〜追憶《自由への渇望》〜
◾️エルマリーク
今から400年以上前、私は生まれた。
五感を通してけたたましく流れ込む情報量に戸惑いを禁じ得なかった私に向けて、母はこう問うた。
「汝の名は何とする?答えよ。」
私はまだ視界も定まらず朦朧とした意識の中でこう答えた。
「…エルマリーク。」
っと… …。
母は無感情に一言、「そう」と呟くと、母はその場を離れた。その後を追おうとしたその時、一糸纏わぬ私に毛布を掛けてくれたものがいた。
礼を言おうと振り返ると、そこにいた者の顔は先ほど見た母と瓜二つだった。
生まれた時から大人だった私はすぐに立ち上がり、言葉を話すことが出来た。そのことに対しての違和感を当時持ち合わせてはいなかった。
だが、生まれ落ちたばかりの私にも奇妙だと感じられるものはあった。
それは母に傅き、身の回りの世話をするメイド達が皆同じ顔であることだ。皆が、母と同じ顔なのである。
そして、それは私も例外ではなかった。
私たちが住まう場所は本来光届かぬ地下世界【ニブルデッド】。
魔素に満たされ、魔光による淡い輝きに包まれた闇の世界。
そんな薄暗い世界の中でひときわ美しく、洗練された美を放つ空間があった。
名を【エルヴェシオン】。
ニブルデッドでは見ることなど叶わない青い空と白い雲、光に包まれた世界。緑の草原や湖水、美しい草花の庭園が見渡す限り広がる。
そして宮殿を思わせる荘厳な建物が、そこに住まうものの高貴さを助長していた。
この楽園の正体は母が築いた《空想領域》であった。
母は真祖【トゥルーヴァンパイア】。
真祖は闇の眷属の頂点であり原点。
母は異種族を見下した。取るに足らない存在として路傍の石と同じく扱った。
母は同族を拒否した。自分よりも優れたものなどいないと断じた。
自我を持つ同族を全て抹消し、意思なき不死者【アンデット】達に傅かれながら10000年もの時を過ごしていた真祖は、一つの考えに至った。
自分を増やそう…と。
この時、真祖がどういう心境だったかは伺い知れない。
孤独か寂寥感か…。
不死身であるはずの自身の身を案じたのか。
答えは本人のみぞ知るが、母は自身を切り刻み、自らの細胞を蘇生していく過程から自身の複製体を作ろうとした。
何百体もの失敗作の中で、成功と言われたものは私を含めた13体だけだった。
だが、どれも母と同じ顔をして、真祖と同じ血が流れるだけ贋作に過ぎなかった。
真祖との決定的な違い、それは単純に強さだった。
私を最後に、真祖は複製体を作るのをやめた。
諦めたのか、飽きたのかはわからない。
私は姉たちとともに母に傅き、身の世話をしてお茶を嗜む日々が繰り返される。
母は美しかった。
流れるような長く美しい銀色の髪と緋石の如き赤い瞳孔。蠱惑的な肢体は同姓でも惑わされるような色香を備えていた。
自分も含め、姉たちは皆母と似ていたが、母の様な美しさを感じたことはなかった。無表情で言葉少なく、命ぜられるまで直立不動の姿勢を取り続ける姉妹たちに対して、魔動生命体【ゴーレム】なのではないかと邪推したものだ。
そして、そのようなことを考えている私自身が稀有な存在であり、異物であるということを認識するのに多くの時間はかからなかった。
普段、領域外の存在を完全に拒むエルヴェシオンに、あえて招かれる客がいる。
褐色の肌に切れ長の耳を持ち、均整の取れた肢体と美貌を持った種族。
