〜ヴィクニス=アブドゥール〜
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「こっちだ!こっちに運べ!」
「この家にも罹患者がいるぞ!」
普段なら喧騒に湧く市場がひしめき合う大通りに、聖騎士団の怒号が響き渡る。
蔓延している病魔に侵された街から住人達を避難させようと、ハイレン率いる聖騎士団は正門に人々を集結させていた。
何とか自力で立っているものもいるが、多くの者は意識を朦朧とさせながら横たわっていた。住人達は個人差はあるものの全ての人が罹患していたのである。
聖騎士団の中にも罹患者が増え始め、焦りと恐怖は次第にその場に集まる人々の心を握りつぶしていった。
しかし、正門は未だ固く閉ざされたまま…。避難を待つ人々は勿論、ハイレン達聖騎士団もその開放を今か今かと待ち続けていた。
だというのに、街中の罹患者だけが集められ続け、一向に扉が開かない。
住人達の不満は極限まで達していた。
「一体どうなっているだ⁈どうしていつまで経っても正門が開かない⁈」
ハイレンの問いに答えられるものはいない。ただ、何か不穏な空気だけは漂っていた。
そこへ、正門の開閉室に様子を見にいった聖騎士の1人が血相を変えてハイレンの元に駆け寄った。
「報告します!門の守衛は不在!仕方なく開閉を騎士団が試みましたが、どうやっても開閉のための滑車が何かに引っかかって回らず…。原因を探ったところ…。」
そこまで言うとその聖騎士は口籠った。その様子に、ハイレンは思わず息を呑む。
「…原因は…なんだったんだ?」
ハイレンの気遣わし気な問いかけに、意を決して聖騎士は答える。
「その…内部の歯車の中に…人間が挟まっていて…。」
それを聞いてハイレン並びにそばで聞いていた聖騎士達は一斉に青ざめた。
そんなものは事故では無い。何者かが意図的にそうしたに違いなかった。そして、その被害者が守衛であることも容易く想像が出来た。
このことから推測出来ること…それは…。
「この事件を引き起こした賊は、既にルネリオス内部に入り込んでいるということか?」
ハイレンの言葉に一同に動揺が走る。ざわめきはあっという間に大きくなり、パニック寸前になろうかという時、ハイレンは一喝した。
「狼狽えるな!」
聖騎士達はその一言に口を閉ざし、ハイレンに視線を集まる。
「正門から人々を少し離れさせてくれ。こうなった以上、力づくで押し通る。」
その言葉に聖騎士達は驚愕した。
「だ、団長!正気ですか⁈」
「正門を破壊するなど…後でどのような処罰が下されるか…!」
ハイレンは聖騎士達に厳しい視線を向ける。その凄みに、皆一様に言葉を呑んだ。
「処罰なら甘んじて受ける。それで民衆が一人でも多く助かるならば、何も躊躇う事などない!」
その言葉に、聖騎士達は呆れたように笑った。
それは嘲笑ではない。ハイレン=ローデンスという男はこういう男だと、聖騎士団に所属しているもの達は皆知っているのだ。
そんな彼だからこそ、地獄の底までついていく覚悟でこの決死の作戦に身を投じているのだ。それを今更、上の処罰が怖くて任務を放棄するなど、お笑い種だと笑ったのである。
皆はその意向を汲み取り、正門の前から避難させる。ハイレンが一人、正門と対峙する姿を遠巻きで騎士団と一部の民衆が見守るように弧を描いていた。
ハイレンが大きく深呼吸し、背中に背負ったバスタードソードに手をかけたその時だった。
上空から感じる凄まじい殺気に、ハイレンはスキル発動を中断してその場から飛び退いた。
上空から強襲してきたそれは、2本のククリナイフで地面を抉り、巻き上がった粉塵の中から静かにその姿を現した。
透き通る様なアイスブルーの髪、黒いパンクスーツ、そして口元は無骨な拘束マスクの男。
ハイレンは知り得ないが、シェゾ=レイルが目の前に立ちはだかっていた。
ハイレンはこの男が賊であり、元凶であると即座に判断した。
(この男の目…この気配…確か…。)
頭の中に過ぎる憶測は《鑑定》結果を見て振り払われた。
鑑定不可。
思わず苦笑を浮かべた。
つまり、相手はキングレギオン以上が確定してしまったのである。
キングレギオンは最低でも61レベル。現在レベル39であるハイレンにとって、相手は遥か格上…。
だが、ハイレンは恐怖に飲まれる事なく笑みが溢れていた。その事実に、ハイレン自身も自嘲せざるを得なかった。
この絶望的な状況下を、圧倒的に自分よりも格上の存在と手合わせ出来るという貴重な経験として捉えている自分が、実は如何に戦闘狂なのかということを思い知ったからである。
打って変わって聖騎士達は突如現れた男に動揺するものの、ハイレンが対峙しようとしていることから忖度で動き出す。
「住人達をもっと後方に下げるんだ!」
その声を聞いてハイレンは少し安堵する。相手の強さを鑑みれば、先ほどまでの距離では巻き添えを食う恐れがあった。
思う存分やれる。そう思ったのはシェゾも同様なのか、体が陽炎の様に揺らめいたかと思うと姿が一瞬で消えた。
ガキィイイイイイン!!
