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〜絶望を振り払う力〜

 慌ただしく走る足音はようやく終着点を迎え、勇者は扉を勢いよく開いた。


 地下街の集会所となる大部屋の中に入り、勇者とアリーは絶句した。


 そこに横たわる黒い斑点に侵され無数の人々で埋め尽くされていたのである。


 その中で、一際目を引く金色に覆われながら、横たわるゴルドラを見て勇者は一目散に駆け寄った。


「ゴルドラ!おいっ!ゴルドラ!!」


 真っ黒に染まった皮膚の色、体温はまだあるようだが、拍動も呼吸もあまりにもか細い。出血は金に変わっていることで逆に塞がっているようだが、無数に付けられた切り傷はどれも深そうに見え、致命傷なのではと勘繰らずにはいられなかった。


「アレックスさん!私が…きゃっ!!」


 そう言って駆け寄るアリーの足がひっかけられ、その場で盛大に転んだ。


「あ、アリー!?」


 心配して駆け寄る勇者とアリーに気怠げな声が微かに響く。


「あんたはやめとけって。入るならちゃんと準備してからだよ。」


 足をかけたその人物を見て、勇者は驚愕した。


「ロア?!」


 この時間帯にはいるはずのないロアだったが、目の下にはクマがあり明らかに気分が悪そうに蹲っていた。


「おせぇよ…。やっと来たのかよ…。」


「いや、お前…まだ昼間なのに…。」


 ロアは乾いた笑いを浮かべる。


「ああ…やっぱり昼間はしんどいな…。地下じゃなきゃ眠いだけじゃすまなかったぜ…。」


 そうして大きな欠伸をする。


「ノアが言うにはどうも病気らしいからな…感染が広がらねぇ様に固有結界を貼る必要があったんだけどよ、そんなのノアの奴に出来るわけねぇじゃん。だから代わりにアタシが出張ってんの。」


 勇者としては、自動的に切り替わるものだと認識していたが、どうやらお互いに適した時間に棲み分けしているだけで不可侵と言う訳ではないようだった。


「ってわけで、この結界抜けたら病魔の巣窟だ。パパはスキルで無効化出来るから大丈夫だけど、あんたはダメ。あんたが病気で倒れたら一巻の終わりだかんね。ちゃんと準備してもらう。」


「うう…それにしたっていきなり足かけなくたって…。」


 アリーは顔面から転んで擦りむいた鼻を擦りながら、涙目を浮かべていた。


 ロアは気怠そうに体を起こし、アリーに完全耐性トータルイミューニティーの魔法を錬成する。

 一時的ではあるが、外部からの状態異常変化に対して完全耐性を付与するオリジナル魔法である。


 アリーは準備が整ったのを知ると、真っ先にゴルドラに駆け寄り、彼女の手を取って祈り始めた。


 アルカナスキル《復活の福音リザレクション


 勇者は初めて目にしたが、アリーの背中に金色の翼が浮かんだ。


 いや、何者かがアリーと重なって見えるのだ。それが女神オルフェリアだとするならば、彼女が聖女であると断ずるのは容易いとさえ思えるほど神々しく見えた。


 彼女の力により、ゴルドラの怪我はみるみると再生していった。皮膚の色も元に戻り、拍動も呼吸も戻ってきた。


 それを見て、ロアは嘆息の声を上げた。


「見たのは2回目だけど、スゴイね…これ。」


「ロアの魔法でも真似出来ないのか?」


 勇者の言葉にロアは鼻で笑った。


「無理だって…。だって意味不明だもん。肉体の再生なんてMP使って自己修復するのが魔族には当たり前。肉体の損傷を治すなんて、その生物ごとの肉体の構成や修復メカニズムを理解しなきゃいけないし…。魔法で何となく肉体作っても、拒絶反応が起きて逆効果になるのが目に見えてる。魔法は所詮、知識と理解に基づく常識の範疇。そうした理屈を完全に無視出来るのがユニークスキルなんだよ。」


