〜虚か実か 真か偽か〜
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「遅い…。」
誰もいない部屋の中で、エルマリークは思わず独り言を溢した。
ロアの強さは彼女が最も知っている。それと同時に、精神の未熟さと脆さも当然ながら熟知していた。
この領域内であの子を害せるものなど存在しない。しかしながら、頭とは裏腹に心は不安を隠し切れない。
「仕方ない、繋いでみるか…。」
気が進まないのは当然だ。以前も帰りが遅かったために《魔力通話》を繋いだら、それはもうとんでもない剣幕で怒られたのだ。
思春期の娘とはさも厄介なものだと悪態をつきながらも、エルマリークは不快の意を示さない。
たとえ詰られ、疎まれようとも、結局、母親とはそういうものだということだろう。
エルマリークはロアとの連絡を取るために魔力による通話回路を開いた。
『いやああああああああああ!!』
突然の狂声に、思わずエルマリークは耳を塞いだ。—《魔力通話》は聴覚を介さないが—
通話回路を開いた途端に流れ込んできたそれは、まるで出鱈目にうねる電波そのものであり、アナログ回線であればどこにダイヤルを合わせても拾えてしまえるようなものだった。
彼女は一度冷静になり、状況を整理する。
(考えるまでもなく、この声はロア…。あの子の身に何かが起きている。まさかあの子がやられるほどのレギオンが?!)
「ロア?聞こえる?ロア!落ち着いて私の声を聴きなさい!ロア!」
エルマリークの問いかけも虚しく、《通話回路》からは泣き喚く声が連呼される。
『ママ!ママ!!返事をしてママ!!あああああああ!!』
完全に錯乱している。
こちらの魔力を受信できているが、あまりにも出鱈目なザッピング状態になっているため、声が聞こえる前に切断してしまっているのか…。
どちらにせよ、このままでは埒が明かない。何よりも、あの子は交戦中のはず…。だとしたらこの好機に敵が仕掛けてこないとも限らない。
そうさせないために、エルマリークは魔力を錬成する。
「憑依眼《ポゼスト=サイト》」
魔力は通信回路を通して繋がっていたロアに向けて放たれた。
直後、発狂していたロアは静まり返り、まるで糸の切れた傀儡の様に脱力する。
憑依眼《ポゼスト=サイト》は対象の肉体に憑依し、そのものの視界を利用して情報を得る魔法である。
これは代替魔法であり、MPさえ使えば人間でも使用可能である。魔族である彼女は《魔力錬成》から自力で同じ魔法を創りだすことは可能だが、オリジナル魔法でない限りは魔族の間でも代替魔法は使われる。理由はその方が楽だからだ。
ケーキをお店で買うか手作りで作るかという話と同様のことである。
エルマリークは詠唱を省略するためにMPを多く支払い、魔法を行使したのである。
この魔法は基本的に脅威度の低い小動物に使うのがセオリーであり、人間などの支配抵抗力の高い生物にはまず成功しない。ロアならばよりその抵抗力は強大なものになる。
だが、今のロアは抵抗できる状況でなかったため、簡単に術中に入った。
エルマリークはロアの視界を使い、周囲の状況を確認する。
(侵入者が三名。人間二人、一人は強個体レギオン…竜人かしら?)
