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〜教皇庁を蝕む闇〜

▮デズモンド

 どうすればいい…どうすればいい…どうすればいい!!


 あの地獄の部屋から生きて帰れたことに安堵したのも束の間…。冷静になって考えてみれば、あの女が私をこのままのうのうと生かすわけがないのだ。


 結局は殺される。


 やつはこれからどんな手段も厭わない方法で昨夜の報復をするだろう。その責任を全て私に擦り付けて、この問題を終わらせるに違いない。


「そうはいくか!ワシは…ワシは…楽してこの地位に立ったわけではないのだ!!あんな小娘のように、親から譲り受けたような地位ではないんだ!!」

 

 若き日々の艱難辛苦…。そして蛍雪の功…。

 大きな後ろ盾もなく、下働きから始めたワシにとって、この地位は積土成山の賜物。


 積み上げて、積み上げて、積み上げて、積み上げて、積み上げて…。そうして今がある。


 失ってたまるか!ただ黙って謀殺されてたまるものか!!

 そうだ…やらなければやられる。ただ無為に…。虫ケラのように…。ならば…。


「先にやるしかない…か…。」


 そうだ…そうだ!!奴ら言っていたではないか!あの死神をもってしても勝てないと言わしめたキングレギオンが2匹も、このルネリオスいるのだ!


「そうだ…そうだ!ようやくワシに運が回ってきたぞ!!」


 公表するのだ!あの悪魔の化身のような聖女リヴァイアの所業を!そして宣伝する。本物の聖女もまた、このルネリオスにいることを!!


 そして味方につけるのだ。

 キングレギオンを二体も有するという、その強力な勢力を!


 ワシはあの悪女に逆らえなかった被害者として、一定の非難は浴びるだろうが、今こそ打倒の時と立ち上がったという功績を残せるだろう。


 もちろん、今後裏取引などは諦める必要はあるが、このままでは破滅と死が待っているのだ。その程度は躊躇うことではない!


 だとすれば、直ちにその者達とコンタクトを取らなくてはならない。

 こういった場合のために便利な男がいる。奴を使わない手はない!


 笑いが止まらない。あの悪女に鉄槌を下し、地べたに平伏す姿を想像すると、昏い欲望がいきり立つ。


 そうと決まれば善は急げだ!

 一睡もしていないことなど忘れ、行動を開始した。


 しかし、ワシはその後に思い知ることになる。

 あの女が秘める悪意のレベルを完全に見誤っていたことに…。



▮ジネラ(回想録)

