〜秋霜烈日に下る〜
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魔王城アーカムの謁見の間。
目を奪われるような荘厳かつ厳粛なこの場所は、この世の支配者との拝謁を望む場として作られた場所である。
ここに、二人の幹部が魔王より招集を受け、まだ現れぬ主を待ち、膝をついていた。
一人は紫陽の美姫 グラミア=ユーフラシュネ=アエーシェマ。
もう一人は紅き麗しの才女 朱羽 紅麗尉である。
まるでこの場に紫陽花と牡丹が並び立ち、咲き誇っているかのような存在感を放つ二人だったが、纏う雰囲気や表情は実に対照的なものだった。
グラミアは自信に溢れながらも、意中の相手との再会に思いを馳せる少女の様に目を輝かせながら、魔王の到着を今か今かと待ち望んでいた。
対して紅麗尉の表情は浮かないものであった。紅麗尉は暫くアーカムを離れ、アルカトラズでグラミアの魔人兵計画に従事していた。
そのため、密かに思いを寄せる魔王との久闊を叙することを喜びたい一方で、今回の招集が意味するところに一抹の不安を覚えずにはいられない。
それが杞憂であることを願いたいが、今回招集をかけられているのがこの二人であることからして、不安は徐々に膨らみ、嫌な汗が背中を伝うのであった。
定刻の時間を告げる鐘の音と共に、謁見の間の扉が開く音が響く。
グラミアと紅麗尉はカーペットを挟んでお互いが向き合うように跪礼する。
二人の間を魔王シェブニグラスが闊歩する。
そして、その後ろをゾゾが続く。
一目では誰なのか分からぬ目を疑うようなゾゾの変わり様に、二人は驚きを禁じ得なかった。
魔王はそのまま3段の階段を上り、玉座に深く腰を下ろした。
ゾゾは階段の下で止まり、二人に向き直る。
それと同時に、グラミアと紅麗尉は跪礼の姿勢は崩さぬまま、魔王へと向き直る。
「面を上げよ。」
『はっ!』
グラミアと紅麗尉の声が重なり、二人の顔が魔王に向けられる。
紅麗尉の目に入ったのは肘をつき、拳に頭を預けて冷たい視線を送る魔王の姿だった。
そして、傍らに控える無機質な瞳で命令を待つゾゾの姿…。
紅麗尉は思わず目を背けた。
自らの不安が確信に変わったことを知り、体の震えが止まらなかった。
だが、グラミアは魔王に対して目を輝かせながら恍惚とした表情を浮かべているのであった。
「グラミア、紅麗尉よ。日々魔人兵計画に熱心に精を出してくれている中、本日急遽呼び立ててしまったことをまず詫びよう。」
「とんでもございませんわ!主様のお役に立てることこそ我が悦び!我が使命!それに主様のお呼び出しともなれば、四六時中どこにいましても暫時駆けつけさせていただきますわ!!」
グラミアは嬉々とした表情を浮かべて哀願するかのような目で思いの丈を言葉に載せる。
それを横目で見ながら、紅麗尉は一言も喋ることが出来ず、俯いてしまった。
グラミアの美辞麗句は全て本心だ。だが、紅麗尉が今抱えている感情では何を言葉にしても魔王の《ディバンク》に抵触するのではないかという恐怖があった。
嘘を最も嫌う魔王に対して、紅麗尉が今出来ることは沈黙。そして問われたことに対して素直に答えることだけであった。
魔王はグラミアの阿る言葉に対して嘆息を突き、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「貴公らがアルカトラズでの研究に没入していた最中、ベルフェルト達のグループが偶然にも勇者の情報を入手することが出来た。」
「えっ?勇者の?!」
紅麗尉は思わず素で反応してしまい、慌てて口を紡ぐ。その様子に魔王は怪訝な視線を向けるがそのまま言葉を紡ぐ。
「その勇者一行が法王庁ルネリオスで発生した事件を鎮圧したとのことだが、グラミアよ…。貴公はこの件についてどれだけの情報を得ているのだ?」
