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〜降魔成道への一路〜

 夜の静寂に包まれるはずの樹海の中に、激しい剣戟が鳴り響く。


 最早そのスピードは人知を超え、常人の視覚では追いきれないものだった。弾かれた斬撃の衝撃が周囲の木々を切り拓いていく。


 斬撃が男の顔を掠め、包帯がほどけて隠されていた顔が露わになった。


 口から下の皮膚がなく、剥き出しの咢。

 男はシェゾ=レイルであった。


 シェゾは膝をつき、息を荒げ、玉のような汗を浮かべ、憎々し気に相手を見上げた。


 その相手、ゾゾは涼し気な目で男を見下ろす。


「オモシロカッタ モウレベルアガラナイ ダカラ モウ 殺シテイイ?」


「お前は…一体…?!」


 シェゾの足元に水が集まる。それがゾゾの一部であることは男も何となく察した。


「あ、あ…ダ…ダメ…!」


 女が這いずりながら近づいてくる。


 顔中を激しく負傷し、血で塗れてはいるものの、彼女がリヴァイアであることは言うまでもない。


 だが、ゾゾはリヴァイアの方に興味がない。

 ただ一心に、この男を食べた時どんな味がするのだろうかと、嬉々として想像を膨らませていた。


 シェゾの危機に対して正気を取り戻したリヴァイアの姿を見て、シェゾの闘志に今一度火が付いた。


 多重でバフスキルを発動し、右手のナイフを最高速度でゾゾに投げつける。


 それはまるで光の一閃に等しく、ゾゾの顔に突き刺さった。


 一矢報いたかと安堵しかけたシェゾだったが、その目は一瞬で絶望に変わる。


 まさしく水に刃を立てたかのように、ゾゾの顔からは何事もなく刃が抜け落ち、地面に転がった。


「お前…まさか…《斬撃無効》を?」


 初めて口を開いたシェゾに合わせて、ゾゾも語る。


「ン? 違ウ 《物理攻撃無効》」


 シェゾは愕然とする。斬撃、刺突、殴打、衝撃という物理攻撃に対しての完全耐性。


 シェゾの頭の中で一つの疑問が浮かぶ。


「ならなぜ…わざわざ攻撃を躱して…。」


 ゾゾは地面に落ちたナイフを拾い、手元でナイフを見様見真似でクルクルと回転させながら答える。


「避ケナイト 痛イ攻撃 避ケル時ノ 練習ニナラナイ」


 あっけらかんと放たれたその一言に、シェゾの戦意は完全に失墜した。相手は、全く本気ではなかった。相性と言えばそれまでだが、あまりにも絶望的な格差がそこにはあった。


 ナイフを回すのに飽きたゾゾは、体内の強酸でナイフを一瞬で溶かした。金属が溶けた時の馴染みのない得も知れぬ臭いが辺りに漂う。


「あ…あう…ああ…ああああああ!」


 リヴァイアがシェゾの側に駆け寄り、ゾゾの前に立ち塞がる。


 だが、ゾゾは顔色一つ変えない。

 二人の足元にゾゾの無垢なる悪食グラトニーワークスが大口を開けてその姿を現した。


「ンジャ イタダキマース」


「ちょっと待たんか!!」


 ゾゾの体がビクッとして止まり、無垢なる悪食グラトニーワークスもまた、その動きを止めた。


 ゾゾが振り返ると、そこには息を荒げたフェルの姿があった。


「正体を探るだけというたじゃろうが!何を盛り上がっとるじゃ!お主は…って!なんじゃ?!ちょっと見んかった間に急に可愛くなったの!お主!!」


 突然の闖入者にシェゾとリヴァイアは茫然とする。


 捲し立てるように話すフェルに対し、ゾゾは何から答えていいのか分からず、頭をガリガリと掻き毟る。びちゃびちゃと音を立て、頭がゼリーをかき回した後の様にぐちゃぐちゃになった。


