〜虚ろい揺蕩う心は千変万化〜
▮魔王
「これはこれは…。珍妙な場に居合わせてしまったものですね。」
いつの間にそこにいたのか、ベルフェルトがワイングラスを傾けながら、笑みを浮かべていた。
だが、その笑顔にはいつもとは違い影があった。
覗き見とは趣味が悪い…いや、何か意図があって来たのか?
私がそう思考を巡らす最中、グラミアはベルフェルトの姿を認めると、泣き崩れていた表情を一変させ、怒りに顔を歪ませた。
「ベルフェルトぉおおおおおおおお!!!」
グラミアは私を差し置いてベルフェルトに掴みかかろうと飛び出した。
だが、そんな行動を体内に潜むゾゾが放っておくはずがない。
グラミアの体は内側から激しくシェイクされ、内臓を痛めたのか大量の魔素が吐瀉された。
「がはっ!くはぁ…げぇ…!」
涙と吐瀉物でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ベルフェルトを睨む。
その様子を見て、私はその怒りの源泉が気になっていた。
「ベルフェルト。貴公、彼女に何をしたのだ?」
私の問いに、ベルフェルトは悪びれた様子を見せることなく、首を傾げる。
《ディバンク》は…弱いな…。
恨まれるにあたり、正確な理由は不明だが、心当たりがなくもないといったところか…。
「ベルフェルト…。あんたが…。あんたが…!!」
一方でグラミアの感情の器は完全に破損しており、情緒は完全に常軌を逸していた。
ゾゾから不安そうな思念が伝わる。これ以上痛めつけることは私としても本意ではないが…怒れる獣の首輪を外すわけにもいかない。
やれやれ…。どうしたものか…。
すると、ベルフェルトが這いつくばるグラミアの元で膝を折った。そして、不敵な笑みを浮かべる。
「どうですか?魔王様の偉大さが身に染みたでしょう?傾国傾城の貴女の色香でさえも通用しない強靭な意思と精神力。蓋世之才とはこの方を指すために生まれたようなもの。それを実感することが出来たでしょう?」
だから、言い過ぎだ。
こいつの太鼓持ちには気分が良くなるどころか妙な汗が浮かぶ。
なんとも座りの悪い中、グラミアを一瞥すると、彼女は憎々し気に歯を食いしばっていた。
「ええ…それは認めざるを得ないわ。完敗だもの…。私の力は何一つ魔王様に及ばなかった。」
「だから先に伝えてあげたでしょう?100万人に一人の傑物だと。大人しく服従を誓えばいいものを…。愚かですね。」
その言葉を受けて、グラミアの怒りがまた大きくなった。
「あんたが…言ったんじゃない…。」
「は?」
ベルフェルトの呆けた顔に噛みつくように、グラミアは顔を上げた。
「あんたが!!私には支配できる力があるって!!私の力をもってすれば…どんな強大な権力でさえも握ることが出来るって…!!絶世の美悪魔になれるって…。」
ベルフェルトは言葉を失い、神妙な面持ちを浮かべた。
グラミアの目が怒りから嘆きに変わり、絶え間なく涙が流れる。
「そうしたら…そうなれたら…。あなたは…私の…。」
そこまで声を絞り出した後、グラミアは子供のように声を上げて泣きじゃくった。
その様子を見て、ベルフェルトはそっとグラミアの頭に手を載せた。
「なるほど…。貴女がこんな博打に打って出た理由はそういうことでしたか…。」
何か合点がいったのか、ベルフェルトは私に向き直って跪いた。
「魔王陛下。此の度のグラミアが仕掛けた謀略…。責任はこの私にございます。どうか罰はこの私に、グラミアには情状酌量をお願いいたします。」
平伏するベルフェルトを横目に見ながら、グラミアは目を戦慄かせる。
私は顎に手を置き、思案する。
ここで「どういうことだ?」と聞くのは無粋か?正直背景が全く分からないが、グラミアは誰かに仕えるのではなく、実権の掌握に拘っていた。それはベルフェルトに起因することなのだろうが…。
私を傀儡に出来たら婚約しようとでも約束してたのか?流石にそうであれば反逆罪でベルフェルトを処罰することになるが…。真名契約をしている以上それはないか。
