〜旅立ちは快晴、後に暗雲立ち込める〜
魔性の森の事件を経て、新たな仲間…いや、家族としてノアとロアを迎えた勇者一行。
シェリアラから金貨の換金方法として闇組織への招待状を手に、ルネリオスの貧民街ソドムへ向かう事となる。
勇者一行の新たな旅立ちが今始まろうとしていた。
▮
天気は快晴。
荷車を引く商人やそれを警備するテンプルナイト。そしてチラホラと見かける冒険者然とした出で立ちのパーティーなどで賑わう往来の中、3名の人影が行き交う人々の目を大きく引き付けていた。
1人は緑色の髪、派手な赤いジャケットに、黒いインナー、黒いパンツ姿の男。この世界に住む人々の服装から見れば華美であり、悪目立ちとも言えるだろう。
彼は勇者 【アレクシー=オズワルド】。
異世界から来た転生者であり、アルカナレイドのプレイヤーである。
二人目は眩い紺碧の髪と白いゴシックロリータ調のブラウスドレスは、まるで空の様に透き通った輝きを放つ一方、儚げであり朧げな雰囲気を出している少女。【シャミル=ノア】。
件の出来事から勇者に同行し、勇者を「パパ」と呼んで慕っている(?)。
そして勇者の隣を歩く金髪の女戦士は【ゴルドラ】。
長身麗躯ながら、浅黒い肌に隆々とした筋肉を隠そうともしない露出度の高さが、彼女のワイルドさを引き上げている。
彼女は伝説の金竜であり、今の姿は非戦闘時である竜人の姿である。勇者のことを「マスター」と呼び、慕っている。—こちらは本当―
以上のような派手な出で立ちの三人組は行き交う人々から注目を浴びやすいのだが、彼らの視線は奇異な目というよりかは、気遣わし気な面持ちなのである。
それもそのはず、勇者はげっそりとした面持ちでノアを肩車しているのである。目元はかなり濃いクマが出来てしまっており、その足取りは重く、まるで幽鬼の様にフラフラと歩いていた。
その様子を隣で心配そうに見るゴルドラは、勇者に声をかける。
「ま、マスター…大丈夫ですか?良かったら私が代わりますが…。」
ゴルドラが気を利かせてそう言うものの、ノアはすごい勢いで首を横に振って往復運動させる。
「ダメなの。これはパパの罰ゲームなの。ちゃんとソドムまで肩車していくの。」
終始徹底した無表情で、ノアはそう言い放つ。しかしながら、ゴルドラはオロオロしながらも勇者の顔色を窺う。
勇者は無理やりに笑顔を浮かべると、手を使ったジェスチャーで「大丈夫だ」と伝えた。
正直、勇者はノアを肩車することが苦痛なわけではないのだ。筋力パラメーターの値の所為か、ノアの体自体は綿のように軽く感じるため、それは問題ない。
勇者の疲労の原因は三日三晩全く寝ることが出来ていないからである。
ノアには定刻になると入れ替わる別人格が存在しており、彼女の名はロアという。
勇者とのまともな交流は、前回のクエストが終わった夜の宴会の時にまで遡る。
顔を真っ赤にしてガチガチになっているロアに対し、勇者は積極的に話しかけて警戒と緊張を解こうと尽力した。
その結果、滅茶苦茶懐かれてしまった。
元々ノアからは「絶対好きになる」と御墨を頂いていたが、勇者の初見としてのロアはヒステリー持ちのサディスティック。情緒不安定な問題児という印象があったため、正直勇者はロアとまともな関係が築けるか不安だった。
しかし、蓋を開けてみれば夜通し止まらないマシンガントークとジェンガやトランプ、ボードゲームなどの遊戯。—ロアが魔力錬成で作り出した―
話したり遊ぶこと自体は勇者も得意だからそれはいいのだが、問題は全く眠れないことだ。
