…いてえ…!」
さすがに音までは防ぎようがなく、人間よりも耳がいいレダにとってはかなりの苦痛となっているだろう。そんな俺自身、今だに耳鳴りが響いている。
アリーはおそるおそるアミュレットを拾う。
「アレク…。このアミュレットって一体…?」
「皆さん!ご無事でしたか!!」
ゴルドラが駆け寄り、俺達が無事なことを確認すると、大きく脱力して膝をついた。
「ほ、本当によくぞ御無事で…。てっきりもうダメかと…。」
「ああ、心配かけてすまない。敵の方は?」
ゴルドラは険しい顔をして答える。
「も、申し訳ございません。突如発生した爆発に、気を取られてしまい…。どうやら囲まれているようです。」
爆煙と粉塵が晴れ、開けてきた視界に飛び込んできたのは、白い甲冑に身を包んだ無数の騎士たちだった。中庭を取り囲み、徐々に包囲の輪を縮めていた。
どうやら話し込んでいる時間はないみたいだ。俺は立ち上がり、剣を抜いた。
「話はあとだ!みんな、戦闘準備!!」
皆が背中を合わせになりながら敵と対峙する中、俺の頭の中は一つの疑問が支配していた。
なぜ…パレイドリヤはあのアミュレットを俺…いや、アリーに渡そうとしたんだ?
あの時のパレイドリヤは羞恥心こそ見受けられたものの、敵意や悪意は全く感じなかった。
ならなぜ、あんなものをアリーに送ったのか?!
あのアミュレットは3つまで魔法の力を閉じ込めることが出来る魔道具だった。
一つは追跡眼
二つ目は地獄耳
そして最後に込められていたのは《魔力錬成》で作られた時限爆弾だった。
完全に待ち伏せされたことから、俺たちの動きがバーラルに筒抜けなことは、このアミュレットが原因だろう。
となれば、パレイドリヤは俺達をバーラルに売ったというのが当然の流れだが、どうしても解せないことがある。
彼女には《魔力錬成》もさることながら、爆弾の知識を有することもない。
つまり、あのアミュレットに魔法を込めたのは彼女ではないのだ。
じゃあ一体誰が…?
…いや、今はそれどころじゃない。
さっきの爆発で地下への逃げ道は塞がっている。考えるのはまず、この状況をどうにかしてからだ。
『ォオオオオオオオオオ!!!』
咆哮を上げ、一斉に襲い掛かる白い騎士達。戦いの最中、中庭に咲く花の香りなのか、甘い香りが時折鼻腔を擽った。
▮ ハイレン
前線を離れ、一直線にハーディアに向かって飛行する敵影を遂に捉えた。
弓を構え、付与魔法とスキルを次々と発動させる。
「腕力向上、特効付与…成功!聖属性付与…成功!スキル 《一撃必中》、発動!」
馬上から敵影を狙う矢じりに、強力なエネルギーが集中する。
それに気づいたのか、ソイツはこちらを一瞥した。
敵が散開を始めるが、もう既に遅い!!
「聖光一矢!!」
指から放たれた聖なる矢は他の者には目もくれず、一直線にソレを狙った。矢が炸裂し、確実に命中したことで、追従してきた団員達から歓声が上がった。
しかし、俺の表情は硬い。魔法を使い、空を舞うアイツが魔族だとしたら、この程度でどうにかなるとは思えなかったからだ。
そして、それはさも当然の様に現実となった。
致命傷どころか、無傷のまま俺を見下ろすその赤い瞳に、心が凍り付くような錯覚を覚えた。
その様子を見て、兵達も動揺を隠せない。
特効を付与しても傷一つ与えることの出来ない…。この状況を俺はこれで二回体験している。
あの時は大型の魔族だった。強靭な外殻があったからこそ防がれる道理もあったが、今回はあんな幼子の身一つで無効化されたという事実が、人と魔族との間に大きな種族ヒエラルキーがあることを感じた。
「リヴァイア…。」
俺は舌打ちをしながらソイツの名を呼んだ。
それに反応したのか、リヴァイアは空中から俺の待つ地上に降り立った。
確かにロア殿に似ている…。だが、その瞳は虚ろであり、心はその場にないように思えた。
とりあえず、リヴァイアをハーディアに向かわせないことは成功。だが、他の7人の敵影はこの場に留まる気はないようだ。そのままリヴァイアを残し、飛び去って行く。
「追え!必ず仕留めるんだ!奴らをハーディアに辿り着かせるなよ!」
「はっ!団長もお気をつけて!」
団員たちの背中を見送った後、俺はリヴァイアに向き直る。
だが、対峙するリヴァイアの様子は以前のような邪気と邪悪に満ちたものではなく、無機質な人形のようだった。
まさか、コイツも操られているのか…?!