 そんなロアの説明を聞いて、勇者はこの世界に回復魔法がないことを知る。そもそも回復という言葉が概念的で抽象的過ぎるのだ。


 そうしたことを鑑みれば、アリーのこの力はまさに神の御技と呼ぶにふさわしいものだった。


 程なくして、ゴルドラが目を開ける。それを見て勇者達は破顔一笑となった。

 ゴルドラは九死に一生を得たのだ。


「ゴルドラ!聞こえるか?!」


「マ、マスター…。私は…?」


 勇者の呼び掛けに応じるものの、状況がまともに理解できていないのか、ゴルドラは辺りを見渡し、少しずつ自分の境遇と先ほどの戦闘を思い出した。


「はっ!そうだ!マスター!奴が!また奴が現れて…ぐっ!」


「ゴルドラ?どうした?!苦しいのか?!」


 再び苦しみ出したゴルドラを見て、勇者は目を疑った。


 ゴルドラの皮膚に再び無数の黒い斑点が浮かび上がってきていたのだ。


 それを見てアリーも戦慄する。


「そ…そんな…。確かに完治したはずなのに…。」


 勇者は苦虫を噛み潰したような顔をして、一つの可能性を口にした。


「…もしかして、治ったそばから感染しているのか…?」


 勇者は《超鑑定》を使ってゴルドラを見る。


 そこには状態異常項目として【病】という表記があるだけで詳細は明らかにならなかった。


 勇者は立ち上がり、俯いたまま口を開く。


「アリー…。ここにいるみんなの回復を頼めるか?」


 それを聞いてアリーはすかさず首を縦に振る。


「ええ!すぐに!!」


 アリーはすぐに立ち上がり、容体が危険な者から順に《復活の福音リザレクション》を行っていく。

 その効果を受け、皆すぐに意識を取り戻すほどに回復していくが、たちまち皮膚に黒い斑点が現れ、激しく咳込み、病を発症していった。


 アリーの額に玉の様な汗が浮かぶ。どうやら術者の体にノーリスクというわけではない様で、アリーはMPではなく、HP…つまりは体力を消耗していた。


 なんとか20名近い人々の窮地を脱したところでアリーは立ち上がることが出来ずに足元がふらつく。勇者はそれを受け止めて、アリーを一時結界の外に出した。


 ロアは大きく息を吐き出した。

 結界の中に入るものは自由。出ていくものを選別するというのは思った以上に心労を与える。ロアの額にも薄っすらと汗が浮かんでいた。


「魔法の効果もギリギリだったな…。こりゃあマズイぜ…。」


 ロアは奥歯をギリギリと鳴らす。


 回復してもすぐさま病魔に侵される。まさにイタチごっこの状態だ。《復活の福音リザレクション》も無制限ではない。ロアもMPを消耗し続けている。この命懸けの延命処置がそう長くは続かないことは明白だった。


「なにか…何か無いのか…?」


 勇者は必死に現状把握と打開に向けて頭をフル回転させていた。

 ゴルドラの腕を取り、黒い斑点を凝視する。


「これ…皮下出血によるものだよな…。血管にダメージが入ってそれが血栓を起こしてるとしたら…最初見た時の四肢の変色は細胞が壊死してたってこと…。これ…確か大学の授業で習った…。」


 勇者はごくりと生唾を飲んだ。


「ペスト…なのか…?しかも敗血症の…。」


「アレックスさん、ご存知なんですか⁈」


 アリーの言葉に勇者は軽く首を横に振る。


「いや…俺は医者じゃないから正確な診断は出来ない。ただ、俺たちが住んでた異世界で有名な病気にそっくりだって話だ。」


 ゴルドラを始めとして、多くの人が急激なショック状態に陥って昏倒していること。そして高熱、咳と共に吐き出される泡状の血痰。

 肺ペストの症状も見受けられていた。


「500年近く人類を脅かし、何億人もの人を死に追いやったこの病気の別名は【黒死病】。発症すれば途轍もないほど高い死のリスクを背負うことになる…」


「で、では!アレックスさんの世界ではどうやってこの病に対処なされたんですか?」


 勇者はそれを聞いて顔を曇らせる。


「抗生物質っていう薬が出来てから治療出来るようになったんだが…。正直、治療法は問題じゃないんだ。アリーの《復活の福音リザレクション》が抗生物質の代わりを果たしているんだから…。問題なのはその後すぐに罹患してることだ!」


 勇者の言葉に理解が追いつかないアリーの代わりに、ロアが「あ〜ね…」と呟いた。


「それは何となく聞いた覚えがあるわ。確か一度罹患して回復したら抗体が出来て、同じ病気に対して期限付きで耐性を持つってあれか?あの話が本当なら、ここにいる奴らが漏れなく全員再感染してるのはおかしいって話かよ?」


 勇者は頷いた。


「ああ…その点が明らかにペストとは違う…。ほぼ死に至るペストだけど、生き残った人には抗体が確認されてるんだ。だとしたら免疫が働かない状態になってるって考える方が普通だ…。と、なると…考えられるのは…。」


