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〜ルネリオスの深淵〜


◾️

 鮮やかな天井絵、彫刻が刻まれた荘厳な柱。巨大なステンドグラスには神々しく描かれた女性の姿があった。

 大理石が敷き詰められた床には赤いカーペットが引かれ、中世の王宮さながらの荘厳さを感じさせられるこの場所は、法王庁ルネリオスの枢機卿の間であった。


 金をふんだんに使った巨大な祭壇に向けて、大勢もの男女が顔を伏せ跪いていた。その数、500名以上である。

 ここに集められているのは法王庁に努めるテンプルナイトであり、地方に配属されている者たちとは一線を画す。


 そもそも、法国には貴族制度があるわけではないが、民衆も含めて献金制度が存在しており6段階の格付けとなっていた。献金額が一定を超えると格が上がり、減税や労働徴集の免除、顔パスなどなど様々な恩恵を受けることが出来る。

 上から2番目の格である【ヴァルチェラ】になるとルネリオスでの勤務が認められ、その権力は大きいものとなり、一族の扱いもよくなる傾向にある。

 このルネリオスに従事するテンプルナイト達はそうした多額献金者の一族によって集められていた。


 それらはこの広間の主人が現れるのを一言も発さず、微動だにせず待ち続けていた。


 そして、それは現れる。


 一見し、一言でいうならばそれは黄金だった。金の刺繍が施された白い法衣はもはや金の部分が圧倒的に多く、下地が白であることを忘れさせる。

 指には巨大な宝石のついた指輪がすべての指に嵌められ、拳を握るのにも難儀することが窺えた。見るものを魅了する魔法がかけられているかのような金のネックレスは胸元を覆いつくすほどに大きい。

 握りしめた杖も持ち手は金、そして先には拳大の深紅のオーブが取り付けられており、それが凄まじい魔力を帯びていることなど誰が見ても明らかであった。

 余りにも過剰な装飾に身を包んだ男は壮年期後半、白髪と刻まれた深い皺はあるものの、180cmはゆうに超える巨体から弱弱しさは一向に感じなかった。


 彼の名は【デズモンド=エラ=ドシアス=ヴァルクシュレ】。

 ルネリオスの枢機卿である。


 デズモンドは杖を突きながら平伏しているテンプルナイト達を一望できる場所まで移動する。


「皆の者、面を上げよ」


 広間に響き渡る為政者の威厳ある声を聴き、総勢500名にも及ぶテンプルナイト達は一斉に顔を上げる。それぞれが屈強な戦士であり、聖母の教えに忠実な信徒達である。

 その面々に一瞥し、デズモンドはゆっくりと口を開く。


「知っておるものもおるやもしれぬが、先日、聖騎士団の部隊長であるハーデラント=オルブタニアが殉職した。」


 周りから特に動揺の声はない。皆既に知っているのだ。デズモンドは杖を床に打ち鳴らしながらゆっくりと右へ左へと歩く。


「報告によれば、彼の者は法国への忠誠心厚き男であり、職務を優先するあまり不慮の事故にあって殉死したと聞き及んでおる。なんと、なんとも遺憾なことである… …。」


 デズモンドは目頭を押さえ、肩を震わせる。テンプルナイトの中にはそれに合わせて嗚咽を漏らすものまで現れる。


 デズモンドは弔辞を続ける。


「ハーデラントの死に聖母様も大変心を痛められましたが、彼の者の忠義と信仰に応え、母なる大地オルフェリアは必ず彼に永遠の安らぎを与えてくれるとおっしゃりました。ハーデラントは敬虔な信徒として、永劫にオルフェリアの歴史にその名を刻むことになるでしょう。」


 嗚咽とともに拍手が上がる。その喝采を浴びながら、デズモンドは大きく手を広げる。それは鳥が翼を広げるがごとく、ただでさえ尊大なデズモンドを二回りほど大きく見せた。


「皆の者、聖母様は慈悲深く、我らが大地オルフェリアは寛大である。そなたらの信仰心はどんな結末を迎えようとも決して見限ることはありません。一層の働きを持ってその愛に応えることを胸に刻みなさい!」