「ン ンー ダッテ 攻撃サレタ。 攻撃シテキタラ 敵。 ナラ 食ベテイイ」


「腹が減って気が立っとっただけじゃろうが。ともかく!落ち着け!お主らもじゃ!」


 フェルはそう言ってシェゾとリヴァイアに向き直る。


「なんか込み入った事情があるんじゃろうが、ワシらはお主らのことなどなーんも知らん。散々やりあっておいて調子のいいことを言うようじゃが、矛を収めてくれんかのう?」


 見た目に相応しくない喋り方をする少年に戸惑う二人だったが、この絶対の窮地を脱する救いの手を跳ねのけるはずもなく、迷わず頷いた。


 ゾゾも渋々ながら無垢なる悪食グラトニーワークスを引き上げる。それを見て、フェルはほっと胸を撫で下ろした。


「よーし!それではベル殿が戻って来る前に撤収するぞ!こんな勝手なことしたのがバレたらマズいことに…。」


「おや?何がバレたら不味いのでしょうか?少しお聞かせいただけますか?」


 フェルの体が背筋を伸ばして飛び跳ねた。

 そして、恐る恐る振り返る。


 そこには体長4mはある巨大な黒いオオカミの様な獣と、同等サイズの鳥の頭を持つ四足獣を肩に下げ、平然とした顔で引き摺るベルフェルトの姿があった。


 それを見た途端、ゾゾは目を輝かせてベルフェルト近づいてきた。


「ベルル オカエリ ソレ オ土産? オイシソウ …」


 ゾゾの口元から涎が垂れ、地面の草花が茶色に変色した。


 ゾゾに対し、ベルフェルトは笑顔を返す。


「ただいま戻りました。勿論、こちらはお約束していたお土産なのですが…。」


 ベルフェルトの顔から瞬時に笑みが消えた。


「この状況の説明が先です。まずは話を聞かせて頂きましょうか?」


 ゾゾは竦み上がり、体は人型から崩壊してスライムの姿で縮こまっていた。


 それを見て、フェルは額に手を当て、観念したように天を仰ぐ。



―—―


 ゾゾとフェルから簡単な説明を受け、ベルフェルトは小さく頷いた。


「なるほど…事情は分かりました。まあ、早計とはいえ、確認は必要でしょう。それは私でもそう判断したと思います。」


「ン ゾゾ 間違ッテ ナカッタ」


 ゾゾが開き直っていると、ベルフェルトの目が妖しく光った。


「しかしながら、その相手が屈服させるまでならいざ知らず、捕食してしまっては何の調査か分からないでしょう?そこには個人的な理由…ひいては任務よりも自分の食欲を優先しただけであり、褒められた話ではありませんよ。」


 ゾゾはまた委縮して小さくなった。


「アウ… ゴメンチャイ」


 すっかり意気消沈してしまったゾゾを見てフェルはフォローに入る。


「その辺にしといてやってくれんか?あやつのレベルは63。もしワシが遭遇エンカウントしとったら間違いなく殺されとった。それに、今回のことでゾゾ殿のレベルも上がり、種族クラスまでも変化しておる。これは大きな収穫と言っていいじゃろう?」


 ゾゾは【デモンスライム】から【アークスライム】へとクラスチェンジしていた。レベルも70まで急上昇するという異常な成長を遂げている。この目を見張る変化は魔王軍にとって大きな収穫であることは間違いのないことだった。