 勇者は大学の講義、『人類史における感染症の歴史』を思い出す。前世で死ぬ前に最後に受けた講義…それで習ったそのウイルスの名は…。


「ヒト免疫不全ウイルス…HIVだ。」


 そこまで考えが及んだ時、勇者の眼前に変化が起きた。


 ゴルドラの《超鑑定》表記にあった【病】の項目が変化したのである。

 そこには、【キェルケゴール】と刻まれていた。


 そして、詳細情報には奇しくも勇者が予想した病魔の名が連ねられ、その正体が両方の性質を併せ持つように組み合わせた合成ウイルスであることが分かった。ーペストは細菌だがー


 この変化に対して勇者は真っ先に疑問を覚えた。突然答え合わせをするかのように明らかになった病魔の名前…【キェルケゴール】。


 これは真名を知った…つまりは真理に辿り着いたことを証明している。


 知った。理解した。それは即ち…。


 勇者は結界内の空気に目を向ける。


 今までは見ることはおろか、気配の一つも感じることがなかったそれらが、勇者の目にはっきり映っていた。ガリガリに痩せた醜い四足の化け物が無数にこの空間を埋め尽くしている様子が…。


 その一つ一つはミクロの世界であり、通常見ることは敵わないはずだが、勇者の目はそれらを確かに捉えることが出来た。


 その時、勇者の中で圧倒的な閃きが走り、ロアに向き直った。


「ロア…頼みがある。ノアと《魔力通話》することは出来るか?」


 ロアは顔を顰める。


「それは裏に引っ込んでるノアと、って意味だよな?出来なくは無いけどよ…。」


 苦痛に顔を歪めるロアの側に、アリーがすかさず駆け寄った。そして、驚くロアの手を握る。


「あ…。」


 すると、今までの疲労が嘘のように消えていった。アリーは汗に塗れた顔で笑顔を浮かべた。


「こ、これで…アレックスさんの頼みを聞いてもらえますか?」


 ロアは頬を赤らめながら顔を背け、大きく溜息をついた。


「ああ〜はいはい!こんな詐欺みたいなドーピングされた後に断る理由なんてないっしょ?」


 そう言うと、ロアは《魔力通話》を展開し、心層の奥にいるノアと勇者に繋いだ。


 次の瞬間、勇者の目の前が真っ白に染まる。そんな思わぬ展開に勇者は戸惑いを隠さなかった。


 何も無い一面白磁の世界で、勇者の目の前に忽然とノアが現れる。


「パパ、ノアに話なの?」


「ああ!ノアは確か医学や薬学を前の勇者から教わってたよな⁈」


 鬼気迫る勢いで詰め寄る勇者に対し、ノアは涼しげに頷く。


「はいなの。ロアちゃんと違って人間とノアの身体は同じなの。ロアちゃんが興味ない分、ノアは知っておきたかったの。」


 ノアの返事に勇者は大きく頷いた。


「今からあの病魔の正体、【キェルケゴール】についてお前に教える!いいか、あれは…」


ーーー


「うわぁああああ!!なんだよ!これぇええ⁈」


 《魔力通話》を遮断し、勇者の意識が元に戻ったと同時に、ロアの悲鳴がこだましていた。


 ロアは目を戦慄かせ、結界内を凝視している。

 その様子を、アリーは唖然として見つめていた。


「あ、あの…ロアさん?一体何が?」


「何がじゃねぇよ!何だよあれ⁈気色悪りぃなあ!!アタシ、集合体アレルギーなんだよぉおおお!!」


 ロアが身体中を掻きむしりながら嫌悪で顔を激しく歪めていた。


「どうやら成功…したみたいだけど…ロアのリアクションが予定外だな…。」


 ぽりぼりと頰を掻いてバツが悪そうにする勇者に、ロアは食ってかかった。


「パパ!これなんだよ!ノアと二人で何を企んできた⁈」


 今にも泣き出しそうなロアに対して、勇者は宥めながら説明する。


「落ち着いて聞け。今回の病を引き起こしたのは今お前が見えている病魔が原因だ。奴の正体をノアが理解したからお前にもやつの姿が認識出来るようになってる。」


「病魔?何だそりゃあ?そんな悪魔聞いたことないぜ⁈」


 なるほど…悪魔と聞いて勇者は失笑してしまう。