刃がぶつかり合う音が響き渡る。
シェゾの目にも止まらぬ一撃を、ハイレンは目で追ったというより、身体が無意識に反応して受け止めていた。
その事実に、ハイレン自身も驚いていた。
圧倒的に格上の存在の攻撃を受け止めることが出来た自分を信じられないとさえ思った。
だが、それ以上に驚愕していたのはシェゾであった。
(どういうことだ?)
シェゾは一度間合いを取り、《影分身》のスキルを使って再度ハイレンに斬りかかる。
無数の斬撃が辺りを縦横無尽に斬り刻み、その巻き添えを恐れて騎士団はさらに距離を取る様に後方へ下がった。
だが、その圧倒的な死地に於いて、ハイレンはバスタードソード一つで全て受け流しているである。
「お、おい?今日の団長…凄すぎるんじゃないか?」
「あ、ああ…。凄い人だとは思っていたが…あんなの見たことない…。」
「だ、団長…すげぇ…凄すぎるぞ!!」
口々に上がるハイレンへの賞賛と驚嘆の声に、シェゾは同意しながらも、どうしても納得がいかなかった。
(この強さ…あまりにも異常だ。奴のレベルは39だったはず…。)
息もつかぬ攻防の中、シェゾは《鑑定》を行い、そこに現れた数字に驚愕した。
レベル61。
思わずシェゾは間合いを取った。
シェゾは顔を顰めながら、対峙する相手を凝視する。ハイレンは肩で息をしながらも、不敵に笑っていた。
「何が俺の中で起こってるのかは分からないが、感謝するよ。どうやら今日の俺は絶好調らしい。俺は…俺をまだ諦めないでいいようだ…。」
ハイレンは聖騎士団長としての口調から完全に素に戻っていた。そして剣を構える。
「俺はもっと強くなれる…。最強と謳われる【帝国の剣神】に届く強さまで!!」
シェゾはそれに応えるようにナイフを構えながら、《鑑定》結果の中で浮かび上がった一つのスキルに目を落とした。
(コイツの強さの正体はこれか…。)
美徳スキル【勇気】 《勇猛果敢》
スキル効果:自身よりも格上のレギオンと対峙した際、同じレギオンランクまで一時的にレベルが上昇する。但し、レベルは各レギオンランクの最低レベルとなる。
シェゾは苦々しく顔を顰めた。
シェゾのレベルは63。このスキルが二人の間のレベル差を埋める事に大きく起因しているという事態に小さく舌打ちした。
レベル差ではまだシェゾに軍配が上がるものの、ハイレンにはそれを埋める為の研鑽があった。
「おぉおおおおお!!」
様々な強化スキルによって視認出来るほどのオーラに包まれたハイレンは、雄叫びを上げてシェゾに斬りかかる。
それはまるで光矢の如く、シェゾとの間合いを一瞬で消し去った。
「聖光一閃!!」
振り下ろされた光の刃はシェゾに逃げ場を一切与えない。そして、防御に徹するしかなかったシェゾのナイフを容易く破壊してその身体を両断した。
『うぉおおおおおおおお!!』
疑いようのない勝利に周囲からは称賛が込められた咆哮が響き渡る。
ハイレンもその確かな手応えに、肩で大きく息をしながらもその表情は明るい。
だが、それは一瞬で濃霧に包まれたように曇る事になった。
「…えっ!?」
ハイレンの眼前に横たわる男はシェゾではなくなっていた。
シェゾとは似ても似つかぬ肥満体型。身体中が黒く変色してはいるものの、その男にハイレンは心当たりがあった。
「ボルフ…神官長?」
ハイレンの声にその場は騒然とする。
狐に摘まれたような感覚になる中、ハイレン達には認識出来ていないが、ボルフの遺体から無数の病魔【キェルケゴール】が這い出してきた。
それらは呆然と立ち尽くすハイレンに一直線に向かい襲い掛かった。
その時!!
