〜聖人君子の放つ異才と異彩〜
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オルフェリア法国 第二法王庁ベゼルデン。
光も音も魔法も通さぬ一室にて、豪奢な法衣に身を包んだ老齢の男女が三名…厳しい表情で向かい合っていた。
燭台の火がそれぞれの顔を照らす。
司祭帽に眼鏡をかけ、髭を蓄えているのはこのベゼルデンの枢機卿 バーダー=ビル=ネロト=マインホフ。
その右方の席に座るふくよかなで細い目をした老女は第一法王庁ラトクリフの枢機卿 キーナ=ヨダ=ハイネル=オブシアン。
普段は笑みを絶やさない彼女だが、今はその視線は厳しいものを感じさせている。
そして最後は左方の席に座る面長な顔立ちだが厳しく、深い皺が刻まれた最年長。第三法王庁イグゼルダの枢機卿 ガルニック=ツァイ=ラダ=インボスターである。
この三名がこのベゼルデンに集まったのは他でもない。
聖王国に現れた真の聖女に端を発したルネリオスの独立宣言。
それに伴う内乱への危惧が大いに高まる昨今の状況に対して、それぞれの情報の共有と今後の身の振り方について協議する為である。
ここに集まる3つの法王庁は教皇庁バーラルから目と鼻の先であり、教皇と聖母の影響力が最も強い。そのため、三者は常に教皇庁の顔色を窺って来た経緯がある。
今回の件についても、当然三者は一様に警戒の色を示し、各法王庁は自領の情報統制や軍備増強に努めていた。
しかしながら、一か月という時が流れたにもかかわらず、教皇庁バーラルは何の動きも見せない。それが非常に不気味であり、高まる緊張感と警戒感から、バーダーはキーナとガルニックに秘密裏で使者を回し、ベゼルデンにて会合を開く旨を提案し、今に至ると言う訳である。
「さて…」と口火を切ったのは今回の発起人バーダーである。
皆、一様に表情が硬いのは言うまでもない。
今こうして枢機卿三名が密会をしていること自体が、あらぬ容疑を掛けられるいい口実になるのだ。
そして、この三人の結束が完璧なものと言う訳でもない。この場での失言を引き出して、バーラルに売る可能性も十分にある。ともなれば、バーダーがまず牽制し合う無言の空気を打ち破る必要があった。
「この場に集まってくれた以上、お二方の心中は察するに余りある。バーラルから聖王国への征伐命令が下るにしても、聖王国が他の法王庁を味方につけた上で我々への結束を呼び掛けるにしろ、各自軍備については整っている状態だと思われる。だが、戒厳令と軍備の継続維持は極度の緊張と不安を市民に与えていることだろう。」
バーダーの言葉にガルニックは頷く。
「お陰様で流通は途絶え、自給自足の毎日だ。カテドラルの庭園では薔薇の代わりに芋を植え始めたところだよ。」
さすがに冗談だろうとバーダーは愛想笑いを浮かべる。そして、視線をそのまま口をへの字に曲げたままのキーナに向けた。
「ラトクリフはバーラルの使者が住まう大使館があったはず…。バーラルの状況において何か情報はないのでしょうか?」
「ないわね。」
キーナはバッサリと切り捨てる。その目には普段の温厚さが見えず、苛立っているように見えた。
「バーラルからの命令は各法王庁に送った通り。『有事に対して最大の備えをして待機せよ。』それだけだわ。」
何度も繰り返されてきたであろうその返答に、キーナはうんざりしているのが窺える。
普段では考えられない雰囲気のキーナにバーダーは思わず言葉を失っていたが、年長者のガルニックは全く気にせずに切り込んだ。
「これは稀有なことだ。ラトクリフとバーラルは80km程度。日帰りでも直接師団を送り込める。お主ご自慢の諜報部隊ならばなおのこと。ワシはその情報を聞きにわざわざ来たんじゃぞ?」
ガルニックは落ち窪んだ目でキーナをねめつける。バーダーとしても、キーナが得ているであろう情報が欲しかった。
「何も情報がないという意味がどういうことか分からないの?!」
キーナは細い目を見開きながら机を叩き、声を荒げた。その剣幕に、バーダーとガルニックは竦み上る。
