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〜ネクロフィリアの凶漢〜


▮アリー

「アリー、アリー!」


 自分の名前を呼ぶ声に反応し、体が飛び上がる。


 そしてキョロキョロと辺りを見渡すと、そこには心配そうな表情を浮かべる母の姿があった。


「え?うん、どうしたの?お母さん?」


「どうしたのじゃないよ。アリー、あなた今日何かあったの?帰ってきてから妙にぼうっとしてばかり…。何か心配事でもあるの?」


 母の言葉を聞いて私は思わず口ごもる。いや、自分でも自分の状況がよく分からないのだ。

 なので私はただ愛想笑いをするしかなかった。


「な、何でもない!何でもないのよ!全然心配事とかないの!そうじゃなくて何というか…。なんで私もこんな気持ちになってるのか良くわからなくて…。」


 自分で言っていても、改めて何を言っているのか分からない弁明を聞いて、母の顔が心配そうな顔から一変して穏やかな表情に変わった。


「アリー、今日あったことを話してごらん。」


 そう言われた途端、私は顔が真っ赤に染まったのが分かった。


 蝋燭程度の灯りしかない中で、それが母に気づかれたかどうかわからないが、母はにこにこと微笑みながら私の言葉を待っていた。


 観念して、私は今日の出来事を母に話した。


 奇抜な格好をした異国の人の道案内をしたこと。ただそれだけなのに、なぜか彼の顔が頭から離れないこと。何かをしていても、ふと彼のことを考えてしまうこと…。


 あれ?なんかこうやって言葉にしてみると、もしかして私…。


「その彼に恋をしたのね。」


 母の言葉に私は飛び上がった。

 我ながらオーバーなリアクションである。


「…え?いやいやいや!そんなわけないじゃない!そりゃあ嫌いなのかって言われると絶対違うって言いきれるし、どちらかというと好みのタイプだとは思うけど、でもでもでもあれでしょ?おかしいでしょ?初めてあった人にいきなりそんな感情抱くなんて絶対おかしいでしょ?!」


「おかしくなんてないですよ。」


 混乱しながら捲し立てる私を、母の一言が制する。


 私は身を乗り出して母に詰め寄っていたのが急激に恥ずかしくなり、ベッドの上で両足を抱えて顔を隠した。


 胸が痛いぐらいに鳴り響く。

 体が火照るように熱い。

 よくわからないけど苦しくて涙が零れた。


 母は私の隣に腰かけ、小さくなっている私を抱きしめた。


「本当に、すごい心臓の音ね。」


 茶化すように言った母の一言に、私は震えるほどの恥ずかしさとともに、母の胸に包み込まれている安心感からか、少しずつ体の熱と鼓動が収まっていった。


「いい?アリー。恋することは決して悪いことではないわ。今あなたの心と体に起きていることも、あなたぐらいの年頃ならば当然のことなのよ。」


 母の手が私の頭を撫でる。懐かしい、子供の時の記憶が蘇る。


「あなたは本当に働き者で、今までずっと生活の事ばかりを考えてきた。年の近い友達もいなかったあなたにとって、一人の女の子としての当たり前を知る機会はなかった。本当にごめんなさいね。」


 私は驚いた。


「お母さんが謝ることなんて何もないよ!私は今の生活でとても幸せなんだから。」


 私がそう言うと、母は寂しそうに笑った。

 その笑顔の意味が私にはよくわからない。


 私は幸せだ。

 優しい母、優しくしてくれる町の人々。

 私は今の生活が苦しいなんて思ったことがない。

 私は恵まれていて、とても幸せだ。


 それなのに、なぜ?

 なぜ母はこのような寂しそうな目をするのだろうか?


「アリー。もし、その方があなたの運命の人だとするならば、迷わずその人を受け入れなさい。それはオルフェリアの導き、あなたが進むべき運命なのですから。」


 運命?運命って何なんだろう…?


 でも確実にわかることがある。


 運命とは、分岐点であるということ。

 つまり、今の生活の終わりを告げるということだ。


 その時、お母さんは…?どうなるの?


 突如、家の扉を叩く音が響いた。

 ドンドンという乱暴な音…こんな時間に誰だろうか?


