〜因縁の再来と悪意の拒絶〜
▮
(何が起こった?一体…何が…?)
頭がグラグラして吐きそうな気分の中、レダの朧げな視界が徐々に明けていく。
壁だ。一面、白い壁の部屋。
そこでレダは両手と両足に鉄の枷が嵌められ、体の自由が奪われた状態で床に転がされていた。
霞がかったような頭の中で、何とか記憶を取り戻そうとする。
(確か俺はあの時、…ジェネとマガークの二人の元に走って…そしたら…。)
「そうだ…マガークが…!胸を貫かれて死んでいたんだ!その後、俺は…誰かに後ろから…。」
背後に人の気配を感じたレダは身を転がして向きを変えた。
そこには、真っ白な空間の中で異質な存在感を見せる黒い柱があった。少なくともレダにはそう見えた。
その見た目の質感から、石材ではないようで、不気味な冷たい光沢を放つ巨大なソレにジェネの手足は勿論、体ごと拘束されており、まるで一体化しているかのように見える。
ジュネは気を失っているのか、微動だにしない。だが、死んではいないことだけは確かだ。
「ジュネ!おいっ!聞こえねぇのか?!一体何が…?!」
「あら?起きたみたいね。子猫ちゃん。」
レダの疑問に応えるかのように、聞き覚えのある声が返ってきた。
その声にレダは総毛立つ。
レダは見える範囲でその声の主を探した。
「お久しぶりねえ?子猫ちゃん。」
恐る恐る持ち上げた視線の先に現れたその顔を見て、レダは驚きというよりも頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「え?お前…ロア?」
そこにいたのは白銀の髪に赤い縦長の瞳孔を持ち、赤と黒のローブ姿の女だった。
ロアに瓜二つのその女が本当にロアであるなどと、レダは微塵も思っていない。声、口調、明らかに纏う気配が別の存在を彷彿とさせた。
困惑するレダを揶揄う様に、彼女は醜く顔を歪めて笑った。
「分かってる?分かんない?なんか両方って感じねぇ。アタシよ、アタシ…。」
女はレダにゆっくりと近づき、しゃがみこむと、息がかかるほどの距離まで顔が近づけた。
「リーヴァよ。」
レダの直感は正しかった。
虫唾が走る独特の嫌悪感に身の毛がよだつ。そんなレダの心中は一つの疑問に溢れていた。
(だが、なぜだ?なんでこいつ…ロアの顔をしているんだ? )
「何が起きたか分かんないって感じね?アンタにも分かるように教えてあげるわ。リーヴァは優しいのよ。そう思うでしょ?子猫ちゃん。」
今の状態では反撃も出来ない。俺は肯定も否定もせずにリヴァイアを睨みつけた。
「アンタ達から命からがら逃げた先で、リーヴァ達は思わぬ御方に拾われたの。でもね、その御方にアンタ達勇者一味の情報を差し出したことで、リーヴァはこの美しい顔と魔族の力を手に入れたわ。この美しい髪、透き通る肌、長い睫毛の大きな目、均整の取れた鼻立ちに淫靡な唇…。これが永遠を生きる眷属が追及した美…。そう思うでしょ?子猫ちゃん。」
蠱惑的な笑みを浮かべ舌なめずりをするリヴァイアを見て、レダはどうしてもロアの顔が重なった。
リヴァイアはロアと同じ闇夜の眷属の顔と能力を奪った。その眷属とロアの顔が同じなのはただの偶然か?それとも…。
憶測の域は出ないが、ロアの顔で艶めかしく体を捩るリヴァイアを見て、レダはなぜだか無性に腹立たしかった。
「性懲りもなく厚化粧は相変わらずだな?借り物の面でそこまで自画自賛出来るなんて、面の皮の千枚張りとはうまく言ったもんだぜ。」
バキィ!!