「は?え…いや…それは…。」
グラミアにとって、今回の招集は魔人兵計画が軌道に乗ったことによる報告会だと思っていた。
だが、魔王の口から告げられた情報は法国のことでありながらグラミアの耳に届いていないものだった。
そのことに気付き、グラミアは慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!こ…ここ暫くオルフェリア国内での情報の更新を怠っておりましたこと、陳謝いたしますわ…!」
魔王から放たれる雰囲気が重苦しいものに変わる。それを感じ取り、紅麗尉は息を呑んだ。
「そうか…貴様はこの件は知らなかった…。そういうことならば聞かせてやる。この事件のあらましについて。」
「ははっ!拝聴させていただきます!」
頭を下げ続けるグラミアに対し、魔王は無感情に言い放った。
「今回ルネリオスで発生した事件だが…。首謀者は聖女リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリアである。」
その名を聞き、グラミアの動きが止まった。
顔を伏せているため周りからは見えないが、目を戦慄かせ、怒りと焦りと後悔が渦巻き、耽美な顔を醜く歪めていた。
「リヴァイアだが、聖女とは名ばかりの偽物であったそうだな?彼女もそれを知った上で聖女を騙り、行啓と称して各地を行脚していた。そして、自らの立場を守るために、本物の聖女と疑わしき女達に虐殺の限りを尽くしていたという。」
その報告を紅麗尉は沈痛な思いで受け止めていたが、グラミアの肩がわなわなと震える。
今グラミアの頭の中では、魔王が何を言わんとしているのか、何を咎められるのかということで頭がいっぱいだった。
「そして、事件はリヴァイアがルネリオスでの行啓中に起こった。なんと、探し求めていた本物の聖女がルネリオスの貧民街で見つかったということだ。」
「な、なんですって!?」
グラミアは思わず顔上げて声を発っする一方で、内心毒づいた。
(あいつ…そんなこと全く言っていなかった…。いや…そもそも本物の聖女が生きていた?そんな疑惑があったことも知らなかった。)
突如、グラミアは茫然自失となる。
(私は、オルフェリアを支配しているようで、何も把握できていなかった?)
「グラミアさん!グラミアさん!」
紅麗尉が呆けたままのグラミアの肩を擦り、グラミアはようやく意識を取り戻す。
魔王はそんなグラミアに一瞥しながら、話を続ける。
「何の因果か、本物の聖女を攫おうとするリヴァイアに立ち塞がるように勇者一行が現れた。こうして、真の聖女を擁する勇者一行と偽の聖女を擁するルネリオスでの対立構造が出来上がったわけだ。ルネリオス側の主権はリヴァイアが有していたが、自分の手駒よりも強力なレギオンを勇者一行が有しているということを知ったリヴァイアがどのような凶行に走ったか…。聞きたいか?二人とも?」
その言葉に、グラミアは奥歯を噛みしめながら視線を落とす。紅麗尉はグラミアの様子を横目で見ながら、頷いた。
「お…お聞かせください…陛下…。」
消え入りそうな紅麗尉の返事を受けて、魔王は徐に口を開いた。
「感染症を意図的にばら撒き、ルネリオスを丸ごとパンデミックに追い込んだとのことだ。しかも、症状を聞くに黒死病と酷似しているというではないか?」
それを聞き、紅麗尉の顔が青ざめる。
そして、グラミアに視線を向けるが、グラミアはその視線を受け取ろうとしない。玉の様な汗を浮かべながら、顔を伏せたままである。
「この感染症、実際は菌ではなく魔生物が原因だそうだな?リヴァイアが受け取ったという魔生物。キェルケゴールだったか?そいつを渡したのはグラミア。貴様で間違いないな?」
有無も言わさぬ魔王の圧力に、グラミアは何の言い訳の言葉も出てくるはずもなく、素直に頷く他なかった。
