〜竜と悪魔のダンスマカブル〜
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「遅くなって申し訳ございません。マスター。あと、緊急と判断したため、事前に交わしたお約束を破ってしまったことをお詫びいたします。」
丁寧な口調で謝罪を行うゴルドラに対して、勇者が咎めることなどあるわけがない。心からの安堵が勇者から感謝を告げさせた。
「いや、これ以上にない完璧な判断だよ。本当にありがとう。ゴルドラ。」
勇者のゴルドラという名を聞き、エリックは目を白黒させる。
「え、ゴルドラさん…なの?でも、その姿…ああもう!そんなのどうでもいいだよ!ゴルドラさん、ありがとう!」
やけくそながらも、エリックは助けてもらえた今の状況から諸々の疑問は後回しにして、心からの感謝を告げた。
そんなやりとりの最中、スカルジェネラルは受け止められている巨剣を渾身の力を込めて押したり引いたりと試みるが、まるで微動だにしない。
『万力の様な』という表現では生ぬるい。圧倒的な力によって封殺されていた巨剣に見切りをつけ、左腕に持つ盾でゴルドラに殴り掛かった。
それに合わせ、ゴルドラはゆったりとした動きで右腕を持ち上げると、迫りくる盾に向かってまるでノックをするかのような動きで、右手を打ち付ける。
グシャアアアアア
まるで朽ちかけた扉を突き破るように、盾は左腕諸共粉々になり、失われたスカルジェネラルの左腕は虚しく空を薙いだ
それは勇者が求めた圧倒的な火力による粉砕。その歴然とした力の差に、シャミルは基い、恐怖を感じないはずのスカルジェネラルさえもたじろがせた。
ゴルドラは表情一つ変えず、息一つ荒げず、目の前のアンデットを凝視する。
「それでは、目の前のゴミは処理させてもらいましょうか。」
そういうと、ゴルドラは右手を振りかぶり、体の回転のままにスカルジェネラルの腹部を打ち抜いた。
結果は凄惨なるものだった。
拳に纏う金色のオーラが拳の打撃範囲を大きく拡大させ、その一撃は半径1mには及ぶ。
スカルジェネラルは頭と巨剣を握った右手、そして両足の一部を残し、全て粉微塵に吹き飛ばされた。
今まで対峙していた分、勇者は改めてゴルドラの凄さを実感した。
圧倒的なレベル差、レギオンとしての格の違いは最もだが、特筆すべきはあの金色のオーラである。
あれは【力】のアルカナスキル
闘気装甲《バトルオーラ—》
自身のMPを消費してパラメータを底上げするオーラを身に纏うスキルであり、自身が放出出来るMPを調整することによって攻防を劇的に変化させる。
そもそもとして、低レベルのレギオンがこの能力を持っても大した力は出せないか、すぐにガス欠になるのがオチである。
しかしながら、ゴルドラの様な高レベルのレギオンはMPの桁が凄まじいため、持続力、爆発力共に優れている。
まさに大器晩成型として攻防走一体の究極スキルといえるだろう。
唖然として見守る中、ゴルドラが左手で掴んでいた巨剣及び、スカルジェネラルの残骸は砂のように崩れ去り、消滅した。
眼前のアンデットの完全沈黙を確認したゴルドラは視線を頭上に向ける。
そこには、ゴルドラの一撃に合わせてスカルジェネラルの肩から飛び上がり、上空に回避していたシャミルの姿があった。
翼をはためかせることなく空中に制止し、憮然とした表情で闖入者を見下ろしていた。
「まさか竜が迷い込んでるとはね。意外…、というよりも竜なんてお伽噺の世界の存在だと思ってたわ。」
勇者からすれば「お前もな!」と言いたくなった。
だが、この世界の常識で考えても竜は伝説的な存在であることは確かなようだ。
そんな存在に初日で出くわしてしまったのは運がいいのか悪いのか… …。
雑念で体が動くようになった勇者はすかさずエリックに駆け寄り、虎…もとい竜の威を借りる形でゴルドラの背後に回りシャミルと対峙した。
「まさか、あのレベルのアンデットをこうもあっさり倒されてしまうとは…。どうやら我しか貴様の相手をすることは叶わぬようだな。」
勇者は意表を突かれた。