ロアの活動時間は夕方6時から翌朝の6時まで。本来なら睡眠をとるべき時間になっても全く解放してくれないのだ。では朝寝ればいいと思うかもしれないが、ノアに交代しても何も変わりはしない。遊ぶ相手のテンションが違うだけで延々と相手をさせることには何の変わりもなかった。
むしろ、遊戯ではロアを相手にした場合、勇者が勝てることも多く、ロアも必要以上に大きなリアクションを取るので遊び甲斐があるのだが、ノアはきつかった。
上記で挙げたゲームで勇者は一勝たりともしたことがない。ゲーム中はほとんど無言。
一度寝落ちしかけた時、頭を思いっきり叩かれ、膨れ面をされたこともある。
勇者の今の状況はゲームに負けた罰ゲームなのである。
こうして勇者は三日三晩ノアとロアに付き合わされた結果、今のような疲労困憊状態となっているのである。父親の気分を疑似体験した勇者は、子持ちの大変さを身に染みたのだった。
余談ではあるが、勇者は《オートキャンセラー》という全ての状態異常に対し、正常化するというユニークスキルを持っている。
しかし、疲労は状態異常とは認識されないため、発動しない。むしろ、病気や昏倒といった状態異常にならないため、通常では成り得ない疲労状況になっている可能性すらもあった。
三日三晩遊び続けたために、前のクエストでもらった報酬が底をつき、ようやく勇者一行は重い腰を上げてロネリーの町を離れる覚悟を決めたのが今朝の話だ。—その際、毎晩夜通し騒ぐ声が煩いという隣部屋からの苦情も受けた—
目的地は法王庁ルネリオスの陰に広がる貧民街【ソドム】。
前回の依頼主であるシェリアラから提示された報酬は、勇者が持つ《ブリオーン》というアルカナギフトから無限に湧き出る金貨の換金方法だった。その換金を受け持つのがソドムの町であり、闇取引を行っているという裏組織である。
闇の界隈に足を踏み込むことに対して、正直戸惑いを禁じ得ない勇者だったが、金がないという状況では背に腹は代えられない。危険を承知で行くしかなかった。
(ん?これって闇バイトに応募してるやつらの心境をなぞってないか?)
勇者はフラフラしながらも頭だけは冷静かつ客観的に働いている状況に苦笑いした。
「それにしても、意外でしたね?エリックさん、私たちの旅に同行したいと言い出すと思ったのですが…。」
突然ゴルドラが話を切り出す。
エリックとは前の依頼主の一人息子であり、ひょんなことで一緒に冒険した仲だった。
かなり頑固で強引な性格であると同時に、ノアとロアに対して好意を抱いていることからも旅の同行を願い出るのでは?とゴルドラが勘ぐるのは当然と言える。
しかしながら、エリックは旅に同行せずに母のシェリアラと共に薬屋を続けるという決断をした。
それをエリックの口から聞いた時は勇者も驚いていた。
(てっきり、仲間イベントだと思ってたのになぁ…。エリックがいればもう少し俺の負担も減ったのに…。)
正直、ノアとロアにとってゴルドラは戦闘以外役に立たないポンコツ扱いをされていた。話題がほぼ異世界の事なので致し方ないが、ゴルドラの世間ずれというか一般常識の弱さ、遊戯などがあまりにも弱いことなどから、二人から遊び相手として認知されなくなっていた。—これにはゴルドラも酷く落ち込んでいた—
エリックは持ち前の行動力やコミュニケーション能力で彼女をリードすることが出来ていたのだ。ノアとロアも満更ではなかったと思われる。
そんなことを勇者が考えていると頭の上から声がした。
「エリックが来ないのは当然なの。【ママ大好き同盟】の約束は絶対なの。」
謎の同盟に対して勇者とゴルドラは首を傾げる。そんな二人に構うことなく、ノアは淡々と語る。