となれば、結論は一つ…だな。
私は大きな溜息をつくと、こめかみに指を添える。
『ゾゾ、もういい。戻って来い。』
『アイ』
それと同時に、グラミアの口からゾゾが吐き出され、人間形態を成して私の隣に立った。
グラミアは激しく咳き込みながらも、安堵と困惑の両方を表情に浮かべていた。
「止めだ…馬鹿馬鹿しい…。」
呆然とする二人をバルコニーに残し、室内へと踵を返した。ゾゾも慌てて私の後を追う。
「ベルフェルト。アエーシェマ公の後始末は貴公が引き継げ。それを持って罰とし、公爵の罪を不問としよう。」
「はっ!畏まりました。」
その返事を背中で受け、ホールに戻った私は談笑に興じる幹部たちの元に足を進めた。
するとこちらに気付いたのか、顔を真っ赤にした紅麗尉が満面の笑顔で近づいてくる。
「へーかー!おつとめごくろーさまれす~。」
呂律が回っていない。酒臭い。
「おい、飲み過ぎだ。閉会のアナウンスはどうするつもりなんだ?」
「安心せい、旦那!ワシが作ったこの【スカッと一発覚醒爆弾】を飲めば酔いなんぞ一発じゃ!一発!!」
ソフトボールほどのサイズはあるどう考えても口に入るわけがない黒い球のようなもの取り出して、意気揚々と語るフェルに対し、嶽閻は狼狽た。
「フェル殿!飲むって…こんな大きな丸薬…喉を通るはずが…!」
「それがミソじゃて!喉に詰まって苦しくなれば酔いなんぞスカッと一発じゃ!!ガハハハッ!!!」
この酔っ払いども…!
全く…こいつらに幹部としての威厳はないのか?この場は無礼講ではない。100%公務だ。
幹部の規律に関しては今一度見直す必要があるようだな…。
大きく溜息をつきながら、視線を動かす。
その先には、騒ぐ幹部たちを眺めながら微笑むルーネの姿が映った。
私は彼女の元へ足を進める。
「ルーネ、話がある。よいか?」
私の問いに対し、ルーネは静かに頷いた。
「是非に及びません。喜んで。」
座り姿から立ち姿。その一挙手一投足に至るところまで彼女の美しさは洗礼されており、正直穏やかではない心内だというのに目を奪われる。
これが精神攻撃でないというのだから、グラミアよりもよっぽど恐ろしいとも思う。
だが、はっきりさせなければならない。
それがグラミアに課した制裁を正当なものにするためにも、私が非情にならなければならないことなのだから。
私はルーネを伴い、舞台袖へと姿を消した。
▮グラミア
助かった…?
私は体中の力が抜けてしまい立ち上がることが出来なかった。そんな私の体が急に宙に浮く。
「きゃっ!!」
思わず短い悲鳴を上げてしまう。
それがベルフェルトによって抱き上げられていたと分かった瞬間、何とも言い難い気恥ずかしさ苛立ちで顔が真っ赤になった。
彼はソファーを《魔力錬成》で作り出すと、私をそこに横たえた。
「すまなかった。」
突然の謝罪に私はどんな顔をしていいのかわからなかった。
彼はいつぞやの様に、私の怪我を修復していく。もうあの頃と違い、魔素を使った自己修復は出来るのだが、私はそれを黙って受け入れた。
体の痛みが癒えると共に、少し落ち着きを取り戻した私は、彼の謝罪の言葉の真意が気になった。
「なに?なんであんたが謝るのよ。私は私の野望のために魔王様を傀儡にしようと術をかけた。それが失敗して当然の報いを受けた。なにかおかしなことでもあるの?」
ベルフェルトの表情にいつもの様な笑みがない。
「君を傷つけるつもりはなかった。」
「はあ?」
何の話をしているのか?意味が分からなかった。
ベルフェルトの表情は変わらない。
「君の存在を教え、仲間に引き込もうとしたのは私の提案だ。君の存在は魔王陛下にとっても多分なメリットがある。幹部として高待遇で迎え入れる算段は整えていたつもりだった。」
ベルフェルトが私の前で膝を折った。それを見て、私は内心取り乱した。あの不遜で自信家のベルフェルトが私に膝を折るなんて…。