「諜報に出した私の部隊は現在20名にも及ぶ…。だけど、まだ一人も帰ってきていない!ただの一人もよ!捕まって拷問を受けているのだとすれば…私の名前を出してしまったとしたら…私はバーラルの執行人に殺されてしまう!」
キーナは頭を抱えて蹲った。
その姿を見て、バーダーは茫然とし、ガルニックは深い溜息をつく。
「なるほどのぅ。お主がこの会合に来た目的は、ワシらに助けてもらおうと縋るためか。となれば、お主の立場は反バーラル派ということになるな。」
ガルニックが声を上げてほくそ笑む。それに対してキーナの目が怒りに震える。
「ガルニック貴様!!」
「落ち着かれよ!」
バーダーの一言でキーナは口を紡ぐ。
「バーラルの状況は不明。探ろうとすれば危険が及ぶという状態。これは逆に言えばバーラルに大義がない証拠とも言えるのではないか?」
「つまり、聖王国が擁する聖女こそが本物であると?かと言って、聖王国に味方するのかと言われれば…ワシはごめんじゃ。」
「なぜです?!真の聖女が聖王国にいるのならば、大義はこちらにあるというもの!」
キーナが勢いよく席を立ち、ガルニックに迫る。キーナの立場からすれば、法王庁全てが立ち上がってバーラルに立ち向かう構図になった方が自身の保身に繋がる。
だが、ガルニックは鋭い鷹のような目でねめつけた。
「首尾よくバーラルを落としたとして、その後に本当の内乱が始まるじゃろうが。」
その言葉に、キーナはたじろぎながら言葉を飲んだ。
「私達が協力すれば、戦後のオルフェリアの統治問題で必ず揉める。聖王国側から何のアクションもないことから、そのことを聖王国も弁えているということでしょう。」
バーダーの言葉を受け、キーナは親指の爪を噛む。
「では、成り行きを傍観する…ということですか?逆にバーラルから聖王国への出兵指示が出された場合はどうなされるので?」
ガルニックは豪快に笑う。
「それならば喜んで兵を出そうぞ!むしろ、それが一番平和に終わるかもしれんぞ?」
キーナは訝しみながら顔を顰める。
「聖女様に刃を向けることになっても構わないと?」
「それは戦い方次第じゃろ?バーラルは各法王庁にこう触れ込めばいいのだ。聖王国は聖女を拉致した不届きものであると。オルフェリア法国は総力を挙げて聖王国に聖女の引き渡しを要求する。応じればまこと平和裏の解決であり、応じなければ聖女奪還を大義として聖王国を潰せばよい。」
「しかし、それにはリヴァイア様の件について正式なバーラルの回答が必要不可欠。」
バーダーの言葉にガルニックの熱弁は急速にその熱量を失った。
「それじゃよ。なんとでも言い訳出来そうなものだがな。まさかの沈黙とは…。」
結局堂々巡りとなり、現在の停滞状況を再確認しただけの議論に、ガルニックは深い溜息をつく。
「聖王国の様相については何か情報は?」
バーダーの言葉にガルニックが面倒くさそうに呟く。
「ダメじゃろうな。やはりデズモンドのやつがおらんのが痛いのぅ。あんな素人どもでは政治とはいえんわ。」
「だとすれば、聖王国としては無事にバーラルに聖女様をお返しする…というのが理想的でしょうか?」
「その交渉が水面下で行われている可能性はあるかもしれんな。」
ガルニックの言葉を最後に、沈黙がその場を支配した。それを受けて、バーダーが徐に席を立った。
「議論も尽くされたようですね。それでは、我々の今後について、一つの結論を出しましょう。」
バーダーの言葉に、ガルニックもキーナも顔を顰めた。
その結論が出なかったというのに、一体何を言い出すつもりなのかと。
バーダーは目を見開き、歯を剥き出しにして歪な笑みを浮かべた。
「我らは死ぬべきである。麗しの我が君のために!」
ガルニックとキーナはバーダーの豹変ぶりに血の気を抜かれたように青ざめた。
涎をまき散らしながら狂ったように笑う様は、正気の沙汰とは思えない狂態だったのである。
そして、会議室のあちらこちらから不穏な赤い光が灯り始めた。
それが何を意味するのか…。
ガルニックとキーナは恐怖で顔を歪めた。
「バーダー!!貴様…何を…!!」
「いやぁああああ!!!」
キーナは飛び上がるように席を立ち、扉のノブに手をかける。
刹那!!