周りの破壊状況からして、竜人との戦いは熾烈を極めたものであることは察せられる。だが、疲弊しきった相手の状況を見るにどちらが優勢かといえば、当然ロアだろう。
(では…なにが彼女をここまで追い詰めたのか…。)
定まらない思考の中、両陣を分かつように転がる壊れた銀色のペンダントを見て、エルマリークは全ての符号を繋ぎ合わせ、現状の解答に辿り着いた。
同時にエルマリークはロアの状況に対してほぼ正確に把握。
「全く、あの子ったら…。」
思わずロアの口で口走ってしまった。
心配してくれたことは親として嬉しいが、あれほどまでに取り乱すのは意外だった。
(普段から私のことをババアなどと口汚く呼称する癖に…。)
少し口元を緩ませた後、二人の人間に視線を向ける。
(あの青年…この世界では異様な風体だ。まるで彼の様な… …。)
漫ろなエルマリークの視線が男の握る刃のない剣に向けられた時、雷鳴が打つかのような衝撃が走る。
「あれは…あの剣は…まさか…?」
またしても無意識に飛び出した言葉は相手にも聞こえたようで、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
『ママ…?』
激しい動揺に襲われるエルマリークだったが、その声を聴いてハッと我に返った。
ロアが自意識を取り戻したようだ。
そうとなればこれ以上の長居は無用。エルマリークは《ポゼスト=サイト》を解除し、感覚の支配権をロアに返した。
自身の肉体からの視界に戻ったエルマリークは深い嘆息を上げ、改めて《魔力通話》を使ってロアに語り掛ける。
「ロア、聞こえるかしら?」
『ママ!良かった…無事だったのね!?』
ロアとは思えないしおらしい話し方に、些か戸惑いは禁じ得ないが、そこを刺激することで無意味な喧嘩をするつもりはない。
エルマリークは笑顔を浮かべて努めて優しい声色を放った。
「ええ、ママは無事よ。だからまず落ち着きなさい。さあ、深呼吸して。」
深い呼吸音が聞こえる。
「心を落ち着かせたなら聞きなさい。まず、彼らに攻撃したこと、怪我をさせたことを心から謝りなさい。」
『え?で、でもママ…森に入ってきたものは殺さないと…。』
「私はそんなことを指示したことは一度もないはずだけど?」
『で、でも!ママを守ってやれってパパが!』
ロアの言葉にエルマリークはギュッと目を閉じた。
(本当に愚直な子だ。こういうところは父親にそっくりだと思う。)
感慨に耽るのをやめ、エルマリークは努めて柔らかな声色で語り掛ける。
「彼らが敵なのかどうか、あなたの目で確かめるためにも、心から「ごめんなさい」をしなさい。彼らは必ずあなたを赦してくれるはずよ。」
ロアはまだ何か言いたげではあったが、唯々諾々と了承した。
「そして、仲直りが済んだら、私たちの家にご招待しなさい。あと…。」
エルマリークは目の前にはいない相手に向けて微笑んだ。
「誇り高き闇の眷属の名を穢さぬよう、礼節を弁えること、いいわね?」
『うん!…て違う違う!…コホン。心得ましたわ、お母様。それではごめんあそばせ。』
そう言って《魔力通話》は途絶える。
また妙なキャラクターを作っていたロアに対して、「そういうことじゃないんだけど…」と思わないではいられないエルマリークはため息をつきながら椅子に腰を掛ける。
そして、右手の人差し指を差し出す。すると、指が醜く変形し悪魔のそれを彷彿とさせる《真紅の化爪》を顕現させた。
その爪先から滲み出た赤い雫は床に落ちると、大型犬ほどの赤黒い悪魔が出現し、エルマリークの前に跪く。
「ロアの元へ。」
短い言葉で指示をすると、レッサーデーモンは御意を示し、その場から消えた。
ロアにはああ言ったものの、彼らが魔女狩りに来た可能性は当然あり、ロアが下手に出た瞬間に豪胆になる線もある。
彼らがテンプルナイトでないことは明らかではあるものの、冒険者であれば目的は様々だ。
しかしながら、彼らがただの冒険者ではないことは確信できる。
なぜなら彼は… …。
【勇者】なのだから。
◾️
夕刻の赤い日がルネリオスの正門を煌々と照らす。
そこには巨大な塊が一つ。
それが200人からなる武装兵団であったことに対し、帰路につこうとしていたルネリオスの住人は奇異な目で向けていた。
兵士たちは皆一様に白地に青のラインが印象的なミスリルのプレートメイルに覆われている。
夕日のせいで分かりづらかったが、それが聖騎士団であることが分かると、人々は慌てて頭を低くする。
しかしながら、200人という少ない編成の聖騎士団がこんな時間にどこに行くのか?
