第06話 観察開始
学園生活が始まって、数日が過ぎた。
ロイドは午前は座学、午後は剣術、合間に並木道や食堂を通る——という日々の中で、観察対象の動線を頭に入れていた。
冒険者として痕跡を追うのと同じだ。
まずは規則性を掴む。
次に、規則から外れる瞬間を探す。
森の中の獣でも、街中の一般人でも——たとえ貴族の令嬢でも、観察の手順は変わらない。
クレア・ブレンハルト。
北方辺境伯の長女。
彼女の動きは、明確な規則に則っていた。
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朝。
クレアは寮を出ると、迷わず校舎に向かう。
歩く速さは一定。
侍女を一人連れている。
「メル、今日の予定は?」
短く問う。
侍女が手帳を開いて答える。
「午前は社交と統治、午後は語学です」
「分かった」
それだけ。
道中、誰かに話しかけられても、最低限の挨拶だけを返す。
不愛想ではない。
ただ、過剰に取り入る素振りもない。
貴族として完璧——それ以上でも以下でもなかった。
ロイドはニックと並んで、彼女の通り過ぎた背中を見送った。
「美人だな。だが、近寄りがたい」
「ああ。隙が一切ない」
「しかし、あれだと侍女も大変だろうな」
「そうかもな。しかし、メルか」
「あの侍女、メルって名前なのか? よく知っているな」
シスコンからの情報ですでに知ってはいた、が——
「クレア嬢が呼んだのが聞こえた」
「お前、本当に目と耳が良いな」
ニックは半分感心、半分呆れた顔をした。
ロイドはそれには答えず、メルの方をもう一度目で追った。
侍女は主の半歩後ろを、寸分の狂いもなくついていく。
完璧に訓練された動きだった。
しかし、横顔のどこかに——どこか不安げな影がある気がした。
気のせいかもしれない。
それは観察を続けていれば、いずれ分かることだろう。
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昼の食堂。
クレアの席は、北部貴族の集まる一角だった。
北部辺境伯系列の家門の子弟が彼女の周囲に席を取っている。
その中に、目立つ令嬢が一人いた。
ナディア・グリューネン。
事前にシスコンから情報を受けていた一人——北方辺境伯配下の男爵家の娘で、ブレンハルト家の傘下にあたる。
明るい栗色の髪。柔らかい笑顔。
クレアに対して、唯一気軽に話しかける存在だった。
「クレア様、午後の語学、一緒に行きましょう」
「ええ」
「先生が変わったんですってね。なんでも、隣国から招かれた方らしくて——」
ナディアの声は明るい。
クレアは短く相槌を打つだけだが、嫌そうな顔はしない。
むしろ、わずかに表情が和らいでいるようにも見えた。
近寄りがたい令嬢にも、味方はいる。
ロイドはそう思った。
ふと、もう一人の令嬢がクレアたちのテーブルに近づいた。
明るい笑顔。一年生だが、所作はすでに整っている。
「クレア様、こちらお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
ニックが目を丸くした。
「おい、シュタイナー伯爵家の令嬢だぞ。なんでこっちの席に……」
「シュタイナー?」
「王権派だ。北部貴族の席に話しかけに来るなんて——ああ、そうか。さっきの小シュタイナー伯爵の妹だな。ソフィア・シュタイナー、確か一年生だ」
言われてロイドも繋がった。
婚約者の家から、妹が伝言役で来ているのだろう。
派閥を越えた接触に見えるが、婚約関係を通じればごく自然な行為だ。
「ええ、ソフィア様」
「兄から伝言です。週末のお茶会の件、お返事を伺いたいとのことで」
「分かりました。後ほど、書面でお返事します」
短い会話。
しかし、ソフィアは礼儀正しく、嫌味な様子もない。
婚約者の家との関係は——少なくとも表面上は、良好に見えた。
ロイドは観察を続けた。
ナディアもソフィアも、近寄りがたいと言われるクレアに、自然な距離感で話しかけている。
彼女には、それなりに味方がいる。
その印象を、ロイドは記憶に留めた。
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別の日の夕方。
ロイドとニックは、中央棟の二階の廊下を歩いていた。
夕日が差し込む窓越しに、中庭が見下ろせる。
そこには、王太子の側近グループが談笑していた。
中央にアルベルト殿下。
堂々とした立ち姿、整った金髪、貴族的な微笑み。
その隣にシャルロッテ・ヴァイスベルク。
完璧な所作で、王太子の言葉に頷いている。
そしてその周囲に、三人の青年。
「おぉ、あれが上級貴族の集いってヤツかな」
ニックが小声で呟いた。
「そうかもな。ところで小シュタイナー伯爵の隣の二人は?」
「右が王太子と同年代の側近、小ケスラー伯爵、オスカー・ケスラー。ケスラー伯爵家の次期当主。南部の有力家門と婚約済み」