「…はい。その通りでございます。」
その返事を受けた魔王は視線を紅麗尉に向ける。
「グラミアが《魔力錬成》で魔生物を作り出せるとしても、異世界の感染症の知識なくしてキェルケゴールを生み出すことは不可能。そんなことができるのは紅麗尉…貴様の入れ知恵か?答えよ。」
紅麗尉は静かに両膝を折り、両手を前につき、額を床に擦り付けた。
「まことに…申し訳ございません。私が…グラミアさんに感染症についての知識を教授致しました。」
魔王は大きな溜息をつく。
それは明らかに失望が込められていたことを紅麗尉は全身で感じていた。
「紅麗尉…貴様は以前、私が核に近い力を使った際、その知識をフェルに与えないように進言したな。あの時は私自身軽率だったと反省したものだ。だが、知識の危険性について誰よりも理解していたはずの貴様が…感染症という地獄の因子をこの世界にもたらした。この一事に対して貴様はどのような落とし前を付けるつもりなのだ?」
紅麗尉は震える声で謝罪を告げる。
「申し訳ございません…。感染症の…知識が…この世界の医療の発展に繋がると…。本当に…申し訳ございません!」
魔王の言ったことは全て、紅麗尉がこの場に呼ばれた時点で不穏に感じていたことだった。
グラミアは自作でウイルス型の魔生物を研究していた。そして、紅麗尉は前世の知識でその研究を後押しすることになってしまった。そのことが、紅麗尉にとってずっと気がかりだった。
紅麗尉は危険な感染症の症例を事前に知ることで、ワクチンや抗生物質の製造を進め、この世界を病から守りたい一心だった。
だが、その知識はバイオ兵器として使われることとなってしまった。
魔王の性格からして、そんなものを使った侵略や統治が本意でないことなど、紅麗尉は百も承知だったのだ。自分の考えの甘さに紅麗尉は下唇を噛む。
声を押し殺しながら涙を浮かべる紅麗尉を一瞥しながら、魔王は背もたれに体を預ける。
「…まあ、良かろう。幸か不幸か、相手も転生者…。パンデミックは未然に防がれ、事なきを得たようだ。現在行っている研究内容を全て調査し、危険性が高い知識や技術が使われている物に対しては即刻廃棄処分することを最優先業務とすることを命ずる。それをもって罰としよう。」
「はい…直ちに…。寛大なご慈悲に感謝の言葉もございません…。」
すっかり意気消沈した紅麗尉に、魔王はそれ以上の言葉を掛けなかった。
それよりもなによりも、沈黙したままのグラミアに対して魔王の怒りは頂点に達した。
「何を…笑っているんだ…?貴様は…?」
「は?」
呆けたような声を上げたグラミアの右手に激痛が走る。
視線を向けると、硬質化した水が針の様に変形し、右手を貫通していた。
それを見て、グラミアは目を戦慄かせ、ゾゾに向けて敵意ある視線を向けた。
その瞬間、グラミアの右目から後頭部に針が貫通し、夥しい量の液体魔素が噴き上げる。
「ギィイイイイイアアアアアアアアア!!!」
ゾゾは右手を軽く翳すと、グラミアに向けて強く拳を握りこんだ。
その動きに呼応し、腕、脚、胸と…無数の針がグラミアの体を内側から突き破り、謁見の間には絶叫が響き渡る。
あまりの惨状に、紅麗尉は恐怖に顔を歪めながら視線を逸らした。
グラミアの体から流れる赤い液体魔素が揮発して蒸気を上げる。四つん這いのままその場で蹲り、息も絶え絶えで必死に体の修復を試みる。
だが、体を貫く水の針に体を修復する魔素を喰われ、再生は叶わない。
絶望的な状況に混乱するグラミアだったが、自身の影に覆い被さる巨大な影の存在を感じ取った。
恐る恐る振り返り、残された左目でそれを認知した時、グラミアの悲鳴が木霊した。
そこには、獰猛な顎を持った怪物の姿があった。体長3mの青と黒が入り混じった巨躯。6本の腕を持ち、二足歩行する鯱の様なその怪物はグラミアの頭を鷲掴みにすると、いとも容易く持ち上げる。