てっきり使役していたアンデットを倒されたことでヒステリーが爆発するかと思ったのだが、超越者然としたロールプレイが行われているということがその理由だ。
だが、そんな弛緩した勇者の考えを嘲笑に伏すかのような禍々しいオーラがシャミルから放たれた。
スカルジェネラルを生み出した時と同様に、顔中に浮き出た赤い筋が端正な顔を醜く歪ませる。前回は右手の人差し指だけだった《悪魔の化爪》が全ての指に施された。
ローブをショルダーごと外したことで覗かせた首や肩までも、無数に蠢く赤い筋が浮かび上がり、煌々と脈打つその様は、破壊と殺戮の申し子と断ずるに容易かった。
そして、シャミルは恍惚とした表情を浮かべた。
「生まれて初めてだわ…。まさか、あたしが本気を出せるような相手に出くわすだなんて…。あたし自身知らなかったんだよ!《血の盟約》を自身に施すことでどれだけレベルアップ出来るかなんてさあ!」
突如、シャミルは額を抑え、狂ったように笑い始めた。
「アッハハハハハハ!あたし絶ッ対、今、不ッ細工だけど、超―絶ッ最強感出てるよね?ね!?」
超越者然とした口調からほとんど素の喋り方となってはいるが、ハイテンションを通り越して、もはや狂気のラインに足を踏み込んでいるように見えた。
レベルアップという言葉に引っかかり、勇者は再び《超鑑定》を使用する。
すると、そこには信じられない数字があった。
LV72
このレベルはゴルドラと全く同じである。
「ゴルドラ!!気をつけろ!そいつのレベルは!!」
「わかっています!」
驚愕の情報に思わず声を張り上げた勇者だったが、ゴルドラもそれには気づいていたようだった。
だが、その声色に余裕は感じない。表情は硬く、こめかみには汗が浮かんでいた。
自身を強制的にレベルアップさせる手段があるなんて信じられなかった。これで両者のレベル差による優劣はなし。では、勝負は一体何が決め手となり、明暗が分かれるのか。
「マスター、エリックさんを連れてもう少し離れて頂けますか?奴があのレベルで魔法を使うようだと、巻き添えを食う恐れがあります。」
ゴルドラの言葉に、勇者は頷き、エリックとともにその場を後にする。
それを見て、シャミルは口を邪悪に歪ませながら両手の《悪魔の化爪》を振り上げる。
全ての指先から鮮血が噴き上げると、彼女の周囲で拳大ほどの無数の血球が形成される。
「リクエストに応じて見せてやろう。闇の眷属が誇る血界術式を!!」
引き絞られた矢が放たれるかのように、一斉に無数の血球が流星の如く辺りを無差別に降り注ぐ。
標的を狙う精度を欠いた攻撃をかわすのはゴルドラとしては容易い。勇者たちも何とかその飛来物を目で追いながら、被弾を避けることに成功した。
しかしながら、それは破壊を目的としたものではないことを認識させられる。
血球は着弾すると激しく飛び散り、その飛び散った鮮血を浴びた大地や木々が体動を始めたのだ。
みるみるうちに足元が真っ赤に染まっていく様子を見て、ゴルドラは危険と感じて飛翔する。だがそれは数メートルも飛び上がることなく妨害された。
見ると、辺り一面が赤い網目状に覆われていた。それは獲物をゲージとして閉じ込める作用を持つと同時に、三次元的に張り巡らされたそれは、敵を捕獲するための赤い蜘蛛の糸のようにも見えた。
その無数の赤い糸は禍々しい幾何学模様を形成しながらシャミルの両手の爪と繋がっているのだった。
「逃げようとしても無駄だ。血に染まる箱庭で行われる演目はただ一つ、《鮮血のダンスマカブル》のみと知れ。」
シャミルの僅かに動いた指に呼応するように、ゴルドラの周りに血の糸が無数の針となり、ゴルドラに飛来する。
「ちっ!」
あまりの数に避けるのは不可能と察したゴルドラは両腕を駆使して薙ぎ払うが、腕に強烈な痛みが走る。
「バカな…。」
ゴルドラは自分の腕に突き刺さっている血の針を抜き、顔を歪める。
《バトルオーラ》を突き抜けてゴルドラの腕に刺さったということは、この針の威力が《バトルオーラ》の防御能力を上回る攻撃力を持っている。もしくは防御貫通性能を持っているかの二択。
(どちらにせよ、狙い打たれるのはマズイ!)