「エリックとはママを大事にするって約束したの。ママと一緒にいる時間は大切なの。」
それを聞いて勇者とゴルドラは納得した。
おそらく、ノアとロアの母親、エルマリークのことがエリックにとって大きな影響を与えたのだろう。
夜通し口喧嘩するような母親が側に居てくれることへの感謝は、エリックに大きな変化をもたらしたようだった。
勇者とゴルドラは少しだけ報われたような気がしていた。それだけに、前回のクエストで受けた心理的なダメージは大きかったのだ。そんな中でも得たものがあったことに、二人は目を細めた。
「何かを失ったら、何かを得なければいけないの。」
ノアが突然そんな言葉を紡ぐ。一瞬、心を読まれたかと思った勇者だったが、その後に続く言葉を聞いて、目的地への足を早めた。
「お金がなくなったら、稼がなきゃいけないの。お金がなくて困ること、それを人は貧乏というの。」
▮
オルフェリア法皇国は教皇庁バーラルと7つの法王庁によって成り立ち、全てが宗教都市の形を呈している。
ここ、第7法王庁ルネリオスも例に漏れず、非常に豪華絢爛な門前町が広がっている。
だが、そこは選ばれし者たちが住む楽園であり、一般庶民が足を踏み入れていい場所ではなかった。
ルネリオスの門前町に入るためには、30mにも及ぶ巨大な追手門を抜ける必要があった。当然ながら、そこは非常に警備が厳しくルネリオスでも最重要の要所ともいえる場所である。
その追手門の前、一人の男が落ち着きのない様子で佇んでいた。
男の名は【フォルケル=エルトルード】。
ルネリオス枢機卿直属の近衛騎士隊長である。50歳を間近に控え、深くなった皺、白髪が混じり始めたとはいえ、肉体的な強さは衰えを知らず、その眼光は若き頃、冒険者として名を馳せた時のままである。
そんな彼がソワソワとしながら今か今かと、ある人物の到着を待ち、出迎えをしていたのである。
その人物とは、フォルケル待望の救世主。オルフェリア法皇国の至宝 聖女【リヴァイア=フォーネラス=ゼ=ヴルド=オルフェリア】であった。
教皇庁バーラルから各法王庁の行啓に向かったとされる聖女リヴァイアが第6法王庁アルペディオを出立してもう一週間経つ。そして、その到着が間もなくと知らされ、フォルケルはこうして追手門に朝から詰めていたのだった。
陽が傾き始めた頃、フォルケルの背後に一つの人影が近づいてくる。
咄嗟に振り向いたフォルケルは一目見て落胆した様子を晒した。
「おやおや?こんな所にいらっしゃったとは…探しましたぞ〜リートルード殿。」
「【ボルフ=ニル=ゴーギャン】神官長殿…。」
フォルケルは怪訝な顔をしたまま、ボルフに向き直る。
神官服がはち切れんばかりの肥えた体は、身体中から首と名のつくものの部位が欠落している。横と前に広がった巨漢を揺らしながら、薄気味悪い笑みを浮かべて近づいてきていた。
正直、フォルケルにとってボルフは最も警戒すべき男だった。
神官長として強権を振るい、私腹を肥やす教会の汚職と腐敗の権化である。
フォルケルは顔を合わせるのは極力避けながら応対する。
「何の用ですかな?」
フォルケルの言葉に肩を竦めるボルフは「ほっほっほ…。」と笑った。
「何の用とはつれないですねぇ~。こんなところで油を売っているあなたを、この私直々に探しに来た時点で色々察していただきたいものですがねぇ~。」
「…どういう意味だ?」
フォルケルはそこで初めてボルフに顔を向ける。細い目を歪ませながら笑みを浮かべるボルフをみて、フォルケルはこめかみから伝う嫌な汗を禁じ得なかった。
