〜相見える二人の聖女〜
▮
石造りの廊下をコツコツと鳴らしながら歩く音が響く。
ここはカテドラルの地下2階。
外界から隔離されて久しく、日の光など全く当たらず、染み出した地下水によるかび臭さが充満し、腐敗臭も相まってそれだけで誰もが顔を顰めるだろう。こんな場所を好むのは不快害虫や鼠ぐらいであろう。
ここはルネリオスにおける懲罰牢。
この場所に入れられるのは、犯罪者というよりも官僚である場合が多い。内輪だけで懲罰を与え、外部への風評被害は抑えるといった目的であるため、この場所に入れられるものの詳細は世間に明るみに出ることはない。
この場所にも看守はおらず、地下1階を巡回するテンプルナイトが地下2階へ降りる階段への格子扉を確認だけはするものの、階下にまで降りてチェックすることはしない。
そんな場所に、一人の男が訪れた。
男はよたよたと頼りない足取りで階段を降りた。部屋に充満する鬱屈とした瘴気に充てられながらも、顔色一つ変えず、一つの独房まで歩みを進める。
今のこの懲罰牢に入れられているのは一名だけ。男は鉄の檻の中で足を抱えて蹲る一人の男に声をかけた。
「フォルケル…聞こえるか…フォルケル=エルトルード近衛騎士団長よ。」
男の声に、フォルケルと呼ばれた男はゆっくりと顔をあげ、虚ろな目を向ける。
フォルケルがこの場所に入れられたのは三日前。リヴァイアが初めてルネリオスに来た時からである。
たった三日だというのに、その様相は変わり果てていた。頬はこけ、隆々とした筋肉は力を失い、薄汚い出で立ちは物乞いの類と遜色がなかった。
あまりの精神的ショックによる影響は、時の流れをまるで10倍近くは早めたかのように、フォルケルを見るも無残な姿にしてしまっていた。
男は汚水で汚れた石畳の上に座し、目の焦点が合わないフォルケルと向かい合った。
「わしは…皆を豊かにしたかった…。」
ポツリと呟いた男の一言に、フォルケルは反応を示さない。だが、構わず男は続ける。
「お前は…知っておるはずだ…。先代の枢機卿時代…この地は貧しかった。清廉潔白な先代の行う政策は何も生み出さない。民を無垢にし無知にするだけで、民と共に権力者たちも貧しくなる。そんな生き方が、本当に人にとっての幸福と言えるのか…。当然、そうした生き方に満足できない者たちが、裏で派閥を作り、賄賂や横領が始まり、国は土台から腐って滅びる。そういうものだ…。」
フォルケルに大きな変化はない。
「だからこそ、わしは人間の闇を肯定した。ボルフ達神官省のような者達を懐柔し、その横暴を認める代わりに服従を誓わせた。神官省が不当に金をため込まぬように、闇の宴を催し、そこで回収した金を法王庁の運営に回すことで、ルネリオスの経済を循環させた。奴隷売買も、闇オークションも風俗も剣闘士による殺し合いも…すべてオルフェリアの教えでは禁止されているものであったが、法王庁の運営を行う上でもわしには必要なものだった…。」
男は大きなため息をつく。
「そのために闇組織と手を結び、魔性の森を密かに抜け、亜人を捕獲するルートを作り、バラッカスの金竜への仕打ちを強め、よりこのルネリオスに金が集まる仕組みを作り上げた。善行のプロパガンダは騎士団に任せ、神官省の悪行は全て民に換金する。それが私のルネリオスだったのだ。お前がいくら私を否定しようと、綺麗事で政治は出来ん。私は間違ってはいない…。」
そう言いながらも、男の拳は血が出るほど固く握りしめられ、目からは涙が零れ出していた。
「だが、私は気付いた。確かに私は悪だろう。オルフェリアの信者を束ねる長として、あるまじき男であることは自負している。しかし、この世には想像をはるかに超える邪悪な存在がいることを知った。今ルネリオスの町をあの女がバラ撒いた病魔によって無差別な虐殺に遭っている。あれは、人の形を以て人を仇名し、人を滅ぼす。しかもその理由が小さな自尊心を守るためだけだ…。」
男は牢の鍵を開け始める。
ほどなくして、小さな金切り音を上げて、牢の扉が開け放たれた。