無尽蔵に放たれる血の針から逃げようとするが、ゴルドラの飛翔能力は地上での運動能力に劣るため、完全に避けきることが出来ない。
迫りくる針の群れに対し、ゴルドラは向き直ると両手を大きく振り上げた。その両手にオーラが集中していく。
「竜檄砲!!」
眼前に勢いよく突き出された両手からゴルドラの等身ほどのオーラが放出される。
放たれたオーラは血の針をすべて消し飛ばしていく。
それを確認して一息ついた時、体の動きが鈍くなっているのを感じた。
自身の体に視線を移すと無数の血の糸が体に絡まっていたのだ。
その糸は纏わりつくたびに体の自由を奪っていく。そして、オーラの壁を越え、ゴルドラの肉体に食い込んでいった。
「こいつ…!自由を奪うことが目的じゃない!これは…!!」
「ご名答、捕食するためのものだよ。」
シャミルが指を強く動かすと、辺りの糸がゴルドラに集まり、血の糸に絡めとられていく。
その様子を血界の外から見ていた勇者は戦慄いた。
「ゴルドラーーーー!!」
勇者の咆哮もむなしく、瞬く間に真紅の繭が誕生した。
それを見て、シャミルはつまらなそうに目を細めた。
「もう少し楽しませてくれるかと思ったが、所詮はこの程度か…。二界を掌る絶対捕食者である我の前に、竜もまた例外になりえないということだな。」
嘲りながらも自身の力に酔いしれていたシャミルだったが、その表情は一瞬で引き締まる。
巨大な繭が突然膨張をはじめ、その裂け目から金色の光が溢れ出すかのように放たれた。直後、繭は膨れ上がった風船のように弾け飛び、霧散する。
シャミルが嬉々として見つめる視線の先には金色の騎士がいた。
メットは竜を模した二本の角を持ったフルフェイス。体はフルプレートに覆われており、肌が見える部分はほぼない。前後の展開を知らないものが見れば、そこに立つのがゴルドラだとは誰も思うことは出来ないだろう。
これはゴルドラの切り札、竜騎装甲。
バトルオーラを完全に武装として具現化したものである。重装甲は見た目に反して重さは0。しかしながら防御性能はオーラの状態を遥かに凌ぐ。
ただ、当然ながら消費されるMPは凄まじい。継続消費ではないことが救いだが、固定費としての消耗は、同戦闘中に2度使用は不可能なレベルである。
ゴルドラは右手にオーラを凝縮させる。それはみるみるうちに長く太く、鋭利な武器へと物質化していった
「巨竜戦斧」
ゴルドラの身の丈を超える持ち手の長い大斧は、鎧同様にバトルオーラを武器に具現化したものである。
戦斧を両手で構え、ゴルドラはシャミルに向かって真っすぐに飛翔した。
「早い!」
勇者は反射的に言葉が出た。先ほどまでの動きよりも圧倒的に速いその飛翔は瞬く間にシャミルを攻撃の射程範囲に捉え、戦斧を振り上げた。
ガキィイイイイイイン!