「だが誤算が二つあった。一つは君が魔王陛下の支配を望まないこと。これは私が前回失敗したことから生まれた猜疑心によるものだと思っていた。だからこそ、戴冠式で権威と民意を証明して見せることで快く承知してくれるものだと思っていたんだが…。」
ベルフェルトは自嘲するように笑った。
「まさか君があんな昔の約束を叶える為に、ここまで意固地になるとは予想外だった。絶世の美悪魔であることを証明するために、魔王陛下を籠絡しようとはね。」
顔が一気に上気した。もうまともに彼の顔を見ることも出来ない。
心の奥に仕舞い続けてきたものを引っ張り出されて晒される感覚…。公開処刑でしかなかった。
「そ、そうじゃない!そうじゃないって!!」
必死で弁解しようとするが無駄だ。もう、嘘のベールは修復不能なレベルで破かれている。
そんな私を見て一笑した後、ベルフェルトは顔を曇らせた。
「二つ目は…あまりにも誤算だった。君の力が通じないと分かれば、魔王陛下への従順な想いが芽生えるだろうと思っていた。しかし、まさかあれほどまで魔王陛下の怒りを買うことになろうとは…。」
ベルフェルトは私に向けて頭を下げた。
「本当にすまなかった。」
そんなベルフェルトの姿を見て、私は頭の熱が一気に冷めた。
私はソファーからずり落ちる様に床に膝を付いた。
「顔…上げてよ…。アンタのせいじゃないわ。あの方にとって、私がとった手段は…最低で…絶対に許されないものだったんだもの…。それを骨の髄まで思い知らされたわ…。」
本当…比喩にならないぐらいに…。
ベルフェルトは天を仰ぐ。
「魔王陛下は嘘を見抜くユニークスキルを持っています。この事の本質が分かりますか?」
嘘を見抜く?そんなスキルをお持ちだったのなら…私の企みなど早々に看破出来ていたのは頷ける。
だけど、その本質って…?
私が答えを出し損ねているのを見ると、ベルフェルトは口を開いた。
「ユニークスキルはその者の内面を色濃く反映しているものです。想い、願い、喜び、怒り、怯え…。魔王陛下が嘘を見抜くスキルを得ているという事は、逆説で読み解くと…騙される事への圧倒的な恐怖が根源にあるということでしょう。」
それを聞き、私は言葉を失った。
あれほどの絶対的なカリスマを持った支配者の心根に住み着いた恐怖が…騙されることだとは…。
「魔王陛下は転生者。一度死を経験した身。魂に刻まれた傷を逆撫でられたということは、我々には到底理解し得ない感覚だったのだろうと、今ならば思います。あの方は…何よりも信頼を大事にされている。だが、それとは裏腹に内心は常に疑い続けているのです。それは…真名契約を持ってしても変わらない。」
ベルフェルトの目から涙が溢れた。それに続く様に、私の目からも熱いものが零れ落ちた。
「魔王陛下には安心して身を寄せる存在が必要なのです。本当に…気を許せる…そんな仲間が…。」
ベルフェルトがゆっくりと顔を上げる。その顔は今まで見たことがないほど精悍で真摯なものだつた。
「だからこそ、私は魔王陛下に忠実でありたいと願う。志を同じくする幹部一同もまた、同じ気持ちであると信じています。」
私は立ち上がった。
このままでは居られなかった。どうしても…今一度、あの方に御目通りをしなくてはならない!
「ベルフェルト…やっぱりアンタが謝る様なことじゃないわ。私が…私が魔王陛下と決着をつけなければならないのよ!あの方に、本当の意味で私を信じていただくためにも!」
ベルフェルトは立ち上がると、ふっと笑った。
「良い顔をしていますね。今の貴女は絶世の美悪魔と呼ぶに相応しいと私は心から思いますよ。」
それを聞いて、私は顔が一気に熱くなるのを感じた。
「な、なによそれ⁈それって…あのつまり…その…。」
紅潮し、どうしてもその先が口に出して言えない。そんな私を見兼ねて、ベルフェルトは笑みを浮かべた。
「全く、私にそう認めさせたいだなんて…昔のことをよく覚えているものですね。」
はあ?