「ああ…お前は知らないだろうさ。魔族には全く無縁な存在な上にあまりにも小さ過ぎるからな…。挙句、認識阻害を使ってるせいで魔力感知にも引っかからない。」


 勇者の言葉に、アリーは耳を疑った。


「病気になるのは悪い悪魔の仕業だって教わってきましたけど…本当に悪魔だったのですか⁈」


 勇者は小首を傾げた。


「悪魔かどうかは知らないが、少なくともコイツはレギオンだ。あまりにも小さく、集合体によるレギオンだけどな。」


 レギオンと聞き、ロアは逆に落ち着きを取り戻していた。


「なるほどな…この小ささによる存在概念の希薄さがやつの認識阻害をより強力なものにしていたのかよ…。なんかレダの能力に似てるな?」


 勇者は大きく頷いた。


「その通りだ。これは色即是空、空即是色っていう考え方に近い。簡単に言えば、有るものも無いと思えば無いし、無いものも有ると思えば有るってことだ。その病魔を正しく理解することによってその存在を認めることが出来る。今もロアは病魔についてよくわからないだろうが、ノアの知識によって共有されている精神部分で存在を認知しているってことだ。」


 ロアは頭がパニックなりながらも、なんとか務めて平静を保った。


「で?コイツを見れるようにしてアタシになにをさせたいんだ?」


 勇者は不敵に笑った。


「ロアに作って欲しいんだよ。アレだけを補食する、天敵をな!!」


 それを聞き、ロアは目を剥いて驚嘆するが、次第にそれは高邁な笑い声に変わっていった。


「あーはっはっはっはっ!!これは傑作だ!!特定の餌だけを求める魔法生物の錬成。これを我に所望とはな!!」


 額を抑えながら天を仰ぎ、偉人ロールを始めたロアを見て、勇者は苦笑いを浮かべる。


「面白い!このシャミル=ロア=ベル=ベリゼ=イグナイト=アーカード!見事この責務を果たして見せようぞ!!」


(前と名前変わってるんだが…。)


 ノリノリになっているところに水を差すわけにもいかないので、その点はスルーした。


「アリー…ロアが魔法を完成させるまで、この場所を任せてもいいか?」


 勇者の言葉に、アリーは満面の笑みで返した。


「はい!もちろんです!」


「決して無理はするなよ?」


 勇者の念押しに、アリーは強く頷いた。


 早速、錬成を開始していたロアは視線も向けずに勇者に声をかけた。


「コイツが完成したらその後はどうすんのさ?」


 勇者は神妙な顔をして応じる。


「病魔の捕食者が完成次第、地上に上がって一斉に駆逐する。だけど相手はミクロのレギオンだ。駆除隊は【キェルケゴール】に罹患しないことが絶対条件だ。」


 ロアは苦々しく顔を歪めながら思案した。


「アタシは効かないけど、昼間に地上に出ることは出来ないから、ノアが行くっきゃない。パパは確定だけどあとは…。」


「レダくんだね!」


 アリーのその言葉に、ロアは目を背けて首を横に振った。


「アイツはダメだ…。もう完全に心が折れてる。」


 ロアの言葉にアリーは戸惑いを露わにした。


「え?そんな…一体なんで…?」


「またシェゾとかいう執行人が現れたんだよ。二度も命からがら逃げ果せたものの、戻ってくるなり部屋に閉じ籠っちまってる。あんな状態の奴を使おうとしても足を引っ張るだけなんじゃないの?」


 ロアの言葉に、勇者はアイリーに目配せをすると、アイリーは力強く頷いた。それを見て、勇者はふっと笑って応えた。


「立ち上がってもらうさ。あいつもまた、【運命に翻弄される仲間】の一人だからな。」



▮ レダ

 俺に…俺達に…幸せなんてものはない。


 生まれたその時から、抱き上げてくれるような優しい手なんてなかった。


 汚物の様に生み捨てられ、生まれて数秒で自然の脅威と戦わなくてはいけなかった。。


 飢え、乾き、寒さ、魔物、病…。あらゆるものが俺達に選別と淘汰を繰り返す。


 そんな俺達に差し伸べる手があったのなら、助けてくれるというのならば、喜んでその手を掴んでしまうのは仕方のないことだ。その差し出された手が、俺達を絶望の淵に叩き落すものだったとしても…。