「簡潔に申し上げます。『聖女様をお迎えするので至急、搦手口まで…』と、デズモンド枢機卿よりご達しですよ。」
「なっ!!」
フォルケルは心臓が飛び出そうになった。
(枢機卿は今日、聖女様が来られるのを知っていた?私の企みも露見して…。)
嫌な汗を浮かべるフォルケルに対し、ボルフはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「どうされましたかな?エルトルード殿。いけませんなぁ~…大変な汗をかかれているようですがどこか御加減でも?」
「い、いや…大丈夫だ。ところで、聖女様が今日いらっしゃるというのは私も存じ上げていた。しかし、まさか搦手口だとは…。」
もはや隠し立ての必要はないと考え、フォルケルが疑問を口にすると、ボルフは再び「ほっほっほ…」と笑い始めた。
「これはこれはご冗談を…。聖女様が正門から来られるとなれば、ルネリオスを上げての歓待でもてなすが当然のこと。聖騎士団を挙げてのパレード、聖歌隊、民を一堂に会しての大拝謁式の準備など、私の首が回らなくなるほどの忙しさになりますなぁ~。」
フォルケルは言葉を失っていた。
そのような当たり前のことにさえ失念するほど、勇み足が過ぎたと言わざるを得ない。
いや、それよりも相変わらず冒険者気質が抜けないフォルケルは、貴族や王族の礼儀や体裁について無知であったと言える。
それを考えれば、ボルフはその界隈に精通しており、そういった格式ある行事の全てを取仕切っている身だ。フォルケルが知っている情報を彼らが知らない通りなどどこにもなかった。
ボルフは徐に懐中時計を取り出し、時間を確認すると、わざとらしくオーバーなリアクションをする。
「おっと!いけませんなぁ~!もうこんな時間ではないですか。聖女様をお出迎えするというのに我々が遅刻しては一大事…。それでは、参りましょうかねぇ。」
フォルケルは素直に応じるしかなかった。
(こうなった以上、聖女様がルネリオスで滞在することになる僅かな時間を狙って、なんとか接触を試みるしかない。そして枢機卿や神官省の悪事を進言し、聖女様の旗印の下このルネリオスを清浄化する。まだそのチャンスが失われたわけではないのだ。)
フォルケルは心を持ち直し、ボルフの後ろにつく形で足を進める。
ルネリオスの搦手口とは、簡単に言えば裏口であり、搦手門の先には大きな転送装置が設置されている。
とある秘密の場所と繋がっている転送装置の使用目的は、緊急時や秘密裏に人と物が行き来する際に使われる。
それは有事の際然り、今回の様な要人の招き入れも然りだが、専ら行われていることは非合法な手段によって買い上げた商品の運搬である。
フォルケルからしてみれば、この通路はルネリオスの腐敗の温床としか思えなかった。
この場所を通じて現れる怪しげな商人と共に送られてくる美術品や骨董品、魔具、呪物、奴隷、薬物、魔物…。どれもルネリオスの権威を落とす様なものばかりである。
神聖さとは真逆であるそのような澱んだ場所を聖女様が通られることに対して、フォルケルは薄ら昏い気持ちになった。
ルネリオスの祭壇の奥にある地下階段を下った先、その場所はあった。
既に十人ばかりの神官省の人間が門の前で隊列を成している。普段は暗闇に包まれている大きな搦手門の周りの燭台にはすべて火が灯され、門から階段に向かうまでの間には、真新しい豪奢なレッドカーペット敷かれていた。
また、カビ臭いはずのこの場所の空気も今日だけは違う。どうやら香が焚かれているようだ。恐らく、全てボルフの指示である。
