〜ロアの気持ち ノアの気持ち〜
◾️ロア
悲しい…哀しい…かなしい…カナシイ…
どうして消えてくれないの?
あたしだってわかってる。頭ではわかってる。
どうにもならないことだって…。
これが一番いいんだって…。
でも、それでも…怒りと悲しみの感情が消えない。
なんで?なんで?なんで?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
もう嫌だ…こんなに苦しくて辛いなら大切なものなんて欲しくない。
もうずっと…アイツが表のままでもいい…。
もう何も…失いたくない…。
「ロアちゃん…。」
「ノア…。」
いつのまにか目の前にノアがいる。今はあんたが表の時間なのに…。
「なんだよ…。なんか用かよ。」
あたしは足を抱えて座り込み、膝の間に顔をうずめた。
「ん、謝りに来たの。」
「あ?なにを?」
「実はね、交代の時間にはちょっと早かったの。でも、無理やり交代したの。」
そのことはよく覚えていない。いつもならあたしの時間に割り込むなって言うんだけど、そんな気にはちっともならない。
「ごめんなさい。」
イラつく
どうせこいつは自我を失って暴れそうになったあたしを止めるために無理やり割り込むことで自制したんだろう。
こいつはいつもそうだ。
いつもいつもいつもいつも…。
「なんでお前はいつもそうやって冷静でいられるんだよ…。」
「ロアちゃん…。」
「ノアはズルい!!なんでお前は怒らない?悲しまない?苦しまない…?なんでなんでなんで…!!」
堰を切ったように溢れ出した感情で涙が止まらない。こんな不細工な顔、ノアに見られたくなかった。でも、ノアは相変わらずで…。
「この鉄面皮の人形女!!」
気づいた時にはノアの胸元に掴みかかっていた。それでも変わらない無表情のノアに拳を振り上げた。
「ママが死んだんだぞ?なんであんたは平然としてんだよ!ズルいよ…。あたしも感情がなければこんなに苦しむことなんてなかった…。」
振り上げた拳が力なく下ろされ、ノアにしがみつくようにしゃがみ込んだ。
「ノアも悲しいの…。」
あたしは涙でくしゃくしゃの顔を上げ、ノアを見た。そこには相変わらずの無表情があった。
だが、いつもとは違う悲哀のオーラがそこには感じられた。
「でも、ノアは涙が流れないの。笑うことも出来ない。喜びも嘆きも怒りも恨みも、何一つ言葉が紡がれない。でもね、ロアちゃんと同じように持ってる感情があるの。」
ノアの目元が少しだけ、ほんの少しだけ柔らかく垂れた。
「ママを愛しているってこと。」
なんだろう。胸が熱くなる。
でも…痛くない…。
「ロアちゃんに負けないくらい。ママのことが好きなの。」
「なんだよ…それ?ばっかじゃねぇの?」
でもね、とノアは言葉を区切った。
「ロアちゃんも大好き。」
目から流れる涙が変わった。
心が冷え切っていく涙が、急に熱を持ったようだった。
「ノア…あたし…あたしも…!」
言葉を遮るように精神世界に魔力干渉が行われる。
それは現れては消えを繰り返し、不安定そのものだった。
思わず立ち上がり、辺りを見渡す。
これは《魔力通話》…。じゃあ相手は…。
「ママ!!」
あたしは叫んだ。空虚で何もないこの精神世界の中でその通信相手にリダイヤルするように…。
「ママ…。ここ…ここだよ。ノアとロアちゃんはここ。」
ノアが虚空に向けて手を伸ばす。その手は絡まった糸を解す様に、手繰り寄せるように…。
『ロア…ノア…。』
「ママ!!」
通信状態が悪く、酷く乱れた音声だがその声は間違いなくママだ。
今にも消えてしまいそうな儚い声に、胸が締め付けられる。
『…あなた達二人は決して一人にはならない。辛いことや悲しいことは半分に、嬉しいことや楽しいことは二倍に出来るの。だから二人とも…仲良く、お互いを支え合ってあげてください。』
これは遺言…。
ママに言いたいことは沢山あった。
でも、唇を嚙んで耐えた。ママの言葉を一言も聞き逃さないように。
『ノア…あなたには迷惑をかけたわね…。あなたには辛い思いをさせてしまった。親失格ね。でもあなたのお陰でママは今日まで生きられました。ありがとう。ノアの優しさがママは大好きです。』
何のことを言ってるんだろう?ノアがママに何をされていたんだろうか?ノアはただ虚空に向けてこくんと頷いた。
「ん、どういたしまして。」
相変わらずの無表情で返した言葉が雑に感じてイラっとした。
だけど、ノアがじっと虚空を見つめている横顔を見て食って掛かるのを踏みとどまる。
余計な言葉でママの最後の言葉を遮りたくなかった。
『ロア…いつも喧嘩ばかりで憎まれ口をたたいて…。でもロアはいつでもママのことを大切に思っていてくれていたね。不器用で…でもとても一生懸命で…そんなロアがママは大好きです。』
「ママ…。」
あたしも…あたしもママのことが…!
