〜カタルシスと絶望往還〜
▮グラミア
普段から見る仄暗いバルコニーの景色とは一線を画す美しい景色に、私の心が昂った。
アルカトラズでは真っ黒な海の他には、天井の魔鉱石の輝きしか見られないが、ここからみる景色は違う。
地上を彩る美しい光のオブジェが一面に広がっており、その輝きはまさに私のためのステージのように思えた。
「まあ!なんて美しいのかしら?!こんな美しい景色がこの世にあるなんて…。」
私は本心ではあるものの、敢えて少女のように、大袈裟に振舞った。
権力者はとにかく褒められたい生き物だ。自らが生み出したものを褒め称えられることが至上の喜びのはず。
魔王の視線も光瞬く下界に注がれる。
「確かに美しいが、昼も夜もないこの世界では、この景色も直ぐに見慣れたものとなるだろう。」
あれ?嬉しそうにない?
マスクが邪魔で感情の読み取れない。どこを見ているのかさえ定かではないが、私を見ていないことは確かだ。
なんとか私に視線を向けなければならない。
となれば、作戦の方向性を変える必要がある。
「魔王様…。それは、私のことをおっしゃっているのでしょうか?」
「なに?」
魔王がこちらを向いた。
なるほど、このタイプは過褒ではなく、いじらしさの方が興味を引けるようだ。
「美しい花に囲まれていれば、どの花が美しいのかもわからなくなり、ただそこにあるだけの存在になる。私もまた、そんな路傍の野花と同じということでしょうか?」
正直、気分の悪い自虐だ。「そんなことはない」と言わせるためとはいえ、自己を貶めるのは苛立ちを禁じ得ない。
魔王は小さく溜息をついた。
「そういう意味ではない。作り物の光による造形と、個人の才による輝きを同一化するな。案ずるまでもなく、そなたは非常に美しい。」
思わずほくそ笑んでしまいそうになるのを慌ててはにかんだ表情に作り替えた。
溜息を突かれた時には内心焦ったけども、予想通りの展開になったことで私は気を大きくした。
「それでは、そろそろ聞かせて頂けるかな?」
「え?」
もう一手打ち込もうと口を開きかけた途端、先手を打たれてしまって妙な声を上げてしまった。
魔王は私に向き直り、今一度問うた。
「アエーシェマ公は我らラーヴァクラフトの統治を受け入れるかどうかという話だが。」
当然わかっている。
内心舌打ちする。
正直、もっと私に対して意識を傾けたかったところだが、これ以上回りくどくして怒りを買っては元も子もない。ここは腹を括る。
「是非もないことでございます。魔王様の威厳と力は、先の式に参加した以上、疑いようはありません。当然アルカトラズの領域兼並びに統治権を差し出すつもりです。」
そう告げた後、私の目から一筋の涙が零れ落ちる。
「しかしながら、私にも誓いがございます。亡き母が最期に残してくれた最後の領地。その領民たちと共に、いつかリスティスを復興させたいと今日まで尽力して参りました。」
「その誓い、形は違えど私の手によって叶えてやろう。何か問題があるのか?」
不躾な言い草に自身の心を諫めながら、なんとか平静を保って言葉を続ける。
「魔王様の出現はまさに青天の霹靂。約束を果たせたと領民たちに胸を張って答えられるよう、お力添えをお願いしたく存じます。」
「とどのつまりは見栄のために官職を用意しろということか?だとすれば何を望む?」
むっき~~~~!!!こっちはなんとかオブラートに包んでるってのに!!デリカシーとかないわけ?!!
さすがにこめかみの青筋を隠しきれる自信がなかった私は俯きながら間を取り、感情を整えた。
そして、胸元を見せつけるような艶やかな姿勢を意識しながら、渾身の上目遣いを送る。
「どうか、私を魔王様の妃に迎えてくださいませ。」
「何だと?」
ここだ!!
大罪スキル【色欲】媚眼秋波
私に意識を向けた者に対して、判定を無視して完全に相手を支配する能力。
判定がない為、レベル差やステータス差、耐性を無視する必中の精神攻撃。無効化を持たない限り、このスキルから逃れる術はない。魔王に《精神攻撃無効》がないことは確認済み…。
勝利を確信して笑みが溢れる。これで魔王は私の奴隷も同然…。つまり!ニブルデッドの全土は私の意のまま!!