 私がベッドから降りようとすると、それを母は手で制した。

 訝しむ私の顔を見て、母は眉間に皺を寄せながら首を振った。


 どうしたのだろう?お母さん…。酷く警戒している。確かにこんな時間に誰かが訪ねてくるなんて異常だとは思うが、何をそんなに警戒しているのか…。

 

「あなたはここにいなさい。絶対に来てはダメよ。動きやすい服に着替えておいて。もしもの時は窓から出て助けを求めなさい。」


 母が小声で指示を出す。

 本格的に警戒している。


 今まで暮らしてきてこんな母の姿は初めて見た。真剣な母の目を見て茶化す気になれなくなった。


 未だ鳴り止まないノックの音に、母は返事をして玄関へと向かう。私は物音を立てないように素早く着替えを行うと、壁に耳を当てて様子を探った。


「一体何のことですか?!濡れ衣です!!」


 お母さんが声を荒げている。いったい何が?!


「アリー!!逃げなさい!!」


 私はその声に飛び上がった!自分の部屋に向けて荒々しい足音が迫る。慌てた私はベッドを押して扉を塞ぐ。


 扉がガタガタと開け閉めされる。その際に、隙間から男の顔が見えた。それは貧民街の人間じゃない。あの格好は…。


 力づくで扉を開けようと体当たりが始まった。


 なんで?あの人たちはなんで私を?いったい何が起こってるの?!


 私は母に言われた通り、窓から外へと飛び出した。それと同時に部屋の扉が壊される。


「逃げるぞ!裏に回りこめ!」


 男たちの怒号が響き渡る。


 やはり間違いない。あれはテンプルナイトでも強盗でもない。神官省の人間だ。なんで神官省の憲兵が私を…。


 私は無我夢中で逃げた。


 母が途中で気がかりになって後ろを振り返るが、血眼になって追いかけてくる憲兵が目に入り、恐ろしくてとにかく前を向いて走った。


 助けを求める?助けってだれに?相手は荒くれものなんかじゃない、憲兵だ。

 理由は分からないけど憲兵に追われている人を助けるなんてこと…そんなことしたらもうこのルネリオスにいられなくなる!絶対粛清される!


 そもそもどうして逃げなきゃいけないの?素直に応じていれば…。


 だが、母の神妙な顔つきや、鬼気迫る声で逃げるよう声を荒げたことが、一つの仮説を生んだ。


 もしかして、私は命を狙われているの?


 なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?


 頭を繰り返し流れる疑問符。助けを求める声など上げられるわけもなく、私は夜の貧民街を走り抜けた。


 お願い!助けて!誰か!!


 と、ただひたすらに祈りながら。



▮レダ

「はぁはぁはぁ…撒いたか?」


 後方を振り返るが追ってくる気配はない。

 あの化け物女が、あの黒服をちゃんと食い止めてるみたいだ。


 でも本格的にヤバい。


 確かにもう能力は使えるようになっているが、さっきの化け物二人に確実に顔を覚えられている。


 あんな常識外れな化け物に目を付けられるなんて、全くツいてない。


 それもこれも、あの連中に関わろうとしたのがケチの始まりだ。疫病神かよ!アイツらは!


 どちらにせよ、この町から消えないとヤバい。大人しく闇市に戻るっていう選択肢もあるけど、こんな大事になったんじゃあアイツらの身が危なくなる。下手したらファミリーごと潰されるかもしれねぇ…。それだけは絶対にごめんだ!


 ふと、さっきの化け物女からもらった石を取り出した。見れば見るほど骨だ。


「気持ちわりぃな!!」


 骨を思い切り投げつけると、壁にぶつかり、乾いた音を立てて割れた。それを何度も踏みつける。


「こんな薄気味わりぃもん押し付けやがって…。何がお守りだ!バカにしやがって!」


 粉々になった石を見て、幾分か気が晴れると改めて周囲を見渡す。


 ここは、ソドムか?ちっ、結構深いところまで逃げ込んじまったみたいだな…。


 この辺りはファミリーの管理区域だ。下手を打つと捜査がファミリーに及ぶかもしれない。


 一刻も早くここから離れないと…そう思った矢先だった。

 複数の足音がこちらに近づいてきている。


 俺への追っ手か⁈

 そう身構えたが、よく聞けば先行して走る足音が一つある。


 つまり、追われてる?俺以外の誰かが?