「ひ…ひいいいいいい!!お、お助けください!!主様…。シェブニグラス様―――――!!!」
怪物はグラミアに喰らいつかんと荒い息を上げながら長く赤い舌をのぞかせる。
グラミアは恐怖と絶望で顔を歪めながら泣き喚き、命乞いを繰り返す。
魔王は玉座から腰を上げると、グラミアの側に近づいた。
「罪悪感で苦しむ紅麗尉に対して…何の釈明も助け船も出さずに、あまつさえもそれを見てほくそ笑むとは…。どれだけ忠誠を誓おうが、真名契約を結ぼうが…。貴様の捻じ曲がった性根と狂った倫理観は私を限りなく不快にさせる。」
グラミアの頭を掴む怪物の手に、万力の様にゆっくりと力が込められる。
「あが…があがああ!!お、御赦しを…御赦しを!!!」
魔王は手を軽く上げ、ゾゾに合図を送る。それに合わせて、怪物の力が緩められた。
頭を握りつぶされかねない激痛から解放されたグラミアだったが、涙と恐怖で顔は歪み、荒い息を繰り返していた。
魔王は大きな失望を込めて口を開く。
「紅麗尉が今回犯したのは、良薬にも猛毒にもなる危険な情報を貴様に伝えてしまったことだが、最終的に猛毒にすることを選んだのは貴様の意思だ。いや、初めからそのために紅麗尉を利用したか?自分の手柄のために仲間を利用し、蹴落とすことさえ厭わない…。」
魔王の脳裏に前世の記憶が蘇る。
薄い笑みを浮かべながら、私に向けて銃口を向けるパラリーガルの姿が鮮明に浮かび上がった。
「貴様は…信じるに値しない。」
魔王はゾゾに視線を送る。
それを受け、ゾゾは小さく頷く。
「タベテイイヨ ハスター」
ゾゾの言葉を受け、ハスターと呼ばれた怪物は大きくその顎を開いた。
「お、お助けください!どうか!どうか!!二度とこのようなことは致しません!!御赦しください!!シェブニグラス様!!シェブニグラス様――――――!!!!」
グラミアは暴れまわり、狂ったような声で赦し乞う。
その狂態を冷淡に見つめる魔王は静かに言葉を紡ぐ。
「自分の愚かさに懺悔し、そして…。」
放たれる一言…。
「死ね。」
「お待ちください!!陛下!!」
紅麗尉の悲鳴のような進言に、全てが動きを止め、視線が紅麗尉に注がれる。
紅麗尉は改めて頭を深々と下げる。その姿にグラミアは動揺を隠せなかった。
「どうか、どうか今一度…グラミアさんに寛大なご慈悲を…どうか…。」
「却下だ。」
魔王は即否定する。
「紅麗尉よ。嶽閻の時もそうだったが、貴公は優しすぎる。その優しさは好感の持てるものだが、今、この場においてはただの甘さだ。」
紅麗尉は構わず頭を下げ続ける。
グラミアは目を戦慄かせながら紅麗尉を凝視していた。
グラミアには分からなかった。
魔王は全てを看破していた。グラミアにとって紅麗尉はライバルであり、利用し、出し抜き、蹴落とす対象であったことは否定できない。
だが、そんな相手が自分を助けるために頭を下げ、主の意に逆らうという凶行に及んでいる。それがグラミアには理解できなかった。
そんなグラミアを尻目に、紅麗尉は言葉を紡ぐ。
「存じ上げております…。私は…誰かを傷つけることすらも恐ろしくて出来ない臆病者…。しかし、この度お止めした理由は前回とは違います…。」
魔王は顔を顰める。
紅麗尉は、ゆっくりと顔を上げた。
「此度の沙汰に陛下が最も心を痛められている。それが私にはわかったからです!」
魔王は紅麗尉に心を見透かされたような気分になり、不意に視線を逸らした。
「知った風な口を利く…。」
「分かりますよ…。陛下が本当はお優しいことぐらい…みんな…。」
ゾゾが小さく頷いて見せる。
それを見て、魔王は顔を伏せた。
「陛下はそんな本心に逆らって非情な判断が出来る。それは確かに王の気質。だけど…それは陛下の心を犠牲にすることと同義。そして、いつか壊れる時が来る…私はそれが一番恐ろしいのです。」