「下がれ!!」
突如聞こえた闖入者の声に思わずハイレンは身を竦めた。同時に耳を劈くような奇声が響き渡った。
『キィエエエエエイイイイアアア!!」
この世のものとは思えない悲鳴のようなものをあげ、辺り一面から黒い霧のようなものが立ち上がって空中へと巻き上げられた。
ハイレンがそれを追って視線を上空に向けると、そこには空をかける一つの人影があった。
ハイレンはその人物を知っていた。だが、それよりも先にその男の肩にしがみつく化け物に目を奪われた。
赤紫色の肌をしたオオサンショウウオのような見た目をしたそれは、見る限り目を持たず、大きく裂けた大顎を開いていた。その口の中は空間が歪んでいるかのように光を通さず、まるで漆黒の闇の様に見えた。
そして、辺り一面から噴き上げられた黒い霧がその化け物の口の中に吸い込まれていったのだ。
唖然とするハイレンの側に、男は軽やかに着地した。
「大丈夫で…!!…したか?」
男は振り返り、ハイレンへ声を掛けようとしたが、顔を見るなり声がトーンダウンしていく。
ハイレンは男を見て驚愕したものの、次第に表情を綻ばせていった。
「アレックス殿!!」
ハイレンの喜色の笑みに、勇者 アレクシー=オズワルドはバツが悪そうに頭を掻いたのだった。
▮勇者
「それじゃあ、病魔駆逐作戦会議を始める!」
時は少し遡る。
ロアから病魔【キェルケゴール】を捕食する魔法生物の完成の知らせを受け、地下街は病魔によるパンデミックを未然に防ぐことに成功した。
病魔を駆逐した後、ゴルドラを含む罹患者20余名はアリーの《復活の福音》によって、再度罹患することなく完全復帰することが出来たのだ。
会議室にはお馴染みの面々が揃い踏みしている。俺、ゴルドラ、ノア、アリー、ドーヴェ、ジネラ…そしてレダである。
皆の顔には一様に緊張が走り、強張っているように見えた。そんな厳かな空気間の中、まず俺が口火を切った。
「先ずはゴルドラ、無事でよかった。本当に心配したぞ。もうどこも異常はないんだな?」
「はい!この度は大変ご迷惑をおかけ致しまして誠に申し訳ございませんでした!!」
俺の言葉にゴルドラは勢いよく起立し、結構な声量で深々と頭を下げた。その体育会系な雰囲気に一瞬圧倒される。
「い、いや無事だったのなら喜ぶべきだよ。そして、ゴルドラ並びにソドムの人達を救ってくれたアリーと、今は疲れて眠っているロアにはどんなに感謝してもし尽せない。本当にありがとう。」
今度は俺が深々と頭を下げた。それに対してアリーはあたふたと恐縮の意を示した。
「あ、いえ!そんな!お役に立つことが出来て良かったです!」
アリーに向き直ってゴルドラは再び頭を深々と下げた。
「アリーさん…本当にありがとうございました。あなたのお陰で九死に一生を得ることが出来ました。」
「そ、そんなに畏まらないでください!最終的にはゴルドラさんのお陰で皆さんを助けることが出来たんですから、ゴルドラさんだって功労者ですよ!」
アリーの言葉は慰めではない。現在のアリーのレベルでは《復活の福音》の複数使用は肉体に大きな負担を与えるため、ロアが魔法生物を完成させる頃にはほとんど限界に達していた。
そんな極限状態の中、気力を振り絞ってゴルドラを復活させた後、意識を昏倒させたアリーだったが、その意識はすぐに取り戻された。
ゴルドラの《闘気装甲》を応用させた《闘気注入》によって、アリーの体力を完全回復させることが出来たのである。
つまり、アリーが消耗した体力をゴルドラが回復させることによって、《復活の福音》の半永久的な使用が可能になったのである。—アリーの体力を回復するためのオーラの消費量など、ゴルドラからすれば微々たるものであり、自然回復で事足りる程度—