 正直好都合だ。そいつを上手く誘導出来れば、混乱に乗じて俺が逃げられる可能性が上がる。


「おーい!!大丈夫かー!どうした⁈」


 スキルを解除して大声で呼びかけた。まるで誰かが助けてくれるような声掛けだ。逃げてる奴からしたら自然とその声を頼りに、こちらへ向かってくるはずだ。

 後は俺の後ろでやり合ってるあの化け物達にぶつかってくれれば、御の字だ。


 上手くいったのか、前方から走ってくる人影が見える。


 女だ。髪を振り乱しながら必死な形相で逃げている。


 その顔を見た時、唐突に記憶が甦った。


ーーーー


 俺が初めて盗みを働いた時のことだ。


 まだ自分のスキルのことがよく分かっていなかった頃、酒場の厨房の食料を漁っていた時に俺は声をかけられた。


「誰かそこにいるんですか?」

 

 女の声だった。


 俺はその時初めて、自分の姿が他者に見えていることを理解して、慌てて再び姿を消した。

 顔を見られなかったからちゃんと能力は発動して、ソイツは突然消えた俺に驚きながらも、こう言った。


「お腹、空いてるんですか?」


 当然俺は返事をしない。フードを深く被ってソイツが居なくなることをただただ祈った。


 だがソイツはその場で肉の炒め物を作ると、皿に盛って俺が隠れている側に置いた。


「店のおじさんには内緒ですよ。」


 そう言うと、ソイツはその場を後にした。

 俺は唖然としながら目の前に置かれた皿を見つめていた。食欲をそそる香りに触発されて、俺はその場でそれを食った。


 美味かった…。涙が出た…。


 なんで見ず知らずの…しかも盗人の俺に優しく出来るのか、さっぱり理解出来なかった。


 料理を食べ終わった後も、何故か俺はその場で隠れ続けていた。この時、何を考えていたのか覚えていない。ただ、何かを期待していた…。


 しばらくして、ソイツが来た。


 舐めるようにキレイになった皿を見て、ソイツは満面の笑みで笑った。


 ソイツは、両方の目元に、赤いタトゥーがある女だった。


ーーーーーー


 その時の女が、いまこちらに向かって走って来ていた。そして、その後ろからは男が3名、武器を持って追いかけて来ている。


 俺と女がすれ違う。


 当然相手には俺が見えていない。

 涙を溢しながら、ただ前だけを向いて恐怖に顔を歪めていた。


 数秒の間もなく、武器を持った男たちが向かってくる。

 テンプルナイトじゃない黒ずくめの憲兵だ。

 