紅麗尉は改めて、床に額をつけ懇願する。
「どうか…どうか…ご慈悲を…。」
「紅麗尉…さん…。」
グラミアの中で一つの答えが生まれ、腑に落ちた。
紅麗尉にとってもっとも大事なのは主人である魔王。紅麗尉は魔王を最優先にして、進言しているのである。
それは単純な甘さではなく、信か、忠か、敬か…いや…。
(これが…愛するということなのかしら…。)
魔王はゾゾに合図を送ると、踵を返して玉座に向かう。
その瞬間、グラミアの体中に突き刺さった針は抜け、ハスターもその姿を液体に戻し、ゾゾの元に戻っていった。
解放され、苦悶の表情を浮かべながら跪くグラミアに紅麗尉が駆け寄った。
「グラミアさん!」
魔王は玉座に腰を掛けると、グラミアに寄り添う紅麗尉の姿を眼下に収めながら、厳しい口調で告げた。
「グラミア、貴公の行いは私の計画を大きく狂わせた。今回の件により、法国に対する人心は大きく離れることになる。そして、勇者一行が擁護する真なる聖女を旗印に、クーデターが起こることは最早避けられない。ここまでは理解出来るな?」
「はい…誠に申し訳ございませんでした。」
疲弊しきったグラミアは今にも昏倒寸前だったが、必死に意識を保ち、魔王に向けて顔を上げた。
魔王はその意図を汲み取り、そのまま続ける。
「このまま力づくでクーデターを鎮圧したところで、そこに残る国の有り様は以前のようにはなり得ない。恐怖と反抗心が民の心を三代に渡って支配するだろう。民に手を出すというのはそういうことだ。」
魔王の言葉に、グラミアは頷いた。
それは、グラミアもこれまでの統治の中で薄々感じていたことだった。民は自らの生活を守ってくれるからこそ忠誠を誓い、国を支える礎になっている。その前提が崩れ、略奪や虐殺を行う支配者を許すはずがないのだ。
グラミアの理解を確認しつつ、魔王は決定的な言葉を言い放った。
「グラミアよ。貴公はオルフェリアを捨てることが出来るか?」
——
▮
悪夢のような断罪の時間が終わりを告げ、グラミアはアーカムのバルコニーの柵に体を預け、虚ろな目で天を覆う仄かな光を眺めていた。
そんなグラミアの隣には紅麗尉の姿があった。
「大丈夫?グラミアさん…。」
紅麗尉が心配そうにグラミアの顔を覗き込む。
魔素で体を再生することが出来る魔族とはいえ、かなりのダメージにMPを大きく消耗し、肌には針に貫かれた痕が生々しく残っていた。
美しさこそが自己肯定要素であったグラミアにとって、特に顔に残った傷痕はショックが大きいだろう。
グラミアはそんな顔を見せたくないのか、両腕の中に顔を伏せる。
暫く、二人の間には無言の時間が続いた。だが、紅麗尉はそんな空虚な時間でも、今はグラミアの側にいてあげたいと思った。
「本当に…ごめんなさい。」
沈黙を破ったのは、思いがけないグラミアの謝罪だった。紅麗尉はグラミアの顔を覗き見た。その目には涙が溢れ、嗚咽が漏れる。
「紅麗尉さん…教えてくださる?私はどうして…主様を怒らせてしまうのかしら…。主様に喜んでもらいたい…認めてもらいたい…愛してもらいたいのに…。主様が何を欲しておられるのか…わからない…。わからないんですの…。」
紅麗尉はそんなグラミアを見て、胸が痛んだ。
「それは…陛下の在り方を、あなたにとって都合のいい存在にしているからだと思うわ。」
グラミアは怪訝な顔を紅麗尉に向ける。
「ごめんなさい…。冷たい言い方だったかもしれない。でも、はっきりと言うわ。陛下に愛して欲しいといくら願っていても、あなたは陛下のことをまるで知ろうとも愛そうともしていない。」
グラミアは目を戦慄かせ、否定するべく声を発しようとする。
でも、それが出来ない。
なぜなら、グラミアは自分のこと魔王に認めさせたいという一心でしか尽くしていなかったのだから。
