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〜反撃の一手を導くdebate〜

▮

 完全に想定外なロアの登場により、苦渋を舐めさせられたシェゾは、残った数十体のデコイ達を率いてルネリオスに向かっていた。


 勇者パーティの2強であるゴルドラとロア。その両方が聖王国を離れているというこの事実から、シェゾがアリーを狙ってルネリオスを強襲しない理由などなかった。


 アリーを守る壁として、まだハイレン率いる聖騎士団がいるものの、シェゾは勝算を見込んでいた。


 多くのデコイは失ったものの、住人の死体からいくらでもその数を増やせるシェゾからしてみれば、市街地戦は望むところ。


(アリアデルを捉えることが出来れば、リーヴァを殺さなくても済むかもしれない…。)


 この戦いは先の戦いでの不始末により、リヴァイアの死が前提とされている。だが、アルカナキャストを生け取りにすれば、魔王の恩赦を受けられるのではないか…。


 つまり、シェゾの独断専行である。


 リヴァイアの考えは分からないが、シェゾはそう信じることでこの戦いに最善を尽くそうと動いていた。


 アクエラを離れ、グエナ山岳地帯を駆け抜けること数時間。シェゾはルネリオスの背面に聳える断崖絶壁に辿り着いた。


 250mもの絶壁だが、《崖登り》と《崖下り》のスキルを両方持つシェゾからしてみれば、むしろ奇襲に適した地形だと言える。


 シェゾは断崖絶壁を駆け下り、ルネリオスの南部に広がる大霊園へと降り立つ。


 かつて、デズモンドやリヴァイアの非道な行いによって死亡した者達を人知れず処分してきたこの墓地だったが、前回の一戦にて大量の死体を掘り起こしてデコイにしたため、この墓地にはもうシェゾが使える死体はないようだった。


 シェゾは隠密スキルを使ってルネリオスの内部に入り、聖女の部屋を目指して突き進む。


(妙だ…。静かすぎる。)


 シェゾの全感覚が現状の異常さを警告している。


 確かに今はすっかり夜も更けており、寝静まっているのは理解できる。

 だが、それにしても見回りのテンプルナイトが一人もいないという状況はあまりにも異常だった。


 そして、どんなに知覚を研ぎ澄ませようとも、全く人の気配を感じないのである。


 それは聖女の間に辿り着いても変わらない。


 部屋を開けるものの、当然もぬけの殻。

 どの部屋も、詰め所も、ルネリオスのカテドラルに人の気配が全くなかった。


 それは貴族エリアや民衆エリアも同様であり、ルネリオスから人の気配が完全に消えていたのである。


 シェゾはルネリオスの町を見下ろしながら、眉間に皺をよせた。


「どういうことだ?…本丸を無人にするなど…。これでは落としてくれと言っているようなもの…。」


 独白の様に呟いたシェゾは自らの言葉で気づかされた。


「まさか…。やつら…気づいたのか?こちらが既に法国の統治を望んでいないということに…!」


 法国にルネリオスを取り戻す気も支配する気もないと知っているからこそ、聖王国はルネリオスを捨てたのだ。


 シェゾは空となった城に誘き出されたということになる。


 完全に失態だ。

 シェゾは額に手を当て、熟考した。


「やつら…1万人もの国民を引き連れて移動しているのか?軍人ならいざ知らず、一般人や女子供を交えての行軍などままならないはず…。北のロネリーへ避難した?だが、あの町に1万人を受け入れることなど不可能…。だとすれば…第六法王庁アルビオレに向かったのか?」


 シェゾは南を向く。だが、まだ答えに辿り着いていない気がした。


「いや…なぜ今更行軍をする必要性がある?本当に聖女がアルビオレに民を伴って移動しているのであれば、奇襲するチャンスと言える。それならばすぐに追うのが最善だが…。」


 そう口にしながらも、シェゾの足は動かなかった。どうしても、その先にアリーがいるとは思えなかったのだ。


 考え込んでいたシェゾの脳裏に閃きが走る。


「そうだ…。ロアといったか?あのヴァンパイアロード…。奴があの短時間にアクエラの警護についていることが異常だったのだ!だとすれば…。やつらはまさか…?!」


 シェゾはデコイを引き連れて踵を返し、カテドラルの内部へと走り出した。

 そして、件の隠し通路から地下へと向かう。


 そこはルネリオスの搦手門だった。


 シェゾは扉を潜り、中にあった転送陣(ターミナル)の設定を確認する。それを見て、シェゾは眉間に皺をよせた。


「やつら…!やはりか!!」


 握りこぶしを叩きつける音が響く。

 それに呼応するように、石や鉄を引くような大きな音が響き渡った。


 何事が起きたかとシェゾが搦手門から出ると、左右の搬入扉は巨大な鉄の檻が落ちて塞がり、正面の階段も鉄の両扉が固く閉ざされていた。


 閉じ込められた?!