自然とそうした予想が先行するほどに、リヴァイア意識は希薄だった。
「お母様…すべてはお母様のため…。」
ただ一言喋ったその一言にも、力強い決意や感情は感じない。
つまり、リヴァイアもまた、あの民兵と同じように意識を奪われていると考えられる。
ただ命令のままに動くしかなくなったリヴァイアに対し、憐れだと感じた。
「ぐぁあああああああああ!!!」
突如声を張り上げたリヴァイアは次の瞬間、両腕が肥大化し、まるで人食鬼のような醜い腕が生まれるや否や、大きくその腕を振り下ろした。
慌ててその場を飛び退くと、地面に叩きつけられたリヴァイアの腕は大地を割り、巨大な手形を残した。
その破壊力にぞっとしながらも俺は剣を構え、リヴァイアとの接近戦を挑んだ。巨大なその腕に何度も切りつけるが、やはりダメージはない。
やはりあの時と一緒だ。《物理及び各種属性に対する完全耐性》。これが大きな壁となって再び目の前に現れた。
《宵闇の加護》と呼ばれるヴァンパイアロードの種族スキル。
よほどのレベル差が無ければ、耐性貫通スキルか敵のパッシブスキルを無効化するしか対策はない。
だが、奴のレベルと俺はほぼ同レベル。そして生憎どちらのスキルも持ち合わせていない。
敵を倒す決め手を持たない俺が、いくら紙一重で奴の攻撃を躱し、奴の皮膚を切りつけようとも、いずれは奴に軍配の上がる勝負だった。
リヴァイアの指先から火球が連続で放たれる。それを躱しながら、決定的な隙を探った。
俺は、初めてロア殿に会った時のことを思い返していた。
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「はあ?どうやったら魔族を倒せるか…だと?てめぇ、それをアタシに聞くなんざあ、命が欲しくねぇのか?」
アレックス殿とトランプに興じていたところを呼びだてしたことで不機嫌な様子だったが、その一言で輪をかけてしまったようだ。
だが、俺も引く気はなかった。敵に魔族がいることが想定される以上、手も足も出ない足手纏いと言う訳にはいかない。
「頼む!聖女様をお守りするためにも、魔族の弱点を心得ておく必要があるんだ。」
俺は一回り以上若い少女に必死に頭を下げた。
ロア殿は小さく唸りながら、腕を組み、天を仰いだ。
「まあ、いっか…。そう簡単に出来るとは限らねぇし…。」
そう言うとロア殿は呟くように言った。
「いいか、よく聞け。アンタら人間が細胞の集まりであるのと同じく、アタシらは魔核を中心とした魔力粒子によって体を構成している。」
いきなり始まった講釈だったが、全く理解が出来なかった。
「はっ?私達人間が細胞で出来ている?さ、細胞とは一体…。」
「あ~そこは今全く関係ねぇから説明しねぇよ。とにかく、肉体を構成している魔力粒子がMPを消耗することで強く結びついているから、アタシらは肉体を維持できる。アンタ達人間はこの魔力粒子を断ち切る力がないから魔族に対して無力なんだよ。ここまでは理解出来るか?」
俺は難しい顔をしながらもなんとか頷いた。
「あ、ああ…。つまり、私も魔力粒子に対して干渉することが出来れば、魔族を倒すことが出来るということですね?」
「そう。理屈の上ではな。スキルのいいところはそうした理屈を理不尽に突破出来ることだが、その理屈を理解して一つ一つ紐解けば、スキルがなくたって魔力粒子を分解する攻撃は可能だ。」
ロア殿は足元の石を一つ拾った。
「例えばこの石だが、細胞同士が強く結束しているからこそ固い。だが、その繋ぎ目をこうやって攻撃してやると…。」
ロア殿の石を持つ手が赤く光ると、石はまるで土くれのように崩れ始め、砕け散った。
「とまあ、こうやって敵の防御能力を無視して破壊が行われるわけ。」