「わしはもう長くはない。いや、長く生かされないといった方がいいか…。貴様が先代のような潔癖の統治を望むのであれば、それもよかろう。どうか、ルネリオスの民を救い、導いてやってほしい…。どうか…あの毒婦から民を守ってくれ。」
男はフォルケルに向けて頭を下げた。それを見て、フォルケルが体を震わせた。動こうと意識はするが、硬直した体が言うことを利かない。そのような様子が伺えた。そして、フォルケルの口が僅かに動き、言葉にならない声を発した。
「あ…う…あ…。」
男は優しげな笑みを浮かべる。
「そうだ…フォルケルよ。貴様が敬愛し続けてきた聖女だが、どうやらこのルネリオスにいるらしい。あのあばずれの事ではないぞ?本物の聖女だ。わしはあったことがないが、話に聞くと…一目でわかる神々しさだということだ。」
その言葉に、フォルケルの瞳に光が宿った。フォルケルはまだ足に力が入らず、潰れて久しい喉を奮い立たせた。
「あ…ああ…ありが…とう…ご…ござ…います!ありがとう…ございます…!」
男の目が細くなり、目尻が大きく下がった。
そして、身に付けていた自らの法衣をフォルケルに被せた。
「通路の奥に隠し階段がある。そこから裏の墓地に出られる造りだ。歩けるようになったのなら、そこから脱出するのだ。」
そのまま泣き崩れるフォルケルの肩を、男は優しく叩いたのだった。
その後、暫くしてリヴァイアの手のものが一人の男を不信に思い、捕まえることとなる。
男はそのままリヴァイア直々に拷問されることとなり、その末路は皆の知る通りである。
▮
ルネリオスの町を黒い影が無尽蔵に駆け巡る。
ゴルドラの放った竜波動を引き金に、周囲を取り囲んでいたシェゾ達が一斉に飛び出してきたのだ。
一撃でもダメージを与えれば勝ちとはいえ、キングレギオンが1000体以上というのはほとんど悪夢と言える。
事実、ゴルドラ以外ではハイレンが一対一でならば勝てるものの、多勢ともなれば勝ち目はない。
勇者とレダの二人に関してはその勝負の行方は見えているとさえ言える。その他聖騎士団も同様である。
シェゾからしてみれば、ゴルドラ一人で全てを守り切れるはずがなく、必ず綻びが生まれる。そこを潜り抜ければ、アリーの首を取れる。そう考えていたことは間違いなかった。
だが、竜波動によって巻き起こされた粉塵が晴れた時、シェゾは目を疑った。
アリー達を取り囲んでいた聖騎士団達が、金色に輝く格子状の掩体壕によって守られていたからである。
シェゾは舌打ちをする。
「これもあの金竜の能力か…!」
何人かのシェゾが攻撃を仕掛けるものの、掩体壕はビクともしない。代わりに、中の騎士団からはボーガンの矢が一斉に発射され、何人かがそれによってかすり傷を負い、デコイが解除された。
逆に格子の隙間を狙ってナイフの遠投や爆炎のルーンを投げ込もうとするものの、何故か外からの攻撃は通さない。もはや鉄壁の守りと言える。
主目的であるアリーを始末するためにはゴルドラを倒す必要があることを理解し、意識をゴルドラ達迎撃部隊に意識を向けた時だった。
シェゾは再び違和感を感じる。
「やつらは…一体どこに…。」
ゴルドラ以外の三名の姿がないのである。
こちらを迎撃するでもなく、ただ忽然と姿を消した三名の行方を捜すため、辺りを見渡した結果、カテドラルに向かって全速力で走り抜ける三名を発見した。
勇者達は竜波動の衝撃波を追いかけるようにしてシェゾの包囲から抜け出したのである。そして彼らがカテドラルへの向かう理由はただ一つ…。
「させない…。」
何人かのシェゾが踵を返そうとした時、突如として彼らの頭や体が破壊された。
まき散らした肉片と共にただの死体に戻るデコイを見て、シェゾは今一度ゴルドラに視線を向ける。
そこには、金色の機銃を胸の前に構えたゴルドラの姿があった。
「ロアさんからこういう武器があるって学びましたからね。試し打ちさせてもらいますよ!」
ドゥルルルルルルルル!!