「私が絶世の美悪魔になった後のことは…?」
「後?なんの話ですか?」
こ、この男!!
パンッ!
「ほんっと!アンタなんて大っ嫌い!!」
私はそう言うと、イライラを露わにしてホールに戻っていった。
彼は張られた頬を抑えながら何かを呟いた。
しかしながら、ホールへの扉を開いた途端に溢れ出した喧騒に紛れ、その言葉は私の耳には届かなかった。
◾️魔王
「聞かせてもらえるか?どこまでが見えているんだ?」
私の問いに対し、ルーネは表情崩さないまま口を開く。
「ここまでのことはあらましに…。この後の未来においてもさしたる変化はございません。」
平然と答えるルーネに対し、《ディバンク》は何の反応も示さない。
嘘はない…か?
自分にさえも疑いの矛先を向けてしまう狭量さに嫌気がさす。
真祖との対談の際にも変わらず発動した以上、信じない道理はないのだが、真祖の冗談には反応を見せなかったことから疑心暗鬼になっているのもまた事実だ。
そんな芯のブレた私の心の内を読み解いた様に、ルーネは微笑んだ。
「不安ですか?運命に身を委ねることは…?」
その言葉を受けて私は即答する。
「ああ、不安だな。運否天賦に身を委ねることも、なるようになれと自暴自棄になることも、占いや宗教に妄信的になることもなかったからな。ある程度、運命は切り拓いて来た自負がある身からすれば、不安でしかないさ。」
話の要は彼女のアルカナスキル No.Ⅹ【運命の輪】 未来予測によるものである。
名前の如く、未来で起こる出来事を知ることが出来る能力である。
どのような形でルーネに未来が見えているのかは不明だが、ルーネは何よりもこのスキルに忠実に生きていることは確かである。
だが、それをアウトプットするのが彼女自身であることから、その虚実を判断出来るのは《ディバンク》のみ。
ルーネは壁に背を預け、冷笑を浮かべた。
「シェブニグラス様は常に最善を尽くして行動される。私は最善の結果に辿り着く様に行動している。結びつく先は同じであると愚考致しますが?」
「今回の件…グラミアを私の配下に迎えるという未来に対して、これが最善だったと?」
言葉尻に怒気が混じる。だが、ルーネはそれを軽く受け流した。
「最善だと断言出来ます。でなければ、貴方は常に彼女に対する猜疑心を持ち続けることになったでしょうから。」
「その為に貴公はグラミアを必要以上に追い込み、私に謀略を強行させた。そこには今回の私の怒りと仕打ちは織り込み済みなのか?」
「ええ。勿論。」
なんの躊躇なく、彼女は即答した。
「シェブニグラス様の怒り。貴方にとっては失態であり、見せたくなかった姿でしょうが、それが貴方をより魅力的に見せることもあるのです。」
「何を馬鹿なこと…。」
一生に伏す私を嘲笑う様に、ルーネは艶やかな笑みを浮かべた。
「是が非か…。もう時期、彼女自らがそれを証明してくださりますよ。」
「シェブニグラス魔王陛下!!」
聞き慣れなれない声に思わず振り返る。
驚いたことに、そこには髪を振り乱し、肩で息をしながらこちらに駆け寄るグラミアの姿があった。
これは意のままか、為すがままか…。ルーネの神算に動揺を禁じ得なかった。
その様子を見るとルーネはふっと笑う。
「それでは、私はこれにて…。」
ルーネはそのまま廊下の奥へと姿を消していった。
それと入れ替わるようにグラミアは私の元まで辿り着くと、すぐさま平伏を始めた。
「何の真似だ?」
頭を下げるグラミアを見下ろしながら発した言葉には侮蔑などではなく、動揺の意味が込められていた。
いったい何があった?
先ほどまでこの女は、一言一挙手一投足に至るまで悪意と敵意と作意に満ちており、不快なまでに絶え間なく《ディバンク》が鳴り響いていた。
しかし今はどうだ?
今私の前に跪く彼女からはその一切を感じない。
たった数分の間に何があったらここまで変われるのだ?