目を伏せるグラミアに対し、紅麗尉はそっと肩を抱き寄せ、頭と頭をぶつけるほど近づける。
突然の行為に、グラミアは内心動揺し、混乱していた。そんな様子をみて、紅麗尉はクスリと笑った。
「今回、陛下が最後に告げた命令…。あれはどういう意図があるか、わかる?」
グラミアはあの言葉の意味を冷静に考えた。
『オルフェリアを捨てることが出来るか?』
その言葉の意味…。それは…。
「私を…守るため…ですわね…。」
グラミアは嗚咽交じりにそう答えた。紅麗尉は深く頷く。
このままオルフェリアに固執すれば、グラミアは勇者たちと確実に剣を交えることになる。かと言って、魔王軍がグラミアに加勢し、勇者と戦うことは、エルデガルドの民を完全に敵に回すことになる。
それだけに、今回の事件の顛末において、法国側に大義がないのだ。そうなれば魔王が掲げる人魔共栄の道は確実に途絶えることになる。
だからこそ、魔王はグラミアにオルフェリアから引かせることで、魔王軍の痕跡を消し去るつもりなのである。
その決断は、オルフェリアを支配していたというアドバンテージ捨てる判断も同然の苦渋の決断である。
「でも、それじゃあ…私は…私の価値は?主様から認めて頂いた…唯一の…ものが…オルフェリアだったのに…。私にはそれしかないのに!!」
魔王がグラミアを評価した実績そのものが崩壊していく。グラミアにとって、それが最も耐え難いことだった。
震える肩を強く抱きしめ、紅麗尉は咽び泣くグラミアを見て思った。
おそらく、魔族の常識としてはグラミアは間違っていない。
邪魔になる敵対勢力は徹底的に潰す。
そのために犠牲は厭わない。
力を手に入れるためなら他者を踏み台にしても構わない。
だが、魔王は転生者であり、人間である。
恐怖を利用し、悪を演じることはあっても、全ては人心を掴むことが前提にあるのだ。殺戮や虐殺を望んでいるわけではない。
そのことを幹部の皆は弁えている。同じ魔族であるベルフェルトも、おそらくは先代魔王との関りの中で考え方を改めていったのだろう。
グラミアも、きっと時間をかければ気づいてくれる、分かってくれる。紅麗尉はそう信じることにした。
「心配しないでください。陛下は価値がないと切り捨てるような人じゃないですよ。それは私が保証します。」
紅麗尉がそういうと、グラミアは不服そうに口を尖らせる。
「ズルいですわ…。主様のことをそこまで理解しているあなたが…本当に…羨ましい…。」
そうして肩を寄せ合う二人の姿を暗闇から窺っていた一つの影があった。
その影は物音ひとつ立てることなく、その場から立ち去って行ったのだった。
▮ベルフェルト
メラキア山脈を越えた先の岩石地帯。
そこに私とフェルさんが降り立ったのは例の事件から3日後のことである。
人の寄り付かぬ岩石地帯をベースキャンプとするために、フェルさんは作業の余念なく進めていた。
数刻の掘削と設営工事を行い、遂に出来上がった拠点の姿は、山肌をくり貫くことで作った洞窟だった。
「ドワーフの性というかなんというか…。折角のエルデガルドだというのに穴倉生活が抜けないようですね。」
それを聞いて、フェルさんは顔を真っ赤にした。
「や、喧しいわい!隠密性と攻守の機能性を考えれば、洞窟が最適解じゃろうが!」
まあ、それはそうですが…。
固有結界を張ればいいものの、わざわざ秘密基地を作る様な真似をしたがるところは子供っぽいと言うか何と言うか…。
「それでは参りましょう。地図によればここから東へ1000km程度で帝国の首都ベルンに到着するようですね。」
「1000!!おいおい!そんな距離歩いていくんじゃなかろうな?ワシゃ嫌じゃぞ!!」
まあ、歩いていくのが前提としたら恐ろしい距離。尻込みするのは分かりますが…。