「先に言っておくが、その転送装置(ターミナル)は最早使い物にならんぞ。」


 慌てて脱出を試みようとするシェゾの行動遮るような一言を発し、眼下に一人の男が現れた。


「貴様が行く場所は地獄だけだ。シェゾ=レイル。」


 みすぼらしい男のなりに、一瞬眉を顰めたシェゾだったが、一拍の間の後、そのものが何者なのかに辿り着いた。


「デズモンド…枢機卿…。」


 そこには世捨て人となったデズモンドの姿があった。デズモンドは落ちぶれてもなお衰えぬ眼光をシェゾに向けた。


「この場所はワシの栄華を支え、貴様とリヴァイアを招き入れた時から没落の始まりでもあった。そして、ワシの人生の終わりでもある。」


 デズモンドの言葉にシェゾはたじろいだ。


 シェゾの知るデズモンドは権力と保身が第一の男だった。だが、今の彼からはそんなものは一つも感じられなかった。


 あるのはただ一つ…持たざるものの狂気だけだった。


 そんな時、左右の檻から声が聞こえる。


「デズモンド様!これは一体どういうことですか⁈」


「ワシらは枢機卿の復権を望む者として忠誠を誓ったのですぞ!」


 檻にしがみつくようにして、無数の老獪たちが有象無象に押し寄せていた。


 デズモンドはそんな者たちに一瞥することなく、冷たく言い放った。


「ああ、その通りよ。ワシに忠誠を誓うあまり…いや、甘い汁を吸うのに慣れ切ったゴミどもを、悪夢の始まりであるこの場所で葬り去ることこそ…。ワシの最期の務めというものだ。」