言葉にならない。
嗚咽が邪魔して…。体が…、心が震えて…言葉が紡げない。
ノアが私の手を握った。不思議と体の震えが収まっていく。
つくづく思うのだ。私は弱いと…。
そして感情が乏しいノアが…とても強く見える。
「ロアちゃん…。」
握る手の力が強くなる。
「ノアの分もお願い。」
「あ…。」
あたしはバカだ…。ホントバカだ…。
ノアは言った。
ママを愛する気持ちは一緒だと。
ただ、ノアはそれを伝えることが出来ない。それが強さだなんて言われたら…あたしがノアならブチ切れてる。
感情は吐露することで幾分かマシになる。
心の負荷を軽くする。
だが、自分の感情を伝えることが出来ない苦しみは一体どこに行くのだろう…。
ああ…そうだ。
あたし達は二人で一人…。
ノアがため込んだ感情を、あたしが吐き出してるんだ…。
あたしはいつもいつも…ノアに背負わせてばかりいたんだ…。
「ごめんね…ノア…。」
零れ出したような一言と同時に、あたしはノアの手を握り返した。
「ママ!!あたしは…あたし達は!!ママのことが世界で一番…!!」
大きく息を吸った。
聞こえるように、届くように大きな声で。
万感の思いを込めて…ノアの分もすべて込めて。
「大好きだー――――!!!」
ふと、頭を撫でる手のような感触があった。
驚いてノアを見るが、同じタイミングでノアもあたしを見る。
希薄ながらも、その表情からは驚きが感じられた。
あの手はノアじゃない…ならあれは…。
「ママ…。」
ノアは手を小さく振る。
「ママ…さようなら…。」
ノアにはママの背中が見えているのだろうか?あたしに分かるのは、先ほどまであったママとの魔力の繋がりが完全に途絶えたことだ。
そう、ママは死んだのだ…。
再認識したが、幾分か心は穏やかだった。怒りも悲しみもない…。
ただ、胸の中にすっぽりと穴が空いたような喪失感だけが残っていた。
「なあ、ノア…。あたし達…これからどうしていけばいいんだ?」
「ん?外の世界で生きてくの。」
「まあ、そうなんだけどよ…。あいつらについてくのか?」
気が進まない。
ママが望んだこととはいえ、あいつらがママを殺した。そう考える自分を隠しながら、行動を共にするストレス。
「いっそのことあたし達だけで…。」
「勿体ないの。」
ノアがあたしの言葉を遮ってきたことに驚いた。ノアは相変わらずの無表情だが幾分神妙な面持ちであたしの顔を見る。
「勿体ない?」
「そう、勿体ないの。失っていくだけはだめなの。前に進むためには欲しくなくても何かを手にする必要があるの。」
なんだか難しいこと言い始めた。
ノアはこういうところがある。
頭でっかちでなんという理屈っぽい。
あたしにない部分を持ってるんだから当然だが…。
「欲しくないものなんて要らないだろう。」
「それは言葉の綾。ロアちゃんはきっと欲しがってるの。だから勿体ないの。」
こんな食い下がるノアは初めて見る。
なんかこいつ変わってきたような…。
でもノアが何を言いたいのかさっぱりわからず、頭をガリガリと掻く。
「じれったいなぁ~。いったい何が言いたいんだよ?」
その後言ったノアの一言に、あたしは耳まで真っ赤にしながら、しどろもどろで否定を口にする。
そしてぶん殴ってやろうと追い回すがノアは表の世界へ逃げてしまった。
誰もいなくなった精神世界の中で、あたしは一人胸を押さえ、火照る顔と高鳴る鼓動にしばらく悶えて絶叫することになった。