 私は聖女マリステラ様の筆頭侍女として、幼少期から側女を務めてまいりました。


 マリステラ様は聡明で大変お美しく成長され、宮内では誰が聖女様に見初められるか、という話でいつも持ち切りでした。


 聖女は代々女の子しか生まれません。


 そのため、聖女の夫は教皇たる器が求められ、それはいつの時代の女性たちも話題の中心になっていたのです。


 聖女は子供を産むことでその力の全てを継承し、母となった聖女は聖母と呼ばれます。


 つまり、聖母となれば、聖女の時にあった証は消え、ユニークスキルも失うということです。

 しかしながら、聖女の母、教皇の妻としてその権威は消えることなく、バーラルの中枢を常に支えていくことになります。


 しかしながら、侍女たちの間ではある暗い噂が広がっておりました。

 所詮は女の噂話と笑い飛ばすこともできるでしょうが、それはまことしやかに私の耳にまで届きました。


 それは、歴代教皇が皆、表に出せない寵姫を持っているという話です。


 その寵姫とはいったい誰なのか?ということは勿論話の中心となりますが、一つ奇妙な噂もありました。


 それは、歴代教皇は皆同じ寵姫を娶っているという怪談めいた話である。


 私は笑い飛ばしました。

 何故そんな噂が立つのか?誰も顔を見たこともないにも関わらず…。


 しかし、面白い事象がございます。

 皆でその寵姫とはどのような顔なのか、と想像で紙に書かせた時、皆が一様に同じ特徴の女性を書いたことです。


 私もそれを経験し、薄ら寒くなったことは忘れもしない。


 そういうわけで、新しい教皇を迎えるにあたり、私は気が気でなかった。


 マリステラ様は私の全てを捧げてきた敬愛と親愛の象徴であり、そのような方を差し置いて寵姫を設けるなどということは許し難かった。


 だからこそ、選抜候補者の選定権限を持っていた私は、誠実さを第一として後の教皇マクスウェル様を選んだ。


 仲睦まじいお二人の様子に、私は幸福に酔いしれておりました。


 しかし、それは違和感という形で私の中に暗い影を落とすようになります。


 聡明で快活な教皇様が徐々に公の場から姿を消し、自部屋に引き篭もるようになっていったのです。

 そして、それとは逆に全ての公務を担い、権勢を振るうマリステラ様という構図がバーラルでの平時となったのでございます。


 しかしながらこの構図は何も珍しいことではありませんでした。


 何故なら、歴代の教皇は皆同じように、即位した後はお飾りのように佇むだけで、公務の全ては聖母様が取り仕切って来たのが、通例となっており、それに対して声を上げる者などいないほどに、公然としたものになっていたからです。


 誓って言いますが、マリステラ様は奥ゆかしく、一歩身を引いて教皇様や官僚達を立てることが出来る方でした。野心など畏多く、権力を振りかざすような方ではなかった。


 今のマリステラ様は私の知るマリステラ様ではない。


 私は直感的に感じました。


 ある日、私はマリステラ様の世話中にその真偽をかけて罠を仕掛けました。

 紅茶の際に出す角砂糖を、いつも二つ出すところを三つにしたのです。


 私が出した紅茶を見て、マリステラ様は訝しんだ顔をします。


「ジネラ?角砂糖が一つ多いわ。私が二個しか使わないことは知っているでしょう?」


 そう言って、角砂糖を一つだけ残し、そのまま紅茶を飲み、私を退席させました。


 その瞬間に気づいたのです。


 この人はマリステラ様ではない。偽物だ!と…。


 これは私達二人が昔から使っていた合図なのです。この合図は『二人だけで話したいことがある』という意味なのです。


 これまでお仕えした中で、これは何度も使われて来たものであり、忘れているなど到底有り得ません。


 今のマリステラ様は完全に知らなかった。それが動かざる証拠と言えるでしょう。


 あれがマリステラ様でないならば、マリステラ様は一体どこにいるのか…。


 私はマリステラ様の痕跡を探しました。

 必ず生きていらっしゃる。

 それだけを信じ、バーラルの中を隈なく探しました。


 離れや厨房、侍女たちの部屋、騎士団の詰め所、地下の牢獄などなど…。

 通常、私が行くことのない場所を中心として捜索を行いました。


 聖女付きの筆頭侍女という肩書は思いの外強く、私に対して無礼があれば聖女様からお怒りを買うとでも思ったのでしょう。どこかよそよそしい態度で応対されるのが常でありました。


 疑惑を持ち始めて一か月…。何の成果もないまま時は流れておりました。

 そもそも生きているということから仮定でありましたので、もしかしてもう…と不敬な考えが過ぎることもございました。


 監禁されているということが前提であるならば、食事の製造数量やそれを運ぶ先などに何らかの異変が見られるはずでしたが、そうした様子はございません。


 噂に戸は立てられないと思い、積極的に侍女達との歓談に参加しましたが、目ぼしい情報を得ることが出来ませんでした。


 あと私が探せていない場所は二つ。


 一つ目は教皇様が籠られている自室です。教皇様のお世話には老いた執事バトラーの【レイナード】が一人ついているだけであり、それ以外の者、特に侍女は中に入れさせてもらえません。