 その言葉と共に、部屋中の至る所が赤く点灯し始める。


 それが何を意味するのか…デズモンドの言葉からその場にいた者達が全てを察した。


 阿鼻叫喚の混乱で騒然とする中、デズモンドは笑みを浮かべる。その姿に、シェゾは戦慄した、


「ワシは嬉しいぞ…。逆らうことなど出来ず、苦渋を舐めさせられた貴様らに一矢報いることが出来るのだから…。」


 激しく点滅を始めた破壊のルーンは、部屋を真っ赤に染め上げた。


「新たな時代のために、このような役目をくれたあの男には…感謝してもしきれぬ。オルフェリアの真なる聖女に…幸あれ!!」


 巨大な爆発共に、地下施設は全て崩壊し、跡形もなく瓦礫の下に沈んだ。


 忌まわしき闘技場も、オークション会場も、如何わしい色欲の館も全て…。


 デズモンド前枢機卿が生み出した黒い歴史はこの日、それに携わった者たちの生命と共に、完全に清算されたのだった。



ーー


 一方その頃、聖王国は1万人の民を率いてルネリオスからアルビオレへと続く街道を南下していた。


 街道を埋め尽くす人と馬と馬車の群れは、歴史の転換点を表すに相応しい壮観なものになっていた。


 怪我人や病人、高齢者など、長旅に耐えられない者達はロネリーの町へ避難し、それ以外の者達は一部を除き、皆、この行軍に準じて歩を進めていた。


 この巨大な一団を先導するフォルケル=エルトルードは、不意に馬上から身を翻して振り返る。


 その視線の先はルネリオスへと向けられていた。


 その姿を見て、フォルケルの妻であるニニアが馬を並走させる。


「やはり、名残惜しいですか?長き時を過ごした故郷を捨てるのは?」


 そう尋ねるニニアに対し、フォルケルは首を振った。


「いや、そうではない…。時折あるのだ。直観めいた何かが…。虫の知らせのような…そういった何かが…。」


 フォルケルの言葉にニニアは小さく頷いた。


「失礼いたしました。して、それは何を告げられたのですか?」


 フォルケルは難しい顔をしながらも「おそらく…」と前置きをした。


「胸の中で大きく何かが弾けたこの感覚は…近しい者の死だと思う。そしてそれはルネリオスから感じられた。ということは…。」


「デズモンド様が殉職なされた…。そういうことですか?」


 ニニアは俯きながら複雑な表情を浮かべる。


 ルネリオスの平穏のためにあらゆる邪悪を許容してきた為政者。

 そしてそんな男に夫は長年仕え続け、自身は人質としての生活を強いられてきたニニアからしてみれば、フォルケルがデズモンドに対して近親を感じていることに対し、些か思うところがあるのは当然である。


 だが、フォルケルの目は、寂しげにも誇らしげにも見えた。


「私はあの日…デズモンド様に救っていただいた。この世界に絶望し、壊れてしまった心を取り戻せたのは、彼のおかげだった。貧民街で見るも無残な姿になっていた彼を見て、私は恩に報いるためにも復職を願っていたが…。何度酒を持って通い詰めても、彼は首を縦に振らなかった。」


 フォルケルは視線を落とした。


「私は騎士でありながら、彼が望むものを分かってあげられなかった。デズモンド様が望んでいたことは…。」


「自らの半生への贖罪だった…そうですよね?」


 ニニアの言葉にフォルケルは深く頷いた。


「生きることで罪を贖って欲しかったと言えば、綺麗事だ。私が逆の立場でも潔く命を散らすだろう。寧ろ、今この時、作戦顧問などという肩書で聖王国の中枢に居座っていることすらも烏滸がましいとも思える。デズモンドは私よりもよっぽど騎士に近い気質であったと言えるかもしれん。」


 自嘲するように笑ったフォルケルの顔を、ニニアは何も言えずに見つめていた。


「そんなズレた接し方でデズモンド様の真意に気付けなかった私と比べて、あの男はいとも容易く彼の望む形を提案した。正直、完敗だよ。」


 そう言って落胆するフォルケルに対し、ニニアは視線を落とした。


「私は…彼が恐ろしく思います…。打算的で合理的。現実主義であり、有無も言わさぬその理論の果てには、非道な決断を厭わない。」


 フォルケルは小さく頷いた。


「そう…合理的だ。聖女様の統治に反感を持つ元神官省の高官だった連中に対し、『デズモンド様が生きていて密かにクーデターを企てている。』そんな情報を敢えて流し、かつての栄華が取り戻せると鼻息を荒くした老獪共を集めた上でのこの大移動だ。奴らにとって渡りに船とはまさしくこのことだっただろう。再び地下で繰り広げられる昏い欲望の日々に思いを馳せていたに違いない。そんな輩を全て一掃するという大義ある清算方法に、デズモンド様は喜んで応じられたのだ。」


 フォルケルは今一度ルネリオスに視線を向ける。


「それが今、現実となった。正直、私も恐ろしい。これほどまでに…絵に描いた通りに事が進むものなのかと…彼の予言めいた知略の深淵は計り知れない。」


 ニニアは顔を強張らせながら、先日読んだ議事録を思い出す。


 それはこの戦争における聖王国の今後を決定づける文官省内で繰り広げられた討論会の記録である。


 そこには、現在の状況に至るまでの思考の軌跡が綴られていた。


---


◾️

 時は遡り、薄明かりが差し込むとある一室。

 ここは聖王国ルネリオスの文官省の職務室。


 部屋の中央に鎮座するクラシックな机を挟み、二人の男女が向かい合い、論を交わしていた。


 その二人を遠巻きに取り囲むようにして置かれた傍聴席の椅子には、文官省の面々が冷や汗を浮かべながら二人のやり取りを記録していた。


 かれこれ、2時間…。


 全く椅子から立とうとせずに論じ合う二人は疲れを見せるどころかすっかり熱を帯びてしまっていた。


「否なの!確かにアクエラの制圧は法国を脅す戦略的価値はあるの。だけどそれはつまり民衆の生活を人質に取る行為と一緒なの。そんなこと、アリーもパパも承知しないの!」


 ノアはテーブルに広げた地図に並べられた木彫りの駒を睨みつける。


 怒気が込められたノアの否定に対し、赤髪の神官アストレイ=リューグ=シミュラクラは肯定を示し、深く頷いた。


「是。アクエラの占拠の目的が脅迫であるならば、聖女様も勇者様も決して首を縦に振らないでしょう。しかしながら、否。アクエラの占拠の実は法国側に脅迫材料として使わせないためです。」