【ダークエルフ】族である。
他種族を見下す母にとって、ダークエルフだけはその美しさを賛辞し、保護対象としていた。
かつては、他種族との争いで数を大幅に減らしていたダークエルフだが母が保護することによってその状況は一変した。
ダークエルフは母を神として崇め、週に一度、夜伽を通して血を献上するという主従関係を結んでいた。
正直、血を吸うという過程に性行為は必要ないのだが、これは母の趣味によるところが大きい。この行為は娘である私たちにもあてがわれ、平等に行われていたが、私は血を吸う以上の行為は行わなかった。
ある日、夜伽相手のダークエルフが私にこう言った。
「あなただけは生きているのですね。」
その言葉に私は驚愕した。吸血鬼はイモータルな存在、ただの血を吸う化け物だと自嘲してきた私は、改めて自身が闇夜の眷属として逸脱している存在であることを認識させられた。
私は今までの思いの丈を全て、名も知らぬダークエルフに吐露した。
答え合わせをするようで、間違い探しをするように。
そうして私は確信した。
私たちは母の人形であることを。
初めてアンデットを見た時、感じた得も知れぬ感情は忌避感ではなく親近感だったのだ。アンデットは死者の人形、私たちは母の血肉を分け与えられた人形であり、役目も役割も変わらないのだということを。
その日から私は母を敬わなくなった。
与えられた役割は全て人形である姉たちに押し付け、この不毛で非生産的な日々からの脱出を願うようになった
この思いを件のダークエルフ、【ルーネ】に伝えると、彼女は思わぬ提案を返してきた。
「あなたは真祖様と肉体的にも精神的に繋がっているので、決して逃げ果せることなどできない。だけど、真祖様でも手が出せない場所に逃げることは出来ます。」
「ど、どこ?どこにそんな場所があるの?!」
食い入るように詰め寄る私を、彼女は眉一つ動かすことなく静かに口を開く。
「【エルデガルド】です。」
エルデガルド?どこの国だろうか?
このエルヴェシオンからほとんど出たことがない私には、エルデガルドがどこにあり、どんな場所なのか見当がつきません
彼女はこちらの反応を伺うと言葉を付け足す。
「エルデガルドはこの地下世界、ニブルデッドと対を成す、一般的に地上世界と呼ばれるところです。その世界に逃げれば、真祖様といえども手を出せません。」
「その場所にはどうすれば…!」
迷いなく話を急ぐ私に向け、彼女はゆっくりと視線を合わせてきた。
「我々が住まう森の奥地に、地上と地下を繋ぐゲート、【レジェネーター】があります。これを使えば、エルデガルドに行くことが出来ます。」
余りにも簡単な方法で拍子抜けしている。
母の魔の手から逃れる方法がまさかこんなに近くに転がっているとは…
「なぜか?とは、お聞きにならないのですか?」
「え?」
彼女は睨みつけるような視線を送り、こちらの返答を待っている。
「な、なぜって…?あなたはなぜ私にこんなことを教えてくれるのってこと?」
彼女は首を横に振る。
「それを何故と問う前に、何故真祖様はエルデガルドまで追ってこないのかということの方が重要だと思いますが。」
私はハッとなり、赤面する。
よく考えれば当然だ。真祖は私がどこにいようとも感知でき、空間転移で一瞬のうちに目の前に現れるのだ。
母の圧倒的な魔力があれば、地上だろうと地下だろうと手のひらの上なのではないか?