 そのため、中の状況について調べることが出来ずにおりました。


 二つ目は、件の寵姫の部屋。

 正直、可能性としては低そうに感じました。なぜなら、この一か月部屋の扉が開くことは全くなく、誰かが近づく様子も見られませんでした。


 前述した通り、監禁ならば食事の供給が必要であり、もしあそこに捕らえられているのであれば、あの扉が一日の間に複数回開いて然りです。しかしながら、扉のノブにほこりが薄っすら積もっており、扉周りに開閉した形跡も同様にないことからもその線は薄いと判断せざるを得ませんでした。


 しかし、私は一つの違和感を感じていたのです。それは、教皇様の自室は教皇の間の奥から入る構造となっているため、地図を書かないとわかりづらいのですが、寵姫の部屋とは隣接しているのでございます。

 もし、寵姫の部屋への出入りが、教皇様の自室から可能であれば、扉の開閉は不要ということになるのです。


 そう考えが及んだ時、私はどうにかして寵姫の部屋に入り込む方法を考えました。


 寵姫の部屋は教皇様の自室と同階と言うだけあって地上5階と、外からの侵入は不可能な厳戒エリアとなっております。

 真っ先に考える窓からの侵入は発見される恐れもあり、不可能と言えます。


 しかし、私はただ一つだけ、寵姫の部屋に辿り着く方法を見つけたのです。

 それは、寵姫の部屋の真下の部屋から天井を抜いて侵入する方法でした。


 幸いにも、4階のエリアは私達侍女の寝所や倉庫、ドレスルームなどがあり、寵姫の部屋の真下は空き部屋となっておりました。


 私は筆頭侍女の権限をもって寝所の配置換えをして、自室をその部屋にし、隣接する部屋を空き部屋にするようにしたのです。


 そしてその日から、私は天井の一部をくり貫く作業を始めました。柱や壁の石造りと違い、天井や床は漆喰やスタッコ、石膏などで作られているため、時間をかければ女の手で削ることは不可能ではありません。勤務外の僅かな時間を使い、少しずつ天井の一角を削り取っていきます。


 そして2週間近く経った頃、天井の貫通もまもなくという時になって、上階から反応があったのです。


「…何者ですか?」


 突如部屋の床が抜かれているとなれば、取り乱すのが当然の中、その声は努めて冷静で意図的に顰めたようでした。

 しかし、私はその声の主が顔を見なくても分かりました。嬉しくなり、叫び出したくなる気持ちを抑えて、努めて冷静に声を返しました。


「マリステラ様ですね…。私です。」


 敢えて名前を言いませんでした。当然わかるだろうと高を括って…。しかし、帰ってきた言葉は残酷なものでした。


「…誰ですか?あなたは私をご存じなのですか?」


 私はあまりのショックに言葉を失いました。私は暫し茫然とした後、そのまま天井を打ち抜きました。そして、天井の穴に顔を突っ込み、その部屋に顔を出したのです。


 正直、思い描いていたそれとはまったく違う光景がそこには広がっていました。


 調度品など一つもなく、殺風景な寒々しい石の壁に包まれ、一際大きなベッドだけが置かれた部屋。 本当にそれだけの部屋だった。


 そして、その部屋にはマリステラ様がいた。それは確かにマリステラ様でしたが、信じられないほど粗末な服を着させられ、メイクの一つもせずに虚ろな顔で座っておりました。


 そして目を見張ったのは、大きく張り出した腹部です。それはご出産が間近であることがよくわかるほど大きく張っており、その事実はこんな状況とはいえ、得も知れぬ喜びを与えてくれました。