笑いを堪え切れず、哄笑が喉元まで出かけた。
その時だった!!
「がっ!!!」
魔王の胸元から目にも止まらぬ何かが私の喉を掴み、宙に吊り上げられる。
何が起きたか分からないまま、足をバタつかせながら喉元を拘束するソレを振り解こうと踠く。だが、まるで水を掴むが如く、抵抗は虚しいものだった。
視線を落としたソレは水の腕だった。それがスライムだということは言うまでもなかった。
「グッ…ガッ…!!き…キサマ…!」
魔王の胸元から伸びたソレは少女の顔を成した。確かコイツは…幹部の…!!
「ゾゾ マオウサマ マモル!」
締め上げる力が増していく!
コイツ…首を引きちぎるつもりか⁈
「ま、魔王!…シェブニグラス!!」
魔王は俯いたまま動かない。
「この愚図!!何をやってるの⁈早く私を助けなさい!!この低能モンスターを始末して…!!」
身体を貫くような鈍痛が脳天まで駆け巡る。
突如現れた金属の球体が、私の腹部目掛けて直撃したという事実は、この時は理解出来ていなかった。
失いそうな意識の糸を手繰り、蹲りながらも視線を上げる。
その先には魔王の姿があった。そして、纏うオーラには激しい怒りが垣間見えた。
「やれやれ…この世界に降り立って、ここまで私を不快にさせたのは貴様が初めてだ。」
その物言いに私は血の気が引いた。
そんな!馬鹿な?失敗した⁈なぜ⁈
「私に対する不敬や暴言はまだいいとして、ゾゾに対して低能呼ばわりとは…。色狂いの無能の分際で…。身の程を弁えろ!」
隠す気のなどない激昂に恐怖した私は、何とか逃げ出そうと震える足を踏み出そうとした瞬間、魔王の仮面の下から、かつてない恐怖が向けられた。
「ゾゾ、行け。」
「アイ」
その短いやり取りの直後、ゾゾと呼ばれたスライムが襲いかかる。
悲鳴を上げようとした瞬間だった。
「がぼっ!がぶっ!ゴボゴボゴボッ!!」
苦しい!こ、こいつ!口から…私の体内に!!
口を塞ぐ暇もなく、スライムは私の体内に入り込んだ。吐き出そうとえずくが無為な行動だった。そんな私を見下ろすように、魔王はいつのまにか握られていた杖を私の目の前に叩きつけた。
「ひっ!!」
「これで逃げ出すことは不可能。あまりゾゾの機嫌を損ねるなよ?殺すなとは伝えてあるが、貴様の粗末な尊厳を破壊する程度の事なら許容しているからな。」
魔王のその一言を受けて、私の顔や四肢が風船のように激しく浮腫み、目玉が飛び出すほどに内側から圧迫される。
「や、やめ!お、お赦しください!!魔王様!!」
自分の声ではないようなくぐもった下卑た声や、口から漏れるとめどない噯気に、私は羞恥で頭がどうにかなりそうだった。
「さて、色々と腑に落ちないだろうから貴様の頭でも理解出来るように説明してやろう。グラミア。」
背筋が凍るような一言に、私は恐る恐る視線を上げた。
「貴様の二心など最初から見通していた。会話を続けるのも億劫になるほど、喧しい貴様の悪意には正直霹靂していたよ。よくもまあ、あの様な美談を口から出まかせに宣ったものだ。母が遺した領地がどうのと…。軟禁同然で送られた絶海の孤島に、大層な思い入れを捏造したものだな。」
奥歯が欠ける音がする。
殴り掛かろうと動こうとした瞬間、身体がとてつもない力で地面に押し付けられる。
「貴様の切り札…媚眼秋波。あのスキルで私を術中に嵌めることが貴様の唯一の勝利条件だった。恐ろしいスキルだよ。もし成功していれば、この国は貴様の意のままとなっていただろうな。」
それを聞いてその疑問が再び顔を出した。
「そ、そうよ…。なんで…なんでアンタは術中に落ちなかったのよ!!アンタに精神攻撃を無効化するスキルは無かったはずなのに!!」
ヤケになった私は既に敬語を使わなくなった。どうせ殺されると思えば、逆に怖いものなどなかった。
「そうだな。無効化のスキルは持ち合わせていない。だが、【抵抗】のスキルは偶然ながら取得されていた。」