「これでよかったんだよな…。」
プラチナに輝く指輪を見つめながら、自問自答が続く。
肉体も衣服も魔力で作られていたエルマリークさんにとって唯一の遺品だ。これだけは消えずに残ってくれた。
これが本当にベストだったのかという問いは今となっては無駄な考察だ。
だが、確かなことは、魔女は確実に倒されたという事実。そしてそれを成し得たのが聖騎士団団長というこれ以上にないキャストだったこと。エルマリークさんを殺して報酬を得るという胸糞悪い展開は回避できたこと。そして、聖騎士団という組織が思っていた以上に優良組織だったということ。そのパイプを図らずしも得たことだ。
「勇者…か…。」
ハイレンは去り際に、自分のことをそう呼んでくれた。こんな自作自演の脅威に巻き込まれ、自身はボロボロになり、部下を何十人も死なせることになったと知ったら、評価は一変することは請け合いだ。彼の人柄を思うと胸が痛む。
だが、むしろここからが本当の闘いだ。
エルマリークさんの自死ともとれるこの決起に対して、シャミルがどう出るか…。
罵声を浴びせられ、罵られる覚悟はある。何だったら殺されるのも止むなしかもしれない。
だけどエルマリークさんと約束した。俺が出来るのは、彼女が日の当たる世界で楽しく生きていけるようにすることだけだ。
視界の先の焼け野原になった森の側で3人の人影が見えた。それを見て、駆け寄りたい気持ちと気まずい思いが混濁して勇者の足を鈍らせた。
そんな中で、凄まじいスピードで駆け寄ってくる一つの影があった。
「と~りゃ~~~~!」
気の抜けた掛け声とともに、それは俺の顔面に張り付くようにして抱きついてきた。
「どわわわわわ!」
突然のことで動揺する。青い髪の小柄な少女が猛スピードで顔面にボディープレスをかましてきたのだ。ま、まあ体重が軽すぎてひっくり返るほどの威力はないが…。
彼女の走ってきた方角からゴルドラとエリックが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?!マスター!…何をやっとるか貴様!」
顔に張り付いた少女をゴルドラが速やかに剥がし、まるで子猫でも捕まえたように首根っこを掴まれていた。
「勇者さん!すいません!驚かれましたよね?」
当然驚く、誰でも驚くがまず最初に…。
「だ、だれだ?お前?!」
言葉にしたと同時に意図せず《超鑑定》が発動し、その情報が目に飛び込んできた。
「シャミル=ノア?」
少女はこくんと頷く。
「自己紹介を迫っておきながら鑑定で覗くなんて…なんかお行儀悪いの。」
無表情だがどうやら俺が鑑定を使ったことにご機嫌斜めなようだ。
「いやいや、出会い頭でジャンピングボディープレスかましてくるやつにお行儀の悪さを言われる筋合いはねぇな。」
俺のツッコミに、ノアは何を納得しているのかうんうんと頷く。
「やっぱり同じ転生者。パパとノリが同じなの。」
そういうとゴルドラの手を払って地面に着地する。
ノアの話はエルマリークさんから聞いていたが、直接会うのは初めてだ。
雰囲気は対照的だがよく見れば目鼻立ちは同じだ。後は髪の色や身長、選んでいる服装でロアとは真逆の印象を受けるが、ロア以上に浮世離れしてるというかなんというか…。
そんなことを考えていると、ノアが深々と頭を下げた
「つらい役回りをさせてごめんなさい。でもって私たちを救ってくれてありがとう。」