正直、頭の中はパニックだった。
今私に出来ることは、その真意を相手に伝わらないように必死で取り繕うだけだった。
「シェブニグラス魔王陛下…。この度は誠に…。」
「謝罪の言葉を口にする必要はない。そして頭を上げよ。貴公の気持ちは既に痛いほど伝わっている。」
グラミアは戸惑いの中、顔を上げる。その顔は先ほどまでの高慢ちきなものではなかった。
それを見て、私はもう警戒することをやめた。
「寧ろ、頭を下げるべきは私の方だ。客人に対して怒りのままに粛清したとあってはニブルデッドの支配者としてあまりにも行状無頼と言えるだろう。苦しい思いをさせてしまって申し訳なかったな。」
「そ、そんな!!陛下!おやめください!!元々は温情ある陛下に対して刃を向けた私の非でございます!!」
私の謝辞に対して、グラミアは必至に擁護した。その際にも《ディバンク》は発動しない。
「そうか…。お互いに謝罪を受け入れ、互いに蟠りがないというならば、水に流した上で建設的な話をしたいと思うのだが、良いか?」
グラミアの目に光が灯る。
「はい!喜んで!」
間髪入れぬ返事に、思わず笑みが零れた。
「場所を変えよう。ついて来たまえ。」
私がそう言って踵を返すと、グラミアは立ち上がって私の後ろをついて歩いた。
暫く歩いて向かった先はクラブラウンジだった。
当然誰もおらず、真っ暗なラウンジにシャンデリアの明かりを灯す。
高級クラブを模した大理石の壁のフロアにベルベットの絨毯、黒革の張りのソファーが艶美な雰囲気を醸し出す。
「綺麗…。」
グラミアはポツリと呟いていた。
昼間に見たVIPルームとは違った趣が彼女の感性に合っているのだろうか?
グラミアは目を輝かせて、そのラグジュアリーな空間に酔いしれていた。
「そちらのソファーに座りたまえ。」
私は小さな円卓を囲うように2つ並んだソファーの一つを指さした。グラミアはそれを受け、緊張した面持ちで腰を掛ける。
私はプレートローブと王重冠を脱ぎ、収納に放り込んで身軽になると、バーカウンターから一本のブランデーを選び、クリスタルグラス2つを持ってグラミアとは反対のソファーに座った。
そしてグラスにブランデーを注ぐと彼女に差し出す。
「来客用には出していない秘蔵の酒だ。コニャックといって…。ん?」
減ってるな…。かなり…。
私が訝しんでいると、グラミアがクスクスと笑いだした。
「それ…リムジンなる車内でベルフェルトから頂きました。」
それを聞いて流石に苦笑いを浮かべた。
フェルが独学で辿り着いたというブランデー作りの中で最もコニャックに近い貴重な一本…。
それを勝手に持ち出して既に振る舞っていたとは…。
「ふっ…全く…。私の部下は勝手なことをする馬鹿どもばかりだな。」
私は笑みを浮かべながら毒付くと、それを見てグラミアの表情は和らいだ。
小さな円卓にコニャックとグラス、丸氷の入ったアイスバトルを並べる。
「二番煎じになって恰好がつかないが、親愛の情の証だ。受け取って貰えるかな?」
私が差し出したブランデーのグラスを見て、グラミアは目を潤ませていた。その反応から窺える背景については、今更語る必要などあるまい。
「喜んで…頂戴致します。」
そう言うと、彼女は両手でグラスを持ち、口に運んだ。喉を鳴らし、上気した顔から溢れる嘆息は艶めかしくも美しく感じた。
「本当に…美味しいです。」
グラスに浮かぶ氷を見つめながら微笑むグラミアの姿を一瞥すると、私は自分の分をグラスに注ぎ、ソファーに体を預けながら軽く呷る。
「さて、酒の肴に聞かせてもらおうか?ベルフェルトと何を語り、心境の変化に至ったのか…。良ければ、昔の話や近況の話なども聞かせて欲しい。」
「は、はい!喜んで!!魔王陛下からも、どうやって亜人領を併合されたのか武勇伝をお聞きしたいと存じます!」
それから暫く、グラミアと酒を酌み交わしながら互いのこれまでを語り合った。