このコンボが成立したことで、俺たちはルネリオスに蔓延しているであろう病魔の一斉駆除と罹患者の救助を現実のものにしたのである。
話を進めるために、お互いに謙遜し合うゴルドラとアリーを制して話を進める。
「ドーヴェ、外の状況について情報は入ってるか?」
ドーヴェは髭を擦りながら小さく唸った。
「地上と隔離してからというもの詳細な情報は乏しいな。分かっていることは聖騎士団が罹患者の救助に動き出したということ。あと、不可解な情報としては全ての門が閉じられておることぐらいかの。」
「全ての門が閉じられている?」
ドーヴェの言葉に確かに不可解さを感じた。この病魔は上空に離散することがないのは例え姿が見えなくても気づくはず…。だとしたら換気や通気のために門を開いて中と外の空気を入れ替えるなんてことは普通に考えるはずなのに…。
「それってつまり…。」
「この病魔をバラ撒いた諜報人がルネリオスの中枢にいて、わざと蔓延させるために封鎖してるっていうのが考えられるの。」
ノアが告げてくれた仮説はそのまま皆の表情を一変させた。レダがそれを聞いて、俯き加減で口を開いた。
「多分、それで合ってるぜ。この病魔を最初にバラ撒いたのはボルフだ。だけど、あいつが最初の被害者になったことを考えたら、多分…何も知らされてなかったんだろうな。その後に、シェゾってやつが襲ってきたことから考えても、多分監視されていたんだと思う。」
それを聞いてドーヴェは眉間に皺をよせた。
「ボルフ神官長がわざわざこのようなことを単独で起こすはずがない。デズモンド枢機卿かもしくは…。」
「偽聖女リヴァイア…。」
俺の言葉にノアは頷く。
「ぶっちゃけ、右腕である神官長を失ってまでこんな未曽有の大被害を引き起こして、枢機卿に得なんて何もないの。偽聖女にとってルネリオスでの被害なんて多分眼中にないの。この騒動の狙いは二つだと思うの。」
ノアが指を一本立てる。
「まず、昨夜の戦いでこの町にゴルドラとロアちゃんっていうシェゾよりも強いレギオンが紛れ込んでいることが既に知られているの。ロアちゃんは効かなかったけど、聖女の思惑通りならゴルドラは始末出来ていたの。」
ゴルドラは沈痛な表情で俯く。ノアは続け様に指を二本立てた。
「そして多分こっちが本命。どこにいるか分からない本物の聖女、アリーを始末することなの。」
それを聞いてアリーは一瞬で青ざめ、口を手で覆った。
ジネラはアリーの肩をそっと抱き、いたたまれない表情で堅く目を瞑った。
ドーヴェもまた怒りを隠し切れないように肩を震わせていた。
「なるほどの…。昨夜から城壁の門を全て閉ざしていたのはアリーを外に逃がさないためということも含まれておったか…。どこどこまでも人の道を外れた女よ…。虫唾が走る…!」
ドーヴェの言葉はその場にいた全員の気持ちを代弁したものだった。
正直、俺も怒りが収まらない。そして、アリーはこう思っているんだ。
自分の所為で、多くの人が巻き添えになっている、と…。
バンっと机を叩き、レダが立ち上がる。その目は怒りの炎が滾っていた。
「もう推理ごっこはいいだろ?!とっとと駆逐作戦とやらの全貌を話せよ!!こうしてる間にも、町では次々と死人が出てんだぞ!!誰が犯人かなんてことは上の奴らをとっ捕まえれば分かることだろう!!」
レダの憤りはごもっともだが…。
俺が口籠っているのを見て、何かを察したのか、ノアが静かに口を開く。
「病魔の原因が意図的なのか偶発的なのかを明らかにすることは大事なことなの。この後、アリーが聖女として立つためには…。」
レダはその言葉に目をカッと見開いた。そして殴り飛ばさんと机の上に足をかけたその時…!
