〜反逆の陣容、ここに整う〜
▮
ハーディアにて深夜に及ぶ清掃作業が続く。
床に臥せ、生死の境を彷徨っていたラニーニャ枢機卿の回復により、ハーディアの指示系統は復活。都市の機能は徐々に回復の兆しを見せた。
聖女の名の元、戒厳令が解除されたハーディアは、腐敗した魚の死骸を外に運び出し、次々に火にくべた。この大仕事に、聖騎士団100名も参加し、力を尽くした結果、都市の美掃は目に見える形で成果を上げていった。
そして、遂にその時が現れる。
パルス川から水が流れてきたのである。
まだ弱弱しく、頼りない水の流れであったものの、それを見てハーディアの民は歓喜した。
正直、アリーはホッと安堵の息をついていた。
危なかったのである。
先ほどまでの状態では排水がままならず、パルス川の水を受け入れれば都市が汚泥に水没する恐れがあったのだ。
現在、ギリギリ排水設備が機能を取り戻したところであり、まさしく危機一髪と言えよう。
そうして流入する川の流れが安定し始めた頃、城下の地図を片手に指揮を執っていたアリーの元にハイレンが現れた。
ハイレンは仰々しく跪礼する。
「ご報告いたします。物見より、パルス川の川上から所属不明のボートが目撃されたとのことです。ボートには数人の人影が見えるらしく…。」
報告も半ばに、アリーは顔をぱっと明るくさせ、持っていた地図や資料をハイレンに押し付ける。
「報告ありがとう!ハイレン!後はお願いね!!」
「えっ?!ちょっ…聖女様!!」
ハイレンは押し付けられた資料を受け取りながらも、そのまま正門へと駆け出していくアリーの姿を目で追いながら、やれやれと溜息をつくと、笑み浮かべながら満点の星空を見上げた。
「無事に、目的を果たせたようで何よりだ。アレックス殿。」
---
場外に腐敗物を排出するため、正門は未だ多くの荷車が行き交っている中、それらを搔き分け、アリーは正門前の吊り橋を超えて城壁外に出る。
今のアリーは司祭ローブではなく、動きやすさと汚れても大丈夫な装いとして聖騎士団の制服を着用していた。
白と青の軍服、軍帽姿に、だれもその騎士をアリーだと気づくことはなかった。
それはボートに乗っていた者達も同様で、出迎えに来た聖騎士が誰なのか首を傾げていた。
ボートが着岸したタイミングで、アリーは軍帽を脱ぎ捨てた。
「お帰りなさい!アレク!」
ボートの上で、勇者はしばらく呆気にとられ、固まっていた。
それを気にせず、アリーはゴルドラ達に視線を向ける。
「ゴルドラさん、レダ君もお疲れ様!なんかみんなボロボロだね…。でも無事でよかった!」
「お、おう…。ま、まあ…な。」
「アリーさんも…思ったよりお元気そうで…。」
ゴルドラやレダも歯切れ悪く、アリーの服装やテンションに戸惑っていた。
そんな様子を横目で見ながら、ジェネは小首を傾げていた。
そんな彼女に、アリーはニコリと微笑んだ。
「あなたがジェネさんですね?ハインリヒさんから話は聞いています。御無事で何よりです。」
そう頭を下げるアリーにつられ、ジェネは慌てて頭を下げる。
「え?あ…とんでもないです。それよりも…あなたは?」
ジェネの質問にアリーは小さく舌を出してはにかんだ。
「あ、すいません!こんな格好じゃ分からないですよね?」
アリーは姿勢を正してカテーシーを行った。軍服で行う女性のカテーシーは大変珍しかった。
「アリアデル=エスタ=リエ=オルフェリアと申します。訳あって、聖王国で聖女してます。」
アリーのその自己紹介にジェネは呆けたまま硬直し、ゴルドラやレダを一瞥する。
そして、二人が頷くの確認したのちにアリーへと視線を戻した。
「ええ~~~~!!」