戦争の話は聞かない。―もといこの人数ではありえない― 山賊でも討伐に行くのか?なぜ夜に?
と、見物人たちの疑問は尽きない。弓やハルバードなどの武装が見られることから、戦場であることは間違いなさそうだが、馬車に載せられている大量の大甕が一際異彩を放っていた。
大人一人がすっぽり入ってしまう事が出来るほどの大甕を20個ほど積んだ馬車が3機。何が入っているのかは窺い知れないが、液体が入っているのだとしたら相当の量であること窺える。
そんな部隊を指揮しているのは金髪碧眼の青年だった。
第24代聖騎士団団長 ハイレン=ローデンスである。
隊長の証である金のエンブレムが刺繍された青いマントをなびかせ、積み荷の最終準備を行っている。
その様子を城壁の上から眺める一つの人影があった。
神官長ボルフ=ニル=ゴーギャン。
醜い顔を不気味に歪め、顎の下の肉を擦りながら出立の準備をしている聖騎士団を見下ろす。
「稟議から1年4か月でようやくとは…いけませんなぁ。随分と長く邪魔してくれたものですねぇ。」
「全く…エルトルード殿の心配性には辟易とさせられますな。」
髭を蓄えた初老の副長がボルフの心労を察するために相槌を打つ。
ボルフは近衛騎士団長の顔を思い浮かべ、ふんっと鼻を鳴らす。
「当初用意していた油に難癖をつけ、そんなものでは森を焼くことは出来ないと臭水—石油—を用意させられたり。ロープに染み込ませた方が地面に撒くよりも効率的だのと抜かしてとんでもない長さのロープを作らされたり。魔女との交戦を見据えてミスリル装備を全員分用意させたり。呪い対策のアミュレットまで作らされたりと…。ただ森を焼くだけだというのにこれだけの資金と労力を使う必要などあるのでしょうか?」
「ないでしょうなぁ。」
副長の愚痴を一蹴するかのようなボルフの一言に副長は唖然となった。
「こんなのはただの妨害ですよ。しかしながら、いけませんなぁ。奴は確実性や安全性という理を通してくるのでこちらとしては否定することは出来ないのですよ。それに…。」
ボルフは一呼吸置いた。
「魔女対策がもっとも金策と時間をかけることにもなりましたが、これに対して異論を挟めなかったことは…やはりいけませんでしたなぁ。魔女の話を啓蒙的に騎士団に教え込んでいる以上、魔女などいるわけがないと一笑に伏すことが出来ないことを分かっていての進言でしょう。小賢しいことで…。」
副長は小さく唸り声をあげる。
「それにしても、なぜ奴はこうまでして妨害をしてきたのでしょうか?奴にとっての理があるようには思えないのですが?」
副長の問いに対し、ボルフは細い目をうっすら開けて睨みつける。
「副長ともあろうものが何でもかんでも上司に答えを求めるとは…いけませんなぁ。思慮の浅さが見えますよ?」
心臓を鷲掴みにされたかのような背筋を走る恐怖に、副長は腰を90度に折り、頭を下げた。
「た、大変失礼いたしました!申し訳ございません!」
その様子を横目で見送ると、ボルフは再び軍の最終編成に余念のない聖騎士団へ視線を移す。
「まあ、いいでしょう。折角ですから私の考えを聞かせて差し上げましょう。貴重な講釈の場です。膝を折りなさい。」
「ははぁ!」
副長は速やかに膝をつき、傾聴の姿勢を取った。
「今回の妨害行動で奴が得たものはおそらくは三つでしょう。一つは魔女対策を口実に聖騎士団への投資に正当性を与え、戦力の増強に努められたこと。基本的に騎士団省の予算は最低限です。全面的な戦争や魔物の脅威にさらされていない今日、騎士団省の冷遇に眉を顰めていたでしょうからね。装備の刷新に聖騎士団は沸き立ったとのことですよ。」
「なるほど…元聖騎士団長であったフォルケルは当時からその不満は感じていたため、この機を逃さなかったということですね。」
「そういうことになりますかねぇ。」
ボルフは話を続ける。