「やめて!!」
アリーの一喝が響き渡る。
そして静まり返る室内で、アリーはジネラの腕を振りほどき、立ち上がって顔を上げた。
その顔は覚悟を決めた者のそれだった。
「作戦の概要をお願いします。今は一刻も早くみんなを救いましょう。」
アリーの言葉に、レダは矛を収め、ノアも不承不承ながら承諾した。
その様子を見て、アリーはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。私が多くの人を助ければ、それだけでみんな私のことを聖女だと思ってくれますよ。」
茶化すようにそう告げたアリーに、思うところがないわけではなかった。
今回の一件がリヴァイアの企んだものだということを証明できれば、聖女の地位を追い落とす良い機会になる。それが俺とノアの共通認識だった。
だが、アリーは蹴落とすのではなく、直接戦う覚悟をしている。このルネリオスを…天と地に二分することを厭わないという彼女の覚悟は、もしかしたら病魔以上の被害をもたらすかもしれないと思うと、俺は何が正しいか分からなくなった。
だが、確実にわかることがある。それは、多くの人を助けたいと願う彼女の想いが、間違っているわけがないということだ。
俺は大きく息を吸い込むと今回の作戦の概要を明らかにした。
配置は以下のとおりである。
アリー、ゴルドラ、ノアを中心としてドーヴェ率いるソドム住人で構成される本隊は住人の救助を最優先に行う。
本隊を中心に半円を描くように俺とレダが両翼の形を取って布陣する。病魔を無効化出来るこの二人が本体を病魔から守りながら、安全区域を広げていくという形である。
ノアも病魔を無効化出来るが、如何せん戦闘能力がほぼ皆無だ。そのため、ノアの位置取りは本隊であり、取りこぼした病魔を発見したら駆除できるようにするという配慮がなされている。
この配置を実現する為に、レダにも病魔を認識出来てもらわないといけなかったので、細菌とウイルスという目に見えない病原体の話から説明を始めたが、思いもかけずあっさりと理解してくれた。
どうやら、亜人区域では病が多く、病気についての理解がオルフェリアよりもよっぽど進んでいるらしい。
宗教国家にありがちな呪いと奇跡で全て片付けてしまうと病気に対する認識が薄れるのだろう。
そう考えると、アリシェラが薬屋をやっていたというのは非常に稀有であることに納得がいく。おそらく、冒険の中での気づきや前の勇者の知識から、病気への対策の必要性を鑑みての事だろう。
ともあれ、レダはノアにかけた時間程度の講義の末に見事【キェルケゴール】を視認することが出来たのである。
で、肝心の魔法生物なんだが…ノアがその生物を取り出した瞬間に場が凍り付いた。
赤紫の肌をしたオオサンショウウオのようなそれは、瞳がないこともあいまって、あまりにもグロテスクな体を成している。
これを肩に担いでいくのかと思うと、正直俺でさえも二の足を踏んだ。レダも嫌な汗を浮かべており、アリーとジネラは直視しかねている。
ノアはその魔法生物を眼前で直視し、「ぷっ」と笑った。
「ロアちゃんは中二病こじらせるから、ファッションもそうだけど色々とセンスないの。」
いつも無表情のノアにしては珍しい瞬間を見られたことで、この奇怪なモンスターに関する嫌悪感は幾分か和らいだ。
「この子の名前は【ヴィクニス=アブドゥール】っていうの。」
「またよくわからんけど大袈裟な名前を…。」
病気を治すんなら【パラケイア】とかもう少し神々しい名前と形にならなかったのか?
まあ、ならなかったんだろうな…製作者がそもそも魔族だし…。
ノアは気にせず解説を続ける。
「作れたヴィクニスは3体。ノアとパパとレダの三人が連れて歩くの。」
ノアがヴィクニスに何かを告げると、一匹はノアの左腕に絡まり、肩口から顔を出した。
ヴィクニスが俺とレダに向かって歩き始める。ペタペタとした両生類的な歩き方に、蕁麻疹が出そうだった。
思った通りのヌメっとした冷たい感触が、案外悪くないと感じ、レダに視線を向けたが、レダは今にも泣きそうな顔をして硬直していた。
しかし、先ほど盛大に啖呵を切った手前、流石に誰もレダをフォローすることが出来なかった。
そんな事情を一切顧みることなく、ノアは説明を続ける。
「ヴィクニスの口はブラックホールになってるけど、吸い上げられるものが砂粒未満のものに制限されてるの。余計なものは吸い込まなくてその分効果範囲は非常に広いからとってもお利口なの。」