だが、そんなことは彼女も承知のはず。では、一体…?そう思案に入ったとき、彼女は重い口を開いた。
「地上には本物の太陽の光が世界中を照らしています。その光は《空想領域》で作り出したそれとはまったく違い、【破邪の光】と呼ばれています。破邪性は、闇夜の眷属がもつ不死性と不老性の両方を奪うというまさに天敵なのです。それは当然…。」
「私も例外ではない、ってことなのね」
思わず身が震えた。
エルヴェシオンの中にある作り物の太陽は私たちに何の害も与えない。そんな太陽が私たちの存在を危ぶむなんて。
「当然だけど母は…。」
「存じ上げています。数千年前のエルデガルドの侵略戦争である《天地喰い大戦》の際、ニブルデッド側は勝利したものの、エルデガルドに報復が出来なかった理由が、地上に降り注ぐ破邪の光によるものだとされています。それに…。」
彼女は一呼吸おいて言葉を続ける。
「魔素が空気中に満ちているため、常に取り込むことのできる地下と違い、地上には魔素がほとんどありません。体の構成がほぼ魔力である魔族にとって、これは致命的と言っていいでしょう。真祖様とはいえ、存在するためだけに消費される魔力だけでもひと月もたずに欠乏症を引き起こすと考えられます。」
そこまで聞き、私はこの逃亡劇が夢物語だと感じた。不死性を奪う破邪の光の脅威に晒され、命の源泉ともいえる魔素のない世界。生きていけるわけがない。
私は気づいた時には膝をつき、力なく項垂れていた。その際、私はどのような顔をしていたのか…。
「でも、可能性がないわけではありません。」
もはや諦めていた私に、彼女は希望をちらつかせてきた。
私は虚ろ目で彼女を見上げる。さすがにもう、飛びつくような反応は見せられなかった。
「地上の世界には光に包まれる昼の時間と闇に包まれる夜の時間があります。夜の時間であれば破邪の光から逃げられる可能性があります。」
昼の時間?夜の時間?聞きなれない言葉だが、破邪の光を避けることが出来るのであれば朗報といえるだろう。
徐々に瞳に光が戻ってきている自分を客観的に見た時、情緒不安定でムラのある未成熟な精神構造であると痛感させられる。
そんなこちらの考えを知ってか知らずか、相変わらずの無表情でルーネは語る。
「そして、魔素ですが、生物を捕食することによって補うことが出来ます。吸血鬼であるあなたならば生物の血を吸うことで魔素の補填は出来ましょう。」
「捕食して…魔素を…?」
私は喉の奥からこみあげてきたものを抑え込むために両手で口を覆った。
確かに私たちは定期的に彼女たちから血を奪ってきた。だが、それは決して飢えを満たすためではない。一種のエクスタシーのためだ。
事実、彼女たちから吸い上げる血液の量は少量であり、私自身も決しておいしいと思っているわけではない。大人ぶった刺激を得るためであって、生存には無関係な行為だと認識している。
だが、魔素がない世界ではそれを毎日のように行わなわなければ命に関わるということだ。それに伴い、吸い上げる血の量は今のようなお遊びとはレベルが違うだろう。下手をすれば相手を死に至らしめる量が必要かもしれない。
大量の死体の山で血を求めて貪り食う自分の姿を想像してしまった私は、しばらく喉の内側が焼かれるような感覚に襲われた。
その様子を見て、彼女は肩をすくめる。
「魔族やイモータルな存在達からすれば食事は大した意味を持ちませんが、それ以外の生き物は肌や呼気から魔素を取り込むなどということは出来ないので、他者の命を食らうことは常識ですよ。まあ、それが嫌であれば他に手段もあります。」
私が動悸を抑え、彼女に視線を戻したタイミングで、彼女はこう告げた。
「地上に作ればいいじゃないですか。魔素に満ちた領域を。」
「領域…?《空想領域》を私が?!」