振り下ろされた戦斧を受け止めたのは4振りの宙に浮かぶ大鉈だった。
一本一本が大人の身の丈ほどあり、分厚い刀身は赤黒く、《血の領域》で生成されたものに相違なかった。
鍔迫り合いの中、シャミルは喉を鳴らすように笑った。
「そう来なくては面白くない!まだまだ演目は中盤戦。クライマックスには斬刑がもっともよく映えるというものだ!」
突如、ゴルドラの後方から5本目の大鉈が出現し、勢いのまま振り下ろされる。それをゴルドラは背中に目でもついているのか、戦斧で弾き飛ばす。
鍔迫り合いが解除された4振りの大鉈は自由を得てそれぞれが無造作に、不規則に、無遠慮にゴルドラを切りつける。
だが、ゴルドラは戦斧を高速で振り払い、大鉈の執拗な攻撃を全てはじく。勇者たちのレベルではさながら金色の光と赤い光が空中で踊りながら激しく響動んでいるようにしか見えなかった。
防戦一方のゴルドラに対してシャミルは巨大な血液の塊から新たなものを具現化し、その形状に勇者は驚愕した。
禍々しいスケルトンの骨で組み上げられた台座に巨大な大筒。差の先につけられた骸骨の口がゴルドラに向けられていたのだ。
勇者はその形状の武器に心当たりがあった。それは… …。
「《ガトリング砲》!ゴルドラ!飛び道具だ!!」
勇者の声が届いたのか、ゴルドラの視線がシャミルに向いた。シャミルは耳まで裂けたように口を半月型に歪めた。
その邪悪な笑みを見て、その武器が何なのかわからなかったゴルドラだが、体を丸めて防御態勢を取った。
ドルルルララララアアアアアア!!
凄まじい爆裂音とともに無数の銃弾がゴルドラへ文字通り集中砲火する。
大気が歪み、火花とともに爆炎と噴煙が巻き上がる。
勇者たちを茫然とさせた一方的な砲撃は20秒ほど続き、シャミルは弾を打ち尽くしたのか、砲撃の手を止め、銃口から吹き上げる硝煙を息で払い、満足そうに笑みを浮かべていた。
この世界に銃の概念が存在していることにも驚愕だが、あれが勇者の知るガトリング砲と同レベルならば1秒間に100発。2000発は打ち込まれた計算になる。
こんな一方的に撃たれれば、現代戦車でも蜂の巣になるレベルだ。
勇者は恐る恐る噴煙の先に目を向ける。
しかしながら、噴煙が晴れた先には虚空が残るばかりでゴルドラの姿はなかった。
「いない?いったいどこに… …。」
シャミルが周囲への警戒を強めた瞬間、眼前から濡れたように輝く金色の刃が現れた。
「な… …!?」
言葉が紡がれる前に、シャミルの体が頭から股下まで綺麗に真っ二つになった。
そして、虚空が揺らめき、金色の剣を振り下ろしたゴルドラの姿が勇者にも確認できた。
「スキル《蜃気楼》。私が隠密スキルを持っているなんて意外だったか?あれだけ派手に噴煙を上げてくれれば、消える瞬間の違和感を隠すのにうってつけだったぞ。」
あのような刹那のやり取りで最善を選択する。これが戦闘の天才だと勇者はただ素直に称賛した。
シャミルが力なく二つに分かれて崩れていく様子から、ゴルドラは勝利を確信し勇者たちに視線を移した。
刹那!
二つに分かれたシャミルの体がゴルドラの体を挟み込んだのだ。
「なんだと!」
突然のことに狼狽を隠し切れないゴルドラは両腕ごと挟み込まれているためか押し返すことが出来ず完全に動きを固定され、足や胸から上を捩るように動かすしか出来なかった。
ゴルドラを固定するそれは徐々に人だった形を変えていき、赤黒い巨大なクランプバイスのように変形していった。
「アハハハハハ!!」
高邁な笑い声が勇者の耳にも届くほど響き渡る。見ると、突如空間が歪み、シャミルが姿を現した。
罠にかかったゴルドラを嘲笑いながら空中で優雅に佇んでいたのだ。
「闇夜に生きる我が隠密スキルを看破出来ないとでも思ったか?《知覚阻害》などよほどのレベル差がなければ成立などせぬわ。」
ケラケラと笑うシャミルに対し、ゴルドラは奥歯を噛みしめながら侮辱に耐えた。
