第38話 それぞれの未来
扉が、開いた。
ハンスの声が、低く、響いた。
「クレアお嬢様が、お見えになりました」
クレアが、静かに、部屋に、入ってきた。
北方辺境伯家の長女としての、整った装い。
わずかな緊張と、わずかな期待が、その所作に、宿っていた。
ロイドは、姿勢を、正した。
「お兄様、ただいま参りましたわ」
クレアは、まず、ヴィクトルに向かって、軽く頭を下げた。
そして——視線を、ロイドへと、移した。
「ロイド様、お時間をいただいて、申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ」
ロイドは、軽く、返した。
ヴィクトルが、笑みを、深めた。
「ちょうどよいところに来た。これからの話をする。お前にも、聞いてほしい」
ヴィクトルは、クレアに、隣の席を示した。
クレアが、ゆっくりと、腰を下ろした。
ハンスが、三人分の茶を、改めて整えた。
---
「と、その前に、クレア」
「はい」
クレアが、ロイドに、正面から、向き直った。
その目には、これまでのクレアにはなかった——何か、静かな光が、宿っていた。
「ロイド様」
クレアの声は、低く、しかし、確かなものだった。
「あの場で、立ってくださって——心より、感謝しております」
ロイドは、わずかに、戸惑った。
北方辺境伯家令嬢としての、正式な礼ではなかった。
一人の人間として、ロイドに、頭を下げる——そういう、礼だった。
「いえ……俺は、ただ」
ロイドは、低く、返した。
「ただ、依頼をこなしていただけで」
「それでも」
クレアは、わずかに、首を、振った。
「あの場で、進み出てくださった——それは、誰にでも、できることでは、ありません」
ロイドは、何も、答えなかった。
ただ、クレアの目に宿る、信頼に近い、何かを——確かに、受け止めていた。
---
ヴィクトルが、軽く、咳払いをした。
「さて」
ヴィクトルは、軽く、指を組んだ。
「これからのことを、話そう」
「これから?」
クレアが、問うた。
「それぞれの、未来だ」
ヴィクトルは、続けた。
「あの場で、関わった、すべての者たち——彼らが、これから、どう生きていくのか」
ロイドも、クレアも、視線を、上げた。
---
「まず、新王太子の体制だ」
ヴィクトルは、軽く、口を開いた。
「フェリクス殿下が、新王太子として、即位の準備を進めておられる。シャルロッテ嬢が、その婚約者として、お側に。コンラート殿、オスカー殿、ルドルフ殿は、そのまま、新王太子のお側近として、お仕えする」
「静かな、移行ですね」
クレアが、驚くことなく、受け止めていた。
「ああ」
ヴィクトルは、軽く頷いた。
「陛下も、新体制の安定に、注力されている——それが、政治の落ち着きどころだ」
「シャルロッテ様は……」
クレアが、ゆっくりと、口を開いた。
「あの方なら、王妃として、国を支えられると、私も思います」
「うむ」
ヴィクトルが、軽く頷いた。
「むしろ、アルベルト殿下の妃よりも、フェリクス殿下の妃の方が——あの方には、合っていたのかもしれん」
---
「アルベルト殿下と、エミリア嬢は」
クレアが、思い出したように問うた。
「教会の中で、共に過ごす未来になる」
ヴィクトルは、わずかに、目を細めた。
「アルベルト殿下は、聖女エミリア嬢への入り婿として、教会組織に入る。お二人の願いは——ある意味で、叶っている」
「……ある意味で?」
クレアが、問うた。
「王太子の座も、自由も、ない場所で——だがな」
ヴィクトルは、低く、答えた。
クレアは、目を、伏せた。
「……それは」
「皮肉だ。だが、それが、政治というものだ」
ヴィクトルは、続けた。
「教会も、政治への干渉力が、しばらくは、抑え込まれる。聖女の一件の首謀者とされている司祭も、教会内部で、処理されることになるだろう」
---
「次に、シュタイナー家だ」
ヴィクトルの声に、わずかな、冷たさが、戻った。
「レオンは、廃嫡された。シュタイナー家の領地の片隅に、幽閉される形に、なるだろう。二度と、王都には、戻れない」
「……レオン様」
クレアの肩が、わずかに、強張った。
「お兄様」
クレアは、ヴィクトルを、見た。
「レオン様は、本当に、私を——」
「レオンは、お前を、盤面の駒として、見ていた」
ヴィクトルは、低く、断じた。