初めは少しぎこちない様子だったが、酒が入る度に彼女らしさが露わになり、その語りは熱を帯び始める。
「ほんっ…とうに!あの唐変木には頭に来てますわ!!お陰様で私はこの数百年…あの男の言葉に散々振り回されて…。思い出しただけで腑が煮え繰り返る思いですわ!!」
なるほど…。ベルフェルトの奴…肝心なところは覚えていなかったとはな…。彼女の怒りはご尤もでもあるが…むう…。
「ベルフェルトの軽率な態度と発言を擁護するつもりはないが、彼もまた長い年月の中で様々な葛藤と変化もあったのだろうかと思うのだがな…。」
「だ・か・ら!余計に頭に来るのですわ!私だけ…あの日から何も変わってなくて…アイツは自分が信じられるものを見つけて…変わっていってしまったのですから…。」
グラミアは目に涙を溜めたままカウンターに突っ伏した。
私は小さく溜息をついた後、グラスの中に浮かぶ氷を転がしながら見つめていた。
「そうだな、アイツは変わった。私が初めて会った時と今を比べても大きく違う。だが、それは奴が特別なわけではない。フェルも、紅麗尉も嶽閻も初めて会った時と比べれば雲泥の差だ。」
ゾゾは最初からあまり変わらないが…。
「私もそうだ。この世界に降り立ち、まだ一年と満たないが、もし前世の私が今の私を見たとしたら、腰を抜かすだろうな。」
自嘲する私に対して、グラミアは好奇な視線を向ける。
「昔の陛下と比べて、今の陛下どう変わられたのですか?」
その質問の答えを探すべく、私は軽く天を仰いだ。
「そうだな…。本質は何も変わっていないとは思うが、強いていうなら、笑うことが多くなったように思う。」
グラミアがキョトンとした顔でこちらを見る。
「思えば、前世では笑った記憶がまるでない。無尽蔵に金を得て、高層マンションに住み、ブランド品で身を固め、上手い飯を食い、いい女を抱き、世間の尊敬と支持を集めようとも、何も満たされることなどなかった。」
思い返せば…あの頃の私は、何のために生きているのかすらも分からなかった。
全てが偽物に見え、敵に見えた。
そして積み重なる空虚な時間…。
「あの頃と比べて、今の私は何が違うのか…。その答えは図らずしもベルフェルトと同じものだったと言えるだろう。」
「それは一体…?」
私は口元を緩ませた。
「その答えはもうすぐ分かる。」
私の言葉に眉を顰めるグラミアだったが、間もなくして部屋の外が騒がしくなった。
「へ~か~!どこ~!!」
「紅麗尉、お前はもう部屋に戻った方が…。」
「や~だ~!!二次会じゃなきゃ、へ~かと一緒に飲めないでしょうが!!」
「ぎゃははは!!そう来なくっちゃのう!嬢ちゃん!!」
「クレナイ ト フェル ウルサイ」
「ゾゾさん。いざとなったら…ごにょごにょ…。」
「ン ソレ イイカンガエ」
「フフフ。あら?どうやら先客がいるようですね?」
勢いよく扉が開け放たれ、私とグラミアの視線が入り口に向けられる。
そこには幹部たちの姿があった。
嶽閻の背におぶさっている紅麗尉が赤ら顔で大きく手を振る。
「へ~か~!!み~つ~け~た~!!お~い!!」
数メートルの距離にも拘らず大声で呼ぶ紅麗尉の姿に、流石の私も顔を引きつらせざるを得なかった。
「嶽閻、その酔っぱらいは廊下に摘まみ出しておけ。」
「え?あ、いや…その…。」
嶽閻は右往左往しながら不安げな面持ちでフェルを見る。その怯えた子供のような目にフェルは豪快に笑った。
「ありゃあ、旦那流のジョークじゃから気にせんでええ。」
まあ、そうだが…。そこまで快刀乱麻を断つ様に言い切られてしまうと、憮然顔にならざるを得なかった。
「それにしても、なんじゃい!もう旦那達だけで二次会始めとったんか?それなら声くらいかけてもいいじゃろうに、水臭い!」
ケラケラと笑いながらフェルはソファーにドカッと腰かける。
突然現れた幹部達に居心地が悪くなったのか空気を読んだのか、グラミアが席を立った。