「相手を騙すなら理外の一手が肝要。貴様が《蜃気楼》のスキルを使った時点で我は《血のサクリファイス》で自身の分身を作り、影潜り《シャドウシーク》で本体を隠匿した。敵を騙すには相手よりも一手多く打つ必要があると知れ。それにしても…。」
シャミルはゴルドラを挟み込む赤黒いクランプの上にふわりと着地し、身動きの取れないゴルドラを悠然と見下す。
「なるほど、その鎧、あの威力の魔弾でも無傷とは…。その防御力、単純な一撃では突破不可能というわけか…。では、こういう趣向ではどうかな?」
シャミルがパチンと指を鳴らすと、ゴルドラを拘束しているクランプに変化が起きた。ゴルドラを締め上げる内側部位が鋸歯状に変化していったのだ。
その形状を見て勇者の顔から血の気が引いた。
「まさか…まさかあの形は…。」
この世界はファンタジーのはず。だが、先ほどのガトリング砲を模した武器を生み出したことから考えれば、これからシャミルが何をしようとしているかが、勇者の知識のそれと違う道理はなかった。
「自慢の鎧の耐久テストだ。果たして何秒持つのか楽しみだぞ。」
「ゴルドラー!逃げろ―――!!」
勇者の声を搔き消すかのように執行されたそれは、瞬く間に耳を劈く不協和音と化し、悪魔の狂騒曲を奏で始めた。
鋸歯状のそれは左右逆方向に高速で動き始め、ゴルドラの体を幾重もの刃で挽き続ける。
まさにそれは二機のチェーンソーに挟まれているも同然の状態だった。
激しい火花が上がり、板金のそれにも見える光景はゴルドラにとって確実に想定外の攻撃だった。
もし本物のチェーンソーでゴルドラを傷つけようとしても先に刃が欠け、切断することなどありえない。
だが、相手はシャミルが血液から生み出した魔法の鋸だ。刃の耐久度もさながら、欠けてもすぐに復活する。
高速回転する巨大なチェーンソーから絶え間ない攻撃を受けたゴルドラの鎧はわずか10秒足らずで異変が生じ始めた。
ヒビ一つつかなかった金色の鎧に亀裂が生じたのである。
それに合わせて、腕を切りつけたのか鮮血が噴きあがる。
それを目の当たりにし、ゴルドラは力を振り絞り、この地獄を跳ねのけようと藻掻いた。
「グ、グォオオオオオオオ!」
咆哮にも似たそれを断末魔と興じ、シャミルはにたりと笑った。
そしてゆらりと手を差し向け、勢いよく握りこんだ。
ベキエアアアアアアアアア!!
まるで車がスクラップに掛けられたかのようにゴルドラの鎧は引き千切られた。
その様子に表情を緩ませたのも束の間、吹き上がらない血飛沫に違和感を感じ、シャミルは戦闘態勢を取り直した。
突如、大きな影がシャミルを隠した。見上げるとそこには空を埋めつくすほどの巨大な一振りを持った女の竜人がいた。
「竜槌撃!!」
鎧を脱ぎ捨てたゴルドラの声とともに、それは真っすぐに振り下ろされた。
シャミルの視界を覆いつくすほどの巨大な槌は、直径100mは超えている。そのあまりにも巨大なスケールに呆然とするシャミルを飲み込みながら大地を激しく打ち付けた。
凄まじい轟音と爆風はシャミルの血界の中を乱反射し、逃げ場を求めるかのように上空の血界を破壊した。
それはさながら核弾頭の如く爆煙を噴き上げ、その衝撃で血界の大枠に巨大な亀裂を生んだ。
今まで脈打つかのように生気を感じられた血界の赤色が灰色へと変わり、ボロボロと風化するように崩れていった。
その凄まじさに、エリックを抱え込みながら伏せていた勇者だったが、事が静まり返ったことを確認すると、恐る恐る顔をあげた。
破壊の嵐に飲まれ、一面荒廃の野と化したこの場所が、もともと森だったことなど思わず忘れてしまうほどの惨状だった。
粉塵が視界を遮る中、勇者とエリックは二人ともゴルドラの生存を祈るように名を呼んだ。未だ帰ってこない問いかけに、言い知れぬ不安が胸を埋め尽くす。
そんな中、荒廃した大地に一つの人影があった。そのシルエットに確証をもった勇者とエリックは思わず駆け寄った。
「ゴルドラ!」
「ゴルドラさん!」
視界には、ゴルドラの姿があった。