俺は唖然とした。さも当然の様に披露しているが、これが魔法やスキルでないというのは正直納得がいかなかった。
「ほ、本当に…私にも同じことが?」
「知るかよ。アンタが出来るかどうかは…まあセンスだな。」
ロア殿は何かを俺に投げつけてきた。
それを慌てて受け取ってみると、それは何の変哲もない石に見えた。
「《魔力錬成》で作った魔力粒子100%の石だ。固定化してあるから消えないよ。ソイツを砕く練習して試してみたら?もし、それが出来たなら、アンタは魔族に対してダメージを与えられるようになってるんじゃねぇの。」
そう言うと、ロア殿はケラケラと笑いながら去っていった。
それからというもの、俺の特訓相手は石ころだった。
ただの石ころとはいえ、魔力粒子で作られている以上、物理属性に完全耐性があった。
どんなに力任せに破壊しようとしても、ヒビ一つ入らなかった。
「魔力粒子を繋ぎ合わせている仲介となる存在があるのか?でもそれをどうやって…。」
石に向かってブツブツと語りかける姿に団員からは白い目で見られ、かなり心配された。
そうやってひと月近く石と向かい合った時、ようやく魔力粒子を感じられるようになった。
そして、粒子同士の結合部を感じることが出来たその時、俺はようやく、その石を部分的にだが破壊することが出来た。
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そして今、目の前の魔族に対してそれを感じ取ろうとしているが、これがまた難しい。
動き回ることはもちろん、固定化されて流動性の無い無機物の魔力粒子と、拍動と共に絶え間なく流動している生物の魔力粒子では、その動きを捉える必要があり、難易度が跳ね上がっていた。
だが、何度か無意味な攻撃を繰り返していくうちに、それが意味のあるものに変わり始めた。
攻撃を受けたその瞬間、流動していた魔力粒子が、攻撃箇所に集中して動きを止めるのである。
その瞬間だけ、俺にも見えた。
魔力粒子で構成する魔族の肉体の仕組みが!
だけど…難しいな…。
まず、リヴァイアに攻撃を当てるだけでも難しい。まともに喰らえばただでは済まない一撃を掻い潜り、攻撃を当てられたとしても、魔力粒子が動きを止めるのは1/1000秒ほど…。その間にもう一撃を入れるというのはもはや二連撃と呼べるスピードではない。
矛盾するようだが、一撃で二撃当てることが求められる。
渦巻く思考の中、一つだけ思いついた。
一撃で複数回攻撃する方法!
「女神オルフェリア…いや、聖女アリアデルよ!俺に力を…!!」
何度も渾身の一撃を受け続け、ボロボロになったバスタードソードが白いオーラに包まれる。
リヴァイアは理性を失った獣のように、咆哮を上げて襲い掛かってきた。
「うぉおおおおおおお!!!」
巨大な腕が目の前に迫る。
それに合わせて、大きく振りかぶったバスタードソードが振り下ろした。
「がはっ!!」
破壊的な衝撃が身体を駆け巡り、皮膚が裂け体中から血が噴き出した。内臓にダメージも入ったのか、血が喉を駆け上がり、口から吐き出される。
だが、次の瞬間、形容しがたいが確かな手ごたえが存在した。
リヴァイアの左腕が、見るも無残な形に破壊されていたのである。
「ぎ、ぎぃいいいいいいやあああああああああ!!!いたいぃいいいいい!!お、おかあさまぁあああああああ!!!」
狂ったように喚き散らすリヴァイアに対し、俺はもう一度剣を構えた。
暴れ狂うリヴァイアに対し、白い光を纏った剣を振り下ろす。
その刀身に纏わせた光の刃は、防御しようとするリヴァイアの右腕に命中したと同時に、消滅する。そしてそのまま振り下ろされた真の刃は奴の魔力粒子を確実に断ち切る!