レダの顔面が蹴り飛ばされ、口の中に鉄の味が広がる。
レダの痛い一言に激情に駆られたリヴァイアの顔はで醜く歪んでいた。
リヴァイアのヒールがレダのこめかみに突き立てられる。
「ドブ臭い亜人の分際で減らず口を叩くんじゃないわよ!!」
レダは激痛と屈辱で顔を歪めながらも、リヴァイアに対して攻撃的な意思は保ち続けた。
それが気に入らないのか、リヴァイアは大きく足を持ち上げると、レダの顔面目掛けて勢いよく踏みつけた。
ブチッ!!」
「がぁああぐうううう!!」
鋭利なヒールがレダの右目に突き刺さり、夥しい量の血が噴き出した。
レダが堪らず声を上げる中、リヴァイアは歯を剥き出しにして微笑んだ。
「これで立場を理解したかしら?これだから躾のなってない野良ネコは嫌なのよ。」
不機嫌な口調とは打って変わり、加虐に打ち震えて歓喜しているリヴァイア。
レダは痛みに顔を歪めながら、疑問を口にした。
「お前…一体いつから…俺達に気付いていたんだ?」
レダのその言葉にリヴァイアは満面の笑みを浮かべた。
「第4法王庁ハーディアはリーヴァの支配下。森の中は魔人兵小隊が潜伏して網を張っていたのよ。《生体感知》のような生き物の特性を捉えるスキルに頼り切っていたアンタたちには全く気付いてなかったみたいだけど。」
リヴァイアの言う通りだった。
ゴルドラもレダも共に生体感知系の索敵スキルであり、魔人兵はその感知の対象外。
しかも、リヴァイアは説明を省いたが、小隊のリーダーは《魔力通話》を持っているのだ。小隊の連携は勿論、情報はリヴァイアの元に都度送られていたのである。
後は機を見て転移門を展開すれば、簡単に奇襲が出来るという仕組みだ。
勇者達は知らず知らずのうちに蜘蛛の巣へと足を踏み入れ、絡めとられていたのである。
「ジェネとマガークは…。お前たちの味方じゃないのか?」
レダの言葉に、リヴァイアは呆気にとられたような表情を浮かべると、噴笑した。
「バッカじゃないの?こいつらはただの餌よ。エサ。」
レダにはその言葉の意図が分からなかった。そう様子を見て、リヴァイアは溜息をついた。
「わかんないの?あの二人はアンタ達をこの場所に引き寄せるための餌として敢えて野放しにしてあげたの。普通に考えたら分かるでしょう?戒厳令の敷かれた警備の網を、こいつらみたいな能無しが抜けられるわけないじゃない。そう思わない?レダ?」
同感を求められたレダは小さく舌打ちした。
レダ達はもともと【アクエラ】に来る予定はなかった。何もなければそのまま川を渡り、第三法王庁イグゼルダに向かって進んでいるところだ。
ジェネとマガークに遭わなければ…。
おそらく、勇者たちの動きはかなり前段階で魔人兵によって察知されていたのだろう。それを知ったリヴァイアは敢えてハーディアの警備を薄くし、前々からきな臭い動きをしていたジェネとマガークを外に出した。
つまり、勇者達とジェネ達の出会いは謀られていたということになる。
「不穏分子は当然処分する。戒厳令違反だし、当然生きて帰れるわけないわよね?でも、どうせ死ぬならリーヴァの役に立って死んだ方が浮かばれるでしょ?そう思うでしょ?ジェネ?」
平然と悪びれた様子もなく告げたリヴァイアはジェネの顎を掴んで微笑んだ。
「あの場で二人とも始末しようと思ってたけど、賢いリーヴァは思ったのよ。亜人であるアンタを助けに、勇者は危険を顧みずに飛び込んでくるのかしら…って。」
レダは不快感を露わにしてリヴァイアに犬歯を剥き出しにする。リヴァイアはここぞとばかりに面白がっていた。
「火事で燃える家に置き去りのペットを助けるために、命を賭けて火に飛び込む飼い主なんてどれぐらいいるのかしら?一万歩譲って肉親ならまだわからなくはないけど、ペットに命を賭けて危険を犯すのか疑わしいでしょ?それよりも、人間の…しかも若い女性の方が勇者共を釣れると思って生かしてあげたのよ。リーヴァってとっても賢いわよね?そうでしょ?レダ?」
「このクソアマが!!」