 ノアは怪訝そうに眉を顰めた。


「…否なの。バーラルの中枢に座るのが魔族であるとはいえ、曲がりなりにも今日まで人間の営みを守ってきているの。それなのにここに来て自国の民を盾にするとは考えられないの。」


「否。初めから法国を手放すつもりだとすれば理屈が通ります。」


 アストレイの一言にノアはハッとする。


「…是…なの。傷物にして引き渡すことが目的だとすれば理解できるの。でもそれだとただの嫌がらせになるの。」


「否。その昔このような話があります。国の要所である要塞都市を敵の大軍に攻めこまれた城主は、勝ち目がないことを悟ると徹底的に都市を破壊することを命じました。城壁を破壊し、井戸に糞尿を投げ込み、食料を全て焼き払ったのです。そして、全軍を本国へと撤退させました。敵軍はアテにしていた要塞の惨状に対して、慌てて補強や改修工事に追われましたが、その間に部隊を編成した城主は本国の大軍で都市を取り囲み、敵大軍を一人残らず葬り去ったのです。」


 アストレイの話を聞いてノアの額に冷や汗が浮かぶ。


「つまり、敵はボロボロになった法国を抱えさせて混乱している聖王国を討つつもりでいるってことなの?」


「是。全ての法王庁に発せられている戒厳令における情報統制と物流封鎖。発せられてから一か月、何の進展もないまま放置されていること。これもそれらを裏付けるものとなっております。」


「…是なの。痩せ細る経済。自然偶発的に発生する暴動と略奪。治安の悪化によってそれぞれの法王庁の力が奪われるの。トドメとしてアクエラが崩壊すれば…オルフェリア法国は数年単位で再起不能になるの。」


 そこまで口にした後、ノアは不意に疑問が浮かんだ。


「アクエラの破壊は…。これまでの時間的猶予を考えればいつでも出来たはずなの…。それなのにまだなのはなぜなの?機を待ってる?一体何の…。」


 熟考に入ったノアに対し、アストレイは何も答えない。ただ、ノアの考えが同じになるかを確かめようとしているかの様だった。


 そして、大した時をかけず、ノアはその答えに辿り着いた。


「パパ達が…第4法王庁のエリアに侵入した時…?そうすれば、アクエラの破壊を聖王国側に擦りつけつつ…上手くいけば巻き添えにして葬ることも出来るの…。」


 ノアの答えがそのまま自分の導き出した答えと同一である事を示す様に、アストレイは神妙な面持ちで頷いた。


「是。勇者様達の予定進行ルートは必ずパラス川を横切ります。その時、川の水量の異変を目の当たりにして、アクエラの異変を確かめに行く事でしょう。勇者様の性格と思慮を鑑みれば…恐らくその公算は高いかと…。」


「ヒドい…っす…。」


 ここまでのノアとアストレイの討論を聞いていた傍聴席のティーエは愕然しながらも、思わず声が零れた。


 二人が行っているのは自軍敵軍に分かれてお互いの一手を打ち合う形での軍議の様なもの。

 ノアが聖王国、アストレイが法国となり、現在の膠着状態から互いに打てる策を打ち合った結果、現在の討論に発展していた。


 つまり、二人の話は盤面での仮定に過ぎないのだが、それが真実に最も近い形で決着しようとしていた。


 そしてそれは、ノアにとって自らの愚策を認めることになったのである。


 ノアも勇者も、バーラルの中枢に居座る魔族を排除すれば事は速やかに終息するものとかんがえていた。だからこそ、全面戦争という形を避けて斬首作戦に打って出た。


 しかしながら、相手が既に法国に対する執着を捨てているとなれば、勇者達がバーラルに辿り着いた頃には法国は実質壊滅状態。恐らく敵は戦う事なく盤上から姿を消すだろう。


 そうなれば後に残されたのは壊滅状態の法国が残されるのみ。


(最初に取るべき一手は…各法王庁を巡り、戒厳令を解く事だったの?この一か月、敵が何もしなかったのではなく…ノア達が何もしなかったことが聖王国の首を絞めることになったの…。)


