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悪役令嬢が断罪されそうだったので観察していたら、国家レベルの陰謀だった ― 二つの婚約破棄  作者: 智信
第一部

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第08話 高慢の烙印

 入学から二月が過ぎた。


 学園の並木道に、若葉が深い緑を載せ始め、夏が近づいていることを感じる季節になっていた。

 季節の移ろいに合わせるように、武官コースの訓練で流す汗の量も増えていく。

 午前の座学では、ベルガー教官の戦術論が一段と深くなった。


 そんな日々の合間に、一通の招待状がロイドの机に置かれていた。


 白地に金の縁取り。

 封蝋には学園の紋章。

 男爵家の三男坊にも、貴族の作法として届く程度の——格式だけは整った招待状だった。


「お茶会?」


 ニックが横から覗き込んで、目を細めた。


「新入生対象の親睦茶会だ」


 ロイドが封の表書きをめくりながら答えた。


「あれかぁ……欠席は家門の評判に響くらしいぞ」


「お前にも届くはずだけどな」


「うわぁ、面倒くさいな」


「面倒くさい」


 ニックの嘆きに、ロイドの返しが重なった。

 二人で苦笑した。


---


 せっかくの休日なのに、ロイドは重い足を引きずりながら会場に向かった。

 会場は、中央棟の中庭だった。


 吹き抜けの中央広場に、円卓がいくつも並べられている。

 各階の渡り廊下から見下ろすと、円卓ごとの派閥配置が一目で分かる、奇妙な見せ物のような空間だった。

 白いテーブルクロス。

 茶器の銀色。

 軽い焼き菓子。

 午後の柔らかな光が、吹き抜けの上から差し込んでいる。


 ロイドはニックと並んで、隅の円卓に着いた。

 他の男爵家・子爵家の新入生も、自然と外周の円卓に集まっていく。

 中央の円卓を取り囲むのは、王都の伯爵家・侯爵家の子女たち。

 その隣の円卓に、北部貴族の集まりがあった。


「あれが本場の社交ってやつか」


「そうだな」


「席順だけで派閥や家格が見えるのは、貴族学園らしいよな」


「ああ、らしいな」


 観察するには、絶好の位置だった。


---


 クレア・ブレンハルトは、北部貴族の円卓にいた。


 いつもの侍女メルの姿はない。

 侍女は控室で待機の決まりらしく、主のそばを離れている。

 代わりに、ナディア・グリューネンが隣で穏やかに茶を嗜んでいた。

 北部貴族の他の子弟たちも周囲にいて、控えめに談笑している。


 クレアは静かだった。

 話しかけられれば短く応じるが、自分から積極的に発言はしない。

 いつも通り——堅く、近寄りがたい。


 不意に、王都の中央の円卓から、わざとらしい笑い声が立った。

 女性数人の集団。

 その中心にいるのは、明るい栗色の巻き毛を肩で揺らした令嬢だった。


「ヘルガ様だ」


 ニックが小声で囁いた。


「ヘルガ?」


「ホフマン子爵家の令嬢、ヘルガ・ホフマン。王権派、派手好き、目立ちたがり」


「ふぅん」


「兄貴が言ってたよ。あの家は、上を見上げては愚痴り、下を見下ろしては笑う家だってな」


「分かりやすい家だな」


 ロイドは視線をヘルガに据えた。

 観察対象の周辺を確認するのは、冒険者の習性だった。


---


 それは聞き逃してもよい、そんな大きさの声だった。

 ヘルガは、わざとらしく北部貴族の円卓に目を向け、扇で顔を隠しながら呟いた。


「北部の方々は、ご立派な森にお住まいなのでしょうね」


 北部貴族の数人が、ヘルガの視線に気がつき、ぴくりと反応した。


「熊や狼が出るとか、出ないとか。学園に来られるまでは、外を歩くのも危なかったのではなくて?」


 くすくす、と取り巻きが笑った。

 ヘルガと取り巻きたちの嘲笑の視線が北部貴族の円卓に向けられている。


 そんな中で……声が、響いた。


「お言葉を返すようですが」


 クレアの声だった。


---


 そのどこまでも刺さるような声が、会場全体に響き渡った。

 そして、会場の空気が、止まった。


 クレアは席を立たない。

 ただ、まっすぐにヘルガを見据えた。


 その視線には、敵意も怒りもない。

 あるのは、ただ——秩序への確信だった。


「子爵家のご令嬢が、辺境伯家門に対して『立派な森』とご評価くださるのは、敬意の表明と受け取らせていただいてよろしいでしょうか」


「……え?」


「家格の順序は、陛下が定められた秩序です。私は北方辺境伯家門の長女として、その秩序に従って振る舞うのみ。あなた様が、その秩序を踏まえた上で『立派な森』と評されたのなら、私は感謝を申し上げます」