バリバリバリバリ!!!
「ぎぃやああああああああ!!!!!」
人とは思えないような絶叫を上げ、黒焦げになり、力なくその場に崩れ落ちるキーナを見て、ガルニックはガタガタと震えながら、バーダーを見る。
バーダーはまるでサーカスの団長の様に、派手に両手を振り上げる。
「全てはグラミア様のために!!魔王陛下に栄光あれ!!」
その言葉とともに、部屋は真っ赤に染まった。
この日、部屋の中の惨状が表に出ることはなかった。
この部屋の高い機密性がもたらした結果、3つの法王庁は自領の枢機卿が死亡したことに数日間気づくことはなかったのだった。
▮
聖王国の大講堂。
200脚もの机と椅子が並べられたこの部屋に、大勢の神官が集められる。
その面々は老若男女様々ではあるものの、会場を包む雰囲気は緊張感などまるでなく、社交場の延長であるかのような様相を醸し出していた。
元々は神官省の役人として甘い汁を吸う寄生虫のような人種である。努力などとは無縁なぬるま湯に親から子に至るまでどっぷりと浸かってきた彼らにとって、今回行われる文官省登用試験に納得して望んでいるものなどほとんどいない。
中には、試験結果などどうでもよく、結局は家柄で選ばれるとたかを括っている者までいた。
そんな腑抜けた空気間を壇上の上でノアは不機嫌な様子で頬杖をついて見下ろしていた。
一応、講堂内には聖騎士団が待機しており、問題行動を起こせば即退出させる段取りにはなっているが…。これは200人全員を落とすことになりかねず、そのまま暴動に発展することも予想された。
(まあ、その時はフォルケルになんとか助言をしていって聖王国をまともな方向に誘導するしかないの。)
ノアはそんな未来が現実味を帯びる中で今日一番の溜息をついた。
今回用意した試験は勇者の前世で言うところの高校入試レベルの政治と経済の問題だ。
いい大人であれば少なくても半分は答えられるであろうレベルの問題。
その採点をする中で、ノアは予想通り頭を抱えた。
100点満点中、1桁しか点が取れない者がなんと多いことか…。
なんとも自己中心的な回答が続く中で、ノアは最早諦めの境地にいた。
(これなら幼い子だけを集めて教育していったほうがよっぽどマシなの…。)
神官省の人間殆どをリストラする決意を胸に秘め、解答用紙と睨めっこを続けていたノアだったが、一枚の解答用紙の採点中に思わず身を乗り出した。
「満点なの…。」
いや、筆記の内容まで鑑みれば加点も考慮すべきだった。そんな解答用紙に書かれた氏名に目を向ける。
「アストレイ=リューグ=シミュラクラ…。」
まだ一次試験ではあるが、これほどの逸材が聖王国にいたことに驚きを隠せず、ノアはその名前を胸に刻んだ。
ーー
翌日、二次試験を開始した。講堂の外が騒がしい。一次試験で落とした元神官省の無能な役人どもが外で騒いでいるのだ。
聖騎士団が対応に追われる中、現在講堂の椅子に座れているのはたったの6名である。
レベルが低すぎて合格点を60点から40点にし、なんとか拾い集めた5名と、100点以上をマークしたたった一人の傑物を含めた6名である。
ノアの視線は自然と一人の男性に注がれる。
赤い髪に翡翠のような瞳をした彼は、おそらく20代後半という若さだった。その物腰や表情からとても柔和な雰囲気を醸し出しており、好青年と呼ぶに相応しい。
ノアはアストレイに対し、他の5名とは違う問題を配布した。
その内容は国家公務員やファイナルシャルプランナーの1級試験に相当するレベルのものである。
正直に言えば、ノアはこの6名を有無も言わさず合格にするつもりである。