レダは器用に手枷の付けられた両手で体を持ち上げ、リヴァイアに向けて蹴りを放った。
リヴァイアはそれを躱すと同時にジェネから手を放した。
レダの体が床に落ちる衝撃が響く。それに合わせてレダの腹部にリヴァイアのつま先が突き刺さった。
痛みに顔を歪めるレダを見て、リヴァイアは上機嫌で高笑いを上げた。
「のた打ち回る芋虫を眺めるのも楽しいけど、そろそろ本題に入りたいの、いいかしら?レダ?」
レダは何も返事をせずにリヴァイアを見上げる。
リヴァイアは急にすまし顔になり、長く伸びた爪でレダの顎を持ち上げた。
「リーヴァの能力、滅茶苦茶は相手に対する嫉妬心が生まれないと発動しない。だけど、アンタには嫉妬心どころか同情が湧くの。だってそうでしょう?アンタぐらいの年の亜人がこのオルフェリアの地にいる時点でどれだけの地獄を見てきたか、リーヴァには分かるの。分かるのよ。」
加虐的な行為と慈愛の込められた発言に腑が煮え繰り返る思いに駆られたレダは、リヴァイアの足へ血痰を吐きかけた。
「テメエに同情される言われはねぇよ!くたばれ!阿婆擦れ!!」
ベキッ!!
リヴァイアの蹴りがレダの側頭部を打ち抜き、レダの体は2メートルほど吹き飛ばされ、血をまき散らしながら床を転がった。
「どこまでも減らない憎まれ口ね…。その舌を抜き取って、鉄線でその口を縫い付けてやりたいところだけど、どうしても聞いておきたいことがあるのよねぇ。」
リヴァイアはそう言いながら、額が切れ、血塗れのレダに近づいた。
「アンタ、アルカナキャストなの?」
レダの心音が大きく跳ねた。
まるでその音が聞こえたかのように、リヴァイアは嬉々とした笑みを浮かべた。
「そうよね?やっぱりそうよね?!アンタの隠密スキルは完全に異質だった。でも、魔人兵長に観察させて分かった。アンタのスキルは存在自体を認識阻害するスキル。だからこそ、アンタの存在を認識している者には通用しない。だからアンタの顔や声を共有した部隊には姿を確認できた。そうでしょ?レダ?」
レダは大きな音を立てて舌打ちをする。
「情報を取られる立場になったのが致命的だったな…。クソが…。」
完璧に不可視猫の性質を見抜かれたレダは、完全に戦意を喪失した。
そんなレダの心中とは裏腹に、リヴァイア満面の笑みで語る。
「リーヴァね、リーヴァね!すっごく欲しいものがあるのよ?それはね?」
リヴァイアはレダの体に馬乗りになり、息を荒げては口元から涎が溢れていた。
「…アルカナスキル。リーヴァが欲しくて欲しくて堪らないもの…。これがあればリーヴァは必要とされる…。大事にされる…。生きていても赦される!そうよね?!シェブニグラス閣下!!」
リヴァイアの体が赤紫の禍々しいオーラに包まれると、妖しい手つきでレダの首筋を撫でる。
「よせ!やめろ!」
身体を必死に捩り、手枷からは血が滲み出る程に力一杯もがくも、逃れることなど出来ようもない。
リヴァイアの顔が醜く肥えた悪徳領主と重なる。
拘束され、ベッドの上で泣き叫ぶ幼き記憶が、強烈な吐き気と共にレダの脳裏に蘇る。
「やめろ!近づくな!触るな!触るな!!触るな!!」
目を剥き、奥歯が割れるほど噛みしめる。
全身を駆けずり回る怖気が、不快感を脳に絶え間なく伝達し続ける。
それは圧倒的な拒絶の言葉として、レダの口から放たれる。
「触るんじゃねぇ!!!ぶっ殺すぞ!!!!」
そんな悲鳴や懇願にも似た叫びなど意に介することなく、リヴァイアの手がレダの胸に押し当てる。
その手は、レダの体に飲み込まれるように消えたのだった。
▮
ここは教皇庁バーラルの主塔。
地上から50mという高さからの眺望は嘆息の息が漏れるとともに、まるで自身が鳥になったかのような錯覚を覚える。
360度見渡せる自由な眺望の中で、まんじりともせずに東の地を見つめる男がいた。
黒いフードローブに拘束マスクをつけた死神のようなその男は、シェゾ=レイルであった。
シェゾはバーラルの警護と監視という口実の下で、常にこの場所で待機していた。