『我らの信仰心はオルフェリアの大地と聖母様のために!』


『我らの信仰心はオルフェリアの大地と聖母様のために!』


 枢機卿の間に響き渡る総勢500名の唱和が絶え間なく続く。それをしばらく続けた後、デズモンドが杖を掲げると唱和はピタリと収まった。


「黙祷!」


 デズモンドの声に皆が目を瞑り、祈りを捧げた。厳粛な時間の中、ただ一人、額に青筋を浮かべ、沸騰するような怒りを覚えていた人物がいたのだった。



「無様である。」


 静かに、だが憤怒に満ちた声が響き、側に控えていた壮年の男性の背筋が強張る。


 ハーデラントの告別式を終え、あれほどいたテンプルナイトが皆退席し、男と枢機卿の二人きりとなった途端、デズモンドの口から飛び出したのは侮蔑を込めた呪詛に近い言葉だった。


 デズモンドの杖が床に激しく打ち付けられ、金属と石が奏でる不協和音がさらに側にいる男を凍り付かせた。


「無様である、無様である、無様である!敬虔なわがオルフェリアの信徒達を導くべき聖騎士団の部隊長ともあろうものが…愚かにも思慮深さを捨て、私の顔に泥を塗った!八つ裂きにしてやりたいがあのザマではそれも叶わぬ!」


 先ほどまでの温厚で威厳に満ち溢れた枢機卿の姿はそこにはなく、激昂を感情のままに吐露し、残虐性までも隠そうとしないその様子に、近衛騎士団長である【フォルケル=エルトルード】は表情を変えないながらも昏い感情を覚えずにはいられなかった。


 フォルケルは元々冒険者だったが、チームが解散後、テンプルナイトとして30代で仕官し、50を間近に控えたこの歳まで国に尽くしてきた重鎮である。

 前枢機卿に徴用され、聖騎士団団長を務めあげ、今はそれを後継に譲る形で枢機卿の側仕えとなる近衛騎士団長という位についている。


 それは前枢機卿が崩御し、現枢機卿に交代した後もそのままの地位を引き継ぐことになったのだが、現枢機卿の闇は果てしなく昏いものと知ることになった。

 その闇を知りながらも諫めることはおろか、ただ黙認し続けることしか出来ない自分を卑下する毎日を送っていることも事実である。


 当然フォルケルはバラッカスで金竜を捕えていることを知っており、今回の事故はそこから引き起こされたことも知っている。信徒たちには質素倹約を美徳として謳っているのにも拘らず、一方で枢機卿は贅の限りを尽くしていることも知っていた。

 枢機卿としての表の顔と支配者としての裏の顔、その両方を知りえながらも何も言えないフォルケルには当然理由がある。


 家族を人質に取られているのである。


 近衛騎士という立場上、こうした闇に触れる可能性のあるフォルケルを野放しにするほどデズモンドは甘い男ではない。枢機卿が代変わりして5年、常に首輪をつけ続けなければならない生活に陥っていた。

 前枢機卿の崩御にも不審な点はあり、フォルケルはまさか、とは思っているものの、その証拠はなく、裁くことなど出来るはずもなかった。


 フォルケルは、ハーデラントを弔う祭壇や棺に向けて乱暴に杖を振るうデズモンドの後姿を黙々と見続けていた。


 息を荒げながら、ふんっと鼻をならすとデズモンドは踵を返す。


「せっかく目をかけてやったというのに…愚図が…。フォルケル!目障りなそのゴミを片付けておけ。明日にはこの間が神聖なものに戻るようにな!」


「畏まりました。」


 恭しくも、心無い声でフォルケルは頭を下げた。

清廉潔白が売りの聖騎士団にはバラッカスでの様な裏事情は伝えられていない。その仕事に聖騎士団所属のハーデラントが従事していたということはデズモンドの子飼いであったことは明白。だからこその怒りである。

 

