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〜群芳割拠の旅日記〜

▮紅麗尉

「はあ…。ま~た居残りか…。」


 会議後、お馴染みのデスクワークに戻り、パソコンの前で大きく溜息をつく。


 正直、エルデガルド…行きたかった!!


 600年もこんな陰鬱な世界で暮らしてきて、陽の光が恋しくて堪らない。まあ、ここまで発展したアーカムハメルで不便などないけども、エルデガルドの大都市や田舎町の風景を見てみたかったという思いは拭えない。


 まあ、完全に観光気分なんだけどね…。


 私は自分の額から伸びる角をさする。


 これが無ければ私もエルデガルドに行けたのにな…。いきなり亜人狩りになんてあったら最悪だし…陛下の配慮も分かるけど…。何とかならないのかしらね~。


 そんなことを考えていた最中、頭の中にコール音が響く。


 私は思わず背を伸ばした。

 念話テレパシーである。

 そしてこの信号は…陛下だ!


「は、はい!紅麗尉です!」


 私はなぜか慌てて応答する。それに対して、当然念話相手は訝しんだ様子だった。


『私だが…。タイミングが悪かったか?』


「いえ!問題ありません!如何なさいましたか?陛下。」


 上擦った声での返事になったものの、陛下はそれ以上追求せずに話を始める。


『紅麗尉、君は前世で薬学や感染症の知識はあるか?』


 思いがけない質問に私は目を丸くした。


 そんなことよりも、陛下が「貴公」ではなく「君」と呼んでくれていることが私は嬉しかった。


 そのために、なぜか私は舞い上がっていた。


「あ、はい!専攻は機械工学でしたが、医療分野の単位も全過程収めていますので、内科医の領分でしたら問題なくお答えできるかと。」


『そうか。ならば力が借りたい。喫緊の課題が無いのであればすぐに応接間に来てもらえるか?』


「畏まりました!今すぐに参ります!!」


『それでは、よろしく頼む。』


 念話テレパシーが途絶える。


 陛下が私の力を見込んで新たな任務を!


 我ながら社畜魂が全開だが、昨今の内政事務処理には飽きていたところだ。このまま前世の様に事務が係になってしまうのではないかと懸念したが、さすが陛下!

 陛下は私をしっかり見てくださっている!!


 私は意気揚々と応接間へと足を進めた。



 そして、応接間。

 玉座に座る陛下が顔を上げる。


「来たか。予想以上に早かったな。」


 久しぶりに陛下と二人きりで話せるかと思いきや、陛下の前には既に先客がいた。


 グラミアさんだった。


 危うく素の私に戻りそうだった所を咳払い一つしてスイッチを入れ直す。


「紅麗尉。招集に応じ、参上いたしました。」


「うむ、此方へ。」


「はっ!」


 玉座の前にグラミアさんと共に跪礼する。


「先ほどの幹部会では要件を先送りしたが、グラミアからの進言を受けてやはりこちらの件も進めておきたいと思ってな。忙しいところすまなかった。」


「い、いえ!滅相もございません!」


 なんだか拍子抜けしながらも、私は陛下の言葉を待った。


「用件は先ほど念話テレパシーで確認したことに繋がるのだが、紅麗尉にはグラミアと共にエルデガルドにおける菌やウイルスについて調査をしてもらいたい。」


 私は目を丸くした。


「え?あ、はい…。畏まりました…。と、いうことは…私も?」


「当然、グラミアと共に教皇庁バーラルに向かってもらう。」


 やった!


 まさかの僥倖!行きたいと思っていたニューヨークの研修旅行に選ばれたような気分だ。


「で、では陛下も!」


 勢いで飛び出した発言に陛下は苦笑を浮かべた。


「流石にお前までいなくなっては内政に携わる者がいなくなるのはまずかろう。お前たち二人で進めよ。」


 で、ですよね…。乾いた笑いを上げながら、視線を左に向ける。そこにはグラミアさんが妖艶な笑みを浮かべていた。


「よろしくお願いしますわ。紅麗尉さん。」


 こ、この人と二人旅か…。仲良くやれるんだろうか…私…。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね。グラミアさん。」