フォルケルはレッドカーペットを挟んでボルフの反対側に整列する。緊張するフォルケルとは対照的に、ボルフが浮かべる余裕の表情がフォルケルに漠然とした不安を与える。
そうして半刻ほどの時間が経過した頃、上階から足音と共に杖先で床を鳴らす音が響き渡る。
【デズモンド=エラ=ドシアス=ヴァルクシュレ】枢機卿である。
金の刺繍がふんだんに施された白い法衣。
胸元を覆いつくすほどに大きな金のネックレス。
指の太さほどもある宝石が施された指輪に彩られた右手に握りしめた宝杖。
壮年期後半を迎え、白髪と刻まれた深い皺はあるものの、180cmはゆうに超える巨体から弱弱しさは一向に感じさせず、階段を危なげなく、凛とした姿勢で下り終える。
一同は一斉に胸に手を当て、深々とデズモンドに敬礼を取る。それを受け、デズモンドは搦手門に目を向け、高らかに声を上げる。
「聖女様の御行啓である!最大の敬意を持って御出迎えするのだ。」
『はっ!!』
一同は搦手門に向き直ると、その場で膝を折り、一斉に跪礼する。
漂う緊張感の中、搦手門が重い音を立てて開き始めた。
まだ顔を上げることを許されないフォルケルは今すぐでも御拝顔したいところをぐっと耐え、その時を待つ。
両開きの扉が完全に開ききり、扉の奥から現れたの気配としてはたった二人。
一人は聖女リヴァイアとしてもその従者が一人というのは、お忍びとは言え些か不用心ではないかと思われる。
聖女は厳かにレッドカーペットを踏みしめた。その優雅な足取りが、徐々にフォルケルに近づいてくる。
ただそれだけで、フォルケルの胸は高鳴り、同じ空気を吸えるだけで幸福な気持ちになれる…はずだった。
俯くフォルケルの視界に聖女の黒いヒールが映り込むほど近づいた瞬間だった。
頭の毛先から足の爪先まで駆け抜ける悍ましいほどの邪悪な気配に、フォルケルは思わず総毛立った。
そして、体が諤々と震える。
フォルケルはかつてこれに似た気配を感じたことがあった。
それはあの忌まわしき魔女と相対した時の記憶…。
アレと酷似した邪悪な気配に、フォルケルは身体中の血が抜かれる感覚に襲われた。
思わず、フォルケルは目線だけを上に向ける。
そこには豪奢な黒いベールヘアドレスに身を包んだ少女がいた。
青白い肌に不気味なほど赤い唇。
長い黒髪には所々銀色の髪が混じり、幻想的な印象を醸し出していた。
そしてその目は赤と黒のドーリーメイクで彩られ、瞳孔は灰色に濁り、まるで悪趣味な人形の様でもあった。
ベールの横から覗く、横顔はまるで清らかさとは無縁であり、寧ろ対極にあるとさえ感じた。
フォルケルがすっかり萎縮してしまっていると、ギロリと彼女の視線がフォルケルの視線と交差する。
その瞬間、彼は慌てて視線を下に落とし、早鐘を打つ胸の鼓動を懸命に抑える。
動悸と息切れが治らない。身体中の汗が吹き出し、体を芯まで冷やしていく。
視線が合った瞬間に、心臓を握り潰されたかのような錯覚に陥っていたフォルケルは、一種のパニック症候群を引き起こし、呼吸困難に陥っていた。
そんな彼を尻目に、デズモンドは深々と聖女に向けて敬虔する。
「はるばるこの様な辺境の地まで御足労賜り、恐悦至極に御座います。ささ、旅の疲れを癒す御用意は出来ておりますので、御案内致します。」
今まで誰も見たことのないデズモンドの阿諛追従する姿を一瞥すると、リヴァイアは不機嫌そうに応える。
「ええ、そうさせてもらうわ。ジメジメと陰鬱なこんな場所でダラダラしていたくなんかないわ。それにしても…。」
リヴァイアは口元を覆い、顔を顰める。