こうして放たれた一撃連打によって、右腕もまた、破壊されて塵に還った。
「ひぃいいいい!!た、たすけてぇえええええ!!おかあさま…!!おかあさまぁあああああああ!!!!」
リヴァイアの断末魔を聞きながら、体は自然と次の攻撃に移っていた。
両腕をなくし、狂乱するリヴァイアの脳天に光の刃が振り下ろされる。
「悪夢はこれで終わりだ!消えろ!!リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリア!!」
頭から右足にかけて、霧散する魔力粒子。
それらは紫色の濃い魔素となって空中へ巻き上がった。
噴き上げる魔素を見送りながら、俺は剣の柄を胸に当てる。それは追悼が込められた祈りの儀式だ。
だが、俺が祈ったのは、彼女の冥福ではなく。感謝だった。
「感謝する。おかげで俺は…強くなれた…。」
黄昏に染まる大地を一陣の風が吹き抜ける。
沈みゆく太陽を見て、張り詰めていた緊張の糸が緩み、体の力が入らず、その場に座り込んでしまった。
「後は、よろしくお願い致します。ロア殿…。」
遠のく意識の中で、微かに声が聞こえる。
「へぇー。まさか本当に会得するなんて…やるじゃんか。」
▮ カリギュラ
夕刻の陽射しによって大地が血のように真っ赤に染まる。
泣き言を言うのは将の恥とはいえ、正直言いたくもなる。
戦う者にとって、先ず前提としているのが己の命だ。
いくら忠誠を口にしようとも、自分の命と天秤にかけた時、自分の命を取るというのが人間の大前提なのだ。
その大前提があるからこそ、様々な策が存在する。交渉、懐柔、裏切り、恐怖…それらを利用するものが戦術だ。
だが、命が要らないとなるとそのすべてが破綻する。
肉体を使い捨ての武器とし、盾とし、足場とし、ただただ数の暴力として襲い掛かるその様は、百戦錬磨のアルビオレ軍ですら恐怖に飲まれていた。
捕虜にしようと両手両足を拘束しようとするが、噛みついて兵の指を三本引き千切ったのはまだ若い女だった。
軍の士気は見る見るうちに下がり、最早立て直しは不可能だ。防戦を解除し、攻戦に打って出ようとしたが、民兵相手では士気は上がらない。女子供や老人を前にすれば逆に下がる始末だ。
士気の低下はそのまま前線の状況を具に表し、遂に綻びが生まれた。
「いかん…!前線が…崩壊する!!」
それはまさに土石流の様に我が軍を呑み込んだ。狂戦士と化した民兵達は絶望に沈む我が兵を喰らい尽くさんとばかりに蹂躙した。
これにより、士気は完全に崩壊し、逃げ出すものまで現れ始めた。
「怯むな!互いの背後を守って踏みとどまるのだ!!」
必死に声を張り上げるが、暴徒の如き狂声の前に掻き消された。
そして遂に、その刃は、我が元にも迫っていた。
「おぉおおおおおお!!」
迫る民兵を大槍で薙ぎ倒す。
だが、背骨が砕けてもなお、槍に纏わりつこうとせん狂人の所業に、我が槍の動きが止まった。
一気呵成と見るや、襲い掛かる民兵たちを見て、我は自分の死を悟った。
「不覚…!!」
覚悟を決めたその時、我の周りの敵兵たちが空高々と吹き飛ばされた。
それを茫然と見送る眼が捉えたのは、黒い炎を吹き上げる黒馬に腰かける少女の姿だった。
「あれだけの大口を叩いておきながら、無様なものよ。命拾いしたな。アルビオレの枢機卿よ…。」
その圧倒的な格の違いに、勇者アレックスが言っていたサポートの正体を理解した。
ノアとかいう小娘が確かこう言っていた。
「まさかあれが…。【宵闇を統べる魔神】…。」
我の呟く声が聞こえたのか、ロアは一瞬驚いたような表情を浮かべるが、それが転じて喜色に塗れた満面の笑みを浮かべると、黒馬の上に立ち、マントを翻した。
「如何にも!!我こそは深遠の闇を統べる生と死の裁定者にして漆黒の翼を授かりし調停者。我が前に平伏し、この名を汝の魂に刻め!我が名は…。」
時が止まったかのような静寂が支配する。
ゴクリと、生唾を呑む音すらも響くような静寂が切り裂かれる。
「魔神!シャミル=ロア=エリザ=ルベート=リ=フォルデン=バートリース!!!」
ジャーーーーーーン!!!
