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〜漆黒の災厄〜

◾️レダ

『カンパーイ!!』


 もう何度目かも分からない乾杯の音頭に辟易しながらテーブルの隅で肉の燻製にフォークを突き刺す。


 ここは貧民街の酒場。まだ日も上がり切らないというのに、出来上がった大量の大人達を横目に見ながらレモネードを煽った。


 その大人達の中心には、ゴルドラとかいうデカい女がいた。


 ゴルドラはエールの樽を抱えて飲み干し、赤ら顔で雄叫びを上げる。それを見て男女問わず大人達が拍手喝采と指笛を鳴らし、場は盛大に盛り上がっていた。


 この集まりが何かというと…何なのかわかんねー。


 アイツらの歓迎会でもあり、聖女アリーの擁立を讃える会でもあり…。まあ、飲む側からしたら理由は何でもいんだろう。


 会議解散後、結局誰も寝る事なく開かれたこの宴は朝方から今まで衰え知らずで続いている。俺は寝ようと思ったが、タダ飯食わせてやるという甘言に誘われて来たものの、流石にこのテンションにシラフではついていけなかった。


 で、俺の唯一の相手は向かいの席に座るいけすかねぇ大人びたガキ…確かノアだったか?ソイツが目の前でホットミルクを飲んでいた。


 なんか子供席みたいに隔離されてる感じで腹が立った。


 それにしても…。


「おっせぇ〜な…アイツら…。まだ寝てんのかな?」


 思わず口に出た言葉に、ノアが反応を示してミルクを飲む手を止めた。


「ん、どうだろ?さすがにそろそろ呼びに行ってもいいかもなの…。レダ、呼びに行ってくるの。」


「はぁ?何で俺がそんなことしなきゃいけねぇんだよ!」


「暇そうだったから丁度いいの。」


「そういう問題じゃねぇよ!」


 ったく…コイツの人を見下した物言いは腹が立つ。ホント苦手だ…相性が悪いって言うんだろうか?年上面するならもう少し優しくしろよな…。


 そう思った時、脳裏にアリーの姿が浮かんだ。その二人を重ねようとした瞬間に、俺は頭を振ってその心像を取っ払うと、席を立った。


「お、何だかんだ言ってお使い頼まれてくれるの。レダはいい子なの。」


「違ぇよ!!ちょっと外の空気吸いに行くだけだ!」


 俺は酒場の扉を乱暴に開けると《シュレディンガーの黒猫》を発動し、姿を隠す。


 そして、ブラブラと埃っぽい道を歩きながら、考えを巡らせる。


 正直、俺は迷っていた。果たしてこれからどうしていったらいいのかと…。


 大勢の人間に顔が割れた。これ以上人とつるむと俺のスキルの価値がどんどんなくなっていくような気がする。


 でも、俺はヤバい奴に顔を覚えられている。話に聞くと、教皇庁の執行人だという。簡単に言えば殺し屋だ。

 そんな奴と真っ向から戦えるような強さは俺にはない。だとしたら、奴と戦う力を持ってるアイツらとつるむことは、生き残る為にも最善だろう。

 別にアイツらは俺が亜人だからって差別したりするわけじゃないしな…。


 だが、何だろう…?素直にアイツらを頼るっていう気にならない。おそらくこれは変な意地を張っているからだと素直に認められるが、なんで意地を張ってるのかが釈然としない。


 もやもやする…。むしゃくしゃする…。


 イライラしながら貧民街を歩いていたとき、正面に妙な人だかりが出来ていた。側には立派な馬車があり、馬が引いてあった。それを野次馬が取り囲んでおり、遠目からしても異様な風景だった。