「何?この香水の匂い…。これってリーヴァのことを汚物か腐乱死体だとでも思ってるのかしら?どう思う?シェゾ?」
リヴァイアは傍らに仕える黒フードの男に声をかける。黒い外套を身に纏っていることから、鴉を彷彿とさせるシェゾと呼ばれた男の表情や身体的な情報は乏しい。
存在が希薄なその男は、呟くように返答する。
「この香を選んだ者をこの場で吊し上げて理解させるべきかと…。」
その一言にボルフは見る見る顔が青ざめる。それを尻目にリヴァイアは喜色を浮かべて手を叩く。
「シェゾの言う通りよねぇ。…で、誰?誰の手前?」
リヴァイアの視線がボルフに向かう直前で、ボルフは隣で跪礼していた男の腕を掴んだ。
「この者でございます!」
手を無理やり上げさせられた神官省の役人は目を白黒させて動転していた。
「え?へ?い、いや…ちが… …!」
「全く!!いけませんなぁ〜!使う香水間違えるなんてねぇ!」
有無も言わさず男の言葉を遮り、罪を擦るボルフに対してフォルケルは心底嫌気がさした。
だが、その怒りも次のリヴァイアの言葉で霧散する事になる。
「殺して。」
「は、はぁ?」
その場にいる全員が呆気に取られる。
「聞こえなかったの?今すぐ殺せと言ったのよ。血の匂いで部屋中を満たせる様に、なるべく激しく出血させて殺しなさい。」
余りにも凄惨な命令に、流石のボルフも一瞬言葉を失った。だが、これ以上の沈黙は危険と判断した彼は素早く帯刀していたサーベルを引き抜くと、冤罪の男の首を切り付けた。
地下に男の絶叫が反響し、悍ましい不協和音を奏でる。追ってボルフは蹲る男の背中から心臓を貫き、その場で血の噴水が噴き上がった。
ボルフは返り血をもろに浴び、服を真っ赤に染めながら息を荒げていた。
その様子を見て、リヴァイアは喝采を送った。
「素晴らしいわ。おかげでとてもステキな香りになった。ねぇ?シェゾ?」
そう言って彼女は恍惚な目をしてそれを見つめながら、背筋が凍る様な笑みを浮かべいた。
同意を求められたシェゾは直立の姿勢のまま無言で頷いた。
フォルケルだけでなく、そこに居合わせた者は全員恐怖で体を震わせていた。ただ一人、例外を除いて…。
「お気に召した様で何よりでございます。ささ、参りましょう。」
眉一つ動かさないデズモンドはリヴァイアに手を差し伸べ、リヴァイアもそれに応じようとするが、その手をピタリと止める。
「そう言えばさっき、リーヴァの事をねめつけてきた奴がいたんだけど…。」
リヴァイアはそう言うと、ゆっくりと振り返る。
そして振り返ったその時、静寂の中に水音が響き渡る。
その音の源へ皆が視線を向けると、一同は驚愕する。
フォルケルの股下がぐっしょりと濡れ、床に水溜りを作っていたのだ。
当の本人は目を見開いたまま涙を流し、声にならない声で笑っていた。
その様子に、周囲は嫌悪よりも先に異様な雰囲気に包まれ、生唾を呑む。
そんな静寂を掻き消すように、呵呵大笑が響き渡る。
「アッハハハハハハハ!!何アレ?傑作ね!デズモンド、アナタ面白いペットを飼ってるじゃない!そう思わない?シェゾ?」
リヴァイアの思いがけない上機嫌な笑い声に、場の空気は不自然に弛緩する。ボルフを含め、一緒に笑っていいのかどうか互いを牽制した結果、皆がデズモンドの対応に合わせる事を選び、彼に視線が集まる事になった。
デズモンドは冷笑を浮かべると恐縮そうにお辞儀する。
「大変失礼を致しました。聖女様の手前で失禁など犬畜生にも劣る無礼千万。早急に処分致します。」
デズモンドの発言に一同は凍りつく。
近衛騎士団長はルネリオスの中でも五指にはいる重要官僚である。そんな人物をアッサリと切り捨てる事を明言した事に唖然とし、言葉を失った。