「出来ないはずはありません。エルヴェシオンのような複雑かつ多くの創造物【オブジェクト】で満たそうと思えば難しいかもしれませんが、領域構造や創造物を単純にすることで簡易化と省力化は可能です。」
彼女の口上にまた浮ついた感情が生まれそうになったが、自分を諫めて冷静にその行為が現実的であるかを考える。
「いや…やっぱり無理だわ。領域の維持にも魔素は必要だもの。エルヴェシオンの維持もその魔素があってこそ。本末転倒になるのが目に見えている。」
私のその答えを聞いて、ルーネは初めて表情を変えた。
一瞬わからなかったが、微笑んでいるのである。失礼だが、非常に不気味なものを感じた。
「その最後のピースがこれです。」
彼女はしゃがみこみ、地面に転がる石を無造作に拾い上げた。
「私たちにとってはありふれたこの石ですが、エルデガルドにおいては垂涎のレアメタル。魔鉱石【マテリア】です。このニブルデッドで魔素が満ちているのは全てこれのおかげ。つまり…。」
「強い魔素を放つ魔鉱石【マテリア】を持っていけば、領域を維持するための支柱にすることが出来るってことね!」
ルーネの意図することがわかり、私は興奮を抑えきれなかった。その様子を見て、彼女はふっと微笑んだ。
「手順についてこれ以上語る必要はないでしょう。最後の仕事はレジェネーターを閉ざすこと。それはレジェネーターが見えるニブルデッド側で行わなければならないため、私が潰しておきます。」
彼女は話は済んだと踵を返そうとするが、私は最初にした質問の答えをもらっていなかった。
去り際の彼女の背中に向けて放った疑問に対して、彼女は一言だけ返してくれた。
「あなたが人形ではないから。」
その言葉は私の胸に深く突き刺さり、これから起きる大いなる離反行為に及ぶ、自身への寄り辺となった。
かくして、私はルーネの手引きを受けて呆気ないほど簡単に支配からの逃亡は成功した。
彼女は事前にエルデガルドの夜の時間帯を調べたり、巨大な魔鉱石【マテリア】を事前に運び入れておくなどの配慮を尽くしてくれたため、私は身一つでエルデガルドに降り立った。
夜と呼ばれる暗闇の世界に包まれた森の中へとレジェネーターは繋がっていた。
鬱蒼とした森はニブルデッドと違って不思議な臭いがした。青臭いというか獣臭いというか…今ならばそれが生命の臭いだと断ずることが出来る。
空気がまるで違う。体の奥まで澄み渡るような空気は地下とは比べ物にならない新鮮さだ。さらに風と呼ばれる頬を擽るものに対して一人で驚いた。
そんな中、見上げれば暗闇の中で輝く星を見つけて美しいと感じた。正直、ルーネから前情報で聞いていた限りは非常に恐ろしい場所の様に思っていたが、ニブルデッドと違って何もかもが美しいと感じられる世界だった。
だが、そんなことを考えたのも束の間、すぐに体に異変が現れた。
皮膚がただれてきていたのだ
そんな体を修復しようと大量の魔素が使われていき、私は軽い疲労感に襲われ始めた。
夜ならば安全なのではないのか!と、当時は悪態を突いたが、どうやら破邪の光は夜でも反射を利用して降り注いでいるらしい。
昼間に比べればよっぽどマシではあるものの、やはり地上に闇の眷属の安寧はないようだ。
私は慌てて目の前に聳える全長5mほどはある巨大な魔鉱石【マテリア】—どうやってルーネが運んだのかは全くの謎—を触媒として《空想領域》を作り上げる。
周りの景色との違和感をなくすために領域の中も森とした。広さについては後から拡張できるため、初めは半径500m程度に留めた。魔素の充足率に伴い、徐々に拡張していく予定だったからだ。
だが、領域を展開した瞬間、圧倒的な気配の多さに囲まれている現状に背筋が寒くなった。
自分を取り巻くように200人…いや300人以上の気配があった。それが人間であったことは言うまでもない。
何の因果か、レジェネーターが繋がっていた場所は三国が隣接し合う国境であり、侵略の要所とされていた場所であった。