正直意表を突かれた。これからこの子達に一生恨まれる覚悟ですべてを話そうと思っていたのに、まさか労いとお礼を言われるなんて思わなかった。
泣き喚き、恨み言を言われるに決まってると思っていたのはロアの印象が大きいが、逆に淡々と無表情で大人びた対応を見せるノアに対して動揺を隠し切れない。
「俺は君たちの母親を殺したも同然だ。恨まれはしても礼を言われるなんて…。」
俺が言い切る前に、ノアはフルフルと首を横に振る。
「ママの気持ちも願いもちゃんと理解してる。こうすることが私たちを自由にするためには最善だってことも。」
「そうなのか…?」
正直驚いた。この子は既に覚悟を決めていたのだ。こんな幼い子が…。
「だって、今回の件をママに提案したのはノアだもの。」
「え?」
思考を遮るその一言は、圧倒的な衝撃だった。動揺を隠せない俺の目をノアは相変わらずの無表情で見つめていた。
「ママはずっと苦しんでいたの。ノアはノアである時間の間、なるべくママのお話をずっと聞いてた。ママがパパのことを思いだして泣き出すこともあったし、愚痴を漏らすこともあった。ママは肉体的にも精神的にも病に侵されていたの。それを吐き出せるのはノアだけだった。」
「そんなまさか…エルマリークさんが…?」
思わず呟いたゴルドラの言葉はまさに俺の口から出ようとしていたものそのものだった。別れ際、死の間際まで気丈に振舞っていた彼女がそこまで追い詰められていたなんて…。
「そのことはロアも?」
エリックの質問にノアは首を横に振る
「ママはね、ロアちゃんには絶対そんな姿見せないし言わないの。だってロアちゃんが知ったら大変なことになるもの。だからこれはロアちゃんには秘密。」
口元に人差し指を当てる。無表情で無垢な少女が行うには蠱惑的な印象を受けた
「今回の最大の障害はロアちゃんだったの。どうやったらロアちゃんを納得させられるのか…。ママもノアもいっぱい考えてたの。そんな時…。」
ノアの人差し指が自分に向けられた。
「あなたが来たの。」
「それは…俺が勇者だからってことか?」
ノアは軽く小首を捻ってから、首を横に振る。
「少し違う。勇者であることはあまり重要じゃなかった。重要なのは【転生者】だっていうこと。」
今度はこちらが首を傾げる番だ。
「俺が転生者であることがロアを納得させることに繋がるっていうのか?」
「まあそういうことなの。最初から順に話をするからちょっと座ろうか。」
ノアはそういうと椅子を四つ分出現させた。特に気の利いたデザインではない、クッションも背もたれもない丸椅子が円になるように並べられた。
皆がそれぞれ椅子に座ると、ノアがそれじゃあ、と続きを話し始めた。
「これはママが教えてくれた言葉。『生きていくということは時間という魔物に襲われ続けるということ』。その魔物に襲われると、様々なものを失っていくんだって。でもね、失ったものを取り戻そうすると逆に魔物に食べられちゃうの。」
なんだ?この話は?時間が魔物…。そんなことを考えたことなかったけど…。
「真祖は時の魔物に襲われないようにエルヴェシオンを作ってそこに永遠を築いていた。ママはエルヴェシオンを出たことにより、時の魔物に追われるようになった。」
その言葉にハッとさせられる
「時の魔物に襲われないということが不老不死と同義だってことなのか?」
思わず口を出した言葉に、ノアはこくりと頷く。