法国では聖女は神聖な存在であり、下民が目通りすることなど一生かけてもそのような機会はないというのが定説。それなのに、こんなところであっさりと目通りしただけでなく、声をかけてもらったことに衝撃を受け、ジェネはそのまま気を失った。
「じぇ、ジェネさん?!」
慌てて介抱するゴルドラを尻目に、勇者はまだ茫然としていた。
いろんな感情や考えが頭の中を駆け巡り、どれを最初の一言にするべきか考えすぎてショートしている状態である。
それは大なり小なり皆が抱いた違和感だった。勇者たちはアリーが不安に打ちのめされているのではないかと心配していたが、予想に反して生き生きとして快活なのである。ゴルドラとレダはそのことで呆気に取られていたのだ。
だが、勇者は他にも色々と思うことがあった。
たった数日会わなかっただけで、胸を駆け上がってくる喜びの感情。
聖騎士姿が思いの外似合っており、褒めるべきなのかどうかという葛藤。
何よりも、急に【アレク】と愛称で呼ばれたことに対する戸惑いと気恥ずかしさ。
だが、それ以上に嬉しさと愛おしさが勇者の心を支配していた。
結果、どうしていいか分からず、現在に至るのである。
そんな勇者を見て、レダは意地悪い顔を浮かべて勇者の脇腹を小突いた。
「おい、いい加減しっかりしろよな。ア・レ・ク。」
「…え?な?!レダ!てめぇ!」
ようやく勇者の意識は舞い戻り、顔を真っ赤にしてレダに詰め寄った。
その様子を見て、アリーは屈託のない満面の笑みを勇者に向けた。
「前から思ってたけど、アレックスって呼びづらいし略称になってないじゃない?だからアレクの方が良いかなって。あれ?ダメだった?」
「いや…別にダメとか嫌とかはないけど…。」
どこか照れくさい気持ちを勇者は拭いきれなかった。アリーとの距離感が、呼び方ひとつでとても近しいものに感じられたのである。
「おいっ!!」
そんな暖かな気持ちになっていた勇者の尻をレダが蹴飛ばした。
「ぼさっとしてねぇで、いい加減ボートから降りろよ。アレク。」
勇者はレダの一言にカチンと来た。
「なんでお前がアレクって呼ぶんだよ!!」
「ああ?ダメでもないし嫌でもねぇんだろう?」
「アリーだけが特別なんだよ!」と声を大にして言うことが出来ず、勇者は悔しそうに言葉を呑む。
そして、それを完全に分かっているレダは、ニヤニヤしながらボートから降りた。
「んじゃ、俺はまたしばらく姿消すから、また後でな。」
そう言って、その場を去るレダの背中にアリーが呼びかける。
「レダくーーん!辺りで魚焼いてるけど、全部腐ってたやつだから食べちゃダメだよ!!」
「食わねぇよ!」
そう吐き捨てながら、レダは夜の闇に消えた。それを見送るとアリーは身を翻す。
「それでは!勇者御一行をハーディアの枢機卿の元までご案内しまーす!」
そう言って、アリーは意気揚々先陣を切って歩き始めた。勇者は未だ気を失っているジェネを背負うゴルドラに耳打ちする。
「な、なあ…アリーの奴…なんであんなにテンション高いんだ?」
勇者の問いにゴルドラは小首を傾げる。
「いつも明朗快活な方なのでそこまでおかしいとは思いませんが、なんだか今日は一段と嬉しそうですね。やはりマスターに会えたからではないでしょうか?」
屈託のない笑顔でそう答えるゴルドラに、勇者は再び顔を真っ赤に染めた。
レダならいざ知らず、この手のことに無頓着そうなゴルドラにあっけらかんと言われてしまったことに、言いようのない恥ずかしさが勇者を襲っていた。
そして勇者は理解した。
勇者とアリー、両者を知る者達にとって、二人がどういう関係なのかということは、完全に筒抜けであるということを…。
---
アリーに導かれるまま、遊覧船に乗り、ハーディアのカテドラルに向かった。
カテドラルまでの運河が運航可能になり、船に乗れたことは勇者達にとって幸運だった。