それでも試験を敢行したのにはこれから求めるレベルを示唆する為であったが、アストレイに関しては垣間見えた知識の深淵を覗く意味合いがあった。
そして、アストレイの解答を見てノアは愕然とした。
全くの白紙で提出して来たのである。
これには、さすがのノアも冷や汗を浮かべながら負けを認めざるを得なかった。
おそらくだが、彼はこの二次試験が合否に関係するものではないことを悟り、それがわかっているという意思を伝えるために敢えて白紙で提出したのだ。
最終試験である面接を前にして、ノアは彼の身辺調査を行うのだった。
ーー
そして迎えた最終試験。
ノアは前の5名との面接を済ませ、いよいよアストレイの番を迎えることになった。
面接官としてデスクに座るのはノアとフォルケル、そして記録係としてフォルケルの妻であるニニアが同席した。
ニニアはフォルケルと結婚するまでルネリオスの商業区で財務経理を行う役人であったことから、ノアの一声で職場復帰させた経緯がある。
ブラウンの長い髪に眼鏡をかけた理知的で気丈な雰囲気を持つ彼女は、ノアから見て好印象であり信頼を集めている。
ほどなくして、ノックの音が部屋の中に響く。
「入りなさい。」
フォルケルの声が響く。
「失礼します。」
洗練された楽器の音色の様な声が、耳心地よくノアに届く。
放たれた扉からアストレイが悠然とした態度で現れた。
白と金の刺繡が施された神官服の上には正装である黒いローブを纏っている。
身だしなみ、身なりの良さから気品が漂い、それでいて豪華な服飾品などは身に着けず、気取った雰囲気もない。TPOを弁えた非常に好感が持てる第一印象である。
彼は面接官の前に置かれた椅子の横に立つと背筋を伸ばす。
「元神官省高官 エルドラン=ハルド=シミュラクラの次男、アストレイ=リューグ=シミュラクラと申します。この度は貴重な時間を頂き、誠にありがとうございます。本日は何卒、よろしくお願いいたします。」
自己紹介を述べ、深々とお辞儀をするアストレイを見て、フォルケルは嘆息の息をついた。
明らかに前の5人とは違う彼に圧倒されたのか、進行そっちのけでそのまま茫然とするフォルケルを横目に、ノアはわざとらしく咳払いをする。
「座ってくださいなの。」
ノアの言葉を受け、アストレイは椅子に腰を下ろす。フォルケルは申し訳なさそうにノアに視線を送る。
だが、ノアはそれを受け取らず、進行を無視して口を開いた。
「それでは面接を行っていくの。面接の時間いっぱいを使って、自由に話をして欲しいの。」
明らかに前の5人とは違う進行に、フォルケルは目を見張る。
アストレイは目を細めた。
「こちらからの質問はよろしいのでしょうか?」
「答えられない質問でない限り、誠実に回答させていただくの。」
「そうですか。では…。」
アストレイは部屋の隅々に視線を泳がせる。
「この部屋は文官省の職務室となるのでしょうか?」
その質問に対し、フォルケルは目を見開く。
「なぜそう思ったの?」
ノアは顔色一つ変えずに質問を返す。
「この度の募集で受かるは拙ら6名。面接官の皆さんを合わせても10人足らずの組織。となれば、20~25坪程度の職務室になる公算が高いかと。」
図星だった。だが、ノアは狼狽えることなく、まだ言葉の先が見えるアストレイを促した。
「また、面接室に開放窓が一切ないというのは入った瞬間に気になりました。上部にだけ取り付けられた明かり窓から察するに、書類の日焼けを避けるために窓は最小限にした構造になっていると考えられます。陰気な職場だと鼻で笑うところですが、この部屋に施された魔法設備による労働環境への配慮には非常に好印象を受けました。」