大きく肩で息をし、ボロボロの風体ながらもゴルドラの生存は確かなものであり、その瞬間、2人の心を喜びが包み込む。
「やったじゃないか!ゴルドラ!」
「もうダメなんじゃないかって何度も思っちゃいましたけど、やはりゴルドラさんですね!」
二人の喜びの声を聴きながらも、ゴルドラの表情は暗い。そんなゴルドラの様子に勇者は嫌な考えが過ぎらないわけがなかった。
「ど、どうしたんだよ?ゴルドラ?」
その問いを受けて、ゴルドラは目を伏せた。
「マスター…申し訳ございません。どうやらこの戦い、敗北は必至なようです。」
その言葉に、二人は驚愕した。
「ど、どういうことなの?ゴルドラさん…。だってあの悪魔は倒して…。」
「いえ…倒せていません。奴は生きています。」
その言葉を待っていたかのように、辺りには狂ったような笑い声が響き渡った。
その声に、勇者とエリックは心臓を掴まれたかのように体を飛び上がらせ。ひと時だけ去っていた恐怖が舞い戻ったのを悟った。
声の先を辿ると、空中に悪趣味な花が咲いていた。
いや、本当の花ではなく、遠目からそう見えたに過ぎない。
中途半端に作られた気道と喉。大きく開いた口が宙に浮かび、下卑た狂声を上げているのだ。薄ら寒くなる光景とはこのことだった。
「ギャハハハハハハハハハハハハハ!!」
それが再生途中のシャミルであることはだれの目からも当然だった。
だが、あえて笑い声をあげるためだけに口や喉から再生を開始しているというところが悪趣味であり、あのような姿になっても感じられる余裕があった。
その姿を見てゴルドラは苦虫を嚙み潰したよう表情を歪める。
「悪魔という種族には元来HPといったものは存在しません。やつらの根源は全てMP、魔力によって構成されています。だからこそ、やつらは好きな姿を取り、限りなく不老不死を体現した存在だと言えます。奴らが死ぬとするならばそれは… …。」
「MPの欠乏…か?」
ゴルドラは深く頷く。—ゲームの世界の如くHPやMPなどといった用語が当たり前に会話で行われている以上、それは共通ワードなのだろう—
「奴らは肉体の構成、攻撃に至るまですべてを《魔力錬成》と呼ばれるスキルで行っています。それによって自分に都合の良い姿、都合の良い魔法の効果を創造することが出来るのです。それはつまり、肉体へのダメージも奴に魔法を使わせることも等しくMPを消耗させることに繋がるのです。」
それを聞いて、エリックは今なお再生を続けているシャミルからゴルドラに視線を移した。
「じゃ、じゃあ、あいつはまだMPが残ってるってことなの?でも、さすがにあれほどの体の損壊を修復させたらMPも大幅に消耗しているんじゃあ…。」
エリックのその問いにゴルドラは首を横に振った。
「正直、お互いに条件が五分であるならば、レベル差が5前後でも負ける気はありませんでした。しかし…。マスターの鑑定能力であれば分かるのではないですか?奴が不死身である理由が…。」
ゴルドラの言葉を受け、勇者はシャミルに《超鑑定》を試みる。
そして、目を疑った。シャミルのMPがすごい勢いで自動的に回復しているのである。
この高速の数字の動き、1秒で100程度は回復している。完全に回復するのに1分とかからないスピードだ。
だが、不可解だった。
シャミルが保有しているスキルの中にMP回復にまつわるものは存在しない。では一体何が影響しているのか…。
先ほど、ゴルドラは条件が五分でないということを口にした。それはつまり、この戦いにおける条件、環境が敵にとって有利でゴルドラが不利だということ。その条件とは一つしかなかった。
「まさか、この森の魔素か?!」
勇者が導き出した回答に、ゴルドラは頷いた。
「魔素は呼吸から我々にも微量ながらも取り込まれ、MPの回復を助けるのですが、魔族は魔素を体全体で取り込むため回復量が桁違いです。つまり、奴のMPを欠乏させるためには、広さが不明であるこの領域の魔素を全て消耗、排除することが必要になるということです。」