 瞳に宿る憤怒の炎は次第にその勢いをなくしていき、代わりに怪しげな焔が目に宿った。


「あのゴミにぶつけられなかった怒りは、今日の貢ぎ物で発散させてもらおうかのう。」


 そう言うとデズモンドは下卑た笑みを浮かべて舌舐めずりする。


(どうしようもないクズだ… …。)


 オルフェリア教では奴隷制度は禁止されている。当然娼館や人身売買もご法度だ。だが、デズモンドのそうした昏い趣向を知っている一部の上位者は貢物として女を差し出すことがあるのだ。自分の娘を献上して寵愛を得ようするものは勿論のこと、良い素材が見つかれば人攫いをしてまでという混沌を極めた状態にあった。


 デズモンドの暴力的なその衝動や情欲をぶつけるための奴隷は消耗品としてどれほど恐ろしい末路を辿っているか、さすがにそこまではフォルケルも知るところではなかった。


 軽い足取りで枢機卿の間の奥にある、闇の宴が催される地下に消えていくデズモンドの背中を見つめながら、フォルケルは初めて表情を強張らせ、手のひらには血が滲んでいた



 翌日、フォルケルは聖騎士団の詰め所に足を向けた。


 聖騎士団はテンプルナイトの中でも誉ある生え抜きの実力者が選りすぐられている。レベルは10~15といったところで、一般の兵士の中ではその強さは折り紙付きだ。


 フォルケルは28レベルと類まれなる才能を持って十数年聖騎士団長を務めたが、そんな彼を凌ぐ逸材を見つけることになり、その地位を明け渡すことになった。


 その人物は詰所の外の修練場でも変わらず愚直に鍛錬を勤しんでいた。


 壮麗長躯で金髪碧眼の耽美な顔つきはテンプルナイトに所属する女性騎士からは当然憧れの的ではあるものの、当人はそれを笠に着ることも悦に入ることもせず、常に修練に励むその立ち振る舞いは男性からも好感を抱かせている。


 男はフォルケルを見つけると明るい顔になり、額に浮かぶ汗を拭いながら駆け寄ってきた。


「朝から壮健なようでなによりだな。ローデンス騎士団長。」


「おはようございます。エルトルード近衛騎士団長殿。なに、いつもの日課をこなしているだけですよ。ここに来られたということは手合わせをしていただけるのですか?」


 聖騎士団団長 【ハイレン=ローデンス】は目を輝かせてフォルケルの返事を待つ。フォルケルは乾いた笑いを浮かべ頭を横に振った。


「ハハハ…老体に無茶を言うもんじゃないぞ。それに、そなたはとっくに私を超越しているではないか。」

 ハイレンは見てわかるぐらい肩を落とす。彼がまだ27歳という若さでありながら聖騎士団団長という任についているのは一重にその強さにある。

 その理由は人間を超越した存在、人間が超えられない壁としてあった30レベルの壁を越えた稀代の戦士だったからに他ならない。


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 つまりボスレギオンクラスである彼の異例な出世を、テンプルナイトの誰もが妬んだが、納得せざるを得ないものだった。


 だが、先刻述べたように、その実力に驕らず、慢心せず、実直に職務にあたり、修練に明け暮れる彼に、スキャンダルらしいものの影は全くなく、非難の声など上がるはずもなかった。


 本来は名前で呼び合えるほどの仲ではあるものの、冗談と皮肉を込めて互いに敬称をつけて呼んだりして、相手の機嫌や近況を窺うのは朝一番の挨拶でもあった。


 そんな彼に会いに来た理由は手合わせではなく、他の理由があった。フォルケルは緩んでいた雰囲気を引き締めるように表情を硬くする。それによって変わった空気を察知し、ハイレンも真摯な表情とともに背筋を伸ばした。