「個人的な憎しみではない。だが、結果として、お前が、潰されかけた」
「……はい」
クレアは、低く、頷いた。
その顔には、もう、レオンへの期待も、執着も、なかった。
「ソフィア嬢も、影響を受ける。兄が廃嫡された家門の娘として、噂を扇動したものとして、これからの縁談は——選択肢が、狭まる」
「……ベスは?」
ロイドが、問うた。
「ベス・ブラントは、シュタイナー家から、外される。レオンの侍女として、一緒に幽閉されることになるだろうな」
ヴィクトルは、軽く息を吐いた。
---
「次は……」
ヴィクトルは、軽く、間を置いた。
「隣国系の派閥だ」
ロイドも、クレアも、視線を、上げた。
「王妃殿下のお立場は——変わる。隣国系の派閥の力が、しばらく、縮小する」
「……」
「代わって、側妃殿下のお立場が、高まる。フェリクス殿下が新王太子となった今、第二王子の母君として——影響力が、自然と、強まっていく」
ヴィクトルは、軽く、目を細めた。
「政治の盤面が、王妃殿下から側妃殿下へ——じわりと、傾いていく。そういう流れだ」
「ナディア嬢は」
ロイドが、低く、問うた。
「今回の関係者として、公に露見した。グリューネン家自体も、しばらくは、表立った動きが、できなくなる。ただ、首謀者ではない、しかも男爵家だからな。周りが落ち着けば戻ってこれるだろう」
「ヘルガ・ホフマン様は……」
クレアが、問うた。
「留学先からは、当面、戻ってこられないだろう。ホフマン家として、政治的な距離を取る判断を、している」
「……あの方には、お会いしたい気持ちも、あります」
クレアは、低く、口を開いた。
「あの方も、巻き込まれた、一人ですから」
ヴィクトルは、軽く、頷いた。
その目に、わずかな、優しさが、宿っていた。
---
「そして——」
ヴィクトルは、ゆっくりと、口を開いた。
「クレア、お前自身のことだ」
クレアの背筋が、軽く、伸びた。
「お前の名誉は、回復された。北方辺境伯家の長女として、これから歩む道を——お前自身が、選べる」
「……はい」
クレアは、低く、答えた。
「これから、どうしたい?」
ヴィクトルは、ゆっくりと、問うた。
クレアは、しばし、目を、伏せた。
そして、ゆっくりと、口を開いた。
「私は……ただ」
クレアの声は、低く、しかし、確かなものだった。
「家族と、過ごせる時間を、大切にしたいと、思っています」
ヴィクトルが、軽く、笑った。
その笑いには、シスコンの軽さが、戻っていた。
「うむ。それでいい」
ロイドも、軽く、頷いた。
クレアの選択は——静かで、しかし、確かな選択だった。
---
しばし、沈黙が、流れた。
部屋の灯りが、三人の輪郭を、柔らかく、揺らしていた。
そして、ヴィクトルが、軽く、口を開いた。
「ところでロイド」
その声には、わずかな、軽さが、戻っていた。
ロイドは、わずかに、警戒した。
「爵位の空きが、できそうでね」
ロイドの動きが、止まった。
「……は?」
「妹を守ってくれた、恩もある。王家への貢献も、ある」
ヴィクトルは、続けた。
「爵位があれば、クレアも嫁ぐことができるしな」
クレアが、軽く、目を、上げた。
ロイドは、低く、息を、吐いた。
「……またあんたの手のひらかよ」
ヴィクトルは、笑みを、深めた。
しかし、答えなかった。
クレアの目には——わずかな、微笑みが、宿っていた。
「お兄様、ロイド様にあまり、無理を……」
「ははは。何のことかな」
ヴィクトルの笑い声が、どこまでも響いていった。
これにて第三部、そして本編はこれにて終了となり、ロイドの物語も終演となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
……っが、実はまだあと1話あります。
よろしければ、ぜひそこまでお付き合いいただければ幸いです。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。
そして、「冒険者はあきらめない」シリーズの第5弾として新作の連載がはじまっています。
「十七人目の冒険者 ― 私への道」
https://ncode.syosetu.com/n7254mj/
新作の方も引き続き応援していただけると、とても嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。