 全く…何やらかしたら神官省なんかに目をつけられるんだ?お人好しが罪になったか?それとも悪事を擦られたか?まあ、その線は強そうだが…。


 憲兵の先頭が俺とすれ違った瞬間だった。


「うわぁああ!!」


 男は盛大にその場で転倒した。前を走る男が転倒したことにより、後ろの2人も勢い余って重なり合うように転倒した。


 その様子を滑稽に笑う一方で、俺は自分が何をしたのか信じられなかった。

 俺は無意識にスキルを解除して、足を引っ掛けたのだ。


「くっ…き、きさまぁ!いつの間にそこに…!!」


 男のその声に俺は我に返った。

 苦々しく顔を歪めて俺を凝視している。


 俺は慌ててスキルを再起動させる。だが、すでに遅い。後の2人はともかく、その1人には確実に顔を見られている。


 男はゆっくりと立ち上がり、変わらず俺を怒りの形相で睨みつける。


「あ…あ…。」


 言葉にならず後退りする。

 その様子を見て、男は幾分か冷静さを取り戻し、改めて俺を舐め回すように見る。


「お前、亜人か⁈これは神の思し召しか?私に亜人を粛清せよとの仰せだ!」


 そう言うと舌舐めずりをする。その様子を見て、立ち上がった2人の憲兵が揃って怪訝な顔をする。


「お、おい!お前いったいどこ見て…。」


「うるさい!コイツは私の獲物だ!お前達はあの偽聖女を追え!」


 随分と興奮してトランスに入っているのか、聞く耳を持っていない。


 男達は訝しみながらも、女を追ってその場を去った。


 三人がかりで、という最悪のケースは免れたが、それでも危機的状況なのは変わらない。


 おそらくだが、レベル、習得スキル、戦闘経験の差が圧倒的にちがう。こちらには武器すらない。

 あるのは逃げ足だけだが、実力者相手には単純なスピードはまるで歯が立たない。

 踵を返す動きに合わせて完全に仕留めに来る。今既に、やつの射程圏内である事は疑いようがないからである。


 男はサーベルを構えると下卑た笑みを浮かべる。


「ケダモノめ…。神に代わって成敗してくれるわ!!」


 振り上げられたサーベルを避ける為の脚は、この土壇場で全く動こうとしなかった。


 完全に、身体が生きる事を諦めていた。


 ケチな終わり方だぜ…。せめて、逃げ仰せてくれよ…。


 バキッ!!


「げふっ!!」


 突如発せられた打撃音と共に、男は崩れるようにその場で倒れた。


 唖然とする俺は目を剥いて驚いた。


 そこには、肩で息をしながらモップの柄を握りしめているあの女の姿があった。


「…えっ?お前…逃がしたはずなのに…なんで戻って…。」


 女は額から流れる汗を拭うと、満面の笑みを浮かべた。


「助けてくれたお礼ですよ。」


 平然とそう言い切るその女を、俺は頭おかしいんじゃないかと思った。


 みんな自分のことが最優先だ。

 それが普通だ。

 それをこの女は、自分を助けてくれた相手を助けるのを、さも当然のように言う。


 ああ…あの時もそうだ…。

 あの時もこいつは、店の人に怒られることも厭わずに、俺に飯を差し出してくれた。


 そんな彼女が不意に何か神々しいものに見えた。


 目を擦ってもう一度見る。

 薄汚れた女が笑ってるだけだ。

 だけど、その優し気な笑顔と差し伸べてくれる手を見て、思わず口から言葉が漏れた。


「聖女…様…?」


 女が目を丸くして俺を見ている。妙なことを口走ってしまった俺は顔を背けながら、女の手を取った。


 その時、俺達に覆いかぶさるような影が現れ、心臓が飛び跳ねる。


「おんなぁああ!この私に向かってなんたる仕打ち!オルフェリアの神の怒りを食らえ!!」


 気絶から立ち直った憲兵は痛みで顔を歪めながらも、怒りのままにサーベルを振り下ろす。

 俺が庇おうとするより、早く、彼女は俺の体を包み込むように抱きしめる。


 目の前がスローモーションのようになった。

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。


 なんで、この女は迷うことなくこんなことが出来るんだ?

 どうして見知らぬ誰かのために身を投げ出せるんだ?

 なんで自分をもっと大事にしないんだ?!


 だが、何よりも、一番腹が立つのは、守られるばかりの弱い俺…。


 俺の口から喉を潰す様な絶叫が上がる。


「うわぁああああああああ!!だれか!!だれか助けてぇえええええ!!!」


 その時、一陣の風が吹いた。

 その風が止んだ時、憲兵の男は声もなく、再びその場から崩れ落ちていた。


 何があったのか…。それは目の前に立つ新たな人影がその答えだ。


 不思議だ。俺はこいつらから逃げてきたはずなのに、来てくれたっていう安堵感に包まれていた。


 後から聞いたソイツの名前はアレクシー=オズワルドといった。



▮勇者

「剣技スキル!《颯斬り》!!」


 大地を蹴り、高速で暴漢に迫って剣の腹で一撃を与えた。当然手加減して。


 事の詳細はわからなかったが、助けを求める声を聴いては助けてしまうのは勇者の性か?

 まあ、どちらにしても女子供が襲われているんだから事情は後回しでいいだろう。


 女の人に抱き庇われている少年はレダだ。目を戦慄かせて俺を凝視している。当然ながら酷く怯えていた。


 彼女が彼を守ったのだろうか?