「二つ目はこちらの思惑を探るための時間稼ぎですかねぇ。まあ、少しでも頭が回る者であれば、この焼き討ちに正当な理由がないことは明白。騎士団の犬どもには魔女狩りという大義名分を与えてはいますが、本当に魔女がいるとして、危険を冒してまで得られるメリットが表面上存在しない。このことに対して納得のいく理由を奴が求めようとするのもまた一つの真理というもの。」
まあ、どうやら気づいてなさそうですが…と付け加える。
「そして三つ目ですが…。これについてはどこまで本気なのかという話にもなりますが、魔女の脅威を確信しており、争うことを止めようとした、ということですかねぇ。」
三つ目に対しては副長も流石に嘲笑を禁じ得なかった。
「これだから何も知らない聖騎士上りは困りますなぁ。あの地に魔女が住むなどというのは法国側が流した真っ赤な嘘。200年前の三方戦争終結のための楔であるということを知らないとは…無知とはまったく恐ろしい。」
笑い声を上げる副長に対してボルフは否定も肯定もなく、奇妙な沈黙を続けたため、副長は笑うのをやめた。
「あなたはその知識を何で知ったのですかなぁ?」
「へ?あ、いや…それはボルフ神官長様より…。」
「私は先代の神官長よりそう教わったことをあなたに伝えたまでですよ。」
それを聞き、副長はボルフが言わんとしていることを理解した。神官省もまた、根拠のない啓蒙思想に染められていることに。
「魔女がいると伝えられた騎士団省、いないと伝えられてきた神官省。その答えは枢機卿もお持ちでないのでしょう。いや、枢機卿もいないと伝えられてきたと考えた方が自然ですかねぇ。」
その言葉に副長は首を傾げる。
「どういうことですか?枢機卿すらもいないと伝えられているのであればそれはもはや真理。だとすればこの問題は疑いの余地など…。いや、それでは…。」
「理解できたようですねぇ。」
副長が自問自答し始めた段階でボルフは副長に向き直った。
「魔女がいないことを枢機卿が断ずることが出来るなら、今回の焼き討ちにこんなに時間がかかったりしなかったのですよ。エルトルード殿の妨害は魔女がいることを前提としていますからねぇ。騎士団省に施した啓蒙思想を否定することを避けたという考え方もありますが、それならもっとお安く、簡単に行う手はいくらでもあります。」
「枢機卿は万が一を考えてエルトルード殿の助言を全面的に聞き入れた…ということになりますな。」
ボルフは無表情のまま頷く。
「おそらく、エルトルード殿は魔女が存在することを確信しているのだよ。彼は聖騎士団長に就任する前は名の知れた冒険者であり、冒険の中であの森の中に入り、帰還したという噂話まであるのです。そんな情報は枢機卿でも笑い飛ばしたり黙殺することは不可能だったとすれば…枢機卿の対応にも納得がいくというものですよ。」
「9割方いないと思っているが、1割は信じているのでその用心をしたい、というわけですな。」
「そういうことです。そう考えれば、枢機卿にもこの作戦をなんとか成功させたいという強い意志を感じますが…流石に私にもそれは分かりませんなぁ。」
そこまで話すと、ボルフは副長に背中を見せた。
「日も落ちて冷えてきましたねぇ。おしゃべりはこの辺りにしましょう。」
「ははぁ。」
副長はボルフの後を追う形でその場を離れる。二人は神殿への帰路に向かう最中、ボルフはポツリと呟いた。
「まあ、もし存在していたとしても200年前の話。たとえ生きてはいても大した力は持ち合わせてはおるまいよ。」
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一方勇者たち三人は魔性の森の奥地でひっそりと佇む民家に案内され、その家主 エルマリークとテーブルを挟んでお茶のもてなしを受けていた。