 不安を感じながら、私も笑顔で返す。


 そう言えば…。


「陛下、私はこの通り角が…。これはどうしましょうか?」


「安心なさいな。私が魔法で見えないようにして差し上げますわ。服も…その姿では宮中で目立つので、あしらって差し上げますのでご心配なく。」


「あ、ありがとうございます。」


 さすが、《魔法錬成》持ちは違う。本当に、知識以外何の取り柄もない自分が嘆かわしい。


「話がまとまったようだな。ではルーネ、後は頼む。」


「畏まりました。」


「え?!」


 いつの間にか陛下の座る玉座の隣にルーネ様が立っていた。


 私は恐る恐るグラミアさんに視線を送る。だが、グラミアさんも目を剥き、首を横に振った。


 ルーネ様は階段を降り、私たちの前で微笑んだ。


 え?これって…もしかして?


「ベルフェルトはまだ特訓中でな。ルーネがいないと時間軸がズレるだろう?準備が出来次第出発。三日間の調査期間を与える。エルダ三人。交流も兼ねて行ってくるがいい。」


「よろしくお願いいたします。紅麗尉様、グラミア様。」


 私とグラミアさんは同じように顔を引きつらせながら、ルーネ様の得も知れないプレッシャーに耐え、示し合わせたように声を揃えた。


『は、はい!宜しくお願い致します!!』


 こうして、気心の知れない女三人の旅が決定した。



ーー


 数日後、私達三人はアルカトラズの離小島に集合した。

 一抹の不安を拭い去ることが出来ないまま当日を迎えた私だったが、いきなりルーネ様に目隠しをされることとなる。


「え?な、なに?なんですか?!」


 慌てる私の腕を今度はローブで縛り始める。いよいよ何が起こってるのか分からなくて恐怖が襲う。


「安心なさいな。貴女だけじゃなくて私もですわよ。」


 グラミアさんの声を聞いて心の底から安堵する。

 黙々と作業に徹するルーネ様は慌てる私をみてほくそ笑んでいる事だろう。


 にしても、なんで?


 そんな私の心の声が聞こえたの、ようやくルーネ様が口を開いた。


「タイムウォールを潰す際に、視覚的に非常に気分を悪くしがちなので目隠ししておいた方が賢明なんですよ。」


 え?そうなの?私VRで酔っちゃうタイプだったからありがたい配慮かも…。


「え?じゃあこのロープは?」


「複数人で行く場合、離れ離れになると時間軸がズレる可能性がありますので、皆が離れ離れにならないようにするための処置です。」


 サラッと答えるルーネ様…。


 何よ…もう…めちゃくちゃ理論的で適切な判断じゃん…。


 心配して損した私はそのままルーネ様に身も心も委ねたまま、レジェネーターへと入っていく。その絵は、まるで連行される囚人の様にも見えるだろう。


 しかしながら、その配慮も虚しく、激しく三半規管を揺さぶられ、頭が割れるような耳鳴りに襲われてしまい、私はエルデガルドに到着早々にグロッキーになってしまったのだった。



---


そして数刻後…。


「ああ…凄い!素敵!!」


 思わず溜息が漏れた。まさにこれぞ中世ファンタジー!!

 私は今、エルデガルドの教皇庁バーラルの宮殿にいた。


 バロック様式の美しい彫刻が施された荘厳な建物。煌びやかなシャンデリアに見事な天井絵。美しい絵画に調度品の数々。


 まさに観光地に来た旅行客さながら、浮かれながらきょろきょろと当たりを見渡しては感動していた。


 そんな私の様子を見て、意外そうな顔でグラミアさんが見る。


「何をそこまで驚いていらっしゃるので?アーカムハメルだって負けず劣らず…いや、規模や技術に至るまでも圧倒的に優れているでしょうに…。」


「あ、いやその…確かにそうなんですけどね…。」


 私はそう言って視線を逸らした。


 正直に言うと、魔王城アーカムは私の好みではなかった。


 まず第一に、暗い。

 部屋に使われる色調に黒と赤が圧倒的に多い く、荘厳ではあるが非常に陰鬱というか邪悪なデザインなのだ。


 ベルフェルトさんが一任していたこともあってかデザインセンスに偏りがあると言わざるを得ない。まあ、仮にも魔王城なのである程度の雰囲気作りも必要かもしれないが…。


 二つ目はやはり光だ。

 魔法や電気の光ではない太陽の光。

 これがなんと尊いものか!