 ベルフェルトは溜息をつく。


「あまり結果論は好きではありませんが…まあ、仕方ありませんね。でも、次回からはもっと慎重な行動をお願いしますよ。」


「ン ワカッタ …」


 ゾゾの視線がベルフェルトの後ろに横たわる二体の獣に向かう。滝のように流れる涎を見て、ベルフェルトは苦笑を浮かべた。


「もう召し上がって構いませんよ。」


 その言葉を聞くや否やゾゾは一目散に飛びついた。瞬く間に骨も残さずなくなっていく様を見て、フェルは呆れ顔だ。


「リュカオンとヒポグリフか…。この世界でも案外強力な魔物がおるもんじゃのう?」


 その言葉に、ベルフェルトは少しだけ眉間に皺をよせた。


「なぜかは不明ですが、上空の方が地上よりも魔素が濃い様です。そのため、強い魔物は高地を塒にしているようですね。」


「なるほどのぅ…。その原因についても、追々調べていくことにするかのう。」


「よろしくお願いします。…さて、そろそろいいでしょうかね?」


 ベルフェルトの視線がシェゾとリヴァイアに向けられる。二人は目を伏せたまま、体を絶え間なく震わせていた。


 腐敗堕落デジェネイトを使うまでもなく、すでに恐慌状態に陥っている二人に対し、ベルフェルトは目を細める。


「先に断っておきます。私達に出会ってしまった以上、あなた方二人をこのまま素直に解放する気はございません。その点については、今のうちに諦めておくことをお勧めします。よろしいですか?」


『は…はい…。』


 二人の返事が重なる。


 あまりに従順な二人に、フェルは首を傾げる。内容はともかく、ベルフェルトは紳士的に丁寧な口調で語り掛けている。

 しかしながら、二人は自主的に地面に座し、顔面蒼白のまま頭を垂れているのである。そして体はガタガタと小刻みに震え、歯をガチガチと鳴らしている。


 余りの様相に、フェルはベルフェルトに視線を向ける。


「お主、こやつらに何かしたのかの?怯え方が異常じゃぞ?」


 ベルフェルトは小首を傾げる。


「はて?記憶にございませんが…。まあ、素直なことは良いことでしょう。」


 ベルフェルトは椅子を錬成し、深く座って足を組む。そしてフェルの分も用意した。フェルは「気が利くのう」と言いながらふかふかの椅子に胡坐をかいて座った。


「さて、あなた方に与えられた道はシンプルに二つ。【死ぬ】か【服従】かの二択のみ。但し、【服従】が選べるか否かは、あなた方が私達にとって有益な存在であるかどうかに掛かっております。それ以外は全て【死】であると断じておきます。よろしいでしょうか?」


「いや…脅し過ぎじゃろ…。」


 フェルは苦笑いを浮かべるが、当然二人は笑える状況ではない。


「あなた方は一体…。」


 バキベキベキ!


 シェゾがそう言葉を発した瞬間、両手首が捩じ切れた。


「シェゾ!!」


 リヴァイアの悲鳴のような声が上がる。


 シェゾは歯を食いしばりながら声を押し殺し、激痛に耐えていた。ベルフェルトはそれを冷酷な表情で見下ろす。


「小汚い野良魔人に開示してやる情報などありませんよ。血も通わぬ木偶人形の分際で、何を痛がっているのか知りませんが、身の程を弁えなさい。」


 余りの冷酷さにフェルは開いた口が塞がらなかった。


 そして、シェゾに視線を向ける。

 脂汗をかき、痛みに耐える苦悶の表情。


 だが、千切れた手首からは一滴の血も流れていない以上、ベルフェルトは相手の性質を完全に読み取っていることを理解した。


 魔人…。ベルフェルトはそう言った。

 フェルは顔を引き締め、二人に向き合った。


「先ずは自己紹介からじゃな。その後、お主らが何者か、何があったのか語ってもらおうかの。」


 シェゾは呼吸を整えると、一つ一つ言葉を紡いでいった。


「シェゾだ。彼女はリヴァイア。オルフェリアの…聖女と、その従者だ。」


 その言葉にフェルは目を見開き、ベルフェルトは眉を顰めた。


「聖女?…このエルダが?」


 ベルフェルトから向けられた冷徹な視線に耐えかね、リヴァイアは過呼吸に陥っていた。


 余りにも不信感を露わにするベルフェルトにフェルは宥めに掛かる


「まあまあ、一通り最後まで話を聞こうじゃないか。疑うのは後からいくらでも出来るじゃろうが。」


 ベルフェルトは「確かに…」と呟き、先を促した。


 シェゾは現在に至るまでのあらましを語った。


 その内容はどれも非常に興味深いものだった。それを聞いて、フェルは口を吊り上げて笑った。


「なんと!ルネリオスでまさかそんなことが起きておったとはのう。それでお主らは真なる女神の加護を得た本物の聖女を擁する者達にまんまと一杯食わされ、命からがらここまで落ち延びてきたというわけじゃな。」