 耳無し(人間)共は俺達の尊厳など顧みなかった。1歳頃までは愛玩動物のように可愛がられるが、成長の早い俺たちはそれ以降になると急激に体が成長する。


 そうなると、次に待っているのは性奴だった。


 男性オルク女性エルダも関係なく、下卑た耳無し共に欲情の捌け口にされ、この時点で多くの者たちが心と体を壊されて捨てられることになるらしい。


 だが、3歳を迎えた頃から亜人は肉体の面で耳無しを超え始める。


 通常、この頃から亜人は剣奴として命が尽きるまで見世物にされるのが常だが、俺の飼い主は相も変わらず無防備にも俺を檻から出してベッドに連れ込んだ。


 事の最中にアレを食いちぎってやり、脱走。

 それ以降俺は追っ手を恐れて、闇に身を顰める野良猫になった。


 耳や、尻尾を隠し、残飯を漁り、盗みを繰り返す。それが俺の人生。


 もし見つかれば、体をばらされて闇オークションに並べられる。亜人食は通常の食に飽きたイカれた金持ちにとっては珍味になるらしい。


 もし国に帰ったとしても、待っている未来は2つだ。農奴となって生産職にその身を捧げるか、終わりのない戦場に送られてその身を散らす使い捨ての兵にされるかだ。


 俺達に幸せなんてない。幸せな未来なんて訪れない。


 そして今、俺は体の震えが収まらないでいる。


 あの男の無機質な瞳を思い出すだけで、かつてないほどの恐怖が俺の心を鷲掴みにして放そうとしない。


 俺は殺風景な石壁の部屋の隅で、両膝を抱えながら顔を伏せ続けていた。


 時間感覚が希薄なこの状況に、耳無しに飼われていた時のことを思い出した。

 あの時は、いつか一泡吹かせてやろうと内心息巻いていた。


 だけど今は、そんな心根など全く湧いてこない。


 俺は爪を噛みながらただひと言を詠唱の如く繰り返していた。


「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…。」


 突如、扉をノックする音に俺は体をびくつかせ、視線をノックされた扉の方へと向けた。


「お~い、レダ。ここにいるんだろう?」


 声の後に、再びノックの音が繰り返された。


 あいつか…。


 俺は興味を失って再び視線を闇で覆いつくす。


 あいつらは疫病神だ。あいつらが来てから踏んだり蹴ったりでロクなことがない。


「出てけよ!疫病神!ぶっ殺すぞ!!」


 震える声で虚勢を張り上げる。

 そんな俺を…俺は一番嫌いだった。


「まあ、そう言うなって。」


 突如聞こえた声の主が、まるで目の前から聞こえたような気がして慌てて顔を上げた。


 すると、そこにはあの男が俺の顔を覗き込むようにしゃがみ込んでいた。

 そして俺と目が合うと、歯を見せて笑った。


「うわぁあああああ!!」


 俺は慌てて飛び退いてベッドの上に着地すると、四足獣のように毛を逆立てて威嚇した。


 その様子を、男はケラケラと笑った。


「わりぃわりぃ!脅かせるつもりでドーヴェから合鍵借りてたんだよ。ワザとだから許してくれ。」


「謝り方おかしいだろ!!せめて悪気ぐらい包み隠せよ!」


 「ごめん、ごめん」と言いながら、男は硬いベッドの上に腰かけた。

 俺は相変わらず警戒が抜けない。

 そんなことを意に介さず、男は口を開いた。


「そういえば、自己紹介してなかったな。俺はアレクシー=オズワルドだ。よろしくな、レダ。」


 男、アレックがそう言って手を差し出したが、俺は無視する。そっぽを向いて視線を合わせようとしない俺に対し、アレックはお構いなしで話を続けた。


「単刀直入に言うぞ。これからルネリオスに広がっている病魔を駆逐しにいく。病魔にかからないお前の力が必要だ。手伝ってくれ。」


「いやだ!!」


 ハッキリと拒絶した。しっかり言葉として異を示したことで、アレックの中にも動揺が感じ取れた。俺はここぞとばかりに叩き込む。


「別に俺はこの町の住人がどうなろうと知ったこっちゃねぇ!そもそも俺は人間なんか大嫌いなんだ!そんでそんな奴らのために俺が命を賭けねぇといけねぇんだ!ふざけんな!!そんなことする義務も義理もねぇよ!!」