あれほどの戦闘を繰り広げ、凶悪な悪魔としての印象を刷り込まれた勇者たちからしてみれば、シャミル=ロアの突然の狂乱、独白、謝罪という豹変ぶりに、ここまで案内してくれている間も緊張は全く解けなかった。
急にロアが土下座して涙ながらに謝罪を訴えた時、ゴルドラは一切の警戒を解くことはなかったが、勇者は二つ返事で水に流した。
勇者がその決断に至った理由は大きく分けて二つ。
一つはロアがそんなことをして勇者たちを騙す理由が何一つないからだ。
罠など用意しなくても、すでに完全に勝ちゲームだったことを考えると当然道理はない。—愉快犯による演出という線はわずかながら残されてはいたが—
二つ目はロアが独白を始めた際に別の存在の気配を感じ、ロアを《超鑑定》したことで得られた情報によるものだ。あの時、ロアの体に別の存在が憑りついている状況であり、何を話していたかは不明だが何者かの指示を受けたことは明白だった。
と、なればここまでの流れはロアが意図したものではなく、彼女の中に入り込んでいた何かの思惑であることは順当な推理といえる。
罠だとしても、ロアから直接被害は与えられないと踏んだのである。
そして、あの時《超鑑定》した人物が目の前の女性であることは疑いようがなかった。
ロアと非常に似ている。それが最初の印象だった。高齢であることは人間の指標で考えても窺えるものの、凛とした気品や佇まいは美しいと感じさせるものだ。
だが、レベルに関してはロアと比べると余りにも差があった。
LV38は、レベルアップしたての勇者とほぼ同等であり、ロアがママと呼ぶ存在である以上さらに凶悪な存在を危惧したが、その点は拍子抜けしたと同時に安堵の息さえも漏れたほどだ。
だが、彼女のステータスを確認した際、勇者が最も驚愕を禁じ得なかったのは他にある。
それは、彼女もまた【恋人】のアルカナキャストであったことだ。
勇者はちらりとロアに《超鑑定》を向ける。
やはり、ロアも【恋人】のアルカナキャストであることは間違いなかった。
つまり、同じアルカナを持つキャストは複数人存在するということになる。
だが、ナビは確かにこう言った。
『その世界ではあなた方二人を含め、アルカナを宿した存在が22名おります。』
あの言葉に嘘がないのであれば、この状況は矛盾であるとしか言いようがなく、困惑した勇者は自然と顔が強張り、体は警戒で緊張の糸を張っていた。
そんな彼女はこちらの心配とは裏腹に簡単に屋内に招き入れ、あまつさえもお茶でもてなしを受けているという今の状況に至る。
出されたお茶を多少なりとも警戒した勇者だが、先の戦いで《オートキャンセラー》の正確な発動をいやというほど思い知らされたこともあり、一瞬の迷いの後、カップを口に運ぶ。
もし何らかの状態異常が付与される毒が仕込まれていた場合、スキル効果で音声ガイダンスが頭に流れることも分かっているため、防御と同時に相手の敵意も判断できると考えたためだ。
そして、それは杞憂に終わったことを知り、勇者は胸襟を開くことを決めた。
そんな様子を感じ取ったのか、エルマリークは頭を下げた。
「この度は私の娘が皆様に害意をもって接したことを、改めて保護者としてお詫びいたします。」
「あ、いえいえ!俺たちはあなた方の領域に無断で侵入したも同然ですし、彼女が防衛の任を受けていたとしたら当然だと理解しています。」
勇者の返答に、部屋の隅で小さくなっていたロアはパッと表情を明るくさせる。
「そ、そうだ!そうだな!我は自分の職務に対して実直であったことは明白。誇ることはあれ、恥じる必要などはないな。」
調子を取り戻し、偉人ロールを再開したロアに対し、エルマリークは頭を上げることなく目に見えるような怒気が放たれた。
「私は常々あなたに理性的な交渉をするように言いつけていますね?あなたが手を下すのは確実に我々への害意を向けられた場合のみ。それなのにあなたは話を聞かずに一方的に交戦を開始し、あまつさえも自身の力量と見合う相手とみるや嬉々として戦闘に享受した。恥じることはあれ、誇ることなどどこにもないと思いますが?」