そして、その三国の兵たちは森の中に突如現れた巨大な見慣れぬ鉱石を我が物にしようと争っている最中だった。
謀らずとも《空想領域》に多くの人間を閉じ込めることに成功した私は、彼らの命を一瞬で刈り取ることで領域内の魔素を瞬く間に充足させることが出来た。
また、その死体はアンデットとして再利用することも可能だったため、魔性の森と呼ばれる現在の形はたった一夜にして完成したといえる。
その後、三国は行方不明となった兵の捜索にと何度も領域に足を踏み入れ、それを栄養にするかのように領域は現在の形にまで成長していった。
いつしか、軍はおろか人間が立ち入ることは滅多になくなり、この森は【魔性の森】と呼ばれ、恐れられるようになる。
そして、私は安寧を手に入れた。命を脅かされることも、母の機嫌を取り続けることも、自由を奪われることもない。
それは静かな暮らしだった。
そして、その代償として圧倒的な空虚が私の身に襲いかかったことは想像がつくことでしょう。
退屈、孤独、寂しい、虚しい…。
この現状を変える術を私は持たなかった。この領域外に出ることは死に直結する以上、環境を変えることは叶わないのだ。
物言わぬアンデット達に語り掛け、自身を慰める日々が続く中で、ふと母のことを思う。
なぜ、母が私たちを作ったのか…もしかしたら今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。
この地に降り立ってから150年経つ頃、私の中でも新しいものが芽生え始めた。
「もし、次にこの森に立ち入るものがいたなら、一緒にお茶を飲みながらお話がしたいな…。」
そう心に決め数十年が経つ頃に、ようやく待ちに待った人間達が領域内に入り込んだ。そして、その出会いが500年以上生きてきた私にとって圧倒的に濃密な時間を生み出すことになる。
私は気配を探知すると嬉々として家を飛び出し、その人間たちの元へと駆ける。
人数は4人。移動に迷いがないことから、迷い人ではないし、人数的に考えても軍隊でもないことは察せられる。
当時は冒険者という存在を知らなかったため、私は100年ぶりぐらいに好奇心を刺激させられて舞い上がっていた。
冒険者たちを見つけた私は物陰から様子を伺った。
とても若いパーティーだ。20代前後だろうか?
前衛として、大柄な戦士風の男ともう一人、黒いローブを頭から被った男が先導している。一人はタンク要員として、一人はレンジャーとして周囲を警戒していた。—闇に同化して様子を伺っている私を見つけることは出来ないようだが—
後衛には女性が一人、勝ち気そうな金髪の女性で弓を携えている。そして、その隣にはその三人とは服装の雰囲気がまるで違う男がいた。
後から知った話だが、肌に張り付く様な黒いタンクトップに赤いジャケットに黒いジーンズなるものを履いている姿は、一人だけ時代を飛び越えているような印象を受けた。
なぜか私は彼から目を離せなかった。当時は分からなかったが、今ならば少し理由がわかる。
美しかったからだ。
顔の形があまりにも均整が取れすぎていると感じた。他の三人はいざ知らず、この世の自然に生まれた生き物たちは僅かな歪みから左右非対称になることが当然なのだが、彼はそうではなかった。
まるで作られたような顔の造形…。
それが自分と似通っているようにも見えたため、どことなくシンパシーを感じたのだと、今ならば思う。
四人を観察しながら、私はどうアプローチをするべきかを迷った。友好的に行くべきとは思いながらも、相手が自分を倒しに来た可能性も大いに考えられるため、緊張が走る。そもそも、人と話すこと自体が数百年ぶりなのだ。別の意味でも足が震えた。
知覚阻害と隠密で姿を隠しながらまごまごしていた時、私は彼と目が合った。
後から聞いた話だが、彼には知覚阻害が効かなかったようだ。隠密は何かがいると思って目を凝らせば見つかってしまうため、知覚を妨害できなかった彼には見つかってしまったというわけだ。