多少興奮気味に語るアストレイに対し、ノアは内心で笑みを浮かべた。
「何がお気に召したのか聞きたいの。」
「ルーンによる環境設備ですよ。」
その答えを受け、フォルケルは慌ててノアに視線を向ける。ノアはこめかみに汗を浮かべながら、頷いた。
「素晴らしい洞察力なの。何のルーンでどういう効果があるかは分かるの?」
アストレイは笑顔で応える。
「ええ。まずは光のルーンを使った灯。火事の危険や換気の悪さから火を使えないこの部屋であれば必須。もう一つは、氷と風のルーンを複合しているのが分かります。これは室内の温度と湿度を快適な状態に保つためだと思われます。だとすれば、非常に快適な職場だと拙は愚考致します。」
あまりにも完璧すぎる返答に、ノアは思わずたじろいだ。
《鑑定》による結果、LV15。神官にしてはレベルが高い方だが、当然モブの域は出ない。
ノアのレベルが低すぎるため、同じモブレギオンでもレベル以外の情報がまるで分らない。
(パパなら完璧に鑑定できるけど…。タイミングが悪かったの…。)
勇者達は既にバーラルに出発した後であり、ノアは心の中で舌打ちをする。
「見事なの。まだ起動させてもいないルーンの特性を見抜くだなんて…。さぞ優秀なスキルをお持ちなようなの。」
「とんでもない。趣味レベルの知識ですよ。」
アストレイはにこやかに謙遜した。ノアは彼の優秀さを認める一方で、あまりにも遜った彼の態度に違和感を感じずにはいられなかった。
(低レベルとはいえ、この優秀さ…。アルカナキャストの可能性は十分にあるの。それでなくとも、複数の有能スキルを所持しているはず…。)
そんな中、書記をしていたニニアが手を挙げる。
「よろしいでしょうか?シミュラクラ公にご子息は二人居たことは存じておりますが、これまで地方役人の経験もなく、お父上の公務の場に顔を出した記録もありませんが、この度文官省の門を叩くことになった経緯についてお聞かせいただけますか?」
ノアは事前の調査でその点はすでに調べていたが、高官達との繋がりがあったニニアからしてみれば、アストレイはおそらく初対面だったのであろう。
非常に稀有な才覚に溢れる彼が急に現れたことに対して、疑問を覚えたことは否めない。
アストレイは表情を変えることなく、淡々と語り始める。
「シミュラクラ家は父の権威によって維持されてきた名家。直系男子による嫡子相続が当然である貴族社会において、それ以外の子は親から受け継ぐのは名のみ。自ら職を求めて仕官するか、男子のいない他家に婿入りを果たすかの二択となります。しかしながら、拙は表舞台に立たないことを条件に、父と兄を陰ながら支える立場として10年以上家にしがみついて参りました。」
(いや…これは優秀な彼を外に出したくないという意図を感じるの。どうせ長兄がろくな奴じゃないの。優秀な弟を外に出せば世間にその優秀さが伝わり、長兄にとっては比較対象とされ、強烈なコンプレックスになるの。それを恐れた父親は彼の才能を自分達の出世と名声に利用することにした…。おそらくそんなところなの…。)
ノアの考察を知ってか知らずか、アストレイは話を続ける。
「しかしながら、父が神官省の高官を罷免され、兄が世襲による役職を引き継げなくなりました。以来、シミュラクラ家は父と兄で財産を奪い合い、食い潰すこととなり、拙を囲い込む余裕がなくなってしまったのです。そのため、お恥ずかしながらこの歳で初めて仕官を求めて急募に応じた次第です。」
そう言って頭を下げるアストレイの背景に、二ニアは納得しながらも複雑な心境に胸を痛めていた。