その事実も、理由も全て飲み込んだ上で、グラミアはシェゾを訪ねてこの場所に足を運んだ。
「毎日日にち、よくそうしていられるものだわ。健気ね…。」
「グラミア様。何か御用でしょうか。」
嫌味がたっぷり込められたグラミアの言葉に、シェゾは何も反応を示さずその場で跪礼する。
グラミアはつまらなそうに眉を顰めると、胸壁に腰かけた。
「そんなにあの子が心配かしら?」
「はい。リーヴァの側にシェゾがいない。それだけで心配。」
間を置かず、そう答えるシェゾ。
今までは機械的なその反応を見て、ままごとだとグラミアは笑ったものだが、今のシェゾにはあのころのような言葉と表情の冷たさがない。
本当の人間のような愛着と憂慮をグラミアも感じていた。
「リーヴァが選んだことよ。あの子は主様の信頼を得るために自分の命を賭けてこの作戦を立案し、今、前線に身を置いている。正気の沙汰とは思えないわ。あの子の狂気は今、常軌を逸している。」
グラミアの言葉に、シェゾは表情を変えない。
「リーヴァは…変わった。」
「えっ?」
ポツリと呟いた。シェゾの言葉に、グラミアは思わず相槌を打つ。
「リーヴァは今までずっと誰かに怯えていた。誰よりも孤独を恐れていた。そしていつも殺意に脅かされていた。一時期はそのバランスさえも崩れさり、自らの精神を壊そうともした。しかし…。今は違う。」
グラミアは初めて見るシェゾの多弁に驚きながら、耳を傾けていた。
「リーヴァは今、自分の存在について向き合い始めている。不幸な運命を呪い、八つ当たりの如く他者を苦しめ、命を奪ってきたリーヴァに一つの夢が出来たのです。」
「それは…なにかしら…?」
シェゾは虚空を見上げた後、紡ごうとした口を閉じ、視線を落とした。
「止めておく。リーヴァの心をシェゾが知ったように語る。シェゾならいい気分はしない。」
グラミアはお預けを食らった形となり、肩透かしを食らうものの、すぐに失笑した。
「まあいいわ…。何となく言いたいことは分かったから。確かにリーヴァは変わったけど、アンタも信じられないレベルには変わっているわよ。」
グラミアの言葉に怪訝な顔で返すシェゾに一瞥して、グラミアは踵を返した。
「リーヴァから通信が入れば報告なさい。どっちの結果に転ぼうと、その時は全面戦争が始まるわ。」
「はっ。かしこまりました。」
深々としたシェゾの礼に見送られて、グラミアは宮殿内へと姿を消した。
シェゾは眼下に広がる無数の人影に目を落とす。それはバーラルの凱旋広場から門を抜けて外に出てもなお続く大軍勢であった。
ざっとみて、その数30万近く。
一糸乱れぬ隊列を組んだ壮観な光景を無感情に一瞥すると、シェゾは再びリヴァイアがいるであろう方角に目を向けた。
30万もの大軍が集められているというのに、バーラルは驚くほどの静寂に包まれていたのだった。
▮
勇者とゴルドラは白い石工の内部を突き進む。
コンクリートと見紛うような【アクエラ】の全容は、美しく成形された堆積岩の要塞だった。
東の山岳地帯に採石場があるが、そこから運んできたとしてもとんでもない労力と精巧さである。
そんなオルフェリアの叡智と先人達の偉業の賜物である巨大堰堤基地【アクエラ】。
そんな歴史的な建造物の中には近未来的な機械生物が蠢いていた。
全長1メートルほどの蜘蛛型のそれは、壁や天井を這い回りながら二人の行く手を塞ぐ。
勇者は即座に《超鑑定》を発動した。
「名前はアラクニッド、レベルは32!迎撃するぞ!」
勇者はミスリルソードを構える。
LV32は今の勇者ならば一撃で屠れるレベルではあるものの、数が夥しかった。
俊敏性が高く、モノアイから放たれる熱線は石壁を焼き切る。
勇者は《流水の舞》などのスキルを使って敵に狙い撃たれないようにしながら突き進む。
前線の戦いの全てを勇者が引き受けていることに、ゴルドラは申し訳なさそうに頭を垂れた。
「申し訳ございません、マスター…。私が油断したばっかりに…。」