 陽の光が差し込むことで回廊は色彩豊かに変化し、その気分を明らかに高揚させる。


 元陰キャが何を言っているのかと陰口を叩かれるかもしれないが、だったら600年地下室にでも引きこもってみなさいよと言いたい。


 最後に…これがこんなに大事とは思わなかった。


 一言で言うと、花鳥風月である。


 庭園には美しい花が咲き乱れ、鳥が優しく囀り、まるでBGMでも奏でているようだ。

 そして、風…。

 娑婆に出られたという解放感は一種のエクスタシーに成り得るのかと思えるほど、心地よくて涙が出る。心が洗われ清められるとはこのことだろう。


 そして、この世界には本物の夜があった。

 月があり、星があるというのだ!


 電気の無い世界の満点の星空…。今からワクワクが止まらない。


 浮かれているのが足に出ているのか、グラミアさんが厳しい視線を向ける。


「紅麗尉さん、あまり先行しないように。貴女は今侍女。聖母マリステラの侍女なのですから。」


「あ、はい!すいません…。」


 そう、エルデガルドに到着してから間も無く、私はグラミアさんの《魔力錬成》によって姿を変えていた。

 そして今や、鬼の角はなくなり、ボブショートに髪を整えられたメイド服の侍女となっているのだ。


 そしてグラミアさんはオルフェリアの聖母マリステラの姿となっている。


 豪華な法衣を身に纏い、流れるようなブロンドの髪とアイスブルーの瞳はまさに女神と称されてもおかしくない姿がそこにあった。


 なんかすごいマウント取られてる気がする…。


 そんなグラミアさんの隣を白銀のフルプレートに鉄仮面の重騎士がガシャガシャと鉄が擦れる音を立てながら歩いていた。


「あ、あの…ルーネ様…ですよね?」


 恐る恐る声をかけると、重騎士はフェイスガードを上げる。


 鉄仮面の奥にはいつもと変わらないルーネ様の顔があった。


「はい、なにか御用でしょうか?」


「あ、いや…その…なんでそんな重装備なのでしょうか?」


「全くですわ。門兵ならまだしも、宮殿内でそんな重装備をしたテンプルナイトなどおりませんのに…。軽装でよろしいのでは?」


 二人からの疑問に対し、ルーネ様は微笑みで返す。


「軽装ではダークエルフということがバレますので。」


 グラミアさんはその答えを聞いて訝しむ。


「人間に姿を変えることなどルーネ様ならば造作もないことでしょうに。」


「人間…嫌いですので。」


 ルーネ様の目に冷たいものが宿り、それを見た瞬間、私とグラミアさんは同時に総毛だった。


 ルーネ様はあの【天地喰い戦役】の生き残り…。

 エルデガルドの民、つまり人間とは命の奪い合いをしたまさに宿敵…。


 どのような悲惨な目を経験したのかは分からないけれども、人間の姿をすることを拒否するほどに、憎悪に満ちていることが窺えた。


 非常に重苦しい空気となり、暫し無言のまま回廊を歩く3人。

 冷や汗を浮かべながらグラミアさんは扇子で扇ぐ。


「よ、余計なお世話でしたわね。失礼しましたわ。しかしながら、今から向かう場所には逆に打ってつけなのかもしれませんわ。」


「え?これから行く場所って?」


 私の一言に、グラミアさんが眉間に皺を寄せる。


「紅麗尉さん、あなた本格的に遊びに来てるのではないでしょうね?主様からの任務をお忘れになったのかしら?」


 あ…。浮かれすぎて完全に忘れてた。


「いやいやいやいや!もちろん覚えてますって!病気ですよね?感染症についてですよね?!それを調べに来たんですから!ほら!このバッグにもちゃんと必要なものが詰まってますからご安心ください!」


 私は慌てながらずっしりと重いスーツケースを持ち上げて見せた。


 一応見た目は革張りにしているが、中は完全に近代技術で出来たポリカーボネートで作られている。中には医療器具一式と検体採取用のキッドや電子顕微鏡などが入っており、かなり用意周到に備えてきていた。


 私が収納インベントリーを使えれば何の問題もなかったのだが、繊細で複雑な医療器具を全く知識のないお二人に理解させようとするのには時間が足りな過ぎた。


 故に、《魔力錬成》で作ることが出来ないので、こうして持ち歩くことになったわけだが…。改めてフェルさんの全知全能コズミックブレイン器用富豪スキルフルミリオネアは凄い。