 俺は姿を消したまま、野次馬を掻き分けて最前列に出た。


 その瞬間、俺は血の気が引いた。


 そこにはまるまると肥太った神官が、馬車から転げ落ちたのか、仰向けに口から泡を吹いて倒れていた。その状況がただ事ではないことは一目瞭然だ。


 その男の体が黒く変色していたからである。

 そして、それが既に息を引き取っていることも容易に確認出来た。


 野次馬達が口々に語る言葉の中に、その男の身元を知るものがあった。


「おい…この人…神官長のボルフ様じゃないのか?」


 その男の言葉を鼻で笑うばあさん。


「バカ言うんじゃないよ!何で神官長様なんてそんな殿上人がこの貧民街に来たりするのさ⁈」


 その答えに答えられる者はいない。だけど、その男が紛れもなく神官省の神官であり、その身なりからかなり高貴な類の人間である事は間違いなかった。


 そんな人間がこんな所にわざわざ来て変死しているという奇怪な状況は、紛れもない事実だった。


 俺はふと、男の手元に目が向いた。そこには謎の液体が溢れる小瓶があった。近くにはコルク栓があり、それを男が抜いていたのは明らかだった。


 呆然とそれを眺めていた時、突如周囲に異変が起き始めた。


 野次馬達が次々に呻き声を上げて苦しみ出し、その場で崩れるように倒れていく。そして、ソイツらの肌を見た時、全身が総毛立った。


 野次馬達の肌に無数の黒い斑点が浮かび上がっていたのだ。


「な…何だよ…?何なんだよこれ⁈」


 俺の声はスキルの為、誰の耳にも届かない。


 その時、俺の第六感が危険を感じ取った。


 …見られている。誰かが今…俺を見ている!


 俺は四足獣の走りでその場を全力で離れた。


 あんな殺意に満ちた視線…。忘れるわけがない!アイツだ…。アイツがすぐ側まで来ている!!


 すっかり怯え切っていた俺はなんの考えも無しに、酒場まで走った。ただ助けて欲しい…。その一心で…。


 酒場の前にたどり着いた時、中の様子がおかしいことに気づく。さっきまでの馬鹿騒ぎとは違う騒然とした慌ただしさ…。


 中を覗き込むと、皆が一様に倒れ、それをノアが一人で介抱している姿が目に映った。


 中のノアと目が合う。俺は扉を開ける為にスキルを解除しようとしたその時…。


「スキルを解いちゃダメなの!!」


 その一喝に、ギリギリのところで踏み留まる事が出来た。ノアが代わりに扉を開け、中に俺を招き入れる。


 そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。息が荒く、苦しみ悶えて喉を掻きむしる者。吐瀉物と共に血反吐を吐く者…。泡を吹き…痙攣するもの…。そして、その全ての者達の肌に、無数の黒い斑点が浮かんでいたのだ。


 そして、それはその場いた者達の中で、ノアを除いて全ての者達が平等に侵されていた。


 つまり、あのゴルドラですら例外ではなかったのだ。


 ノアは額に汗を浮かべながら、努めて冷静に言葉を紡ぐ。


「レダ、聞くの。これは感染症なの。でもただの感染者なんかじゃない…。魔力で異常なまで増幅されているの。ノアは状態異常に対して完全耐性があるから平気なの…。でも、病気に対して強耐性を持つゴルドラですら侵されてしまうこの病は非常に危険なの!レダは…スキルのおかげで今は守られてるの…解いてしまったおそらく…。」


 俺は背筋が凍り付いた。危うく俺は火の中に裸で飛び込もうとしていたわけだ…。


「なんで…なんでこんな…?」


 原因は何かと考えた時、真っ先にあの神官が思い当たった。


「まさか…あの小瓶が…。」


「危ないの!!」


 俺の言葉を遮る様に、ノアが俺の体を押し倒す。瞬間、酒場の入り口扉が横凪に断ち切れた。


 もし、あのまま突っ立っていたら…俺は死んでた?


「う、あああ…うぁぁぁぁあああ!!」


 俺は錯乱して悲鳴を上げた。


 そして、破壊された扉の外から奴が現れ、昨晩の恐怖が蘇った。


 破壊された扉を蹴破り、それが再び姿を見せた。


 無機質な瞳と無骨な拘束マスク…。

 やはりこいつだった…。まだ俺を狙って…?