歩くとなれば、まるで迷路のような小路を先達もなく歩く羽目になるからである。
勇者はアリーから事情を聴き、ハーディアのこれまでについて把握した。未だ残る腐敗臭と焦臭と煙臭につつまれ、目と鼻が痛い現状についても理解した。
カテドラルに到着し、勇者達を出迎えたのは強烈な香の香りだった。
神殿内は清浄な香りにしたいという気持ちの表れだろうが、あまりにも強い香の香りと外の香りがミックスされ、もはや表現しづらいものへと変貌を果たし、勇者達の顔を顰めさせた。
そんな中で、もう鼻がどうにかなってしまったのか、アリーだけは平気そうにしている。
衛兵を捕まえて枢機卿への取次ぎを頼むと、慌ただしく奥の部屋の扉が開け放たれた。
「せ、聖女様!!」
青いドレスの裾を持ち上げながら階段をヒールで駆け下りる女性の姿があった。
高く盛り上げられた髪と重めのメイク施した彼女は、アリーの前で滑り込むようにして平伏した。
「聖女様に至ってはご機嫌麗しゅう!本来ならば私めがお迎えに上がらなくてはならないところ、わざわざ足を運んでくださり恐縮の極みでございます!」
気位の高そうな風体に反し、平身低頭なその様子に、勇者たちは戸惑いを禁じ得ない。
アリーも狼狽えながら、頭を床に擦り付ける彼女と視線を合わせるためにもしゃがみ込む。
「お気になさらないでください。ラニーニャ枢機卿。もうお加減はよろしいのでしょうか?」
ラニーニャ枢機卿は顔を上げると、たっぷりのアイラインが崩れるのも構わず号泣する。
「ああ‥なんと慈悲深い…。死地を彷徨う私めを救っていただいたというのに、なんの礼も持て成しも出来ずに…ああ~この身が口惜しや~!聖女様に救っていただいた命でなければすぐにでもこの喉を掻っ切って詫びるところ…。この感謝の気持ちをいかに貴女様にお伝えしたらよいものか…!」
狂信的なラニーニャの言動に愛想笑いをしながら、アリーは頬を掻く。
ラニーニャは少し落ち着いたのか、アリーの後ろに控えている勇者とゴルドラに怪訝な視線を向ける。
「ところで…そちらの方々は?」
唐突に声色が変わり、下賤の物を見下す元々の高飛車な性格の片鱗が見えた。
だが、それはアリーの次に発した言葉で崩壊する。
「こちらは勇者アレクシー=オズワルド様とその右腕で在らせられるゴルドラ様です。先ほど、無事にアクエラを開放されてハーディアに…。」
「ゆ―――しゃ!!さ・ま!!」
ラニーニャは見た目にも分かり易いほどの衝撃を受けるとともに、先ほどまでの態度を一変させる。
「あ…ああ~~~~!!あなた様がアクエラを開放し、ハーディアの危機を救っていただいた勇者様!!そうとも知らず私めは…私めはなんという無知厚顔な…!!ああ~~~!!英雄の凱旋を何の装いもなく…あまつさえもカテドラルまでご足労頂くだなんて…。なんて…なんて無配慮で恩知らずなのでしょう…。ああ~!!私めは自身の無能を呪いたい!!」
命と領土の恩人を前に激しく取り乱すラニーニャに、勇者は完全に吞まれていた。なんとか落ち着かせたいのだが、口を挟むタイミングを計りかねていた。
「すぐにでも宴の準備をしなければ!!そこの衛兵!ぼさっと突っ立ってないで今すぐ法王庁を挙げての大宴会が始められるように通達を出しなさい!!」
「あ、えっと…ラニーニャ枢機卿?ありがたいお話だけど、そういうのは全部が片付いた後にしてくれないかな?アクエラが解放されたとはいえ、今は一刻を争う状況だ。バーラルとの全面対決が始まる前に、情報の共有と意思確認をしっかり済ませておきたい。」
勇者の言葉に、ラニーニャの顔つきが変わった。
「大変失礼いたしました。勇者様の仰る通り、今大切なことは今後の脅威について足並みを揃えること…。多大なるご恩に報いることが出来ないのは忘恩負義だということは重々承知ではございますが、今はどうかご容赦を…。」