 しかし、マリステラ様は私の顔を見ても、名前を呼んでくださらなかったのです。


「私です!ジネラです。貴方様の筆頭侍女として長年御側にお仕えしてきた私をお忘れですか!」


 耐えかねて思わず声を荒げた私に対し、マリステラ様は目を戦慄かせると、口元を抑えてさめざめと涙を流し始めました。


「ジネラ…あのジネラですか…?ああ…本当に懐かしい…もう10年以上も前の事でしょうか…。私のことを覚えていらしたのですね…。」


 その一言に私は首を傾げた。


 10年以上前?どういうことなの?私はついこの間まで、ずっとマリステラ様とともにあったのに、懐かしいだなんて…。


 私は部屋へと這い上がるとマリステラ様と直接対峙した。そして、衝撃の事実を私は告げられることになったのだ。


 マリステラ様は10歳になった頃からこの部屋に閉じ込められた。


 それは初潮が起き始めた頃と重なっており、それからマリステラ様はこの部屋で懐妊と堕胎を10年近く繰り返しているというのです。


 毎年のように膨れる腹部、そして産まれることなく流されていく命…。


 私は言葉を失った。


 マリステラ様が有象無象の男どもに変わり代わり凌辱されていたのではないかと想像した時、怒りで訳が分からなくなった。


 しかし、マリステラ様の口からそれは否定される。


 どうやらこの部屋に来るのはただ一人の女だというのです。

 予想通り、教皇様の自室とこの部屋は繋がっていたようですが、その者は人間ではなかったとマリステラ様は言いました。


 マリステラ様はその女のことを悪魔だと言いました。


 悪魔というのは両方の意味を込めてでしょう。黒い4枚羽と魔性なる美を持つ花顔柳腰。紫紺の髪と艶めかしい瞳が醸し出す色香には、男女を問わず狂わせる妖しさがあったそうです。


 そして恐るべきことに、その悪魔に腹を弄られると、数か月後には懐妊を果たしてしまうとのことでした。


 この腹の子は一体だれのものなのか…。

 私は悪魔を産み落とそうとしているのか…!


 マリステラ様は恐れ戦く毎日を送っていましたが、それは唐突として終わりを告げるのです。

 臨月が迫る夜、あの悪魔がたちどころに現れ、張り詰めて膨れた腹に手を伸ばすと、腹の中の胎児をいともたやすく抜き取り、どこかへと消えてしまうというのです。


 その一事で、マリステラ様は悟ってしまったそうです。


 あの悪魔は聖女の力を宿した子供を何かに使おうとしていることに…。

 おそらく、企みは失敗しているのでしょう。なぜならば、懐妊したというのにマリステラ様から聖女の刻印や力は失われていないのですから。


 しかし、その悪魔は何度もマリステラ様を懐妊させ、胎児を育てさせて、奪っていく。


 そんな日々が繰り返していく中で、心がボロボロに壊れていく最中、またしても懐妊したマリステラ様はこの子をなんとか悪魔に奪われる前に生みたいと考えていたようです。


 そんな折、私が現れた、ということである。


 ここで一つの疑問が頭を過ぎる。

 幼少時から10歳までの間は確かにマリステラ様にお仕えしてきたが、以降は誰にお仕えしていたというのだろうか?


 私は薄ら寒くなった。それには様々な可能性が浮かんだからだ。


 その女悪魔が化けていたという線。

 幻覚や集団催眠をかけられているという線。

 そして、その堕胎させた子供を使ってマリステラ様の偽物を作ったという線だ。


 脳裏に過ぎる悍ましい想像を振り払うように私は頭を振りました。


 私はその時、どんな顔をしていたのかはわかりません。おそらく、かなり酷い顔をしていたのでしょう。

 法国が悪魔という脅威によって内側から壊されようとしている現状を目にしてしまったのです。


 意気消沈する私に向けて、マリステラ様は私にこう言われました。


「ジネラ。こうして貴女と出会えたのもオルフェリアの女神の導きでしょう。貴女にお願いしたいことがあるのです。」


 その力強い眼差しに、私は心を揺さぶられ、「なんなりと!」と答えた。


「奴の狙いは、聖女の力を宿した悪魔を作ることなのでしょう。しかしながら、その力を継承した胎児かどうかの見極めが出来ていない。彼女は聖女の刻印の事を知らないのでしょう。恐らく力の引継ぎは産み落とされる瞬間に行われるということを彼女は知らないのです。」