「も、申し訳ございません。私、お邪魔ですわよね…。」
その最中にベルフェルトと目が合い、バツが悪そうに顔を背ける。
すると、ベルフェルトが意外そうな顔をこちらに向けた。
「おや?もしかして、まだ幹部の任命をされてなかったのですか?」
「ああ、まだだな。」
それを聞いてフェルまでもが目を丸くする。
「なんじゃと?!一時間もあったのに何をしとったんじゃ?こっちはルーネ殿から新しい幹部の歓迎式を兼ねて二次会じゃと聞いて来たんじゃぞ?」
「え?」
グラミアは思わずルーネに視線を向けるが、ルーネは相変わらず微笑みを浮かべるばかりだった。
戸惑うグラミアの視線が私に向けられた。
「まあ、そうだな。そもそもそのつもりでここに連れてきたのだからな。」
私はバツが悪くなり、目を逸らした。
「魔王陛下…。本当に…。」
グラミアが目に涙を溜めている最中、ルーネはポンっと手を打つ。
「それでは、ここで任命式をされてはいかがでしょうか?」
その一言で、何故だか知らないが煩いのが目を覚ます。
「そ~れすよ!ぱぱ~っとやっちゃいましょうよ~!しんめ~け~やくしちゃえよ~!」
「え~のえ~の!!ほれ!旦那も男ならバシッといかんかい!!」
なんだ?大衆の面前でキスを煽る学生コンパみたいなこのノリは?
「今はオフだ。公的な任命は後日行うとして、暫定的な仮任命という形にはなるが…。」
そう前置きをした後、小さく咳払いをした。
「グラミア=アエーシェマ。我が幹部の一員として、我に忠誠を誓うか?」
私の問いに対し、グラミアは跪拝して応じる。
「我が身にそぐわぬ至上なるお申し出ではございますが、謹んで承ります。我が忠誠は永遠に魔王シェブニグラス陛下に捧げます。」
全く、仮任命だというのに仰々しくしおって…。こいつ…こう見えて真面目か?
と、私の心の内はともかくとして厳粛な雰囲気が流れる中、紅い塊が私の左腕にもたれかかる。
「へ~か~!わたしも、わたしも…へ~かにず~っとついていきますからね~。」
大胆にも腕に纏わりつきながら猫撫で声を上げる紅麗尉に対し、こめかみに血管が浮かんだ。
しかしながら、《ディバンク》が発動しない以上、頭ごなしに怒りをぶつけるわけにもいかない。
故に、別の手段を取ることとした。
「全幹部に命ずる。この紅麗尉の醜態をしかと目に焼き付けよ。それを持ってこやつをいつでも笑いものにすることを赦す。」
「や~!へ~かのいけず~!」
どっと笑いが噴き上がった。
素面に戻った時に紅麗尉がどんな顔をするかが見ものだな。
そんな折、ゾゾが紅麗尉の頭に飛び乗ってきた。
「どうした?ゾゾ?」
私の問いかけには答えず、ゾゾは天井に突かんばかりに膨張すると、大口を開けて紅麗尉を頭から呑み込んだ。
思わず私も飛び退いてしまったが、皆のリアクションは一様に血の気が引いていた。
紅麗尉はゼリー状の空間に突然閉じ込められたことになる。
それにより、一気に目を見開き、喉を掻き毟りながら必死に息をしようと藻掻く。しかしながら、水ならまだしも、スライムの体液の中でまともに呼吸などできるはずがない。
手足をばたつかせながら必死な形相で暴れる紅麗尉を見て、ゾゾはペッと吐き出した。
ドロドロの青い粘液塗れとなり、すっかり酔いの醒めた紅麗尉は咳き込みながら首をもたげる。
酷い有様だ。ドッキリ番組に嵌められた人気女優のように、今何が起きているのかわからずにキョロキョロと辺りを見渡していた。
「え?なになになに?!!なんなのこれ!!アタシ…なんでこんな…?!」
「クレナイ アウト オシオキ」
堪り兼ねず、フェルが腹を抱えて絶倒した。
「ギャハハハハハ!!なんてザマじゃ!全く、美人が形無しじゃのう?」
ベルフェルトとルーネは失笑を、嶽閻は苦笑を浮かべる中、グラミアは顔を引きつらせて愛想笑いをするしかなかった。
先刻、逆に体内に潜られた経験を持つ彼女にとって、同情を禁じ得なかったと思われる。