リヴァイアはそれを受けて、天を仰ぎながら少し考え込んだ。
「面白かったし、別に構わないわ。あ、でも、そこは念入りに掃除しておきなさい。帰りにまた通るのだから、当然よね?あと、気持ち悪いから、その犬コロは二度と私の前に近づかせないでくれるかしら?」
リヴァイアのその言葉を受け、ボルフは深々と頭を下げて敬虔する。
「はっ!かしこまりましてございます!」
それに倣い、神官達はリヴァイアに向き直って深々と頭を下げる。
それを見送ると、リヴァイアとシェゾはデズモンドのリードを受けて上階へと姿を消した。
足音が聞こえるまでの間、ボルフ達一同は頭を上げず、微動にしなかったが、その音が微かでも聞こえなくなると、慌てて死体と共に未だ呆けたままのフォルケルの処理を始めた。
死体は人知れぬ埋め立て墓地へ。
そしてフォルケルはこの一時の後、心を病み、そのまま地下に投獄されることとなった。
その日から地下には、絶え間なく続く狂った笑いがこだまするのだった。
ーー
豪華絢爛な調度品に包まれた迎賓室に案内されたリヴァイアはテーブルではなく豪華なカウチに身を委ね、寝転がる。シェゾは当然のようにその傍らに直立で佇んだ。
デズモンドは向かいのカウチに腰掛けることなく、リヴァイアの目の前のカーペットの上に跪礼した。
それを見てリヴァイアは面倒臭そうに手で振り払う。
「あ〜…あんたはいいわよ。向かいに座りなさいな。」
「はい、それではお言葉に甘えまして…。」
デズモンドがカウチに腰を下ろす。
リヴァイアはカウンターテーブルの上に置かれた葡萄を口に入れながら、淡々と話し始めた。
「それで…、先の文に書かれてあったけど、魔女を無事に討伐したって言うのは本当なの?」
疑惑の視線を向けるリヴァイアに対して、デズモンドは深く頷いた。
「はい、それは確かなことでございます。半信半疑だった魔女との交戦は疑いようなどなく、討伐に対しても多くの目撃証言もございます。」
「ふーん…まあ、ボスレギオン以上の存在がいたことは間違いないようね…。手に負えないような相手だったらシェゾに出てもらう予定だったけど、取り越し苦労だったみたいね。素晴らしい戦果だわ。誰が功労者なのかしら?」
「我がルネリオスが誇る最強の騎士。聖騎士団長【ハイレン=ローデンス】でございます。」
リヴァイアは「ふーん…」と呟くと、寝そべりながら再び葡萄を口に含む。
「その彼の容姿は?」
「長身麗躯、容姿端麗として我が領内でも一際人気を集めております。野心がなく、愚直で正義感に熱い…私の様な立場の人間からしても扱いやすい人間と言えますな。」
今度は「へぇー」と嘆息を上げる。
「じゃあ、お母様に報告ね。多分気に入るだろうし。もし要らないなら、リーヴァのお婿さんにしてもいいかも。」
そう言ってケラケラと笑うリヴァイアを見て、デズモンドも頬を綻ばせた。
「そう言えばさ、あの犬コロは誰?ハイレンって、あいつのことじゃないわよね?」
「はい、違います。彼は私の近衛騎士団の団長です。」
平然とそう言うデズモンドに対し、リヴァイアは、眉を顰めた。
「アイツ、リーヴァのことを『化け物…』って目で見てた。なんであんな奴同席させたの?」
デズモンドはその問いに答えず、邪悪な笑みを浮かべた。
それを見て、リヴァイアは肩を竦めながらも理解した。
「あ、そう。アンタにとってアイツは用済みだったし邪魔だったのね?それでリーヴァに殺させようとしてあの場に連れてきた…そうでしょ?」