激しい発射音を響かせながら、金色の弾丸が中空にばら撒かれる。そのスピードと破壊力にはシェゾも完全に躱し切れず、何十人かを打ち落とすことに成功した。
背を向ければ打ち抜かれることを察したシェゾは三人を追うことを諦め、ゴルドラにだけ注力することを決めた。
百人近いシェゾが一斉にゴルドラに迫る。ゴルドラは金色の鎖の先に繋がれた棘付きの鉄球を具現化する。
「破竜頭鞭」
振り抜いた一撃はまさに竜が飛びかかるが如く、無数の乱打はゴルドラの周囲10mを破壊の嵐で包み込んだ。
まるで災害を目の当たりにしているかのような錯覚に陥り、シェゾの中に恐れと迷いが過ぎった。
数で圧倒しているとはいえ、ゴルドラに対して有効な手段がなく、このまま悪戯にデコイを消耗していくことへの疑問である。
しかし、最優先事項であるアリーがそこにいる以上、この場から撤退は出来ない。撤退すれば、アリーは外へ避難することとなり、下手をすれば行方を追うことが出来なくなる可能性がある。そうなれば事実上敗北である。
しかし、カテドラルに向かった三名がリヴァイアを狙っていることもまた必然。だとすればリヴァイアの警護に戻ることが最優先なのではないか。
そうした自問自答により、シェゾ達は動きを止めていた。
それを見て、ゴルドラは笑みを浮かべた。
「その能力、与えられる命令は一つだけのようですね。」
ゴルドラの言葉に、シェゾは眉を顰める。
「何体デコイを作り出そうが、複数の命令を同時にこなすことは出来ない。私と戦う部隊とマスター達を追う部隊に分けることが出来ないのがその証拠。挙句、どちらを優先すべきかの躊躇いがデコイ全体の動きを止めている。そうでしょう?」
シェゾは何も答えない。
ただじりじりと、ゴルドラを包囲するように駒を進めていた。だが、ゴルドラはそんなことなど意にも留めない。
「だから選んでください。このまま私に向かい続けて全滅するか、私に背を追われて全滅するか…。まあ、どちらを選ぶかは明らかですが…。」
シェゾはその言葉に疑問を浮かべた。金色の掩体壕に目を向ける。
(そういえば、さっきから全く音沙汰がない…。まさか!!)
掩体壕に最も近いシェゾが中を覗くと、そこは既にもぬけの殻だった。シェゾは完全に出し抜かれたことを知った。
「リーヴァ様!!!」
シェゾの口から発せられたとは思えない大声を上げ、一斉にカテドラルへ帰還を始めた。
それを見てゴルドラは冷笑を浮かべ、両の手に金色の弓と矢を具現化する。
矢を引き絞ると、シェゾ達の上空に向けて狙いを定めた。
「群竜弩弓!!」
ゴルドラの右手から放たれた矢は上空に打ち上げられると、まるで無数の流星群のように飛来した。シェゾが体を捩ろうとも躱そうとも全て追尾して打ち抜き、一瞬にして1000体の骸の山を築いたのだった。
遠くからそれを見た人々は、空を駆ける無数の光を神々しいと崇めたが、それによって狙われ、脅かされるものからすれば目を背けたくなるような悪夢のような一撃だった。
カテドラル上階でそれを見てしまったリヴァイアは、ここに来て初めて恐怖を覚えた。
自分が狩られる側の鼠だと理解したリヴァイアはガタガタと肩を震わせ始める。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ噓だ噓だ噓だ!!!こんな悪夢があっていいはずがない!そうでしょ?!シェゾ!!」
「…はい。」
シェゾの声がどこからともなく聞こえる。
リヴァイアの動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。自分の胸を掴み、そのまま煩い心臓の音を止めてやりたくなる。
「お母様…大丈夫よね?お母様?!そうよね?!…だって、リーヴァは特別だもの…。リーヴァは強い…。リーヴァは賢い…!リーヴァはうつく…。」
『醜い…。』
どこからともなく聞こえたその声に、リーヴァは言葉を失い、辺りを見渡す。
…誰もいない。