 マスク男は床に転がる俺達を軽く一瞥すると、酒場全体に視線を向けた。


「釣れたか?いや…あの俗女がいない…。」


 ぼそぼそと呟くと男は両手のククリナイフを手の上で回転させ、俺に向けて静かに距離を詰めてきた。


「女の居場所を答えろ。」


 俺は涙で顔がぐしゃぐしゃになり、ビビッて声が一言も出なかった。


 喋るとも喋らないとも言えない状況が数秒続くと男はナイフを逆手に持ち替えた。


 その動きに合わせて、ノアが俺の前に出て庇うように手を広げて立っていた。正直唖然とした。なんでこいつ…俺を守ろうとしてんだ?


「あなたに教えることなんて何もないの。」


 声の震え一つなく、ノアはそう答える。


 なんでそんな気丈に振舞えるんだ?お前は…俺よりもずっと弱いじゃねぇかよ…。


 力が入らない足腰を奮い立たせようと芋虫の様にもがく…。だが、体は金縛りにあったように動かなかった。


 マスクの男はナイフを持った手をゆっくりと振り上げる。


「ならば…死ね。」


 振り下ろされるナイフの最中、体の自由を取り戻した俺はノアの体を引き戻し、覆い隠すように逆に庇った。


 驚いて目を見開くノアの顔を見て、こんな面も出来るんだなって思った。


 あ~あ…。つまんねぇ死に方しちまったな…。


 そう思い、死を覚悟したその時、耳を劈く金属音を聞いた時、意識が一気に引き戻された。


「だ、大丈夫ですか…?二人とも…。」


「ご…ゴルドラ…。」


 眼前にはマスク男の一撃を金色の盾で防ぐゴルドラの姿があった。


 全身に滝のような汗を浮かべ、激しく呼吸を乱しながら、顔を歪めるゴルドラの苦痛がどれほどのものなのかは説明されなくたって分かる。

 それでもアイツは、瀕死の状況で立ち上がって俺達を守ってくれていた。


「死にぞこないが…。」


 マスク男が金の盾を蹴り飛ばすと、ナイフを大きく振りかぶる。そして、目にもとまらぬ斬撃が繰り出された。

 ゴルドラの両手にもいつの間にか金色のダガーが握られており、応戦するように無数の閃光と化した。


 奏でる残響が吹き上げる火花と衝撃、そして打ち流された斬撃が建物の中を切り刻んでいく。ゴルドラの背中から一歩でも出た瞬間に、流れた斬撃の餌食になるのは明白だった。


 見た目は互角。だが、明らかに条件が悪い。


 病の所為かゴルドラの目は灰色に濁り、あれで本当に見えているのかは甚だ疑問だ。

 そして徐々に、押し負けてきているのが分かる。力が…入らないんだ。


 そして決定的な瞬間が訪れる。


 ゴルドラの右手に持つダガーが、男の剣戟に負けて弾き飛ばされた。


 その後、あっという間の出来事だった。


 ゴルドラの体に無数の刃が走り、夥しいほどの黒い血が噴き上げた。男は大量の返り血を頭から被ったが、顔色一つ変えず、そのまま崩れていくゴルドラを見送った。


「ご…ゴルドラ…?」


 俺の弱弱しい呼び声も虚しく、ゴルドラはそのまま仰向けに倒れた。呼吸のために激しく拍動していた体が、その動きを止めた。そして、荒かった呼吸までもか細くなっていく。


「う…あ…ああ…ああああああああああ!!!」


 ゴルドラが…死んだ…。もうどうすることもできない…。死ぬ…。

 …せめて、こいつだけでもどうにか助けることができたら…!


 俺がノアの肩を掴んだ瞬間、その手はあっさりと払いのけられた。


「どさくさに紛れて不埒なの。」


 白けた視線で俺を見上げるノアに、俺は呆然とした後、怒りが湧いた。


「な!てめえ!冗談も時と場合を選びやがれ!」


 そんなやり取りに関心などなく、マスク男はナイフに付いた血を払い落とし、こちらに照準を定めていた。


 だが、ノアは慌てる様子を見せない。なぜそんなに余裕なのか、俺はその後に知ることになる。


 突如、酒場の中全体が巨大な魔法陣に包まれた。


転移門アストラルゲート。ちょっと大きいし、飛ばす人を選んでたら時間かかったの。」


 酒場の中を覆いつくす様な巨大な扉が出現し、俺は茫然とそれを見上げるしかなかった。


 そして、その扉が開き始める。扉の中に吸い込まれるように、酒場で倒れていた人々の姿が次々と消えていく。そして、ゴルドラも同様に光となって消えていった。


「さあ、レダ。あんたは自力で入るの。」


 ノアが俺の腕を引き、扉の前に引っ張っていく。


 これはどこかに転移させるのか?逃げられる?でも、こいつは?