どこからか鍵盤を叩きつけたような効果音が鳴り響き、恥ずかしながら思わず体が飛び上がった。
呆気にとられている我を尻目に、ロアは高邁知己な笑みを浮かべて腕を組み、眼下に視線を向ける。
「さてと、これほどの有象無象…我が極大魔法で一撃の元に葬り去ってやりたいところだが…殺すなと言われている以上、不承不承ながらノアの策に乗るしかあるまいか…。」
そう言うと、ロアは何もない空間から何やら奇妙なものを取り出した。
「なんだ?あれは…?人形…か…?」
何やら獣かトカゲのような人形に見える。
その奇妙さを際立たせるのは目と口を縫い付けている太い糸だ。
「拡声は…4つでいいか…。」
ロアは人形に向けて魔法を行使する。
「一体…何をやっているのだ?」
戦いの最中ではあるが、これから何が行われるのか、固唾を飲んで見上げるしか我の出来ることはなかった。
準備が整ったのか、自らにも拡声を付与する。
「あ~あ~…テステス…。この戦場にいる全ての者に告ぐ。自らの意思を持ち、我が忠告に貸す耳があるのであれば、今すぐ両耳を塞げ!もっとも、鼓膜がどうなってもいいのなら話は別だがな。」
そう言うと、口を邪悪に歪ませた笑みを浮かべ、空中にゲートを出現させた。
「それでは諸君、さらばだ。これにてこの場の戦争は終結する。」
そう言い残し、ロアは人形の目と口を縫い合わせていた糸を解くと、ゲートの中に姿を消した。
その場に残された人形の周りから赤黒いオーラが漂い、空中に浮遊し続けていた。
そして、箍を失った人形の目と口がゆっくりと開かれていく。
その邪悪なまでに煌々とした瞳を見た瞬間、我は焦燥を露わにした。
「まだ耳を塞いでいないものは急ぐのだ!!武器を投げ出してもよい!!両耳を塞げ!!」
人形の口が180℃開かれた時、その瞬間が訪れた。
『ギョエエエエエエエエアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!』
破壊的な轟音が戦場を包み込む。
音だけで吹き飛ばされそうな衝撃波に晒され、皆は歯を食いしばって暴力的な人形の叫びに耐えた。
その時、背筋が凍り付いた。
我の背後に、今まで覚えのない強大な気配を感じたのだ。
傅き、平伏し、遜ることしか許されない絶対的な恐怖…。
我は慌てて振り返った。
だが、既にその気配はなかった。
全身がまるで湯あみの後のように汗で濡れ、身震いするような寒気が襲った。
あれは一体なんだったのか…。
そんな思考は目の前に広がる異変によって、心の奥底へと仕舞い込まれた。
「こ、ここはどこだ…?」
「ひっ!な、なんで俺…武器なんて…。」
「だ、誰か助けてくれ…!血が…血が出てるんだ!」
バーラルの民兵たちが正気に戻り、困惑と動揺と恐怖がその場一体の空気として広がった。
混乱する現場に指示を飛ばすのも忘れ、我は暫し呆然と立ち尽くした。
『これにてこの場の戦争は終結する』
ロアは確かにそう言った。
あの人形の姿がない。
消えたのか、持ち主の元に帰ったのか。
だが、今はそれもどうでもいい。
我は乾いた笑いを上げた。
腰の剣を抜くと、圧倒的な感謝と祈りを込めて、剣の柄を胸に押し当てた。
「まさか…女神ではなく魔神に畏敬の念を送ることになるとはな…。」
そう呟くと、そのまま膝をついた。
「感謝するぞ…。魔神 シャミル=ロア=エリザ=ルベート=リ=フォルデン=バートリースよ。」
▮
一方、バーラルでは勇者達の奮闘が続いていた。
勇者はこの戦いの中で、特にゴルドラとロアに対し、敵の無力化を第一に説いてきた。
二人が本気を出せば、国一つ滅ぼすことなど造作もなかった。しかしながら、それでは意味がないことは当然である。
そもそもとして、バーラルの兵は憎むべき敵でも仇でも何でもない。そんな彼らを容赦なく始末し、築き上げた屍の山の頂にアリーを座らせることを誰が望むだろうか。