リーヴァの呼吸はさらに荒くなり、過呼吸のように擦り切れた呼吸に変わった頃には膝をつき、目が血走っていた。
「証明しなきゃならない…リーヴァが本物の聖女だって…。だってリーヴァは聖母マリステラの娘なんだから!!そうでしょ!!シェゾ?!」
リヴァイアの呼びかけに答えるように、いつの間にかシェゾが彼女の傍らに寄り添うように現れた。
シェゾの姿を見て、顔が綻びかけたその時、下界が一段と騒がしくなった。
リヴァイアはテラスから下界を覗き込む。
そこには、60名余りの聖騎士団が貴族階層の住居を巡り、口々に避難を呼びかけていた。
そして、その中心にいた人物に、リヴァイアは目を奪われる。
「いた…アイツだ…間違いない。」
目元の刻印もさながら、一目で察することが出来た。彼女が本物の聖女アリアデルであるということが。
リヴァイアは憎悪に顔を歪めると一変し、邪悪な笑みを浮かべた。
「なんて…なんて愛らしい顔なのかしら…。あれ…あれよ…!民衆が求めてやまない聖女は絶世の美女なんかじゃない!親しみやすく、優し気で愛らしいあの顔が…。そうよ!!あれが本当のリーヴァなのよ!!そうでしょ!!シェゾ?!」
シェゾは敬服しながら頷いた。
リヴァイアは口元から零れ出る涎さえも拭き取ることなく、部屋を後にした。
そして、廊下で偶然に神官の男と出くわし、男は慌てて跪礼する。
「ご、ご報告します!!聖騎士団が造反!みすぼらしい女を本物の聖女だと狂言を振りまき、貴族階級の市民を誑かしております!!」
それを聞き、リヴァイアは満面の笑みを男に向けた。
「皆さんを大聖堂にお連れしなさい。私が直接お話をお聞きし、対応します。他のものは外の警備に努めなさい。決して、誰も中に入れないように…。」
思わぬリヴァイアの指示に、神官の男は困惑する。
「で、ですが!聖女様の身に何かあっては…。」
男はそこで言葉を呑む。優しい笑顔を浮かべるリヴァイアの側に立つシェゾの視線から注がれる殺気に、これ以上の提言は身を亡ぼすと告げられたような気がしたからである。
「た、直ちに仰せのままに!!」
男はそう言うと、足早にその場を去った。
リヴァイアの顔からすぐに笑みが消える。
「シェゾ…適当に何人か補充しときなさい。時間がないわよ。」
「御意…。」
そう言うと、シェゾはその場から霧のように消えた。
リヴァイアは大聖堂へと足を進める。自身の未来を決定づける瞬間に、不安と恐怖、すべて織り込み済みな上で、笑っていた。
▮
勇者達は神官の一人に、大聖堂へと案内を受ける。
正直、勇者にとってこの状況は予想外だが、ここまでの展開は想定通りに事が進んでいた。
勇者は《超鑑定》によって、隷属屍鬼の弱点を看破していた。
シェゾに任務か護衛かの二択を迫り、任務を選ばせた。これは意外でも何でもなかった。シェゾはその気になれば、いつでも護衛に戻ることが出来るのだ。その証拠に、あの大軍勢の中にすらシェゾの本体はいなかったのだから。
シェゾの本体はどんな時でもリヴァイアの側にいる。それが推測ではなく確定事項であると判断し、この二択を迫った。
例えカテドラルに侵入されたとしても勇者達三人ならば問題はないという驕りもあっただろう。むしろゴルドラを遠く引き付けておきたいという思惑が生じるかもしれないという読みもあった。
だが、シェゾにとって勇者達三人がカテドラルに来ることは問題ではなかった。問題なのは聖女アリーの存在である。
彼女がカテドラルに踏み入ることは話が違って来る。あっという間に聖騎士団や下級市民達の信仰を一挙に集めたアリーがカテドラルに入ることは、貴族階級の中でも信仰心が強い者達までもを取り込む可能性があった。
そうなれば、リヴァイアを偽聖女として弾圧する力はルネリオス全域に広がることとなり、ただのでっち上げでは済まされなくなるのだ。
その畏れていたことが、戦闘中に出し抜かれる形で行われてしまったことに、シェゾは思わず動転せざるを得なかったといえる。