 リヴァイアの顔が怒りと憎しみで激しく歪む。


 フェルにバカにされていることにではなく、当時のことを思い出し、屈辱と怒りと恐怖が彼女を襲った。


「あ、いや…ああああああ…いやぁあああああ!!!」


 リヴァイアが頭を抱え、絶叫を上げる。

 驚いたフェルの前でリヴァイアは地面に額を叩きつけ始めた。それをシェゾが必死に止める。


 唖然とするフェルの一方でベルフェルトは冷めた目で一連の醜態を眺めていた。


 そして、溜息をついた。


「狂ったふりをして現実逃避をするのは止めて頂けますか?見苦しく、耳障りです。」


 額を打ち付けるリヴァイアの動きが止まる。フェルは訝しんだ顔をしてベルフェルトに視線を向ける。


「どういうことじゃ?あのエルダ、正気なのか?」


「当然正気です。気が狂った風を装えば、心配してもらえる、大事にしてもらえる、赦してもらえる…。そんな見え透いた魂胆がありありと分かります。」


 リヴァイアが恐る恐る顔を上げる。その顔は、額から流れる血と涙で酷いものだった。


「リーヴァはリーヴァは…。」


「大変申し訳ございません。どうか、ご容赦ください。」


 リヴァイアが何かを口にする前に、シェゾが頭を下げる。


 リヴァイアはシェゾを横目で見た。

 狂っているのは演技だと言われ、否定の一つもしないシェゾを見て、リヴァイアは気付いた。


(ああ、本当なんだ…。リーヴァは壊れたふりをしているんだ。)


 リヴァイアは自分の心を保つために、真実から目を背けるために、敢えて狂っているのだ。自暴自棄になることで、逆に平静を保っているのである。わざと狂ったふりをする自分に対する主観的な認知が欠落していたのだ。