 今回の任務に必要だということで医療器具についてざっくりと説明しただけで一式をあっという間に作り出してくれた。

 さすが、陛下が一目置くだけはある。


 私たちが今回視察を行うのは宮殿内の医務室と病室、薬草園。そしてバーラルから離れた修道院に設置された隔離棟インファマリーである。


 エルデガルドの医療レベルの確認とこの世界における病がどのようなものかを調べること…。


 陛下は女三人で楽しんで来いみたいに言っていたが、3日間ではなかなかハードなスケジュールである。…城下町で遊ぶ時間あるかな…。



ーー


 薬草園を抜けた先に、今までの華やかな雰囲気とは対照的に、非常に陰鬱とした建物があった。


 扉を開いた瞬間に強烈な香りと湿度に顔を顰めた。


 ハーブの臭い…。

 これはさすがに鼻が曲がるレベルだわ…。


 私は今メイド服から宮廷医師として白いローブと白帽、マスク姿になっている。

 なんだか着せ替え人形のようにされるがままだが、これもお仕事なので仕方がない。


 ここは宮廷内の医務施設なのだが…。この部屋に入った瞬間にこの世界の医療レベルが透けて見えた。


 ああこれ…完全に【ミアズマ理論】に引っ張られてるわ…。


 まあ、当然と言えば当然である。

 前世の歴史においても、古代から19世紀まで医療の基本は【ミアズマ理論】だったのだから。


 ミアズマとは【瘴気】のことである。


 全ての病は瘴気…つまり穢れた空気によるものであるという考え方だ。ギリシアから始まり、アジアも含めて世界中に広がった共通観念である。


 昔は病気になったらとにかく香を焚いた部屋に閉じ込めてたり、ペストでお馴染みのカラスマスクもマスクの中に芳香剤を入れていたのだというからその本気度合いが受け取れるというものだ。


 一人で部屋の中に入ると扉が閉められる。


 中に入るは私一人…。まあ考えるまでもなく当然か…。


 視線を部屋中に備え付けされた棚と、ガラス瓶に向ける。


 …ほとんどが香草だ。まあ、それなりに生薬は揃ってるみたいだけど…。


 次に病室に入り、風邪をこじらせている人の鼻の粘膜を採取したり、簡単に触診と視診、聴診を行った。


 結論から言うと、前世と同様の病や菌体が発見された。黄色ブドウ球菌をはじめ、大腸菌や肺炎球菌まで…。

 この手の菌はニブルデッドにはいないことは確認済みだから、陛下の予想通り魔素によって細菌やウイルスが生きられないのかも?


 そしてニブルデッドの住人の抵抗力や抗体に関してだが、どうやら体力と精神力の高さによって感染が決定するようで、モブレギオンクラスだと感染するか否かの判定が行われる。


 一応私にも細菌を注入してみたが、抵抗判定が出る前に無効化された。


 これは私の持つ《状耐性無効化》スキルによる効果だと予想される。


 状耐性は別名環境耐性とも呼ばれるものであり、暑さや寒さ、気圧や瘴気などに耐性を持つことが出来る。病もこの一種であることが暫定的に決まった。


 兎にも角にも、一般的な風邪様症候群であれば、レベル5以下か、疲労や重症などで極端に体力と精神力の数値が低くない限りは罹患しない。


 抗体はとどのつまり耐性スキルを持つということ同義だ。それを鑑みれば、ニブルデッドの民はほとんど罹患リスクがないと言っていい。


 だが、まだこの情報を二人に話すのは早計だ。次に向かう隔離棟インファマリーが問題なのだから。


 正直息を呑んだ。人間にとって病は種の存続をかけて永遠に戦い続けることになる宿敵だ。

 何度も人間を絶滅の危機に追い込んだ感染症。果たしてこの世界でも同様なものが見られるのか否か…。


 バーラルから北東の小高い丘の上にある教会に私たちは向かった。

 そこは昔から感染症に侵された人々を隔離するために作られたものらしい。


 その扉に手をかけ、私はゆっくりと開いた。


 瞬間、目に飛び込んできた異形の姿に、私は思わず扉から手を放し、尻もちをついた。その瞬間に重い扉は再び音を立てて閉じた。


「ひぃいい!!えっ…あ…えっ!!」


 頭が混乱して上手く話せない。そんな私にグラミアさんは冷ややかな視線を送る。


「何をなさってますの?妙な冗談はやめてくださるかしら?」


「ち、ちがっ!いた…居たんですよ!部屋の中に…も、モンスターが!!」


 グラミアさんの顔が険しくなった。


「モンスター?そんな気配は微塵も感じませんことよ?」


「えっ?!でも…さっき確かに…。」


 私は目を戦慄かせながら、扉に視線を向ける。


 カリカリ…。


 聞こえる…。何かがいる…。間違いない!