 ノアが眉間に皺を寄せている様を見て、アストレイは咳払いをして徐に口を開いた。


「異論が無ければ、今後の聖王国の取るべき道について議論させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「是なの。アストレイ政務官の策を聞かせて欲しいの。」


「では、失礼して…。」


 アストレイは一礼して視線を上げる。


「今からでも遅くはありません。聖女様を擁して第4法王庁ハーディアに入ることを提言致します。」


 その言葉にノアとティーエら傍聴の文官達は目を丸くした。


「えっ⁈でも!今からハーディアまでなんて…行軍で二週間!早馬でも一週間はかかるっすよ⁈それで間に合うんすか⁈」


「否なの!間に合うわけないの。」


 ティーエの言葉を遮る様に、敢えてノアは討論中であることを強調して否定した。


 ティーエもそのことに気付き、慌てて口を摘んだ。それを一瞥すると、ノアは視線をアストレイに戻す。


「当然、アストレイ政務官は承知の上で進言しているの。ならば尋ねる言葉は一つ…。どうすればそれが可能になるの?」


 アストレイはノアの猜疑的な視線を受け止めつつ、口を開いた。


「勇者様達がアクエラに到着する前にハーディアに入る…。表の道のりでは到底不可能でございます。しかしながら、この法国には裏の道がございます。」


「裏の道…?」


「是。法国の産業と流通を裏で支える闇組織。シュヴァルツ=シンジケートが作り出した流通ルートです。これは彼らが長い年月をかけて作り出した非公認のルート…。」


 アストレイの言葉から、ノアの脳内で一つずつパズルが組み合わさっていき、やがてそれは一つの解となった。


「まさか…転送装置(ターミナル)なの⁈」


「是。ご明察でございます。」


 確かに転送装置(ターミナル)があれば瞬時に目的の場所に行ける。しかしながらノアは頭を振った。


「否なの。転送装置(ターミナル)は先の戦いでシェゾに破壊されたの…。転移先を破壊された以上…使用は不可能なの…。」


 場に一瞬だけ見えた希望の光はすぐに翳りを見せ、皆からは明らかな落胆の色が窺えた。


 しかし、アストレイだけは違った。


「否。転送装置(ターミナル)の転移先は一つではございません。転移先は複数ございます。」


 その言葉に、ノアは目を見開いた。


「つまり…転移先は選択可能…ということなの?」


「是。シュヴァルツ=シンジケートの流通網(ネットワーク)は法国内で42箇所。全ての法王庁に通じております。その全てを敵に潰されていないことが前提とはなりますが、恐らく転移は可能と見込まれます。」


 職務室が騒然となる。微かな希望の光が灯り、皆が一様に喜色を浮かべる中、ノアは怪訝な表情を浮かべた。


「なぜあなたはそんなことまで知ってるの?あの転送装置(ターミナル)の存在も、先代枢機卿達上層部だけの秘密だったはずなの…。」


 アストレイは猜疑的な視線を向けるノアな対し、軽く頭を下げた。


「邪の道は蛇。ドーベェ様より既に情報を提供して頂きました。そして、不躾ながら、既に準備に取り掛かってもらっております。」


 ノアは呆気に取られた。根回しなんてレベルではない。これはむしろ未来予知に近い。


 この討論会の結論もその先の方針さえも、完全に見通すことの出来る鬼才。まさしく神算鬼謀という他なかった。


 ノアは完全に打ちのめされながらも、目の前のバケモノを見ながら笑みを浮かべたのだった。


「是なの。アクエラを破壊から完璧に守る為にはロアちゃんが行くしかないの。アリーをハーディアで護衛する係が必要になるから必然的にハイレン達聖騎士団も出撃することになるの。そうなると完全に聖王国の守りが手薄になるの。」


 ノアの視線を受け、アストレイは微笑を浮かべた。


「是。その点に関しましては、文官省の執務室をこれほど簡素なものにされた時から、ノア様の構想通りなのでは?」


 ノアはやれやれと肩を竦めた。そのやりとりを見て、ティーエは二人の顔を交互に見比べては頭に疑問符を浮かべる。


「ノア様の構想通りってどういうことっすか?」

 