 それが分かった時、リヴァイアの頭の中の霞が晴れていった。


「アイツが…アイツさえいなければ…リーヴァ達は…。」


「アイツ?」


 ベルフェルトの相槌に対し、リヴァイアは感情を昂らせることなく、淡々と話した。


 金竜とヴァンパイアロードを従え、聖騎士団と聖女を結び付け、リヴァイアを絶体絶命の危機にまで追い詰めた今回のクーデターの中心人物。


 緑色の逆立った髪と赤い瞳。

 異国の服装に身を包んだ男性オルク


 そこまで聞き、ベルフェルトとフェルは顔を見合せた。


「その男、一体なんと呼ばれていたのですか?!」


 急に声を荒げたベルフェルトに怯えつつ、リヴァイアは必至に記憶を遡る。


 その思考を遮るように、シェゾが口を開いた。


「件のヴァンパイアロードが指示を出す際にこう言っておりました。『後は勇者の命令に順じよ』と。」


 それを聞いてフェルは笑い始める。


「カッカッカッカ!!これは値千金なんじゃないかのう?」


 呵々大笑するフェルを茫然と見送る二人はベルフェルトの反応を窺う。


 ベルフェルトもまたうっすらと笑みを浮かべていた。


「こんなところでまさかの拾い物でしたね。これは、発見したゾゾさんとそれを殺さずに止めたフェルさんのファインプレーといったところでしょうか?」


 困惑を禁じ得ない二人に対し、ベルフェルトは椅子から立ち上がって二人に迫る。


「さて、あなた方の努力のおかげで、無事に二つ目の選択肢が生まれました。選んでください。【服従】か、それとも【死】か。」


 シェゾとリヴァイアは迷うことなく、頭を下げた。


『服従いたします。』


 ベルフェルトは満足そうに頷いた。


「フェルさん。任務の途中ではありますが、一度帰還いたしましょう。」


「おいおい、よいのか?旦那にどやされやせんかの?」


 フェルはそう言いながらもニヤニヤ笑みを浮かべる。


「彼らの持っているスキル、情報は値千金です。魔王陛下もお悦びになることでしょう。」


「魔王…陛下?」


 リヴァイアの呟きに対してベルフェルトは邪悪な笑みで一瞥すると、骨一つ残らず食べつくし、満足気な顔をしているゾゾに向き直った。


「ゾゾさん、お味はいかがでしたか?」


「ン オイシカッタ ベルル アリガト」


「どういたしまして。それでは、参りましょうか。」


 巨大なアストラルゲートが展開され、フェルとゾゾが次々と飛び込む。ゲートの前で足踏みするシェゾとリヴァイアの後ろから、ベルフェルトが囁いた。


「先に伝えて置いて差し上げます。魔王陛下には嘘は通用しません。間違っても虚偽の内容を語らぬこと。いいですね?」


 二人は顔を見合わせながら、額に汗を浮かべながらもしっかりと頷いた。


「あと一つ、貴女の疑問についてお答えしておきましょう。魔王陛下とは何者なのか。」


 ゴクリと息を呑む音が響く。


「ニブルデッドに住まう者達を束ねる者。神に認められ、選ばれた王の中の王。魂に刻み込みなさい。魔王シェブニグラス=インフェルド陛下の名を…永遠に!!」



▮魔王

「ぶぇっくしゅっ!!」


 余りにも所帯じみたくしゃみをしてしまい、嶽閻と雪花が目を丸くしていた。


「殿下のくしゃみって思ったより若さを感じませんね。」


 やかましいわ。元々アラフォーだよ。悪かったな。

 それにしても若さを感じるくしゃみってなんだ?


 雪花の一言になんだか気恥ずかしくなり、咳払いをしてごまかした。

 それを不機嫌と受け取ったのか、慌てて嶽閻がフォローに入る。


「も、申し訳ございません!魔王殿!礼儀を知らぬ妹の無礼故、何卒ご容赦を…!」


 ああ、妹だったのか?


 青い髪に冷たい瞳と顔の半分に描かれたタトゥー。

 すらっとした長身でまるでくノ一の様な出で立ちをしている。


 確か戴冠式ではVIPのコンシェルジュとして働いてもらっていたが、礼儀を知らないやつをそんな仕事によく付けたな。


 内心毒づきながら、心を落ち着ける。


「構わん。続けてくれ。」


 そう言って雪花が作った企画書のプレゼンがスクリーンに映し出される。


 内容はスポーツチームの試合を魔王領、亜人領においてテレビ中継で放映するというものだ。

 そのために必要な数の電波塔の設営と配線ネットワークの確立。各家庭へのテレビの普及など進めていきたいという内容だった。


 私は溜息が出た。


「おい、嶽閻。」


「はっ!」


「貴公は今や数々のインフラ設備や建築を一挙に手掛けるゼネコン監督責任者だ。貴公はこの魔王軍の幹部の中でも深く内政に携わる者としての地位と実績がある。そうだな?」


 私の言葉に、嶽閻はたじろぐ。


「え?いや、そんな大それたものでは…。」


「それが客観的な事実だ。その上で聞くが、貴公から見て今回のプレゼンに要する工期はどれぐらいになると予想しているんだ?」


 嶽閻は顎に手を置き、額に脂汗を浮かべる。


「お、およそ40年はかかるだろうと…。」


 うん、まあ魔法ナシならばそれぐらいか…。


「工期費用はいくらくらいが予定される?時雨。」


 時雨と呼ばれた長髪に眼鏡をかけたインテリ青年は眼鏡を指で引き揚げながら静かな声で答える。


「66兆2000億…。」


 その一言で場が凍り付いた。


「はあ?」


「66兆2000億です。」


 いや…さすがにそこまで…かかるのだろうか?