 俺が男に目を向けると、珍しく眉間に皺を寄せていた。


「逃がすと思うのか?」


 そうだ。この男も一緒にこの門の中に入っちまったら…。


 だが、そんなことに頭が回らないノアではなかった。


 ノアはポケットから一つのルーン石を取り出した。赤と緑が組み合わさった様なそれを、まるで見せつけるように男へ向けて掲げる。


「これはパパとロアちゃんが一緒に作った合成ルーン。火のルーンと風のルーンの合成魔石なの。」


 そう言うと、魔石が光を放ち始めた。


 それに合わせ、マスク男は攻撃に転じようとする。だが、突如魔石から発生した強風によって一瞬体勢を乱した。そしてその風は、熱波の如き温風だった。


 呆然と成り行きを見ていた俺の腕を、ノアが強く引いた。


「呆っとしてないで早く扉の中に入るの。」


 無理やり扉の中に押し込もうとするノアの背後を狙うように、男がナイフを振り上げて迫っていた。

 確かにすごい風だが、奴の動きを封じることが出来るような風力ではない。


「危ない!!」


 そう叫んだ瞬間、男の体が突如止まった。


 力の限り藻掻く男の体は頭から足元まで金色に輝き、まるで張り付けにされているかのようだった。


 それを確認すると、ノアは勝ち誇った顔でふふんと笑う。


「ゴルドラの血は乾いたら金になるの。あなたたち法国が知らないはずないの。油断大敵なの。」


 ゴルドラの血…。乾いたら金になる?

 ってことは、さっきのルーンは奴が浴びた返り血や床に広がった血を乾かすため?


 扉の中に消えていく最中、ノアの手に金色に輝く針が握られていた。

 そしてそれを身動きが取れないマスク男に投げ放ち、それは奴の眉間に突き刺さった。


 最後に見えた光景は、奴の体が崩れ、別人の遺体に変わる瞬間だった。



「遅い!一体ボルフの奴は何をしているのだ!!」


 大聖堂の謁見の間にて、デズモンドはイライラを吐露した。


 それ見て、隊列を成している神官たちが委縮し、不安そうな顔で互いに顔を見合わせる。そんな神官省の連中を見て、いつも苦汁を嘗めさせられている騎士団省の聖騎士達はいい気味と冷ややかな視線を送っていた。


 しかし、それを率いる聖騎士団長は顔を顰めた。


 聖騎士団長 ハイレン=ローデンス。

 彼は知っていた。神官長ボルフは時間にルーズな男ではなく、常に上長の心証に関わることには最大の配慮を惜しまない男であることを。


 そんな男が枢機卿による定例会に遅刻するなど有り得ない。ハイレンは嫌な予感を感じ、一歩前に進むと、枢機卿に跪礼する。


「恐れながら、神官長殿が時間を違えるとは考えられません。何か重要な案件を抱えてしまったか、事件に巻き込まれたのではないでしょうか?お許しいただけるならば我々聖騎士団が捜索いたしますが…。」


 ハイレンの言葉を聞き終わる前に、デズモンドはわなわなと表情を曇らせ、後退さる。


 デズモンドの脳裏に浮かんだのはボルフの裏切り。

 枢機卿よりも上の存在、つまりは聖女リヴァイアに懐柔されたという疑念が真っ先にデズモンドを襲った。


 ボルフには既に例の計画を伝えている。その男が裏切ったということが意味するのはただ一つである。


 クーデターが聖女リヴァイアに露見しているということである。


 その事実に、デズモンドは軽い眩暈を覚えた。


(バレるのは分かる。だが、早すぎる!せめて一日、たった一日でも準備する時間が欲しかったというのに…。)