これはお仕置きとしては効果的だな。
そう思った私はこれ幸いと公言する。
「幹部は心に刻め。公的な場で泥酔したものは即刻【ゾゾの刑に処す】とな。」
「後、勝手にワシの酒を開けたもんも同罪にしてよいかの?」
フェルの言葉に、私とベルフェルトの顔色が一気に変わった。
それを見て、場は笑いに包まれた。魔王の幹部達らしいブラックジョークに満ちたやり取りだ。
そんな中、グラミアが私の隣に座った。
「先ほど、魔王陛下がおっしゃろうとしていたことが分かった様な気がします。」
「ほお?」
私が視線を向けたグラミアは少し寂しそうな横顔だった。
「思い返せば、私にはこれまで一人もいたことがありませんでした。幼い頃から今日に至るまで…ずっと…。私は誰かを支配することしか考えてこなかった…。」
グラミアが顔を上げる。私もつられるように顔を上げた。
視線の先には、紅麗尉を嘲笑し罵倒するフェルとゾゾ。擁護に必死な嶽閻。
そして自らの失態に対して頭から湯気を吹き上げながら両手で顔を覆う紅麗尉の姿。
その様子をカメラに収めようと執拗に紅麗尉に迫るルーネ。
ベルフェルトは着替えと称してまるで罰ゲームの様な服を具現化して並べるという悪ノリに興じていた。
グラミアは目を細める。
「いいものですのね…。仲間というのは…。」
本当にふざけた集まりだ。
だが、不思議と悪い気がしない。
寧ろ心地いい。
「ああ、そうだな。」
暫しの間を置いた後、徐にグラミアが口を開いた。
「あ、あの…魔王陛下…。その…。」
グラミアは歯切れ悪く、視線が定まらずに頬を紅潮させていた。
何を言い出すのか分からんが、彼女の言葉がまとまりを得るのを待つことにした。
「不躾で…その…性懲りもなくとお叱りを受けることを覚悟で、お許し頂きたい義がございます!」
その声の大きさに、紅麗尉の醜態に湧いていた幹部たちが一斉にこちらへと視線を向ける。
その視線の一つであるルーネと視線が交錯した。
なぜかその瞬間、私は嫌な汗をかいて息を呑んだ。
グラミアの言葉を遮るべきか否か悩んだ挙句、それはタイムリミットを迎え、彼女の口から放たれた。
「どうか、魔王陛下をお慕いすることをお許しくださいませ!」
私を含め、幹部たちは皆、石になった。
最悪だ…。最も…なんだ…厄介なことになった…。
なぜだか、再びルーネに視線を向けてしまう。
それに応えるように、ルーネは微笑みを浮かべて私に流し目を送ってくる。
まるで浮気現場でも見られたかの様な…、意味不明、理解不能な焦燥感が私の体を埋め尽くしていったのだった。
第9章 調略と舌戦のInauguration 【完】
第9章 調略と舌戦のInauguration ここに完結です。
家から一歩出た瞬間にナウシカの巨神兵のようになってしまう稲葉白兎です。
いやー…この章は大変でした…。プロットではさらっと「戴冠式を行う」とだけで済むところが、書いてみたら本当に調べ物が多くて困りましたw
戴冠式にはイギリス国王の戴冠式や、レオ法皇の就任ミサを参考にしております。
音楽についても本物のクラシックであったり、建物の参考資料を調べたりと…。なんとか読者の皆さんに文字だけでスケールが伝わる様にと必死でした。
また、お気づきの方もいたと思いますが、この9章からepのタイトルに四字熟語を使う様にしてます。
このルールを作ったことでタイトルを考えるのも一苦労でしたねw
余談ですが、子供の頃、フルメタルパニックが好きでして、小説のタイトルが四字熟語を使ってたことが印象深かったので真似してみました。
なんだか魔王編のダークな印象が一変してラブコメ感が出てきており、特に紅麗尉のキャラクターがかなりヤバいことになっておりますが、10章ではしっかり引き締めてまいりますのでよろしくお願いします。
さあ、それでは次章よりお待ちかね、魔王軍のエルデガルド進出が始まります。
是非、お楽しみくださいませ♪