ゴルドラは怪我の修復にMPを使い過ぎたためか、今は竜人状態に戻っていた。
もしここで、さきほどの魔人機兵が現れれば万事休すと言える。
竜騎装甲を再出現させるために、傷の修復よりもMP回復を優先しているためか、左目は完治しておらず、潰れたままである。
勇者は落ち込むゴルドラの肩を叩いて励ました。
「何言ってんだよ。いつも危険な役割を背負ってくれてるんだ。たまには俺の後ろに隠れてたってバチは当たらないよ。出来るだけ休んでてくれ。」
「すいません…。お言葉に甘えさせてもらいます。」
ゴルドラの状況を考えてもここは勇者の踏ん張りどころであった。
先陣を切って突き進み、なるべく打ち漏らさないようにしてゴルドラへの負担を避ける。
そうして階段を降り続け、【アクエラ】の中央部に差し掛かった頃、物々しい扉が二人を出迎えた。
石造りの壁が続く中、この扉の重厚さはかなりの違和感があった。
まるで銀行の巨大金庫のような鋼鉄製の大扉に、勇者とゴルドラは圧倒されていた。
「いかにも…って扉だけど…世界観が釣り合わない作りだ…。なんか仕掛けでもあるのか?」
勇者が訝しみながら扉を調べていた時、ゴルドラの聴覚が僅かな音を聴き取った。
「マスター!中から悲鳴が聞こえます!!女性のものです!」
ゴルドラの言葉で、勇者の脳裏にジェネの危機がよぎった。
「ゴルドラ!開けるぞ!!この扉…かなり重い…!手を貸してくれるか⁈」
是非もなく、ゴルドラも勇者共に扉を押した。
扉が僅かに開いたその時、何か大きな音が響き渡ったのだった。
◾️
「な、なに⁈何なのよこれぇぇえ⁈」
リヴァイアの絶叫がこだまする。自分の身に起こっていることに理解が追いつかず、錯乱していた。
レダの意識が徐々に鮮明になり、今何が起こっているかを確認した。
レダの瞳に映っている光景は、右手首が失われて、取り乱しているリヴァイアの姿だった。
カラン…
乾いた金属音に、レダは軽くなった両手を持ち上げる。
「手枷が…。どこに…?」
辺りを見渡すと、手枷が閉じた状態で床に転がっていた。だがその存在感は希薄であり、ぼんやりと朧げに見える。だが、確かに手枷が外れたという事実だけは疑いようがなかった。
レダは自身に起こっている現象を確かめるために、今度は足枷に集中する。
そして、ひたすらに念じた。
(消えろ!!)
念は通じ異変は再び起きた。
足枷はその色を徐々に失い、完全に透明になった時、レダの足に自由が戻った。そして、乾いた音を響かせると、床には閉じられたままの足枷が浮かび上がるように現れたのである。
気づけば、リヴァイアの右手首も今はその姿を取り戻している。
動揺を隠せないままのリヴァイアを尻目に、レダはこの状況を完全に理解した。
(不可視猫がスキルアップしている⁈)
ユニークスキルは所持者の願望を能力として投影させたもの。
そもそも不可視猫はレダが誰にも見つかりたくないという願望から発現したスキル。一方で、誰かに知ってもらいたいという裏の願望から、自分を知った人間には効果が発動しないという反作用も生まれた。
だが、強烈な拒絶の意思が不可視猫を新たな境地押し上げる。自分が触れて欲しくないという存在を消し去る能力へとスキルアップしたのである。
だが、存在を消し去ると言っても永遠に消滅させるなどはスキルのキャパオーバー。レダの体から離れた瞬間にその存在を取り戻すことになる。
これがレダの新しい力の全容だった。
そしてこの事実は、相手の肉体に触れることが絶対条件である滅茶苦茶とは相剋関係となっており、少なくともレダに意識がある以上、発動は不可能であることを意味していた。
レダは体を低くして戦闘態勢を取る。
まだ状況を理解出来ていないリヴァイアは狼狽しながらも両の手をレダに向けた。
「くたばれ!!腐れ猫!!」
《魔力錬成》が発動し、無数の黒い槍がレダに向かって放たれた。
だが、レダは避けようとせず、ただ頭の中で念じる。
(触るな!消えろ!!)