「ママはエルデガルドに来て200年、奪われ続けるしかなかったの。エルヴェシオンのような時間を超越した空間じゃない領域では時の魔物を防ぐことなんて出来ない。容赦なく奪っていくの。力を、若さを、命をそして…心を…。」
ノアの青い瞳が昏く沈み、その雰囲気に思わず息を呑んだ。
「失い続けるだけの生活…。そんな極限の最中、ママが初めて得たものがあった。それがパパだったの。」
ノアは澄み切った空に視線を向ける。
「それからのママはとっても幸せだったの。パパはママに沢山の幸せをくれた。ノアとロアちゃんが生まれたことも、ママの幸せそのものだったの。パパとノア達がいるから、ママは時の魔物に襲われていても、怖くなかったの。でもね…。」
ノアが言葉に詰まるが、それを催促することはない。ゆっくりでいい。ノアのペースを待ち続けた。
「時の魔物はパパを食べちゃったの。」
ノアが選んだ言葉は衝撃だった。それは比喩ではなく、本当にそうだからだ。
タイムアップ。タイムオーバー。タイムアウト。
まさしく時間に食われたと言っても過言ではない。そして俺もその可能性があるのだ。
「激しく取り乱すママの姿はトラウマとなってそのままロアちゃんに強く受け継がれていたの。身内を失うことに対する恐怖が保守的な思想を強く根付かせ、神経質になり、感情が暴発するの。時の魔物は喪失への未練はもちろん、これ以上失いたくないと立ち止まる者も容赦なく食べていくの。」
「だからロアはあんなに感情が不安定なんだね…。」
エリックの言葉にノアは頷く。
「うん。だからロアちゃんはママが死ぬことを承知しない。時の魔物に抗って、抗って結局ダメで…。無力であることを悟って、壊れてしまう。ママが死んでしまうのは遅かれ早かれ訪れる。そう何度忠告しても、ロアちゃんは聞き入れてくれなかった。」
ノアとロアのこの極端な性格の違い…。これはやはり一人の人間だったものが二人に分かれてしまっていることの弊害だろう。
ノアは決して感情がないわけではない。しかしながら、感情の振れ幅があまりにも少ないため、冷徹な印象を受ける。ロアは逆に感情の振れ幅が大きく、時として情緒不安定として精神に過大な負荷を受ける
ノアは分かっているのだ。いつか自分たちは自分たちの人生を歩まなくてはならないということを。しかし、ロアは失う恐怖に縛られ、身動きが取れなくなっているということだ。
「だからね、ノアはママに提案したの。またパパを作ればいいって。」
ズコーーーーーー!!
理知的な雰囲気を構築していたノアの口から出た大胆な作戦に、盛大に3人がずっこけた。その様子を見てノアは顎に手を置き、首をひねる。
「やっぱりそういうリアクションになるんだね。ママもちょっと困った顔で苦笑いしてた。」
「ま、まあ間違いってわけじゃないけどさ…。」
「そうなの、ノアは決して悪くない作戦だと思ったの。人は前に進むために失ったものを糧にして何かを得る必要があるの。何も得られず、失い続けることをノアは絶望だと思うの。」
「何も得られず、失い続けることが絶望…か…。」
その言葉の重みに、胸が締め付けられるような気がした。
「そこで閃いたの。ママにパパが出来る必要はないんだって。ノアとロアちゃんにパパが出来れば問題ないって。」
ん?なんだこの展開…。シリアスな話をしてたはずなんだが、なんか話の方向性がおかしくなってないか?