そういってラニーニャは再び床に額を擦り付ける。正直、勇者からしてみたら、そこまで遜られると座りが悪かった。
だが、幾分落ち着いたのか、ラニーニャから支配者層特有の威厳とカリスマが見えるようになった。
そして足踏みしていた衛兵に視線を向ける。
「貴賓室にて緊急会議を執り行う。部屋の準備をせよ。(ハイン)リッヒと(パレイド)リヤも同席させる。すぐに連れ戻して参れ。」
「はっ!」
衛兵の背を見送った後、ラニーニャは再びアリーに視線を向けた途端、眉間に皺を作った。
「せ、聖女様…よく見るとそのお召し物は軍服では…?あんのバカ息子!!ま、まさか!聖女様にあのような不浄で下賤な仕事をさせたのでは?!本当に申し訳ございません!!甘やかして育ててきたせいか世間知らずで気の利かない子に育ってしまい、親としては恥ずかしい限りでございます!しかしながら!親バカと思われるかもしれませんが学問は第一級までしっかりと修め、博士号も取得した英才ですよ!でも気弱な性格が災いして、この年になっても妾の一つもとったことがなく、部屋に籠っては水棲生物の研究に没頭する毎日でして…。こうした有事に対して機敏に対応出来なかったのは大変遺憾ではありますが…。」
怒涛の様に放たれる息子に対する自慢と不満の雨あられを、愛想笑いで聞き流しているうちに、貴賓室の準備が整ったとの通達があり、ようやくラニーニャの口が止まった。
(関西のおばちゃんもたじたじのマシンガントークだ…。)
やれやれと首を振り、勇者はげんなりしたのだった。
---
「そ、それでは…これより、聖王国と第四法王庁ハーディア各代表によります緊急会議を始めたいと思います。よ、よろしくお願いいたします。」
緊張した面持ちでハインリヒが会議の進行を務めた。
席については上座下座を設けず、代表3名ずつの対面で行うことで決着する。—ラニーニャが最後まで食い下がっていたが、アリーがなんとか諫めた—
まず、ラニーニャとハインリヒ、パレイドリヤの三名がまず起立し、深々と礼をする。
「ハーディアの危機を救っていただいたことを、改めてここに深く感謝いたします。私めらは聖女様のご慈悲、勇者様からの多大なるご恩を胸に刻み、聖王国に対して絶対の忠誠を捧げることをここに宣言いたします。」
「聖女様に不滅の愛を!勇者様に輝ける希望を!」
「オルフェリアの大地に安息と平和が約束されるその日まで、共に戦うことを誓います。」
再び礼で締めくくられた宣誓を受け、アリーも腰を上げ、深く頭を下げる。
「ハーディアの心強い宣誓に身が震える思いです。共に豊かで平和なオルフェリアを取り戻しましょう。」
そう言うと、アリーは着席し、ラニーニャ達にも着席を促した。
それを確認すると、ハインリヒが緊張した面持ちで会議を進行させようとした時、貴賓室の扉がノックされた。
ラニーニャは眉間に皺を寄せる。
「誰じゃ!今は国の行く末を決める大事な会議ぞ!」
扉の向こうからはラニーニャの憤慨に対して全く動じない凛とした声が響いた。
「その会議の末席に、拙も列席させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
突然の闖入者に、貴賓室の扉が開き、一同は声の主に視線を向けた。
そこには神官服を身に纏う一人の男の姿があった。それを見て、アリーだけが目を見開いてその者の名を呼んだ。
「アストレイ政務官!」
アストレイ…ロアから教えられた傑物の名に、勇者とゴルドラは今一度、アストレイに目を向ける。
知的な眼差しと柔らかな物腰、その佇まいは嫌味な貴族ではなく、紳士という言葉が相応しく見えた。
「アストレイ…とな…?」