「安心してください。昔、魔王陛下から魔法の可能性を示されましてね…未踏の長距離移動には心得がございます。」
「ほ、ほう?旦那からかい?それならまあ、ワシでも安心じゃな。」
フェルさんがホッと胸を撫で下ろした姿を一瞥すると、私は無限に続く様な荒野に視線を向けた。
「これだけ平坦で障害物がない地形は好都合ですが、法国と比べると自然が豊かとは言えませんね…。」
私の呟きに対してフェルさんも頷く。
「メラキア山脈が西からの雨雲を遮っておるんじゃろうて。4000m級の山々から吹き下ろされる風だけが大地を抉っていったんじゃろうな…。そうなると、水源の問題から考えれば東に流れる河川流域が都市になるのも自然な流れじゃの。」
なるほど…。エルデガルドにはどうやら精霊がいない様子…。となれば、自然の恵み、とりわけ水源が文明の中心になることは摂理というわけか…。
「それでは、そろそろ参るとしましょうか?」
私が魔法の準備をしようとすると、フェルさんがそれを止めた。
「待たんか!お主、そんな格好ではお貴族様の物見遊山と言っても疑われるぞい!」
私はいつもの黒と赤の貴族服を改めて認識すると、フェルさんの言い分が理解出来た。
「これは失礼しました。ふふ…フェルさんのそうした指摘は非常に有難いです。頼りになります。」
「全く、煽て上手じゃのう…。そんなこと言ってもなんもでんぞ!」
そう言いながらフェルさんは照れながら頭を掻く。
こうした常識について魔族というのは非常に疎い。このギャップを埋めるという意味では、フェルさんの存在は私にとって心強いのは紛れもない本心である
その後、フェルさんは革鎧に外套を纏い、耳を隠す為にフードを被る。
私も習い、着慣れた貴族服から旅人風の出立ちに服装を錬成し直す。
「全く、《魔力錬成》はつくづく便利じゃのう。」
「良ければ作りますが?」
「ははっ。それは技術者のプライドからして受け取れんのう。」
そんな雑談をしながら、冒険者風の二人に扮した我々は、かつて魔王陛下が見せてくれたコンボで空間転移を使って長距離を次々と走破していく。
非常に見晴らしがいいことから、移動は大変スムーズに進み、荒野だった景色が一変し、緑あふれる平原が広がり始めた。
そして何度目かの空間転移を使った時、ようやく目的の場所が目の前に飛び込んできた。
巨大な城壁に囲まれたまさしく城塞都市ベルン。
城壁の周りは川の水を利用した巨大な堀が作られ、その幅は100m近くはありそうに見えた。
そのため、まるで水の上に浮かぶ城塞都市のようにも見えるのである。その水の上には船も行き交い、物流にも寄与している様である。
だが、美しい水の堀が広がる一方で、城塞都市は非常に物々しく、あちこちには兵が多く配備され、バリスタや大砲が配置されており、橋は巨大な可動橋…。城の防衛に対して幾重にも張り巡らされており、まさに難攻不落の様相を呈していた。
そんなベルンは王城は勿論のこと、城下町ですら簡単には潜入出来ない。徹底した管理体制の下、出入者は検問で取り調べを受ける。
商人であればギルドによる登録証が必要になり、紹介状や戸籍証など、兎にも角にも身分証が必要となり、旅人などは厳重な取り調べを受け、仮の通行証を購入することとなるのだ。
私達は橋の袂でその検問の風景を眺めながら思案した。
「さて、どうしましょうか?強行突破は美しくないですし、取り調べは避けたいところ…。身分証があれば問題ないのですが…。」
考え込む私の目の前に、フェルさんが何やらぶら下げて見せた。
「これな〜んじゃ?」
ネックレス型の鉄製プレートには名前と階級、ナンバーが彫られていた。
「フェルさん…まさかそれは…?」
フェルさんは邪悪な笑みを浮かべた。
「あ、あれ⁈俺のギルド証がない!」
見ると、検問所で男が騒いでいる。門兵が何人か出る騒ぎとなっていた。