ゴルドラとエリックの視線が俺に向けられている。
あれ?これってもしかして…。
「ノア、ちょっと待て。そのパパっていうのは…。」
ノアが真っすぐ俺に向けて指をさす。
「ってことでこれからよろしく。パパ。」
「待て待て待て待て待て!!」
とんでも展開に飛び上がった俺を見て、ゴルドラとエリックが今度は慌てて視線を逸らす。あいつら…。
「お前らもうすでにこの話聞いてたな?」
「あ、えっと…すいません。詳しくは聞いていませんでしたが、ノアが開口一番で『パパを迎えに行く』っていったのでもしかしてとは思いましたが…。」
ゴルドラが慌てて釈明する。
パパ?前世でも子供どころか彼女もいなかった俺が急にパパとか言われても…。何かいっぱいすっ飛ばされてパニックだわ。そもそも…。
「なんでパパなんだよ?!仲間でいいだろう?!」
「仲間って何?」
率直な俺の意見に対してノアは平然とした顔で答える。
「え?あ、いや仲間っていうのは…。」
「ノアは別に何でもいいの。でもロアちゃんはダメ。仲間っていう関係性がわからないの。そんなのロアちゃんは絶対納得しない。」
俺は口から出た不満を飲み込まざるを得なかった。彼女たちにとって家族以外の人と関わったことがない。だからこそ、家族という絆の構築は特別なのだろう。
仲間とは社会だ。これは家族のコミュニティとは真逆と言ってもいい。これから領域外に出て初めて社会を学ぶこの子達にとって、仲間とは敷居の高いコミュニティといえる。
「ロアちゃんはパパが大好きだったの。毎日毎日パパにべったりで…。てめぇ!いい加減しろ!!」
淡々とした口調からいきなり怒気が込められた声色に代わり、俺たちは飛び上がって驚いた。
「だって本当のこと…余計なこと言うんじゃねぇって言ってんだよ、バカ!!」
突然始まった一人漫談に茫然としているとエリックが耳打ちしてくる。
「基本的に人格の入れ替わりは昼夜で分かれてるみたいなんですけど、片方の意識が起きてる場合は割り込んでくることもあるようなんです。」
「は、はあ…。」
別人格と喧嘩を始めるという謎な状態の中、ノアはパンっと手をたたく。
「あ!てめぇ!まだ話が…!…お待たせなの。」
どういう原理かはわからないが強制終了したようだ。
「精神世界は暇だからロアちゃんは大抵寝てるんだけど、今日はちょっとハイになってて起きてたみたいなの。」
それだけ聞くとただの姉妹の会話に聞こえるんだけどな…。
「で、話を戻すの。ロアちゃんはパパがしてくれる異世界のお話が大好きなの。歴史や武器、音楽、芸術、ファッション、娯楽…とにかく全部好きなの。勇者さんはパパと同じ転生者だからロアちゃんが勇者さんを好きになるのは必然なの。」
な、なるほど…ぐうの音も出ない説得力。誰がパパでもいいわけじゃない。かと言って父と娘という関係性以外の絆は理解できない。
悩む。
腕を組み、唸りながら頭を捻る。
そんな俺をゴルドラが怪訝そうに顔を覗き込む。
「マスター、そんな悩むことではないと思いますが…。」
そう言いますけどね、あんた…。
「結婚した覚えもないのに男やもめの子持ちになるっていう状況に表現しがたい後ろめたさがあるというか…。俺20歳なのに10歳を超える娘がいるとか社会的にどうなんだ?とか…。もうちょっと社会的に当り障りのないソフトな関係性はないのかと…。」
「男やもめってなんですか?」
「男版未亡人。」
エリックの質問に瞬間的に答えるノア。変な言葉知ってるな…。意味わからないと思って使ったのに…。
「そんなに気になることですかね?」
「私は人間族ではないのでよくわからないが、マスターが懸念されていることだし、もっと大きな問題が隠れているのではないか?」
なんか話が面倒な方向に流れてる気がする。ここは潔く腹を括るべきか?いやしかし…。
悩む俺の真似をするようにノアも顎に手を置いて唸り始めた。
「う~ん、パパは前の世界の親権問題や結婚観を持ち出してるから悩んでるの。だから二人はパパが悩んでる意味が分からないの。」
「あ、うん。その通りだが、当たり前の様にパパって呼んでる…。」
「そこでノアから提案なの。」
俺のツッコミはさらりと流し、ノアはポンっと手を打つ。
「特別養子縁組にするの。」
「は?」
養子縁組はともかく、特別?なにそれ?
当然ゴルドラとエリックは首を傾げざるを得ない。ノアは教鞭をとるように解説を始める。
「通常の養子縁組は再婚によって発生するけど、特別養子縁組は親同士の結婚を必要としないの。これを使えばパパはママと結婚しなくてもノアとロアちゃんのパパになれるの。」
「ま、まあ確かに、親戚が引き取る時みたいな感じになるってことだよな?てか、それって親戚縁者じゃなくてもいいのか?」
ノアはこくりと頷く。
「ん、問題ないの。まあ、問題があるとすれば家庭裁判所に届出が必要なこと。子供が15歳になるまでの期間限定。親側が25歳以上であることだけど…。」
「なんで異世界の法律に詳しいんだよ?」
これも前の勇者からの受け売りか?