 マリステラ様は大きくなった腹部を撫で、震えながらも努めて気丈に話された。


「私はこの子を産みます。そして貴女には、生まれた次なる聖女を連れて逃げてほしいのです」


 その言葉を聞き、私はすぐに首を縦に触れなかった。


「逃げるのであれば、マリステラ様も一緒に…。」


 マリステラ様はすぐに首を横に振る。


「私が一緒では、逃げられるものも逃げられなくなるでしょう。それよりも、私が残っている方が、逃げ出すための時を稼ぐことが出来ます。」


 首を傾げる私に対して、マリステラ様は自身の腹部を撫であげた。


「私にはわかります。この子は双子だということが…。」


 そこまで告げられた時、私は全てを察した。


「聖女の力は一子相伝。一人にしか受け継がれない。ということは…。」


 マリステラ様は頷きました。


「ええ、聖女の刻印を宿す子を貴方に託し、残った子と私はそのまま残ります。あの悪魔は、思いがけず早く生まれてしまったことに戸惑いつつも、まさかもう一人生まれていたことには気づかないでしょう。私と共に残った子は、聖女としての力を受け継いだ者として育てられることでしょう。」


 私は計画を聞きながら顔を顰めた。結果だけを鑑みれば非常に巧妙ではあるのだが、そこに辿り着くまでの過程があまりにも難しい。


 まず、悪魔が訪れる前に出産を済ませるといことです。

 私の心得では桂皮、茯苓、芍薬などで陣痛を促進できるが、確実ではないためどうしても運が味方をしてくれることを祈るしかない。


 次に、胎児が無事に出産されるかというリスクだ。

 双子なだけでもかなりの危険を伴う上に、薬を使っているとなると、そのリスクはさらに上がる。


 そして脱出経路です。

 この広いバーラルの4階から脱出して追手が来ないところまで逃げるというのは、正直困難を極めている。

 バーラルは大陸の最西端。逃げても逃げてもオルフェリアの領内であり、他国に逃げることなど途方もないことだったのです。


 だが、「止めましょう」とは言えませんでした。

 マリステラ様の目は既に覚悟なさっていたからです。


 オルフェリアの導きとあれば、私もその試練を受け入れるほかありませんでした。


 それから私達は計画を実行し始めました。


 突然行方不明になっては必ず捜索の手が伸びると考え、私は身辺の整理を始めました。

 まず離職を願い出て荷物をまとめます。この頃まだ36歳。まだやめるには早いと大変惜しまれましたが、後ろ髪を引かれる思いで振り切りました。


 部屋の荷物を運び出すのと同時に、赤ん坊を外に出せるか否かは、いつ生まれてくるのかということに全てが掛かっておりました。

 そのため、私は例の通路からマリステラ様に薬を届け、陣痛の頻度や間隔をメモし、綿密に計算して日取りを決めました。


 馬車が迎えに来る日が翌日と迫った日、私は一睡もできずに夜を過ごしました。

 ここで陣痛が始まらなければ、計画が大きく狂ってしまう。


 私はオルフェリアへ祈り続けました。


 そして、遂にその時が来ます。


 天井から垂れ下がった糸が大きく引き上げられたのを見た瞬間、私は急いで上階に登りました。


 大きな陣痛が来た際の合図として握らせていた糸を握りしめ、マリステラ様は息も絶え絶えで苦しんでおられました。

 声をあげて誰かが来てしまっては全てが破綻してしまうため、声を必死に殺して痛みに耐える姿に私は酷く心を打たれました。


 そして、私は無事、二人の赤ん坊を取り上げることが出来ました。


 一人目はマリステラ様の生き写しのような女の子であり、控えめなかわいらしい産声を上げ、目元には聖女の刻印が認めらました。

 私がマリステラ様の顔を見た時には、既にその刻印はなく、全てこの子に受け継がれたことを確認して、へその緒を切ります。


 そして、続けてもう一人の子を取り上げた瞬間、私は思わず手を放しそうになってしまいました。


 その子は産声を上げなかったため、亡くなっているのではないかと顔を覗き込んだ瞬間、なんと目を開いたのです。生まれたばかりの子だというのに…。