観念し、私は姿を現した。
なんとか友好的に…そう思った瞬間、矢が放たれ、それを私は紙一重で躱した。
彼が制止を呼びかけるが、その声は他の三人に届かず、次の瞬間、戦士風の男が大きな剣を振り下ろす。逃げようとするが、足が動かなかった。みると、影縛り《シャドウバインド》が仕掛けられていることが分かった。
唐突な戦闘行為に私は友好的な対応を諦め、戦闘をするために魔素を活性化させ、肉体操作を行った。
振り下ろされた大剣を片手で粉々にし、指先一つで戦士風の男を吹き飛ばして後方の木々に衝突させた。
その衝撃で木がへし折れて倒れる有様を見て、女は「ひっ!」と声をあげると火炎瓶を取り出し、投げつけてくる。
わたしはそれに一息かけ、炎ごと凍り付かせると、足元の影を拘束している魔力をむりやり書き換え、四人を丸ごと拘束した。
戦闘の継続が困難になった上、拘束されたことで冒険者たちの表情には恐怖が浮かんでいた。
レベル20前後の人間であれば、これは正常な判断なのだろうかと今でも疑問が残る。
圧倒的な強者を前にして戦闘行為に及んだことは正直愚かとしか言えない。こちらは友好的に接しようと思っていたからこそ、私は消沈した。
そんな中で、一人だけ拘束されたまま呵々大笑する者がいた。
「ほらみろ!全然かなわねぇじゃんか!さすがにイキり過ぎだって。」
彼だった。自分たちの行く末がどうなるのかに恐怖している三人を尻目に笑い転げる彼に非難の声が飛ぶ。だが、彼はのらりくらりと受け流す。
「ここいらじゃ名を挙げた俺たち【クワドラル=マーク】も彼女の前では名前負けだって。彼女LV76だぜ?レベル差があり過ぎて初見で戦意喪失したね。むしろ敢えて生かしてくれるぐらい手加減してくれたことに感謝して、今からでも対話の道を模索するべきだと思うぜ。」
彼の言葉に三人は言葉を失い、さらに恐怖を帯びてすべてを彼に委ねる形となった。
私はその一時だけで察した。彼があまりにも特別であることを。
基本的に自分より上位のレギオンのレベルは鑑定できないのは常識。それを平然と覆してくる彼に興味を持たないというのはあり得ないことだと今も昔も思う。
そんな高位レベル者の妨害魔法を無力化したということも彼の特別さを助長することとなった。
そして私は勇者という存在をその時初めて知った。
彼は自分が人質になるから他の三人は解放してほしいと願い出た。
正直、私は彼以外の三人に興味がなく、絶え間なく注がれる恐怖心と敵意ある視線に疲れていた私はその申し出を受け入れ、三人を森の外へと帰した。
別れの際、女性は何度も彼を連れて帰ろうとしたが、彼は首を縦に振らなかった。その際、私に向けられた彼女の視線を未だに忘れることがない。
憎悪の込められた視線だった。
正直私は、そこまで彼を引き留めたかったわけではなかった。別にそのまま四人を帰してもよかったのだ。どちらかといえば彼がここに残ることを選んだといった方がいい。
もともと人寂しかった私はそれを拒絶せずに受け入れたという方が正しいだろう。
しかしながら、今ならばわかる。あの日の一事が、彼らの仲を永遠に割くことになってしまったことを。
だが、当時の私は久しぶりの話し相手、何よりも初めての異性を見て舞い上がっていた。二人きりになった部屋の中で、会話は常に彼が主導してくれた。
冒険者として名を上げてきた【クワドラル=マーク】が200年近く不可侵とされた魔女に支配された領域に踏み込む。それは依頼などではなく彼らの名声のための冒険だったようだ。
「これが俺たちのチームシンボルであり仲間の証だ。全員が一つずつ持ってる。」
彼は胸元からペンダント状の銀のアーティファクトを取り出す。特に魔法の力を感じるようなものではないので大した価値がないことは確かだが、彼はこのアーティファクトを常に首からかけて肌身離さず持っていた。そこから伺え知れるのは彼にとってそれが宝物と呼べるほど価値がある品なのだろう。