「てか、世界が違うから法律も違うだろ。」
「そう、だからこの話は不毛なの。」
は?
思わず俺は呆けた声をあげた
「パパがさっき言ったみたいにこの話はするだけ無駄なの。この世界はその土地で住まない限りは戸籍の届出なんて必要ないの。だから定住者でなく冒険者であるノア達が家族であるか否かの登録なんて必要ないの。」
「じゃあなんで特別養子縁組なんて話を…?」
「パパが納得できるようにするため。」
ノアはあっけらかんと言い切った。なんか頭が混乱してきたが、落ち着いて考えてノアの言いたいことを整理してみる。
「え~っと…。そもそも冒険者同士の関係性なんて、この世界の社会はまったく気にしてないから気にするだけ無駄。気にしてるのは前世の法律に縛られている俺だけ。俺が納得できる口実として特別養子縁組の話を引き合いに出した。簡単に言えば孤児を引き取ったと思えばいい…そういうことか?」
「ん、ベリグ。」
ノアが無表情で親指を立てる。
「なるほど…話は分かった。こりゃあ一本取られたな。」
ノア、本当に頭の回る子だ。俺が前世の法律に拘ってることからあえて法律の話を持ち出して、この世界の法律や常識とのズレを認識させた。
末恐ろしいやつだ。完全に手玉に取られた。だけど、ゴルドラやロアの脳筋ぶりを考えると、ノアの優秀さはこれから絶対に役に立つ。
俺は大きく伸びをした
「もう迷うだけ無駄だな。よっし!!もう腹括ったぞ!お前たちは俺の娘だ」
おお!っと歓声が上がる。
ゴルドラとエリックが拍手する中、ノアは姿勢を正して深くお辞儀をする。
「感謝するの。どうかよろしくお願いします。」
変に畏まって礼儀正しいノアがとても初々しく見えた。前の勇者みたいに変なことばかり教えずに、ちゃんとした知識を与えてやらないとな。
「そういえば…。」
俺はポケットに仕舞い込んでいた指輪をノアに差し出した。
「これはエルマリークさんの片身だ。君たちが持ってるといい。」
ノアは指輪を受け取ると、愛おしそうにそのプラチナの指輪を撫でた。
「ありがとう。ママが遺品、回収してくれて。」
そう言うと、ノアは徐に左の薬指に指輪を嵌める。
「…ぶかぶかなの。」
「そりゃそうだよ。」
てかいきなりその指に嵌めるんじゃないよ。ホントにおませさんだな…。
その後、ノアは色々な指に嵌めていき、結局左の親指に落ち着いた。
無表情なまま指輪とにらめっこするノア。多分、感慨に耽ってるんだろうな…。そう思って油断した直後…!
「とぉー――りゃー――。」
出会い頭と同様にノアが俺の顔に飛びついてきた。
「だから、なんで顔面に飛びついてくるんだよ?」
「ロアちゃんがやってたから今のうちに慣れておくように…。」
ボカッ!
「イタッ!なんでいきなり殴るんだよ?!」
見ると、顔を真っ赤にして肩を震わせるノアの姿…え?これって…。
「てめぇ!この!下ろせ!誰がこんな恥ずかしいことするかよ!黙って聞いてればいい加減なことばっかりやりやがって!!」
「いて!いててて!!やめろノア…じゃなくてロア!」
「残念、今はノアなのでした。ロアちゃんもパパと遊びたいなら交代の時間が来てからにしてほしいの。」
どこからかロアの悲鳴に似た声が聞こえる。この姉妹、完全にノアが手玉に取る構図だが、ロアが後で俺にどんな八つ当たりをするのか…。今から想像するに恐ろしいのだった。