相手は20レベルに満たない以上、72レベルのゴルドラの一撃は問答無用で相手を肉塊に変えてしまう。
そうならないように、《手加減》のスキルを使う必要があった。
勇者も同様であり、今や50レベルとなった勇者も人間の中では屈指の強さを持っていた。
勇者もまた、《峰打ち》や《武器破壊》、《武装解除》といったスキルを駆使しての戦闘を強いられていた。
そして何より、アリーを守ることが最重要である。
アリーの女神愛盾は鉄壁を誇るものの、消費MPが激しく、今のアリーでは5回も発動すればMP欠乏症を引き起こす。
すでに一回発動している以上、無闇に使わせることは出来ない。
アルカナスキルである復活の福音の消費MPが多いことからしても、アリーのスキルは非常に有能だが、燃費は非常に悪かった。
そんな中で、《隠密》状態で無防備な敵を気絶させることを中心に立ち回ってきたレダだが、ふと、見られている感覚を覚え、視線を上げる。
一瞬だが、上階のバルコニーからこちらを見下ろしている何者かの姿を捉えた。
レダは一跳足で勇者の元に現れ、勇者の背に自らの背中を合わせる。
「敵の親玉を見つけた。ここ…任せてもいいか?」
短い言葉だったが、勇者はその意図を概ね理解し、頷いた。
「わかった。無茶するなよ。」
「死なない程度には頑張るよ…っと。」
レダはそう言うと空中へ飛び上がった。
「《空中蹴り》!」
レダは何もない空間を蹴りながら、人影が消えた部屋を目指す。
バルコニーに着地したレダは不可視猫を発動し、窓を消し去って部屋の中に入る。
その部屋は寝室だった。
天蓋のついた豪華ベッドと共に、細かい装飾が施された収納タンスに調度品の数々。巨大な写し見と鏡台。
レダは警戒しながら部屋を移動し、扉へと移動する。
(いる…。一人だ。この感じ、ワインかなんかを煽りながらくつろいでやがるな?なめやがって!)
レダは扉ではなく、壁を不可視猫の第2の能力で消し去った。
そのまま扉を開けることに罠が仕掛けられているのではないかと警戒したからである。
レダが壁を抜けたそこは玉座だった。一般的に教皇の間と呼ばれる場所…。
アーチ状の天井絵。
光によって眩き、その色合いを変えるステンドグラス。
バロック様式の荘厳な佇まいと美しい装飾の数々。
大理石の上に敷かれた真っ赤なカーペットは教会というよりも宮殿の様であった。
そんな教皇の玉座には一人の女がワイングラスを片手に悠然と腰かけていた。
(こいつが…諸悪の根源…。リヴァイアが母と呼ぶ魔族…。)
不可視猫を発動しているため、気づかれるはずはないが、先ほどバルコニーから中庭の戦闘を眺めていたのは事実。
レダのことを認識していれば、不可視猫は通じない。もしもに備え、レダは間合いに気を付けながら慎重に足を進めていた。
その姿の全容を視界に収めた時、レダは不覚にもその者の美しさに目を奪われた。
美しい紫紺の髪、艶めかしい肢体を強調するようなマーメイドドレス。輝くようなガウンを纏い、身に着ける装飾品は目を見張るような宝石と金銀の細工が施されていた。
妖艶な瞳と唇は全ての男を虜にするような魔性を放っていた。
レダは持っていかれそうな心を必死で繋ぎ止めるとゆっくりと玉座の背後に回り込んだ。
気づいている様子はない。
今もまだ、悠然とワインを煽る女に向けて、右腕を振り上げた。そして、爪を剥き出しにする。
(相手を消す能力は一時的に存在がなくなるだけで敵にダメージを与えられるわけじゃない。だったらこの無防備な状態から不可視猫を解除して一撃必殺を狙う!)
レダは《獣人化》によって右腕を獣に変えた。そして、右腕を振り下ろすと同時に不可視猫を解除する。
その瞬間、強烈な甘い匂いに、意識が混濁とし、レダはその場で倒れ込んだ。
(な、なんだこの匂い…。いや…確かこの香り…中庭でも微かに漂っていた…。くそっ!体が…もしかして…毒か?!)