ぐうの音も出ないロアは冷や汗をかき、再び身を小さくして俯いてしまう。
「それのみか、相手はレギオンの中でも大変高貴な存在とされる竜人様、そして勇者様とは…。我が娘ながら情けない…。」
ロアはさらに小さくなり、泣きべそをかきそうな表情を浮かべていた。エルマリークはフォローの言葉をかけることはなかった。
「それと…。」
エルマリークはエリックに視線が移る。
それを受けて、エリックは反射的に背筋を伸ばし、表情を硬くした。
しかしながら、エルマリークは言葉を続けず、エリックから視線を外し勇者に改めて向き直った。
「…失礼しました。この度のこと、ご容赦いただけましたこと感謝いたします。」
「どうか頭を上げてください。じゃないと本題に入りづらいですよ。」
エリックへの視線に勇者も気づき、怪訝に思ったが本人が押し黙った件を今問いただすのはバツが悪い。勇者はせっかくの拝眉、交渉の場を得られたことから本題に入ることを提案した。
エルマリークが顔を上げるのを待ち、勇者は口を開く。
「先にも申し上げましたが、今回我々がこの地に無断で立ち入ったことでお二人に不安を与えたことは先刻の和解をもって水に流していただいたことを前提にお話をさせてもらいます。」
エルマリークの気品に圧され、勇者は出来る限りのビジネス用語を駆使し言葉を紡いでいく。
「我々の目的は三つです。一つは近日中にこの森に対して法王庁ルネリオスより焼き討ちが敢行されるとの情報を受けました。我々はこの地に住む魔女と呼ばれる存在に警鐘を鳴らすための依頼を受けてきました。」
それを聞き、エルマリークはわずかに嘲笑した。
「それは稀有なことですね。あなた方が法王庁の人間でないことは明白。であれば威力交渉ではないということでしょう。なぜ危険を顧みず私たちにそれを知らせに来たのでしょうか?」
「その答えは二つ目の理由となります。」
勇者はエリックの肩に手を置く。
「彼が依頼者です。彼は四年前、この森に迷い込んだ際に謎の少女に助けられた経緯があります。彼は彼女を言い伝えの魔女だと思い、彼女への恩義に報いるためにもこの知らせを何としても伝えたかった、ということです。」
勇者の説明にエリックは赤面し、俯きながらも頷いた。その様子を見てエルマリークは横目でロアに視線を送った。その視線を受けてロアはバツが悪そうに軽く舌打ちをする。
そんな空気間の中、エリックはおどおどしながら口を開く。
「お、恐れながら、あの時出会った女の子は一体誰だったのでしょうか?青色の髪と目をした子だったんですが…。」
「ノアのことだろ。」
ぶっきらぼうに言い放つロアは不機嫌を露わにしていた。
一度同じ質問で怒りを買っていたエリックはそこから先の質問を口に出来ずにいたため、勇者が代わりに尋ねた。
「ノアとは誰のことで… …」
「あー-、アタシちょっと外出てるわ!お客さん方ごゆっくりどうぞ!」
勇者の言葉を遮りつつ、ロアは外へ出て行ってしまった。その様子に唖然とする勇者一行だったが、エルマリークは軽くため息をつき、再び頭を下げた。
「娘の度重なる無礼をお詫びいたします。」
「あ、いや、こちらも事情も分からないまま不躾な質問をしてしまったようで申し訳ございません。」
勇者が頭を下げるのを見てエリックも慌ててそれに続く。
「いえ、無礼なことではありません。ただ、あの子は『あの子である時間』にノアの話をされたくないだけなのです。」
「先ほど聞きそびれましたが、ノアとは?」
エルマリークは視線を落とし、一拍置いたのちに言葉を紡ぐ。
「ノアとはあの子の別の人格なのです。シャミルという存在は日の出没によって二つの人格が切り替わる存在なのです。」