「はあ?て、【抵抗】?」
魔王は小さく頷く。
「貴様のスキルは判定を無視して効果を発動させる必中のスキル。これはカードゲームでは俗に【切る】という行為に等しい。だが、私の持つ《精神攻撃抵抗》はどのような形であれ、絶対に効果判定が行われるのだ。つまり、媚眼秋波の特異性は失われ、一般的な魅了の魔法と大差ないものになったわけだな。」
愕然とした。確かに、そのスキルは確認していたが、そんな効果だとは思わなかった…。しかし…それでも納得できなかった。
「ふざけないでよ!例えそうだとしても!アタシの方がレベルが高いのよ!キングレギオンですらないアンタに防御判定を成功させる精神力(MID)があるわけないじゃない!!」
私の必死の否定に対して、魔王は不敵に笑う。
「貴様は私のスキルばかり見てステータスは確認していないようだな?なら見てみるがいい。今の私がどれほどのステータスなのかを。」
その言葉に突き動かされるように、《鑑定》を行った。
レベル55…私と10レベル近く差がある。これでステータスが釣り合うわけが…。
「えっ?」
目を疑った。ステータスが軒並み10,000を超えている。こんなバカなことが…!!
「私はあるスキルによってステータスが軒並み5000以上上昇している。そして、貴様が声をかけてくる前から、バフは常に掛け続けていた。結果、貴様のステータスを超えることに成功した。そうなれば後は意思だけの問題…。」
魔王を包み込むオーラが再び怒りを纏う。
それを見るだけで私は目を戦慄かせ、恐怖した。
「私は色で相手の心を惑わし、意のままに出来ると勘違いしている輩が嫌いでね。反吐が出る。前世から今に至るまで、それは変わらない。」
魔王の怒りに呼応するかのように、私の体内に入り込んだスライムが暴れる。
その度に内臓を掻き回される表現しがたい苦痛と激しい不快感に襲われ、嘔吐した。
「こんな話をしようか?かつて私に言い寄ってきた女がいたよ。高級クラブの一番人気ホステス。店を辞めて私と一緒になりたいと言ってきた。忌みじくも貴様に非常に似ているまさに傾国傾城、絶世の美女であったよ。」
魔王からは感情を感じない。ただ淡々と言葉を続けた。
「囃し立てる周囲の後押しから、まんざらでもないと感じ始めた頃だったよ。その女は一帯を仕切る闇組織のボスの愛人だったと知った。別に一晩も共にしたことはないのだがね。婚約という言葉が飛び交うだけで情事を疑われ、私は組織に暴行を受けた末に監禁されたよ。」
魔王は自嘲気味に笑う。
「どうやら私を囲い込みたかった様でね。筋者の焼き印を入れられ、タマまで抜かれた挙句に組織子飼いの弁護士として働かされた。社会のクズどもを擁護し、哀れな被害者達に恨まれる日々が続く中で、私の中の倫理観と正義感は音を立てて崩れていったよ。」
この話の背景は全く分からないが、激しい魔王の怒りに触れ、私の心の中に別の感情が湧き上がってきていた。
「組織の犬として悪徳弁護士のレッテルを貼られて間もなく、組織との関連が明るみになり、組共々豚箱行きになった。順風満帆なファミリーを築いていた私が、一人の女のために輝かしい経歴を穢され、闇に堕ちたのだ。」
「ひっ!!」
魔王の歪なガントレットの指が私の顎を掴む。眼前に迫る無貌の仮面から放たれる憎悪に私は顔面を崩して涙した。
「当然だが、出所した私はその女を赦す気等なかったよ。いくら貰ったかは知らないが、裕福な暮らしを送るあの阿婆擦れに、飢えた餓鬼共を嗾けて徹底的に壊した挙句、社会の底辺に沈めてやった。」
魔王の顔が涙でくしゃくしゃの私に近づく。
「貴様も同じ末路にしてやろうか?」
「ひっ…!い…いや…いや…。」
もう錯乱状態だった。
私はこの方の逆鱗に触れた。
最も忌み嫌い、嫌悪する原点の感情を表に引き出してしまった。
ごめんなさい…。ごめんなさい…。
幼い子供の声が聞こえる。