 彼は魔王領ラーヴァクラフトにおける財務統括長。紅麗尉の秘蔵っ子であり、頭を悩ませた人員教育の中で、最も優秀で手がかからなかった逸材とのことだ。


 それもそのはず、学識・算術スキルを持ち、官僚のジュブレベルはMAXだ。


 昨今では本格的に流通を開始した貨幣システムを統括しており、造幣局と中央銀行を次々に開設していき、金融業を一気に発展させた。


 そんな時雨の一言でこのプロジェクトが暗礁に乗り上げたのは当然だ。今期の国家予算は2000億だぞ。全然足りん。


 そもそもだが、こんなプロジェクトの認否に私まで通す必要などない。

 嶽閻も不可能と分かっていたはずだ。その時点で却下してもよい。


 だが、私の元まで持ち込んだということは、完全に妹に押し切られたということだ。妹が可愛いいからか、怖いからかは定かではない。


 雪花のレベルは52と鬼人おに族の中では最も高い。嶽閻は私との戦闘の後にレベルダウンしてしまったせいで力関係が逆転してしまった…というのは私の邪推だろうか?


 雪花は無表情で淡々とした性格だが、三度の飯よりもスポーツ大好きな熱血プレイヤーだ。そんな彼女が今回の企画を通したいのは、まあ分からなくもないが…。


「というわけで、このプロジェクトは時期尚早だ。」


 それを聞いて雪花が慌てて立ち上がる。


「ちょっま!殿下!くしゃみの件は謝るかもう一度検討を…!」


「くしゃみの件が問題じゃない!」


 この娘…ネジが一本抜けてるんじゃないか?


「そもそもスポーツチームは現在どれだけあるんだ?」


「…サッカーチームが一つ。」


「で、メンバーは何人いるんだ?」


「…9人…。」


 そもそも足りてないじゃないか!


 大きなため息をつき、雪花を椅子に座らせる。


「いきなり大きなことを始めても無理なものは無理だ。そもそも、貴公の知識は紅麗尉がもたらしたものだろうが、そのままのルールでは成立しない。」


 その一喝を受けて雪花はハッとした顔をする。


「種族格差を埋めるためのルールの制定が必須事項だ。飛行や魔法、スキルなども大きな問題になる。異世界のルールをベースにしてもいいが、その点の修正を加え、皆が平等に楽しめるスポーツ環境を整える。貴公がまず始めることはそれだ。」


 雪花は深く頷いた。


「殿下…畏まりました。明日までにルールの草案を仕上げてきます。」


「あ、いや…。そういうのは草案ではなく、トライ&エラーを繰り返した上での成案で頼む。」


「はっ!では出来る限り最短で最速で真っすぐに一直線に…。」


 もういいや、こいつ…。


「それでは次の議題だが…。」


『シェブニグラス様。』


 《魔力通話》だ。この声は…。


『ルーネか?君が会議中と知った上で通話してくるとは…何か問題が起きたか?』


『はい、お時間を頂戴いたします。』


 会議室では急に黙り込んでしまった私を怪訝そうな顔で皆が見つめてくる。少しバツが悪いので、席を立った。


「悪いが急ぎの用件が出来たため、退席する。嶽閻、判断が必要な案件は要約しておけ。」


「御意に。」


 会議室から出ると、そのまま通話を再開する。


『待たせたな。簡潔に聞く。何があった?』


『ベルフェルト様達がニブルデッドに緊急帰還。至急お目通りしたいとのことでございます。』


 なるほど、それは紛うことなき緊急事態だな。


『わかった。了承しよう。応接間にて待つと伝えよ。』


『畏まりました。それでは、失礼いたします。』


 通話が切れる。

 やはり《魔力通話》は便利だ。


 秘匿性が高い個人回線の様なもので、繋げてもらえば《魔力断線》するまでお互いに通話し放題である。唯一の弱点と言えば、流石にエルデガルドでは断線してしまうという点だけである。