 その瞳は灰色に濁っており、マリステラ様とは似ても似つかず、不敬ながら恐怖してしまったのです。


 私は二人を産湯につけ、おくるみに包むと、聖女の赤ん坊を連れて部屋を後にします。


「ジネラ、よろしく頼みます。どうか聖女の力を守り抜いてください。」


「はい、この身に変えましても…マリステラ様…どうか、どうかご自愛を…。」


 そう言って下階に降りようとする私を、マリステラ様は今一度呼び止めた。


 私が顔を上げると、そこには聖母と呼んでふさわしい微笑みを浮かべた母親の姿があった。


「その子の名はアリアデル…。アリアデル=エスタ=リエ=オルフェリア。どうか、オルフェリアの女神の御加護があらんことを…。」


 そう言って祈るマリステラ様に見送られながら、私はその場を去った。



 そして翌日、不敬ながらも幼い聖女を荷物と共に馬車に積み込み、私は多分な見送りを受けてバーラルを去った。

 彼らを騙す様な形になってしまったことに、後ろめたさを感じながら、私は実家に戻るふりをして教皇庁バーラルを離れました。


 そして、第1法王庁【ラトクリフ】に入り、馬車と荷物を捌いて路銀に変えると、船を使って第6法王庁【アルビオレ】に入りました。

 ここは帝国【グランベルド】との国境に面した都市であり、国外に出るときにはこの関所を通るしかありません。


 しかし、帝国と法国の戦線が激化していたため、国境を超えることは不可能でした。


 戦火に晒される危険性があるアルビオレから逃れるため、腰を落ち着けた先が、第7法王庁ルネリオスだったのです。


 この町の貧民街は闇組織により守られており、法国の目から逃れたい私たちにとってはこれ以上にない隠れ家となったのです。


そして定住して暫くの時が経ち、私たちの耳に新たな聖女が誕生したという情報が流れてきました。


 その聖女の名を【リヴァイア=サンダ=リエ=オルフェリア】といったのです。



 一同の間に息苦しいほどの静寂が包み込む。


 勇者は話の内容を頭の中で整理し、息詰まる沈黙の空間を切り裂いた。


「つまり、法国はいつの頃からか教皇をはじめとする中枢が女悪魔の手中にあった。そいつの目的は聖女の力を取り出そうとしていることが窺える。そして今、法国には二人の聖女が存在している。聖女として公表されている双子の妹のリヴァイア…。そして、聖女の刻印を宿し、聖女の力を全て受け継いだ本当の聖女である、アリー…。」


 勇者の言葉に、ジネラは頷いた。

 しかし、当の本人であるアリーは未だ動揺を隠せないままでいた。


「お、お母さん…。冗談でしょう?そんな…そんなとんでもない話し…。だってその話が本当なら、お母さんは…。」


 ジネラは目を瞑り、静かに頷いた。


「ええ…。私はあなたの実の母親ではないのです。」


 アリーは席を立ち、目を戦慄かせて後退る。その場から逃げ出そうと部屋の扉に駆けだした。


「アリー!!」


 勇者の呼び止める声を聞かず、その場から出て行ってしまったアリーの背中を追いながら、ドーヴェは髭を擦る。


「案ずることはない。意地でもあの子を外に出すことはさせんよ。今は頭の中が整理出来んのだろう。一人にしてやりなさい。」


 思わず追いかけようと立ち上がった勇者は気まずそうに席に座りなおした。

 そんな中、ロアはいつになく神妙な顔をして虚空を見つめていた。


「ママだと思ってた人が本当のママじゃなかっただけでも辛いと思うぜ。それなのに、聖女だの、命を狙われてるだの言われたら誰でもショックだろうさ。」


 ゴルドラは小さく小首を傾げた。


「それにしても、なぜ命を狙われていると断言できるのですか?本当の聖女として迎え入れるという可能性はないのですか?」


 それは勇者も気になっていた。視線がジネラへと集まる中、ドーヴェが口を開いた。


「聖女リヴァイアはのう、行啓と称して各法王庁を不定期に単独で行っておる。正直、今まで例にない行動よ。そしてそこで命ぜられていることは一つ。聖女・女神・魔女など尊敬や畏敬を集める存在を駆逐することなのだよ。」