そんなこと言われても全く好感度は上がらない。とりあえず、この独特な感触と肩口での荒々しい息遣いには早く慣れてしまう必要があった。
「ヴィクニスが捕食を開始する条件は二つなの。一つ目はヴィクニスに病魔が直接触れた時、もう一つは尻尾を強く掴んだ時なの。だからこうやって…。」
ノアがヴィクニスの尾を掴むと、ヴィクニス口が180度広がり、部屋中の大気が引きずり込まれるような吸引力が発生した。VRさながらで、周りが吸い込まれているために自分も吸い込まれているような錯覚に陥ってしまい、思わず机にしがみついてしまったのは恥ずかしいところである。
そしてノアが尻尾を放すとヴィクニスの口は閉じ、辺りは平穏に包まれた。心なしか、空気がきれいになった様な気がする。
「ってわけで、使い方も単純明快なお利口さんなの。この子を使ってパパとレダはとにかく町を掃除しまくるの。」
ま~たレダが遠い目してる…。
いい加減腹を括ればいいのに…。
そんな中、おずおずとアリーが手を挙げる。
「先ほど城門が閉ざされてるって話がありましたけど、この病魔って外に出てしまったらどうなるのでしょうか?」
その一言に、一同は押し黙った。
「下手したら、無限に広がっていく可能性があるのか?」
「だとしたら、無闇に扉を開けるのは危険なの。さすがにルネリオスから外に出て増殖でもしたらもう手が付けられなくなるの。」
「だとしたらマズいのぅ…。通常であれば騎士団は避難のために住人を一時的に外に出すだろう。門が開かれるのは必定…。」
城壁は閉ざされている方が都合が良いという一点だけは、理由は違えど敵と一致していた。
「作戦変更だ。俺は先に正門まで走って、開放を阻止する。」
「な、お…俺の方が足は速いんだ!俺が行く!!」
俺の提案に、レダは自分を奮い立たせるように名乗り出た。気持ちはありがたいが、俺は首を横に振った。
「病魔を退治するだけなら騎士団に姿を見られる心配もないお前が適任なのはわかってる。だけど、問題はその後だ。正門を開けさせないようにしようと思えば、どうしても騎士団を説得するための交渉が必要になる。それは俺にしかできない。」
ぐうの音も出ない正論に、レダは何の反論も出来なかった。
「本来なら私がするべき危険な役回りなのですが、ここはマスターを信じます!」
ゴルドラの言葉に、ノアも頷いた。
「パパに任せるの。」
レダは小さく舌打ちをした後、顔を背けた。
「わかったよ、代わりに本隊は任せろ。俺が二倍働いてやるよ。」
レダも腹が決まったようだ。その背中は頼もしい男のものだった。
「それじゃあ、みんな!配置についてくれ!作戦開始だ!!
その号令を機に、皆が部屋を出ていく中、アリーが俺を引き留めた。
「アレックスさん…大丈夫なんでしょうか?あの…言いにくいことなんですけど…。その…。」
口籠るアリーに対して、俺はグッと拳を前に出した。
「大丈夫だよ。聖騎士団はかなりしっかりした組織だし、いざとなれば団長とは顔なじみだから、説得出来る自信があるんだ。」
「え?あ、そうなんですか?じゃあ、なんとかなる?…でしょうか?」
納得し切れていないアリーだったが、俺はニッと口角を吊り上げた。
「すぐに戻るよ。今度はちゃんと…無事に!」
それを聞いて、アリーは微笑んだ。
「はい!待ってます!」
そうして俺は地下街を飛び出し、屋根伝いに正門に向けて一直線に走り抜ける。
その際、終始ヴィクニスの尻尾を握り続けていた。それほどに、町の中は【キェルケゴール】によってパンデミックが引き起こされていたのだ。
屋根の上から見るにどこの門も開いていないように見える。人の集まりも感じない。
だが、正門にはかなり大勢の人が集まっているのが確認できた。
どうやら正門付近にはそこまで病魔の数は多くないようだ。罹患していても重症者は多くない。
その時、正門前で光の柱が立ち上がった。それを見て俺もその場に急行する。
そして間もなく上がる大歓声に、ほっと胸を撫で下ろそうしたその時、俺の目はそれを捕えていた。
巨大な病魔…いや、あまりにも無数にいるせいで集合体として巨大見えるそれは、3m近い巨体でありながら、そこに集まる騎士団達が気づいている様子はなかった。
俺は全力で走る。その病魔の手が彼らに届こうかという刹那、ヴィクニスを発動してなんとか事なきを経て…。
ーーー
そうして今に至る。
ほんの4日ぶりではあるが、まるで旧知の友と数年来の再会を果たしたような奇妙な空気が、二人の間を流れていたのだった。