それを汲み取ったフォルケルが遠慮がちに口を開く。
「…神官省の解体が貴公の何不自由ない生活を壊すことなったことに対して、率直な意見を聞かせてもらえるだろうか?」
その問いに対して、アストレイは顔を上げると微笑みながら首を横に振った。
「とんでもございません。道理の通らない在り方が是正され、在るべき形になったことを喜ぶべきと愚考致します。父も兄も既得権益に絆された末路。持たざるものであった拙にとっては寧ろ好機であると受け取っております。」
アストレイの言葉に、フォルケルと二ニアは共に胸を撫で下ろした。彼に対する罪の意識から解放されたという安堵感に表情が綻ぶ。
しかしながら、ノアはそのやり取りを極めて淡白に受け取っていた。
あまりにも聖人君子な立ち振る舞いと受け応え。その完璧さから生じる違和感と異質感。
まるでこの世の善を掻き集めたようなアストレイという存在そのものが、ノアの中に一抹の不安を残していた。
しかし、本人の口から語られた出生や背景について事前調査した内容と齟齬はなく、現状それを否定するものは何もない。
ノアは自身の限界を悟り、大きな咳払いをした。
「アストレイ=リューグ=シミュラクラ。合格なの。カテドラル居住区の21-8を貴方に進呈するの。三日後までに転居を済ませ、即日勤務を開始して欲しいの。」
ノアの言葉に、アストレイは起立すると。深々とお辞儀をする。
「承りましてございます。聖王国のお力になれますよう、非才な身ではございますが、尽力させていただきます。」
こうして文官省の登用試験は終了した。
ノアはこの日から、自らの知性を凌ぐ傑物の存在に、喜びと不安を抱えることとなる。
答えを出せる勇者が無事に帰還出来るその日まで、ノアは自身を奮い立たせることを決めたのだった。
全ての試験課程を終え、正式に合格者が発表されて間も無く、ルネリオスでは不穏な噂が広がった。
その噂は、神官省の解体により罷免され、文官省の試験にも落選した者達の間で広まると、一つの裏勢力としてまとまりつつあった。
その中心には、一人の老人の姿があった。
▮
「つ、疲れた~~。」
ようやく周知の目から逃れられ、顔や体が緊張から解き放たれたことから、アリーの口から一気に腑抜けた弱音が溢れ出す。
「長時間ご苦労様でした。」
そんなアリーに対し、ハイレンは敬礼しながら労をねぎらう。
二人は今、ルネリオスの駐屯基地を訪れていた。
ロネリーとルネリオスの中間地点に建設されたこの基地は三百年以上の歴史があり、魔女の森ができる以前は北部の侵略に備えるために作られた軍用拠点であった。
昨今ではハイレン達が魔女の森への進軍準備に使っていたことが記憶に新しいが、この場所はかねてより、警邏隊の募集場として使われてきた。
魔女討伐や偽聖女事件により度重なる死傷者が出たことから、騎士団省は大きくその数を減らしていた。現在、バーラルやその他の法王庁との内乱が危惧される中、新しい兵の補充は急務であることは否めない。
しかしながら、元来、騎士団の募集は不人気であり、人が集まらないのが定例であった。ハイレン達は神官省の圧力による薄給と人員削減に常に晒されながら、負傷や任意による脱退者の穴埋めに奔走する毎日だったのだ。
その経験からハイレンは今回、聖女の力を借りることで入隊希望者の増加を画策した。
結果から言えば、その作戦は成功という一面は持ち合わせているものの、完全に裏目に出た形となった。
二人が駐屯基地に辿り着き、最初に見た光景は、見渡す限りの人だった。