それを横目に口笛を吹きながらフェルさんはネックレスプレートを指で回していた。
「まあ、チョイと借りただけじゃよ。ワシらが検問を通る時に落とし物として届けてやったらええ。それよりも、現物があれば偽造は容易かろう?」
その時浮かべた笑みに、私は思わず釣られてしまった。
「造作もないことですね。お任せください。」
《魔力錬成》で名前とナンバーだけをすり替えた通行プレートを2つ偽造する。ー勿論名前も偽名だが…ー
この程度のものであれば、固定化も容易い。
検問所では名前やナンバーを記帳しているが、照合している様子は見受けられない。
つまり、検問所は通行プレートの真偽は後回しということだ。だが、照合した頃には後の祭りだ。通行プレートを使うのは今回限り。次回からは転移門で城壁内に潜り込むので全く問題ない。
私達は面の皮厚く、検問官に偽のプレートを見せて堂々と城壁内に潜入を果たした。その際、本物のプレートを届けると、尋問を受けていた男から涙ながらに感謝された。
城下町は非常に複雑な作りになっている。城門から一直線にベルン城に続いているのではなく、一見したらどうすれば城に辿り着くのかわからない複雑さである。
城が見上げる程に高地にあることから、かなりの上りと階段が設けられた都市設計であり、幾何学模様で統制された大通りや区画整理がなされていない。これもまた、敵の潜入や侵攻を危惧しての守りであることが窺えた。
そんな街の構造把握に難航していると、住人たちが慌ただしくなり、街路の脇に押し合いながら集結していた。
その数はざっと見ても10,000人以上…。
「何じゃあ?なんか催し物でも始まるのかの?」
休憩がてら、エールを片手に酒場のテラスからその光景を目の当たりにしたフェルさんの問いに答える様に、テラスに集まってきた酔っぱらいの野次馬の一人が絡んできた。
「なんでい、兄ちゃん達、知らねぇのかい?今日は【剣神】様が凱旋させるんだぜ。」
「剣神?」
思わず聞き直したフェルさんに対して、男はオーバーに驚いてみせる。
「おいおい!アンタらマジかよ⁈剣神って言ったら【ゲシュタルト】様に決まってるだろうが!」
剣神 ゲシュタルト…。その情報は聞いていなかったが…ここまで人心を集めているであれば、その名に相応しいかどうか調べるのも調査の内か?
「なんじゃ面白そうじゃのう?せっかくじゃから拝ませてもらおうかの?」
フェルさんは早速野次馬に混じってテラスから凱旋の様子を眺めに行かれたようだ。
しかしながら、正直大した期待は出来ない。その理由としてはあまりにも人間種が弱すぎることにある。
どいつもこいつもレベル10にも満たない弱者の集まり。こんな者達が崇めたてる存在が私達の脅威になり得るわけがない。
突如、大歓声が巻き起こる。どうやら現れた様だ。
私はそのままワインに舌鼓を打ち、騒ぎ立てる群衆に肩を竦めていた。
「お!来た来た!どれど…。」
フェルさんの言葉が途切れた。何事かと思い、視線を向ける。瞬間、私はフェルさんの様子から異変を察知した。顎を伝い落ちる大量の汗、見開かれた瞳孔。思考停止に追い込まれ、呆然と立ち尽くすフェルさん。
私は思わず彼に駆け寄った。
「どうしたんですか⁈何が…⁈」
私はそう言って、フェルさんの視線の先を追った。そうして、私もまた茫然自失に追い込まれることになった。
フェルさんの震える様な声が聞こえる。
「な、なあ…?ワシの《大鑑定》がおかしくなったのかのう?…お主の《大鑑定》にはなんと写ってあるんじゃ?」
私の口から出た言葉は、その問いに対するものではなかった。
「バカな…有り得ない…。そんな…そんなことが…⁈」
大歓声の中、手を振って答えるフルプレートを纏った騎士…その鑑定結果は…。
LV90…紛うことなきゴッドレギオンだったのである。