口元を洋扇子で隠し、ラニーニャは訝しんだ顔でアストレイを睨んだ。
アストレイはそれを涼し気に受け流し、アリーの前で跪礼する。
「聖女様、御無事で何よりでございます。アストレイ=リューグ=シミュラクラ。一刻も早く聖女様に現状をお伝えしたく、馳せ参じましたが、これは良き時宜を得たとお見受け致します。無作法ではございますが、私も会議にお迎え頂けますでしょうか?」
「ええ、勿論です。ラニーニャ枢機卿、構いませんか?」
アリーからそう告げられ、ラニーニャは慌てて眉間に皺を寄せていた顔を破顔させた。
「勿論でございます!気品ある理知的な面持ち…この場に有益な情報をもたらしていただける才子とお見受けしますわ。どうぞ、お席へ。」
「寛大な御心に感謝致します。」
そう頭を下げると、アストレイは勇者の席の隣に向かう。
アストレイからの視線を感じ、勇者はほぼ無意識で立ち上がった。
アストレイは勇者と視線を合わせると柔和な笑みを浮かべた。
「まさか勇者様も、時を同じくしてご到着されているとは…。お会い出来て光栄でございます。」
その言葉を受け、勇者は右手を差し出した。
「ああ、ロアから話は聞いている。俺も是非会ってみたいと思っていた。よろしくな。」
そう言うと、勇者はアストレイに《超鑑定》を行った。
LV15。戦闘スキルはないため、戦闘能力は皆無だが、《博識》《算術》《交渉術》LV10をはじめ、様々な知識や技術スキルを有していることから俗に言う天才と呼ばれる傑物に違いはなかった。
だが、ロアからの期待を裏切る形ではあるが、アルカナキャストではなかった。
(スキルLV10って、俺以外に初めて見た…。結構若そうに見えるのに…。)
アストレイは嬉しそうに勇者の手を取った。
「はい、こちらこそ。どうぞよろしくお願い致します。」
二人は握手を解くとそれぞれの席についた。
だが、勇者は横目でアストレイから視線が切れなかった。漠然とした違和感が勇者の中に渦巻いていてどうにもむず痒い。
しかしながら、いくら考えても答えが出ることはなく、勇者は気のせいと割り切る他なかった。
「そ、それでは、まず現状の共有を進めさせていただきたく存じます。」
ハインリヒは改めて進行を開始する。それを待っていたように、アストレイが挙手した。
「それでは拙からよろしいでしょうか?」
ハインリヒはラニーニャに視線を送る。彼女が小さく頷くのを見てハインリヒは小さく咳払いをした。
「アストレイ政務官殿、どうぞ。」
「それでは失礼致します。我々は聖女様と聖騎士団一行をハーディアに送り出した後、ルネリオスの領民一万を引き連れて第六法王庁アルビオレに下り、カリギュラ枢機卿より武器の供与と共に、枢機卿が指揮する三万の兵をお借りすることと相なりました。」
「なんと!?」
「何ですって⁈」
ラニーニャと共に、先ほどまで興味なさげに毛先で手遊びに耽っていたパレイドリヤまでも驚嘆の声を上げた。
当然驚きは勇者達も同様だった。
勇者はアリーに視線を送るが、アリーは何も知らないとばかりに首を横に振った。
皆の注目が高まっていることを肌で感じながら、アストレイは続ける。
「その後、拙らは第五法王庁ビューネルへと入り、戒厳令の解放と共に十分な兵站を開く約定を取り交わすことができました。この交渉はカリギュラ枢機卿の手並みであり、非常に頭の下がる駆け引きをなさっておいででした。ともあれ、これにて聖王国は軍事力と兵站の両方を確保することに成功致しました。現在、部隊はビューネルにて部隊を再編成し、続々とこのハーディアに向かっております。足の早い師団であれば、後数刻で到着するものと思われます。以上でございます。」
アストレイは一礼した後に席に座る。
しかしながら、皆はアストレイの報告を受けて呆然としていた。