レダに命中したはずの黒い槍はその姿を跡形も無く消しさり、レダの後方で不意に現れてはそのまま壁に突き刺さった。側からそれを見ていたジェネにはまるで槍がレダの体をすり抜けたように見える。
リヴァイアは焦燥で顔を歪ませると、発現させる魔法を変える。
両の手から放たれた火焔はレダの周囲を取り巻き、そのまま火柱に包まれた。
これには口元を緩ませたリヴァイアだったが、その瞳は再び畏怖に染まる。
爆炎に包まれながらも、その中央にいるレダは平然として体勢を変えないのだ。まるで中心部だけくり抜かれたような不可解な炎の形に、リヴァイアの口から理解を拒むように否定が綴られた。
「そんな…バカな⁈こんな理不尽があっちゃいけない…。そうよね⁈ね⁈」
同意の言葉を無視し、レダが床を蹴った。
それに合わせてリヴァイアは無軌道、無差別な雷を具現化する。
だが、レダは一直線にリヴァイアに向けて走る。雷の雨を平然と突き進み、リヴァイアの眼前に迫ると、右拳を振り翳した。
「消えろ…阿婆擦れ!!」
殴り飛ばされたリヴァイアは床に背中を打ちつけた。だが、違和感にすぐ起き上がり、自らの左頬に手を当てる。
「ない…顔が…リーヴァの顔が!!」
リヴァイアの左顔面は文字の通り消えていた。狼狽するリヴァイアに、一つの影が覆い被さる。
リヴァイアが恐る恐る残された右目で見上げた時、そこには自らの存在を否定する悪鬼の姿がそこにあった。
「消えてなくなれ!!リヴァイア!!」
「あぁああああああああ!!」
断末魔のようなリヴァイアの絶叫を遮るように、レダの無数の拳がリヴァイアの身体を消し去った。
そして、首から下はなくなり、右顔面だけとなったリヴァイアの髪の毛を掴み、レダは拳を大きく振りかぶった。
まるで生首のような状態となったリヴァイアの右目からはとめどなく涙が溢れ出る。嗚咽が上がり、目の前にある恐怖に歯がガチガチと鳴った。
「や、やめて…助けて…。お願い…!」
その言葉を聞き、レダは奥歯をギリギリと鳴らした。
「どの口が赦しを乞うんだ?俺は忘れてねぇぞ…。お前はそう言って…救おうとしたアリーに毒牙をかけた。」
「ひぃ…!!」
レダの目に宿るその憤怒に、リヴァイアは言葉を失い、小さな悲鳴をあげる。
「俺はお前の存在を真っ向から否定する!くたばれ!そしてこの世から永遠に消えろ!!」
ガチン!!
奇妙な音が響き渡る。
レダは手を止め、音の方向に視線を向けた。
そこには重厚な扉があり、勇者とゴルドラが扉を開けてこの場に姿を見せていた。
「レダ!!無事だったか⁈」
「レダさん…!よくぞご無事で!!
目の前の状況を見て、レダの無事しか確証の持てない勇者とゴルドラ。
そんな二人を見て、ふと口元を緩ませたレダだったが、不気味な笑い声に視線を戻した。
そこには、狂気的な笑みを浮かべたリヴァイアの顔があった。
「やっぱり!!リーヴァは幸運の聖女なんだわ!!この状況で…また運命がリーヴァの味方をしてくれた!!」
高笑いを上げるリヴァイアに眉を顰めるレダ。
その声を聞き、勇者達は得体の知れない恐怖に包まれ、戸惑いを禁じ得ないのだった。