「流石にお見通しですか…。彼は今回の魔女狩りで唯一情報を持っている存在でしてね。目の上の腫物のような男でしたが、仕方なく担ぎ上げてきていたんですよ。」
デズモンドはそう言って苦笑した。
「この度の行啓はどの法王庁でもお忍びのもの…。私と一部の人間しか知られていないものでしたが、奴はそれを何処からか聞きつけていました。聖女様に何かしらのアクションをするつもりだったのでしょうな。」
そこまで聞き、リヴァイアは一笑に伏した。
「ふーん…。なんかアンタにいいように使われてる気がして、気まぐれで生かしといたけど、やっぱり殺しといたほうが良かったかなぁ?」
デズモンドも笑いながら首を横に振る。
「いえ、むしろ壊れてくれたのは好都合です。幹部というのは殺すと色々面倒ですからね。」
リヴァイアとデズモンドは二人してケラケラと笑い合う。
第三者が聞けば怖気が走る会話が続く中、リヴァイアは「ところで…」と、新たな話を振る。
「ここに来るまでにルネリオスから来たっていう冒険者の一味に逢ってね?そいつらが聞き捨てならないこと言ってたのよね…。」
場の空気の変化にデズモンドはこめかみに汗を浮かべながらごくりと喉を鳴らした。
「ソドムで女神に出会った…って…。貧民街の聖女だ…って…。アンタ知ってる?」
怒気を込められたその言葉を受け、デズモンドは凍りついた。頭がその言葉の意味を理解した瞬間、デズモンドは迷わず平伏し、床に額を擦り付けた。
「も、申し訳ございません!!貧民街でのことは調査が足りず…私の耳には届いておら…!!」
デズモンドの言葉が紡がれ切るより早く、リヴァイアの黒いヒールがデズモンドの頭を勢いよく踏みつけていた。
「ソドムってアンタのお膝元でしょ?そんな場所で愚民共に聖女の名を語らすとか、正気の沙汰とは思えないんだけど?どう思う?シェゾ?」
「赦し難き怠慢と言わざるを得ません。」
冷徹な同意の一言を得て、リヴァイアは再び勢いよくデズモンドの頭を踏みつけた。激しい床への衝突音と共にカーペットを赤い血が染め上げる。
「も、もうしわけ…申し訳ございません…!」
何度も繰り返し踏みつけられ、頭と顔面から流血させながら、デズモンドは釈明の言葉を繰り返す。
リヴァイアは怒りに歪んだ表情を突如として和らげ、デズモンドの頭から足を退かせた。
「いい?このオルフェリアで聖女とは私のことなの。誰もが使っていい言葉じゃない。語っていい言葉じゃない。呼ばれていい言葉じゃない。分かるわよね?女神?天使?妖精?聖女、聖母だなんて以ての外。そして、魔女も同様…。力ある女性への親愛や畏怖の呼称は全てリーヴァの為にある。そうよね?シェゾ?」
「仰せの通りでございます。」
同意を口にするシェゾに続くように、デズモンドはよろよろと平伏の姿勢を整え、深々と頭を下げる。
「仰せに従い直ちに噂の元凶を突き止め、処罰の程を…。」
「あ〜殺しちゃダメよ。絶対生かして連れてきて。」
言葉を遮れ、デズモンドは思わず顔を上げる。そして、激しく後悔した。邪悪な微笑を浮かべるリヴァイアから、底知れぬ悪意を感じ取ったからである。
「せっかくだもの、リーヴァが直々に思い知らせてやるわ。身の程というやつを…死の瀬戸際までじっくりとね…。」
リヴァイアの高笑いが部屋中に響き渡る。
デズモンドは震えていた。
彼は彼女の性格を十分に理解していたからだ。
確固たる証拠を掴まなければ、餌食になるのは一人では済まない。
このルネリオスの民から、女性を全て失う事になるかも知れない。
そんな都市の壊滅的な危険性さえも予感させ、デズモンドは目を戦慄かせていた。