法王庁に於いて、テンプルナイトという警察組織は各庁に存在するものの、軍と呼ばれるものはルネリオスの聖騎士団とアルビオレの防衛軍の二つしかなかった。
それは両者共他国と隣接するエリアであったことに起因している。
その他の法王庁には軍の存在はなく、バーラルのみが軍事力を保有していた。この力関係により、オルフェリア法国は主従関係を維持してきたのである。
それが今、聖王国の名の下にバーラルを打倒する軍事力が整ったという奇跡に、誰もがあんぐりと口を開けたままになってしまったのである。
(さすが…ノアの秘蔵っ子か…。アイツが認めてるっていうのも頷ける。)
勇者の挙手に対し、ハインリヒは暫く反応出来ず、気がついた時には酷く狼狽した。
「し、失礼しました!勇者アレクシー=オズワルド殿。どうぞ!」
勇者は徐ろに腰を上げた。
「俺達はアクエラの防衛と主導権の確保に成功した。パルス川も回復し、ハーディアは勿論、ビューネルとアルビオレも近日中に元の生活に戻れるはずだ。」
そこで勇者は一区切りし、アストレイに視線を向ける。
「三万の軍勢を得たのは心強いが、俺はその兵力でバーラルに攻め込むことには反対だ。」
「何ですって!!勇者様?あなた何を言っているのか理解されてるのかしら?」
勇者のその言葉に、目くじらを立てたのはパレイドリヤだった。
「ここまでバーラルに対して反逆の意思を示した以上、バーラルも軍を使って攻め込んで来るのは当然ではなくて⁈そうしたら否応なくこのハーディアが矢面に立つのですわよ!それを分かってらして⁈」
「リヤ!勇者様への口の利き方に気をつけなさい!」
ラニーニャが一喝し、パレイドリヤは口を紡ぐが、決して考えを変えようとはしていない。
彼女の言いたいことはつまり、軍を持たない以上、真っ先に攻撃されるのはハーディア。そこに渡りに船の大軍勢があるのならば、バーラルよりも早く進軍させることによってハーディアを戦火から逃れさせたい。そうした意図が見受けられた。
それはラニーニャも同意であり、頭ごなしにパレイドリヤを諌めたりは出来ない。統治者の立場からすれば自領の安寧を考えるのは当然と言えるだろう。
しかしながら、先刻ハーディアは聖王国の為に戦うことを誓ったばかり。舌の根の乾かぬ内に面と向かってハーディアに被害を出したくないとは明言し難いというジレンマも垣間見えた。
だが、勇者はその批判に怯むことなく言葉を紡ぐ。
「俺はこの戦いを自国の人々の殺し合いにしたくない。バーラルの中枢に潜む魔族を撃ち倒し、聖女であるアリーがバーラルの覇権を握りさえすれば終わると言う考えを貫きたいと思っている。」
勇者の言葉に、アストレイは小さく溜息をつく。
「つまり、一度頓挫しかけた斬首作戦を再び実行する。そう言うことでしょうか?」
「ああ…そうだ!」
「何をこの期に及んで!最早バーラルがそんな隙を与えてくれるわけがないでしょう!」
勇者の言葉に、場は騒然となった。
勇者は投げかけられる非難の言葉をその身に受けながら地図をテーブルの上に展開する。そして、ある地点を指でなぞった。
「ここ、第二法王庁ベゼルデンとハーディアの領境地点に軍を引いて防衛線を築く。そして徹底的に防戦に徹し、膠着状態を維持して欲しい。その間に、俺達で今度こそバーラルを強襲する!」
地図を見ながら、アストレイは顎に手を置き、頷いた。
「なるほど…海と山に挟まれたこの地点であれば防衛は可能…。ハーディアを兵站拠点とすれば補給も問題なく長期間戦線は維持出来るとは思いますが、肝心なのはどうやって強襲するかです。分かっていると思いますが、この戦線を外れれば深い渓谷と道なき密林を抜かなければならず、その進行はかなりの時間を有します。それを敢えて強行すると言うのであれば拙としては反対せざるを得ませんが?」