掩体壕の中で、ノアは静かに転移門を展開していた。ロアならば瞬時に発動できるこの転移門だが、ノアには些か荷が重い。心層にいるロアからMPを借りてようやく実現させているのだから。
転移先についてもどこでもというわけにはいかない。勇者の近くという条件付きだ。
だからこそ、勇者はアリーと聖騎士団をカテドラルに一斉送還するために、脇目もふらずカテドラルを目指す必要があったのである。
こうして、聖騎士団60余名、団長のハイレン=ローデンスという後ろ盾を擁してアリーはカテドラルに聖女として足を踏み入れることが出来たのである。
ここまでが勇者の計画の全貌であったが、この先についてはリヴァイアの出方次第だった。
町中に病魔をバラ撒く様な毒婦が、この盤面でどのような一手を打ってくるのか、それは勇者にも皆目見当がつかなかったのである。
そしてそんな相手が取った対応が、まさかの謁見に応じるというものだったことに驚きを隠せない。
当然、罠であることは疑いようもない。
だが、リヴァイアが友好的な対応をしているにも関わらず、強硬な手段をこちら側が取ることが出来ないのもまた事実であった。
まだどこにも、リヴァイアが今回の事件の首謀者であるという証拠はないのだから。
カテドラルに入る前に、勇者はノアにヴィクニスの回収をさせた。
ハイレンの取り乱し方を見れば、カテドラル内でヴィクニスを左肩に連れたままでは悪い印象は避けられない。当然レダのヴィクニスもまとめて魔素に帰した。
豪華絢爛な長い回廊を抜け、巨大な門が勇者たちを待ち構えていた。
門の前には憲兵が二名立っており、勇者達が来るや否や、扉に備えられているカップ状の通話機で彼らの到来を室内へと伝えた。
そして、了解を得たのか、徐に扉が開かれる。
大理石で覆われた圧倒的に荘厳の空間。
線対象に配置された柱の一つ一つにゴシック調の彫刻が施されており、10mはあろうかという高い天井に描かれた天井絵は、迫りくるような迫力が感じられた。ステンドグラスから差し込む太陽の光はもう西に傾きつつあり、室内を煌びやかに彩った。
そして、サッカー場とでも見間違えるような広さに敷かれた赤いカーペットが続く先に、数段の階段を経て玉座があり、そこに鎮座する人影が見えた。
勇者達や聖騎士団も全員が大聖堂に入ると、扉は勢いよく閉められた。
それは予想通りではあるものの、皆が抱える緊張の高まりは隠し切れない。
そんな中、アリーは先陣を切ってカーペットを歩く。
それに付き従うようにハイレン達聖騎士団が続いた。勇者もまた、ハイレンと足並みを揃える形で、歩を進める。
嫌な汗が滴り落ちる異常な緊張感の中、玉座に座するものの存在を目で捉えた。
勇者が最初に受けた印象は、「悪趣味な人形が座っている」である。
異常なまでに真っ白な肌は白粉によるもの。まるで能面のように白く塗り固められた顔に描かれたアイライナーは黒く太い。
勇者の記憶ではパンダメイク、ドーリーメイク、地雷メイクなどという言葉が頭を過ぎる。
アリーと双子だということだが、顔からはその面影を一つも感じることが出来ない。
極め付けは紫色の口紅。そんな人間味のない作り物の顔が、無表情のままこちらも見下ろしている。
服装は漆黒のゴシックドレス、クラウンヴェールに合わせた複雑に盛り上げられた黒と白が入り混じる頭髪。
人によってこれを美しいと感じる者もいるかもしれないが、勇者にはお世辞にも聖女を名乗るような者がする出立ちには見えなかった。
そして、ハイレンも同様に唖然としていた。
先刻会った時とあまりにも様相が違うからである。先ほどはどんな幻を見せられていたのかと、自己嫌悪すらする。
そして二人は必然的に、その傍らに立つ男にも最大限の注意を払う。
シェゾ=レイル。
その男の姿を見て聖騎士団達からも動揺が走る。それもまた必然であった。
誰もが固唾を飲み、この後の動向に対して気を払っている中、アリーが一歩前に出て、この沈黙を破った。
「あなたがリヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリア…様ですね?」
アリーの言葉に微笑みを浮かべながらリヴァイアは玉座からゆっくりと立ち上がった。
「ようやく見つけました。生き別れの姉がいると知り、方々探しまして参りましたが、再会出来たことを心から嬉しく思います。」
漂う不穏なオーラとは裏腹に、あくまでも融和的な姿勢を崩さないリヴァイアに、勇者は思わず息を呑んだ。
しかし、アリーはその言葉を聞いてパッと表情を明るくした。
「まあ!そうなのですか⁈良かった…嬉しいです!」
無邪気に喜びを表すアリーに勇者やハイレン達は唖然とし、リヴァイアの眉が明らかに釣り上がった。そんな周りの空気を知ってか知らずか、アリーは嬉しそうに続ける。
「皆さん、あなたが私の事を殺そうとしているなんて仰るので、とても辛かったんです。だって血を分けた姉妹ですものね!そんなはずはないって信じてました。」
アリーの無邪気な発言に、リヴァイアは顔を引き攣らせながら、笑顔を保っていた。
「え、ええ…。わ、私がお姉さまにそんな事をするはずがありません。分かって頂けていてとても嬉しく思いますわ。」
徐々に張り詰めていく空気の中、勇者はハイレンに目配せをし、ハイレンもそれに応じて頷いた。ごくりと生唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
「どうやら私達は聖女らしいですし、これからは二人で仲良くお勤めをして、このオルフェリアを豊かにしていきましょう!」
笑顔で手を合わせながら歓喜するアリーに対し、リヴァイアは俯き、なんの返答もよこさない。
「正直私も困ってたんですよ。ただの貧民街で16年も過ごして来た私が聖女だなんて、不安でいっぱいで…。でも、リヴァイアさんは長年聖女として立派にお役目をされて来たんですものね?とても頼もしいです!教えて欲しいことがたくさんあるんですよ?今夜は姉妹水入らずでゆっくりお話をして親愛を築いていきましょうね!」
「… …れ…。」
リヴァイアが何かを呟いたが、それは誰の耳にも届かず、アリーの一人語りは続く。
「あ!ごめんなさい!姉妹なのにリヴァイアさんなんて他人行儀だったでしたね?双子で同い年なんだし、お姉さまよりもアリーって呼んで欲しいです。私もあなたの事をリーヴァって呼んでもいいでしょうか?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!」
その瞬間、リヴァイアの周りから攻撃的な魔力が溢れ出し、足元の大理石に大きなヒビが入った。
そして、顔を上げたリヴァイアの顔が醜く歪み、その色は憎悪の一色に染まっていた。
「黙って聞いてれば散々好き放題宣いやがってこのクソ女が!!誰がアンタなんかと仲良く姉妹ごっこするなんて言ったよ?殺されかけて頭に虫でも湧いてんのか⁈気色悪いんだよ!!反吐が出るわ!!」
肩で息をしながら激昂吐き出したリヴァイアは視線の先にいるアリーの目を見て思わず息を呑んだ。
笑っていた。笑顔で…満面の笑みで…。
「そうですか…やはり…あなたと仲良くする事は出来ないんですね。残念です。」
その微笑みを見て、リヴァイアは動揺を隠さなかった。
「アンタ…まさかカマかけたの?」
アリーは首を横に振った。
「まさか、本心ですよ。あなたが応じてくれるのなら、私は全てを水に流して共に手を取り合って生きる未来を選びたいと思った。もしそれが叶うのならば、お互いにとっても一番いいことだと思ったから…でも…。」
アリーの顔から笑みが消えた。その目は凛とリヴァイアを見据えていた。
「やはり無理なようですね。それがあなたの本音と性根。これ以上、私たちのルネリオスを…オルフェリアを脅かすのであれば、私も覚悟を決めます。」
リヴァイアは鼻で笑い、嘲笑した。
「はっ!何を言い出すかと思えば、まるでリーヴァが何かしたみたいに…。」
「殺されかけているだなんて…初めて会う私のことをよくご存じだと思いまして…。」