「ルネリオスを捨てるということですよ。」


 アストレイが言い放った一言はティーエを含めた文官省のメンバーに衝撃を与えた。騒然とする中、ノアは溜息をついた。


「否なの。そんなに驚くことじゃないの。ルネリオスは結局は仮の拠点なの。バーラルが解放されれば、そこに戻るのが必然なの。」


「そ、それはそうっすけど!あーし達もっすけど、聖女様を慕う者達を置き去りにするなんて…。」


「否なの。重要なことはそれなの。」


 ティーエの言葉を遮る様にして被せ気味にして肯定を示すと、ノアはアストレイに視線を向ける。


「聖王国の民と共にバーラルに入る事は宗教権威を示す為にも重要不可欠なの。でも、転送装置(ターミナル)の秘匿性を考えれば、共に立つ民衆達は通常の街道ルートを通る必要があるの。先頭で率いるべき聖女(アリー)が不在になる中、誰がその役目を代行するというの?」


 ノアの試す様な視線を受け止めつつ、アストレイは全く動じずに頷いた。


「恐縮ではございますが、拙がそのお役目を引き受けたく存じます。」


 再び騒めきだす傍聴席を尻目に、ノアは微笑を浮かべた。


「政務官は初めからその役目が回ってくる事が分かっていてこの案を提言してきてるの。出来る自信がある…そう思っていいの?」


「是。この作戦で最大の障害は、新参者の拙にこの様な大役を任せて頂けるか否かでございますれば。」


 ノアは深く頷いた。


「是非もないの。アストレイ政務官のお手並み、とくと見せていただくの。」


 そう言って立ち上がろうとしたノアをアストレイは手を前に出して制した。


「不躾ながら、作戦開始前にロア様にご用意して頂きたき義がございます。」


「ロアちゃんに?」


 訝しむノアに対し、アストレイは深く頷いた。


「はい。その準備が整えば、完全に後手に回ったこの戦局を覆えすことが出来ると存じます。」


 再び冷や汗を浮かべるノア。


 既にノアはアストレイが大言不実ではないことを嫌というほど理解させられている。


 そしてアストレイが述べた策は、まさに人の知識の枠では収まることの無い、悪魔的な一手であった。


 そして、時は現在に至る。


▮ティーエ

「った!ったたた!」


 第6法王庁アルビオレに向かう聖王国の一団の道中。馬車という好待遇に恵まれて喜んでいたのも束の間、石畳と車輪が織りなす地獄の衝撃に、ケツの肉が取れそうになっていた。


 しかもこの振動の中で書類に目を通す必要があり、何度も酔って休憩の度に嘔吐していた。


 歩いた方がマシなのではないかと考えなくもないのだが、一応あーしも文官省の仕事があるから馬車に載せてもらっているわけで、そんなことを言えば職務怠慢、職場放棄とみなされかねない。


 何よりも、気合を入れて頑張らなければならない理由があーしにはあった。


 ふと、視線を上げる。


 そこには真剣な眼差しでペンを走らせるアストレイ政務官の姿があった。


 普通の貴族なら、両脇に美女を侍らせているところだろうが、代わりに大量の書類と文献を両脇に積み上げているところがなんとも政務官らしく、思わず笑ってしまう。


 そう!あーしは今、馬車の中で憧れのアストレイ政務官と二人きりなのである!


 しかしながら、この状況は天国でもあり、地獄でもある。


 狭い空間で知的なイケメンと二人っきりだなんて鼻の下が伸びる状況この上ないのだが、こんな劣悪な馬車の中でも仕事をこなす政務官を差し置いて、下っ端のあーしが仕事をさぼるわけにもいかず、吐き気を我慢しながらも仕事をしなければならない。


 そもそもとして、あーしは決して学があるわけではない。


 女(エルダ)には不要だと教育を渋る家庭が多い中で、親が商人だったことから識字教養と算術だけは身に着けさせて貰えた程度である。


 文官省立ち上げ時、出自を問わないという常套句を鵜呑みにした両親に後押しされ、渋々向かった試験会場に溢れる受験者が貴族エリアの住人ばかりだったことに気付いた時には、正直来るんじゃなかったと落ち込んだものだ。