 私は簡単に立ち上がることが出来ず、座ったまま後退った。


 その様子を見かねたのか、ルーネ様が扉に手をかけ、一気に開け放った。


 グラミアさんの足元に隠れながらその様子を窺う。しかし、特別異変はないようだ。


「特に何もないようですが…。」


 そう言って、鉄仮面をつけたルーネ様がこちらに振り返る。


 そして私は見てしまった。

 鉄仮面中を這い回る無数の異形の姿に…。

 そしてそれらは、鉄仮面の中へと入りこんでいた。


「いやぁあああああ!!ルーネ様ぁあああああ!!!」


 私の絶叫と取り乱し方をみて、グラミアさんとルーネ様は二人とも何事かと身構える。


 だが、二人には見えていないのだ。

 私は意を決してルーネ様に近づく。


「し、失礼します!」


 私は震える手で鉄仮面に手をかけ、フェイスガードを引き上げたその中には、ルーネ様の美しい瞳があるばかりで、あの悍ましい異形の姿はなかった。


 私は再びその場でへたり込み、諤々と体を震わせた。


 私の様子に、二人は顔を見合わせる。


「今日はもうここまでにしましょう。疲れているのでしょう。続きは明日から、よろしいですわね?」


「…はい…。」


 私の声には覇気がない。あの扉の先にあるものが、途轍もなく恐ろしいのだ。



ーー


 その日の夜、修道院の中の一室で私は一人部屋を与えられたが、全くと言っていいほど寝れない。


 いつまでもあの異形の姿が目に浮かぶ。


 机の隅のささくれや、食事のスープに浮かぶ具までもがアレに見えてしまい、食事が喉を通らなかった。


 ただ、ベッドの上で両足を抱えて夜が過ぎるのを待っていた。


 その時、部屋をノックする音がする。


わたくしですが、よろしいでしょうか?」


 ルーネ様…!


「は、はい!どうぞ!」


 扉が開かれ、ルーネ様が姿を見せる。


 流石に今は重騎士の装いではない。薄手のトップスとパンツという室内着だ。身長が高く、細身のラインが良く引き立っている。


 出迎えに行きたかったが、体が委縮してしまい、それどころではなかった。


 ルーネ様は気にする素振りもなく、私のベッドに腰かける。


「詳しく、聞かせてもらえるでしょうか?あなたがあの隔離棟インファマリーで何を見たのか?」


 とてもやさしい声だ。

 子供をあやす母親の様な…。


 私はポツリポツリと語った。

 手足が異常に長い蜘蛛の様な小さな異形が無数にいたこと。

 それがルーネ様に襲い掛かっていたこと。


 それをルーネ様は一つ一つ頷きながら聞いてくれた。


「なるほど…紅麗尉様に見えてわたくしやグラミアさんに見えない…ということは、条件付きの認識阻害をもった存在である可能性が高いと思われます。」


「条件付き…認識阻害?」


 私は目を丸くして復唱した。

 ルーネ様は頷く。


「闇夜の眷属にもいるのですが、存在を理解できるか否か、知っているか否かという条件を付与することで、自らの存在レベルを限りなくなくす能力があります。相手がそれを持っているとすれば、紅麗尉様は目に見えたあの存在がなんなのかご存じなのではないですか?」