 その言葉に、勇者をはじめ、ロアとゴルドラもその命令の意図を察するに至った。


 つまり、リヴァイアは気付いているのだ。

 自分が聖女の力を引き継いでいないこと。

 そして、本物の聖女が今もどこかで生きていること。


 ロアの怒りが顔にそのまま表れ、顔中の血管が浮き上がった。


「じゃあ、なんだ?アタシらの森が法国に狙われたのは、その偽聖女の命令が元凶だったってのか?!」


 誰もその問いに答えないが、おそらくそれが真実であることは疑いようのなかった。

 そんな重たい沈黙に耐えかねたロアの怒りが頂点に達し、叩きつけた拳がテーブルを破壊した。


「ふざけやがって!!そのクソ聖女はアタシが殺してやる!!ママの無念と苦しみの一端でも分からせて…あ?えっ?」


 怒り狂ったロアが突如として戸惑い始めたと思うと彼女の姿が変化し始める。


「な!ちょっ!おまっ!!」


 多少のせめぎ合いの果てに、その姿はノアのものに落ち着いた。

 勇者とゴルドラからしてみれば、「もうそんな時間か…」というものだが、初めて見るもの達にはあまりにも奇怪な現象に言葉に詰まっていた。


 その意を汲んだように、ノアはペコリと頭を下げてた。


「ノアなの。ロアちゃんが暴れそうだったので無理矢理割り込んできたの。」


 平然とした答えるノアに対して、レダは少し合点のいった顔をした。


「あん時のガキ…どこに行ったのかと思ったらソイツと異心同体だったのかよ…。」


「む…ガキじゃないの。レダは6歳くせに年上に対する口の利き方がなってないの。」


 それを聞いてレダは顔を赤くして反発する。


「う、うっせぇー!!見た目がチビだとガキなんだよ!!」


「とまあ、騒いでる幼児の相手はこれぐらいにして、話に戻るの。」


 せっかく喧嘩に乗ったのにアッサリと流されてしまったレダはキィキィと騒いでいたが、ドーヴェの杖が頭を小突いて黙らされた。


「さっきの話だと、その聖女様はこのルネリオスに来てるってことなの?」


 勇者達はハッとした。その問いに対し、ドーヴェが頷いた。


「その可能性は大きいだろう。二週間ほど前に、第6法王庁アルビオレを出立してこちらに向かっているのはワシらの情報網で既に掴んでおる。つい先日、高価な物資や奴隷が大量に闇ルートからルネリオスへ流れこんだ事も確認できておるし、まず間違いなかろう。」


 それを聞いてノアは頷いた。


「急な調達から考えて、聖女様の滞在日数が急遽増えたのは明らかなの。この機会を逃す手はないの。」


 それを聞いて勇者は驚いた。


「逃す手はないって…お前…!」


 ノアはジネラに対してチラリと視線を送った。

 それを受け取り、ジネラは固く目を瞑り、顔を顰めた。


「リヴァイア様がアリーを始末しようとしている以上、彼女をどうにかしなければアリーは常に狙われ続けることになるでしょう。仰る通り、この機にリヴァイア様をどうにかする必要があります。」


「それは殺すってことか?そんなことしたら…。」


 不安そうな勇者の言葉に、ジネラは頷く。


「オルフェリアは混乱をきたすでしょう。ともすれば、聖女殺しの汚名を着せられることとなります。」


 静まり返る室内で、唸り声を上げながら頭から煙を出していたゴルドラは、何かを閃いたような明るい表情を浮かべ、立ち上がった。


「それでは!アリーさんに本物の聖女として立ってもらいましょう!」


 その言葉に、一同は苦々しく笑った。


「ゴルドラ…それは…。」


「アリーさんが本当の聖女であり、現聖女は偽物であると説いて民衆を率いて立つんです!!そうすれば、全てが解決しますよね⁈」


「ま、まあ…それはそうなんだが…。」


 勇者は興奮するゴルドラを諌めようとするが、ゴルドラは止まらない。


「アリーさんの聖女の力は本当にすごいんです!あの時、瀕死のマスターを救ったのも彼女です!まさに奇跡そのものです!そんな彼女の力を知れば聖女だと証明するのも容易いはずです。」