200名程度を見込んでいた採用枠に対して、集まった人数は2000から3000人という結果となる。
ハイレンは知らなかったのだ。昨今の活躍により、騎士団省の人気は飛躍的に高まっていたことに…。そして今や、そのエリートである聖騎士団は若い人々の憧れとなり、現在ルネリオスにおいて最も人気のある職業となっていたのである。
そこには当然、聖女アリアデルの存在も大きく影響している。
アリーが壇上に現れただけで熱狂的な歓声が上がり、言葉を発すれば泣き崩れながら誓いの檄があがる。そんな聖女のために戦いたいと願う人々が募集の告知を見て、男女問わず殺到していたのである。
その中にはバラッカスの鉱山夫達の姿もあった。鉱脈での仕事を失った鉱山夫達が、新たな職を求め、その肉体を活かした兵士の道を目指すのは至極真っ当な流れである。
このお祭り騒ぎのような状況に、アリーとハイレンは頭を抱えていた。
嬉しい悲鳴とはこのことで、民の心意気は大変に喜ばしいものであるが、基本的に兵とは非生産的な職務であり、戦いが無ければごく潰しである。
生産職に就くものが減り、兵となる者を無駄に増やし過ぎれば、ただでさえ厳しい財政状況が一気に傾く恐れがあった。
そんなこちらの思惑とは裏腹に、民衆の戦う熱意は凄まじい。そんな愛国心を無碍にすることもまた、悩みの種となっているのである。
アリーは溜息をつくと、窓の外の光景に目を向ける。そこには、屈強な男たちが筋肉の見せ合いや腕相撲大会が始まったりと、勝手に選抜試験の様な真似まで始めている始末である。
そんな混沌とした状況において、聖女という存在は最早火に油を注ぐようなものである。
どうにかしなければならないが、どうしたらいいのか想像もつかず、再び頭を抱えだした時、ノックの音が響く。
「伝令です!カテドラルのノア様より、聖女様と聖騎士団長様に言伝を承りました。」
「ノアさんが?!」
アリーの驚嘆の声はハイレンの心の声も代弁していた。
まるでこちらの状況を見透かしているかのようなタイミングに、改めてノアの恐ろしさを感じていた。
しかしながら、ハイレンは慎重に部屋の外の状況を知覚した上で、罠や強襲の危険がないことを確かめながら扉を開く。
扉の先には浅葱色の軍服を着た女性が、緊張した面持ちで敬礼をしていた。その顔は緊張で強張り、玉の様な汗を浮かべている。
ハイレンは彼女を見て訝しむ。
てっきりテンプルナイトかと思ったが、彼女の様相は騎士のソレではなかった。
パステルピンクの髪色に幼い顔立ち。背筋を伸ばしているが小柄な体型。おそらくはまだ十代であろう。少なくともハイレンは見覚えがなかった。
「所属を告げよ。」
ハイレンの鋭い視線と言動に、彼女はビクッと肩を震わせ、背筋をえび反りにして声を張る。
「あーし!…じゃない、私の名前はティーエ=シャマルパン!文官省所属であります!」
文官省と聞いてハイレンは納得した。
神官省を解体し、体制や業務内容まで完全に0から作り直したという新たな内政機関。そのメンバーについて、まだハイレンの記憶にないのは当然であった。
疑う余地はまだあるものの、ティーエから漂う不慣れさと邪気の無さから、ハイレンは扉を大きく開き、彼女を部屋に招き入れた。
ティーエはアリーの姿を確認すると、慌ててその場で跪礼する。
「あわわわわ!聖女様に至りましてはご機嫌麗しゅう…!!」
いつもの慌てふためく自分を客観的な目で見ているかのような気分になったアリーは噴笑すると、ティーエの前に跪いてニコリと微笑んだ。
「安心してゆっくり話して。敬語が苦手なら、使い慣れた言葉でいいから、ノアさんからの伝達を聞かせてください。」