彼は癖の様にアーティファクトを弄る手を止めず、話を続ける。
「聖騎士団の中でも都市伝説やほとんど肝試しみたいに扱われてたし。散々町の人たちには反対されたんだけどな。南方のエルバムからルネリオスまでの山岳路に巣くっていた【ガーラルエイプ】の群れとボスレギオンである【ゴルゴンバジリスク】を倒したことで自信過剰になっちまったみたいだ。本当にごめんな。」
彼は頭を下げながらも、私に対して平伏すような素振りは見せない。しかしながら当然悪い気はせず、わたしは「もういいよ」とはにかんで返した。
ありがとうと言いながら、彼は私が差し出した紅茶を躊躇いもなく飲む。彼の立場からすれば毒や魔法を盛られるのではと不安に覚えるはずだが…そう私が訝しんでいると彼は悪戯な笑顔を見せる。
「ん?なんでこいつこんなに不用心なんだ?て、顔してるな?」
私は完全に心を読まれたような気がしてバツが悪くなり、視線を逸らした。
その様子を彼はケラケラと笑う。
「安心しろよ。俺はどんな状態異常も効かないスキルに守られているからな。もし何か異常があればそれもすぐに感知できるだよ。だから…。」
彼はそう言いながら目の前にある焼き菓子をつまんで口に放り込む。
「君が色々ともてなしてくれる度に、君への信頼は深まっていくし、優しい女の子だってことが伝わってくるよ。」
「え?あ、いや…え?!」
私は顔から火が出るほど紅潮し、見事なまでに狼狽えて見せた。それを見てまた彼は笑った。
私たちの会話はその後途切れることはなかった。
何百年も生きてきたものの、ほとんど箱庭の中で情報を遮断されていた私にとって彼の話はとても魅力的だった。
エルデガルドの世界がどのようなものなのか?どのような生物が住んでいるのか?どのような生活をしているのか?彼は身振り手振りや時折絵をかいて説明してくれた。
彼らの冒険談はスリルとロマンに満ちており、聞いているだけでこちらの胸が熱くなった。
前のめりになって聞いている中で日はとっくに落ちており、彼のお腹の音でようやく話を打ち切り、食事の時間を取った。
森に入ることは動物を含めて自由なため、動物を捕まえることは容易だ。食用になる植物やキノコなどもあるため、人間が摂る食事を用意することは至極簡単だった。
私は彼が料理をする様を見て初めて人の食事なるものを知ることが出来た。
生物を口に入れることで魔素を体内で吸収する生物たちは、もっと野蛮なイメージを持っていたが、料理という過程を踏んでいることで人間という種の洗練された文化レベルを感じることが出来た。
それを伝えると勇者は笑って答える
「お茶やお菓子だって立派な加工品だろ?魔族も料理を知っているんじゃないのか?」
その問いに私は答えられる知識がなかった。
確かにおかしい。
お茶やお菓子の素材が元々何なのか、どうやって作るかはわからないが今日まで伝わってきているということは、魔族に…いやニブルデッドにその知識を伝えたものがいたということだろう。
それはレジェネーターを通して地下に現れた人間だろうかと私が問うと、彼は少しの間押し黙ってしまった。
何か聞いてはいけないことだろうかと訝しんでいると、彼の口からその言葉が出た。
「多分だけど、魔王だろうな。」
私は当然ながら魔王を知らなかった。
魔王という存在が、この世界に異世界の知識を持ち込み、おそらく、《魔力錬成》による具現化を試みようとした魔族がいたのであろうとのことだ。
しかしながら、異世界から来る魔王の話が荒唐無稽であることから、私は猜疑的な反応を禁じ得なかった。
ここで彼は、自身が勇者であり、魔王とともに異世界から現れた転生者であることを明かした。そして数刻後、私は異世界の存在を信じざるを得なくなった。