消えようとする意識の糸を必死で手繰り寄せ、なんとか意識を保とうとする中、女の声がレダの耳に届いた。
「ようやく解除したわね?子猫ちゃん。もうあなたは逃げられない。私の愁眉秋波からは…。」
---
その頃、中庭では戦闘が一区切りを迎えていた。
無力化されたバーラル兵達を前に、勇者は大きく息を吐いた。
「さすがに神経使い過ぎたな…。とりあえず、みんな死んでないみたいだけど…。ゴルドラ!そっちはどうだ?!」
勇者が呼びかけるが、ゴルドラからの返事はなかった。
ゴルドラは中庭の中心で呆然と立ち尽くしている。
その様子をアリーも不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんでしょうか?ゴルドラさん…。」
「さあな…。聞こえてないわけがないんだけど…。お~いゴルド…。」
強烈な甘い香りに、一瞬視界がぐらつき、勇者は思わず膝をついた。
「アレク!大丈夫?!アレク!!」
アリーに支えられながら、勇者は自分の身に起こっている状況に困惑する。
(な、なんだ?!立ち眩み?急に…。なぜ…?)
そう思った矢先、機械的な音声が勇者の頭に響く。
『身体健全が発動しました。状態異常【魅了】を解除します。』
(状態異常!攻撃されてるのか?!)
さっきまでの苦しみが嘘のようになくなり、勇者は勢いよく立ち上がった。
「うわっ!びっくりした~!あ、アレク…大丈夫なの?」
「攻撃を受けてる…。この甘ったるい匂いの所為だ。」
「え?匂い?」
アリーは小首を傾げる。
(アリーは効いてないみたいだ。【聖女】の職業スキル、《女神の加護》によって精神攻撃無効化を取得しているからだろう。)
問題は…!
「ゴルドラ!聞こえてるのか?!返事をしろ!ゴルドラ!!」
「無駄よ。それは既に私のもの。私の奴隷。私の傀儡。私以外の声はもう届きはしない。」
ゴルドラへの呼びかけを遮るように、上空から声が響き渡った。凛としながらも蠱惑的な艶めかしい声に、勇者はぞっと身の毛がよだった。
「あの娘…精神攻撃無効化を持っているわね。さすがはマリステラの娘といったところかしら。でも解せないのはあの男…。何故耐性もないのに効かなかったのかしら…。私の鑑定眼で見えないってことは、それが彼のアルカナスキル?全く…。手間をかけさせてくれるわ…。」
巨大な翼を持つ大蛇に腰かけ、挑発的に足を組みながらそれは空から現れた。
勇者はアリーの前に立ち、剣を構える。
とてつもないプレッシャーに気圧されそうになりながら、勇者は両足で踏ん張り、ソレと対峙した。
「お前…誰だ…?!」
勇者の問いに、ソレは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「私の名はグラミア…。グラミア=ユーフラシュネ=アエーシェマ。」
アリーはグラミアを見据えると衝動的に前に出た。
「あなたが…教皇や聖母を操り、この国の中枢を蝕んだ元凶…。魔族!」
アリーの言葉にグラミアは涼し気に微笑んだ。
「ご明察。長年、この国にはお世話になったわ。おかげ何不自由のない安全で快適、贅沢な暮らしを100年近くさせて貰ったけど、もう私にはこの国は不要になったの。だって、私にも居場所が出来たのだから…。」
突如、グラミアは狂喜に顔を歪めた。
「だからもうこの国は要らない。返してあげるわ。今までのお礼も込めて、徹底的に壊してから返してあげる!ゴルドラ!!」
いくら勇者が声をかけても微動だにしなかったゴルドラがゆっくりと振り返る。その目にはいつもの輝きがなく、魂が抜かれたように無機質なものだった。
だが、それが次の一言で赤い光が宿り始める。
「私に仇名す全てのものを殺し、滅しなさい。その命を賭けて!」
勇者とアリーに戦慄が走る。
おそるおそる、二人は視線をゴルドラに向けた。
ゴルドラの手に黄金の剣が握られる。
その剣を構え、勇者達に向き直った。
「…畏まりました。我が主、グラミア様。」