 俺は捲し立てるように怒りをぶちまけ、肩で息をしていた。

 それを受けて、アレックは神妙な顔つきに変わった。


「確かに義務はないだろうけど。義理はあるんじゃないのか?」


 俺は頭の中に疑問符を浮かべながらも、そのことの意味を自然と考えようとしていた。


 推し黙る俺にアレックは優しい口調で語りかけた。


「お前は助けられたはずだ。この場所に、ソドムの人々に…。お前は助けられて今を生きているんだ。決して一人で生きてきたわけじゃない。」


「うるさいうるさい!!!」


 知ったような口を利かれ、俺は堪え切れなくなった。


「テメェに何が分かるんだよ!!俺は一人で生きてきたんだ。ソドムに生きる奴らなんて俺が生きるために利用しただけだ!!」


「じゃあ、なんで昨夜のうちにとっととルネリオスから姿を消さなかったんだ。お前にその気があれば、この壁を乗り越えて外に出ることも、誰にも気づかれずに門をくぐることも出来たはずだろ?」


「それは…!」


 何も言い返せなかった。


 事実、それは俺も考えたことだった。でも、なぜかそうできなかった。


「生きるための打算だろうと何だろうと、お前はこの町を救われて、生かされているんだよ。思い出してみろよ。これまでの生活を…。」


 頭の中にこの町に来てからの記憶が呼び起こされる。


 飼い主殺しをして彷徨っていた時、奴隷商人に捕まって売り飛ばされた。

 ぶっちゃけ価値のない俺を、聞くだけでひっくり返るような値で買い取ったのはドーヴェの爺さんだった。


 亜人保護のためなんてキレイ事で大金をはたく。そんなマフィアがいてたまるか!俺は爺さんが信じられなかった。


 だけど、そこには俺よりも小さい亜人の子供がいた。そいつらはドーヴェのことを「じいちゃん」と呼んで懐いていた。


 当番制の炊事係が作る粗末な食材じゃあ、大したものは出なかったが、それでもここは食うに困らなかった。


 でも俺は、耳無しを信じられなくて、自由が欲しくて、ここを抜け出した。


 だが、貧民街でもおかしなことが起きた。


 アリーに姿を見られて以降、盗みに入った家にはなぜかテーブルに一食分のパンとスープが置かれていた。どの家に入ってもだ。


 気味悪くて一度も手を付けなかったが、アリーと出会った今なら分かる。

 彼女が町の人たちにお願いして、どの家に忍び込んでも食事が食べられるように話をつけていてくれたことを…。


 俺の目からはいつからか涙が溢れ出していた。


「ソドムはもう俺の故郷になっていたんだな…。」


 アレックは笑って頷いた。


「部屋の外に出てみろよ。面白いもんが見れるぜ。」


 その言葉に誘われるがままに、俺は部屋の扉を開いた。そこには慌ただしく走り回る住人達。マスクをつけ、武装する者もいる。


 その光景を見て、俺は唖然としてしまった。


「フォッフォッフォッフォ…。ようやく出てきおったか。」


 ドーヴェの爺さんが俺を見つけて近づいてくる。


「爺ちゃん…これは?」


 爺ちゃんは髭を擦りながら小首を傾げる。


「なにを驚くことがあろうか。町を守るのも人を救うのも、ソドムで暮らしている者として当然のこと。なんせワシらは…。」


 爺ちゃんの目尻に大きく下がった。


「家族じゃからなぁ。」


 その言葉を聞いて茫然とする。

 どれだけの時間、そこに立ち尽くしていたか分からない。


 突如、頭を引っ叩かれる衝撃で意識を引き戻された。


 痛くはなかったが、思わず叩かれたところを手で押さえながら、俺は目は憎たらしいガキの姿を捉えていた。


「ノア?!」


 いつの間にか現れたノアは大きく溜息をつく。


「全く…呆けてる暇はないの。さあ、作戦会議するの。」


「ノア!完成したのか⁈」


 アレックの問いにノアは2本の指を堂々と掲げていた。それが何を意味するのか、俺にはわからないが、アレックの顔がパッと明るくなったのを見てそれが良いサインだと言うことを察した。


 アレックが俺の背中を強く叩く。その勢いに思わずよろめく俺に優しく笑いかけた。


「さあ、反撃開始だ!!俺達がルネリオスを救い、偽聖女に引導を渡してやるんだ!クーデターは、真の聖女が育ったこの場所から始まるんだよ!!」


 俺は自然と胸が熱くなった。初めて体験するその感覚は、さっきまで俺を支配していた恐怖を振り払ってくれていた。


 孤独に生きてきた俺が初めて体験するそれの正体を後に知ることになる。どうやらその名を皆はこう呼ぶらしい。


 【仲間】…と。



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