「明日には北の森の焼き討ちを敢行すると聞いたが…。」


「ええ、その通りです。」


 ハイレンは即答する。その実直な態度に、フォルケルはこれから自分が投げかける言葉が適切なのかを一瞬自問自答したが、迷いを払って次の言葉を紡いだ。


「あの森を焼いた先にどういうことが起こるのか、お前は分かっているのか?」


 その質問の意味に、ハイレンは眉をひそめる。


「農地拡大が目的と聞いております。」


「本当にそれだけなのか?北の森には材木をはじめ、自生する薬草や貴重な植物が採取可能だ。水源もあり、ロネリーに住む者にとって森は恵みを与えてくれるのだぞ。それを焼き払って得られるのが町から2時間もかかる場所に農地を確保するだけとはどういうことだ?」


「そ、それは… …」


 フォルケルの言及にハイレンはハッとなって考え込む。彼は強さには定評があるのだが、実直すぎて思慮が浅いことが玉に瑕だ

 だが、果たして兵士が自分のようにあれこれ考えてしまい、任務に対して疑問を持つようになるのも問題だ。私が声をかけなければ、ハイレンは特に疑問もなく北の森を焼き払ったのだろう。そんな従順な僕となっている彼に迷いを与えることが、はたして正しいことなのかどうか。


 組織としては失格だが、真のオルフェリア信徒であれば正解だと信じたい。もう少し今回の作戦を知るのが早ければこれらの不利益を口上に取り下げの道もあったかもしれないと思うと歯がゆい思いもある。


 だが、当然これらのことを上層部が全く考えていないわけがないのだ。つまり、分かっていながら今回の作戦は強行された。

 現場の最高責任者であるハイレンが果たしてどれだけそのことを理解しているかどうか確認したかったのだが、次にハイレンの口から零れた言葉を聞いて愕然とした。


「ということはやはり、法国にとって宿敵たる魔女との決着をつけることが目的だと考えます。」


 その真っすぐとした瞳に、フォルケルは肩を落とした。そう、これは聖騎士団に刷り込まれた疑惑の大義名分だ。魔女を法国の敵と断ずることで、北の森の奥地に住まう魔女を滅ぼし、穢されたオルフェリアの大地を取り戻そうというのだ。

 若者へのプロパガンダにはこういう勧善懲悪がもっとも理解されやすい。だが、フォルケルにとってそのシナリオは非常に不快なものだった。


「ハイレン、お前は森の魔女が我々に何をしたというのだ?」


「それは、我らオルフェリアの大地を不当に占拠して…。」


「それによって北と東の侵攻の楔になっていたとしてもか?」


 それを聞いてハイレンは頭の中に地図を思い浮かべる。オルフェリア法皇国に隣接する国として北の亜人国家ギガデスと東のグランベルド皇国とは北の森林地帯を介して国境となっており、200~300年前の戦乱期にはこのルネリオスが国防の要所にもなっていた。


 だというのに、魔女が現れたとされる200年前から二国の侵攻はぴたりと止んだのである。実際には皇国との小競り合いは何年も続いているが、それはルネリオスよりもかなり南の国境線でのことだ。現在に至る史実として、この200年もの間ルネリオスが国防に努めたことはないのである。


 偶然だと言われればそれまでだが、必然だとすると、二国は魔女の力を何かしらの方法でその身に刻むことになり、この侵攻ルートを使わなくなったということになる。


 だがそれは、聖騎士団として果たして容認してよいことなのだろうか?魔女を利用し、魔女に守られるなど…。これらは他国からの嘲笑を受けるものとなるだろう。ハイレンとしても聖騎士団団長の立場では許容出来兼ねる。


「魔女は人心を誑かし、非道な魔術の生贄を必要とするだけでなく、邪悪な魔法によって国を恐怖に陥れる存在です。」


 フォルケルの目を見れないままではあるが、ハイレンははっきりとそう反論した。


「それで?魔女はどれほどの極悪な罪を犯して、聖騎士団によってその命を裁かれなければならないのだ?魔女が現れてこの200年、魔女によって我が国が害されたという事実はあるのか?」