「左は?」
「ルドルフ・エンゲル。一つ下の二年生。こっちもエンゲル子爵家の次期当主で、小エンゲル子爵。最年少の側近で、西部の家門と婚約してる」
「そうか」
「そうかって、お前なぁ。ちなみに、あともう一人、卒業した側近がいるんだがな。コンラート・ヴェルナー。もちろん伯爵家の次期当主で、小ヴェルナー伯爵。東部と婚約していて、前年度に卒業して王宮入り」
「派閥の駒だな」
「だから言っただろ。誰もが何かの代理人だって」
ロイドは頷いた。
側近の婚約者が地方の有力家門に散らばっている。
これは明白に王太子の政治基盤を作るための布陣だ。
地方貴族の、しかも男爵家の三男にも、それくらいは分かる。
婚約者シャルロッテの侯爵家ヴァイスベルクは王都の名門。
側近たちの婚約先は北部・東部・南部・西部にそれぞれ。
王権派の側近構成として、隙のない配置だった。
「面倒くさい話だな」
「だから言っただろ」
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その時、王太子のアルベルト殿下がふと視線を外し、中庭を横切る一人の令嬢を目で追った。
子爵家の制服。
目立たない地味な装い。
歩き方は遠慮がちで、まるで自分が場違いだと自覚しているような足取り。
「あれは?」
ロイドが訊いた。
「リンデン子爵家の次女、エミリア・リンデン。確か一年生」
「よく知っているな」
「たまたまだ、たまたま。兄貴の婚約者が、彼女の姉と学園時代に友達だったらしくてな。ほぼ赤の他人だが、その縁で気にはなっていたからな」
「そうなのか。しかし、なぜ、子爵家の次女が中央棟の中庭を通る?」
「さあな。寮はあっち側だから、近道なのかもしれない」
ニックは肩をすくめた。
だがロイドは見逃さなかった。
エミリアが通り過ぎる瞬間、アルベルト殿下の視線が彼女を追った。
会釈もなく、声をかけるでもない。
ただ——目で追った。
しかも、その視線は彼女が中庭から消えるまでのほんの数秒、確かに彼女を追いかけていた。
誰もが見過ごすような、小さな視線の動き。
話に夢中の側近たちは、誰も気づいていない。
シャルロッテも、王太子の隣で完璧な微笑みを保ったままだった。
ロイドの目には、それがはっきりと映った。
「……ふうん」
小声で呟いた。
「何が?」
「いや、何でもない」
まだ何も結論する段階ではなかった。
ただ、観察記録に追加すべき項目が、一つ増えた。
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夕方。
寮の自室。
ロイドは机に向かい、紙とペンを取り出した。
ヴィクトルから「報告書の質にはうるさい」と仕込まれた書き方だ。
事実だけを書く。推測は推測と明記する。時系列順に。私情は入れない。
『クレア・ブレンハルト。
行動の規則性:
寮→校舎→寮の往復が中心。逸脱なし。
会話:
必要最低限。北部貴族の傘下家門との交流が主。
接触者:
・メル・ヴォルフ(侍女)。常時同伴。
・ナディア・グリューネン(北方辺境伯配下男爵家)。友好的。
・ソフィア・シュタイナー(婚約者の妹)。礼儀正しい接触あり。
婚約者レオン・フェルス・シュタイナーとの接触:
観察期間中、未確認。
第三者所見:
・「堅い」「近寄りがたい」という印象が一般的。
・しかし、悪意ある言動は確認されない。
備考:
・王太子周辺で、リンデン子爵家次女エミリアに対する微細な反応を観察。
・王太子の側近構成: レオン(3年)、オスカー(3年)、ルドルフ(2年)、コンラート(卒業)。婚約者の家門は地方有力家門に分散。』
書き終え、紙を封筒に入れて封をした。
「……あとは次の定期連絡でハンスさんに渡せばいい」
淡々とした、最初の報告書だった。
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窓の外で、夕日が並木の影を長く落としていた。
ロイドはペンを置き、椅子に深く腰掛けた。
堅い令嬢。
完璧な侍女。
友好的な北部貴族の娘。
婚約者の妹からの礼儀正しい接触。
政治的に布陣された王太子の側近たち。
そして——子爵家の次女に向けられた、王太子の小さな視線。
まだ、何も繋がってはいない。
ただの観察結果が並んでいるだけだ。
森の中で獣の足跡を一つずつ拾い上げているような段階だ。
だが——冒険者の勘が、わずかに反応していた。
森の中で、罠の気配を感じ取った時の、あの感覚に似ていた。
「……依頼、本当に護衛だけで済むのか?」
誰にも聞こえない呟きだった。
2日目は4話連続掲載で、第7話は15時に公開予定となっています。
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