 は?いや…知らない…。

 あんな化け物見たことがない。

 そもそもうじゃうじゃと湧いているのが堪らなく気持ち悪くて悪寒が走る。

 あんなのが体を這うと想像しただけで…。


「そう言えば!ルーネ様!お体に何か不具合は出ておりませんか?!」


 ルーネ様は微笑みながら頷く。


わたくしは問題ございません。真祖様の御加護を受けておりますので、限りなく不老不死であり、状態異常耐性は無効になっております。」


 私はほっと安心する一方、「なんだそれ?ずるい…!」と思った。


 ともあれ、ルーネ様はアレを私が知っているといった。知っているからこそ見えるのだと…。


 ふと、疑問が浮かんだ。


「ルーネ様…。あの隔離棟インファマリーはどのような症状の患者を隔離しているのですか?」


 その後、ルーネ様から症状を告げられ、私は気付いてしまった。

 あの化け物が何だったのか、その正体が…。



ーー


 次の日、私は完全防備の防護服を着て再びあの扉の前に立った。


「紅麗尉さん…大丈夫ですの?」


 心配げにグラミアさんが声をかける。

 それに対して、私は振り向かずに頷いた。


「ええ、正体が分かりましたからね。だとすれば、後は患者の皆さんを救うだけです。」


 そう言うと、私は死屍累々とした部屋の中に入っていった。



---


『かんぱー―――い!!!』


 エールを打ち鳴らして女子三人、酒場で円卓を囲む。


 グラミアさんは嫌がったのだが、どうしても下町のPUBで宴会がしたいと押し切った次第だ。


 生温いエールがなぜか美味しく感じる。

 非常に大きな達成感が私の中で生まれていた。


「んん~!これこれ!最高!やっぱり仕事の後の一杯よね!!」


 そんな私をグラミアさんは頬杖をつきながら呆れた視線を送る。


「フェルさんの作るお酒を飲んだ後でよくそんなことが言えますわね?《魔力錬成》で作り直さないと正直飲めたものではありませんわ。」


 そう言ってグラミアさんはグラスの中のエールをブランデーに変えている。

 本当にズルい!!


「ふふ…それでは酔えませんよ、グラミア様。」


 ルーネ様もご機嫌で笑顔が自然だ。


 私たちは午前中に任務を終わらせ、昼からはグラミアさんの案内で教皇庁の城下町を探索した。

 勿論、みんな改めて変装をしてだ。


 活気ある商店街での女三人旅は思いの外盛り上がり、屋台の食べ歩きや雑貨屋、服飾屋などを回っての買い物。讃美歌隊のコーラスや演劇など。行く先々で興奮が冷めやらなかった。


 グラミアさんも初めは「庶民の文化も、こんな機会がないと体験できませんし…。仕方ないですわね。」などと言っていたが、私に負けず劣らずはしゃいでいた。


 ルーネ様も重騎士スタイルからオリエンタルなフードスタイルにして以降、肩の力も抜けて一緒にはしゃいでいたように思う。


 不安いっぱいで始まった女子旅だったが、結果的に予想以上に楽しいものとなっていた。


 そして、宴もたけなわとなった頃、グラミアさんが徐に口を開く。


「それにしても、病の原因が魔物による攻撃でしたなんて…。想像もしてませんでしたわ。」


 ルーネ様が深く頷く。


「多分ですけど、あれは魔生物ですね。自然発生したというよりは、何者かによって意図的に作り出されたものだと思われます。わざわざ認識阻害などというレアなスキルを付与していることからもほぼ間違いないでしょう。」


 私はエールを煽り、空にした。


隔離棟インファマリーの患者は結核菌に侵されていました。前世でも世界中で年間100万人が死亡している危険な感染症です。幸いにも、準備してきていた抗生物質で対応可能でしたが、対応が遅れて蔓延したらと思うと恐ろしいですね…。致死性が高いですから、抵抗に失敗すれば高い確率で死に至ります。恐らくですが、《状耐性無効化スキル》が無ければどんな高レベルレギオンでも罹患してしまうんじゃないでしょうか?」


 それを聞くと、グラミアさんが目を輝かせてずいっと身を乗り出してきた。


「その話、実に興味がありますわ。じっくり聞かせていただいても?」


「あ、は…はい!いいですよ。前世での感染症は大きく分けて細菌性とウイルス性に分かれていまして…。」


 それからというもの、まるで理系の大学生の集まりの様なインテリな会話が夜通し続いた。


 翌日、オルフェリア名物に舌鼓を打って夕方には帰路につき、ニブルデッドに戻ってからも、グラミアさんは連日のように私の部屋に押しかけたり、自室の研究室に私を招いて病気や特効薬、ワクチンなどの知識を伝えた。