 苦々しく顔歪めるデズモンドはボルフという男を評価し直した上で、失敗を認めた。

 あの男は忠実な犬。決して噛みつくような男ではない。だが、よりうまい餌を与える主人に尻尾を振る男でもあるのだ。


 危険を犯して恐ろしい主人から逃れて貧しい生活を勝ち取るか、恐ろしい主人の下で富んだ生活を送り続けるかという二択で、ボルフが後者を選ぶ可能性を鑑みていなかった。


 デズモンドが逆の立場でもそうするだろう。性質の近い二人にとって圧倒的に違う条件…。

 それは聖女リヴァイアから後戻りできないレベルの断罪を下されたことなのだから。


 デズモンドは自身の指示を待ち、敬意を示し続けるハイレンへと視線を向ける。


 この男はボルフとは違う。ハイレン達聖騎士団が忠誠を誓っているのは国の安寧そのものであり、自身の利権や利益といった世界にはいないのだ。


 そんな彼らを間抜けだと陰で軽んじてきたが、その絶対なる忠誠心が今のデズモンドには何よりも心強く、柄にもなく感謝した。


 デズモンドは平静を取り戻し、咳払いを一つした。


「進言感謝する。しかし今は時を最優先とするため、ボルフ神官長には悪いが本題に入らせてもらうとしよう。下がれ。」


 ハイレンは一礼すると元いた隊列に戻った。


 デズモンドは大きく深呼吸をして呼吸を整え、クーデターの全容を語ろうとしたその時、謁見の間の扉が勢いよく開かれた。


 体が跳ね上がる程に肝を潰したデズモンドはだったが、その扉の先には伝令兵の男だった。


 デズモンドは安堵で胸を撫で下ろすと同時に、沸々と怒りが込み上げ、怒声を浴びせようとするよりも早く、その男が先に声を上げる。


「火急の知らせにございます!!ルネリオスの街が原因不明の病に侵されており、住人達に大きな混乱が起きております!!」


 ここまで走ってきたのだろう。肩で息をしながら震える声で、男は精一杯の声を張り上げた。

 デズモンドはその知らせが意味するところを理解した時、怒りは波のように引き、代わりに全身を恐怖が包んだ。


ーーー


「な、なんだ…これは…?」


 外に出て街の状況を見下ろした時、それがこの世のものとはデズモンドには、思えなかった。


 どこからともなく、怨嗟の様に響く呻き声。街中に散見される倒れている人の数はざっも見ても100を下らない。


 そしてその者達の皮膚がどす黒く染まっているのである。


 果たしてどんな病がこの様な事態を引き起こすというのか…。ここに集まる者達の知識の中に有している者はいなかった。


 その変わり果てた街並みを、デズモンドと神官省、騎士団省のメンバー達は眼下に納め、青ざめていた。

 辺りには、大聖堂の2階部に住む上流階級達が何事かと騒いでいる様子を見ると、どうやら病が広がっているのは地上だけの様だった。


 デズモンドは一つ奇妙な状況に気付いた。


 住人達の中で家の屋根に登っているものが多くいるのである。1人2人ではない、ザッと数えただけで50名以上…その光景は横たわる黒い死体ーおそらくーと並んで異様な光景に映った。


 そして、大階段の中腹ではラージシールドを持ったテンプルナイト達が隊列を組み、階段を上がってこようとする民衆達と衝突していた。そして、押し合い引き合いの暴動に発展していた。


「あれは一体何をしているんだ⁈」


 ハイレンが伝令兵に怒気を交えて尋ねた。伝令兵は口ごもりながら、「実は…」と語り始める。


「2階に住まう人々達から発症者が出ていないことから、病が低い所にいると発症するという憶測が広がり、住人達が官庁区画に逃げ込もうとしているのです。」


 それを聞いてデズモンドは一つの可能性が頭をよぎった。


 この病は、上空に飛散しないが、それゆえ罹患した人が上階に持ち込めば、その場所もまた感染区域になるのではないか…と…。


 その考えに至ったデズモンドは血相を変え、杖に魔法を込めた後に詠唱を開始した。そして、詠唱が完了するや否や、杖を勢いよく振り下ろした。


「デイムボルト!!」


 刹那!