それを聞いて勇者は突如として眩暈を起こし、その場でへたり込んでしまった。人間に置き換えたとすれば、一人の人間を倒すためにその場の酸素を全部消耗させるか取り除けと言っているようなものなのだ。
もっと簡潔に言えば、奴だけズルして自動回復の無敵モードというわけだ。
どおりであのヒステリー持ちな性格な割に、終始余裕を感じるわけである。
奴は命がけの戦いなどしていない。
思う存分力を振るえる遊戯に興じているからこその機嫌の良さ。最終的には一方的な虐殺なのである。
三人の絶望をより鮮明にするかのようにシャミルの体が復元される。その喜色満面な表情は見るものを恐怖で凍り付かせた。
「すっごーい!マジですっごいわ、アンタ!鎧が破壊される寸前で鎧を脱ぎ捨てて避難するだなんて。でもさ、ただ鎧を捨てるだけならすぐに出来たんじゃない?もしかしてアタシの油断を誘うためにギリギリ鎧が破壊されるまで待ってたの?!それとも腕を削り斬られた時に出た血を潤滑油にして出来た神業?騙しのテクを自慢気に講釈垂れた後に完全にしてやられるなんて、末代までの爆笑ネタ決定じゃんね?!マジ濡れるわ!トビそーー!!」
上気した顔で涎をまき散らしながら捲し立てるシャミルは狂人のそれと酷似しており、今まで様々な変貌を見せてきた彼女の顔の中で最も異様で異質なものだった。
再生したばかりの頭を血が出るほど掻きむしり、激しく喘ぎながら生まれたての小鹿のように足をがくがくと震わせる姿は他に言い表せる言葉を持たなかった。
そんなシャミルから視線を切ることなく、ゴルドラは覇気のない言葉を紡ぐ。
「マスター、エリックさんを連れて逃げてください。1秒でも長く時間を稼ぎます。ですからお願いします。振り返らずにとにかく奴から離れてください。」
「ゴルドラ…お前…。」
ゴルドラは最後まで命を懸けて自分たちを守ろうとしている。一人でも多く生き残れる可能性を示してくれている。
だが、その提案に未来などかけらもないことは、誰もが分かっていた。
簡単に言えば悪足掻きだ。
勇者からすれば、ゴルドラの方にこそ逃げてもらいたかった。ゴルドラさえ生きていれば、たとえ勇者が死んでも、また復活して再会できる可能性があるのだから。
勇者は一縷の望みにかけて、収納から《エクスカリバー》を取り出す。
奇跡を起こす剣の一刀。
それだけが手詰まりの盤上を覆す唯一無二方法だった。
だが、何の反応も見せない。
何の力も感じない。
つまり、今のこの場に奇跡は訪れないのだ。
勇者は悔しくて目から涙が溢れた。
命を懸けて自分たちを少しでも生かそうとしているゴルドラに対し、何一つ代替案を示すことが出来ない。
(だけど…。)
「な、なにを!」
勇者はゴルドラの前に立った。ゴルドラの狼狽は背中で感じるが、どうしてもゴルドラの提案には乗れなかった。
勇者は震えを隠し切れないまま背中越しにゴルドラへ語り掛けた。
「ゴルドラはズルいよな…。そのセリフは俺に言わせてくれよ。いくら強くたってゴルドラは女じゃないか。」
勇者は振り返り、涙でクシャクシャになった顔で無理やり微笑んだ。
「勇者は女性を盾にして逃げだしたりなんかしないんだぜ。」
「マ、マスター…あなたって人は…。」
ゴルドラの前に立ちふさがった勇者を見て、シャミルはMAXに引き上げられていたテンションから一変し、不機嫌さが滲み出るほどの形相に変化した。
「なんのつもり?あんた?雑魚がどの面下げてアタシらの間に割って入ってんの?目障り。消えて。」
汚物を見るような目と、ゴミを払うようなその仕草と言葉に、何も感じないわけではないが、事実である以上否定は出来ない。
(だけど…。)
「逃げない…。」
「は?」
決して聞こえていないわけではないのだろう。シャミルの顔中の血管が太く硬直する。
勇者は《エクスカリバー》の鞘を外す。その手には刀身のない柄だけが握られていた。
それをシャミルは怪訝な表情で見つめる。