 町の人の反応と比べてみても、彼女が亜人に対して排他的な印象がないことが窺える。

 だが、恐ろしかったのだろう。未だに体を震わせながら俯いている。


「もう大丈夫ですよ。怪我はありませんか?」


 俺がそう言うと、彼女が振り返り、互いの視線が交錯する。

 

 え?あれ?この人…。昼間に出会った…。


 それが分かった途端、顔が一気に熱を持った。そして心臓が突然早鐘を打ち始める。


 ああ~もう!だから何なんだよ!これ?!なんでこの人を見たらこんなに…。


 ゴルドラとロアに初恋だの一目惚れだのと囃し立てられたことから、なんとか目を背けようとするが、体が言うことを聞かない。


 彼女の目に吸い込まれるような錯覚を覚え、足元がふらついた。


「あ、危ない!」


 倒れかけた体を彼女が肩を支えてくれた。

 そして、さらに接近してしまった顔と顔…。


 気の所為じゃなければ、彼女の顔も赤いような気がする。月明りしかない夜分には全く断定できないはずなのだが、彼女の目が驚きと戸惑い、そして一種の艶のようなものを醸し出していた。


 変な態勢で見つめ合う時間が流れる中で、彼女が口を開いた。


「あ…あの…あなたは昼間の…。」


 覚えてくれていた。

 なぜかそれだけで喜びが胸を埋め尽くした。


 俺はなんとか言葉を紡ごうとするがどうしても言葉にならず、ただ首を縦にカクカクと動かす。


 まるで魔法にかけられたかのような時間を打ち消すように、大きな呼び声が響いた。


「マスタ~!こっちは血相変えた憲兵が二人いただけでした!そっちはどうですかぁ~!」


 ゴルドラの声だ。


 ようやく体が動くようになった俺は、返事をしようと彼女の支えを解いて立ち上がる。


 その時、気絶させた憲兵の男がカクカクと不自然な動きで立ち上がった。


 俺を含め、三人は思わず飛び退いて男から距離を取った。嫌な汗が顎を伝う。


 奇妙な違和感の正体はハッキリしている。この男の起き上がり方が人間のソレではなかったからだ。まるで操り人形のように、何かの力で立たせられたように見えたのは俺だけではなかったようだ。


 男はサーベルをがくがくと身体を震わせながら構えようとする。

 それに合わせて、俺も戦闘態勢を取った。


 だが、その男の顔を見て唖然とした。

 顔が必死の形相で歪み、涙を浮かべて口が何かを発しようと動いている。


 そして、男の持つサーベルが、自分の首に充てられた。その時、ようやく男の声が発せられた。


「た、たすけ…たすけてくれぇええええ!!!!」


 恐怖を帯びた絶叫が上がり、男はそのまま自分の首を切り裂き、鮮血が噴き上がった。


 それを見て、レダと彼女から悲鳴が上がる。


 俺は唖然とした。目の前で自刃した男から助けを求められたこともそうだが、明らかに致死に至る量の血が噴き出した後、その男が倒れずに立ち尽くしていることに、背筋が凍るような異様さを感じずにはいられなかった。


 だが、その異様さは突如として極地へと向かう。

 男の姿が明らかに変わっていくのだ。


 男の髪は凍てつく様なアイスブルーに変わり、口には無骨な拘束マスク。黒ずくめのパンクスーツのような出で立ちへと変貌していた。


 そして、その男の両の手にはククリナイフが握られており、凍てつく様な男の瞳と同様に妖しく光っていた。


 勇者は思わず《超鑑定》を行う。現れた多くの情報の中で勇者はレベルを見て目を剝く。


 LV63!!