 非常に満足げな顔をしているゴルドラだが、皆はそれに対してすぐに賛同の声をあげない。

 自然とジネラに視線が集まる。


「仰る通りです。私もいつかその時が来ることを覚悟して、あの子と今日まで生きて参りました。しかし、あの子がその様な重責を担う器があるかと言われれば、私でも分かりません。あの子はあまりにも優しすぎる…。」


「そんな彼女が、生き別れた双子の妹を敵に回せるのか…ってことだよな?」


 勇者の言葉にジネラは頷く。ゴルドラも返す言葉もなく、大人しく椅子に腰を下ろした。


「あると思うぜ。器ならよ。」


 そう言ったのレダだった。皆の視線を集めながらレダは立ち上がる。


 すると、部屋の扉を勢いよく開け放った。


「きゃっ!!」


 扉の向こうで聞き耳を立てていたのか、アリーが部屋の中に倒れ込む。


 バツの悪いその雰囲気の中、アリーは照れ臭そうに笑った。

 それを見て、部屋中で笑い声が上がった。


 そして、その笑い声は部屋の外からも聞こえていた。そこには、この16年アリーと共に貧民街で過ごしてきた大勢の人々の姿があり、皆が押し合いながら集まっていた。


 それを見て、レダは口元を吊り上げて笑う。


「少なくともさ、この連中からは慕われてるんじゃねぇの?なあ?貧民街の聖女様?」


 皮肉を込めた様な嫌味な言い方に、アリーは頬を膨らませて珍しく怒りを見せる。


「もう!変な通り名付けないでくださいよ!」


 改めてアリーの背後から笑い声が上がった。そして、その中から大柄で髭面の男が前に出る。


「話は大体聞かせてもらったぜ。今の聖女リヴァイアには暗い噂が付いて回ってる。法国の腐敗の権化だって言われてるくらいだ。アリーちゃんが本物の聖女だって証明して化けの皮剥がしてやろうじゃねぇか!」


 その言葉を受けて、アリーは深くお辞儀をする。


「皆さんありがとうございます。そして、皆さんを巻き込んで…ご迷惑かけてしまって本当にごめんなさい!」


 皆の視線を集めながら、アリーは顔を上げる。


「正直、頭が混乱してて、訳わかんなくて…。でも、分かったことがあります。私は一人じゃないんだって…私は多くの人々ともに生きてきたし、これからもそうありたいと思ってます。だから…。」


 アリーははにかんだような笑みを浮かべた。


「もう少しだけ…もう少しだけでいいのでお時間をくれますか?ちゃんと心の整理をしたいので。」


 アリーの言葉を受けて、その場は一時解散となった。

 長い夜を越えて、外では新しい一日が始まろうとしている。


 しかし、美しい朝日が照らし出す今日という日が、ルネリオスに住む人々にとって、悍ましい狂気に満ちた一日になることを誰が予測出来ただろうか…。



第7章 オルフェリアの聖女 完

第7章 オルフェリアの聖女 ここに完結です。


振り返って見るまでもなく…何ともダークな路線に突き進んでしまった勇者編となりました。魔王編よりも危険な描写が多くなったので、もっとポップで明るい雰囲気にしたくはあるのですが、どうしても私が鬱展開に走る傾向があるなと考えさせられます。


アリーとリヴァイアを正反対に描きたい一心でしたが、明らかにリヴァイアのえげつない人格描写が際立ち、アリーの弱さが顕著なので、次回以降はしっかりメインに据えていきたいと思います。


それでは、第8章でまたお会いしましょう!

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