アストレイの射るような視線を受けながら、勇者は不敵に笑った。
「あるぜ!バーラルへの一本道を猛スピードで突き抜けられるバイパスがな!」
皆が首を傾げる中、珍しくゴルドラが思い当たった。
「マスター、それってもしかして先刻敢えて開けなかった…!」
興奮気味なゴルドラに対し、勇者は頷く。
「ああ…。今、パルス川の支流における西の水門は閉ざしたままだ。今の水量ならば、門の開放と共に激流となって駆け巡るだろうその圧倒的な水流が、俺達をバーラルの喉元まで送り届けてくれる!」
勇者の案に一同は深く考え込んだ。打算も考慮して、代案がないかを皆が模索する沈黙が流れる。
ハーディア側に異論がないことを確認すると、アストレイが小さく頷いた。
「この作戦、何点かリスクがあります。一つは全面戦争にバーラルが乗ってくること。敵の大部隊をバーラルから引き離さなくてはこの奇襲は成功しません。」
「あ…確かに…。」
ハインリヒは思わず口から出た言葉を呑んで、慌てて口を手で覆った。
「二つ、陽動が成功して敵部隊を釣れたとして、その奇襲に気付かれれば敵部隊は反転するでしょう。先の約束通りこちらの部隊の戦線を上げないとなれば、孤立無援となった奇襲部隊は四面楚歌となり、非常に危険な状況に陥ることが懸念されます。敵戦力の底が見えない中で、そうなる前にバーラルを落とせるという決め手は何でしょうか?」
場の空気が非常に重くなる。
ゴルドラとアリーの不安げな視線が勇者に注がれる中、勇者はゆっくりと顔を上げた。
「なるほどな…。勉強になるよ。そうしたリスクを予め教えてくれたのはありがたい。幾らでも対策出来るからな!」
勇者の言葉に一同は目を剥く。そして、勇者はそれらの対策について語り始めた。
その突拍子のない作戦に、ラニーニャ達は疑念を持たざるを得なかった。
だが、アストレイは不可能と断ずることなく逡巡する。
「なるほど…。そんなことが可能なのでしたら、その作戦…賭けてみても良いかもしれませんね。」
アストレイのその一言に場が騒然とする。それを手で制すと、アストレイは「最後に…」と前置いた。
「奇襲部隊の編成についてどうお考えですか?」
「それは…。」
「それは既に決まってます!」
勇者の言葉を遮り、アリーは勢い良く席を立った。そして、次に発した言葉は場をさらに騒然とさせ、混沌とさせたのだった。
ーーー
会議の後、程なくしてアルビオレの第一師団が到着した。
アストレイの進言を受け、ハーディアの簡易的な要塞化をラニーニャは承諾し、城壁の武装化が進められた。
そんな慌しい城壁の上で勇者は西の方角を睨みつけながら一人で佇んでいた。
「なーんか怖い顔してるね。アレク。」
そんな勇者の顔を覗き込むようにして、アリーが隣についた。
周りの喧騒でアリーの接近に気付かなかった勇者は思わずたじろいだ。
「びっくりした〜…。」
「ごめんごめん。脅かすつもりだったんだけど思いの外、成功しちゃった。」
そう言ってアリーは小さく舌を出す。
それを見て、勇者は気恥ずかしくなって頭を掻いた。
アリーは胸壁に体を預けながら、勇者と同じく西の方角に目を向ける。
「怒ってる?私も奇襲部隊に加わるって言ったこと。」
勇者は首を横に振った。
「いや、怒ってなんかないよ。むしろ、そうしなきゃいけないんだと思ってた。アリーがバーラルに入ることはこの戦いの終わりにする為には重要不可欠。だけど、それを俺の口からあの場で言い出すのは難しかった。それを自分から同行を名乗り出てくれたのは助かったと思ってる。」
「うん。そうだと思った。それこそ、アストレイさんにツッコまれたら返す言葉がなかったんだろうな〜って。」