 帰ろうかと踵を返した時、思わず赤髪の青年にぶつかってしまった。


 立派な神官服を着ていたため、粗相をしたと慌てて謝罪するあーしに対して、彼は笑顔で赦してくれた。


 あーしがアストレイ政務官と出会ったのはこの時である。


 その後、彼は試験が始まるまでの間、試験対策問題を出してくれた。

 全然わからなかったが、全てメモに取り、試験が始まるまでの間、彼が教えてくれた内容を頭に叩き込んだ。


 そしたら、驚愕だった。

 彼から教わったことが、そのまま試験の問題として出たのである。


 当然、全てと言う訳ではないため、教わったところ以外はちんぷんかんぷんだったが、おそらく60点近くは取れたんじゃないかと思う。


 そんな半ば不正のような形で、試験では第2位の成績をとってしまったあーしは、文官省でNo.2という分不相応な立ち位置になっているのだった。


 まあ、あーしが政務官と同じ馬車にいるのはそういう理由なわけで、正直、邪魔にならないように息を潜めているのが実態だ。


 そんな折、政務官の影が異様な形に変化する。あーしはそれを見て、グロッキーだった意識を引き戻した。


 当然、政務官も気づいたようで、ペンを止め、影の中から浮かび上がってきたそれに視線を向けた。


 政務官の影から現れたそれは【シャドーデーモン】と呼ばれる低級魔族だった。


 魔族と聞けば身構えるのが普通だが、それが召喚された使い魔と知れば恐れることはなかった。


 シャドーデーモンを使い魔にしている理由はただ一つ。《魔力通話》による連絡係である。


 ちょっと難しい話になるのだが、《魔力通話》は魔族が用いる魔法によるものであり、魔力回路と呼ばれる固有の回線を通じて個人と連絡を取れるものらしい。


 しかしながら、一人の魔力によって作られる魔力回路は構築に要するMPの量によって決まるらしく、ノア様でルネリオス全域が限界とのことだ。別人格のロア様ならば大陸を端から端まで繋ぐことも可能とのことだが、ノア様に切り替わった時点で構築していた魔力回路は消滅してしまうらしい。


 そこで、政務官が提案したのが、使い魔をつかって魔力回路を延長する方法である。


 正直、ノア様もこれには唖然としていた。隠密に優れたシャドーデーモンを魔力回路の中継役として使うことで、聖王国の連絡網が出来上がり、各地の状況を連絡し合うことが出来るようになったのである。