彼が話してくれた異世界の話は、乏しかった私の知識欲を際限なく刺激した。
創造を超えたレベルの高度な科学文明、洗練された生活環境、圧倒的なスケールの数と規模の娯楽。
私が憧れを禁じ得なかったのは当然だろう。
中でも食事の話は正直一番の関心を引いた。いつも同じ焼き菓子と紅茶しか知らなかったため、まるで無限とも思えるような料理の数々に私は思いを馳せた。
元来吸血鬼に食欲はないが、異世界の料理を目の当たりにすると空腹を感じるのではないかとも思えた。
しかしながら、彼が語る異世界の物は、私が《魔力錬成》をして具現化することが難しいものばかりだった。見た目をそれっぽくした抜け殻を作ることは可能だが、素材や構造、調合方法、五感などが全く分からない状態でそれを作り出すということは雲を掴むような行為だった。
「近所にあった【ミカエラ】っていうパン屋のシュークリームがこれまたうまくてな!ふわふわのシュー生地の中にホイップとカスタードクリームがパンパンに入ってて、どこから食いつてもクリームが噴き出て顔が汚れるってのが口コミで広がっててさ。そのシュークリーム食べた後の顔をSNSでアップしてバズるやつもいたんだぜ。あれは死ぬ前に食べておいたらよかったな…。」
懐かしそうに異世界でのことを語る彼の顔を見て、私は一つの決心をした。
「私がそのシュークリームってやつを作ってあげる!」
彼がきょとんとした顔で私の顔を見ていたが、急に噴き出して笑った。
「飯も食ったことのない吸血鬼が異世界の料理に挑戦とかって正気の沙汰じゃねぇな。」
彼の嘲笑を受けて私の感情はヒートアップしていく。
「ぜ、絶対完成させてやるんだから!そ、そりゃあ何度も失敗するかもしれないけど、絶対にあなたにおいしいって言わせて見せるから!」
「それじゃあ、完成するまで俺は毒見役だな。」
「そうよ!何年かかるかわからないけど、それまでは毎日… …!」
そこまで言って私は赤面した。
自分が何を言っているのか、どういう意味を持っているのかを知ったとき、彼の顔を見れなくなっていた。
彼は笑うことをやめ、私の頭を手で撫でた
「それが成功しちゃったら、もう君の作るもの以外は食べられなくなっちまうな。」
それからの日々は一人ではなくなった。彼はその後も森に留まり続け、毎日毎日ミカエラのシュークリーム作りに励む二人きりの生活が始まった。
小麦や砂糖、ミルク、鶏卵などの材料は勿論、オーブンや料理器具の数々の錬成だけでも前途多難だった。彼の描く絵と口伝による情報がすべてなのだ。
目を覆いたくなるような失敗作の山。—魔素還元して処分したが—何とか形になったと思い、試食するたびに彼は大袈裟に倒れて見せ、動揺する私を見て笑った。
そんな日々が一年近く続き、ついにシュークリームは完成した。
それを口にした瞬間、二人とも顔がクリーム塗れになりお互いの顔を指さして笑い合った。
ようやく完成したという喜びも束の間、私は急激に押し寄せる寂しさに涙が零れた。
彼が珍しく慌てる。しかしながら、私は溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。
シュークリームが完成してしまえば、もう二人を結び付けているものがなくなる。
そうしたら、彼はまたいなくなり私は一人になる。
もう、一人には戻れなかった。
気が付けば、私は彼の胸の中にいた。驚いた私に彼はこう言った。
「バカ言え!シュークリームが作れたからって異世界飯を制覇した気になるなんて気が早いにもほどがあるぞ!」
彼の両腕に力が込められる。その力強さにいつしか私の涙は止まっていた。
「次は何にしようか?この世界に異世界の飯を全部具現化してやろうぜ!一生かかるかもしれないけど、付き合ってくれるか?」
これが彼のプロポーズになった。私は笑顔でそれに応じ、彼の胸の中に顔をうずめた。