 その他の情報に目を剥けようとした瞬間、後ろから声が聞こえる。


「マスタ~!ここにいましたか!」


 ゴルドラの声…その声に反応しようとした瞬間、男の姿が掻き消えた。


 刹那。


 腹部に焼け付くような熱さを感じた。

 腹部がぬらりと何かで濡れる感触


「いやぁああああ!!!」


 あの子が悲鳴を上げた。

 彼女は目を戦慄かせながら俺を凝視している


 俺は恐る恐る腹部に目を向けた。


 そこには、先ほどの男が俺の腹部にナイフを突き刺している光景だった。


 それを理解した瞬間、爪先から頭のてっぺんまで強烈な痛みが駆け巡った。


「ぎぐあぁああああああああああ!!!」


 俺の悲鳴が上がるや否や、後方から光が空気を切り裂く音を上げて近づいてくる。


 マスクの男は俺の体から飛び退いた。


 霞んでいく視線が捉えたのは、血相を変えたゴルドラの姿…。


 俺はそのまま仰向けに倒れた。

 朧げに彼女の顔が見える。涙を流しながら、俺に対して必死に呼びかけている。


 だが、俺の耳には何も聞こえない。

 だんだん、痛みがなくなってきた…。

 五感がなくなってきているのが分かる。


 そしてありありと感じられる死の感覚に、俺は心の中で絶叫した。


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!

 た…すけ…て…。


 そして、俺の意識は完全に暗転した。



▮ロア

 静まり返った路地裏でようやくアタシは一息ついた。


「ったく…!雑魚のクセに手間取らせやがって!」


 見渡す限りの屍の山を一瞥しながら、吐き捨てるように悪態を突いた。


 正直、雑魚と言ったのは半分本当で半分は強がりだ。


 戦闘能力で言えば、確かに強かった。

 肌感覚ではおそらくキングレギオンの下位相当だとは思う。負けはしないものの、骨が折れる相手ではあることは間違いない。


 それはこのデコイの山を見れば分かる。

 倒されたデコイは老若男女問わない死体へと変わった。その死体は死後何日も経っており、場合によっては腐敗していたものもある。


 このことから、奴は死体を自身の分身にする能力だってことが確定だ。死体の数だけ自分と同レベルの分身を作り出せるのは、正直言ってこのレベルのレギオンにやられると厄介極まりなかった。

 しかも、どういった理屈か思考までも統制されてやがる。


 ただ、防御面は完全にザルだ。これが雑魚だと吐いて捨てる理由である。


 ほんのかすり傷でもついた瞬間に奴の能力は解除される。

 アタシは鑑定スキルを持ってないからよく分からないが、戦闘力はそのままで、HP1っていう超極端なデコイを生み出す能力ってのが全容だろう。


 タネが割れれば、奴が何匹いようが対処は変わらない。そこからは前言通りの楽勝だった。それにしても…。


「これ…やばいよな…?」


 なんかアタシが見境なく虐殺したみたいな光景に、正直この後大きな問題が起きることが予見された。

 ちょっと迷ったが、結局どう足掻いても死んでるんだし、合理的な対応をアタシは選んだ。


 血界術式ブラッディーガーデンを展開し、死体を魔素として還元した。数秒で死体は跡形もなく蒸発し、何事もない静かな裏路地に変わった。


 戦いの中で結構な魔力を消耗したが、これでMPは全回復できた。どうやら、奴の能力はアタシと相性が最悪なようだ。


 でも一つ頭を過ぎる心配事がある。


 見ず知らずの人間の死体を魔素化して吸収したこと…もしかしてパパは怒るかな?

 以外に倫理観大事にするタイプだしな~。…まあ、黙ってたらバレないか?


 さて、結局アイツが何だったのかは分からないけど、こちらは片付いた。

 後はあの亜人だけど…。パパとゴル姐、ちゃんと見つけられたかなぁ?


 アイツの居場所を探知できるように渡したアイテムが壊されたことを知ったアタシは、パパとゴル姐に大体の場所を《魔力通話》で伝えていた。

 それぐらいのこと戦闘中でも造作もないと言えるアタシはやはり天才だった。


 とりあえず、今の状況を確認するためにパパに《魔力通話》してみるかな。


 そう思って、コールをする。だが、全く音信がない。いや、それどころかパパに魔力回路を繋げられない。


 まるであの日の再来のような出来事に、血の気が引いた。


 慌ててゴル姐に《魔力通話》を試みる。


 問題なく繋がった。だが、そこから聞こえてきた声は悲痛な叫びだった。


『マスター!!マスター!!目を…目を開けてください!!』


 完全に取り乱したゴル姐の声に、アタシは頭が真っ白になった。


 パパに何かがあった!!


 そして、その何かが何なのかは考えるまでもなかった。

 アタシは完全にフリーズしてしまい、その場で膝をついて泣き崩れた…。



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