 この《魔力通話》が使えるということで、ルーネは私と他の幹部を繋ぐパイプ役という立場に落ち着いていた。


 そんなことを考えていると、目の前にルーネが現れた。


 複雑に編み込んだ紫の髪、白いビジネススーツとタイトスカートという出で立ちだ。


「お迎えに参りました。シェブニグラス様。」


 深くお辞儀をしたあと、転移門アストラルゲートを発現させる。これを潜れば、応接間に直結することになるのだろう。


 ルーネの未来視がどれほどのものなのかは未だに不明だが、これまでの仕事ぶりを見ていると本当は全て見えているのではないかと思えてならない。


 兎にも角にも対応が早い。


 問題は芽が出る前に摘み取り、事件の火が上がる前に鎮静化する。

 その為の法律の立案や改正、裁判の判決事例の取りまとめなど、全てが一手早い。


 最近は時間があれば遅くまで二人で擬似裁判に興じるが、戦績はほぼ五分五分だ。

 いや、もしかしたらそうなるように仕組まれているのではないかと疑心暗鬼にもなる。


 正直、元弁護士として沽券に関わるのだが、不思議と悪いは気はしなかった。


 そして、そんな彼女の今の立場は法律顧問長官。そして最高裁判長だ。


 とんでもない重役にも関わらず、彼女は平然と処理し、今はこうやって秘書の真似事のような仕事までしてしまう。


 余りにも有能過ぎるために、正直頭が上がらない。


 私はゲートの前に立つと、ルーネに一瞥する。

 ルーネは目を細め、微笑みを返す。


 無言のやり取りだが、それだけで伝わる。奇妙な感覚がとても心地良かった。


 ゲートを潜ると、応接間の玉座の隣りに足を下ろした。

 眼下には既にベルフェルト、ゾゾ、フェルが跪礼して私の到着を待ち構えていた。


 それらを確認した後、視線を玉座に戻そうとした時、まだ何者かがいることに気付き、慌てて視線を眼下に戻す。


 そこには透き通るような黒い礼服を着た銀髪のオルクと、黒いドレス姿に身を包んだエルダの姿があった。二人は幹部三名の後ろで付き従う様に跪礼していた。


 なんだ?誰だアイツら…。


 私はゆっくりと玉座に腰を下ろすと、《超鑑定》を使い、二人を見る。


 大罪スキルの嫉妬…。そして虚飾を持っている。かなり有能なユニークスキルを持っている様だが、アルカナキャストとしてはハズレだな…。


 だが、わざわざこの様な場まで用意したからには何かあるのか?この二人に…。


「表を上げよ!」


 私の言葉に従い、皆が一斉に顔を上げる。


「ベルフェルト、私に拝謁の許可を申請したのは貴公だな?まずはその理由から聞こうか?」


「はっ!畏れながら申し上げます。後ろに座しているこの両名が魔王陛下が求める知見において新しく、お力になるものと愚考し、御目通りを願い出た次第に御座います。」


 やはり、あの二人か?


 視線を二人に向ける。

 中々に特徴的な二人だ。一人は黒い拘束マスク。片やもう一人は顔を塗り固めた様なメイクをしている。正直、好意的な印象は受けない二人である。


「では聞こうか。貴公らが持つ、私が望む知識とやらを…。」


 私の言葉を受け、エルダが震えながら口を開く。


「お、お初にお目にかかります。シェブニグラス魔王陛下…。この度、リーヴァ…いえ、私達がお聞かせしたいのは他でもございません。」


 私は頬杖をつきながら、言葉の続きを待った。


 そして、その言葉に驚きを隠せず、思わず腰を上げる事になったのだった。


「私達がお聞かせしたいのは、勇者にまつわる情報の全てにございます。」



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