この声は…私だ…。私の声だ。
そうだ…私は以前…毎日のように許しを請うていた。
ーーー
▮グラミア
鋭い鞭の音が走る。
「この程度の魔力も使いこなせぬのか?!この出来損ないが!!」
「ひっ!!」
屋敷の一室に響き渡る母の罵声に、私は身を小さくして蹲る。
生まれて間もなく、私は母の手によって魔力の扱いの手ほどきを受けていた。
偉大なる大悪魔である母の魔核から生まれた私に、だれもが大きな期待をかけていたが、生まれたのは脆弱な幼魔だった。
魔族は成体で生まれてくるのが常であり、幼魔は俗に未熟児と呼ばれていたのである。
母とは似ても似つかぬ平凡な魔力。不安定な魔法。母は愕然としながらも初めこそ成長に僅かな期待をかけてくれていた。
しかし、何年時間をかけても、私の魔力が成長することはなかった。
指導は徐々に体罰へと変わり、心と体に恐怖を刷り込まれる毎日が続いた。落胆の視線を向ける母に対して、私は必死に赦しを請うた。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。お母様…。」
母の目が怒りに染まり、小さな体は蹴り飛ばされて、血反吐を吐きながら宙に舞った。
「キサマに母と呼ばれるなど虫唾が走るわ!!」
魔力を上手く扱えない私は、体中の擦過と腫脹、火傷、鞭痕を消すことが出来ず、服もボロボロのままだった。
そんな私に周りから向けられる蔑みの目と嘲笑。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。」
母の期待に応えられない自分を責め、常に母に赦しを請う毎日。
次第に存在の認知をすらされず、母から完全に見限られた。
ここに在るのに、誰の中にも私は在ない。
屋敷で働く使用人すらも、誰も私に声をかけることも視線を送ることもなくなった。
私が屋敷を抜け出しても、母は誰一人として追っ手を差し向けることさえなかった。
どうでもいいと思われること…。
まだ鞭を振るわれながらも、魔力の使い方を教わっていた頃の方が幸せだったと思えた。
あてもなく彷徨い、私はガラテアの領内に足を踏み入れた。
この町なら、誰か私を見てくれるのではないかという淡い期待はあっけなく裏切られた。
小汚い姿で町を挙動不審に歩く私は、侯爵の子息連中に目を付けられ、殴られ、蹴られ、詰られ、甚振られた。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…!」
謝ることしか出来ない私は、涙を流して赦しを請うが、彼らは止めない。
「おい、知ってるか?この町では下賤の者は服を着ちゃいけない決まりなんだぜ?」
そう下卑た顔で言うと、恐怖で歪む私の衣服を剥ぎ取ろうと手を伸ばした。悲鳴を上げるが、街行く人たちは皆好奇の目で傍観する。
だが突如、体を押さえつける手の力がなくなった。
直後、悲鳴が上がる。
「ギィヤアアアアアアア!!!」
振り返ると、私を押さえつけていた男の両手がなくなっており、黒い蒸気を吹き上げていた。
子息たちが振り返ると、ピエロのような奇抜な格好をした悪魔が近づいてきていた。
「低俗な真似してんじゃねぇよ。お家柄が泣くぜ?坊ちゃん達。」
その言葉に怒り狂った子息は彼に襲い掛かるが、子息の戦意はいきなり砕かれることになる。
子息の体は前触れもなく宙へと吊り上げられ、驚嘆の声を上げる間もなく、あらゆる動きと魔力が封じられた。
そして、彼がタクトを振るうように指を動かすだけで、子息の体中を見えない無数の衝撃が超高速で走り、子息の体は空中で踊り狂った。
彼は欠伸を一つすると、ぼろ雑巾の様になった子息を宙から解放し、怯えた群衆の真ん中に投げ捨てた。
茫然とする私に彼は近づくと、私の手を引いて街を出ていく。
背後からは騒然とする中で、取り巻き達の負け犬の遠吠えが投げかけられるが、彼は全く意に介することはなかった。