「それは… …。」


「そうだ。ないんだ。ハイレン…君が言うそれは童話などの物語などに出てくる魔女の逸話だ。北の森に住まう魔女との因果関係はない。」


 完全に返す言葉をなくしてしまったハイレンの肩をつかみ、フォルケルは意を決して胸の内を吐露する。


「目を覚ませ!我らは民を守るべき聖騎士団なのだ。民を危険から守ることはあっても、民を危険に晒すようなことはしてはならない!それに…。」


 一瞬頭をよぎる迷い、だが喉元まできた言葉は飲み込み切れなかった。


「あそこに住まうは魔女などではない、あれは…!」


「おやおや?一体何事ですかな?近衛騎士団長と聖騎士団団長がこんなところで口論とは…いただけませんな~~。私めにも事情をお聞かせいただいても?」


 耳障りの悪い、人を嘲るような不快な声に、二人は同時に視線を向ける。

 体にある首とつく部位すべてをなくしたような肥え切った体は神官服を前にも横にも余力無く引っ張り上げている。その恰幅のため、低い身長の割には不遜な態度も相まって二回りほど大きく見える。


 司祭帽を被った顔は醜く、品のない顔をしたその男は、ルネリオスの神官長 【ボルフ=ニル=ゴーギャン】であった。


 ルネリオスの組織形態として、神官省と騎士団省がある。—総称してテンプルナイトと呼ばれている— 神官長と聖騎士団団長は職位としては同格ではあるのだが —近衛騎士団長は聖騎士団団長と同格— 組織内では神官省が圧倒的な権威をもっていた。

 ハイレンがルネリオスの闇を全く知らないということから分かるように、騎士団省は法の番人としての取り締まりや罪人・モンスター討伐といった警察と軍隊として機能しているものの、内政には一切関わることがない。そんな騎士団省のことを神官省の人間は【飼い犬集団】と揶揄していた。


 そして、枢機卿の膝元で内政に従事する神官省の仕事はというと、税と献金などの銭勘定がほとんど。

 身も懐も肥えた豚たちのマウント争いはどんどんと闇深いものに進化していき、地下コロシアム、盗品・人身売買などの非合法なオークション、少年少女による猥雑な接待と挙げればきりがない。


 それらを使った賄賂や裏取引。

 薬と性の飛び交う闇の宴の住人。

 それが神官省である。


 そのトップであるボルフはフォルケルからしてみれば同じ空気すらも吸いたくないほど毛嫌いする相手である。


 そのニタニタと笑う顔を一瞥するとフォルケルはハイレンの肩から手を放し、ボルフに向き直ると一礼する。


「おはようございます。神官長殿。これから任務に向かう騎士団長に向けて叱咤激励をしておりました。」


「おやおや、そうでしたか。私めとしたことがとんだ早とちりを…いただけませんな~。」


 なるべく不快感を表に出さないようにしつつ、鼻を鳴らしながら不快な笑みを浮かべる豚から目を逸らす。


「それでは、聖騎士団団長殿、気を付けてまいられよ。」


 フォルケルはハイレンに一瞥し、ボルフには一礼するとその場を足早に立ち去った。


 この場にボルフ現れたこと、それは決して偶然などではない。今回の件はどう考えてもボルフが聖騎士団を煽動している。


 元来、神官省の人間が騎士団省に足を運ぶなど基本的に皆無である。そもそも神官省は騎士団の訓練場を【犬の調教場】と揶揄しているのだ。


 こちらとしては、【豚の肥溜め】と奴らの職場を卑下してやりたいところだが、騎士団はハイレンを含め、神官省の人間は高貴な立場であるという教育を施されてきているため、そうしたヤジが生まれないところも啓蒙活動の浸透率を感じさせる。


 繰り返すがハイレンとボルフは職位としては同格。しかしながら神官省からの指示を忠実に果たすための剣としての機能を持つ聖騎士団は、事実上神官長ボルフの私兵団のように体よく扱われていた。