「あ、いえ、その……」


「もし、そうではなく」


 クレアの声が、わずかに低くなった。


「家門の地理的位置を揶揄する意図があったのなら——陛下が定めた秩序に対する、不敬と解釈せざるを得ません」


 会場が、しん、と静まった。


 茶器の触れ合う音すら、誰も立てなかった。

 給仕の足音すら、止まっていた。


 ヘルガの顔が、赤くなった。

 次の瞬間、青ざめた。


「わ、私は……そんなつもりでは……」


「では、敬意の表明と受け取らせていただきます。お言葉、ありがたく頂戴いたしました」


 クレアは静かに、優雅に、頭を下げた。

 完璧な作法。

 完璧な反撃。

 完璧な——勝利。


---


 誰も、何も言えなかった。


 ヘルガは、唇を噛んで俯いた。

 取り巻きの令嬢たちは、揃って視線を逸らした。

 会場の隅々まで、沈黙が広がっていく。


 北部貴族の円卓では、ナディアが小さく息をついている。

 その表情は、安堵にも、困惑にも、見えた。


 会場の空気が、変わった。


 しかし——変わったのは、クレアが思っていた方向ではなかった。


---


 ロイドは、自分の席で茶を一口含んだ。


(正しいな)


 心の中で、呟いた。


(家格の順序を踏まえた、完璧な切り返しだ。論理的にも、作法的にも、隙が一つもない)


 しかし——


(正しいことを言っている。それは間違いない。だが——やり方が、下手だ)


 公の場で、相手を完全に黙らせてしまった。

 逃げ道を一切残さなかった。

 完璧すぎる勝利は、敗者に屈辱しか残さない。

 しかも、敗者には取り巻きがいる。

 屈辱は、伝播する。

 そして、噂になる。


 貴族社会では、正論より、空気の方が重い。

 冒険者の世界とは違う。

 森の中なら、正しい者が生き残る。

 しかしここでは、正しすぎる者が、刺される。


「……うわぁ」


 ニックが、小さく漏らした。


「あれはちょっと……言い方がキツいな」


「キツいか?」


「キツい。間違っちゃいないけどな。間違っちゃいないけど、あの場で全部言わなくてもよかっただろ。あんなふうに、正面から、容赦なく……普通は、もう少し婉曲にやるんだよ」


 ニックの口調には、半ばの呆れと、半ばの同情が混じっていた。


(一般学生の印象は——こうなるのか)


 ロイドは、観察記録に追加すべき項目を、頭の中で並べ始めた。


『クレア・ブレンハルト。家格の順序を盾にした、正面からの反撃。正論。隙なし。

 ただし、公の場での完璧な切り返しは、相手と取り巻きに屈辱を残す。

 一般学生の印象:

  「あれはちょっと言い方がキツい」(ニック)。

 観察結果:

  クレアは「正しい」が、「上手い」とは言えない』


---


 お茶会が終わり、ロイドはニックと並んで会場を出た。


 ヘルガ・ホフマンの姿は、もう見当たらなかった。

 会場の終わりを待たず、誰よりも早く中庭を後にしたらしい。


「あの子、しばらく顔を出せないだろうな」


「だろうな」


「あんな目に遭ったら、俺なら泣いて寮に籠もる」


「お前は泣くのか」


「比喩だ、比喩」


 二人で歩きながら、並木道に出る。


 夕方の風が、若葉を揺らしていた。

 今日の出来事は、もう学園中に広がっているはずだった。

 噂は、事実より早い。

 そして、噂は、事実を歪めていく。


(あれを「正論」と取るか、「高慢」と取るか)


 ロイドは、静かに考えた。


 近寄らせない壁。

 にじみ出る誇り高さ。

 味方であるはずの北部貴族の輪の中ですら、ひとり浮いて見える背中。

 それだけならば、ただの「高潔」で済んだだろう。


 しかし、今日——公の場で、家格の差を盾にして、相手の逃げ場を完全に潰した。


 その一手が、すべてを反転させる。

 誇りは、傲慢に。

 壁は、見下す距離に。

 浮いた背中は、輪に交わろうとしない傲岸に。

 ——人の目には、そう映ってしまう。


 それは、紙一重の差。

 「高潔」を紙一重超えてしまった先を、人は——「高慢」と呼ぶ。


「『高慢』だな」


 声に出して、呟いていた。

 ニックが横で頷いた。


「ああ。明日からは『高慢な令嬢』って言われるぞ、あれは」


 ロイドは、空を見上げた。

 若葉の上に広がる空が、夕焼けに染まり始めていた。


 冒険者の勘が、また反応していた。

 森の中で、獣が逃げ場を失った時の、あの追い詰められた気配。

 今、誰かが——逃げ場を失った。

2日目は4話連続掲載で、第9話は21時に公開予定となっています。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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