私は彼の端正な横顔を仰ぎ見ると同時に、様々な感情が蠢いた。
ああ、そう。忘れもしない。
この時、私はこう思ったのだ。
なんて素敵な人なんだろう…と。
彼はベルフェルトと名乗った。
何故こんな奇抜な格好をしているのかと問うと、彼は笑いながら言った。
「家柄だけの無能な奴らを甚振って憂さ晴らししてるんだよ。」
正直唖然とした。
そして、同時に羨ましく思った。
たとえ家柄が悪くても、強い魔力に恵まれれば何も恐れるものなどないということを改めて知り、堪らなく悔しかった。
私はアエーシェマ公の娘であることを彼に話し、魔力を上手く使うことが出来ない幼魔であることを打ち明けた。
それを聞いた彼は、「ほう…。」と声を上げると、私の顎を掴み、まじまじと顔を近づけてねめ回した。
私はそれが気恥ずかしくて目を背ける。
しばらくして彼は手を放すと、あっけらかんと言い放った。
「力は支配だ。魔力がないなら別の力を磨け。その力をもってすれば、お前も支配する立場になれる。」
そう言われたが、私は俯いた。
「私には何の力もない…。」
「そんなことはない。」
彼の言葉に私は顔を上げた。
「確かに魔力は低級魔族以下のポンコツだが、アエーシェマ公の娘というのは伊達じゃない。お前の顔や漂う色香はいつしか【魅力】という力を与えてくれるさ。その力が花咲いた時、お前は絶世の美悪魔として陰で権力を握る大悪魔になっているだろうよ。」
彼の言葉に私は茫然とした。
今まで、私は自分が美しいなんて思わなかった。だが、彼の魔力によって怪我を直してもらい、美しく着飾った自分を改めてみた時、私は言葉を失った。
ああ…。私はなんて美しいのだろうか…。誰よりも…お母様よりも…私は美しい。
そう思った時、私は鬱屈とした気分から解放された。世界が明るく見え、陰気な性格が塗り替えられた。
「ねえ、ベルフェルト。もし、私があなたの言うような絶世の美悪魔になったのならば、あなたは私のものになってくれるのかしら?」
ベルフェルトは意地悪そうに笑った。
「ああ、そうなってたら俺がお前を守ってやるよ。」
今思い返せば吐き気を催す様な記憶…。
だが、それが私を大きく変えた。
何食わぬ顔で堂々とリスティスに戻った私を、屋敷の者達は訝しんだ顔で見る。
母も同様だったが、相変わらず無視し続けた。
以後、私は美を追求した。
服、メイク、アクセサリー、香水…。
攻撃的な魔法は全く上手く出来なかった私だったが、美に関するアイテムだけはしっかり《魔力錬成》に成功していた。
身体も成長し、魅惑的な肉体を手に入れた頃、リスティス内での私の評価は変わった。
見た目は魔力錬成で変えることは出来るが、固定化はユニークスキルがない限りは不可能だ。
つまり、美貌は生まれながらの才能だったのだ。
男達の好意ある視線と、女達の羨望を一身に集め、私に傅く者達も現れ始めた。
そして私は、ユニークスキル 媚眼秋波を獲得するに至った。
その変化に、母も驚愕を禁じ得ず、私への評価を改め始め、遂には私を社交の場に同伴させた。魔貴族達に私の美貌を自慢する母を見て、私はようやく生まれてきたことを誇れるようになった。
そしてあの日、約束した記憶が甦る。
「ベルフェルト…。今ならあの人に誇れる美悪魔になれているかしら…?」
この日から私は彼の足取りを追い始めた。
ガラテアの筆頭、ベヘモス公爵を殺害してガラテアを壊滅させた後、彼は行方知れずになっていた。
私は母に彼の捜索を提案し、その行方は暫く闇の中だった。
そして、ようやく彼の目撃情報を得て、喜び勇んで彼の元へ向かった。
だが、愕然とした。
彼の側には脆弱な小悪魔が侍り、私には見せたことのない顔で楽しげに笑う彼の姿があった。
私は頭が真っ白になり、そのままその場を去った。幼魔のような小娘と一緒にいる彼の姿が、当時の私と重なる。