アリーが舌戦の中に展開する心理戦の様相に、勇者は肝を冷やしていた。
なぜなら相手には、最終的に暴力という手段があり、あまりに相手を挑発することが危険に見えてならなかったからだ。
そして、その危惧は現実のものとなった。
再び微笑むアリーを見て、突如リヴァイアの背に黒い炎が浮かび上がった。その炎はリヴァイアの右手に蛇のように絡みついた。
「くたばれぇええええ!!!このメス豚がぁあああああ!!!」
リヴァイアの右手から解き放たれた黒い炎がアリーを真っすぐに狙う。
「アリー!!!」
「聖女様!!!」
勇者とハイレンが庇おうと前に出ようとするが、アリーはそれを右手で遮った。
身の丈ほどの黒い炎がアリーの目と鼻の先まで迫った時、炎は突然消え失せた。
何が起こったのか分からず、目を白黒させるのは勇者とハイレンだけではない。リヴァイアも同様だった。
黒い炎はアリーの眼前で突如現れた透明な大盾に衝突して消滅したのである。
「な、何?…これ?」
リヴァイアは目を戦慄かせながら後退りする。
アリーを包み込むようにして空中に浮かぶクリスタル状の大盾。勇者だけでなく、そこにいた者達すべてがその圧倒的な神々しさに、目を奪われていた。
元徳スキル【愛】女神愛盾
対象は本人限定ではあるが、どの様な攻撃も防ぐことが出来る鉄壁の盾。
その性能を《超鑑定》で確認した勇者は乾いた笑いが込み上げた。
「なんだよ…俺よりもチートなんじゃないか?」
そうぼやく勇者を尻目に、リヴァイアは何度も何度もアリーに向かって黒い炎を纏った拳を叩きつける。
だが、盾はビクともしないまま、息を荒げるリヴァイアを、アリーは一身に見据えていた。
「全ては女神オルフェリアの御加護です。聖女リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリア。あなたにその御加護はありますか?」
肩を震わせながら怒りの形相を浮かべるリヴァイアの目は、もはや正気のソレではなかった。
「シェゾ!!ここにいる背信者どもを全員血祭りにあげなさい!!オルフェリアの加護?そんなの糞喰らえだわ!!リーヴァにはシェゾがいる。シェゾにはリーヴァがいるの!!それ以外の加護なんて要らない!!そうでしょ?!シェゾ!!」
リーヴァの声に応えるように、シェゾがナイフを構える。
「御心のままに…。」
突如、柱の裏や天井の影などから6名のシェゾが現れる。
それに合わせ、聖騎士団が皆抜剣。ハイレンも同様に剣を構えた時、勇者は合計7名のシェゾ全てに視線を向けていた。
「やっぱりそうか…。だったら…もう迷わなくていいな。」
勇者の言葉に、怪訝な目を向けるハイレン。
勇者は構わず、左の人差し指と中指を自分のこめかみに押し当てた。その何でもない動きに、その場にいた全員の視線が集められる。
周囲の視線に晒される中、勇者はゆっくりと口を開いた。
「レダ、作戦開始だ!」
勇者の言葉と同時に、頭上のステンドグラスが派手な音を立てて砕け散る。
見上げた先には黒猫の亜人、レダの姿があった。
聖騎士団の者達にも姿が見えていたため、《シュレディンガーの黒猫》は発動していない。
なので、その場にいる者全員がそれを視界に捉えていた。
レダが持つ、奇妙な人形…マンドラゴラを…。
元々可愛らしさの無い歪な作りの人形だが、さらにその異常さに拍車をかけるのは、目を布で隠され、口を紐で縛られていることだった。
レダは落下する中、マンドラゴラの目隠しと口紐を解いた。
それに連動するかのように、閉ざされていたマンドラゴラの目が開き、口が大きく縦に開かれた。
一拍後、耳を劈く狂声が響き渡った。
『ギィイイイイイイエエエエエエエエエエエエエエエ』
その声は初めて聴く者も、二度目の者も等しく身を竦み上がらせ、等しく耳を手で防がせた…はずであった。
ショックから立ち直った者達は、眼前の状況にただただ当惑せざるを得なかったのである。