 ちなみに、これを知っているのは聖王国でもごく限られた一部であり、畏れ多くもあーしもその一人になっている。


 まあ、一般人からしてみれば、使役しているとはいえ魔族は嫌悪の象徴であり、あまり大っぴらにしては聖女様への反感勢力を助長する恐れもあるため、当然の配慮と言える。


 シャドーデーモンからアストレイ政務官へ《魔力通話》が行われると、政務官は軽く頷いた。


「了解いたしました。ご苦労様です。戻ってよろしいですよ。」


 政務官の言葉を受け、シャドーデーモンは再び影の中に姿を隠した。


 どんな話があったのか、聞きたい気持ちはあっても聞いていいか分からずにまごまごしていると、政務官がこちらを向いてニコリと微笑んでくれた。


「どうやら、聖女様は無事にハーディアに入られ、勇者様達と合流したようです。そして、ロア様もアクエラの防衛に成功したようですよ。」


「ほ、本当っすか?!間に合ったんっすね!!」


 あーしは思わず拳を握りこんだ。「それと…。」と前置きをして政務官は続ける。


「ルネリオスの地下で巨大な爆発が発生し、地下施設や設備は全て地の底に沈んだとの報告もありました。」


 それを聞いて、あーしは喜んだ。

 そう…嬉しいはずだ。


 なぜなら、あの噂の流布はあーしが最も精力的に取り組んできたことなのだから。


 それを再確認するために、あーしは敢えて喜びを口にした。


「やったっすね!これで旧体制の生き残りを一掃出来たんすよね?!アリアデル様が治めるオルフェリアに、あんな外道共は要らないっす!!」


 あーしの燥ぎ様を見て、政務官は怪訝な顔をした。


「珍しいですね?ティーエさんがそんな風に語るなんて…。お構いなければ、理由をお聞かせいただけますか?」


 その言葉に、あーしは笑うのをやめ、暫し口を噤んだ。


 だが、波のように押し寄せてくるような感情が、目尻から涙を溢れさせた。


「昔…あーしたちの店の常連の家族がいたんすよ。その家族の娘さんがあーしと同い年で…。あーしたちは親同士が商売の話をしている間中ずっと二人で遊んでたんっす。ある日、カテドラルの大聖堂で礼拝を済ませた後、あーしたちは立派な神父服を着た太った神官にぶつかったんす。あーし達、必死に謝って…もちろん、赦してくれたんっすけど…その神官がいやらしい目つきで友達をねめましたんすよ。気持ち悪くて、あーし達は直ぐにその場を離れたんっすけど、後ろからかすかに聞こえたんっすよ…。」


『あの娘…いくらで買えそうですかな?』


 あーしは感情が高ぶり、体が震えた。


「それからしばらくして、その子は行方不明になったっす。その子の親はもちろん、あーしの両親も必死になって行方を捜したっす。…でも見つからなかったんすよ。あーしは直観的にあの時の神官が妖しいと思い、それを両親とあの子の親に伝えたっす。その瞬間、大人たちの顔色が変わり、それ以降、あの子の話は禁句(タブー)になったっすよ。あの子の両親もルネリオスを離れ、何事ないような日々が流れる中で、あーしだけは…そのことが忘れられなかったんす。」


 止めどなく涙が溢れ始め、目の前の景色が歪み始めた。


 アストレイ政務官は、ただじっと、アタシの顔を見つめてくれていた。


「当時の…神官長の…自宅から…えぐっ…。舌と踵を切り落された女性が見つかったって…。卑猥な衣服を着せられ、体中には何年も繰り返されてきた乱暴と堕胎の痕が残されていたって…。薬漬けにされて正気を失っていた彼女は、救出されてから回復して意識を取り戻したんすけど…。自分の身に起きた悪夢のような時間を思い出して…ナイフで喉を貫いて…。」


 あーしはみっともなく泣き叫んだ。


 歯止めが利かなくなった感情が濁流のように押し寄せていた。


 散々泣いた後、アタシの目の前に木綿の白いハンカチが差し出された。


「拭いてください。」


 短い言葉だった。

 薄っぺらな同情や励ましなんかはない。

 ただこの話の真偽は問わず、受け止めてくれた。


 それがとても優しさに満ちていて、あーしは嬉しかった。


「病室で見た時、あーしには分かったっす…。あの子だってことが…。当時は、何も知らなかったっす。ルネリオスの裏の顔…闇の世界があるなんてことに…。それが経済を回していて、あーしの家の商売もその歯車の一部だったと考えただけで頭がおかしくなりそうだったっす。だから…。」


 あーしは無理やり引きつった笑いを浮かべた。


「嬉しいんすよ。そんな旧政権のゴミが…元枢機卿もまとめて一掃されたことが…この上なく嬉しいんすよ…。」


「ティーエさんは優しい方だ。」


 唐突に政務官にそう告げられ、あーしはキョトンとした。あーしの顔が面白かったのか、政務官は噴き出して笑った。


「いえ、失礼。侮辱されたと思われたなら謝罪します。しかしながら、激しい嫌悪を憎悪を持ちながらも、人の死を喜ぶことに対して戸惑いを感じている。これは人間性という視点で見る限り、非常に優秀と言えるでしょう。簡単に言えば、ティーエさんはとてもいい人だと言えます。」


「え?あ…あーしは別にそんないい人なんかじゃ…。」


 あーしは慌てて手を振って否定するが、政務官は首を横に振る。


「いえ、いい人ですよ。拙と違って…。」


「え?」


 彼は馬車の窓に目を移し、独り言のように呟いた。


「好きなんですよ。断捨離。」


 あーしはその言葉の意味を理解出来ず、彼の目線の先と同じ車窓の景色へと視線を移した。


 不意に視界に飛び込んできた圧倒的な景観に、それまでの話を忘れ、あーしは身を乗り出した。


 グランベルド帝国との国境を隔てる、巨大な山と山の間に築かれたオルフェリア法国最大の要塞都市。


 第6法王庁アルビオレが姿を現した。



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