 正直、最初はお高く留まっていてとっつきにくそうだなと思っていたが、今では非常に仲良くなり、プライベートでもよく過ごすことが多くなっていた。


 そして、合同での研究成果を陛下に報告した際には非常にお褒めの言葉を頂いた後、私たちはお互いに抱き合いながら喜んだ。


 そんな私たちの女子旅はこうして幕を閉じた。


 あちこちで取った写真を現像し、それを自室のベッドの上で一枚一枚確認していた。


 ふと、私の手が止まった。


 バーラルの巨大なカテドラルをバックに取った一枚。

 カメラのタイマー機能を使い、3人が各々ポーズをしながら取った一枚だ。


 その一枚に、アレが映っていた。


 それらはグラミアさんの影に群がるようにして蠢いていたのである。


「そう言えば…ルーネ様…言ってた…。あの魔生物は誰かが意図的に作ったものだって…。」


 いったい誰が?魔生物を作るってどうやって作るの?人間が作れるはずなんてない。そんなものを作れるのは…。


「…《魔法錬成》だけ…?」


 私は背筋が寒くなり、そのまま布団の中に体を埋めた。



 バーラル近郊にあるレジェネーターを隠すために、グラミアは固有結界を張ることで不可視、不可侵としてきた。


 その領域の地下にはグラミアの狂った研究による秘密のラボがある。

 そこは沢山の培養カプセルが立ち並び、血と腐臭漂う地下施設。


 その中で、淡い赤色灯に照らされながら、不気味な笑いを上げていたのは白衣を纏ったグラミアだった。グラミアは試験管を振りながら口元を邪悪に歪める。


「ホント…転生者の知識って素晴らしいわ…。何百年もかけて何とか作った魔生物を解き明かしただけじゃなく、それを駆逐する抗生物質なる特効薬を事前に用意していたなんて…。」


 グラミアの口元が邪悪に吊り上がる。


「でも、異世界の知識を得たおかげでより強力な魔生物を作り出すことが出来た…。本当に、紅麗尉さんには感謝が尽きないわ。」


 グラミアの視線が試験管から培養液の中で蠢く何者かに注がれる。


「くふふふ…。主様とお会いして、名付けを経て…私の中で何かが大きく変わったわ…。今まで劣等感に苛まれ続けてきたというのに、なんていう万能感!支配感!全能感!!他者の命が私の手の中にあるという圧倒的な優越感!!」


 恍惚とした表情を浮かべながら、肉の塊が浮かぶ培養カプセルを一望する。その中には異形の人型の姿があり、それぞれが拍動して無音のラボ内に響き渡っていた。


「これもすべて、すべてすべてすべてすべてすべてすべて!!主様のため!主様のおかげ!主様をお慕いするからこそ生まれた愛そのもの!!ああ…早く目覚めて…私の子供たち…。早く主様のお役に立つためにも…。」


 顔を紅潮させながら、培養カプセルに頬ずりを始めたグラミアの脳裏に信号シグナルが送られた。


 それを聞き、瞬時に不機嫌な様相となるグラミアは送られてきた信号シグナルに対して《魔力通話》を繋いだ。


「アンタから私にかけてくるなんて珍しいこともあったものね?何の用かしら?」


 通信相手からの連絡を受けた瞬間、グラミアは目を見開き、嬉々とした笑みを浮かべた。


「そう…そうなのね。キングレギオンクラスが二体も迷い込んでるの…。それは大変ね。じゃあ、とっておきのゴッズアイテムを授けてあげるわ。」


 グラミアは強化硬質ガラスで作られた試験管を二本取り出すと、転送陣を作り出し、それを通信先へと飛ばした。


「それを街の中で解き放ちなさい。そうすればどんなに強かろうとも確実に死に追いやってくれるわ。… …。安心なさいな。アンタはちゃんと対象外になるようにしてあるわ。」


 通信先から絶え間ない感謝の声が響く。

 グラミアはそれを聞きながらほくそ笑んだ。


 人為的に生み出したパンデミックがどのような過程を経てどのような結果を招くのか。今から胸の高鳴りが止められなかった。


「ええ、勿論よ。貴女を愛しているわ。リヴァイア。」


 そういって通信を切る。


 狂気に満ちた空間で、グラミアの笑い声が響き渡る。


 その様子を一瞥し、立ち去る人影があったことに、グラミアは全く気付いていなかった。


 それからほどなくして、第七法王庁ルネリオスを混沌たらしめる大事件が発生したことは、今更語るまでもないことである。

 


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