「二重人格、ということでしょうか。」
「一言で言えばそう呼ばれます。しかしながら、彼女たちの人格はシャミルという同じ存在でありながら精神も肉体も完全に別の存在として同居しているのです。姿かたちは勿論、記憶などの精神も完全に別物で混同されることはない。レベルや能力も全く非なるものとなっています。」
そこまで話すと、エルマリークはティーカップを手に取り、口に運ぶことで一拍を置いた。
「事実、ノアは吸血鬼ではないのです。人間です。」
エルマリークの口から語られる事実に、勇者たちは三者三様の驚きする。
勇者はそんな事例が有り得るのかという驚き。性格や性別が変わるという事例があることは生前の世界での知識で知っていたが、種族まで変わるとなると体の構造全てが丸ごと変わるということになり、科学的に説明は確実に不可能だというもの。
ゴルドラにとっての驚きは、それが一般的な吸血鬼の繁殖過程ではないということへの驚き。
エリックはあの時出会った少女が単純に人間であったという事実に対しての驚きだった。
三人の反応を受けて、エルマリークはシャミルの…いや、ロアが出ていった扉に視線を向ける。
「ノアの存在はロアにとってすべてがコンプレックスなのですよ。絶大な力を有しながらも、ほぼ無力に近いノアはロアにとって足枷であり弱点そのもの。不死身と言っていいロアを簡単に倒す方法はノアの殺すことで簡単に叶ってしまうのですから」
この情報は実際に相対したゴルドラとしては如何ともしがたいものだった。不死身と呼んでも差し支えない化け物だという評価が、脆く儚いものに変わってしまい、奇妙な同情の念を抱いてしまった。
「また、あの子は生きている限り、全てが半分になります。生きていく時間も親の愛情でさえも…。それがあの子の強い独占欲や嫉妬心を象っていることはお分かりいただけると思います。ノアは純朴で大人しく、優しい子で、いつもロアを気遣っているようですが…。決して交わらない二人の間の軋轢は、母親である私にとってもどうすることも出来ないものなのですよ。」
そこまで話を聞くと、エリックは急に席を立った。
「すいません!僕、ロアさんを探しに行ってきます!」
そう言い残すと慌ただしくエリックも外へと駆け出して行った。
それを見送ることなく、止めようともしない勇者たちに対してエルマリークは怪訝な顔で首を傾げた。
「なぜ引き止めないのですか?」
「この期に及んで森の中での危険はないでしょう。それに、彼の依頼を本当の意味で達成するためには、彼自身が【シャミル】という存在とちゃんと向き合う必要があると思ったからですよ。」
勇者の言葉に完全に腑に落ちた訳ではないようだが、エルマリークは小さく頷いた。
「さて」、と勇者は話の切り替えを提案する。
「話が途切れてしまいましたが、三つ目の理由です。それは、彼の母親からこれを預かっており、あなたに見せてほしいという依頼があったからです。」
そういって勇者は懐から先刻の戦闘で壊れた銀色のペンダントをテーブルに置いた。
エルマリークはそれを見て目を細める。どういった感情が渦巻いているのか、勇者たちには伺い知れないが、シェリアラが期待した通りの大きな反応が垣間見えていた。
勇者は壁に飾られているこれとそっくりのペンダントに視線を向ける。
「なぜ、この家にこれと同じペンダントがあるのでしょうか?もしお構いないのであれば聞かせて頂けますか?」
エルマリークが軽く目を閉じたことで、その場はしばし一切の言葉が交わされない時間が続いた。
その沈黙を破るように、エルマリークはゆっくりと瞼を開く。
「あの子たち二人が席を外したのはいい機会…すべてをお話ししましょう。私のこと、私たちのこと…。これが勇者の持つ導きの定めならば」
エルマリークは今から400年以上前…という切り出しからぽつりぽつりと語り始めた。