 巨大な雷が大階段に詰め寄る民衆達の元に直撃した。


 阿鼻叫喚の最中、大階段は崩落し、民衆達は焼け死んだ者、転落して負傷、命を落とす者が大勢発生した。

 その被害はテンプルナイト達にも広がり、巻き添えを食らって下界に転落した者や雷に打たれた者が数名散見されるという凄惨な被害をもたらした。


 デズモンドの凶行にハイレンを始めとし、そこに集う者達からは驚きが隠しきれなかった。


「枢機卿!一体何を…!!」


「救いを求めようとしている民に対して、なんて無慈悲な!!」


 様々な批判の声が飛び交う中、デズモンドはただ息を荒くして眼前の崩壊を眺めていた。


「病に感染している者を上階に決して上げるな…。あのテンプルナイト共も同様だ。決して2階の地を踏ませるでないぞ!」


 息を荒げながらそう捲し立てるデズモンドに対し、ハイレンが前に出て跪礼する。


「畏れながら!このままでは事態を終息させることはおろか、街の人々を皆病で失うことになりましょう!また、病に乗じて治安が乱れる恐れもございます。是非とも我々聖騎士団に出動をお命じ下さい。」


 そう言って頭を下げる。それを聞いてガタガタと奥歯を鳴らした。


「な…ならん…!!」


 まさか拒否されるとは思いもしなかったハイレンは目を剥いて驚嘆した。


「何故ですか?!これは雨雲が去るのを待てばよいという状況ではないのです!確かに罹患者の隔離は必要ですが…これでは…!!」


「え~い!黙れ!!キサマはワシの身の安全を守ることだけを考えていればいいのだ!」


 激昂するデズモンドに対し、ハイレンは目を戦慄かせ、震える声で尋ねた。


「フォルケル様は…エルトルード近衛騎士団長はどうしたのです?!枢機卿の身をお守りするのはあの方であるはず…。」


「黙れと言っておるだろうが!!」


 デズモンドが杖を大きく振り上げる。ハイレンは避けるわけにも受けるわけにもいかず、ただそれが振り下ろされるのを歯を食いしばって身構えた。


「何の騒ぎでしょうか?」


 その声にデズモンドの動きがピタリと止まる。


 その声がデズモンドの心に深い爪跡を残している証か、震えが止まらない。

 だが一つ…あまりにも口調が彼の知るものと違い、凛として優し気な声色なのだ。それがまた奇妙で、デズモンドは恐る恐る振り返る。


 大聖堂の中から、神官たちを引き連れて、聖女リヴァイアが現れた。しかし、デズモンドはその姿を見て唖然とした。


 髪色は光を放つ金色、瞳は美しいエメラルドグリーン。白いベールへアドレスを身に纏い、清楚可憐なその出で立ちに、上流貴族たちも嘆息をあげ、その神々しさに目を奪われていた。


 それは神官省も騎士団省も一様であり、デズモンドはただ一人、リヴァイアの変貌ぶりに唖然としていた。


 リヴァイアは階段を降り切るとデズモンドへと近づく。


「ぐっ?!」


 デズモンドは思わずたじろいだ。


 出で立ちこそ、彼の知る黒き堕天使のような彼女と同一人物とは思えないものの、圧倒的な威圧感は変わらなかった。


「枢機卿これはどういうことですか?助けを求めようとする民に魔法を放ち、下界との道を絶った。これでは民を見殺しにしようとしているようにしか見えないのですが?」


 普段の気怠い喋り方ではなく、鈴の音のような凛としたその声にデズモンドは混乱してしまった。


「せ、聖女様!これは…これは違うのです!!私はこれ以上被害を広げまいと…。」


 口走ってしまった聖女という言葉に、辺りは騒然とし始める。


「い、今何と…?」


「確か…聖女様と…?」


「そんな…まさか聖女様がこのルネリオスに?いつのまに?!」


「お忍びでいらしておられたのか?ああ…なんと神々しい…。」


 忽ち辺りは平伏する者達に溢れ、枢機卿を除く全ての者達が膝を折り、リヴァイアを聖女として崇め、讃えていた。


 その光景に、デズモンドはたじろぎ、挙動を乱す。


 未だ止まない聖女への賛美の声を遮り、リヴァイアはハイレンに視線を向けた。


「お見受けするに、そちらの方は聖騎士団の者。オルフェリアの慈悲と愛を遂行するため、我が身も顧みずにその職務を全うしようとしていた彼に対し、あなたは先ほど何をしようとしたのですか?」