やはり《エクスカリバー》は沈黙していたが、刀身のない剣なんて奇妙なものをこの土壇場で出すことでのハッタリには使えたようで、シャミルからも警戒の色は感じられる。
「はっ!壊れたのか、人間?命あるものはただただ迫りくる死から逃げ惑い、泣き喚き、媚び諂えばよいのだ。諦観ならば他所でやれ。」
シャミルはまた口調を超越者ロールに切り替える。
勇者は嘲るようにして、もう一歩シャミルへ踏み出した。
「お前は何にも分かっちゃいないな。」
「なに?」
シャミルの声色が一瞬で変化するが、勇者は臆する様子を見せなかった。
「お前の不死身さは限定的なこの領域の中だけのことだろ。こんな陰険な森の中で何十年も引きこもり続けてるのがその証拠。日の当たる澄み切った空と大地から逃げて、死を怯え続けているのはお前も同じことだろう?」
「な…なんだと…貴様ッ!」
図星を突かれたのか、シャミルの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。シャミルは何かを言い返したいが言葉にならない。
そんな彼女を尻目に、勇者は激しく啖呵を切った。
「自部屋で粋がるガキのごっこ遊びが、必死に生きようとする命を侮辱するな!!」
その言葉に呼応するように《エクスカリバー》から弱弱しくも光が宿り始めた。
その突然の変化に、シャミルは怒りと警戒が交錯し、一種の錯乱状態になる
「お前なんかに生きる尊さを穢させはしない!俺は俺の…勇者としての矜持を全うする!」
勇者の言葉に呼応するかのように、《エクスカリバー》はさらに光を帯び始めた。
「勇者は生きとし生ける者たちの希望だ!その火を守り続けること、絶やさないこと、それが…!」
勇者はシャミルに向けて駆け出した。
「俺の正義だー――――――!!!!」
その手に握られた光をシャミルに向けて突き放った。まるで光の矢のようなものが一直線にシャミルに放たれる。
しかしながら、どう見繕っても大した威力を持たないか細い力に、シャミルは表情を緩ませる。
そして、軽く身を捩るだけで、光は虚しく目標物を見失い、その輝きを追うことは出来なくなった。
呆然とする勇者に対し、シャミルは喉を鳴らすように笑い、左手指よりの赤黒い円錐状の槍を作り出す。
「散々御託を並べてこの程度…?ゴミが…身の程を知れ!」
「マスター!!」
シャミルの手から解き放たれた赤き一閃は、勇者を守るために立ち塞がったゴルドラの肩を打ち抜き、後ろにいた勇者の胸を穿った。
衝撃がその場の全員を包み込み、まるで時が止まったかのような静寂の中、弾けるような金属音が鳴り響いた。
それは空中を舞い、無残な姿で地面に落下する。
一早くショックから立ち直った勇者は、自身のダメージが大したものではないことを知る。
そして、自分を守ってくれたものはシェリアラが託したペンダントだと知った。
全員の視線がそのペンダントに集まり、勇者の身代わりになってくれたペンダントに一同は無言の感謝を抱く中、ペンダントを見て激しく動揺する者が1人いた。
「な、なんで…?なんでそれがここにあるの?だって…それはママがいつも…。」
誰に聞かせるでもない譫言から、一つの可能性に辿り着いた時、シャミルは大きく目を見開き、戦慄いた。
「まさか…あんたたち…ママを…?嘘嘘嘘嘘嘘うそうそうそうそウソウソウソウソ!!!いやああああああああああああああああああ!!!」
狂ったのかの様に泣きじゃくりながら頭を振り、発狂の如き悲鳴は耳を劈き、勇者たちを唖然とさせた。
「ママ!ママ!!返事をしてママ!!あああああああぁぁぁぁああああああああ!!」
シャミルは膝をつき、頭を抱えながら天を仰いで涙を流す。
魔法による《遠隔通話》を試みようとするが、錯乱のためか通話対象に繋ぐための回路がのた打ち回る大蛇の如く安定せず、それが彼女の銷魂に拍車をかけた。
慟哭ともとれる嘆きの狂奏は、その場に居合わせた者たちを等しく混沌の淵へと誘うのであった。