そう言ってアリーは屈託なく笑った。
勇者は肩を竦める。
事実、その通りだ。「聖様の身の安全の保証は?」だのと言われたら、勇者はぐうの音も出なかった。
そこへ、アリー自身が同行を宣言し、我を通してくれたのはこの作戦を実行に移す為の最後のハードルだったと言える。
「ああ。ラニーニャ達は慌ててたけど、アストレイは反対しなかった…。おそらく、アストレイの最後の問い自体が、アリーを奇襲部隊に入れる事を想定しているかを確認するものだったと思う。」
「そっか…試されてたんだね?私…。」
アリーは自嘲するように笑うと、改めて勇者の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、なんでそんな怖い顔してるの?」
勇者は赤面しながら視線を西の方角に向けた。
「レダは俺達と別れた時、西に向かって消えていった。おそらくだけど、事前に斥候に向かってくれたんだと思うんだ。だとしたら…そろそろ帰ってくる頃なんじゃないかって…。」
「何だよ、お見通しかよ。」
突如現れた声の主を探して、勇者とアリーは辺りを見渡す。すると、背後の胸壁の上にしゃがみ込むようにしてレダが不満そうな表情を浮かべていた。
「なんかいい雰囲気になってきた瞬間を邪魔してやろうと思ってたのに…興醒めだぜ。」
「な!…このヤロ!」
ケラケラと笑うレダとともに、傲慢な笑い声が響いた。
「楽しそうじゃんか?アタシも混ぜなよ。」
その声と共に、空間の捩れからロアが姿を見せる。
「ロア!戻ったって事はアクエラの固有結界は…。」
「ああ。万事上手くいったよ。後、機械人形どもの始末とイグゼルダの偵察も済ませてきたよ。」
「マジか⁈凄いじゃないか!ロア!」
あまりの手際の良さに勇者は素直に称賛を送る。
すぐにでも二人からの報告を聞こうとする勇者をレダの手が遮った。
「悪いがそれは後だ。」
「レダ…?」
そう言い放つレダの瞳は真剣なものに変わっていた。
「城壁の上にいたのは好都合だ。今すぐこの場所の警備を強化させろ。」
「え…一体何が…⁈」
アリーの疑問に答える前に、勇者はすぐさま声を張り上げた。
「敵襲だ!!戦闘員以外は全員城内に避難させるんだ!!今すぐだ!!」
勇者からの突然の指示に、一瞬の戸惑いが生じたものの、聖騎士団の一部の者たちがそれに呼応して呼びかけに奔走を始めた。
その声はたちまち広がり、ハーディアの西門は物々しい雰囲気に変わっていった。
「マスター!!」
そして、その声に応えたように、ゴルドラも飛翔して現れた。
「レダさん!ロアさん!戻られていたのですね⁈」
レダは無言で頷くと西の方角に視線を向けた。そしてゴルドラもまた、険しい顔して同じ方角に目を向けている。
「ゴルドラの姐貴の知覚範囲には、もう入ってるんじゃねえの?」
レダのその言葉に、ゴルドラは頷いた。
「ええ。しかしながら、どうやら一人のようですね。攻め込んで来たというよりは、確認するために血相を変えてわざわざ飛んで来た…という事でしょうか?」
そういうとゴルドラは薄く笑みを浮かべた。
それを聞いてロアもその存在を感知し、歯を剥き出しにして口元を吊り上げた。
「こりゃ見ものだな。あのアバズレがどんなツラするか…しっかり拝んでやろうじゃんよ!」
三人の反応を受けて、勇者とアリーはそれが何者なのかを理解した。
程なくして、勇者とアリーの肉眼でもそれを捉えることが出来たそれは、中空でワナワナと拳を握り締め、目を戦慄かせた。
「なんで…なんでアンタがここに居るのよ⁈」
現れたその者に向けて、アリーは一歩前に出てその者の名を呼んだ。
「リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリア…!」