「いや…それは…。」


 返す言葉もなく、押し黙るデズモンドは敏感に周囲の空気感を感じ取る。皆がこの悪魔を崇高な存在として認知し、デズモンドを軽蔑の対象として蔑んでいたのである。


 その状況を理解し、デズモンドは愕然とした。


(は…嵌められた!!)


 デズモンドが口走るまで、眼前の御仁が何者なのか分からなかったのだが、枢機卿の一言により、誰もが疑うことなく彼女を聖女であると断定するに至ったのだ。


 聖女リヴァイアに対してクーデターを起こそうと画策していたにも拘らず、リヴァイアの悪行を公にする前に完全に先手を取られた。

 この状況から、デズモンドが「騙されるな!この女はとんでもない極悪非道の悪女だ!」と叫んだとしても、恐らく誰からも賛同を得られないだろう。なぜならここにいる者達は皆、彼女の本性を知らないのだから。


 ボルフがいないことが改めて悔やまれる。彼がいればリヴァイアの猫かぶりを暴くことも出来たかもしれない。そうした後悔ばかりがデズモンドを押し潰そうとしていた。


 そんなデズモンドを庇うように、ハイレンが聖女リヴァイアの前に出て跪礼した。


「お初にお目にかかります。聖女リヴァイア様とお見受けいたします。私はルネリオス騎士団省所属 聖騎士団 団長 ハイレン=ローデンスと申します。お越し頂いているとは露知らず、御拝謁が遅くなりましたことをこの場でお詫び申し上げます。」


 ハイレンの口上を聞きながら、リヴァイアの目が妖しく光った。

 新しいおもちゃを見つけた様なあの恍惚とした表情…だがそれに感づいたのはデズモンドだけであった。


 次の瞬間にはリヴァイアは優し気な笑みを浮かべ、跪くハイレンに近づく。


「お噂は耳に届いております。なんでも魔性の森の魔女を討伐されたとか…。大変大義でございました。」


「い、いえ!滅相もございません!!聖女様から直々に身に余るお言葉を頂き、恐悦至極に存じます。」


 再び頭を下げるハイレン。その様子をリヴァイアは(かわいい…。)と思い、舌舐めずりをした。


「恐れながら、枢機卿はルネリオスの中枢を守るために聖騎士団の出動をお命じにならなかったものと思われます。その中で些か口論になってしまいましたが、枢機卿もまた、このルネリオスを守りたい一心だったと愚考致します。どうか、ご容赦ください。」


「な…お、お前…。」


 思わぬ助け舟に、デズモンドは目を白黒させる。それに対し、リヴァイアの瞳に濁りが走った。その変化に気付くことなく、ハイレンは続ける。


「しかし、我々聖騎士団は命を賭して民の安寧を守ることこそ責務!今この時、助けられるはずの命を見殺しにすることはオルフェリアの教えに反するものと進言致します。どうか、我々に出動をお命じください!!」


 ハイレンがそう言うと、その場にいた屈強な聖騎士団50名がハイレンの後ろで美しい幾何学模様の隊列を形成し、一斉に跪礼した。

 リヴァイアから見ても、それは美しいとさえ感じられた。


 デズモンドは何も言えなかった。

 もはや止める発言は出来ない。

 しかしながら、行って来いとも言えない。


 この場の決定権がリヴァイアに移ってしまっているということもそうだが、正直のところデズモンドは失いたくなかったのだ。これ以上、自身を守るための戦力を…。


 だが、もう歯止めが効かない。

 リヴァイアはデズモンドの企みを全て知った上で、その計画の全てを破綻させるために動いているのだから。


 当然リヴァイアはその申し出に頷き、哀し気に顔を歪めた。


「あなた方の決意、忠義、信仰…そして愛…確かに受け取りました。聖女 リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリアの名の下に命じます。聖騎士団は全軍出撃。可能な限り民の救出をお願いします。」