そういうフォルケルは、枢機卿の私兵同然として300の兵を組織する立場である。結局は両者とも権力の前の犬なのである。


 唯一違うところは、それに対して疑念を持つか否か。


 ルネリオスで生まれ育つことにより、これほど盲目的になるということに、フォルケルは恐怖を禁じ得なかった。


 今回の件、デズモンド枢機卿が関わっているのかどうかは不明だが、ボルフが何らかの利益を得るために強行していることは察しが付く。だが、一体何を狙っているのかがわからない。


 しかしながら、どうせろくなことではないということは自信を持って言える。また、どんな見返りがあろうと、アレへの攻撃などあってはならない。


 何かと難癖をつけて焼き討ちの日程を引き延ばしてきたが、どうやらこれ以上は無理のようだ。

 ボルフがフォルケルに対して猜疑的な目を向けていることはもはや必然。フォルケルの動向に合わせて後をつけ、ハイレンにこれ以上何かを吹き込むことを牽制しに来たといったところか…。


 本来ならば、騎士団省の人間すべてに枢機卿や神官省の横暴や汚職を暴露し、クーデターを起こしたいとも思う。


 だが、フォルケル自身も含め、【神殿入り】と呼ばれた区画にて、聖騎士たちの家族は強制的に暮らすことになっており、これが実質的に人質になっている。—神官省の人間は汚職に手を染めていることが首輪となっている— そのため、踏み切ることはどうしても出来ない。


 また、ハーデラントのように騎士団省に所属しながらも神官省と懇意にしていたり、デズモンドに目をかけてもらっていたものも少なからず存在し、そういう存在がスパイとして騎士団省の情報を流出させている。このような状況から秘密裏に事を進めることは非常に難しいのだ。


 苦虫を嚙み潰したように顔を顰めるフォルケルだが、少し安堵もしていた。先ほど言いかけた魔女の秘密。正直あの勢いでハイレンに伝えることは危険が大きすぎた。自らの短絡的な行動を諫める形となったボルフの出現はある意味感謝に値した。


(ハイレン達に真実を語るのはあと1週間先でいいのだ。一週間ほど経てば… …。)


「聖女様がこのルネリオスに到着するはず… …!」


 これがハイレンにとっての最大の希望だった。


 従来であれば、聖女様は教皇庁にて教皇とともに鎮座されているのが当然だが、現聖女様は襲名して1年と満たないが、なんと法王庁を順に行啓しているという情報を耳にしていた。 


 なんという精力的かつ行動的なお方だろうとフォルケルは感動した。

 教皇庁から各法王庁に監査が入ることはあるものの、結局は昏い接待を受けて帰るだけの同じ穴の狢だったのだ。


 おそらくだが、聖女様はそのような状況を憂いていたに違いない。


 フォルケルが独自に持っている情報網によると聖女様は南の法王庁【アルベディオ】を発ったとの報告を受けていた。

 であれば、馬車を使っておよそ一週間以内にはこのルネリオスに行啓されるということである。


 そうすれば神官省の悪事は勿論、悪徳の塊のような枢機卿を断罪することが出来るだろう。


 その後は聖女様を旗印に、騎士団省はクーデターを起こす。


 これがもう目前まで来ている。フォルケルはまだ顔も知れぬ聖女様に感謝の祈りを捧げる。ルネリオスを邪悪から解放する日が、もう目前まで迫っているのだ。


 自分がするべきことは、今回の任務での聖騎士団の準備を遅らせること。そして任務不履行な状態にして森の焼き討ちを失敗させることだ。


(もしこの焼き討ちがあの女の逆鱗に触れたならば… …。)


 フォルケルは自然と体が委縮した。


(それだけは絶対に避けなければならない。誰か、第三者が邪魔してくれるのがベストなのだが… …。)


 フォルケルは詰め所に戻ると、一通の便箋をしたためた。

 相手は若き日、ともに冒険をした仲間である。その手紙にはこう書いてあった。


『——暑い日がそろそろやってくる。彼女の庭にも虫が増えることでしょう。駆除できるような薬が見つかれば対策に使ってほしい。こちらも出来るだけ探してみるつもりだ。——』


 検閲逃れの文面の宛名には… …


 シェリアラ=リーケンスとあった。



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