その言葉を聞いて、ティーエは目を丸くしながら、恐る恐るハイレンに目を向ける。
ハイレンは肩を竦めながらも微笑みながら頷いた。
「そ、それじゃあ!気兼ねなく…失礼するっす!え~と…『すぐにカテドラルに帰ってくるの。後のことはうちの子が引き継ぐの。』…以上っす!」
ノアの声真似をしながら正確に伝達された文言に、アリーとハイレンは唖然としていた。
脳内の処理が追いつかない中、アリーは何とか声を振り絞った。
「え~と…つまりこの場は任せてもいいってことだよね?でもうちの子って…あなたのこと?」
それを聞いてティーエは首をぶんぶんと横に振った。
「と、とんでもない!あーしなんて補欠合格したような底辺でして…はい。対応はあーしらのリーダーがやってくれるっす!」
「あまり自分のことをそんなに卑下するものではないですよ。ティーエさん。」
突如現れた声の主に、全員の視線が部屋の扉に向けられる。
そこには赤髪に神父服、ルネリオスの紋章の入ったローブを着た男と、その後ろに四人の男女の姿があった。
彼らは一様にティーエと同じ軍服を見に纏う中、赤髪の中心人物だけが神父服なことにハイレンは違和感を感じていた。
「あ、アストレイ政務官!!もう来ちゃったんすか?!これじゃあ、あーしが伝令に来た意味がないっすよ~。」
アストレイはニコリと微笑んだ。
「ティーエさん。急ぐのは分かりますが、走っていくのはどうかと思いますよ?結局馬車を使った拙らとあまり到着時間が変わらなかったようですしね。」
ティーエは「あちゃ~」と言いながら頭を抱え、自己嫌悪に陥っていた。
そんなティーエを尻目に、アストレイは部屋の中に一歩踏み込み、跪礼する。
それに合わせて後方の四名と慌ててティーエも続いた。
「お初にお目にかかります。聖女アリアデル=エスタ=リエ=オルフェリア様。そして騎士団省 聖騎士団団長ハイレン=ローデンス殿。拙の名はアストレイ=リューグ=シミュラクラ。この度文官省の採用試験に合格し、ノア様より政務官の職位を任命されました。以後よろしくお願い申し上げます。」
急ごしらえの文官省のメンバーとは思えないあまりにも洗練された佇まいに、アリーとハイレンは度肝を抜かれていた。
その貫禄は数十年の経歴を持つベテランの域に達しており、その場は根拠のない安心感に包まれた。
「ノアさんはこの場をあなたに任せてカテドラルに帰るように告げているようですけど、お任せして大丈夫ですか?アストレイさん?」
「御意に。現在の状況は把握しております。卑小な身ではございますが、聖女様のご期待に応えられますよう、万事を尽くして参る所存です。」
その見事な立ち振る舞いにハイレンは感動で心を打たれ、アリーに向きなおる。
「ノア殿が信頼して送り出された方です。この場はお任せいたしましょう!我々も早くカテドラルへ!」
「我々が乗ってきた馬車をお使いください。馬も変えておりますので、すぐにでも出発出来る手筈となっております。」
アストレイの完璧な段取りに、暫し空いた口が塞がらないアリーとハイレンだったが、ノアが認めたとあればそれだけの傑物であると再度理解するに至った。
「それでは、アストレイさん。よろしくお願いしますね。ハイレン!行きましょう!」
そう言って二人はその場から足早に馬車が待機している裏門へと向かった。
その道中、アリーはふと立ち止まり、振り返って先ほどまでいた部屋を見上げる。
ハイレンの急かすような言葉を遠くに聞きながら、アリーはボソリと呟いた。
「あの人…どこかで会ったことがあるような…?」