あの小娘が私が座るべき椅子を奪った…。そう感じた瞬間、小娘に対する嫉妬は勿論のこと、ベルフェルトに対する怒りが沸々と湧き上がった。
ああ…あの時私を助けたのは幼女趣味だったからか…と幻滅した。
初恋の終わりに傷心した私は、リスティスの屋敷の自室で暫く塞ぎ込んだ。
正直立ち直れたのかと言えば口籠ってしまう。彼を敢えて卑下して憎まれ口の一つでも叩きたくなるのは、彼に対する想いを目覚めさせない為だったのではないかと、今ならば思うのだ。
そして、私が塞ぎ込んでいる間に、また私の椅子を奪う者が現れていた。
ルーネ=アドマリスである。
真祖様からの使者として、巨大な後ろ盾を得たかった母は彼女を大きく取り立てた。
あの尊大な母がルーネ様の機嫌を取る姿…。それは側から見て、言いなりにも見えるものだった。
そして、その矛先は突如として私に向けられた。
ベルフェルトは魔王を担ぎ上げ、共にこのリスティスの覇権を狙っている。そんなベルフェルトの捜索をしていた私が彼らを手引きをしていると容疑をかけたのだ。
私は不穏分子として排除すべきであるという進言に対し、母は快諾してしまったのである。
その時ほど、愕然としたことはなかった。どんな言葉も母には届かず、私はアルカトラズに流された。
この島には母が固有結界を張り、異界と化していたため、私の脆弱な魔法では脱出不可能なものとなっていた。
自分以外誰も存在しない絶海の孤島での孤独な生活は、私を再び絶望の底へ叩き落とされた。
美の概念も薄れ、気高い魂すらも失われつつあった私だったが、ある日捻じ曲げられた空間を見つけることになった。
この絶望的な状況から脱出したかった私は、後先を考えずにその空間に身を委ねた。
目を覚ましたその場所で真っ先に感じたことは、魔素がほとんど感じられないということだった。
「ここ…まさか…エルデガルド?」
驚愕した。
眩しいほどの光、新緑の木々、肌を薙ぐ風、生き物の香り…。
何もかもがニブルデッドとは違った。
この新天地は私の人生を三度変えることとなった。
ニブルデッドでは脆弱な私の魔力だったが、この世界ではまず魔法をまともに使える者がいなかった。そんなレベルの国家ならば、人間に扮して実権を握ることは容易かった。
そうして法国を内部から侵食することで私の壊された自尊心は立ち直っていった。
しかしながら、魔素の薄いエルデガルドで居続けることは出来ず、定期的にアルカトラズに戻る生活を余儀なくされることとなった。
そうして戻った時、島に貼られている固有結界が消えていることに気づいた。
程なくして知る事になる。
母が死んだことを…。
そして魔族が滅びているという現状を…。
私の内には悲哀よりも先に歓喜が溢れた。
エルデガルドだけでなく、このニブルデッドでも私は一番になれる!もう誰にも怯える事はないし、全て私の下僕とした新たな魔族の王国を作るという野心が芽生えた。
その時、私の中で新たな力が芽生えることとなる。
それは媚眼秋波と同様に生まれたユニークスキルだった。
No.Ⅲ【女帝】のアルカナスキル 慈母胎動
この力を使い、私は覇者への階段を一つづつ登っていたはずだった。
朽ちた監獄しかないアルカトラズを屋敷を建て、私に忠実な魔人を100人近く作り出すことが出来た。
遂にはユニークスキルを発現させた成功作まで生まれ、私が支配者となる未来は目前まで来ていたはずだったのだ…。
それが…この世界に現れて一年も満たない一人の天才によって、無惨にも打ち砕かれてしまった。
私が積み上げ、作り上げて来た城は砂上の楼閣であり、改めて私は自分が凡人である事を思い知った。
ベルフェルトは言っていた。
百万年に一人の逸材だと…。
三度挫かれた私の野心は、完全にへし折れることになり、膝と突き、頭を垂れるしかなかった。
圧倒的な恐怖…そしてそれが他者を寄せ付けぬカリスマとなったこの方を律するのは、私には不可能であると悟ったのだった。