 騎士団全体から『はっ!!』という返事が上がる中、ハイレンは「畏れながら…」と口を開く。


「一つご許可を賜りたい義がございます。」


「それが民を助けるためのものであれば何なりと…。」


 「では」とハイレンが続ける。


「ルネリオスに立ち込める病魔を追い出すためにも、民の安全を確保するために全門開放のご許可を頂きたいのです。」


 それを聞いてリヴァイアは眉を顰めた。


「見たところ今朝方から城壁の門がどこも開いていないようにお見受けします。この病は上空へは飛散しないとのことですので、このままでは空気は澱み、被害は大きくなるばかりであると愚考致します。どうか、ご許可を。」


 そう言って頭を下げるハイレンを見下ろしながら、リヴァイアは小さく舌打ちした。


 「えっ?」と顔を上げそうになったハイレンだったが、リヴァイアは大きく頷いた。


「いいでしょう。但し、全門を開くということは屈強なこの城壁に穴をあける行為に等しい。もし今回の件が何者かによる侵略であれば、ルネリオスは容易く敵の侵入を赦すことになってしまいます。各扉に聖騎士団を配置させること。それが条件です。」


「御意に。それでは、聖騎士団、直ちに出動いたします。」


 ハイレンが立ち上がるとそれに合わせて聖騎士団全員が立ち上がる。そして一同は抜剣し、それぞれ自身の前に翳し、聖女へと祈りを捧げた。


 ハイレン達は各人に鳥の嘴のような防塵用マスクを装着し、表の大階段に簡易の橋を作って下界に向かっていった。

 

 リヴァイアはその光景を冷ややかに見送ると、神官たちに病魔の特定と治療法の確立を急がせるように指示を出し、民衆たちにはむやみに外に出ないことなどを厳しく言及し、その場を解散させた。


 そして、そこにはリヴァイアと神官に扮していたシェゾ、デズモンドだけが残る。


 デズモンドは生きた心地などなく、体はガタガタと震えていた。それを見て、リヴァイアは嘲笑を浮かべた。


「あんたが考えることなんてお見通しよ。ばっかじゃないの?そう思うでしょ?シェゾ?」


 そう言ってケラケラと笑う。だが、デズモンドは何も反応を見せない。それが癪に障ったのか、リヴァイアは眉を顰めた。


 「そう言えば…」とリヴァイアは顔を邪悪に歪めた。


「あの団長さん、なかなか強そうだしタイプだけど…あれは飼えないわね。どう思う?シェゾ?」


 シェゾは静かに頷く。


「無理です。あれは人に仕えておりません。」


 シェゾの即答に、リヴァイアは興味を失った様に欠伸を一つ溢した。


「そう、じゃあ適当に処理していいわ。あ~そうだ…シェゾ、この病を外に出しちゃだめよ。折角いい感じに充満してるんだからさ。」


「御意。」


 そのやり取りを聞いて、デズモンドは戦慄した。


(この病はこの女が意図的に起こしたのか?)


 昨夜から城門がすべて閉じているのは昨日の亜人騒動によるもの。

 上層区域には侵入していないことは確実となれば、昨日キングレギオン達は下界にいることは必然。それとも地下か…。


 この病魔騒動はデズモンドの面目を潰し、聖女としてのカリスマを披露することでクーデターそのものの芽を摘むだけでなく、自分たちに害する恐れのあるものまでもまとめて駆逐するという意図があったのだ。


(理に適っている…。全てのことが同時に解決する一手とも言える…。だが、そうだとしても…。)


「被害が…大きすぎる…。」


 デズモンドの口から零れたその言葉は、眼下で死に絶え、滅びゆく街に対して満面の笑みで高笑いを上げるリヴァイアには届いていなかった。



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